私の鳥獣戯楽が終わってからしばらくが経つ。潮時、方向性の違い、不可視の展望、なによりもってハコの解体。解散の理由といえばそんな、仕方がないという言葉で括れるものばかりだった。仕方がない、仕方がなかった。ミスティアは屋台なぞをやって食っているし、私にしたってかつての生臭たちに紛れて上手いこと生きている。完成、歓声、感性への飢え。あれからずいぶんの時間が経った。飢えて死ぬことは万に一つありはしないが、食らうべく躍動することもない。せいぜいいろいろな杵柄を用いて、かつての歌を求める時代遅れ共を食い物に変換する程度の毎日だ。
エコー・リバーブ・ハウリング
そう、今にしたって私は変換の作業を無感情にやり遂げた。馬鹿な女だった。私たちのライブには毎回来ていたらしいが、顔など覚えているはずもない。
「あー。わりあいあれでしょ、いつも最前のほうで観てくれてたよね」
「はい! もうほんとに大好きで、なんというか、ミスティアさんの歌も最高なんですけど、やっぱり響子さんのベース、というかパフォーマンス、いやパフォーマンスなんて言ったら失礼かもしれないんですけど、とにかくもう、響子さん命だったんですよ!」
贋作の技巧からなる似非努力を評価されるのは実に辛辣だ。腹が立つ。でも顔と体は悪くない。うっすらきょとんに申し訳程度のイノセンス、華奢でかつどこもかしこも柔らかそうなこの感じ。私は自分が嫌になる。私のそれはほぼ完璧に村紗水蜜の嗜好と合致していた。村紗水蜜、あれは嫌な女だった。今でもたまに帰る寺で鉢合えば口内が正体不明の味で飽和する。あのぬえさんよりもずっと読めない女だ。だのに妙に親しげな、馴れ馴れしく胡散臭い例の口調、斜めからの視線には未だ慣れない。年を重ねるほどに嫌いになっていく。まあいい。今は行うべきは夜食の調達だ。
「ふーん、そっかそっか。うれしいな。いやあ、やっぱり褒められると嬉しいね。そうだ! せっかくだからさ、なんか食べに行こうよ。こんな道端で立ち話ってのもなんだし。そんでさ、その、なんていうの。思い出話? ちょっと恥ずかしいけど、もっと聞かせてよ。どう?」
「え! い、いいんですか。じゃあ、それじゃあ、ぜひ、ご一緒させてください!」
そうかしこまらなくてもいいからね。をそれとなく促して、私は馬鹿馬鹿しいほど気取ったバーへと向かうことにした。この女の脳内、身勝手な偶像と化した空想上の私と齟齬のない店を選ばなくてはならないのだ。本当なら下品な食堂の不味いカレーのエビフライに、容赦なくかぶり付きたいような気分である。
女の話に着地点はない。ぬるまってゆくカクテルをほったらかして過去の私たちを褒めそやす。微塵の悪意なさはいつまでも気分を宙に浮かせるから、私は共感の意を示すことによってひとたびひとたび会話を落とす。延々と続く内省談に涙とアラスカが混ざり始めた頃、外ではとうに緞帳が落ち、空の色々は漆黒に飲まれていた。そうして、対話の対が酔に変わった頃合い、つまり女が呑まれた頃合いに私は女を夜に溶かした。
私は落語の枕が好きだ。ピロートークは大嫌いだ。事が済めば規定通り他人同士にそっぽを向いてホテルを出た。外に出れば白けた夜は想像以上に白んでいて、建物の隙間に吹く風は私を嘲笑っているように思えた。空き缶を強く蹴った。途端に浮かんだキックという懐かしき単語を無声の仕方がないでかき消して、私は今日の着地点、寝床を探すことにした。寝床なんてどこでもよかった。でも、出来ればひとりになりたいような、そんな感じもあった。しかし、白む町をほっつき歩けども、結局のとこ、私の寝床は寺しかなかった。ネズミさんのところにでも転がり込もうかと一瞬頭をよぎったが、あのひととはいつまで経っても他人以上知人未満のままでいたから、やめにした。
寺に着く頃には空はもう明るく、混沌とし始めていた。朱に緑、紺や青、それから紫のいろいろの色がひしめいて、薄い雲がひらひらとしている。中庭、縁側で足をぶらぶらとさせていたのは村紗水蜜だった。蓮池なぞを眺めていたらしく、いっそそのまま成仏してくれればよかったが、表情といえば例の読めないアレのままで、消え去るつもりは毛頭ないらしい。加えて、こっそりとしていた私に気がついては目を細めてにやりと笑うから最悪だった。
「やあやあ響子ちゃん。また朝帰りかい、オトナになったねえ。懐かしいなァ、あの頃。あの頃もそうだったね、夜通しライブなんてやってさ。ま、私は観に行ったこと、一度としてないんだけども。ほら、こっちきて座りなよ。すこしさ。いっしょに、お喋りをしようよ」
「おしゃべり。ハハ。村紗さんとお喋りするの、嫌いなんですよ」
調音砕けた知ってまーすを無視して、私は縁側を跨いで寝床に急いだ。私の寝床と生臭たちの寝床は違う。私は物置を誰にも知られず占拠して眠るのだ。真にひとりとは云えないが、一輪さんの起きるまでの騒音を聴くのも、起きてからのとち狂った読経を聴くのも嫌だったから、現状、選べる行動のなかではこれが最適解だった。
あー、今日は終わった。明日はどんなものだろう。
そんなことを漠然とさせているうちに、私はいつしか眠りに就いた。
昼が来た。昼は朝だ。里にでた。里は昼だった。繁盛繁盛、商売繁盛私の気分は中繁盛。ウソ。陽光の下なのにも関わらず地底を蛞蝓のように這いずっているような心持ちだ。こんなときには飲酒にかぎる。働き人の視線なぞ知ったところではない、ビコーズ私は、ロックンローラーなのだから。瞬間くつくつと笑いが溢れた。小銭を支払えば鬼さえ死に至らしめる毒使いのにーさんが怪訝そうに眉を潜めた。ばーか。
人間とすれ違う。たくさんの人間が私を素通りする。私はラッパで毒を呑む。浮浪者スレスレの行為は旧い歓声を想起することでジョウネツを失ったモラトリアムニンゲンのソレに置き換えた。私はロックンローラーだった。
酔えば、いつもコレばかりだった。
「あれ?」
と、不意に声がする。がやがやとした通りだって、カクテルのパーティとなんら変わりはない。ファンかな、男かな、女かな。一寸で判然とした声の主に私は落胆する。
「響子ちゃん、響子ちゃんだよね? ミスティアとバンドやってた。ちょうどよかった! 僕これからさ、ミスティアのとこに飲みに行くんだよ」
そいつは妖怪だった。私の嗅覚によればおそらく虫の妖怪だ。聞けば妖怪はミスティアの同級生という話で、今日は久方ぶりの同窓会を開くという。同窓会とはいえ、集まるのはミスティアを含めて三匹のみで、名称ほど仰々しい会合ではないから一緒に来ないかと、どうやらそういうことらしい。誰が行くか! 行ってどうなる、行ったところで何も変わらない。何も生まれない、何も感じないに決まってる! しかしながら、妖怪は村紗水蜜と類似した例の口調を持っていた。明確に違うのは嫌味のなさ。私は読んで字の如く、虫の誘いに拐かされてしまった。道中、森に見かける道案内の立て看板は、無感動、地獄の平熱への道先案内人に思えた。
屋台が近づくにつれてイヤな音が響いてくる。
「もうすぐ着くね!」
音を聴きつけた妖怪は嬉々として喋る。
「もう弾き始めてる。ということはミスティア、だいぶ酔ってるな。くそう、遅刻しちゃったな」
音は酷く馴染みのあるフォークギターの音色だった。手癖のみで演奏されるそのメロディに私は思わず舌打ちをした。ミスティアはなにも変わっちゃいない。酔ったらいつもこのメロディだ。馬鹿みたいに切ない朗らかなメロディ。死ぬまで直らないひどい手癖、かつての名作、鄙びた懐メロ、黴びた情動! 私は踵を返そうとして、やめた。なぜだかわからないが、あの鳥に脅迫めいた説法のひとつでもぶってやろうと思ったのだ。アリ一匹踏みゃ地獄落ち、だから経を唱えなさい。だもんだ!
屋台に着くと知らん妖怪がひとりいて、ミスティアの酔奏に音頭を取っていた。虫の妖怪が溌剌と再会のやあをかざせば、二匹は同時に振り向いて、私たちを視界に捉えた。ミスティアはハッとして瞬時に演奏をやめた。フォークギターを隠すようにして屋台の壁に立てかけた。
「ひさしぶりだね」
言うと、ミスティアも同じように返した。
あー、なにが仕方がないってんだ。
エコー・リバーブ・ハウリング
そう、今にしたって私は変換の作業を無感情にやり遂げた。馬鹿な女だった。私たちのライブには毎回来ていたらしいが、顔など覚えているはずもない。
「あー。わりあいあれでしょ、いつも最前のほうで観てくれてたよね」
「はい! もうほんとに大好きで、なんというか、ミスティアさんの歌も最高なんですけど、やっぱり響子さんのベース、というかパフォーマンス、いやパフォーマンスなんて言ったら失礼かもしれないんですけど、とにかくもう、響子さん命だったんですよ!」
贋作の技巧からなる似非努力を評価されるのは実に辛辣だ。腹が立つ。でも顔と体は悪くない。うっすらきょとんに申し訳程度のイノセンス、華奢でかつどこもかしこも柔らかそうなこの感じ。私は自分が嫌になる。私のそれはほぼ完璧に村紗水蜜の嗜好と合致していた。村紗水蜜、あれは嫌な女だった。今でもたまに帰る寺で鉢合えば口内が正体不明の味で飽和する。あのぬえさんよりもずっと読めない女だ。だのに妙に親しげな、馴れ馴れしく胡散臭い例の口調、斜めからの視線には未だ慣れない。年を重ねるほどに嫌いになっていく。まあいい。今は行うべきは夜食の調達だ。
「ふーん、そっかそっか。うれしいな。いやあ、やっぱり褒められると嬉しいね。そうだ! せっかくだからさ、なんか食べに行こうよ。こんな道端で立ち話ってのもなんだし。そんでさ、その、なんていうの。思い出話? ちょっと恥ずかしいけど、もっと聞かせてよ。どう?」
「え! い、いいんですか。じゃあ、それじゃあ、ぜひ、ご一緒させてください!」
そうかしこまらなくてもいいからね。をそれとなく促して、私は馬鹿馬鹿しいほど気取ったバーへと向かうことにした。この女の脳内、身勝手な偶像と化した空想上の私と齟齬のない店を選ばなくてはならないのだ。本当なら下品な食堂の不味いカレーのエビフライに、容赦なくかぶり付きたいような気分である。
女の話に着地点はない。ぬるまってゆくカクテルをほったらかして過去の私たちを褒めそやす。微塵の悪意なさはいつまでも気分を宙に浮かせるから、私は共感の意を示すことによってひとたびひとたび会話を落とす。延々と続く内省談に涙とアラスカが混ざり始めた頃、外ではとうに緞帳が落ち、空の色々は漆黒に飲まれていた。そうして、対話の対が酔に変わった頃合い、つまり女が呑まれた頃合いに私は女を夜に溶かした。
私は落語の枕が好きだ。ピロートークは大嫌いだ。事が済めば規定通り他人同士にそっぽを向いてホテルを出た。外に出れば白けた夜は想像以上に白んでいて、建物の隙間に吹く風は私を嘲笑っているように思えた。空き缶を強く蹴った。途端に浮かんだキックという懐かしき単語を無声の仕方がないでかき消して、私は今日の着地点、寝床を探すことにした。寝床なんてどこでもよかった。でも、出来ればひとりになりたいような、そんな感じもあった。しかし、白む町をほっつき歩けども、結局のとこ、私の寝床は寺しかなかった。ネズミさんのところにでも転がり込もうかと一瞬頭をよぎったが、あのひととはいつまで経っても他人以上知人未満のままでいたから、やめにした。
寺に着く頃には空はもう明るく、混沌とし始めていた。朱に緑、紺や青、それから紫のいろいろの色がひしめいて、薄い雲がひらひらとしている。中庭、縁側で足をぶらぶらとさせていたのは村紗水蜜だった。蓮池なぞを眺めていたらしく、いっそそのまま成仏してくれればよかったが、表情といえば例の読めないアレのままで、消え去るつもりは毛頭ないらしい。加えて、こっそりとしていた私に気がついては目を細めてにやりと笑うから最悪だった。
「やあやあ響子ちゃん。また朝帰りかい、オトナになったねえ。懐かしいなァ、あの頃。あの頃もそうだったね、夜通しライブなんてやってさ。ま、私は観に行ったこと、一度としてないんだけども。ほら、こっちきて座りなよ。すこしさ。いっしょに、お喋りをしようよ」
「おしゃべり。ハハ。村紗さんとお喋りするの、嫌いなんですよ」
調音砕けた知ってまーすを無視して、私は縁側を跨いで寝床に急いだ。私の寝床と生臭たちの寝床は違う。私は物置を誰にも知られず占拠して眠るのだ。真にひとりとは云えないが、一輪さんの起きるまでの騒音を聴くのも、起きてからのとち狂った読経を聴くのも嫌だったから、現状、選べる行動のなかではこれが最適解だった。
あー、今日は終わった。明日はどんなものだろう。
そんなことを漠然とさせているうちに、私はいつしか眠りに就いた。
昼が来た。昼は朝だ。里にでた。里は昼だった。繁盛繁盛、商売繁盛私の気分は中繁盛。ウソ。陽光の下なのにも関わらず地底を蛞蝓のように這いずっているような心持ちだ。こんなときには飲酒にかぎる。働き人の視線なぞ知ったところではない、ビコーズ私は、ロックンローラーなのだから。瞬間くつくつと笑いが溢れた。小銭を支払えば鬼さえ死に至らしめる毒使いのにーさんが怪訝そうに眉を潜めた。ばーか。
人間とすれ違う。たくさんの人間が私を素通りする。私はラッパで毒を呑む。浮浪者スレスレの行為は旧い歓声を想起することでジョウネツを失ったモラトリアムニンゲンのソレに置き換えた。私はロックンローラーだった。
酔えば、いつもコレばかりだった。
「あれ?」
と、不意に声がする。がやがやとした通りだって、カクテルのパーティとなんら変わりはない。ファンかな、男かな、女かな。一寸で判然とした声の主に私は落胆する。
「響子ちゃん、響子ちゃんだよね? ミスティアとバンドやってた。ちょうどよかった! 僕これからさ、ミスティアのとこに飲みに行くんだよ」
そいつは妖怪だった。私の嗅覚によればおそらく虫の妖怪だ。聞けば妖怪はミスティアの同級生という話で、今日は久方ぶりの同窓会を開くという。同窓会とはいえ、集まるのはミスティアを含めて三匹のみで、名称ほど仰々しい会合ではないから一緒に来ないかと、どうやらそういうことらしい。誰が行くか! 行ってどうなる、行ったところで何も変わらない。何も生まれない、何も感じないに決まってる! しかしながら、妖怪は村紗水蜜と類似した例の口調を持っていた。明確に違うのは嫌味のなさ。私は読んで字の如く、虫の誘いに拐かされてしまった。道中、森に見かける道案内の立て看板は、無感動、地獄の平熱への道先案内人に思えた。
屋台が近づくにつれてイヤな音が響いてくる。
「もうすぐ着くね!」
音を聴きつけた妖怪は嬉々として喋る。
「もう弾き始めてる。ということはミスティア、だいぶ酔ってるな。くそう、遅刻しちゃったな」
音は酷く馴染みのあるフォークギターの音色だった。手癖のみで演奏されるそのメロディに私は思わず舌打ちをした。ミスティアはなにも変わっちゃいない。酔ったらいつもこのメロディだ。馬鹿みたいに切ない朗らかなメロディ。死ぬまで直らないひどい手癖、かつての名作、鄙びた懐メロ、黴びた情動! 私は踵を返そうとして、やめた。なぜだかわからないが、あの鳥に脅迫めいた説法のひとつでもぶってやろうと思ったのだ。アリ一匹踏みゃ地獄落ち、だから経を唱えなさい。だもんだ!
屋台に着くと知らん妖怪がひとりいて、ミスティアの酔奏に音頭を取っていた。虫の妖怪が溌剌と再会のやあをかざせば、二匹は同時に振り向いて、私たちを視界に捉えた。ミスティアはハッとして瞬時に演奏をやめた。フォークギターを隠すようにして屋台の壁に立てかけた。
「ひさしぶりだね」
言うと、ミスティアも同じように返した。
あー、なにが仕方がないってんだ。
面白かったです。ご馳走様でした