今日は焼き魚定食を食べる。なぜなら雨が降ったから。別に決めてるわけじゃないけど、そういう気分なのだ。微細な心の揺らぎになんとなく理由をつけてみた。物事には因果があり、すべては必然であるという運命論を信じてみようと思っただけ。
十二時きっかりに学食へ行き、入り口にある券売機にお金を入れて右下あたりのボタンを押した。食券を窓口のおばちゃんに渡すと愛想よく受け取ってくれる。
おばちゃんの仕事は食券を厨房に回すだけ。私の通う大学では調理専用機械が搬入されているので、人間様がやる仕事がない。ちょっと皮肉っぽくなっちゃった。だけど事実、ボタンを押せばそれが厨房の機械と連動して勝手に調理するシステムだってとっくに完成しているのだから、このおばちゃんは合理という側面を見れば不要なはずで、なのにいつまでも食券方式を残しているこの大学は時代の最先端を歩もうとする開拓の精神と矛盾しているように思える。
それはさておき、このおばちゃんはすごい。ニコニコと学生たちと会話する、事務的ではないのがなんだか素敵だ。学食を利用している学生たちの名前を全員覚えているらしい。古株なのか知らないけど、このご時世この仕事だけで食い扶持をつないでいる。学校の七不思議の一つに認定してもいいくらいだと思う。私なら退屈で死んでしまいそうだが、おばちゃんはいつも楽しそうだ。おそらく何気ない日常、例えば今日の学生の注文状況、道行く人々の表情、今にも消え入りそうな電灯、ざぁざぁと降る雨の転調、そんなありふれた見落としがちな事象ですら娯楽に変えてしまう器量を持っているのだろう、だからちょっと尊敬する。
受け取り口で定食を受け取った。今日の魚は鰆だった。二人掛けのテーブルに陣取って私はランチ、いや昼餉を摂った。
箸で身をつついて口へ運ぶ。淡白だけど美味しい。ちょっと醤油が欲しいけど、受け取り口まで取りに行くの面倒だからいいや。
しかしながら箸の使い方もうまくなったものだ。和の心を完全に理解してる私は生粋の日本人である。二本の棒でなんでも摘まめる。この付け合わせのプチトマトだって軽々と、あれ、おかしいな、滑る。こなくそ、ちょこまか逃げおってからに。こういう時は精神を落ち着けよう。摘まめない理由があるはずだ。よし、トマトの気持ちになって考えてみよう、これぞ心理学。……俺はトマトだ。こんな顔してるが怒ってるわけじゃねえ、俺はいつもクールだぜ。なんで顔が赤いかって言うとリコピンてのが含まれているからなんだぜ。……なんだリコピンって、まるで転校生の絵里子ちゃんとか真理子ちゃんに親しみを込めて仇名をつけようと思ったけど、エリとかマリはすでにクラスに居るからしょうがなくつけたみたいな響き。思考が脱線した、トマトの気持ちトマトの気持ち……迫りくる二本箸、さながら槍か矢の如し。あのでかい人間とか言う生物は挟み撃ちの戦法をとるつもりらしいが、ここは袋小路じゃあない、活路を見出すのは容易いものよ。前門のおてもと後門のチョップスティック、なら横に逃げれば何の問題もなかろう。
「見えた」
私はテーブルの上にある武器庫(箸入れ)から禁忌ともいえる三本目を取り出した。中指と人差し指でウェポンを支持して準備完了。三角形に死角なし、私の箸は今バミューダトライアングルと化した。さあさ覚悟しろプチトマト、真っ赤なあんたが次の的よ、的確に射貫いてやるわ、あれダメだ摘まめない。いいや諦めるもんか、私の心は三本アローなのだ!
「何やってんのメリー」
「あ、蓮子。今日はサンドイッチなのね珍しい」
サンドイッチの包みを片手にやってきた蓮子が合成生鮮との聖戦に水を差したので私は諦めて箸を置き、プチトマトを手でつまんで口に放り込んだ。酸っぱかった。妥協の味がした。
「そうなのよ。これ、美味しいっていうから並んで買ってみたんだけど」
椅子を引いて腰かけた蓮子はテーブルにサンドイッチの包みを拡げ、キリマンジャロブレンド風コーヒーのカップをその横に置いた。ランチタイムと洒落込む、という表現が似合う。サンドイッチを優雅に食べる日本人、かたや鰆を丹念に箸でつつく私。絵面がおかしい気がする、というのは時代錯誤な考え方だろうか。
そう言えば一等人気のサンドイッチがあると聞いた。ハイカラな名前だったけど、思い出せない。何とかチキンとか何とかペーストとか入ってた気がする。売店に並ぶと、およそ十分も時間をロスしてしまう。だから、来るのがちょっと遅かったらしい。
「流行りに踊らされてるわね、らしくもない」
「いいの! そういう気分なの!」
蓮子は手間暇かけてこさえた手弁当を食べるときのように一口一口噛み締めながらサンドイッチを頬張っていた。結構盛りが良いようで、挟まっているレタスがパンと指の隙間をかいくぐってぽとりと落ちたりして、ちょっと食べにくそうだった。やはりサラドと人類は戦いを宿命づけられているらしい。
私は流行りものが嫌いなわけではないけど、そこまで関心がない。時間をかけて並ぶ労力が面倒だ。逆に蓮子は流行り廃りにそれなりに敏感で、風潮そのものを毛嫌いしている節がある。流行りの輪に入らず雲の上から俯瞰して、時には嘲笑の視線を浴びせてはちょっとやそっとじゃひび割れない自我を持っているぞと意味もなく誇示する。そして廃れてきてから手を出して、感動を独り占めするのだ。そんな蓮子が反骨の精神を忘れ去り、世間の穏やかな波に乗っかってまで買ったサンドイッチは、どれほど美味しいのだろうか。ちょっと気になる。
「一口」
「並んだら? ノーペインノーゲイン」
「意地悪」
私は頬をふぐのごとく膨らませた。なんか今日の蓮子はご機嫌斜めだ。理由はいくつも想像できる。レポート、講義への遅刻、あの日、二日酔い、などなど。それはいつものことだけど、私に意地悪するまでとは珍しい。
「ああ、だから雨が降ったのね」
私は勝手に納得した。きっとそう言う因果なのだ。蓮子は一瞬だけ頭上にハテナを浮かべてからサンドイッチに齧り付いた。
十二時きっかりに学食へ行き、入り口にある券売機にお金を入れて右下あたりのボタンを押した。食券を窓口のおばちゃんに渡すと愛想よく受け取ってくれる。
おばちゃんの仕事は食券を厨房に回すだけ。私の通う大学では調理専用機械が搬入されているので、人間様がやる仕事がない。ちょっと皮肉っぽくなっちゃった。だけど事実、ボタンを押せばそれが厨房の機械と連動して勝手に調理するシステムだってとっくに完成しているのだから、このおばちゃんは合理という側面を見れば不要なはずで、なのにいつまでも食券方式を残しているこの大学は時代の最先端を歩もうとする開拓の精神と矛盾しているように思える。
それはさておき、このおばちゃんはすごい。ニコニコと学生たちと会話する、事務的ではないのがなんだか素敵だ。学食を利用している学生たちの名前を全員覚えているらしい。古株なのか知らないけど、このご時世この仕事だけで食い扶持をつないでいる。学校の七不思議の一つに認定してもいいくらいだと思う。私なら退屈で死んでしまいそうだが、おばちゃんはいつも楽しそうだ。おそらく何気ない日常、例えば今日の学生の注文状況、道行く人々の表情、今にも消え入りそうな電灯、ざぁざぁと降る雨の転調、そんなありふれた見落としがちな事象ですら娯楽に変えてしまう器量を持っているのだろう、だからちょっと尊敬する。
受け取り口で定食を受け取った。今日の魚は鰆だった。二人掛けのテーブルに陣取って私はランチ、いや昼餉を摂った。
箸で身をつついて口へ運ぶ。淡白だけど美味しい。ちょっと醤油が欲しいけど、受け取り口まで取りに行くの面倒だからいいや。
しかしながら箸の使い方もうまくなったものだ。和の心を完全に理解してる私は生粋の日本人である。二本の棒でなんでも摘まめる。この付け合わせのプチトマトだって軽々と、あれ、おかしいな、滑る。こなくそ、ちょこまか逃げおってからに。こういう時は精神を落ち着けよう。摘まめない理由があるはずだ。よし、トマトの気持ちになって考えてみよう、これぞ心理学。……俺はトマトだ。こんな顔してるが怒ってるわけじゃねえ、俺はいつもクールだぜ。なんで顔が赤いかって言うとリコピンてのが含まれているからなんだぜ。……なんだリコピンって、まるで転校生の絵里子ちゃんとか真理子ちゃんに親しみを込めて仇名をつけようと思ったけど、エリとかマリはすでにクラスに居るからしょうがなくつけたみたいな響き。思考が脱線した、トマトの気持ちトマトの気持ち……迫りくる二本箸、さながら槍か矢の如し。あのでかい人間とか言う生物は挟み撃ちの戦法をとるつもりらしいが、ここは袋小路じゃあない、活路を見出すのは容易いものよ。前門のおてもと後門のチョップスティック、なら横に逃げれば何の問題もなかろう。
「見えた」
私はテーブルの上にある武器庫(箸入れ)から禁忌ともいえる三本目を取り出した。中指と人差し指でウェポンを支持して準備完了。三角形に死角なし、私の箸は今バミューダトライアングルと化した。さあさ覚悟しろプチトマト、真っ赤なあんたが次の的よ、的確に射貫いてやるわ、あれダメだ摘まめない。いいや諦めるもんか、私の心は三本アローなのだ!
「何やってんのメリー」
「あ、蓮子。今日はサンドイッチなのね珍しい」
サンドイッチの包みを片手にやってきた蓮子が合成生鮮との聖戦に水を差したので私は諦めて箸を置き、プチトマトを手でつまんで口に放り込んだ。酸っぱかった。妥協の味がした。
「そうなのよ。これ、美味しいっていうから並んで買ってみたんだけど」
椅子を引いて腰かけた蓮子はテーブルにサンドイッチの包みを拡げ、キリマンジャロブレンド風コーヒーのカップをその横に置いた。ランチタイムと洒落込む、という表現が似合う。サンドイッチを優雅に食べる日本人、かたや鰆を丹念に箸でつつく私。絵面がおかしい気がする、というのは時代錯誤な考え方だろうか。
そう言えば一等人気のサンドイッチがあると聞いた。ハイカラな名前だったけど、思い出せない。何とかチキンとか何とかペーストとか入ってた気がする。売店に並ぶと、およそ十分も時間をロスしてしまう。だから、来るのがちょっと遅かったらしい。
「流行りに踊らされてるわね、らしくもない」
「いいの! そういう気分なの!」
蓮子は手間暇かけてこさえた手弁当を食べるときのように一口一口噛み締めながらサンドイッチを頬張っていた。結構盛りが良いようで、挟まっているレタスがパンと指の隙間をかいくぐってぽとりと落ちたりして、ちょっと食べにくそうだった。やはりサラドと人類は戦いを宿命づけられているらしい。
私は流行りものが嫌いなわけではないけど、そこまで関心がない。時間をかけて並ぶ労力が面倒だ。逆に蓮子は流行り廃りにそれなりに敏感で、風潮そのものを毛嫌いしている節がある。流行りの輪に入らず雲の上から俯瞰して、時には嘲笑の視線を浴びせてはちょっとやそっとじゃひび割れない自我を持っているぞと意味もなく誇示する。そして廃れてきてから手を出して、感動を独り占めするのだ。そんな蓮子が反骨の精神を忘れ去り、世間の穏やかな波に乗っかってまで買ったサンドイッチは、どれほど美味しいのだろうか。ちょっと気になる。
「一口」
「並んだら? ノーペインノーゲイン」
「意地悪」
私は頬をふぐのごとく膨らませた。なんか今日の蓮子はご機嫌斜めだ。理由はいくつも想像できる。レポート、講義への遅刻、あの日、二日酔い、などなど。それはいつものことだけど、私に意地悪するまでとは珍しい。
「ああ、だから雨が降ったのね」
私は勝手に納得した。きっとそう言う因果なのだ。蓮子は一瞬だけ頭上にハテナを浮かべてからサンドイッチに齧り付いた。
とっても好きです。
雨のくだりもとても好きでした。
唐突に始まるトマトとの死闘に笑いました
こんな顔してるが怒ってるわけじゃねえ
ガヤガヤした空間に二人で仲良く食事という独特の雰囲気が頭に鮮明に流れてきました
羨ましいセンス