じり、じり、と躙るような音で目が醒めた。
唐突な目醒めだったので、眼前の薄暗闇が自室である事を思い出すまでに数瞬を要した。
次いで先刻の音の正体が、外れかけた秒針の。
もとい既に死に体になった、外れた秒針が立てていた断末魔だったことにも気がついた。
そして、自分がまだ夢のうちであることも理解した。
ああ、またこの夢か。
殆ど帰る事もないのに、明瞭な夢を見ると決まってこの、最低限の寝床しか残していない伽藍の堂だ。
夢であるのに明瞭というのも、まあ可笑しなことかも知れないが、事実そうなのだから仕様がない。
現実との反転なのか、閉じだはずの目も大きく開き、身体の自由ですら、こちらの方が上手く利く。
不自由は自ら望んだことだから、不満もないが。
不満など、最早持ちようもないのだが。
身を伸ばし、少しだけ勢いをつけて上体を起こす。
ずうっと横たわっていてもいいが、何もせず時が進むのを待つのも、なかなか苦しいものだ。
起きているうちの、流れるままの自分ならまだしも、いまのはっきりとした私には、到底耐えられない。
一般的には明晰夢と呼ぶらしいこれは、本来夢だと自認した睡眠者の思い通りに形を変えられるそうだが、そんな便利な機能は何故だか、私には与えられなかった。
定められたルールは二つ。
出歩くことが許されるのはこの屋敷の中だけ。
凡そ、八時間程度だろうか。
一定の時間が経つと望もうが望むまいが、起床時間が訪れる。
(尤も、"夢の中の"一定時間というだけで、私の睡眠時間が規則正しいわけではない。)
それまで私は、住する所というにはもう余りにも馴染みのなくなったはずの、変わらない我が家の探索を強いられる。
私の外には誰もいない、この地霊殿を。
探索と言っても、当然ながら私の認識下の地霊殿であるので、幾度目かのこの夢では正直改めて見るものもないので、散策と言い換えた方が適切かも知れない。
いつも通り退屈を持て余さない程度に歩いて、各所の時計を確認しつつ、目醒めを待つ。
だけのはずだった。
異変に気付くまでに、そう時間はかからなかった。
いや、実際はとてつもない時間をかけたのかも知れないけど、確かめる術はなかった。
だって、それを知る為の機械がいまのところ一つ余さず朽ちていたのだから。
思えば、自室の時計が壊れていたのに違和感を覚えるべきだった。
これまで一度だってこの夢に変化なんかなかったはずなのに、よくよく思い返せば今回の目醒めは変化から始まっていた。
広間も客間も、おくう、お燐、ペットの部屋も、姉の執務室も、壊れ方は様々だったけれど例外なく時計だけが、その機能を果たせない形にされていた。
多分、これはまずいことだ。
この夢で、自分の感覚なんてとても当てにならない。
だって夢なのだから。
いくら意識が明確だからって、現実との時間の差が既にはっきりしているんだから、私の感じたこの一時間は夢としては三分くらいかも知れないし、現実ではもう何時間も経っているのかも知れなかった。
散策が、再度探索に切り替わって、どれくらい経ったのだろう。
本来なら真っ先に目指しそうなところだけど、何故か最後に訪れたのは、姉の部屋だった。
ここならば、という希望を消したくなかったのか。
それとも、無意識に避けていたのだろうか。
色々な考えが頭を過る意を決して扉を開く。
部屋の時計は、未だ時を刻んでいた。
そして、私の目の前で地に落ち、つんざくような音を立てて派手に割れたのだった。
行き場のなくなった足は、姉の寝床まで辛うじて歩いて、倒れ込んだ。
そして三つの目を閉じる。
怖い。
いつぶりだろう、こんな感情は。
これを味わいたくないが為に、私は心を棄てたのに。
いや。
本当に心のないものが、夢なんか見るものだろうか。
本当に失くしたものは、いくら反転したって失くなったままなんじゃないのか。
一は全になれるかも知れないけれど。
零は何にもならないんじゃないか。
ともすればこれは、本当に零になるまでの過程なのだろうか。
私が望んだのはそれこそ、そのそれだった。
何にもなければ何にも感じないで済む。
気持ち悪くもないし、怖くもない。
それそのものが、こんなに怖いことだなんて思いもせずに。
現実の私は、ずっと眠ったままなのだろうか。
それとも完全に心をなくして、わたしらしく振る舞うだけのものになるのかな。
中途半端に心を残したわたしへの罰なのかな。
怖いなぁ。
……さみしいなぁ。
「……こいし?」
「ふぇ」
わたしが目を覚ますと、すぐ目の前にお姉ちゃんの顔があった。
時間はもうだいぶ遅いのかな。ちょっとくたびれた顔でわたしをのぞきこんでいる。
「あ、ごめんなさい。こんなところで寝てるの珍しくてつい声かけちゃった」
いつのまにか、お姉ちゃんのベッドに潜り込んでいたみたい。
寝起きだからなのかわたしの目元を涙が伝う。
お姉ちゃんも気づいたみたいで指で拭ってくれた。
「怖い夢でも見たの……?」
「んーん、覚えてないや」
それでも無意識にお姉ちゃんに抱きついていた。
本当に怖い夢を見ていたのかも知れない。
「わっとと、危ないなぁもう」
「えへへ、怖い夢見たことにするから一緒に寝てもいーい?」
「ん、いいわよ。でも昔みたいに私だけ蹴り落とさないでね」
お姉ちゃんの声と、時計の音が心地いい。
なんだか第三の目が少しだけこそばゆい感じがした。
唐突な目醒めだったので、眼前の薄暗闇が自室である事を思い出すまでに数瞬を要した。
次いで先刻の音の正体が、外れかけた秒針の。
もとい既に死に体になった、外れた秒針が立てていた断末魔だったことにも気がついた。
そして、自分がまだ夢のうちであることも理解した。
ああ、またこの夢か。
殆ど帰る事もないのに、明瞭な夢を見ると決まってこの、最低限の寝床しか残していない伽藍の堂だ。
夢であるのに明瞭というのも、まあ可笑しなことかも知れないが、事実そうなのだから仕様がない。
現実との反転なのか、閉じだはずの目も大きく開き、身体の自由ですら、こちらの方が上手く利く。
不自由は自ら望んだことだから、不満もないが。
不満など、最早持ちようもないのだが。
身を伸ばし、少しだけ勢いをつけて上体を起こす。
ずうっと横たわっていてもいいが、何もせず時が進むのを待つのも、なかなか苦しいものだ。
起きているうちの、流れるままの自分ならまだしも、いまのはっきりとした私には、到底耐えられない。
一般的には明晰夢と呼ぶらしいこれは、本来夢だと自認した睡眠者の思い通りに形を変えられるそうだが、そんな便利な機能は何故だか、私には与えられなかった。
定められたルールは二つ。
出歩くことが許されるのはこの屋敷の中だけ。
凡そ、八時間程度だろうか。
一定の時間が経つと望もうが望むまいが、起床時間が訪れる。
(尤も、"夢の中の"一定時間というだけで、私の睡眠時間が規則正しいわけではない。)
それまで私は、住する所というにはもう余りにも馴染みのなくなったはずの、変わらない我が家の探索を強いられる。
私の外には誰もいない、この地霊殿を。
探索と言っても、当然ながら私の認識下の地霊殿であるので、幾度目かのこの夢では正直改めて見るものもないので、散策と言い換えた方が適切かも知れない。
いつも通り退屈を持て余さない程度に歩いて、各所の時計を確認しつつ、目醒めを待つ。
だけのはずだった。
異変に気付くまでに、そう時間はかからなかった。
いや、実際はとてつもない時間をかけたのかも知れないけど、確かめる術はなかった。
だって、それを知る為の機械がいまのところ一つ余さず朽ちていたのだから。
思えば、自室の時計が壊れていたのに違和感を覚えるべきだった。
これまで一度だってこの夢に変化なんかなかったはずなのに、よくよく思い返せば今回の目醒めは変化から始まっていた。
広間も客間も、おくう、お燐、ペットの部屋も、姉の執務室も、壊れ方は様々だったけれど例外なく時計だけが、その機能を果たせない形にされていた。
多分、これはまずいことだ。
この夢で、自分の感覚なんてとても当てにならない。
だって夢なのだから。
いくら意識が明確だからって、現実との時間の差が既にはっきりしているんだから、私の感じたこの一時間は夢としては三分くらいかも知れないし、現実ではもう何時間も経っているのかも知れなかった。
散策が、再度探索に切り替わって、どれくらい経ったのだろう。
本来なら真っ先に目指しそうなところだけど、何故か最後に訪れたのは、姉の部屋だった。
ここならば、という希望を消したくなかったのか。
それとも、無意識に避けていたのだろうか。
色々な考えが頭を過る意を決して扉を開く。
部屋の時計は、未だ時を刻んでいた。
そして、私の目の前で地に落ち、つんざくような音を立てて派手に割れたのだった。
行き場のなくなった足は、姉の寝床まで辛うじて歩いて、倒れ込んだ。
そして三つの目を閉じる。
怖い。
いつぶりだろう、こんな感情は。
これを味わいたくないが為に、私は心を棄てたのに。
いや。
本当に心のないものが、夢なんか見るものだろうか。
本当に失くしたものは、いくら反転したって失くなったままなんじゃないのか。
一は全になれるかも知れないけれど。
零は何にもならないんじゃないか。
ともすればこれは、本当に零になるまでの過程なのだろうか。
私が望んだのはそれこそ、そのそれだった。
何にもなければ何にも感じないで済む。
気持ち悪くもないし、怖くもない。
それそのものが、こんなに怖いことだなんて思いもせずに。
現実の私は、ずっと眠ったままなのだろうか。
それとも完全に心をなくして、わたしらしく振る舞うだけのものになるのかな。
中途半端に心を残したわたしへの罰なのかな。
怖いなぁ。
……さみしいなぁ。
「……こいし?」
「ふぇ」
わたしが目を覚ますと、すぐ目の前にお姉ちゃんの顔があった。
時間はもうだいぶ遅いのかな。ちょっとくたびれた顔でわたしをのぞきこんでいる。
「あ、ごめんなさい。こんなところで寝てるの珍しくてつい声かけちゃった」
いつのまにか、お姉ちゃんのベッドに潜り込んでいたみたい。
寝起きだからなのかわたしの目元を涙が伝う。
お姉ちゃんも気づいたみたいで指で拭ってくれた。
「怖い夢でも見たの……?」
「んーん、覚えてないや」
それでも無意識にお姉ちゃんに抱きついていた。
本当に怖い夢を見ていたのかも知れない。
「わっとと、危ないなぁもう」
「えへへ、怖い夢見たことにするから一緒に寝てもいーい?」
「ん、いいわよ。でも昔みたいに私だけ蹴り落とさないでね」
お姉ちゃんの声と、時計の音が心地いい。
なんだか第三の目が少しだけこそばゆい感じがした。
難しいテーマですよねぇ