「ねえ、また今度集まろうね」
それは、淡く結ばれた呪いの言葉。
そんなことを夢に見たのは、朝の日差しにどこか柔らかさを感じただからだろうか。夢の中で再生された思い出は、錆の浮いていない柱のほうが珍しい駅のホームも、隅っこに設置された自動販売機の塗装も鮮明だったのに、私は彼女たちの顔だけは、終に思い出すことはできなかった。
薄情なのだろうか。そうは思いたくない。もし集まることのできる機会があるならば、集まってみたいとは思う。ただ、それを望もうとするほどの繋がりはもう私の中には無くて、だからきっと、私は幸せなんだろう。
少し強い風が吹いて、桜の花びらが舞った。桜吹雪の美しさに感嘆するのではなく、散っていく花びらが命を燃やしていることの寂しさの方が頭を先によぎったのは、少しセンチメンタルな気分になっていただからだろうか。
私は、あの子たちに会いたいのだろうか。それとも、あの瞬間に帰りたいのだろうか。桜を纏った風が吹いて、私は未だに答えを出せずにいる。
「ねえ、メリー。面白い話があるんだけど」
それは、悪友を悪遊へ誘う悪魔の言葉。
私の顔が鏡を見ずともわかるほどに歪んだのは、きっと夏の日差しの所為もあるだろうけども、それよりも目の前の悪友の語りを聞いてしまったからだろう。
こんなことを言うとき、蓮子の話題は大体私の中にある興味という名のストライクゾーンを大きく外れている。そしてそれに正比例するかのように、彼女の顔は笑顔に溢れるのだ。
「また禄でもない話を拾ってきたの? 捨ててきなさい。ウチでは飼えません」
「ヤダ。絶対メリーも気に入るもん」
「もんじゃないわよ……で、どんな話なの?」
私の返しに、彼女は笑顔を弾けさせた。
蝉の泣き声が聴覚を、そして陽炎が視界の端をあやふやにして、私の意識は蓮子だけに集中する。
結局私は、この先何があったとしても彼女に勝つことはできないのだろうなあ、なんて。そう思ってしまうのだ。
「ねえ、早く早く!」
それは、隠すことのできない溢れる期待の言葉。
穣子に手を握られながら、久しぶりに駆け足で地面を蹴っていた。紅葉の色付けをしていた私にちょっとついてきてと言った妹は、私の返事を待たずに手を握って駆けだしたのだ。
上下に揺れ動く視界の端は、最近色付けを終えた木々たちで鮮やかに染まっている。今年の色付け作業は我ながらいい出来になっていると思う。もう少し寒さが厳しくなれば、空気の澄み具合と合わさって、きっといい景色になるだろう。
「ねえ穣子、どこに行くの? お姉ちゃん、転びそうなんだけど」
「あと少しだけ頑張って! ……ああ、あそこだ!」
紅葉に交じっていた木漏れ日の先。森を抜けた先の川のほとりには、山で見ることは珍しい人間の子どもたちの姿があった。それも一人や二人ではなく、もっと沢山の。
引率だという半獣の先生から事情を聴いて、どうやら今年は豊作と綺麗な紅葉に感謝したくてやってきたとのことだった。なんでも穣子と交渉していたらしい。横を向いた妹のいたずらっぽい笑顔に少し怒ってから、呆れてしまった。
ありがとうございますの大合唱に、少しだけびっくりしてしまったけれど。悪い気なんかするはずもない。
どうかどうか、子供たち。健やかに、のびやかに育ってほしい。神様はそれがとってもとっても嬉しいのだから。
「ねえ」
それは、説明をせずとも通じ合う、互いを繋ぐ不思議な言葉。
こいつの言いたいことはなんとなくわかる。大方私の手元にある蜜柑をよこせということなのだろう。
対面の巫女は、その体の大部分を炬燵の中に潜り込ませている。腕すら出していないということからわかる。きっとコイツは、私が蜜柑を渡してくれることを確信しているのだ。
確かにここはコイツの家で、この蜜柑はコイツのものだ。だが私は客人で、つまりはもてなされてもよいのではないだろうか。そう思うのだが。
「あーん」
口を開けるその仕草に負けて、蜜柑を一切れ放り入れる。むぐむぐと口を動かし終えた巫女は、穏やかに笑うのだ。
「全自動蜜柑提供機、魔理沙ってどう?」
「何を言ってるんだお前は」
それでも、この笑顔を見ていると、まあ悪い気はしないのも事実で。だから私は軽い悪態をつくだけで我慢をするんだ。
炬燵のおかげで身体はぽかぽか、コイツの笑顔で心もぽかぽか。きっとこれが幸せなのかもな。この気持ちをもう少し味わっていたくて、私はもう一つ蜜柑を口元に運んでやった。
「ねえ、聞こえる?」
それは、産み落とされた願いの言葉。
夕飯の支度を終えて外を眺めてみると空は随分と濃い茜空になっていた。ベランダから見る駅前の繁華街は、街灯と建物の光がまるでそのまま皆の命のように見える。
何時の頃からか、眠ってもあの場所に行くことが出来なくなって、その穴を埋めるように生活が忙しくなり始めた。霞を食べるだけで暮らせるほど私の身体はエネルギー効率は良くないし、着の身着のままで暮らせるほど、社会というものは優しくはない。
気が付くと少女という年齢は過ぎていて、それでも微かに超能力は残っていた。そんな中で私の話を真に受けるような頓狂な男と一緒になった。大体私が笑って怒って、あれよあれよとブーケを投げて。気が付いたら子供もできた。
科学の進歩はその加速度を増している。進歩というミサイルに私たちはしがみついていて、きっとそこから振り落とされた時が、老いの始まりなのだろう。その頑張りに若さという鎧を着こんで石を投げてくるような奴らには、鼻血を出させてやる。
科学の加速度に並ぶようにして、世界は距離を縮めている。私が死ぬまでには宇宙旅行は旅行会社のツアーコースに入っているかもしれない。きっとあの場所に行くことが出来なくなったのは、私も生き急いでいるんだろう。多分、見えているはずなのに。世界の流れが速すぎて、私の目ではもう捉えることが出来ないのだ。
私の言葉は、きっと誰にも聞こえない。おかしなもので、私はこの言葉が誰の耳にも届かないのを知っているのに、それでも期待している。あの駅前の人ごみの中から。それとも大通りから外れた裏通りからか。はたまた私の視界に映っている山の向こうからか。きっと私の言葉が届いて、あの時の私のようにエキセントリックな何者かが、私の前に現れるのを。
微かな願いを込めて、もう一度言葉を吐き出す。やっぱり私の言葉は誰の耳にも届いていなくて。皮肉なもので、何も期待せずに視線をさまよわせたおかげで、坂を上ってくる娘の姿にいち早く気が付くことが出来た。
あの頃の私と同じくらいの年頃になった娘は、それでも私の魂が反面教師をしてくれたようで、意外なほどにしっかり者に育ってくれている。だからこそ、そんな娘からオカルトなんて単語を生まれて初めて聞いた時、私は理解をするのに少しばかりの時間を要してしまった。
「ねえ、お母さん。知ってる?」
それは、伝えたくて仕方がない親愛の発露。
嬉々として語る娘の話によると、世界のどこかに「スキマ」のようなものがあって、そこに入ってしまうとよくわからない場所に出るらしい。そこにはとても恐ろしい人間や、人間のような何かが住んでいて、入ったら最後、出られないのだと。そしてそれがこの街にもあるのだという学校での噂話だった。
話の中で色々と突っ込みたいことが多すぎたが止めておいた。話を聞き終えて思わず私は声を上げて大笑いしてしまった。こんなに笑ったのは数年ぶりかもしれない。
与太話だとでも思われたのだろうか。娘は頬を膨らませて、私の顔を恨みがましく見つめている。流石にいきなり笑ってしまったのは罪悪感もある。許しを請うために詫び代わりのアイス(ちょっと高い)を娘の前に置いた。
「ねえ」
もしかしたら、貴女達は聞こえていたのかもしれない。ただ、もう私には聞こえない。
娘の前に置いたアイスの蓋を、ほんの少し浮かせてやった。思えば、子どもの前で力を使ったのは初めてだった。今になって思う、こんな力はあっても無くても問題ではないのだ。好きに生きてほしいという願いがあったから。
私の掌に着陸したアイスの蓋を、娘は目だけで追っていて。その目線が私を見るのだ。その時に浮かべていた笑顔が、いやに頬に抵抗があった。きっとあの頃と同じくらいの笑顔を浮かべているんだろう。少し張りがなくなった頬を叱咤しながら、茶目っ気を出してウインクをした。
「母さんね、超能力が使えるの」
ねえ。聞こえる?
それはきっと誰かに届く、魔法の言葉。
それは、淡く結ばれた呪いの言葉。
そんなことを夢に見たのは、朝の日差しにどこか柔らかさを感じただからだろうか。夢の中で再生された思い出は、錆の浮いていない柱のほうが珍しい駅のホームも、隅っこに設置された自動販売機の塗装も鮮明だったのに、私は彼女たちの顔だけは、終に思い出すことはできなかった。
薄情なのだろうか。そうは思いたくない。もし集まることのできる機会があるならば、集まってみたいとは思う。ただ、それを望もうとするほどの繋がりはもう私の中には無くて、だからきっと、私は幸せなんだろう。
少し強い風が吹いて、桜の花びらが舞った。桜吹雪の美しさに感嘆するのではなく、散っていく花びらが命を燃やしていることの寂しさの方が頭を先によぎったのは、少しセンチメンタルな気分になっていただからだろうか。
私は、あの子たちに会いたいのだろうか。それとも、あの瞬間に帰りたいのだろうか。桜を纏った風が吹いて、私は未だに答えを出せずにいる。
「ねえ、メリー。面白い話があるんだけど」
それは、悪友を悪遊へ誘う悪魔の言葉。
私の顔が鏡を見ずともわかるほどに歪んだのは、きっと夏の日差しの所為もあるだろうけども、それよりも目の前の悪友の語りを聞いてしまったからだろう。
こんなことを言うとき、蓮子の話題は大体私の中にある興味という名のストライクゾーンを大きく外れている。そしてそれに正比例するかのように、彼女の顔は笑顔に溢れるのだ。
「また禄でもない話を拾ってきたの? 捨ててきなさい。ウチでは飼えません」
「ヤダ。絶対メリーも気に入るもん」
「もんじゃないわよ……で、どんな話なの?」
私の返しに、彼女は笑顔を弾けさせた。
蝉の泣き声が聴覚を、そして陽炎が視界の端をあやふやにして、私の意識は蓮子だけに集中する。
結局私は、この先何があったとしても彼女に勝つことはできないのだろうなあ、なんて。そう思ってしまうのだ。
「ねえ、早く早く!」
それは、隠すことのできない溢れる期待の言葉。
穣子に手を握られながら、久しぶりに駆け足で地面を蹴っていた。紅葉の色付けをしていた私にちょっとついてきてと言った妹は、私の返事を待たずに手を握って駆けだしたのだ。
上下に揺れ動く視界の端は、最近色付けを終えた木々たちで鮮やかに染まっている。今年の色付け作業は我ながらいい出来になっていると思う。もう少し寒さが厳しくなれば、空気の澄み具合と合わさって、きっといい景色になるだろう。
「ねえ穣子、どこに行くの? お姉ちゃん、転びそうなんだけど」
「あと少しだけ頑張って! ……ああ、あそこだ!」
紅葉に交じっていた木漏れ日の先。森を抜けた先の川のほとりには、山で見ることは珍しい人間の子どもたちの姿があった。それも一人や二人ではなく、もっと沢山の。
引率だという半獣の先生から事情を聴いて、どうやら今年は豊作と綺麗な紅葉に感謝したくてやってきたとのことだった。なんでも穣子と交渉していたらしい。横を向いた妹のいたずらっぽい笑顔に少し怒ってから、呆れてしまった。
ありがとうございますの大合唱に、少しだけびっくりしてしまったけれど。悪い気なんかするはずもない。
どうかどうか、子供たち。健やかに、のびやかに育ってほしい。神様はそれがとってもとっても嬉しいのだから。
「ねえ」
それは、説明をせずとも通じ合う、互いを繋ぐ不思議な言葉。
こいつの言いたいことはなんとなくわかる。大方私の手元にある蜜柑をよこせということなのだろう。
対面の巫女は、その体の大部分を炬燵の中に潜り込ませている。腕すら出していないということからわかる。きっとコイツは、私が蜜柑を渡してくれることを確信しているのだ。
確かにここはコイツの家で、この蜜柑はコイツのものだ。だが私は客人で、つまりはもてなされてもよいのではないだろうか。そう思うのだが。
「あーん」
口を開けるその仕草に負けて、蜜柑を一切れ放り入れる。むぐむぐと口を動かし終えた巫女は、穏やかに笑うのだ。
「全自動蜜柑提供機、魔理沙ってどう?」
「何を言ってるんだお前は」
それでも、この笑顔を見ていると、まあ悪い気はしないのも事実で。だから私は軽い悪態をつくだけで我慢をするんだ。
炬燵のおかげで身体はぽかぽか、コイツの笑顔で心もぽかぽか。きっとこれが幸せなのかもな。この気持ちをもう少し味わっていたくて、私はもう一つ蜜柑を口元に運んでやった。
「ねえ、聞こえる?」
それは、産み落とされた願いの言葉。
夕飯の支度を終えて外を眺めてみると空は随分と濃い茜空になっていた。ベランダから見る駅前の繁華街は、街灯と建物の光がまるでそのまま皆の命のように見える。
何時の頃からか、眠ってもあの場所に行くことが出来なくなって、その穴を埋めるように生活が忙しくなり始めた。霞を食べるだけで暮らせるほど私の身体はエネルギー効率は良くないし、着の身着のままで暮らせるほど、社会というものは優しくはない。
気が付くと少女という年齢は過ぎていて、それでも微かに超能力は残っていた。そんな中で私の話を真に受けるような頓狂な男と一緒になった。大体私が笑って怒って、あれよあれよとブーケを投げて。気が付いたら子供もできた。
科学の進歩はその加速度を増している。進歩というミサイルに私たちはしがみついていて、きっとそこから振り落とされた時が、老いの始まりなのだろう。その頑張りに若さという鎧を着こんで石を投げてくるような奴らには、鼻血を出させてやる。
科学の加速度に並ぶようにして、世界は距離を縮めている。私が死ぬまでには宇宙旅行は旅行会社のツアーコースに入っているかもしれない。きっとあの場所に行くことが出来なくなったのは、私も生き急いでいるんだろう。多分、見えているはずなのに。世界の流れが速すぎて、私の目ではもう捉えることが出来ないのだ。
私の言葉は、きっと誰にも聞こえない。おかしなもので、私はこの言葉が誰の耳にも届かないのを知っているのに、それでも期待している。あの駅前の人ごみの中から。それとも大通りから外れた裏通りからか。はたまた私の視界に映っている山の向こうからか。きっと私の言葉が届いて、あの時の私のようにエキセントリックな何者かが、私の前に現れるのを。
微かな願いを込めて、もう一度言葉を吐き出す。やっぱり私の言葉は誰の耳にも届いていなくて。皮肉なもので、何も期待せずに視線をさまよわせたおかげで、坂を上ってくる娘の姿にいち早く気が付くことが出来た。
あの頃の私と同じくらいの年頃になった娘は、それでも私の魂が反面教師をしてくれたようで、意外なほどにしっかり者に育ってくれている。だからこそ、そんな娘からオカルトなんて単語を生まれて初めて聞いた時、私は理解をするのに少しばかりの時間を要してしまった。
「ねえ、お母さん。知ってる?」
それは、伝えたくて仕方がない親愛の発露。
嬉々として語る娘の話によると、世界のどこかに「スキマ」のようなものがあって、そこに入ってしまうとよくわからない場所に出るらしい。そこにはとても恐ろしい人間や、人間のような何かが住んでいて、入ったら最後、出られないのだと。そしてそれがこの街にもあるのだという学校での噂話だった。
話の中で色々と突っ込みたいことが多すぎたが止めておいた。話を聞き終えて思わず私は声を上げて大笑いしてしまった。こんなに笑ったのは数年ぶりかもしれない。
与太話だとでも思われたのだろうか。娘は頬を膨らませて、私の顔を恨みがましく見つめている。流石にいきなり笑ってしまったのは罪悪感もある。許しを請うために詫び代わりのアイス(ちょっと高い)を娘の前に置いた。
「ねえ」
もしかしたら、貴女達は聞こえていたのかもしれない。ただ、もう私には聞こえない。
娘の前に置いたアイスの蓋を、ほんの少し浮かせてやった。思えば、子どもの前で力を使ったのは初めてだった。今になって思う、こんな力はあっても無くても問題ではないのだ。好きに生きてほしいという願いがあったから。
私の掌に着陸したアイスの蓋を、娘は目だけで追っていて。その目線が私を見るのだ。その時に浮かべていた笑顔が、いやに頬に抵抗があった。きっとあの頃と同じくらいの笑顔を浮かべているんだろう。少し張りがなくなった頬を叱咤しながら、茶目っ気を出してウインクをした。
「母さんね、超能力が使えるの」
ねえ。聞こえる?
それはきっと誰かに届く、魔法の言葉。
良いものを読ませていただきました。
この幻想と現実がたがいに呼びかけあっているところが本当にすばらしい
「ねえ」の一言で人と人は繋がろうとする。誰かと誰かの繋がりの形が「ねえ」の一言で表れるのかな……と色々と想像しました。
誰かと誰かとの繋がりの言い表せない部分が感じられて、とても好きな作品です。
描写の連続や「ねぇ」の一言で行ったり来たり!
そういえば「ねぇ」と言わなくなって久しい気がします。小さい頃は頻繁に使っていたような気がするのに。小さい頃の、いろんな人と繋がろうとしたころを思い出しました。素敵でした。