「素晴らしいことになるわ」とパルスィは言った。パルスィは明らかにヤマメに殺されるのを望んでいた。ヤマメに殺されるのを、というよりは、ヤマメに殺されることで発生する現象を望んでいた。
──絆である。
昇華、独占、“特別な存在になりたい”。
誰にでも隔てなく明るいヤマメを「もっとも親しい友人である私(パルスィ)を殺した」という一点の染みによって、深い無限の思考地獄へと堕とそう、私のことを考えない日がないようにしてやろう──そういう算段だった。
ヤマメは首に込める手の力を緩めた。
パルスィは激しく咳き込んだ。
「げっほ、げっほ。なんなのよ」
「趣味じゃないんだよね」
「約束したじゃない。理由は聞かずに私を殺してくれるって。あんた了承したじゃない」
「絞殺がマストという話ではなかったわ」
「えっ」
パルスィの頬が期待に色付いた次の瞬間、細い糸がびっしりと貼り付いてパルスィの肢体を雁字搦めにした。
宙に浮くパルスィの目を見てヤマメは言った。
「パルスィ。私って病で殺すのがもっぱらの土蜘蛛なのよ。そんな私に殺されるなんて、苦しんで死ぬに決まってるよね」
パルスィは青ざめた。
「ヤマメ。私顔が熱くなってきたわ。もうなにかしたの」
「いいや。まだ何もしてないけど」
「じゃあ私興奮しているのね! とても」
「まだ何もしてないけど。顔色が悪いよパルスィ」
「あなたが縛り上げるから。血行が。血行が」
「ぜんぶ私のせいなの」
「そうよ」
鈍く光る緑色の瞳がヤマメを捉えた。
「ううっ」ヤマメはたじろぎ、まばたきをした。「その目では私は狂わないわ」
「そりゃあ、妖怪相手じゃね」
「そこよ」
ヤマメは宙に縛り上げられたパルスィの周りをぐるぐると歩き回り始めた。
「あんたも妖怪じゃないか、パルスィ。それで私が本気になれると思う? あんたを殺すって」
ぐるぐると自分の周りを回るヤマメを目で追いながらパルスィは答えた。
「本気になって貰わなければ困るわ」
「本気の私であんたを殺せるか怪しいところがあるって話をしてるのよ」ヤマメは続けた。「人間が死ぬ病なんかであなた死なないでしょう」
「やってみなければわからないじゃない?」
「それに、本気になれないのはパルスィも同じ」
ヤマメはパルスィの膝を指差した。
「震えているわ」
「武者震いに決まっているじゃない!」
目を見開いてパルスィがそう言うので、ヤマメは人差し指を下の地面から上の地面へと差し向けた。パルスィを結んでいる糸がぐるりと回転してパルスィは逆さ吊りになった。
「関節が痛い!」
「あんたが私を好きなことを知ってる」
ヤマメはしゃがんだ。目があった。
「あんたの“情の深さ”も知ってる。あんた、私に殺されて、何か……」唇をむずむずとさせながらヤマメは気まずそうに目を逸らした。「……とにかく、何かしようとしているんでしょ、私の心を動かすような何か」
「適当な言葉が思いつかなかったのね」
「…………」
ヤマメはパルスィの口に糸を貼り付けた。
そして立ち上がると、パルスィの顔を見下した。
「私、“妖怪ごときに殺されて死んでしまうパルスィ”に何の興味もないわ」
パルスィが今まで見てきたヤマメの中で一番冷たい目をしていた。
既に興味なさそう、とパルスィは思った。
「でも、関係ないんだよね。パルスィが“ヤマメの心を動かした”と思ってさえいれば、私の内心なんて、関係ないんだよね」
パルスィの頭にだんだん血が昇ってきた。
──いったいこの言い様はなんなのか! まるで私がヤマメの意思をまったく汲む気がないかのような口ぶりではないか。馬鹿にしているのか! 意思を汲んだ上で踏みにじるのか私だというのに!
パルスィは燃えた。
「うおっ」
ヤマメは後ずさった。
青い憎しみの炎がパルスィを包み込み、全身を縛る糸を焼き尽くした。燃え盛る蒼炎の中でパルスィはしたり顔をしたが、飛ぶのを忘れていたので、顔面から地面に激突した。
「ぐえ」
「だ、大丈夫?」
「へ、平気」
パルスィはよろよろと立ち上がり顔を上げた。頬や額や鼻っ柱に細かい傷が沢山ついていた。
ヤマメは口元を手で覆った。
「パルスィが“私の唯一の取り柄”と豪語して憚らない美しい顔が!」
「心配してくれて嬉しいわあ」
ニコニコとパルスィは言った。
そしてどこからともなく現れた五寸釘を指の間に握り、素早くヤマメの顔に向かって投擲した。ヤマメは顔を横に逸らして避けた。
パルスィは高らかに言った。
「決闘を申し込む!」
五寸釘がかすめたヤマメの頬がピリリと裂け、血が伝い、顎から滴った。
ヤマメは次の行のような顔をした。
「?」
ぽかんと口を半分開き、困惑したままのヤマメに、パルスィは先回りするように言った。
「あなたが私を侮辱したからよ」
「したっけ?」
「それに、なかなか殺してくれなくて、埒が明かないし」
「やろうとしたら、あんたが糸を燃やして脱出したんじゃないか、今まさに」
「本当じゃないからでしょ。一度捕らえた獲物を逃がすなんて。土蜘蛛の恥だわ、やれやれ」
「言ってくれる」
ヤマメの足元に蜘蛛が集まり始めた。
「後悔しても知らないから!」
***
「確認できたよ」
ヤマメが言った。
お互いのスペルカードを出し尽くし、派手な花火に惹かれて寄ってきた観客たちがぞろぞろと帰っていったあとで、橋の欄干に寄っかかって、二人は休息していた。
パルスィが言った。
「なにが」
「私があんたを殺すつもりないこと。そしてあんたも死ぬつもりがないこと」
「馬鹿な……」パルスィはせせら笑った。「ヤマメはそうだろうけど、私がヤマメの手にかかって死ぬのは本心で願っていることよ」
「さっきの決闘、ものすごく楽しそうだったじゃない」
「…………」
「またしたいって思ったんでしょ」
きらきらとした弾幕の煌き。寸前で攻撃を躱した時のチリチリと身を焦がす快感。獰猛なヤマメの笑顔。瘴気。蜘蛛の糸。そして嫉妬の焰と花弁がすべてを燃え上がらせて………。
「……刹那的な快感だわ」パルスィは金色に鈍く光る睫毛を重たく震わせた。「私が求めているのはもっと歯切れの悪いものよ。あな
たの後ろ髪を引き続けるものよ」
「“パルスィの死に引きずられる私”なんて、“引きずっているパルスィ”がいなければ、瞬く間に消えてなくなるだろうよ」ヤマメは片目を閉じてから開いて見せた。「刹那的にね」
ヤマメの茶目っ気のある仕草にパルスィは少しドキリとした。「化けて出るわ」
「それじゃ生きてるのと変わんないじゃない。成仏しないと。死んだ意味ないわ」
「それは」パルスィは少し考え込んだ。「そうね」
死後、霊になってヤマメに干渉するのであれば、“ヤマメによって殺されたパルスィ”の悲劇性は薄れ、今の関係と全く変わらないのではないか──しかし、干渉しなければヤマメの意識からパルスィは消えてしまう。
「ある問題を死によって解決するのって、一番簡単で、安易で、つまらないじゃない?」
独り言じみたヤマメの呟きが光の届かない褐色の空へと溶けていく。パルスィにはそれが目に見えたような気がしてヤマメの口もとからその先に広がる虚空を目で追った。
「死んだら世界が終わるから、その先は観測しなくても、なにもかも成功したことになるなんて……そのへんの妖精を満身創痍にするよりイージーだわ」
死後の魂は死神に迎えられ閻魔によって断罪を受けるこの幻想郷において、そういった唯物的な考え方をヤマメがしているのはいささか不自然なように思えたが、はからずも自分だってその“死んだら終わり”的価値観でヤマメに殺されようとしていたことに気付き、パルスィは赤面するとともに、もう我々みたようなのはとっくに断罪されているも同然ではないか、ここは地獄なのだ、と自問自答の末白々しい気分にもなった。
パルスィの視界の端に、そのへんにいた妖精がビクリと怯えてそそくさと退散する様子が見えた。妖精の満身創痍は、“一回休み”……。
ヤマメは続けた。
「あんたはつまらないことを嫌うタチでしょ。私と同じでさ……」
「……」
「だから……」
ヤマメは虚空を見ながら言葉を詰まらせた。
言葉を選ぶという行為に付随する、思慕、哀愍、繊細さ、やさしさ──それらが伝わってきてパルスィはどうしようもない気分になってきた。
妬ましい。
ヤマメに想われる自分自身が。
ヤマメを想う自分自身が。
嫉妬が、血液のように、体内を巡り、それがパルスィを妖怪たらしめ、存在を定着させる。自己完結の永久機関、いや、自己完結ではない、ヤマメがいる。
パルスィは全身になにか冷たく熱い液体が循環しているようでぞわぞわしてきた。
「……だから、短絡的に死ぬよりは、面白い方法が──」
「ヤマメ」
「なに?」
「私、不老不死になったわ」
ぴたりと時が止まった。洞穴を吹き抜ける風も妖精の羽ばたきも崩れ落ちる岩石も遠くへ遠くへ遠くへ消えた。
ヤマメは架空の箱を持つような手つきをして、左に置いたり、右に置いたりした。
ヤマメは顔を上げた。
「えっ。今の流れのどこで?」
「私、ずっとヤマメといたいわ」
「心変わりが急すぎないか。不老不死?」
「そうなったのよ……」
「そうなったんだ……」
「うん……」
橋の上でパルスィはヤマメに寄り添った。ヤマメは緊張をした。
パルスィが突拍子もないことを言うのは今に始まった話ではないが、この突拍子のなさは一・ニを争うとヤマメは思った。
腕の中にヤマメを抱くと、パルスィはやさしくヤマメの頭を撫でてあげた。ヤマメは赤面をした。パルスィの髪から肌から瞳から、女性らしいしっとりとした香りが漂ってきたが、ヤマメはそれを形容する語彙を持たなかった。
「私、ヤマメが私を殺してくれたら、その瞬間劇的なことが世界に起きて、全てを塗り替えられるんじゃないかって思ってた。けど、確かにそれって、誰でも思いつく簡単な方法である上に、私はその結果を観測することすらできないのね」
モゴモゴとヤマメは言った。「私はそう言ったつもりよ」
「ああ……」パルスィはぶるりと震えると、顔満面を蕩けさせて、すがるようにヤマメを篭絡した。「ああ! なんと頼もしく、なんと正しく、なんと妬ましいことか! あなたは私の導きの糸なのだわ! ああ……」
粘菌、という単語と画像がヤマメの頭に浮かんだ。
吐息かかったパルスィの声が耳元で囁かれる。
「私を不老不死にし続けて」
そして、ヤマメは明らかにパルスィに接吻された。
緩衝、匂い、圧。
ヤマメはパルスィの接吻を決して拒みはしなかったが、放っておくとここに立つ二人以外の全てが滅んでも永遠に終わらなさそうだったので、適当なタイミングでパルスィの肩を押した。
「“殺して”の次は“不老不死にして”って。あんた、アレよ。竹林のアレみたい」
「いいじゃない。私だって姫様なんだから。アレほど無理難題でもないでしょう?」
「私求婚した覚えないけどなぁ」
「それは、あなたが友達思いだからよ。最初から、対価なんていらないんでしょ。ああ妬ましい……」
「だって、何をどうしたらあんたが不老不死になるのかなんてわからないし」
「側にいてくれるだけでいいのよ。ヤマメが。私の。ずっとね」
「私先に死んじゃうでしょ。そしたらあんたも終わりじゃん」
「どのみち、私、死ぬわ」
「不老不死はいいの?」
「不老不死は副題なのよ」
ヤマメはパルスィの途方もなく遥か彼方に迂遠な言い回しを頭胸部の巨大な脳の回転によって吟味し始めた。
わかった。
「……パルスィ」
「なに?」
「あんたが言ってることって、ずっと同じだったのね」
パルスィは首を傾げた。
「今しがた、主張を変えたばかりじゃない」
「外殻が変わっただけだわ……」
ヤマメはパルスィの手首を掴んだ。強い力。振り解けない。振り解かない。
「こういうことでしょう」
パルスィの手首を肩に導く。ヤマメの背は欄干に預けられて。
そうしてヤマメは“パルスィがヤマメを押し倒している”ポーズを作った。
ヤマメの赤褐色の瞳の中に見える四つの斑点が、全てパルスィを見ている気がして、パルスィの身体はこわばった。
ヤマメは何も言わない。
パルスィは何を言うべきなのか、それとも何かをするべきなのか、ヤマメの意図を探ろうとしたが、瞳に縛られて思考が動かなかった。
「私が言ってもいいよ。でも、あなたが言うべきだろう」
ヤマメはそう言った。
ヤマメの言葉が脳に浸透すると、パルスィは急に頭がはっきりしてきたようだった。
簡単なこと。安易なこと。つまらないこと。その全てを乗り越えて、手首を握り返し、欄干に押し付けて、パルスィはヤマメに囁いた。
「好きよ。ヤマメ。私のものになって」
ヤマメは困ったように笑った。
「もうずっと、私はパルスィのものだよ」
【了】
──絆である。
昇華、独占、“特別な存在になりたい”。
誰にでも隔てなく明るいヤマメを「もっとも親しい友人である私(パルスィ)を殺した」という一点の染みによって、深い無限の思考地獄へと堕とそう、私のことを考えない日がないようにしてやろう──そういう算段だった。
ヤマメは首に込める手の力を緩めた。
パルスィは激しく咳き込んだ。
「げっほ、げっほ。なんなのよ」
「趣味じゃないんだよね」
「約束したじゃない。理由は聞かずに私を殺してくれるって。あんた了承したじゃない」
「絞殺がマストという話ではなかったわ」
「えっ」
パルスィの頬が期待に色付いた次の瞬間、細い糸がびっしりと貼り付いてパルスィの肢体を雁字搦めにした。
宙に浮くパルスィの目を見てヤマメは言った。
「パルスィ。私って病で殺すのがもっぱらの土蜘蛛なのよ。そんな私に殺されるなんて、苦しんで死ぬに決まってるよね」
パルスィは青ざめた。
「ヤマメ。私顔が熱くなってきたわ。もうなにかしたの」
「いいや。まだ何もしてないけど」
「じゃあ私興奮しているのね! とても」
「まだ何もしてないけど。顔色が悪いよパルスィ」
「あなたが縛り上げるから。血行が。血行が」
「ぜんぶ私のせいなの」
「そうよ」
鈍く光る緑色の瞳がヤマメを捉えた。
「ううっ」ヤマメはたじろぎ、まばたきをした。「その目では私は狂わないわ」
「そりゃあ、妖怪相手じゃね」
「そこよ」
ヤマメは宙に縛り上げられたパルスィの周りをぐるぐると歩き回り始めた。
「あんたも妖怪じゃないか、パルスィ。それで私が本気になれると思う? あんたを殺すって」
ぐるぐると自分の周りを回るヤマメを目で追いながらパルスィは答えた。
「本気になって貰わなければ困るわ」
「本気の私であんたを殺せるか怪しいところがあるって話をしてるのよ」ヤマメは続けた。「人間が死ぬ病なんかであなた死なないでしょう」
「やってみなければわからないじゃない?」
「それに、本気になれないのはパルスィも同じ」
ヤマメはパルスィの膝を指差した。
「震えているわ」
「武者震いに決まっているじゃない!」
目を見開いてパルスィがそう言うので、ヤマメは人差し指を下の地面から上の地面へと差し向けた。パルスィを結んでいる糸がぐるりと回転してパルスィは逆さ吊りになった。
「関節が痛い!」
「あんたが私を好きなことを知ってる」
ヤマメはしゃがんだ。目があった。
「あんたの“情の深さ”も知ってる。あんた、私に殺されて、何か……」唇をむずむずとさせながらヤマメは気まずそうに目を逸らした。「……とにかく、何かしようとしているんでしょ、私の心を動かすような何か」
「適当な言葉が思いつかなかったのね」
「…………」
ヤマメはパルスィの口に糸を貼り付けた。
そして立ち上がると、パルスィの顔を見下した。
「私、“妖怪ごときに殺されて死んでしまうパルスィ”に何の興味もないわ」
パルスィが今まで見てきたヤマメの中で一番冷たい目をしていた。
既に興味なさそう、とパルスィは思った。
「でも、関係ないんだよね。パルスィが“ヤマメの心を動かした”と思ってさえいれば、私の内心なんて、関係ないんだよね」
パルスィの頭にだんだん血が昇ってきた。
──いったいこの言い様はなんなのか! まるで私がヤマメの意思をまったく汲む気がないかのような口ぶりではないか。馬鹿にしているのか! 意思を汲んだ上で踏みにじるのか私だというのに!
パルスィは燃えた。
「うおっ」
ヤマメは後ずさった。
青い憎しみの炎がパルスィを包み込み、全身を縛る糸を焼き尽くした。燃え盛る蒼炎の中でパルスィはしたり顔をしたが、飛ぶのを忘れていたので、顔面から地面に激突した。
「ぐえ」
「だ、大丈夫?」
「へ、平気」
パルスィはよろよろと立ち上がり顔を上げた。頬や額や鼻っ柱に細かい傷が沢山ついていた。
ヤマメは口元を手で覆った。
「パルスィが“私の唯一の取り柄”と豪語して憚らない美しい顔が!」
「心配してくれて嬉しいわあ」
ニコニコとパルスィは言った。
そしてどこからともなく現れた五寸釘を指の間に握り、素早くヤマメの顔に向かって投擲した。ヤマメは顔を横に逸らして避けた。
パルスィは高らかに言った。
「決闘を申し込む!」
五寸釘がかすめたヤマメの頬がピリリと裂け、血が伝い、顎から滴った。
ヤマメは次の行のような顔をした。
「?」
ぽかんと口を半分開き、困惑したままのヤマメに、パルスィは先回りするように言った。
「あなたが私を侮辱したからよ」
「したっけ?」
「それに、なかなか殺してくれなくて、埒が明かないし」
「やろうとしたら、あんたが糸を燃やして脱出したんじゃないか、今まさに」
「本当じゃないからでしょ。一度捕らえた獲物を逃がすなんて。土蜘蛛の恥だわ、やれやれ」
「言ってくれる」
ヤマメの足元に蜘蛛が集まり始めた。
「後悔しても知らないから!」
***
「確認できたよ」
ヤマメが言った。
お互いのスペルカードを出し尽くし、派手な花火に惹かれて寄ってきた観客たちがぞろぞろと帰っていったあとで、橋の欄干に寄っかかって、二人は休息していた。
パルスィが言った。
「なにが」
「私があんたを殺すつもりないこと。そしてあんたも死ぬつもりがないこと」
「馬鹿な……」パルスィはせせら笑った。「ヤマメはそうだろうけど、私がヤマメの手にかかって死ぬのは本心で願っていることよ」
「さっきの決闘、ものすごく楽しそうだったじゃない」
「…………」
「またしたいって思ったんでしょ」
きらきらとした弾幕の煌き。寸前で攻撃を躱した時のチリチリと身を焦がす快感。獰猛なヤマメの笑顔。瘴気。蜘蛛の糸。そして嫉妬の焰と花弁がすべてを燃え上がらせて………。
「……刹那的な快感だわ」パルスィは金色に鈍く光る睫毛を重たく震わせた。「私が求めているのはもっと歯切れの悪いものよ。あな
たの後ろ髪を引き続けるものよ」
「“パルスィの死に引きずられる私”なんて、“引きずっているパルスィ”がいなければ、瞬く間に消えてなくなるだろうよ」ヤマメは片目を閉じてから開いて見せた。「刹那的にね」
ヤマメの茶目っ気のある仕草にパルスィは少しドキリとした。「化けて出るわ」
「それじゃ生きてるのと変わんないじゃない。成仏しないと。死んだ意味ないわ」
「それは」パルスィは少し考え込んだ。「そうね」
死後、霊になってヤマメに干渉するのであれば、“ヤマメによって殺されたパルスィ”の悲劇性は薄れ、今の関係と全く変わらないのではないか──しかし、干渉しなければヤマメの意識からパルスィは消えてしまう。
「ある問題を死によって解決するのって、一番簡単で、安易で、つまらないじゃない?」
独り言じみたヤマメの呟きが光の届かない褐色の空へと溶けていく。パルスィにはそれが目に見えたような気がしてヤマメの口もとからその先に広がる虚空を目で追った。
「死んだら世界が終わるから、その先は観測しなくても、なにもかも成功したことになるなんて……そのへんの妖精を満身創痍にするよりイージーだわ」
死後の魂は死神に迎えられ閻魔によって断罪を受けるこの幻想郷において、そういった唯物的な考え方をヤマメがしているのはいささか不自然なように思えたが、はからずも自分だってその“死んだら終わり”的価値観でヤマメに殺されようとしていたことに気付き、パルスィは赤面するとともに、もう我々みたようなのはとっくに断罪されているも同然ではないか、ここは地獄なのだ、と自問自答の末白々しい気分にもなった。
パルスィの視界の端に、そのへんにいた妖精がビクリと怯えてそそくさと退散する様子が見えた。妖精の満身創痍は、“一回休み”……。
ヤマメは続けた。
「あんたはつまらないことを嫌うタチでしょ。私と同じでさ……」
「……」
「だから……」
ヤマメは虚空を見ながら言葉を詰まらせた。
言葉を選ぶという行為に付随する、思慕、哀愍、繊細さ、やさしさ──それらが伝わってきてパルスィはどうしようもない気分になってきた。
妬ましい。
ヤマメに想われる自分自身が。
ヤマメを想う自分自身が。
嫉妬が、血液のように、体内を巡り、それがパルスィを妖怪たらしめ、存在を定着させる。自己完結の永久機関、いや、自己完結ではない、ヤマメがいる。
パルスィは全身になにか冷たく熱い液体が循環しているようでぞわぞわしてきた。
「……だから、短絡的に死ぬよりは、面白い方法が──」
「ヤマメ」
「なに?」
「私、不老不死になったわ」
ぴたりと時が止まった。洞穴を吹き抜ける風も妖精の羽ばたきも崩れ落ちる岩石も遠くへ遠くへ遠くへ消えた。
ヤマメは架空の箱を持つような手つきをして、左に置いたり、右に置いたりした。
ヤマメは顔を上げた。
「えっ。今の流れのどこで?」
「私、ずっとヤマメといたいわ」
「心変わりが急すぎないか。不老不死?」
「そうなったのよ……」
「そうなったんだ……」
「うん……」
橋の上でパルスィはヤマメに寄り添った。ヤマメは緊張をした。
パルスィが突拍子もないことを言うのは今に始まった話ではないが、この突拍子のなさは一・ニを争うとヤマメは思った。
腕の中にヤマメを抱くと、パルスィはやさしくヤマメの頭を撫でてあげた。ヤマメは赤面をした。パルスィの髪から肌から瞳から、女性らしいしっとりとした香りが漂ってきたが、ヤマメはそれを形容する語彙を持たなかった。
「私、ヤマメが私を殺してくれたら、その瞬間劇的なことが世界に起きて、全てを塗り替えられるんじゃないかって思ってた。けど、確かにそれって、誰でも思いつく簡単な方法である上に、私はその結果を観測することすらできないのね」
モゴモゴとヤマメは言った。「私はそう言ったつもりよ」
「ああ……」パルスィはぶるりと震えると、顔満面を蕩けさせて、すがるようにヤマメを篭絡した。「ああ! なんと頼もしく、なんと正しく、なんと妬ましいことか! あなたは私の導きの糸なのだわ! ああ……」
粘菌、という単語と画像がヤマメの頭に浮かんだ。
吐息かかったパルスィの声が耳元で囁かれる。
「私を不老不死にし続けて」
そして、ヤマメは明らかにパルスィに接吻された。
緩衝、匂い、圧。
ヤマメはパルスィの接吻を決して拒みはしなかったが、放っておくとここに立つ二人以外の全てが滅んでも永遠に終わらなさそうだったので、適当なタイミングでパルスィの肩を押した。
「“殺して”の次は“不老不死にして”って。あんた、アレよ。竹林のアレみたい」
「いいじゃない。私だって姫様なんだから。アレほど無理難題でもないでしょう?」
「私求婚した覚えないけどなぁ」
「それは、あなたが友達思いだからよ。最初から、対価なんていらないんでしょ。ああ妬ましい……」
「だって、何をどうしたらあんたが不老不死になるのかなんてわからないし」
「側にいてくれるだけでいいのよ。ヤマメが。私の。ずっとね」
「私先に死んじゃうでしょ。そしたらあんたも終わりじゃん」
「どのみち、私、死ぬわ」
「不老不死はいいの?」
「不老不死は副題なのよ」
ヤマメはパルスィの途方もなく遥か彼方に迂遠な言い回しを頭胸部の巨大な脳の回転によって吟味し始めた。
わかった。
「……パルスィ」
「なに?」
「あんたが言ってることって、ずっと同じだったのね」
パルスィは首を傾げた。
「今しがた、主張を変えたばかりじゃない」
「外殻が変わっただけだわ……」
ヤマメはパルスィの手首を掴んだ。強い力。振り解けない。振り解かない。
「こういうことでしょう」
パルスィの手首を肩に導く。ヤマメの背は欄干に預けられて。
そうしてヤマメは“パルスィがヤマメを押し倒している”ポーズを作った。
ヤマメの赤褐色の瞳の中に見える四つの斑点が、全てパルスィを見ている気がして、パルスィの身体はこわばった。
ヤマメは何も言わない。
パルスィは何を言うべきなのか、それとも何かをするべきなのか、ヤマメの意図を探ろうとしたが、瞳に縛られて思考が動かなかった。
「私が言ってもいいよ。でも、あなたが言うべきだろう」
ヤマメはそう言った。
ヤマメの言葉が脳に浸透すると、パルスィは急に頭がはっきりしてきたようだった。
簡単なこと。安易なこと。つまらないこと。その全てを乗り越えて、手首を握り返し、欄干に押し付けて、パルスィはヤマメに囁いた。
「好きよ。ヤマメ。私のものになって」
ヤマメは困ったように笑った。
「もうずっと、私はパルスィのものだよ」
【了】
ひたすらイチャイチャしてる2人が妬ましかったです
ツーと言えば吽と返すような、噛み合ってるようで噛み合ってないでもなんかよく分からんが噛み合ってそうな気がする狂ったテンションの作品でした。最高かと思います