Coolier - 新生・東方創想話

Hell's Suicide Philosophy

2020/05/14 20:45:48
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 ──最初から、こんな世界に生きていることが間違いだったんだ。

 いつも私は、誰からも軽蔑されていた。いつしか、その悲しい事実を気に病む心も失っていた。
 だって、当然だったからだ。私は軽蔑されて当然だ。忌み嫌われて当然だ。さあ、みんな、私に向かって石を投げて。
 愚か。醜い。卑しい。人間の生み出した全ての罵倒の言葉が、まるで私のために誂えたかのよう。実際、私は愚かだし醜いし卑しいし、どれだけ罵られても、まだ足りない。これから先も、私のために新しい罵倒の言葉が生まれては死んでいく。
 つまるところ、私の精神性が、この世界には不適切なのだ。私はこの世界で生きていくことに適していない。事実として、この世界には私の居場所など無いのだと知っている。

 それでも、こんな私でさえも現実に打ちのめされて蹲ったままでいられないのは……ああ、その理由だけは、片時たりとも忘れたことがないのだ。



 筵に包まれた人間が、橋の上から川面に突き落とされた。
 私が何をしていたか、と言えば、何をするでもなく、ずっとそばで見ていただけだ。筵の中身がありもしない罪状を突き付けられて殴る蹴るの暴行を受ける場面あたりから見ていたが、あちらから声の掛からない限り、私から声を掛けることはない。
 謂れのある暴力。謂れのない暴力。人が人を殺し、人が人を憎む。私はそんな場面にばかり立ち合っている。
 流れていく簀巻きが、流木に引っ掛かって止まった。それがどうしたという話だった。
 たとえば、疫病の村。非人を人柱に仕立てることもあるし、日頃から目を付けられている人物が『お前が何かした』『お前のせいだ』と誹られることも、そう珍しい出来事ではない。もちろん、そうなった人物の末路は私刑であり、大抵の場合で死刑だった。貧困と閉塞は人間の本性を剥き出しにする。って、これは失言。剥き出しも何も、普段から大して隠されているわけじゃない。
 たとえば、生活。
 たとえば、仕事。
 たとえば、結婚。
 ありとあらゆる局面で、人は自分と他人を比較する。
 あっちの畑の方が日当たりが良い。あっちの田んぼは水を引き過ぎじゃないか。あの家の嫁は美人だって噂。あっちは、あいつは、あの家は、そんなことばっかり。
『ちょっとした工夫で1歩、差を付けよう』
 この程度のキラーワードが、昔も今も変わることのない根強い人気を誇っている。人は、自分が他人より劣っていることに耐えられない。

 私は、彷徨する旅人。人々の声の隙間の中をさ迷っている。
 基本的に、私の姿は普通の人間には見えない。だけどたまに、知覚の下にいる私に気付いてくれる人がいる。実を言うと少しだけ嬉しくて、だから、そういう人たちには私の力を貸してあげる。また時には、その集団内の人間の心の奥底であり大部分──無意識と呼ばれる領域に呼び掛けて、ちょっとした惨劇を引き起こしてあげることもある。
 いつだったかの、筵に巻いた生贄に穢れを仮託して放逐する儀式を執り行っていた、あの村。たとえばあの村は、延々と生贄を産み出し続ける狂気の村になっているはずだ。
 何故って?
 最初の一人が、そのように呪ったから。
 心に澱みを溜めた人間には、私の姿が見えるから。声が届くほどではなかったけれど、目が合った一瞬に、訴えることができたから。そういう相手に、私は少しだけ優しくしてあげるから。
 でも私は知っている。私のしていることは間違っている。やられたことをやり返して良い気になる。その心理の醜さを知っている。

 ごりっ、ごりっ、と咀嚼音。
 爪を噛むことはやめた。今は、指を噛んでいる。もう随分前に、爪は噛む場所がなくなった。指をまとめて口腔に突っ込んで、ごりごりと容赦なく歯軋りする。痛みを味わうことだけが、正気を保つ唯一の処方箋だった。

 痛い。苦しい。痛い、痛い痛い痛い……また、私を呼ぶ声が聴こえる。誰の声?
 痛い。痛いのは、私?

 乱暴に肩を掴まれた拍子に、ふと、私にしては珍しい冷静な認識をした。自覚。自分の状態を意識すること。
 つまり、痛いのだ。
 慣れ親しんだ爪と指の痛みでも、心の鈍痛でもない、はっきりとした肉体の痛み。気付いてしまえば神経を通して危機を訴える箇所は肩だけじゃなかった。頭と、頬に、ぬめりとした痛みがある。視界の半分が赤い。血液が滴っているらしい。
 野太い怒鳴り声が叩き付けられる。圧が前髪を揺らすほどの大きな声。
 何を言っているのかは、知らない。どうせ、私への罵倒。
 赤い皮膚の、大柄な男だった。何事かを口汚いスラングで罵っている。
 構わずに通り過ぎると、溶けたタールのような嫌な異臭がした。私の通った場所は、いつもそんな臭いがする。今の男? さあ、どうしたんだろう?

 そもそも、ここはどこなんだろう。
 繁栄しているが、荒廃もしている。なんて奇妙な言い方になってしまったけれど、そう奇妙なことではないのだ。近い所で言うなら、荒れ寺に賊が巣食っていると、こんな印象になる。そしてこの街は、街全体からして賊の巣窟じみていた。平安末期の夜盗で溢れ返った都、その廃屋の大部分を柄の悪い連中で満員にしたら、この賑やかさになるだろうか。
 顔ぶれは、その多くが異形だ。私ほどでないにしろ、真っ当な世界では忌み嫌われそうな連中の多いこと、多いこと。チンピラにゴロツキにヨタモノ、よりどりみどりの見本市。
 治安の悪い街の片隅で、気付けば私は怒りを露わにする男達に囲まれていた。
 そしてやっぱり、何か言ってる? 仲間? 誰が? 赤鬼?
 頭を殴られて、首を絞められた。痛みはある。常にある。だから止まらない。
 殴られる。忌み嫌われる。蔑まれる。いつものことだ。
 そしてまたいつものように、きっと私が悪いのだ。そう思った途端、暴力は止まった。でも私は転んだ。
 置き物に躓いたのだ。
 置き物。例えばそれは、自分の指を喰いながら譫言を口走っている男だとか。家具にするには趣味の悪い代物だ。
 ごりごり、がりっ……くっちゅ、くっちゅ。
 顎を覆うように口元に当てた両手。左右の人差し指から小指まで八本、指を噛み切ると言うよりは指の骨を噛み折るようにして、異形共が、それこそ鬼気迫る顔色で、自分の指を喰っている。口腔に収まり損ねた親指は頬に突き刺さっている。そういう種類の置物に、躓いたのだった。
 私のやったことだ。だって、とち狂ったような彼らの姿は、私にひどく似ている。私の過ぎ去った後には溶けたタールの異臭しか残らない。
 この見知らぬ街でもまた、消え失せろという罵倒の数々を聴くことになるのだろう。そう結論付けるには、少し早かった様子。
「…………?」
 がやがやとした喧騒。何事か囃し立てるような口笛。上品には程遠い掛け声。耳にすれば確実に胸糞悪い異形共の蠢きではあったが──でも何故か、その不快な音色の中に、『ここから出ていけ』という単語は無かったように思う。
「おいおいおい、若い衆とは言え、簡単に始末してくれるじゃないか」
 意味の通る言葉に、また意識が浮上する。
 より一層、周囲の口笛が喧しくなった。街道沿いの建物の窓や屋根の上に、見物客が大勢いる。いいぞ、姐さん、やっちまえ。いや俺は新参の嬢ちゃんに賭けるぞ。……え、賭博とかしてる?
「……貴方が、あの、えっと、何? あれ」
 あれとは、あれだ。折り重なって倒れる置き物。
「あれの親玉?」
 絢爛豪華の女鬼だ。その顔の皮膚、一回剥がして裏返しに張り付けてやろうか。
「いや、まさか。徒党を組むのはやめたんだ」
「……その割に、姐さんと慕う声が聴こえるけれど」
 好かれているんだ。そっか。良かったね。その角、へし折ってやるのも悪くない。
「ですよねぇ。勇儀さんはずるいですよねぇ。さとり様は、人気者ではないと言うのに」
 と、小馬鹿にした声色に、口笛の祭囃子が乱れた。
 女鬼に遅れてひょこっと姿を見せたのは、これがまた、見るからに性根の捻くれていそうな少女だった。
「初めまして。ここがどこだか、ご存知で……ない、と」
「そうね。知らないわ」
「ここは旧地獄ですよ。旧と言っても、旧と付くようなってから、まだ日は浅いのですが」
 一歩、詰め寄って。
「つまり、もう要らないからと切り捨てられた地獄の一部」
「なんだ。知ってた」
 私は地獄に来ていたらしい。いくら私が暗愚だからって、流石にこれは既知の事実だ。私のいる場所は、いつでもどこでも地獄だった。比喩だけど。
「捨てられた地獄に、忌み嫌われた者達が勝手に棲み付いてできた、新しい街。どいつもこいつも性根のひん曲がった連中が好きに生きる、楽園めいた地獄です」
 それで、血と暴力が支配する、みたいな騒擾とした空気感か。
「私と、こちらの女鬼が、まあ不本意な上に成り行き上ではありますが、この街の秩序と言うにも憚られる最低限の景観を預かる形になっています。正面から喧嘩を売ってくる奴は珍しくないですが、長く生きていられるのは珍しい」
「街を守ってるの? ……あ、そう」
「私は貴方を歓迎しますよ」
 ささやかなイタズラを仕掛ける微笑みで、少女。
 歓迎とはつまり、そういうことか? 少々手荒な歓迎のことか。
 まあ、それはそうだろう。結局の所、私の居場所なんて、どこにも無い。
 私は、ちゃんと知っているよ?
 だって私の性格は最悪だから、私の生き方が醜悪だから、本当は、誰とも関わり合いになってはいけないんだ。生きていたって他人に迷惑を掛けるだけ。世を呪わずにいられない者が世に生きていることは、道理が通っていない。
 知っているよ。手荒な歓迎なんか受けなくたって、最初から知っているよ!
 私がいけないんだ。私が愚かなんだ。私なんて、いなくなれば良いんだ。
 生きているだけで、心が痛いよ。
 この世界は私が生きていても良い世界じゃなかった……!
「さとり。お前ばかり話していてずるい」
 喧騒の中にあってよく響く、凛とした声だ。
 少女は美しい。女鬼も美しい。だけど私は、涙と唾液でぐしゃぐしゃになった顔で、地べたに這い蹲って指を喰っている。すっかり血の通わなくなった指は、凍らせた芋虫でも口に含んでいるみたいな食感。
「苦しいのか?」
 女鬼が、そう問うた。
 その飄然とした態度に、私の背骨は海老反りに折れた。
「苦しいなら、ずっとそこらの日陰で蹲っていれば良いんだ」
 ああ、その通りだとも。
 ずっと、ずっと、ずっと、だ。ずっと長い間、違和感に苛まれて続けている。どうして私だけ、こうなんだろう。どうして私の心のカタチは他のみんなと違っているんだろう。生きる苦しみに、爪を噛んで指を喰って全身を掻き毟って発狂する寸前で耐え続けている。

 ──それでも、こんな私でさえも現実に打ちのめされて蹲ったままでいられないのは……ああ、その理由だけは、忘れたことがないのだ。

「いい加減、やめちまえよ」
「ふざけるなッ!」
 やめる? 有り得ない。
 血反吐でも何でも、絶叫と共に吐き出してしまえれば良い。私の吐き出した呪詛が濁流となりやがては海となり、世界を沈めてしまえば良い。
「私は絶対に許さないッ! 私は絶対に忘れないッ!」
 指を噛む。肉を噛む。骨を噛む。噛み足りない。頭がおかしくなったんじゃない。こうしていないと頭がおかしくなるから、私は絶えず自傷する。
 こんな自分でいることは、本当は苦しいのだ。だけど、どうしたってやめられないから、この苦しみを味わったのことの無い者が、私と同じになってから死ねば良いと思う。
 こんな私でさえも現実に打ちのめされて蹲ったままでいられないのは、絶対にやり返すと誓ったからだ。
 理不尽に憤る気持ち。厳しい世界への違和感。そういう気持ちは、きっと誰しもが胸の奥底に抱えて日々を過ごしている。そして、うやむやにする。なあなあにする。なおざりにして捨ててしまう。
 多少の我慢は必要だ。些細なことは目に付くけれど、諍いの種は腹の内に隠して仲良くした方が、お互いに得なんだ。社交性を育み、慣れ合って生きようじゃないか。馬鹿馬鹿しいけどこれは仕方のないことなんだって、きっと誰だって苦しいのだから自分だけ苦しいと叫ぶのはやめようって、オトナになる。
 そんなこと、あって良いはずが無い!
 負けたままで良いの? 良いわけない。だってそれ、悔しいよ。
 私は、私の心を粗末に扱ったりしない。私は絶対に、自分の抱えている苦しみを失くしてしまわない。成る程、暗い感情は重い荷物だろう。だが、意地でも降ろすものか。
 いるんだよ。どうしても『許す』という感情を得られないクソったれは、いるんだよ。許せる奴は偉いよね。その物分かりの良さだとか高潔さが妬ましい、まとめて呪ってやるからな!
 でもね、いるんだってば。朝も夜も怒り狂って、男の親類、女の縁者、老若男女誰彼構わず殺して殺して、まだ飽き足りないって、どうしようもない奴がさ。その娘はさ、呪い殺してやりたいから生きながら鬼の身に変えてくださいってさ、いや、もう貴方ってば鬼みたいな顔じゃん、っていう感じで言うんだよ。
 私は、そういう奴らに応えてあげたい。そういう奴らの本尊でいたい。

 絶対に、認めないのだと。
 絶対に、許さないのだと。

 その条項を証明する。そのためならば、私はどんな地獄の苦しみにだって耐えられる。もちろん他人を傷付けることだって少しも厭わない。
「ふざけるな……ふざけるなッ! 畜生がッ!」
 私は忘れないッ! 許さないッ! 呪ってやるッ! 呪い続けるッ!
 その時、私の見間違いでなければ、女鬼は笑ったような気がした。
「殴られたら、どうする?」
「殴り返すに決まっているでしょう?」
「奪われたら、どうする?」
「奪い返して、それから殺す」
「こんな世界に生きていることが間違いだと思ったことは?」
「あるわ」
 私は即答した。
 間髪入れず、こう続ける。
「だけど、それがどうした? 私が間違ってるよ? 私なんか消えれば良いよ? 死んじゃえば良いんだ! だからって素直に消えてやるものかッ!」
「あんたは、薄汚い地面に這い蹲ったことがあるんだろう?」
 あるなんてものじゃない。いつもそうだった。
「それでも」
 女鬼の揺るぎない視線が、私の目を覗き込んでいる。私の、緑色の瞳を。
「それでも、あんたは倒れたままでいなかった」
「……そんなものは」
 当たり前だ。
 私が止まるわけない。
「あんたはさ、ほんと、どうしようもない奴だよ。でも、そんな自分を変えるつもりは無いんだろう? 倒れても立ち上がるんだろう? 立ち上がれないなら、這ってでも進むんだろう?」
 だから、当たり前だと。
「二度も言わせないで。私は絶対に許さない」
「そうか」
 私の見間違いではなかった。女鬼は笑っている。
「だったら、お前は“強い”んだよ。そして私は、“強い”奴のことが大好きなんだ」
「……?」
 つい、ぽかんと口が開いた。
「ここは地獄だ。今はまだ新しい、捨てられた地獄だ。お行儀良くなんかできやしない、どうしようもない奴らの掃き溜めだよ。良いか? 負け犬共が身を寄せ合っているんじゃあ、ない。傷を舐め合うような仲間意識や連帯感なんてまっぴらごめんだ。でも、私はこの街を、心底見下げ果てるような奴らが好き勝手に楽しく生きられる街だと思ってる」
 だから何だと思った。
 だから何なのか、もうひとりの少女が、私の首に優しく手を回して答えるのだ。
「いやいや、だからちゃんと言ったでしょう? 私は貴方のことを歓迎します、って。旧地獄の街も、貴方のことを歓迎しているんです。ふふ、何やら意味を取り違えていたようだけど」
「……まったく、さとりはずるい。それは私が言いたかったのに」
 歓迎?
 歓迎が、皮肉めいた意味のそれではないのなら、それは何? 聞いたことが無い。知らない言葉だ。
 喧しい口笛に太鼓の音が混じった。誰かが笛を吹き始めた。呆れるほど雑な祭囃子。何だろう、今日はお祭り?
「私、貴方のことが気に入っちゃいました。長旅で疲れたでしょう。今日は私の館に来て、お茶でもいかがですか?」
「おいおい、こいつは私と呑むんだ。よし特別だ。とっておきを出してやる」
 ……?
 ……え、何?
 なんで私、両側から両腕を引っ張られてるの? どうして、こんな私が好かれているの?
「貴方が面白いからですよ。貴方の憎しみは、憧れの裏返し。だってそうでしょう? 本当に軽蔑して下に見る相手を妬ましいとは思わない、好きな所があるからこそ惹かれている。貴方は何でもない空の明るさや巡る風の爽やかさにだって、素直に心を動かせるのです。そして、自分が歪んでいると知っているけど、だから何だと跳ねのける強さがある。どこまでも突き進んでいく」
 少女は、愉快なものを見る目で私のことを見ている。まるで新しい玩具を見付けたかのようで──とびっきりの上機嫌だ。妬ましくなるくらいの、心の底からの本物の微笑。
「私が、私なんかが、ここにいて、良いの? 迷惑じゃない? 私、性格とか、最悪よ?」
「旧地獄はそういう奴の居場所なんだって言っただろ。最悪で良いんだよ。最悪だから、良いんだよ。と言うか、あれだけ暴れておいて何を言っているんだ。あんたはもうすっかりこの街の一員だよ」
 と、女鬼。
「とっしーんっ」
「きゃっ」
 新顔。
「ねぇねぇねぇ、どれだけやったの? 私も結構ぱーっと派手にやったけど、あんたも相当だね」
「……なによ」
 本当に何なのよ、この物騒な蜘蛛娘。
「やったって……?」
 殺った、という意味で?
「んー、いわゆる洗礼ってやつ? 新参者へのリンチは風物詩だよねぇ。あ、私はヤマメ。えっとね、私はあんたより先輩だけど、だいたい同期だし、仲良くしてくれて良いんだよ?」
「…………」
 とりあえず、首にぶら下がるのをやめて欲しい。
「おりて」
「おりない」
 なんで頑固なのよ。
「……ねぇ」
 なんかもう色々と諦めて、街道沿いの馬鹿騒ぎに目線を移す。デカい女鬼とちびっこい少女と明るい蜘蛛娘を引っ付けて行進するチンドン屋と化した、顔面血だらけの金髪の女が風景から浮いていない程度には、所々で始まった喧嘩を囃し立てる顔触れはハジけている。
「今日、何かある日だったの?」
「大体いつもこうだけどね。でも、今日は特別。ヤバい新入りが来たってんで、腕に覚えのある馬鹿が喧嘩を売りにいって返り討ち。これで盛り上がらないわけないよね」
「イカれてるわね」
「そうかなー。もう慣れちゃったけど」
「イカれてるわよ」
 素直な感想から、真剣な指摘に訂正。アナーキーにも程があるわ。手荒な歓迎まで含めて、純粋に歓迎だった?
 でも、私が私のままで受け入れられる場所。ロクでなしの掃き溜め。不思議な場所だ。
「気に入ってもらえたか?」
 女鬼は自慢げに胸を張る。
「落ち着かない。馬鹿騒ぎが嫌になる。あの連中のツラを片っ端からブン殴ってやりたい」
 つまり、妬ましいのだ。
 つまり、眩しいと思ったんだ。
「では、改めて」
 女鬼と少女が、こほんと芝居掛かった咳払い。ふたりで拍子を合わせるよう目で合図をして、揃ってにこりと笑う。すると、薄汚れた地獄に、どうしてか爽やかな風が吹いたような気がしたのだ。
「ようこそ、水橋パルスィさん」
「横行闊歩の地獄の楽園が、あんたのことを、心から歓迎するよ」



 旧地獄の街では、新しい仲間の歓迎会が始まっていた。車座の内側では、早くも無礼講の喧嘩祭りが行われている。酒杯を呷る異形共は、どいつもこいつも吹っ切れたように爽やかな表情。
 今日は珍しく、普段はあまり顔を見せない地霊殿の女主人も出席して、適当な三下の男鬼をブチ転がして椅子にしている。本日の主役の橋姫は、流石に少し戸惑った様子ながら、次第に皆と打ち解けているようだ。歌って踊る蜘蛛娘に、まだ少し控え目な手拍子を。女鬼は下剋上を狙う若い衆を千切っては投げ千切っては投げを繰り返しつつ、女主人と酒の呑み比べ勝負中。動いていてはアルコールの回りも早いだろうに、良いハンデだと嘯いている。もちろん酒は一滴も零していない。
 旧地獄はいつもお祭り騒ぎ。顔面を殴られた男が鼻血の噴水。一気飲みを囃し立てる下品な口笛。みんな笑顔で、みんな楽しい。……馴染めない女の子を除いては、だけど。

 はい、めでたしめでたし。
 旧地獄が、緑色の目をした少女の居場所になりましたとさ。

 やられらたらやり返す“強さ”。
 這い蹲っても、必ず立ち上がる“強さ”。
 立ち上がれないなら這ってでも進み、血が滲むほど拳を握り締める“強さ”。
 泣きたくても、苦しくても、強く奥歯を噛み締めて、天を睨み付けることを決してやめない“強さ”。
 この街では、そういうものが賛美される。強さが正義だ。暴力が至高だ。戦うことが気高い。死ぬまで戦い抜くのだと、己の魂に誓う意思が尊い。殺せ。殺せ。負けるな。戦え。立ち上がれ。毅然として前を向け。歯を食い縛れ。這い蹲ったままでいる者に、居場所は無いぞ。
 強くなくちゃ、生きていけない。
 自分や他人の痛みに鈍感にならないと、やっていけない。

 地底の空に反響するどんちゃん騒ぎが、転んだまま立ち上がれない女の子の泣き声を押し潰す。
 誰も見ていない場所に隠れて、帽子の女の子は泣いていた。女の子はまだ透明ではないのだけれど、誰も、その子のことを見ていない。例えばそう、姉でさえも。
 どうして隠れているかって? 旧地獄のみんなはロクでもないけど、まあそれなりには優しいから。こっち来いよって、言ってくれる。余計なお世話なのにね。
 女の子は、あのズケズケ物を言う乱暴な空気が苦手だった。でもそれを口に出して言ったことは無い。みんなの中にいて孤独を感じるくらいなら、本当にたった独りになってしまえば楽だろうに。

 帽子の女の子は、どうしても旧地獄のみんなと同じようにはできなかったのです。
 グズでも間抜けでもなかったけれど、痛がりで、泣き虫で、みんなよりも少しだけ弱かったのです。

「──最初から、こんな世界に生きていることが間違いだったんだ」

 女の子は当然の気付きを得て、そうすることが当然だと思うことをしました。
 それだけの、お話です。

「簡単に心が折れるようなザコに用は無いってさー。あはははーっ!」

 前作のHurt Scare Painfulには、『ああいう子、わりとどこにでもいるよね?』『でもね、こいしちゃんは貴方の後ろにいるからね?』みたいな抱擁感と救済のメッセージがつまっているので、この話とセットで読んで欲しいのです。
珈琲味のお湯
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気が好みでした
2.100サク_ウマ削除
て、て、天才か???
ミスリードに見事にしてやられました。タグがこいしの日しかない時点で疑ってかかるべきだった……!
お見事でした。何も言えないです。素晴らしかったです。
3.100終身削除
最後まで読んでヒェッ…となりました 本当に綺麗な幕切れでとても良かったです 熱量を持った決意と積み重ねが最後の最後に別の目によって裏返るのがやり切れなくてこいしの絶望的な内側をより一層近くに感じるようで印象に残りました 絶望でした 絶望
4.100名前が無い程度の能力削除
何処までも鬱屈してしまうこいしが良かったです
6.100南条削除
とても面白かったです
素晴らしいのひと言です
これこそ旧地獄だと思いました
7.無評価名前が無い程度の能力削除
前作はあれはあれで、救いだったのかー。多様な笑顔が看れた気がします。