私は、鬼人正邪にとっての特別じゃない。
今になって改めて、そう思い知らされた。
少し前、この輝針城にはじめて訪ねてきたのが正邪だった。
弱者が見捨てられない楽園を築く。そのために一寸法師の末裔であるあなたの力が必要だ。だなんて綺麗事を並べ立てて、私に助けを求めてきた。その時の正邪の真っ直ぐな眼差しは、今でも鮮明に覚えている。例え忘れたいと願ったとしても、そうそう忘れられるようなものではない。
大きな輝針城にずっとひとりぼっちだった私にとって、突然現れた正邪は一筋の光明も同然だった。あの真っ赤な瞳も、間違いなく今よりは真っ当な理想を映しているように見えた。彼女が腹に抱えていた本心がどうであれ、だ。
思い返せば、正邪の言葉はどれもこれも見え透いた嘘もいいところだった。不自然なくらい雄弁に並べ立てられるのは、聞き心地のいい美辞麗句ばかり。その中のいくつが正しい言葉だっただろうか。
そもそも舌先三寸で世を渡る天邪鬼の言葉を信じること自体が最初から間違っている。馬鹿の考えだ。
そして、その時の私は馬鹿そのものだった。天邪鬼の言葉のすべてを何一つ疑うことなく、ころりと騙されたのだから。
敢えて弁明するなら、そうなってしまった理由はいくつかあった。
傷だらけでひとりぼっちの正邪に、自分との共通点を見出してしまったせいで。
いきなり正義の味方として担ぎ上げられて、舞い上がってしまったせいで。
そして、正邪に一目惚れしてしまったせいで、だ。
隣に居たい。
笑顔が見たい。
好かれたい。
天邪鬼の目的など知らずひたすら盲目的に尽くしていたあの頃は、今まで生きてきた中で一番幸せな時期だったかもしれない。体よく利用されていることなど知らず、ただただ甘ったるい恋心に衝き動かされるまま、ふたりきりで日々を過ごした。いつかやってくるだろう大団円を夢想して、それを実現させるために持ちうるもの、考えつくものすべてを正邪に捧げた。
その時はそれが最高の選択肢だと信じて疑わなかったものの、今にして思えばやはり馬鹿の選択だったと言うほかない。私自身は正邪と対等な関係を築いたつもりでも、正邪からしてみればカモがネギを背負ってきたようなものだ。さぞ御しやすい奴だと思われていただろう。
私が正邪の本心を察せた頃には、既に彼女は輝針城から姿を消していた。騙されていたという事実を受け入れるまで、少しだけ時間がかかった。
正邪は私にたくさんのことを教えてくれた。半ばで潰えた下剋上の副産物とはいえ、輝針城を覆っていた分厚い雲を取り払って、城の外にも更に世界が広がっていることを教えてくれた。城の外、幻想郷では霊夢や魔理沙たちと改めて出会えて、数え切れないくらいたくさんの友達ができた。
もしも正邪が私を見つけてくれなかったとしたら、手を差し伸べてくれなかったとしたら。私はなにも知ることもなく、誰からも気付かれることもなく、ずっとひとりぼっちのままだっただろう。全部が全部、元を辿れば正邪ただひとりのおかげだった。
正邪がいたから、今の私がある。
それだけは絶対に間違いじゃない。
だからこそ、正邪に裏切られて見捨てられたことが悲しくて、悔しくて、許せなかった。ずっと募らせていた想いがひっくり返って、憎さのあまり殺してやりたいとすら思った。
事実、正邪の目撃情報が入るや否や、どんな手を使ってでも正邪を討伐しろと幻想郷中に触れ回ったのは私だ。そして私自身も討伐に加担した。
非力な正邪に対して高額な報奨金を出したのが功を奏したのか、それとも正邪の存在が本当に危険だと判断されたのか。理由はどうあれ、予想を遙かに上回る規模の天邪鬼包囲網が瞬く間に作り上げられた。たかだか小妖怪ひとりを相手取るのに、いささか過剰すぎるくらいだった。
これならもう負ける気がしない、と。同じ目的の下に集う強者たちを見て、私はそう確信していた。今にして思えば、正邪が言っていた『弱者を虐げる強者』の側についていた訳だが、少なくともその時は特に気にしてもいなかった。
正邪はしぶとかった。誰からの協力も得られない危機の渦中に居ながらして、追っ手たちを退け、時には打ち倒し、ひたすらに逃げ回っていた。連日のように誰かが正邪と交戦するものの、誰ひとりとして止めることができずにいた。
非力な天邪鬼が幻想郷中の強者たちを相手取って尚、強豪さながらの大立ち回りをやってのけたという事実は、にわかには信じられなかった。少なくとも私自身がもう一度、正邪と相対するまでは。
正邪は、自身が置かれた逆境を楽しんでいた。どうにも目の前にひっくり返すべき事柄が存在していることそのものが、彼女の原動力である反骨精神を煽るらしかった。
私がいくら剣を振り回そうが、そこに正邪への明確な敵意が宿っている以上、正邪には届かなかった。あざ笑われながら軽くあしらわれて、あっという間に逃げられてしまった。気持ちを踏み躙る対応に、ひどく腹を立てていたことを覚えている。
ただ、そこからしばらくはあまり記憶にない。というか、あまり思い出したくはない。正邪という一個人が危険視されなくなって、皆が正邪から興味をなくして、指名手配も実質的に形骸化した後でも、私だけは正邪を追っていた。ずっと逃げ続ける正邪を追いかけて、駄々をこねて、食らいつき続けた。正邪からはきっと惨めで格好悪く見えていただろうと思う。
そこまでして正邪ひとりに拘り続ける理由が恋心なのか、憎らしさなのか、私自身にはもう判別がつかなかった。どっちでもあって、どっちでもない、ぐちゃぐちゃの感情を原動力にして正邪を追い続けた。
そして、その末。
私は正邪の隣にいる。
この世界で唯一、天邪鬼の隣に居座ることができている。
ふたりで輝針城に住んでいる。同じ釜の飯を食べている。ふたりで出掛けもする。正邪の下剋上に加担することもある。逆に私が正邪に下剋上のネタを提案することもある。周囲からはもうすっかり『正邪と針妙丸』はワンセットとして扱われている。
隣に居たい。
笑顔が見たい。
願ったみっつの願いのうち、ふたつは間違いなく叶っていた。打ち出の小槌で無理矢理に叶えたものではない、私自身が歩き続けた末の、そして何より、他でもない正邪が私を受け入れてくれたが故の結果だ。正邪との馴れ初め、そこからどん底まで関係が冷え込んでいたことを考えれば、奇跡と言っても言い過ぎなどではないと思う。間違いなく幸せだ。
ただ、一度幸せを知ってしまえば、次からはもうそれだけでは満たされなくなる。私のご先祖様が身の丈不相応な大きくて立派な城を願ったのと同じように、私も正邪にその次を求めずにはいられなくなった。ましてや私が願った最後のひとつは、未だ叶ってはいないのだから。
鬼人正邪に好かれたい。
天邪鬼に、好かれたい。
そう改めて願い、正邪と接するようになってひとつ、気付かされたことがある。むしろ、今まで気付いていないふりをしてずっと目を背けていた、というのが正確なところなのかもしれない。
出会って、別れて、もう一度手を組んだ。
そうした経緯を経て、正邪との距離が縮まったのは間違いない、と私は思っている。
それでも、そうやって強引に正邪に近づいたからこそ、私と彼女を分かつ決定的な溝が、根本的な認識の差異が存在することに、なかなか気付けなかった。それらを今一度、正邪と向き合っていく中で真正面から受け止めることになった。
正邪は、最初からずっと下剋上だけを、『今をひっくり返すこと』だけを見据えている。
だから正邪は、私を見てはいない。
私は、正邪にとっての特別じゃない。
注意していれば正邪の態度の節々から、些細な言い回しの積み重ねから、そうした本心を読み取ることは難しい話ではなかった。私は無二の相棒や友達などではなく、ましてや恋人でもない、都合のいい道具として見られている。共に過ごして関係が進展したと思っているのは私だけで、正邪からすれば異変を起こす前から何一つとして変わっていないのかもしれない。いくら乱暴に扱っても壊れず、それどころか自身の手元に戻ってくる道具など、便利以外の何物でもないからだ。
天邪鬼は決して仲間を作ることができない、と。
誰が言ったのか、何処で聞いたのかさえも定かではない言葉が、心の隅に刺さったまま抜けずにいる。もしかしたら誰もそんなことは言っていなくて、私が予防線として無意識に考え出した妄言なのかもしれない。
それでも、こうしてひとりきりで考えていると、その言葉がどうしようもなく正しいことのような気がしてならなくなる。
「・・・・・・」
くぅ、くぅ、と。
耳をよく澄まさなければ聞こえないほど小さな寝息が、静かな寝室に吐き出されては消えていく。
当然、正邪のものだ。
人がこれだけ悶々と悩んでいるというのに、当の正邪ときたら随分と心地よさそうに眠りこけている。日中のいかにも悪者ぶった目つきは、すっかりなりを潜めていた。
仄かな月明かりに照らされているせいか、今の正邪の顔は昼間のそれよりも少しだけ綺麗に見えた。そもそも正邪はよく見るとなかなかどうして整った顔をしているのだが、本人に直接伝えるとものすごくヘソを曲げるので黙っている。
この寝顔を独り占めできるのは私だけという事実は、現状の不満や悩みを少なからず和らげてくれた。頬が少しだけ、熱くなるのを感じた。
それでも、正邪はこれ以上を決して許してくれない。彼女は眠っている間でも警戒していて、物音に対しては特に敏感だった。理由はいくらでも想像がつく。彼女は嫌われ者の天邪鬼なのだから。
以前、眠っている正邪の頬に触れて、ひどく怒られたことを覚えている。正邪に言わせれば他人からべたべた触られるのは我慢ならないらしい。正邪にとって、同じ屋根の下に住んでいようが私はあくまでも他人でしかないというのだ。
そう言われて初めて『天邪鬼、鬼人正邪から好かれること』がどれほどの無理難題なのか、ということを突きつけられた。
「ふぁああ・・・・・・」
正邪の枕元でずっと考え事をしていたせいで、もう随分と夜も更けてしまっていた。
堪えきれず口から零れてしまった欠伸と声は、幸いにして眠る正邪を起こすようなものではなかった。
瞼ももう、重い。
この夜更かしのせいで早起きできないだろうな、と考えながら正邪の気持ちよさそうな寝顔を見ていると、少し恨めしくなる。
今は眠っている正邪も、朝になればまた気分の赴くまま出掛けるのだろう。眠っている私を気遣ってくれているのか、それとも歯牙にもかけられていないのか、十中八九後者だと思うが、私に対して行ってきますの一言さえ残していった試しもない。
世間的に私たちはすっかりコンビ扱いされているとはいえ、実態としては私が正邪についていく場合がほとんどだった。城からふらりと消えてしまう正邪を見逃したが最後、少なくともその日は正邪を追いかけて同行するのは不可能だと断言できる。何せ正邪が成し遂げたいという下剋上の内容はどれもこれもが突飛で、傾向などというものは一切存在しない。ましてやその行き先を推測して後追いしようというのは無理難題もいいところだ。
肝心の目的も直近のものを挙げれば、命蓮寺の本尊を横倒しにして足蹴にしようとしたり、妖怪の山の頂を爆破して標高を変えてやろうとしたり、といった具合だ。大抵の場合どれもこれも妙にスケールが大きいのだが、山彦に成り代わって叫んでみたり、突然人里にやってきて子守を始めてみたりなど、時々下克上と呼べるかどうかも怪しいものが混ざるのは本気で意味が分からないのであまり深く考えないようにしている。
内容はともかくとして、そうして下剋上を成しに出ていった数日後、早ければその日のうちに帰ってくるのがお決まりのパターンだった。肝心なところで詰めが甘いのか、目標が高すぎて足下をすくわれているのか、出しゃばった結果『出る杭』として打ち据えられているのか、まさかとは思うが成し遂げた下剋上を自らひっくり返しておじゃんにしているのか。真相はどうあれ、正邪の下剋上が成功で終わった試しはひとつとしてなかった。成功したらしたで大問題になるようなものばかりなのでおいそれと成し遂げられても大変なのだけれど。
転べば怪我をする。それは天邪鬼でも同じだった。
下剋上に失敗した(本人は決して認めないが)正邪は、大抵の場合傷だらけで輝針城に戻ってくる。怪我の程度は日によってまちまちで、よほど相手の神経を逆撫でて逆上されて下手を打ったんだな、というのが一目でわかるほどボロボロのときもある。
それでもやっぱり飛び抜けて悪運が強いのか、毎回ちゃんと生きて帰ってくる。その上怪我の程度が酷ければ酷いほど、反比例するように清々しい表情を浮かべて幸せそうにしているので、もう呆れてしまった。嫌われるのが天邪鬼の本懐だというのは解っているが、ここまで極端に表明されるといくら何でもちょっと引いてしまう。怪我の方は腐っても妖怪の端くれと言うべきなのか、ご飯を食べて眠れば翌朝には治っているので逐一心配してやるのもあほらしくなった。そのうち手とか足とか頭とかをもがれて帰ってきてもすんなり受け入れてしまえそうな気がする。
怪我が治った正邪はまた城を飛び出して、やっぱり傷だらけで帰ってくる。毎回手を替え品を替えで喧嘩を売る相手も取っ替え引っ替えだったものの、結果だけはいつも同じだった。
世界をひっくり返す、と。
冗談なのか本気なのかも判らないような決まり文句を口にして、傍目には挑戦と呼ぶことさえも馬鹿馬鹿しくなるような無謀を繰り返している。
正邪の『ひっくり返す』ことに対する取り組み方と熱量は正直、彼女の種族を加味した上でも常軌を逸している。狂っている、と言っても語弊はないんじゃないかと思う。
正邪は本当に愚かで、自己中心的で、度し難くて。
そして、真っ直ぐだ。
天邪鬼はつむじ曲がりだ、と皆から往々にして評される。その認識こそは決して間違いではないものの、それだけで正邪という存在をすべて理解した気になられるのは正直、浅はかが過ぎると思う。
私にはわかる。
私にだけはわかる。
鬼人正邪のことを考え続けてきた、私にだけは解る。
正邪はひねくれ者でつむじ曲がりで。
そして、それ以上に真っ直ぐな天邪鬼だ。
嫌われることを糧とする天邪鬼は、生きてゆくため必然的に周囲との軋轢を生み出さざるを得ない。正邪もその例に漏れず、嫌われることは大歓迎だと公言している。しかし、彼女に喧嘩を売られる者たちからすれば、はいそうですかじゃあ被害を被っても仕方ないですね、と納得できる話ではないだろう。腕は立たないくせに口先だけはよく回る小悪党に罵倒され続けるくらいなら、いっそ二度と口をきけないほど『懲らしめて』やった方が解決の手段としては簡単で、話が早い。
正邪以外の天邪鬼をほとんど見かけないのは、そうした理由が大きいのだと思っている。喧嘩を売る相手を間違えた身の程知らずは、得てして強者に叩き潰されるからだ。逆に保身を最優先する身の丈をわきまえた天邪鬼は、周囲との軋轢に磨り潰され、天邪鬼としての尊厳を保つことができなくなる。天邪鬼という種族はこの世界で生きていくに際して、大きな枷を背負わされた紛れもない弱者なのだと私は思う。
そして、正邪は身の程知らずでもなければ、身の丈をわきまえてもいない。
右と言えば左。
イエスと言えばノー。
常に他者の逆を張り、反逆のための反逆を行う彼女の在り方は極めて刹那的で、天邪鬼らしくて、シンプルだった。見ようによっては理想論者的でもあり、そこだけをピックアップすれば素直であるとさえ断言できる。
かといって正邪が無鉄砲な反逆一点張りかといえば、違う。彼女は自分自身が飛び抜けた実力を持たないことを自覚しているためか、引き際というものを弁えている。故に彼女は嫌われ者の天邪鬼でありながら、いつの間にかこの世界に嫌われ者なりに溶け込んでいる。
決してアイデンティティを曲げることなく、逆風に晒されて折れてしまうこともない鬼人正邪を真っ直ぐだと言わずして、何を真っ直ぐというのだろうか。少なくとも私は、正邪よりも真っ直ぐに生きているひとを見たことがない。抱えた動機がどうであれ、成そうとしている下剋上がどういったものであれ、彼女が自分に正直に生きていることには変わりない。
きっと私は、正邪のそういうところに魅せられて、惹かれてしまったんだと思う。
だから、もしも。
もしも、私の最後の願いが叶ったとしたら。
片想いが両想いになって、正邪が本心から振り向いてくれるとしたら。
触れることを、許してくれるのなら。
私はそれらを、きっと手放しに喜ぶことができないんじゃないかと思う。
おかしな考えというのはわかっている。正邪に対して勝手な幻想を押しつけているのだから。
それでも、正邪には私の思い通りにはなってほしくない。何にも、誰にも囚われず、ひとりの天邪鬼として立ち止まらずに歩き続けてほしい。
ルールがあれば、自身の歩く道を妨げる壁があれば、それをぶち壊すのが天邪鬼なのだから。
「・・・・・・・・・・・・」
だから。
だから、立ち止まるなんて絶対に許さない。
このまま何も大きな下剋上を為し得ないまま、中途半端な小物妖怪のまま生きていくなんて許さない。
誰かに目移りするあまり、本懐を忘れて立ち止まるなんて許さない。
そして、私も正直に生きる。
正邪と同じように、真っ直ぐに生きる。
正邪が私を道具として扱ってまで下剋上を果たそうとしたように、私も正邪を振り向かせるためなら手段を選ばない。なんだってやってやる。
これも全部、正邪の教えてくれたことなのだから。
ある種の因果応報だ。
「・・・・・・ははっ」
思わず、笑みが漏れた。
嫌われることを至上の喜びとする鬼人正邪。かつて彼女に騙された私が、彼女から学び取った在り方を以て、ずっと募らせていた好意を伝えること。
もちろん正邪は嫌がるだろうけど、これは告白であると同時に復讐でもあって、そして何より私、少名針妙丸にとっての下剋上に他ならない。
そう考えると、自然と口角が上がってしまう。
正邪もきっとこういう愉悦感に浸っていたのだと思うと、同じ域まで至ることができたのが嬉しかった。
「う、うぅ・・・・・・」
正邪が突然、眉根に皺を寄せて苦しみだした。
とても苦しそうな声を上げながら、もぞもぞと身体を捩っている。両手はまるで溺れているかのように、正邪自身の目の前で宙を掻き続けている。
正邪はここ最近、よく悪夢にうなされている。少なくとも私が寝顔を見ている日は必ずだ。逃亡生活で何か酷いトラウマでも抱えてしまったのだと思うけれど、翌朝に聞いても答えてくれないどころか物凄い形相で睨み返されるので、私には正邪を悩ませている原因がてんでわからない。
ただ、なんとなく推測はつく。
正邪は束縛されることをとても嫌うから、きっと何かに追いかけられるような、或いは囚われるような悪夢を見ているのだろう。
夢の話だから、私にはどうしてやることもできない。
せいぜい、こうやって寝る間も惜しんで枕元で正邪の顔をずっと見守ってやるくらいだ。
それでも、正邪は一向によくならない。
それどころか悪化している気がする。
かわいそうに。
お前の正邪 終
性癖の煮凝りでした。全力投球で良いと思います。楽しめました。
正邪のことが好きすぎる針妙丸が素晴らしかったです
まさしく最高の理解者でした