無縁塚。
秋の彼岸が近くなると真っ赤な彼岸花で溢れ返るこの場所は、名の通り縁者のいない仏が眠っている特異な墓地だ。
この狭い幻想郷で身元が分からない遺体というと、大抵は外の世界から迷い込んでしまったか、妖怪の餌として意図的に連れ込まれた人間たちである。
そういう事情もあって、外来人の落とし物なのか、はたまた影響を受けた結界のせいなのか、こちらでは目にすることができない珍妙な、もとい貴重な道具がよく落ちている。いわば僕にとっての宝の山だ。
彼ら無縁の仏たちを弔うついでに、墓地の清掃も兼ねて分け前としてその宝たちをもらっているわけだが、残念なことに今回はめぼしいものを見つけられなかった。
少しだけ気落ちしたけれど、しっかりと弔いは済ませ少し長い帰路に就くことにした。
無縁塚は人里からかなり離れた場所に位置しているうえに、彼岸花の毒気やら、そうでなくとも険しい再思の道を越えなければならないので、人妖問わずそうそうやってこない。ある程度道程に慣れている僕ですら、気軽に行こうとは思えない土地だ。
そのはずなのだが、そう歩かないうちに二つの影に出会った。片方は多少見知った射命丸文という天狗だが、もう一方は見覚えがない。黒い翼が目立つので、大方鳥妖怪仲間かなにかだろうか。
「おや、香霖堂の店主さん。珍しいですねこんなところに」
「やあ、天狗のブン屋さん。そちらこそ、人里ならともかく森の裏手なんかで行き合うとは。ネタ探しには不向きだと思うけど」
「ああいえ、私はただの見送りというか差し添えみたいなものですよ。彼女はまだこの辺りに慣れていないので」
文が隣の連れを手で示す。
「こんにちは、地獄の鴉の霊烏路空です」
「ああ、ご丁寧にどうも。森近です」
遠目から見る分には翼が目立っていたので気付かなかったが、この空という少女、なかなか奇妙な装いをしている。
右手には、なにやらよくわからない長い棒を装着しているし、胸元からはそれこそ鴉のようにぎょろりとした紅い瞳がこちらを覗いている。
「空さんは守屋の……、ええと山の神社、分かりますかね?そこの神様から八咫烏の力を授けられたというか埋め込まれたというか。以来間欠泉の制御施設で温泉の調節だとか、いろいろお手伝いをされているのです」
「八咫烏だって?」
八咫烏と言えば天照大神の遣いで、自身も太陽の化身とされる神だ。
成程、装飾品にしては少し異様だと思ったが神下しとなると話は別だ。
「それで今回は業務報告のようなものがあったのですが、如何せん妖怪の山は不慣れだと難易度が高いようで」
「赤い方の神社にはたまに行ってるから、もう分かるんだけどね。緑の方はまだよく分からなくて」
赤い方の神社とは博麗神社のことだろうか。
まあ確かに霊夢はこれ見よがしに赤いし、おそらくもう一方の神社にも緑の巫女がいるのだろう。
「頭の固い天狗もまだ多いですからね。地底事情の取材も兼ねて、私が送迎の任に手を挙げたのですよ」
やっぱりネタ集めじゃないか。
「でも、ここからならもう帰れるよ。それじゃありがとうね、天狗のお姉さん」
「いえいえ、貴重なお話ありがとうございました。もし記事になったらお渡ししますよ」
「うーん、私は新聞読まないからなあ。さとり様に渡してもらった方がいいかも」
随分と正直な娘のようだ。文の方も特に気にしている様子はない。こういう反応にはもう慣れているのだろうか。
空は少し離れた洞穴の入り口で一度こちらに振り返り手を大きく振ると、そのまま奥に駆けていった。地底の、正確には旧地獄の管理者の住まいにそのまま通じているそうだ。
僕たちは沢に沿って、再度お互いの帰り道に就いた。飛んで帰ればいいのにと思わなくもないが、そこは個人の勝手なので特に口出しはしない。
「それにしても八咫烏の道案内とはね。立場が逆じゃないか?」
「あはは、そういうわけでもないですよ。天狗だって猿田彦様から続く由緒正しい先導役ですから」
確かに、天狗には塞の神の側面もある。
どちらかといえば人攫いの印象が強いだろうが。
「そういえば店主さんはなぜこちらに?方向からして無縁塚から帰る途中のようですけれど」
「無縁仏の弔いにね。そろそろ彼岸だろう?それこそなかなか近付く者もいないし、定期的に手入れをしに行っているんだ」
外の道具のことは口にしなかった。
彼女が発行している新聞は天狗の書くものの中では比較的まともではあるが、それでもどんな内容を載せられるか分かったものではない。
『古道具屋の店主、墓暴きで珍品入手』なんてでっち上げられたら堪らない。
殊勝なことですねえ、と一言呟く。
確か彼女は千年を超えている古参の妖怪だったか。紫が放つそれほどではないが、どこか見透かされているような空気感があって、少し居心地が悪い。
「店主さんは基本的にお店から動けないのかと思っていました」
「あのな、人を植物とか地縛霊みたいに言わないでくれ。出不精なのは否定しないが僕だって人並みには出歩くよ。里で会ったこともあるだろう」
「そうでしたっけ。ネタ集めで結構出入りするもので、記事にできそうなこと以外は割と頭から飛んでしまうのですよ」
話題にならないやつだと言外に馬鹿にされた気もするが、まあ、いいだろう。
確かに彼女の書く記事はどこかを境に、日に日に取材範囲が広がっているように思える。購読して直ぐの頃は他の天狗と同じく内輪の情報誌のような雰囲気が抜けていなかったが、近頃は里の商店や市井の声なんかも取り上げている。
ふと、疑問に思ったことを尋ねてみる。
「そういえば、天狗の新聞っていつからやっているんだい?僕の記憶だともうずっと流行っている気がするが」
「うぅん、どうなのでしょう。私が始めたわけではないですし。勿論誰か火付け役はいたのでしょうけど、その後は気付いたら流行っていたという感じですねえ」
文の覚えにないとすると、かなり古い話なのかもしれない。
今のような印刷ができるようになったのは最近なのだろうけど。
「北欧の神話では知識欲が旺盛な主神に、あらゆる情報を持ち帰った鴉もいるそうですし。私たちはそういう性分なのかもしれません」
「そういうものかい」
「そういうものです」
そういえば紫だったか菫子君だったか、外の世界では青白い鳥のせいで情報が氾濫していて困る、と愚痴を漏らしていた覚えがある。
情報を集めて配る、というのは鴉ないし鳥たちの習性なのかもしれない。
「さて、そろそろ分かれ道ですね」
「ああ。もうそんなに歩いてたのか」
会話と思考を巡らせながらの帰り道は、いつもより随分短く感じた。
「それじゃあ、色々と聴けて有意義だったよ」
「それは何よりです。では折角ですからお別れの前に鴉天狗らしく二つほど情報と忠告を」
文がまるで今から写真に撮られるかのように、人差し指と中指を天に向けてピンと立てる。折角の言葉なので耳を傾けるとしようか。
「一つ、今日は妖怪の森、入口付近で夜雀さんが屋台を出すそうです。私も何度か取材に伺っていますが、八目鰻の串焼きは絶品ですよ。他の小料理も味は保証します」
まさかの食道楽系情報に肩透かしを食らった。
いや、確かに有用な情報ではあるのだろうけれど、それにしたって散々前振りをしておいてのこれはいくらなんでも。
「二つ目は、えぇと、水場での事故にご注意ください、かな」
「いま適当に考えなかったかい?」
明らかに不自然な間を感じたが。
「滅相もない。適切な言葉を選んでいただけですよ。なんたって私は新聞記者ですから」
「まずは頭の中で纏めるべきじゃないかな。新聞記者だったら」
彼女も例に漏れず幻想郷の少女だ。魔理沙のように適当な言葉遊びを仕掛けてくることもある。話半分に聞いておくべきか。
「なんにせよ、ここから香霖堂までに水難に気を付けるようなところなんてないしなぁ。相当ドジなやつなら森の沼で溺れるかもしれないけれど」
なんならそれこそ、梅雨時のうちの周りが一番それらしいかもしれない。
一瞬とある半人半霊が頭に浮かんだが、哀れなので消しておいた。
「まあ、水場と一口にいっても色々ありますので。ご参考までに」
それでは!と二本指を五本指に変え、そのまま山の方に翔んでいく。
彼女が見えなくなるまで(といっても一瞬だったが)見送って、僕も森の入り口に向かうことにした。
「成程、確かに芳しい匂いがするな」
少しは気にして歩いてみたが、特に何事もなく目的地に辿り着いた。
彼女の言った通り、森の入り口には思っていたよりもしっかりした作りの屋台が現れていた。こちらは正しい情報だったらしい。
見た目はよくある焼鳥屋といった風だが、妙に主張の強い筆致で赤提灯に『八目鰻』と書かれている。何か思うところがあるのだろうか。
「あら、いらっしゃい!よかったぁ気紛れでこっちに店出してみたら誰も来ないから失敗したかなーって思ってたところだったの!」
暖簾を潜った途端にかなりの勢いで捲し立てられた。
「天狗のブン屋に紹介されてね。うちから遠くないからここで食事を済ませようかと」
「あぁ、新聞記者さんね!朝ちらっと話したときに声掛けお願いしたの、ほんとにやってくれてたのね。実はあんまり当てにしてなかったんだけど」
ひどい言い草だが、正直なところ気持ちは分からないでもない。
「それじゃお兄さん、どうします?おススメは勿論八目鰻だけど、結構いろいろ作れるのよ。お酒も充実してますし!」
「ふぅむ、じゃあとりあえず八目鰻の串を二つと、茸料理もいいな……。焼酎はあるかい?」
「あるわよー。米でいいかしら?」
「いいね。それじゃ熱燗と、茸の塩金平を」
「どうもー♪き~のこっ、のっこ~のこ♪木の子菌の子~♪」
とても、個性的な歌詞だった。
……近頃、夜雀と山彦の二人組が歌で流行を起こしているらしいが、もしかしてこの少女が片割れなのだろうか。できれば違うと信じたいところだが。
「とりあえず串と、焼酎ね!」
「ああ、ありがとう。頂くよ」
徳利から盃に注ぐと、少し甘い香りが漂う。
口に運んだ先から直癇の丸みを帯びた味わいが広がった。これは料理の方も期待できそうだ。
「……美味い」
つい口から言葉が漏れた。
いや実に美味いぞこれは……。料理単品をとっても美味いが、甘辛いタレが米焼酎に合うように少し辛口の味付けになっていて唯でさえ芳醇な香りがぐっと引き立っている。
「あら嬉しい。茸サービスしちゃおうかなー♪」
また夜雀の少女が茸を炒めながら謎の歌を熱唱し始めた。いやずっと鼻歌交じりではあったのだけれど。
「はい、お待ちどおさま!」
次いで茸の金平が現れた。こちらも肴として邪魔にならない程度に、しかししっかりと味付けがされている。これは酒の味が分かっている者にしか作れない料理だ。
思わず箸も酒も進む。
「お兄さんよく褒めてくれるし、お酒もちょっとだけサービスしておくわね」
「え?あ、ああ。ありがとう」
そんなに褒めた覚えはないが、どうも口をついて賛辞が出ているらしい。ううむ、なんだか酔いが早い気もする。だがまあ久々に気持ちのいい酒を飲めているから仕方ないのかもしれない。
……いや、それにしてもこの酔いの回りはちょっとおかしくないか?
自慢じゃないが僕はそれなりに呑める方だし、そもそもまだ八提くらいでそんなに空けてな……。
八堤、確かに。空になった徳利が目の前にあった。
ついでに言うと串も皿も増えていた。
「やー、すごい呑みっぷりねお兄さん!これだけ空けるの妖怪でもなかなかいないわよ!……あれ?お兄さん聞こえてる?お兄さーーーー」
ん、の音を聞く前に僕の世界が回った。正確には酒が回りきった。
「あれ!?大丈夫!?あ、これもしかして、またやっちゃったかなぁ!?」
夜雀が何か喚いているが、既に僕の頭はそれを判断したり処理したりできる状態ではなかった。
視界が一瞬眩さに包まれて、だんだん暗くなっていく……。
「うん……?」
目を覚ますと、僕はまだ屋台の客席に突っ伏していた。周りを見る分に、多少夜が深まってはいるがまだそう時間は経っていないらしい。
肩にはこぢんまりとした毛布が掛けられている。
「何があった……?」
「あ、目が覚めた?」
考えを巡らせる前に声がかかる。夜雀の屋台の女将さんだ。
恥ずかしいことだが、状況的にどうも酔いつぶれたらしい。
「ばっちり、落ちちゃったみたいね」
「面目ない……普段はこんなこと滅多にないはずなんだが……」
「あー、それなんだけどね……」
女将さんが、ばつが悪そうにしている。どちらかといえばこちらがとるべき態度だと思うが、どうしたのだろうか。
「貴方が倒れたの、多分私のせいなのよね」
「えっ?」
我ながら間抜けな声が出た。
いや確かに彼女の料理はどんどん酒が進むものではあったが、それでひとを責めるほど狭量ではないつもりだ。
「いやね、ちょっと興が乗ってがっつり歌っちゃったのよね。最近はなるべく抑えるようにしてたんだけど」
「ああ、確かに途中からは結構な声で歌ってたが、それがなにか……」
ここまで言ってようやく気がついた。
彼女は『夜雀』だった。歌がきっかけというのはあまり聞いたことがないが、成程まさに前後不覚に陥ったわけだ。
「ごめんね?歌い出してからのお代はちゃんと引いておくから!」
「いや、それは払うさ。呑んで食べてをしたのには違いないからね……」
そこは商売人の矜持もある。霊夢と魔理沙あたりが聞いてツケを踏み倒すダシにでも使われるのが目に見えているし。
「そう?お兄さんちゃんとしてるのねえ。たまに来る人間なんか向こうから強請ってくるのに」
大体想像がつくが、詮索するのは止しておこう。
「それを差し引いても美味しかったよ。御馳走様」
「ありがとうございました!ミスティアの焼き八目鰻、近くに出したらまた来てね!」
香霖堂に戻って、すぐに寝支度を整える。
一悶着あったが、総合的には良い一日を過ごせた気がする。
弔いの報酬としては、まあ上々なんじゃないだろうか……。
明朝。
昨夜の呑みすぎが響いたのか少し頭が重いが、なんとか体を起こす。
顔を洗って人心地ついたところで、いつも通り勘定場で椅子に腰かけ、お茶を飲み、読書をしようとすると、これまたいつも通り窓から新聞が投げ込まれた。
窓際まで歩いて手に取り、斜め読みしながら椅子に戻る。
ええと、何々、『名も知らぬ仏を弔う彼は、無縁塚の惨憺たる現状に心を痛めているのかもしれない―』!?
「げほっ、げっほ!」
改めて見出しと内容を確認した時、飲んでいたお茶で溺れそうになった。
いつの間に撮ったんだこんな写真……。
「やられた……」
力の抜けた僕の手から、大きな見出しと、昏倒した僕の写真が掲げられた新聞がするりと床に落ちた。
『ストレスか!?酒に溺れる珍道具屋店主』
秋の彼岸が近くなると真っ赤な彼岸花で溢れ返るこの場所は、名の通り縁者のいない仏が眠っている特異な墓地だ。
この狭い幻想郷で身元が分からない遺体というと、大抵は外の世界から迷い込んでしまったか、妖怪の餌として意図的に連れ込まれた人間たちである。
そういう事情もあって、外来人の落とし物なのか、はたまた影響を受けた結界のせいなのか、こちらでは目にすることができない珍妙な、もとい貴重な道具がよく落ちている。いわば僕にとっての宝の山だ。
彼ら無縁の仏たちを弔うついでに、墓地の清掃も兼ねて分け前としてその宝たちをもらっているわけだが、残念なことに今回はめぼしいものを見つけられなかった。
少しだけ気落ちしたけれど、しっかりと弔いは済ませ少し長い帰路に就くことにした。
無縁塚は人里からかなり離れた場所に位置しているうえに、彼岸花の毒気やら、そうでなくとも険しい再思の道を越えなければならないので、人妖問わずそうそうやってこない。ある程度道程に慣れている僕ですら、気軽に行こうとは思えない土地だ。
そのはずなのだが、そう歩かないうちに二つの影に出会った。片方は多少見知った射命丸文という天狗だが、もう一方は見覚えがない。黒い翼が目立つので、大方鳥妖怪仲間かなにかだろうか。
「おや、香霖堂の店主さん。珍しいですねこんなところに」
「やあ、天狗のブン屋さん。そちらこそ、人里ならともかく森の裏手なんかで行き合うとは。ネタ探しには不向きだと思うけど」
「ああいえ、私はただの見送りというか差し添えみたいなものですよ。彼女はまだこの辺りに慣れていないので」
文が隣の連れを手で示す。
「こんにちは、地獄の鴉の霊烏路空です」
「ああ、ご丁寧にどうも。森近です」
遠目から見る分には翼が目立っていたので気付かなかったが、この空という少女、なかなか奇妙な装いをしている。
右手には、なにやらよくわからない長い棒を装着しているし、胸元からはそれこそ鴉のようにぎょろりとした紅い瞳がこちらを覗いている。
「空さんは守屋の……、ええと山の神社、分かりますかね?そこの神様から八咫烏の力を授けられたというか埋め込まれたというか。以来間欠泉の制御施設で温泉の調節だとか、いろいろお手伝いをされているのです」
「八咫烏だって?」
八咫烏と言えば天照大神の遣いで、自身も太陽の化身とされる神だ。
成程、装飾品にしては少し異様だと思ったが神下しとなると話は別だ。
「それで今回は業務報告のようなものがあったのですが、如何せん妖怪の山は不慣れだと難易度が高いようで」
「赤い方の神社にはたまに行ってるから、もう分かるんだけどね。緑の方はまだよく分からなくて」
赤い方の神社とは博麗神社のことだろうか。
まあ確かに霊夢はこれ見よがしに赤いし、おそらくもう一方の神社にも緑の巫女がいるのだろう。
「頭の固い天狗もまだ多いですからね。地底事情の取材も兼ねて、私が送迎の任に手を挙げたのですよ」
やっぱりネタ集めじゃないか。
「でも、ここからならもう帰れるよ。それじゃありがとうね、天狗のお姉さん」
「いえいえ、貴重なお話ありがとうございました。もし記事になったらお渡ししますよ」
「うーん、私は新聞読まないからなあ。さとり様に渡してもらった方がいいかも」
随分と正直な娘のようだ。文の方も特に気にしている様子はない。こういう反応にはもう慣れているのだろうか。
空は少し離れた洞穴の入り口で一度こちらに振り返り手を大きく振ると、そのまま奥に駆けていった。地底の、正確には旧地獄の管理者の住まいにそのまま通じているそうだ。
僕たちは沢に沿って、再度お互いの帰り道に就いた。飛んで帰ればいいのにと思わなくもないが、そこは個人の勝手なので特に口出しはしない。
「それにしても八咫烏の道案内とはね。立場が逆じゃないか?」
「あはは、そういうわけでもないですよ。天狗だって猿田彦様から続く由緒正しい先導役ですから」
確かに、天狗には塞の神の側面もある。
どちらかといえば人攫いの印象が強いだろうが。
「そういえば店主さんはなぜこちらに?方向からして無縁塚から帰る途中のようですけれど」
「無縁仏の弔いにね。そろそろ彼岸だろう?それこそなかなか近付く者もいないし、定期的に手入れをしに行っているんだ」
外の道具のことは口にしなかった。
彼女が発行している新聞は天狗の書くものの中では比較的まともではあるが、それでもどんな内容を載せられるか分かったものではない。
『古道具屋の店主、墓暴きで珍品入手』なんてでっち上げられたら堪らない。
殊勝なことですねえ、と一言呟く。
確か彼女は千年を超えている古参の妖怪だったか。紫が放つそれほどではないが、どこか見透かされているような空気感があって、少し居心地が悪い。
「店主さんは基本的にお店から動けないのかと思っていました」
「あのな、人を植物とか地縛霊みたいに言わないでくれ。出不精なのは否定しないが僕だって人並みには出歩くよ。里で会ったこともあるだろう」
「そうでしたっけ。ネタ集めで結構出入りするもので、記事にできそうなこと以外は割と頭から飛んでしまうのですよ」
話題にならないやつだと言外に馬鹿にされた気もするが、まあ、いいだろう。
確かに彼女の書く記事はどこかを境に、日に日に取材範囲が広がっているように思える。購読して直ぐの頃は他の天狗と同じく内輪の情報誌のような雰囲気が抜けていなかったが、近頃は里の商店や市井の声なんかも取り上げている。
ふと、疑問に思ったことを尋ねてみる。
「そういえば、天狗の新聞っていつからやっているんだい?僕の記憶だともうずっと流行っている気がするが」
「うぅん、どうなのでしょう。私が始めたわけではないですし。勿論誰か火付け役はいたのでしょうけど、その後は気付いたら流行っていたという感じですねえ」
文の覚えにないとすると、かなり古い話なのかもしれない。
今のような印刷ができるようになったのは最近なのだろうけど。
「北欧の神話では知識欲が旺盛な主神に、あらゆる情報を持ち帰った鴉もいるそうですし。私たちはそういう性分なのかもしれません」
「そういうものかい」
「そういうものです」
そういえば紫だったか菫子君だったか、外の世界では青白い鳥のせいで情報が氾濫していて困る、と愚痴を漏らしていた覚えがある。
情報を集めて配る、というのは鴉ないし鳥たちの習性なのかもしれない。
「さて、そろそろ分かれ道ですね」
「ああ。もうそんなに歩いてたのか」
会話と思考を巡らせながらの帰り道は、いつもより随分短く感じた。
「それじゃあ、色々と聴けて有意義だったよ」
「それは何よりです。では折角ですからお別れの前に鴉天狗らしく二つほど情報と忠告を」
文がまるで今から写真に撮られるかのように、人差し指と中指を天に向けてピンと立てる。折角の言葉なので耳を傾けるとしようか。
「一つ、今日は妖怪の森、入口付近で夜雀さんが屋台を出すそうです。私も何度か取材に伺っていますが、八目鰻の串焼きは絶品ですよ。他の小料理も味は保証します」
まさかの食道楽系情報に肩透かしを食らった。
いや、確かに有用な情報ではあるのだろうけれど、それにしたって散々前振りをしておいてのこれはいくらなんでも。
「二つ目は、えぇと、水場での事故にご注意ください、かな」
「いま適当に考えなかったかい?」
明らかに不自然な間を感じたが。
「滅相もない。適切な言葉を選んでいただけですよ。なんたって私は新聞記者ですから」
「まずは頭の中で纏めるべきじゃないかな。新聞記者だったら」
彼女も例に漏れず幻想郷の少女だ。魔理沙のように適当な言葉遊びを仕掛けてくることもある。話半分に聞いておくべきか。
「なんにせよ、ここから香霖堂までに水難に気を付けるようなところなんてないしなぁ。相当ドジなやつなら森の沼で溺れるかもしれないけれど」
なんならそれこそ、梅雨時のうちの周りが一番それらしいかもしれない。
一瞬とある半人半霊が頭に浮かんだが、哀れなので消しておいた。
「まあ、水場と一口にいっても色々ありますので。ご参考までに」
それでは!と二本指を五本指に変え、そのまま山の方に翔んでいく。
彼女が見えなくなるまで(といっても一瞬だったが)見送って、僕も森の入り口に向かうことにした。
「成程、確かに芳しい匂いがするな」
少しは気にして歩いてみたが、特に何事もなく目的地に辿り着いた。
彼女の言った通り、森の入り口には思っていたよりもしっかりした作りの屋台が現れていた。こちらは正しい情報だったらしい。
見た目はよくある焼鳥屋といった風だが、妙に主張の強い筆致で赤提灯に『八目鰻』と書かれている。何か思うところがあるのだろうか。
「あら、いらっしゃい!よかったぁ気紛れでこっちに店出してみたら誰も来ないから失敗したかなーって思ってたところだったの!」
暖簾を潜った途端にかなりの勢いで捲し立てられた。
「天狗のブン屋に紹介されてね。うちから遠くないからここで食事を済ませようかと」
「あぁ、新聞記者さんね!朝ちらっと話したときに声掛けお願いしたの、ほんとにやってくれてたのね。実はあんまり当てにしてなかったんだけど」
ひどい言い草だが、正直なところ気持ちは分からないでもない。
「それじゃお兄さん、どうします?おススメは勿論八目鰻だけど、結構いろいろ作れるのよ。お酒も充実してますし!」
「ふぅむ、じゃあとりあえず八目鰻の串を二つと、茸料理もいいな……。焼酎はあるかい?」
「あるわよー。米でいいかしら?」
「いいね。それじゃ熱燗と、茸の塩金平を」
「どうもー♪き~のこっ、のっこ~のこ♪木の子菌の子~♪」
とても、個性的な歌詞だった。
……近頃、夜雀と山彦の二人組が歌で流行を起こしているらしいが、もしかしてこの少女が片割れなのだろうか。できれば違うと信じたいところだが。
「とりあえず串と、焼酎ね!」
「ああ、ありがとう。頂くよ」
徳利から盃に注ぐと、少し甘い香りが漂う。
口に運んだ先から直癇の丸みを帯びた味わいが広がった。これは料理の方も期待できそうだ。
「……美味い」
つい口から言葉が漏れた。
いや実に美味いぞこれは……。料理単品をとっても美味いが、甘辛いタレが米焼酎に合うように少し辛口の味付けになっていて唯でさえ芳醇な香りがぐっと引き立っている。
「あら嬉しい。茸サービスしちゃおうかなー♪」
また夜雀の少女が茸を炒めながら謎の歌を熱唱し始めた。いやずっと鼻歌交じりではあったのだけれど。
「はい、お待ちどおさま!」
次いで茸の金平が現れた。こちらも肴として邪魔にならない程度に、しかししっかりと味付けがされている。これは酒の味が分かっている者にしか作れない料理だ。
思わず箸も酒も進む。
「お兄さんよく褒めてくれるし、お酒もちょっとだけサービスしておくわね」
「え?あ、ああ。ありがとう」
そんなに褒めた覚えはないが、どうも口をついて賛辞が出ているらしい。ううむ、なんだか酔いが早い気もする。だがまあ久々に気持ちのいい酒を飲めているから仕方ないのかもしれない。
……いや、それにしてもこの酔いの回りはちょっとおかしくないか?
自慢じゃないが僕はそれなりに呑める方だし、そもそもまだ八提くらいでそんなに空けてな……。
八堤、確かに。空になった徳利が目の前にあった。
ついでに言うと串も皿も増えていた。
「やー、すごい呑みっぷりねお兄さん!これだけ空けるの妖怪でもなかなかいないわよ!……あれ?お兄さん聞こえてる?お兄さーーーー」
ん、の音を聞く前に僕の世界が回った。正確には酒が回りきった。
「あれ!?大丈夫!?あ、これもしかして、またやっちゃったかなぁ!?」
夜雀が何か喚いているが、既に僕の頭はそれを判断したり処理したりできる状態ではなかった。
視界が一瞬眩さに包まれて、だんだん暗くなっていく……。
「うん……?」
目を覚ますと、僕はまだ屋台の客席に突っ伏していた。周りを見る分に、多少夜が深まってはいるがまだそう時間は経っていないらしい。
肩にはこぢんまりとした毛布が掛けられている。
「何があった……?」
「あ、目が覚めた?」
考えを巡らせる前に声がかかる。夜雀の屋台の女将さんだ。
恥ずかしいことだが、状況的にどうも酔いつぶれたらしい。
「ばっちり、落ちちゃったみたいね」
「面目ない……普段はこんなこと滅多にないはずなんだが……」
「あー、それなんだけどね……」
女将さんが、ばつが悪そうにしている。どちらかといえばこちらがとるべき態度だと思うが、どうしたのだろうか。
「貴方が倒れたの、多分私のせいなのよね」
「えっ?」
我ながら間抜けな声が出た。
いや確かに彼女の料理はどんどん酒が進むものではあったが、それでひとを責めるほど狭量ではないつもりだ。
「いやね、ちょっと興が乗ってがっつり歌っちゃったのよね。最近はなるべく抑えるようにしてたんだけど」
「ああ、確かに途中からは結構な声で歌ってたが、それがなにか……」
ここまで言ってようやく気がついた。
彼女は『夜雀』だった。歌がきっかけというのはあまり聞いたことがないが、成程まさに前後不覚に陥ったわけだ。
「ごめんね?歌い出してからのお代はちゃんと引いておくから!」
「いや、それは払うさ。呑んで食べてをしたのには違いないからね……」
そこは商売人の矜持もある。霊夢と魔理沙あたりが聞いてツケを踏み倒すダシにでも使われるのが目に見えているし。
「そう?お兄さんちゃんとしてるのねえ。たまに来る人間なんか向こうから強請ってくるのに」
大体想像がつくが、詮索するのは止しておこう。
「それを差し引いても美味しかったよ。御馳走様」
「ありがとうございました!ミスティアの焼き八目鰻、近くに出したらまた来てね!」
香霖堂に戻って、すぐに寝支度を整える。
一悶着あったが、総合的には良い一日を過ごせた気がする。
弔いの報酬としては、まあ上々なんじゃないだろうか……。
明朝。
昨夜の呑みすぎが響いたのか少し頭が重いが、なんとか体を起こす。
顔を洗って人心地ついたところで、いつも通り勘定場で椅子に腰かけ、お茶を飲み、読書をしようとすると、これまたいつも通り窓から新聞が投げ込まれた。
窓際まで歩いて手に取り、斜め読みしながら椅子に戻る。
ええと、何々、『名も知らぬ仏を弔う彼は、無縁塚の惨憺たる現状に心を痛めているのかもしれない―』!?
「げほっ、げっほ!」
改めて見出しと内容を確認した時、飲んでいたお茶で溺れそうになった。
いつの間に撮ったんだこんな写真……。
「やられた……」
力の抜けた僕の手から、大きな見出しと、昏倒した僕の写真が掲げられた新聞がするりと床に落ちた。
『ストレスか!?酒に溺れる珍道具屋店主』
調子に乗って歌っちゃうミスティアがかわいらしかったです
オチも素晴らしかったです
霖之助が振り回されているのが良かったです。
お酒と料理もとても美味しそうで良かったです