懐かしい夢を見た。
幼い頃の夢だった。
全てが上手くいっていた、そんな時期だった。幸せの絶頂とも言うべき時間だった。
それを思い出して、反吐が出そうになる。
何もかもぶち壊してしまいたい。そんな衝動に駆られる。
こんな世界、クソッタレだ。
私が3歳を迎えた誕生日の日を覚えている。あれはやけに気の早い桜が咲き始めようとその身を紅く染めていた日だった。
両親はその日家に帰ってこなかった。
身重な母が体調を崩して父と共に産婆のもとへ行っていたからだ。
私はその時の父の言葉を覚えている。少し困ったように眉を下げてこちらを伺いながら、ご機嫌を取るように優しく言った言葉だった。
「妹のために独りで留守番してくれるかい? お姉ちゃんになるんだからできるよな、さとり?」
『お姉ちゃんになるんだから』、これが全ての免罪符だった。
お姉ちゃんになるんだから我慢してくれ。
お姉ちゃんになるんだから素直で居てくれ。
……お姉ちゃんになるんだから、独りで居てくれ。
私はそんな両親の要求を甘受していた。だって私は『お姉ちゃんになるんだから』。
幼い私はこれが普通なのだと盲目的に信じ切っていた。姉になるとはそういうものなのだと。
だから一抹の寂しさはあれど別段苦痛ではなかったし、まだ見ぬ妹のためを思えばむしろ誇りですらあった。
否、妹が誇れる姉であろうと思っていた。
否、妹が頼れる姉であろうと思っていた。
否、妹が好める姉であろうと思っていた。
それは私が自身にかけた誓約のようなものでもあった。独りを知ってしまった私が妹にできることは妹を独りにしないということくらいだから。
なれば、私は彼女のことを永遠に愛そう。何が起ころうと、例え天地が返ろうとも、私は彼女を愛そう。世界中から後ろ指を指されることになろうとも、私は、私だけは常に彼女の味方であり続けよう。
それが、誕生日の夜、冷たい闇に膝を抱えた幼い私の静かなる決意の瞬間だった。
「おえーちゃ。おえーちゃ!」
私のシャツの裾を握りしめる小さな影があった。
くしゃくしゃの髪をふわふわと揺らしながらあどけない顔を向ける妹の姿だった。
「どうしたのーこいしー」
「あのえ、おえちゃが咲いてた」
「お姉ちゃん咲いてたの? どこどこ?」
「こっち!」
私はこいしが引っ張る方へと足を運ぶとそこには一面の紫の薔薇が咲き誇っていた。
「ほら、おえちゃ!」
そこは家の裏にある花壇だった。
両親が私の生まれたときに植えた私の髪色そっくりの薔薇。
私の一番好きな場所。
涙が出るかと思った。
「お姉ちゃんの、ために、見つけてくれたの?」
声を震わせながら絞り出すように尋ねる。
「うん!」
屈託のない笑顔。
ああ、この子はなんて優しいんだろう。
こんないい子の姉になれて、私はなんと幸せなんだろう。
「……おえーちゃん?」
気が付くと私はこいしのことを抱きしめていた。
くしゃくしゃの髪も。ふわふわの頬も。華奢な肩も。
全部、全部が愛おしくて。
この子のためだったら何だってしてやろうとすら思えた。
この子が幸せになるためだったら、どんな地獄にだって墜ちてやる。
覚妖怪とは基本的に閉鎖的な集団だ。
心が読めてしまうから不要なコミュニケーションもないし、仮に連絡事項があったとしても束の間に終わってしまう。
だから家族以外と関わりを持つことはあまりない。
とはいえ、それにも例外がある。
それが子供である。
心を読む能力に乏しい子供のうちは他の家の子と遊びながら、心とはどのようなものか学んでいくのだ。
私の妹もそれは同様であった。
「あのね、今日ゆいちゃんがね、『こいしちゃんのお姉ちゃんって綺麗だね』って褒めてくれたんだよ」
嬉々としてそう報告してくるこいしの頭を撫でながら、私は「そう」と相づちを打っていた。
「それでね、こいしも何だか嬉しくなったの!」
「ふふ、ありがとう、こいし」
私の手に顔をこすりつける様にすり寄ってくるこいしをぎゅうと胸に抱きながら、私はぽつりと考えた。
私にも友達が居たら、独りじゃなかったんだろうか。
私の生まれた年は余り子供に恵まれない年だった。
そもそも妊婦の数が少なかったというのもあるが、生まれた子供もすぐに死んでしまい、生き残ったのが私だけだったらしい。
だから同じ年の子なんて居なかったし、年上の子はもうグループを作って遊んでいた。
そんな中に入って行く勇気もなかった私はいつしか家に引きこもって本を読むようになってしまった。
それでも心を読む能力を育むのに支障はなかったし、むしろより緻密に心を読むことができるようになった。
きっと、本を読むことで表現できる言葉が増えたからなんだと思う。
そして、私は自分の心がよくわからなくなってしまった。
こいしとふれあうようになってから、私はようやく、自分が寂しいと感じているのだと知った。
もう、こいしが居ないとおかしくなってしまうのではないかと思う程に依存していた。
だから、こうしてこいしが友達の話を楽しそうに話す度にどこか心の奥底で、いつかこいしが私のもとを離れて行ってしまうのではないかと思って怖くなった。
「……どこにも行かないで。こいし」
きっとこれは、言ってはいけない言葉なんだろう。
姉として、相応しくない言葉なんだろう。
それでも私の胸を突いて出てきた言葉をこいしはいつものような明るい声で、
「こいしはお姉ちゃんのこと大好きだよ」と。
ただそれだけを言って私に抱きついた。
それは、こいしが8歳になるかならないかといった時期のことだった。
基本的に閉鎖的な覚妖怪の集団だが、それでも集団である以上はある程度の社会というものが形成されるものであり、それに伴って色々な問題も発生するらしい。
それは飢饉だった。
農作物をみんなで代わる代わる育てていたのだが、異常なまでの日照りによって全て枯れてしまい、村に残った備蓄の配給によってなんとか生活しなければならない状況になった。
そうなってくると、やはり食い扶持というものは少なければ少ない程いいわけで、私の家からも食い扶持を減らすように通達が来た。
両親は期限まで悩みに悩み続け、泣く泣く家からはこいしを出すことに決めたらしい。
そうとなったのも、こいしの世代は少なからず子供が複数居て、家は世代に1人しかいない私の方を取った方がいいだろうということだ。
私がこいしが生け贄になると知ったのは、こいしが村に捧げられるまさにその日だった。
抵抗されないように、そして本人がそれを知らないように、こいしが連れて行かれたのは夜も更けた丑三つ時の頃だった。
私がなんだか寝付けなくて目を覚ましたときには、もう隣にこいしの姿はなくなっていた。
私はついに妹からも見捨てられてしまったのではないかと怖くなり、家中探したけれど、どこにもこいしの姿は見当たらなかった。
どうして、どうして。そんな自問自答が頭の中をぐるぐると巡る。
それで、居ても立っても居られなくなって家を飛び出した私の目に飛び込んできたのが、隣に住むこいしの友達のゆいちゃんの首を斧が跳ね飛ばす瞬間だった。
「えっ、な、何?」
疑問の言葉もすぐにかき消された。
獲物を探すようにふらふらと動いた斧がぴたりと止まる。
その先には先ほどまで私の隣で寝ていたはずのこいしが居た。
どうなるんだろう。
そんなことわかりきってる。
こいしもまた、さっきみたいに殺されてしまう。
嫌だ。そんなの嫌だ。また、独りになってしまう。
違う。そうじゃない。私が独りになるのは問題じゃない。
それよりも、こいしが。こいしが殺されていいわけがない。こいしが死ぬくらいなら私が死んでやる。
「こいし!!」
力一杯の声で叫んだ。
村中に響き渡る程の大声は、今まさに大切な妹を害さんとする斧の動きを止めてみせた。
そして、村中の大人が私の方へ振り返る。
「あれはどこの子だ」「古明地のとこの」「こいつの姉か」「なんで起きているんだ」
様々な思いが錯綜する中、私は何度でもこいしの名前を呼んでみせた。
こいし。こいし、こいし。こいしこいしこいしこいしこいし。こいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいし。
泣きながらそう連呼する私の足が地を離れた。
両親が私を抱きかかえたのだ。
「なんで!? お父さん、お母さん! なんでこいしが殺されるの!? なんで!?」
両親は私の問いかけに口をぐっと紡いで俯いていた。
「ねえ、答えてよ! どうしてこいしがこんな目に遭わなきゃいけないの!? 私のたった一人の妹よ! こいしを返してよ! こいしのことを幸せにしなきゃ、私立派なお姉ちゃんになれない!」
じたばたと、両親の腕の中から逃げ出そうともがく私を父はより強く掴むと、小さな声で「我慢するんだ、お姉ちゃんなんだから」と、そう苦しげに告げた。
「お姉……ちゃん? 妹が殺されそうになってるのをただ見てるのがお姉ちゃんの仕事なの? ねえ、お父さん、私ね、こいしが生まれる前からずっとお姉ちゃんになろうって思ってたんだよ? なのに、殺されるのをただ黙って見てるのがお姉ちゃんなの? そんなの、嫌だよ。だったら、なんで私を独りにしたの? 私をまた独りにする妹のために、なんで私を独りにしたの? おかしいよ。そんなのおかしい。ねえ、お父さん、なん――」
「いいから大人しくしてなさい!」
父の怒号が耳を突いた。
滅多なことでは怒らない父の、初めての怒号だった。
「いや……だ。いやだ」
「分かってくれ、さとり。これは仕方のないことなんだ」
「わかんない。わかんないよ。なんでこんなことになっちゃうの」
そんな私の疑問に答えることもなく両親が告げた。
「村長、どうか続けてください」
暗がりを照らすたき火が赫赫と燃え盛る中、虚しくその声は響く。
そう言われた老妖怪は一つだけ頷くと、斧を持った男に向かって指図をした。
それで男が斧を持ち直した時だ。
「おねぇちゃん……?」
こいしが寝ぼけた声で私を呼んだ。
斧を持った男が突然起き出したこいしを見て躊躇う。
今しかない。
「こいし避けて!」
「え? ――きゃあ!」
躊躇いからぶれた斧の切っ先は、こいしの首から軸をそらしてザクンと地面を抉る。
よかった……助かった。
私がそう安堵したときだった。
「ああああぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
絶叫が響いた。
甲高いその声はそこに居る全員の不快感を揺さぶるような、そんな悲痛な声だった。
助かったはずのこいしから血が溢れ出ていた。こいしの胸元から溢れる赤い液体はその正反対にこいしの第三の目から血の気を奪って青く染め上げていた。
生け贄が叫びだすという状況を想定していなかったのか、対象が生物らしい反応を示したからか、斧を持った男はおろおろと立ち尽くしてしまっている。
その間にもこいしの叫び声で生け贄の子供達は次々と目を覚ましていく。
もう、生け贄の儀式は誰の目から見ても続行不可能だった。
あれからこいしはまるっきり変わってしまった。
些細な物音にも敏感に反応するようになり、私のことも避けるようになった。
それはこいしが心を読むことができなくなったことから私の心がわからないからだろう。
もしかするとこいしにとっては私もあの惨劇の加害者の様に映っているのかも知れない。でも、それも仕方のないことだろう。いや、事実私も加害者みたいなものだ。
どれだけあの子を守るなんて心に決めていても、結局守ることなんてできなかった。何が姉だ。姉らしいことなんて何一つできてやしないじゃないか。
私は、こいしから全てを奪ってしまった。
私は、こいしから幸せを奪ってしまった。
一体どう償えばいいというのだろう。
お姉ちゃんらしく、彼女のためにこれから何ができるというのだろう。
もう、私は幸せであろうなんて望まない。
何なら一生孤独のままでいい。
だからどうか、誰でもいい。どうかこいしだけは。
あの屈託のない可愛らしい顔で笑う私の大切な妹だけは。
この残酷な世界からすくい上げてくれ。
その為ならば私のこの身を捧げても構わない。
例え、世界に唾を吐くことになろうとも、世界を敵に回すことになろうとも。
あの子が笑って生きられるのなら。
私はどんな戒めでも笑って受けてやろうじゃないか。
こんな、クソッタレな世界なんて、あの子の為ならぶち壊してやる。
幼い頃の夢だった。
全てが上手くいっていた、そんな時期だった。幸せの絶頂とも言うべき時間だった。
それを思い出して、反吐が出そうになる。
何もかもぶち壊してしまいたい。そんな衝動に駆られる。
こんな世界、クソッタレだ。
私が3歳を迎えた誕生日の日を覚えている。あれはやけに気の早い桜が咲き始めようとその身を紅く染めていた日だった。
両親はその日家に帰ってこなかった。
身重な母が体調を崩して父と共に産婆のもとへ行っていたからだ。
私はその時の父の言葉を覚えている。少し困ったように眉を下げてこちらを伺いながら、ご機嫌を取るように優しく言った言葉だった。
「妹のために独りで留守番してくれるかい? お姉ちゃんになるんだからできるよな、さとり?」
『お姉ちゃんになるんだから』、これが全ての免罪符だった。
お姉ちゃんになるんだから我慢してくれ。
お姉ちゃんになるんだから素直で居てくれ。
……お姉ちゃんになるんだから、独りで居てくれ。
私はそんな両親の要求を甘受していた。だって私は『お姉ちゃんになるんだから』。
幼い私はこれが普通なのだと盲目的に信じ切っていた。姉になるとはそういうものなのだと。
だから一抹の寂しさはあれど別段苦痛ではなかったし、まだ見ぬ妹のためを思えばむしろ誇りですらあった。
否、妹が誇れる姉であろうと思っていた。
否、妹が頼れる姉であろうと思っていた。
否、妹が好める姉であろうと思っていた。
それは私が自身にかけた誓約のようなものでもあった。独りを知ってしまった私が妹にできることは妹を独りにしないということくらいだから。
なれば、私は彼女のことを永遠に愛そう。何が起ころうと、例え天地が返ろうとも、私は彼女を愛そう。世界中から後ろ指を指されることになろうとも、私は、私だけは常に彼女の味方であり続けよう。
それが、誕生日の夜、冷たい闇に膝を抱えた幼い私の静かなる決意の瞬間だった。
「おえーちゃ。おえーちゃ!」
私のシャツの裾を握りしめる小さな影があった。
くしゃくしゃの髪をふわふわと揺らしながらあどけない顔を向ける妹の姿だった。
「どうしたのーこいしー」
「あのえ、おえちゃが咲いてた」
「お姉ちゃん咲いてたの? どこどこ?」
「こっち!」
私はこいしが引っ張る方へと足を運ぶとそこには一面の紫の薔薇が咲き誇っていた。
「ほら、おえちゃ!」
そこは家の裏にある花壇だった。
両親が私の生まれたときに植えた私の髪色そっくりの薔薇。
私の一番好きな場所。
涙が出るかと思った。
「お姉ちゃんの、ために、見つけてくれたの?」
声を震わせながら絞り出すように尋ねる。
「うん!」
屈託のない笑顔。
ああ、この子はなんて優しいんだろう。
こんないい子の姉になれて、私はなんと幸せなんだろう。
「……おえーちゃん?」
気が付くと私はこいしのことを抱きしめていた。
くしゃくしゃの髪も。ふわふわの頬も。華奢な肩も。
全部、全部が愛おしくて。
この子のためだったら何だってしてやろうとすら思えた。
この子が幸せになるためだったら、どんな地獄にだって墜ちてやる。
覚妖怪とは基本的に閉鎖的な集団だ。
心が読めてしまうから不要なコミュニケーションもないし、仮に連絡事項があったとしても束の間に終わってしまう。
だから家族以外と関わりを持つことはあまりない。
とはいえ、それにも例外がある。
それが子供である。
心を読む能力に乏しい子供のうちは他の家の子と遊びながら、心とはどのようなものか学んでいくのだ。
私の妹もそれは同様であった。
「あのね、今日ゆいちゃんがね、『こいしちゃんのお姉ちゃんって綺麗だね』って褒めてくれたんだよ」
嬉々としてそう報告してくるこいしの頭を撫でながら、私は「そう」と相づちを打っていた。
「それでね、こいしも何だか嬉しくなったの!」
「ふふ、ありがとう、こいし」
私の手に顔をこすりつける様にすり寄ってくるこいしをぎゅうと胸に抱きながら、私はぽつりと考えた。
私にも友達が居たら、独りじゃなかったんだろうか。
私の生まれた年は余り子供に恵まれない年だった。
そもそも妊婦の数が少なかったというのもあるが、生まれた子供もすぐに死んでしまい、生き残ったのが私だけだったらしい。
だから同じ年の子なんて居なかったし、年上の子はもうグループを作って遊んでいた。
そんな中に入って行く勇気もなかった私はいつしか家に引きこもって本を読むようになってしまった。
それでも心を読む能力を育むのに支障はなかったし、むしろより緻密に心を読むことができるようになった。
きっと、本を読むことで表現できる言葉が増えたからなんだと思う。
そして、私は自分の心がよくわからなくなってしまった。
こいしとふれあうようになってから、私はようやく、自分が寂しいと感じているのだと知った。
もう、こいしが居ないとおかしくなってしまうのではないかと思う程に依存していた。
だから、こうしてこいしが友達の話を楽しそうに話す度にどこか心の奥底で、いつかこいしが私のもとを離れて行ってしまうのではないかと思って怖くなった。
「……どこにも行かないで。こいし」
きっとこれは、言ってはいけない言葉なんだろう。
姉として、相応しくない言葉なんだろう。
それでも私の胸を突いて出てきた言葉をこいしはいつものような明るい声で、
「こいしはお姉ちゃんのこと大好きだよ」と。
ただそれだけを言って私に抱きついた。
それは、こいしが8歳になるかならないかといった時期のことだった。
基本的に閉鎖的な覚妖怪の集団だが、それでも集団である以上はある程度の社会というものが形成されるものであり、それに伴って色々な問題も発生するらしい。
それは飢饉だった。
農作物をみんなで代わる代わる育てていたのだが、異常なまでの日照りによって全て枯れてしまい、村に残った備蓄の配給によってなんとか生活しなければならない状況になった。
そうなってくると、やはり食い扶持というものは少なければ少ない程いいわけで、私の家からも食い扶持を減らすように通達が来た。
両親は期限まで悩みに悩み続け、泣く泣く家からはこいしを出すことに決めたらしい。
そうとなったのも、こいしの世代は少なからず子供が複数居て、家は世代に1人しかいない私の方を取った方がいいだろうということだ。
私がこいしが生け贄になると知ったのは、こいしが村に捧げられるまさにその日だった。
抵抗されないように、そして本人がそれを知らないように、こいしが連れて行かれたのは夜も更けた丑三つ時の頃だった。
私がなんだか寝付けなくて目を覚ましたときには、もう隣にこいしの姿はなくなっていた。
私はついに妹からも見捨てられてしまったのではないかと怖くなり、家中探したけれど、どこにもこいしの姿は見当たらなかった。
どうして、どうして。そんな自問自答が頭の中をぐるぐると巡る。
それで、居ても立っても居られなくなって家を飛び出した私の目に飛び込んできたのが、隣に住むこいしの友達のゆいちゃんの首を斧が跳ね飛ばす瞬間だった。
「えっ、な、何?」
疑問の言葉もすぐにかき消された。
獲物を探すようにふらふらと動いた斧がぴたりと止まる。
その先には先ほどまで私の隣で寝ていたはずのこいしが居た。
どうなるんだろう。
そんなことわかりきってる。
こいしもまた、さっきみたいに殺されてしまう。
嫌だ。そんなの嫌だ。また、独りになってしまう。
違う。そうじゃない。私が独りになるのは問題じゃない。
それよりも、こいしが。こいしが殺されていいわけがない。こいしが死ぬくらいなら私が死んでやる。
「こいし!!」
力一杯の声で叫んだ。
村中に響き渡る程の大声は、今まさに大切な妹を害さんとする斧の動きを止めてみせた。
そして、村中の大人が私の方へ振り返る。
「あれはどこの子だ」「古明地のとこの」「こいつの姉か」「なんで起きているんだ」
様々な思いが錯綜する中、私は何度でもこいしの名前を呼んでみせた。
こいし。こいし、こいし。こいしこいしこいしこいしこいし。こいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいしこいし。
泣きながらそう連呼する私の足が地を離れた。
両親が私を抱きかかえたのだ。
「なんで!? お父さん、お母さん! なんでこいしが殺されるの!? なんで!?」
両親は私の問いかけに口をぐっと紡いで俯いていた。
「ねえ、答えてよ! どうしてこいしがこんな目に遭わなきゃいけないの!? 私のたった一人の妹よ! こいしを返してよ! こいしのことを幸せにしなきゃ、私立派なお姉ちゃんになれない!」
じたばたと、両親の腕の中から逃げ出そうともがく私を父はより強く掴むと、小さな声で「我慢するんだ、お姉ちゃんなんだから」と、そう苦しげに告げた。
「お姉……ちゃん? 妹が殺されそうになってるのをただ見てるのがお姉ちゃんの仕事なの? ねえ、お父さん、私ね、こいしが生まれる前からずっとお姉ちゃんになろうって思ってたんだよ? なのに、殺されるのをただ黙って見てるのがお姉ちゃんなの? そんなの、嫌だよ。だったら、なんで私を独りにしたの? 私をまた独りにする妹のために、なんで私を独りにしたの? おかしいよ。そんなのおかしい。ねえ、お父さん、なん――」
「いいから大人しくしてなさい!」
父の怒号が耳を突いた。
滅多なことでは怒らない父の、初めての怒号だった。
「いや……だ。いやだ」
「分かってくれ、さとり。これは仕方のないことなんだ」
「わかんない。わかんないよ。なんでこんなことになっちゃうの」
そんな私の疑問に答えることもなく両親が告げた。
「村長、どうか続けてください」
暗がりを照らすたき火が赫赫と燃え盛る中、虚しくその声は響く。
そう言われた老妖怪は一つだけ頷くと、斧を持った男に向かって指図をした。
それで男が斧を持ち直した時だ。
「おねぇちゃん……?」
こいしが寝ぼけた声で私を呼んだ。
斧を持った男が突然起き出したこいしを見て躊躇う。
今しかない。
「こいし避けて!」
「え? ――きゃあ!」
躊躇いからぶれた斧の切っ先は、こいしの首から軸をそらしてザクンと地面を抉る。
よかった……助かった。
私がそう安堵したときだった。
「ああああぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
絶叫が響いた。
甲高いその声はそこに居る全員の不快感を揺さぶるような、そんな悲痛な声だった。
助かったはずのこいしから血が溢れ出ていた。こいしの胸元から溢れる赤い液体はその正反対にこいしの第三の目から血の気を奪って青く染め上げていた。
生け贄が叫びだすという状況を想定していなかったのか、対象が生物らしい反応を示したからか、斧を持った男はおろおろと立ち尽くしてしまっている。
その間にもこいしの叫び声で生け贄の子供達は次々と目を覚ましていく。
もう、生け贄の儀式は誰の目から見ても続行不可能だった。
あれからこいしはまるっきり変わってしまった。
些細な物音にも敏感に反応するようになり、私のことも避けるようになった。
それはこいしが心を読むことができなくなったことから私の心がわからないからだろう。
もしかするとこいしにとっては私もあの惨劇の加害者の様に映っているのかも知れない。でも、それも仕方のないことだろう。いや、事実私も加害者みたいなものだ。
どれだけあの子を守るなんて心に決めていても、結局守ることなんてできなかった。何が姉だ。姉らしいことなんて何一つできてやしないじゃないか。
私は、こいしから全てを奪ってしまった。
私は、こいしから幸せを奪ってしまった。
一体どう償えばいいというのだろう。
お姉ちゃんらしく、彼女のためにこれから何ができるというのだろう。
もう、私は幸せであろうなんて望まない。
何なら一生孤独のままでいい。
だからどうか、誰でもいい。どうかこいしだけは。
あの屈託のない可愛らしい顔で笑う私の大切な妹だけは。
この残酷な世界からすくい上げてくれ。
その為ならば私のこの身を捧げても構わない。
例え、世界に唾を吐くことになろうとも、世界を敵に回すことになろうとも。
あの子が笑って生きられるのなら。
私はどんな戒めでも笑って受けてやろうじゃないか。
こんな、クソッタレな世界なんて、あの子の為ならぶち壊してやる。
クソな世界でもこいしのために壊してやろうとするさとりの強さに平伏です。面白かったです!
世界を敵に回すと決めたこの日こそ、さとりがお姉ちゃんになった日なのだと思いました