眼前にはいくつもの瓦礫の山があった。口をきかない無機質に寂れた街は夕凪のように怪しげな静けさを保っている。人が住んでいないせいか、空気はひんやりとしていて夜を思わせる涼しさがあった。技術の結晶が過去の産物と化した時、用済みになった廃棄物は新しい物に置き換わりながら徐々に姿を消す、そんな科学の新陳代謝から取り残された老廃物がこの鉄くずたちだ。あまりにも量が多すぎた。こいつらは土には還らないし、かといって利用価値もない。まだ幼い子供たちがゴミの山から鉄くずを探す仕事をしている写真が古い道徳の教科書には載っていたが、あの貧しさの象徴みたいな絵面はすでに忘れ去られた過去らしかった。スラム街にすらなりそびれた鉄くずの街、それがかつての首都、東京だ。
「ほんとにあるのかな」
足元に転がっていたコンクリートの欠片を蹴飛ばして、私はそう呟いた。不変が一帯を支配しており、生命の息吹の欠片すら感じられなかった。蓮子は心の内側にある疑惑を意識のみで押さえつけているかのように力強く言った。
「あるに決まってる」
私たちは東京で植物を探していた。きっかけはオカルト掲示板の書き込みであった。「東京に花が咲いてたのを見た!」嬉し気にそれだけ。信憑性などないに等しい文章だが、見かけた時は心の水門が全開になっていたらしく、疑惑など一切抱かずにすんなりと受け入れたのだ。私はこの根拠のない胸の昂りをそのまま蓮子に伝えた。理論もへったくれもない気まぐれな動機だったが「じゃあ行ってみよう」という二つ返事で東京遠征が決まった。流石蓮子、奇人変人以心伝心、心はひとつね。
蓮子は続けてフェルト帽の鍔をくいと押し上げ、かっこつけながらこう言った。
「広大な砂漠の中から一粒の砂金を見つけるよりは難しくないはずよ」
それから私たちは日曜日に向けて各自支度を始めた。と言っても物的な準備はそう時間はかからない。お気に入りの帽子、肩掛けの小さいポーチ、財布やリップクリームといった日用品、そのぐらいでかまわない。私たち秘封倶楽部は着のみ着のまま行きたいように、かっこよく言えば刹那的、言い換えるなら向こう見ず、わらしのごとく行き当たりばったりな旅路を好む荷物の少ない女子として名を馳せている(馳せるほどの名はない)
ポーチや帽子よりも大事なものがもう一つある。この感情の昂りになにかしら理由をつけ当日まで持続させることだ。例えばインターネットで出先の土地の伝説について検索したり、その怪奇現象を巻き起こす妖怪や神様がいないか調べてみたり、最終防衛ラインとして現地の近くに美味しいラーメン屋がないか地図を広げてみたり。とにかく当日までテンションを上げておくと楽しい。むしろ醍醐味。その過程で「それデマだよ」という書き込みもちょくちょく見かけたが、ネットの情報に信憑性など皆無である。碌々調べもせずデマだというデマを流しているに過ぎないし、私の直感のほうが絶対に正しい。蓮子もそう言ってくれる。
そしていよいよ日曜日になったので電車に乗り込み東京へと向かったのだ。
いざ到着してみるとそこは鉄くずの街だった。乱暴に千切ったカステラのような有様のコンクリートからはひしゃげた鉄骨が腹を食い破って出てきた寄生虫みたいに飛び出していた。何十年も昔に乗り捨てられたらしいレトロな自動車は錆びて力尽きたようで、扉が開けっぱなしのまま固まっていた。悲哀すら漂っているこの場所に一輪の花が咲いていたとしたら、それはとてもロマンチックだと思う。花じゃなくてもいい、植物が根を張り、わずかにでも路上に露出していたのなら。
私はひび割れたアスファルトの地面に触れてみた。果てしない重厚な塊、その上に立っていることを実感した。何処まで続いているのだろうか。土は消えてしまったのだろうか、これではモグラも住めやしないだろう。可哀そうに。
「うーん、どこまでもアスファルトね」
「わかるの?」
「なんとなく。植物の気配すらない気がする」
気がするだけ。ちょっと頑張って掘ればもしかしたらすぐに土がこんにちはって顔見せするのかもだけど、それが見たいわけじゃない。
「じゃあちょっと歩こうよ。私は右を見てるから」
「わかったわ。じゃ、私は空を眺めるわ」
「はは、ぶつかっても知らないよ」
そこは「いやメリーは左!」って感じのこてこてなジャンクフードツッコミが欲しかったのだけれど、乾いた笑いと当てこすりみたいな返答だけとはずいぶん冷めておられる。どうも最近蓮子が冷たい、東京みたい。今の言い回しいいかもしれない。あなたは東京みたいに冷たい人ね。
まあ理由はわかっている。蓮子は夜型で、今は午前中だからなのだ。移動中もずっと眼をしぱしぱさせて、偶にこすったり目頭のちょっと上あたりをつまんだりしていた。秘封倶楽部の活動だからと頑張って見開いたその眼は植物の発見という目標にしか向けられない。他の有象無象を楽しんだり、気を配ったりする余裕がないのだ。日差しを浴び続け、昼過ぎくらいから言動がウィットに富み始める、それがいつもの流れだった。ついで言うと、そのまま夜に突入して言い回しが変にねちっこくなったりもする。
左と、時折足元を注視しながら歩く。瓦礫が邪魔で歩きにくいったらありゃしないけど、舗装工事が繰り返されたアスファルトはなんとか道と言い張れる程度の姿は保っていた。緑はさぞ映えるだろうから見つければすぐにわかるはずなのだが、残念ながら影も形もなんにもない。歴史にぽつんと取り残された片付くわけのない瓦礫たちがモアイ像のように虚空を睨みながら佇むだけ。彼らは寂しくないのだろうか。人を恨んではいないのだろうか。いやむしろ、見捨ててくれて清々しているのかもしれない。
休憩を挟みつつ散策して、丁度お天道様が真上に昇った頃、私たちは東京タワーの足元に着いた。見上げると首が痛くなるほど高い。赤い塗装は殆ど剥げているが、まだら模様として見れば風情があるような、ないような、そんな感じで、第二展望台の上のあたりからぽっきりと折れていた。
「ひしゃげてるけど、よく倒壊しなかったわねこれ」
「なんでだろ。スカイツリーは無残なことになってたのにね」
空の名を背負った鉄塔はバベルの塔のごとく崩れ落ちている。私は理由を少し考えた。わからなかったので考えるのをやめた。建築家とか物理学者に聞いた方が早いし、ネットを見れば少なくとも納得はできるはず。ああ、短絡的な思考回路になってしまった。もっとこう、なんというか、頭をひねらないと。
蓮子も腕を組み、偶に顎に手を当てちゃったりなんかして如何にも考え事をしてますという様子だった。
そこでふとある考えが私の頭をかすめた。東京タワーを登れば、もしかしたら何か見えてくるかもしれない。
「ねえ、蓮子。これ登ってみましょう」
「ええー、ほんとに言ってるの」
「ちょっと思ったのよ。広い視点で見渡せば見えてくるものがあるんじゃないかって」
「いや、確かにちょっと思ったけどさ。あれでしょ。実はこの町全体が大きな花びらの形になっていたとかそう言うパターン。ミステリ小説のトリック的な」
なるほど、そう言う考えもあるのか。確かにそれなら書き込みは嘘ではなくなる。
「そうなのよ。うん、景色が花になってるかもしれないわ。だから行きましょ」
「でも、もしそうなら、不思議でも何でもないただの偶然だってことが証明されちゃうし」
ああ、渋っていた理由はそれか。偶然の産物でも怪奇現象に変わりはないと思うけど、蓮子はそうでないらしい。確かに瓦礫の山に花が咲くという怪奇現象を探して、結果がそんな現実的だったらがっかりするのかもしれない。私たちはあくまで観測者になりたいのであって、被害者のダイイングメッセージを解明する刑事や探偵を目指しているわけではないのだから。だけど、ここで行かないという選択肢はないように思う。我々は夢想するばかりのロマンチストでもないのだ! 残酷な現実をも受け入れる覚悟が必要だ。大体こう言うときに真っ先に登ろうと言い出すのはいつも蓮子ではないか!
それに、良い景色を一望できたら楽しそうなので行ったほうがいい。
「まあそれはそれで仕方ないわよ」
「そうなんだけどさー」
返事も待たず階段に足をかけると蓮子は渋々とついてきた。
足元に注意しつつ階段を登る。カン、カン、カン、とやたら硬質な音が響く。錆び付いた鉄の塔が「もう無理折れそう」と悲鳴をあげているかのようだ。
「はぁはぁ」
もう疲れてきた。何段あるんだろうこれ。時刻を確認するとまだ10分くらいしか経っていなかった。景色がゆっくりとしか変わらないせいか全身の感覚が鈍くなっている。目印が何もないから今どこにいるのかがわからず、つらい。踊り場の数を忘れてしまうくらいには(最初からカウントなどしてないが)登ったはずなのに上をみると際限なく道が続いている。ふと下を見るとくらくらとめまいがした。高所恐怖症ではないけど少し怖い。頑強な鉄とは言え、ところどころ歪んだ足場はどうにも頼りなく思えてしまう。
蓮子は息を切らしているのを悟られないように、鼻の穴を膨らまして大きく呼吸しながら階段に食らいついていた。私よりは体力があるはずだが、彼女もまた変わり映えのない景色を眺めて延々と淡々と登り続けることに辟易しているようだった。階段は人生に似ている。ただ上に登り続ける中でミクロな視点で見れば変わり映えしない景色にどれだけの価値を見出せるかが肝だ。私は見出すぞ、誰に理解されずとも素晴らしい何かがあるはずだ。だめだ、もう疲れた。何よ人生は階段って、そんなわけないじゃない。
疲れたねと共感を得るためのありきたりな会話を切り出そうか考えていると、蓮子が先に口を開いた。
「なかなか、つらいね、これ。休もうよ」
「ええまあそうね。ちょっと休憩しましょうか」
言い出しっぺが先に根を上げるわけにはいかないと意地を張り続けてきた私に、蓮子はとうとう救いの手を差し伸べてくれた。ふうと一息つき、踊り場で腰を下ろした。
「もう、十分、登ったし、ここでいいんじゃない?」
蓮子は踊り場から身を乗り出して景色を眺めた。私は立ち上がる気力がお尻の下のペンキが剥げた鉄から吸い取られてしまったので「どう?」とだけ聞いた。
「だめ、何にも見えない。やっぱ上までか」
「ええー」
私はついにここで弱音を吐いてしまった。正直休みたい、怠い、暑い。じんわりと発汗しているせいで身体がかゆい。痛みよりつらい、蚊の大群がひしめく掻痒地獄とか地獄の責め苦にあってもいい気がする。
階段という前時代の遺物は電気に頼り切りの現代っ子には酷だ。エスカレーターが恋しい。帰りの分の体力も計算に入れると、ここで降りるのが賢明だ。だが、蓮子は私に手を差し出してこう言ってのけた。
「まぁもう少しだし、頑張ろうよ」
今度は救いの手というより地獄へのエスコートにしか思えないが、ほかならぬ蓮子が言うのだから従うしかない。手を借りて立ち上がると蓮子は笑ってみせた。
「目標を決めたら突き進まなくちゃね」
「そうね、その通り」
もう登るしかないのだ。自棄になってでも階段に齧りつかなければならないのだ! 例えばの話、この先に幻想郷があったとしたらどうだろう。疲れたからと言って休んでいてはせっかくのチャンスをふいにすることになる。諦めない精神力を鍛えるためにも、そして日ごろの怠惰な自分への戒めのためにも、一歩ずつ天へと近づくのだ。
体力の消費を最小限にとどめられるよう歩行法を工夫した。色々試した挙句、ちゃんと腕を振って足の裏全体で地を踏みしめるように登るといくらかはマシだということを発見した。これは人間の神秘だ。今日もし何も収穫がなくても、そのことを活動記録に書けるではないか。
そう蓮子に告げてみた。
「それじゃ山岳部とか生物の会みたいね」
ごもっとも。やはり植物を見つけなければならない。そもそも活動記録など欠かさずつけているわけではないけど。
息は切れ切れ、普段の倍の速度で心臓がドカドカとスネアドラムみたいな脈を打った頃、ようやく展望台にたどり着いた。
「着いたー!」
「ふう、ふう、もうだめ」
私は四つ這いになって荒れた呼吸を整えた。そして最後の力を振り絞って立ち上がり、今までの疲れがいっぺんに吹き飛んでくれないかなぁという希望を抱いて展望台から景色を一望した。疲れは飛ばなかったが、眺めは壮観であった。
「わぁ」
「凄いね。でもどうやら私の推理は外れだったみたい」
「そうみたいね。でも……なんか好きだな、この景色」
濃いグレーが主な色彩、鉄くずの街は地平線の彼方まで続いていた。無機質にひしめき合う姿は互いに寄り添っているようにも見えて、私はつい感傷に浸ってしまう。決して綺麗な、鑑賞に堪えうるようなものじゃない。だが、どうしようもなく胸に去来するものがある。崩壊の切なさを、退廃の無情さを、不思議と美しく感じる。
「そうかな。風情も何もない気がするけど。あ、でもそうか。これが仮にあと何百年も残ったら遺跡になるわけか」
「私たちは歴史を運ぶ貨物列車の通過点に立っているだけなのかも」
「なんか詩人だね。まあ、この鉄くずたちは撤去されるらしいけどね」
「聞いた。東京クリーン作戦だっけ」
「うん、そう」
一斉撤去は具体的な日時はまだ公開されていないが近々行われるらしい。鉄を腐食させ、土に返す微生物の培養に成功したとか。ニュースで自称専門家が話していたというのを蓮子から又聞きしただけだから確証はないけど、少なくとも私の寿命が来る前に東京はまっさらに生まれ変わるのだそうだ。
私はカメラで退廃の風景画を切り取った。いずれは懐かしい思い出となる。
景色を一望しながらお昼ご飯代わりの総菜パンを食べた。心なしかいつもより味が濃い。こんな美味しかったけ、コンビニのカレーパン。蓮子はゼリー飲料をさわやかに飲んでいた。私がパンをもさもさと頬張っている横でこうも咽を鳴らされると、ああそっちを買えばよかったなぁなんて思ってしまう。
そして二十分くらい休憩してから私たちは階段を降りた。登りより楽だが、足を踏み外した時の恐怖が加わったのと蓄積した疲労のせいで休み休み降りなければならなかった。
「よし、着いた。あー足痛い」
「運動不足ね、お互いに。ジムとか行った方がいいのかしら」
足をほぐそうとしたのか、蓮子が膝に手を当ててしゃがみこんだ。低い視点で何かを見つけたらしく、柱のほうまで虫眼鏡を持った探偵のように中腰でひょこひょこ歩いて行き、そして歓喜の声で私を呼んだ。
「メリー、これ! もしかして……」
「え、何々」
蓮子の傍まで駆け寄ると、あるものがそこに在った。花が咲いていたのだ。四方の鉄の柱の内一本だけに青々とした蔦が絡まっている。丁度背丈位の蔦にのこぎりのようなギザギザとした葉が点々とあった。花はなぜか一輪だけ、それも地面すれすれのところに咲いていた。私も隣にしゃがみこんでまじまじと見つめた。タンポポや向日葵に比べて、透き通った飴色の花弁が六枚、大きさは片手くらいだろうか。私は割れた地面に両手をつき顔を近づかせて、その花の香りを嗅いでみた。何の匂いもしない、これではハチとかチョウチョとかが寄ってこないのではないだろうか。植物のくせにそれでいいのか。蓮子がどんな香りかと尋ねてきたので顔を上げて「無臭ね」と答えた。蓮子はふむと考える仕草をしたが気にせず私は続ける。
「でも造花じゃない。こんなとこにも命は芽吹くのね」
私はおそらく感動していた。人間ですら運ぶには苦労する重さの瓦礫を押しのけて根を張り、顔をのぞかせる。今は孤独だが平然と耐え凌ぎ、いずれは仲間を増やすだろう。自然が見せる生への執着は恐ろしいくらい強靭だ。
空を仰いでいたせいでそんな彼らの意地に気づかなかった。灯台下暗し、大津波により倒壊も遠くない鉄塔の真下に咲くなんとも泥臭い奇跡を私はフォトグラフィーに落とし込んだ。
「メリーが前言ってた妖怪の仕業かもね」
「そうかも」
幻想郷をこの眼で覗くときに稀に見かける花が咲く場所に現れる緑髪の妖怪。彼女が自然の化身なのか、ただの花好きな女性なのかはわからない。前者なら荒廃した土地にも花を咲かせることができるだろう。「瓦礫に花を咲かせましょう」とか何とか言って。
ややあって、蓮子はこの神秘について環境が引き起こした必然だと言った。
「この花は荒れた鉄の土地だから咲いたのかもしれない。きっとそうよ、無臭なんでしょう。こんなところに花粉を運んでくれる物好きな虫は来ないもの。匂いを発する必要がないんだ。生物はそこまで詳しくないからあとで調べてみるけど」
なるほど鋭い。メス刃のよう。流石蓮子、伊達に理系気取ってない。こんなところに来る物好きなんて、それこそ私たちくらいだ。わけもなく一度頷いてから蓮子は言った。
「決めたわ。「鉄食い」と名付ける」
「まだ新種って決まってないじゃない」
「発表する気もないし。ブログには書くけど」
言われてみれば確かに、そのくらいの自己満足で丁度良いのかもしれない。どうせ誰も見てないブログだし。この花が強ければ勝手に増えていずれ見つかるだろう。ひっそりと咲いて枯れていくならば、それも自然の営みだ。力強い生命の主張をこの眼で見れた、それだけで十分なのかもしれない。
「瓦礫の山が撤去されたら、この花も消えるのかしら」
蓮子は少し間をおいて寂しそうに「そうかもね」とだけ言った。
保護しようか、そう提案しようと思ったが喉が言葉を阻んだ。花を摘み取り保護するという如何にも人間じみた考えがそもそも傲慢で、それが恥ずかしかったから。いや違う、なんというか腑に落ちない。蓮子もおそらく同じ気持ちだ、花を摘むどころか触れさえしなかった。
「そっとしておこう、この花は此処に在るのが一番いいのよきっと」
蓮子がはにかんだようにそう言ってくれたので、ようやく言葉がつかえた理由がわかった。私は鉄食いが枯れる様を見たくなかったのだ。荒廃した街に健気に咲く一輪、クレヨンで描かれた柔らかいタッチの絵本から飛び出したみたいな奇跡の一枚絵を鑑賞したかっただけ、植物を人類への反骨の象徴として捉えたいだけ。完全にエゴだ。黒ずんだ肘とか気づかないうちにできていた吹き出物みたいな、自分が知らなかった醜いところを鏡の中から指摘されたようでちょっと嫌な気分になった。
だけど、今日は見たいものが見れたはずなのだ、秘封倶楽部の収穫としては上々すぎるほどに。
「……素敵なものが見れたわ」
言葉にして吐き出すと、圧し掛かっていたエゴがひんやりとした空気の中に霧散していくような感じがした。蓮子が大きく相槌を打った。
「ええそうね、素晴らしいものが見れたわ」
余韻を残して、私たちは鉄食いに別れを告げた。
ああだこうだと根拠の曖昧な考察を交わしながら歩く。今日はとても楽しかった。結界暴きとはあまり関係なさそうなことだったけど、素敵な超常の一ページを蓮子と共有できたのだから最高の一日だ。疲れたけど、東京タワーを登らなければ足元の花に気が付くこともなかったはずだ、そう考えると予定調和の一日だ。
綺麗な思い出としていずれ甦るように、風景を眼に焼き付けながら私たちは帰路についた。夕焼けが反射する鉄くずの街は、夜の繁華街よりもずっと煌びやかだった。
次の日の朝、猛烈な筋肉痛が足腰を襲った。東京なんて嫌い。
「ほんとにあるのかな」
足元に転がっていたコンクリートの欠片を蹴飛ばして、私はそう呟いた。不変が一帯を支配しており、生命の息吹の欠片すら感じられなかった。蓮子は心の内側にある疑惑を意識のみで押さえつけているかのように力強く言った。
「あるに決まってる」
私たちは東京で植物を探していた。きっかけはオカルト掲示板の書き込みであった。「東京に花が咲いてたのを見た!」嬉し気にそれだけ。信憑性などないに等しい文章だが、見かけた時は心の水門が全開になっていたらしく、疑惑など一切抱かずにすんなりと受け入れたのだ。私はこの根拠のない胸の昂りをそのまま蓮子に伝えた。理論もへったくれもない気まぐれな動機だったが「じゃあ行ってみよう」という二つ返事で東京遠征が決まった。流石蓮子、奇人変人以心伝心、心はひとつね。
蓮子は続けてフェルト帽の鍔をくいと押し上げ、かっこつけながらこう言った。
「広大な砂漠の中から一粒の砂金を見つけるよりは難しくないはずよ」
それから私たちは日曜日に向けて各自支度を始めた。と言っても物的な準備はそう時間はかからない。お気に入りの帽子、肩掛けの小さいポーチ、財布やリップクリームといった日用品、そのぐらいでかまわない。私たち秘封倶楽部は着のみ着のまま行きたいように、かっこよく言えば刹那的、言い換えるなら向こう見ず、わらしのごとく行き当たりばったりな旅路を好む荷物の少ない女子として名を馳せている(馳せるほどの名はない)
ポーチや帽子よりも大事なものがもう一つある。この感情の昂りになにかしら理由をつけ当日まで持続させることだ。例えばインターネットで出先の土地の伝説について検索したり、その怪奇現象を巻き起こす妖怪や神様がいないか調べてみたり、最終防衛ラインとして現地の近くに美味しいラーメン屋がないか地図を広げてみたり。とにかく当日までテンションを上げておくと楽しい。むしろ醍醐味。その過程で「それデマだよ」という書き込みもちょくちょく見かけたが、ネットの情報に信憑性など皆無である。碌々調べもせずデマだというデマを流しているに過ぎないし、私の直感のほうが絶対に正しい。蓮子もそう言ってくれる。
そしていよいよ日曜日になったので電車に乗り込み東京へと向かったのだ。
いざ到着してみるとそこは鉄くずの街だった。乱暴に千切ったカステラのような有様のコンクリートからはひしゃげた鉄骨が腹を食い破って出てきた寄生虫みたいに飛び出していた。何十年も昔に乗り捨てられたらしいレトロな自動車は錆びて力尽きたようで、扉が開けっぱなしのまま固まっていた。悲哀すら漂っているこの場所に一輪の花が咲いていたとしたら、それはとてもロマンチックだと思う。花じゃなくてもいい、植物が根を張り、わずかにでも路上に露出していたのなら。
私はひび割れたアスファルトの地面に触れてみた。果てしない重厚な塊、その上に立っていることを実感した。何処まで続いているのだろうか。土は消えてしまったのだろうか、これではモグラも住めやしないだろう。可哀そうに。
「うーん、どこまでもアスファルトね」
「わかるの?」
「なんとなく。植物の気配すらない気がする」
気がするだけ。ちょっと頑張って掘ればもしかしたらすぐに土がこんにちはって顔見せするのかもだけど、それが見たいわけじゃない。
「じゃあちょっと歩こうよ。私は右を見てるから」
「わかったわ。じゃ、私は空を眺めるわ」
「はは、ぶつかっても知らないよ」
そこは「いやメリーは左!」って感じのこてこてなジャンクフードツッコミが欲しかったのだけれど、乾いた笑いと当てこすりみたいな返答だけとはずいぶん冷めておられる。どうも最近蓮子が冷たい、東京みたい。今の言い回しいいかもしれない。あなたは東京みたいに冷たい人ね。
まあ理由はわかっている。蓮子は夜型で、今は午前中だからなのだ。移動中もずっと眼をしぱしぱさせて、偶にこすったり目頭のちょっと上あたりをつまんだりしていた。秘封倶楽部の活動だからと頑張って見開いたその眼は植物の発見という目標にしか向けられない。他の有象無象を楽しんだり、気を配ったりする余裕がないのだ。日差しを浴び続け、昼過ぎくらいから言動がウィットに富み始める、それがいつもの流れだった。ついで言うと、そのまま夜に突入して言い回しが変にねちっこくなったりもする。
左と、時折足元を注視しながら歩く。瓦礫が邪魔で歩きにくいったらありゃしないけど、舗装工事が繰り返されたアスファルトはなんとか道と言い張れる程度の姿は保っていた。緑はさぞ映えるだろうから見つければすぐにわかるはずなのだが、残念ながら影も形もなんにもない。歴史にぽつんと取り残された片付くわけのない瓦礫たちがモアイ像のように虚空を睨みながら佇むだけ。彼らは寂しくないのだろうか。人を恨んではいないのだろうか。いやむしろ、見捨ててくれて清々しているのかもしれない。
休憩を挟みつつ散策して、丁度お天道様が真上に昇った頃、私たちは東京タワーの足元に着いた。見上げると首が痛くなるほど高い。赤い塗装は殆ど剥げているが、まだら模様として見れば風情があるような、ないような、そんな感じで、第二展望台の上のあたりからぽっきりと折れていた。
「ひしゃげてるけど、よく倒壊しなかったわねこれ」
「なんでだろ。スカイツリーは無残なことになってたのにね」
空の名を背負った鉄塔はバベルの塔のごとく崩れ落ちている。私は理由を少し考えた。わからなかったので考えるのをやめた。建築家とか物理学者に聞いた方が早いし、ネットを見れば少なくとも納得はできるはず。ああ、短絡的な思考回路になってしまった。もっとこう、なんというか、頭をひねらないと。
蓮子も腕を組み、偶に顎に手を当てちゃったりなんかして如何にも考え事をしてますという様子だった。
そこでふとある考えが私の頭をかすめた。東京タワーを登れば、もしかしたら何か見えてくるかもしれない。
「ねえ、蓮子。これ登ってみましょう」
「ええー、ほんとに言ってるの」
「ちょっと思ったのよ。広い視点で見渡せば見えてくるものがあるんじゃないかって」
「いや、確かにちょっと思ったけどさ。あれでしょ。実はこの町全体が大きな花びらの形になっていたとかそう言うパターン。ミステリ小説のトリック的な」
なるほど、そう言う考えもあるのか。確かにそれなら書き込みは嘘ではなくなる。
「そうなのよ。うん、景色が花になってるかもしれないわ。だから行きましょ」
「でも、もしそうなら、不思議でも何でもないただの偶然だってことが証明されちゃうし」
ああ、渋っていた理由はそれか。偶然の産物でも怪奇現象に変わりはないと思うけど、蓮子はそうでないらしい。確かに瓦礫の山に花が咲くという怪奇現象を探して、結果がそんな現実的だったらがっかりするのかもしれない。私たちはあくまで観測者になりたいのであって、被害者のダイイングメッセージを解明する刑事や探偵を目指しているわけではないのだから。だけど、ここで行かないという選択肢はないように思う。我々は夢想するばかりのロマンチストでもないのだ! 残酷な現実をも受け入れる覚悟が必要だ。大体こう言うときに真っ先に登ろうと言い出すのはいつも蓮子ではないか!
それに、良い景色を一望できたら楽しそうなので行ったほうがいい。
「まあそれはそれで仕方ないわよ」
「そうなんだけどさー」
返事も待たず階段に足をかけると蓮子は渋々とついてきた。
足元に注意しつつ階段を登る。カン、カン、カン、とやたら硬質な音が響く。錆び付いた鉄の塔が「もう無理折れそう」と悲鳴をあげているかのようだ。
「はぁはぁ」
もう疲れてきた。何段あるんだろうこれ。時刻を確認するとまだ10分くらいしか経っていなかった。景色がゆっくりとしか変わらないせいか全身の感覚が鈍くなっている。目印が何もないから今どこにいるのかがわからず、つらい。踊り場の数を忘れてしまうくらいには(最初からカウントなどしてないが)登ったはずなのに上をみると際限なく道が続いている。ふと下を見るとくらくらとめまいがした。高所恐怖症ではないけど少し怖い。頑強な鉄とは言え、ところどころ歪んだ足場はどうにも頼りなく思えてしまう。
蓮子は息を切らしているのを悟られないように、鼻の穴を膨らまして大きく呼吸しながら階段に食らいついていた。私よりは体力があるはずだが、彼女もまた変わり映えのない景色を眺めて延々と淡々と登り続けることに辟易しているようだった。階段は人生に似ている。ただ上に登り続ける中でミクロな視点で見れば変わり映えしない景色にどれだけの価値を見出せるかが肝だ。私は見出すぞ、誰に理解されずとも素晴らしい何かがあるはずだ。だめだ、もう疲れた。何よ人生は階段って、そんなわけないじゃない。
疲れたねと共感を得るためのありきたりな会話を切り出そうか考えていると、蓮子が先に口を開いた。
「なかなか、つらいね、これ。休もうよ」
「ええまあそうね。ちょっと休憩しましょうか」
言い出しっぺが先に根を上げるわけにはいかないと意地を張り続けてきた私に、蓮子はとうとう救いの手を差し伸べてくれた。ふうと一息つき、踊り場で腰を下ろした。
「もう、十分、登ったし、ここでいいんじゃない?」
蓮子は踊り場から身を乗り出して景色を眺めた。私は立ち上がる気力がお尻の下のペンキが剥げた鉄から吸い取られてしまったので「どう?」とだけ聞いた。
「だめ、何にも見えない。やっぱ上までか」
「ええー」
私はついにここで弱音を吐いてしまった。正直休みたい、怠い、暑い。じんわりと発汗しているせいで身体がかゆい。痛みよりつらい、蚊の大群がひしめく掻痒地獄とか地獄の責め苦にあってもいい気がする。
階段という前時代の遺物は電気に頼り切りの現代っ子には酷だ。エスカレーターが恋しい。帰りの分の体力も計算に入れると、ここで降りるのが賢明だ。だが、蓮子は私に手を差し出してこう言ってのけた。
「まぁもう少しだし、頑張ろうよ」
今度は救いの手というより地獄へのエスコートにしか思えないが、ほかならぬ蓮子が言うのだから従うしかない。手を借りて立ち上がると蓮子は笑ってみせた。
「目標を決めたら突き進まなくちゃね」
「そうね、その通り」
もう登るしかないのだ。自棄になってでも階段に齧りつかなければならないのだ! 例えばの話、この先に幻想郷があったとしたらどうだろう。疲れたからと言って休んでいてはせっかくのチャンスをふいにすることになる。諦めない精神力を鍛えるためにも、そして日ごろの怠惰な自分への戒めのためにも、一歩ずつ天へと近づくのだ。
体力の消費を最小限にとどめられるよう歩行法を工夫した。色々試した挙句、ちゃんと腕を振って足の裏全体で地を踏みしめるように登るといくらかはマシだということを発見した。これは人間の神秘だ。今日もし何も収穫がなくても、そのことを活動記録に書けるではないか。
そう蓮子に告げてみた。
「それじゃ山岳部とか生物の会みたいね」
ごもっとも。やはり植物を見つけなければならない。そもそも活動記録など欠かさずつけているわけではないけど。
息は切れ切れ、普段の倍の速度で心臓がドカドカとスネアドラムみたいな脈を打った頃、ようやく展望台にたどり着いた。
「着いたー!」
「ふう、ふう、もうだめ」
私は四つ這いになって荒れた呼吸を整えた。そして最後の力を振り絞って立ち上がり、今までの疲れがいっぺんに吹き飛んでくれないかなぁという希望を抱いて展望台から景色を一望した。疲れは飛ばなかったが、眺めは壮観であった。
「わぁ」
「凄いね。でもどうやら私の推理は外れだったみたい」
「そうみたいね。でも……なんか好きだな、この景色」
濃いグレーが主な色彩、鉄くずの街は地平線の彼方まで続いていた。無機質にひしめき合う姿は互いに寄り添っているようにも見えて、私はつい感傷に浸ってしまう。決して綺麗な、鑑賞に堪えうるようなものじゃない。だが、どうしようもなく胸に去来するものがある。崩壊の切なさを、退廃の無情さを、不思議と美しく感じる。
「そうかな。風情も何もない気がするけど。あ、でもそうか。これが仮にあと何百年も残ったら遺跡になるわけか」
「私たちは歴史を運ぶ貨物列車の通過点に立っているだけなのかも」
「なんか詩人だね。まあ、この鉄くずたちは撤去されるらしいけどね」
「聞いた。東京クリーン作戦だっけ」
「うん、そう」
一斉撤去は具体的な日時はまだ公開されていないが近々行われるらしい。鉄を腐食させ、土に返す微生物の培養に成功したとか。ニュースで自称専門家が話していたというのを蓮子から又聞きしただけだから確証はないけど、少なくとも私の寿命が来る前に東京はまっさらに生まれ変わるのだそうだ。
私はカメラで退廃の風景画を切り取った。いずれは懐かしい思い出となる。
景色を一望しながらお昼ご飯代わりの総菜パンを食べた。心なしかいつもより味が濃い。こんな美味しかったけ、コンビニのカレーパン。蓮子はゼリー飲料をさわやかに飲んでいた。私がパンをもさもさと頬張っている横でこうも咽を鳴らされると、ああそっちを買えばよかったなぁなんて思ってしまう。
そして二十分くらい休憩してから私たちは階段を降りた。登りより楽だが、足を踏み外した時の恐怖が加わったのと蓄積した疲労のせいで休み休み降りなければならなかった。
「よし、着いた。あー足痛い」
「運動不足ね、お互いに。ジムとか行った方がいいのかしら」
足をほぐそうとしたのか、蓮子が膝に手を当ててしゃがみこんだ。低い視点で何かを見つけたらしく、柱のほうまで虫眼鏡を持った探偵のように中腰でひょこひょこ歩いて行き、そして歓喜の声で私を呼んだ。
「メリー、これ! もしかして……」
「え、何々」
蓮子の傍まで駆け寄ると、あるものがそこに在った。花が咲いていたのだ。四方の鉄の柱の内一本だけに青々とした蔦が絡まっている。丁度背丈位の蔦にのこぎりのようなギザギザとした葉が点々とあった。花はなぜか一輪だけ、それも地面すれすれのところに咲いていた。私も隣にしゃがみこんでまじまじと見つめた。タンポポや向日葵に比べて、透き通った飴色の花弁が六枚、大きさは片手くらいだろうか。私は割れた地面に両手をつき顔を近づかせて、その花の香りを嗅いでみた。何の匂いもしない、これではハチとかチョウチョとかが寄ってこないのではないだろうか。植物のくせにそれでいいのか。蓮子がどんな香りかと尋ねてきたので顔を上げて「無臭ね」と答えた。蓮子はふむと考える仕草をしたが気にせず私は続ける。
「でも造花じゃない。こんなとこにも命は芽吹くのね」
私はおそらく感動していた。人間ですら運ぶには苦労する重さの瓦礫を押しのけて根を張り、顔をのぞかせる。今は孤独だが平然と耐え凌ぎ、いずれは仲間を増やすだろう。自然が見せる生への執着は恐ろしいくらい強靭だ。
空を仰いでいたせいでそんな彼らの意地に気づかなかった。灯台下暗し、大津波により倒壊も遠くない鉄塔の真下に咲くなんとも泥臭い奇跡を私はフォトグラフィーに落とし込んだ。
「メリーが前言ってた妖怪の仕業かもね」
「そうかも」
幻想郷をこの眼で覗くときに稀に見かける花が咲く場所に現れる緑髪の妖怪。彼女が自然の化身なのか、ただの花好きな女性なのかはわからない。前者なら荒廃した土地にも花を咲かせることができるだろう。「瓦礫に花を咲かせましょう」とか何とか言って。
ややあって、蓮子はこの神秘について環境が引き起こした必然だと言った。
「この花は荒れた鉄の土地だから咲いたのかもしれない。きっとそうよ、無臭なんでしょう。こんなところに花粉を運んでくれる物好きな虫は来ないもの。匂いを発する必要がないんだ。生物はそこまで詳しくないからあとで調べてみるけど」
なるほど鋭い。メス刃のよう。流石蓮子、伊達に理系気取ってない。こんなところに来る物好きなんて、それこそ私たちくらいだ。わけもなく一度頷いてから蓮子は言った。
「決めたわ。「鉄食い」と名付ける」
「まだ新種って決まってないじゃない」
「発表する気もないし。ブログには書くけど」
言われてみれば確かに、そのくらいの自己満足で丁度良いのかもしれない。どうせ誰も見てないブログだし。この花が強ければ勝手に増えていずれ見つかるだろう。ひっそりと咲いて枯れていくならば、それも自然の営みだ。力強い生命の主張をこの眼で見れた、それだけで十分なのかもしれない。
「瓦礫の山が撤去されたら、この花も消えるのかしら」
蓮子は少し間をおいて寂しそうに「そうかもね」とだけ言った。
保護しようか、そう提案しようと思ったが喉が言葉を阻んだ。花を摘み取り保護するという如何にも人間じみた考えがそもそも傲慢で、それが恥ずかしかったから。いや違う、なんというか腑に落ちない。蓮子もおそらく同じ気持ちだ、花を摘むどころか触れさえしなかった。
「そっとしておこう、この花は此処に在るのが一番いいのよきっと」
蓮子がはにかんだようにそう言ってくれたので、ようやく言葉がつかえた理由がわかった。私は鉄食いが枯れる様を見たくなかったのだ。荒廃した街に健気に咲く一輪、クレヨンで描かれた柔らかいタッチの絵本から飛び出したみたいな奇跡の一枚絵を鑑賞したかっただけ、植物を人類への反骨の象徴として捉えたいだけ。完全にエゴだ。黒ずんだ肘とか気づかないうちにできていた吹き出物みたいな、自分が知らなかった醜いところを鏡の中から指摘されたようでちょっと嫌な気分になった。
だけど、今日は見たいものが見れたはずなのだ、秘封倶楽部の収穫としては上々すぎるほどに。
「……素敵なものが見れたわ」
言葉にして吐き出すと、圧し掛かっていたエゴがひんやりとした空気の中に霧散していくような感じがした。蓮子が大きく相槌を打った。
「ええそうね、素晴らしいものが見れたわ」
余韻を残して、私たちは鉄食いに別れを告げた。
ああだこうだと根拠の曖昧な考察を交わしながら歩く。今日はとても楽しかった。結界暴きとはあまり関係なさそうなことだったけど、素敵な超常の一ページを蓮子と共有できたのだから最高の一日だ。疲れたけど、東京タワーを登らなければ足元の花に気が付くこともなかったはずだ、そう考えると予定調和の一日だ。
綺麗な思い出としていずれ甦るように、風景を眼に焼き付けながら私たちは帰路についた。夕焼けが反射する鉄くずの街は、夜の繁華街よりもずっと煌びやかだった。
次の日の朝、猛烈な筋肉痛が足腰を襲った。東京なんて嫌い。
落ちもすき
退廃風景と一輪の花のコントラストがとても良いと思います。
幻想的で素敵な光景が脳裏に浮かびました。面白かったです。
そして最後は納得……
荒廃しきった東京の情景を描けていて、それとの花の美しさの対比が素晴らしいと思いました。
秘封倶楽部の遠征が楽し気でとてもよかったです
花一つのために突き進む二人が素敵でした
作者様の描くメリーの独自がとても魅了的で好きです。
昇って見えた景色と降りてきたからこそ見えた景色、どちらも素晴らしい。
荒廃した街・東京タワーと一輪の花・2人だけの秘封
一枚絵のような作品。お見事です。