晴天の空の下、赤暗い夕陽が人里を照らしていた。
日の入りを前に急いで家へと戻る子どもの姿もあれば、快活に暖簾を掲げる飲み屋の主人の姿もある。かと思えば、己の子の名を呼ぶ、慌てた様子の母親の姿も見えた。
どこか騒がしく、どこか物寂しい。光と闇が入れ替わり、夜が降りてくる時間。
いつもと変わらない空気が、人里に流れていた。
動きの絶えない逢魔が時の最中、例外と言える静かな場所がある。
人里の入り口となる、大きな門だった。
妖怪の時間となる夜に、外に出ようとする者はいない。外に出掛けていた者も、この時間には里に戻ってきているのが通例だ。
しかしそんな場所に、一つの姿がある。
飴色の髪を小さな鈴で留めた、小柄な少女の姿だった。
夕陽に照らされた髪は、燃えるような美しさを持っていた。
その少女は、暇を持て余すように小石を蹴ると、
「もー。迎えの人、まだかなー」
と、そう言った。
◆◆◆
「こんな時間にお出かけなんて、悪いことしてるみたいねえ」
言いつつ、しかし小鈴は思う。今日は霊夢さんにお呼ばれしているんだから、悪いことじゃないよねと。
そのきっかけは昨日、親友である阿求と会話したことだった。近日開かれるお祭りの打ち合わせに、阿求が神社へと行くと聞いたのだ。
そして合わせて聞き出したのが、夜に催される宴会に阿求が参加することだった。
「ふっふっふ、阿求が口を滑らした時の顔といったらもう。阿求じゃないけど、暫くは忘れられないわ」
折角『こっち側』になったのだから、そのような催しには積極的に参加していきたいところだ。例え阿求がこちらの身を案じていることがわかっているとしても、やはり好奇心は抑え切れないのだから。
最近は阿求も何かと忙しく、里中だけでもやることが多いらしい。子どもが行方不明になっただとか、鼠の被害が増えてきただとかで、稗田家に相談が来ることも多いのだとか。
そんな中で阿求が宴会に出るとは意外だったが、恐らくは霊夢達の気遣いだろう。そんな中に自分が飛び込んでいくのは少しばかり気が引けなくもない。
とはいえ、
……阿求から使いを出すって言ってくれたんだから、嫌とは思われていないはずよね。
自分も宴会に参加したい旨を阿求に伝えると、こう提案された。祭りの打ち合わせは昼から。ならばあんたは夜から参加した方が良いんじゃない、と。
そう言われたのが昨日のこと。適当に迎えをお願いするから、夕方門の前で待っていてとの指定付きで、だ。
もっとも、誰が迎えに来るかは聞いていない。一番に思い浮かぶのは魔理沙であるが、人間に限らずマミゾウか誰かかもしれない。
小鈴としては、知らない誰かでもいいと思う。自分の知らない世界との交流こそが、一番の望みなのだから。
「レミリアさんと咲夜さんだっけ? あの紅霧異変を起こした人たちって言うし、もっと話してみたいのよねー。後は亡霊のお姫様とも話してみたいし、竹藪のお医者さんとも……」
誰もこれも、霊夢からは気を付けなさいと言われているのだけど。
やはり小鈴は、自分の好奇心にはかなわないのだった。
――と、
「あなた、なにしてるの?」
「え?」
「こんな時間にこんなところに居るなんて。巫女や魔法使いの同族?」
赤い逆光の中、話しかけてきたのは金髪の少女だった。
白のシャツに黒のスカート。金髪とおぼしき短髪は、今は自分と同じ赤色に染まっていた。
光の中に合って浮き上がるその姿を、小鈴はこう思った。
まるで、闇みたいねと。
「ええと、霊夢さんと魔理沙さんのこと?」
「そうそう。あの二人みたいに、あんたも変な人間?」
「へ、変な人間じゃないわよ。ああでも霊夢さんや魔理沙さんみたいって言われるのは嬉しいかも?」
「じゃあ、やっぱり変な人間ってことねー」
何がおかしいのか、楽しいのか。彼女は両手を広げて、くるくると夕陽の中で回っていた。笑いながら、踊るように。
ぽかんと口を開けていた小鈴は、暫くしてからはたと気がつく。
「もしかして、貴方が神社まで送って行ってくれるの?」
「んー? まあ、確かに今から神社に行こうかなあと思っていたけど」
「なあんだ、それならそうと早く言ってくれればいいのにー」
……おかしな人だけど、霊夢さんの知り合いってそういう人ばっかりだしなあ。
自分がおかしい人だと言われたばかりにもかかわらず、小鈴は内心でそうごちる。
「どうしようかと思ってたけど……ま、いっか。あなた、おもしろそうだし」
彼女は手を広げるのをやめて、おしゃまに後ろで手を組んで、
「私の名前はルーミア。短い間だとは思うけど――よろしくね」
そう、言った。
いつの間にか夕日は沈んで、周りは昏くなっている。
「へえ、あんた貸本屋なんて珍しいことやってるのね」
「あんたじゃなくて小鈴。本居小鈴よ」
「ふうん。貸本屋って楽しいの?」
「最高の仕事と私は思ってるわ。最近は妖怪のお客さんも多いしね」
「妖怪が来るのが嬉しいの? 私も妖怪だけど」
「嬉しいし、楽しいわよ。というかあなた、妖怪だったのね」
「妖怪じゃなかったらなんだと思ってたの?」
「だってルーミアってほわほわしてるから、まるで人間の子どもみたいだなって」
「私が人間みたい、ねー」
薄暗闇の中、小鈴とルーミアは博霊神社へ歩みを進めていた。
家から持ってきた提灯だけが灯りの頼りだが、ルーミアは必要としていないらしい。
「ほんとに暗くても大丈夫なの? もう暗いから足元気を付けてね」
「あんた優しいのねー。大丈夫大丈夫」
本人の言う通り、足取りは軽い。それどころか、暗さにも、二人ぼっちなことにも、心細さを覚えていないようだった。
提灯に照らされ、闇に浮かぶその顔には、にやにやと笑いが浮かんでいる。
……本当に変わった子。
「あのさ、ルーミアはなんであんなところにいたの? 妖怪は里に入っちゃ駄目なのに」
「その台詞、妖怪のお客さんが来るのを喜んでた人の言葉とは思えないわ」
「まあまあ、それはそれということで」
小鈴の言葉に、ルーミアは僅かに眉尻を下げる。
「んーまあ、なんとなくかな。私人間好きだし、たまには姿を見たくなるのよねー」
「そうなんだ」
妖怪が人間を好きとは、どういう意味でだろうか。
友人としてなのか、利用価値のある対象としてなのか、保護の対象としてなのか、はたまた――食料としてなのか。
……そもそもルーミアって、何の妖怪なのかな。
相変わらず笑い続けているルーミアを見ながら、小鈴は疑問した。
少し話してみたところ、悪い人には――妖怪には見えない。本性を隠しているようにも思えなかった。
……マミゾウさんや文さんみたいに、裏があるタイプじゃないよねーたぶん。
「ねえねえ、ルーミアは何の妖怪なの?」
「私? うーん、何の妖怪なんだろう」
「なにそれ」
「一応宵闇の妖怪ということになってるけど」
「宵闇……」
どことなくかっこいい気がするが、確かにピンと来ない答えだ。
紅い館の主人が吸血鬼であるように、変化の得意な知り合いは化け狸なように、妖怪と言っても種族というものがあるのではないか。
……まあでも。
「紫さんだって何かの妖怪ってわけじゃないし、そういうものなのかな」
「紫って、たまに宴会に来てる胡散臭い奴? 知り合い多いわねーあんた」
「うーん、でももっと妖怪の知り合いを増やしたいのよね。あ、それに私のことは小鈴って呼んでってば。さっきも言わなかったっけ?」
「わかったわかった」
本当にわかっているのか、呆けた笑顔でルーミアは頷く。
どことなく掴みどころのない彼女であるが、こちらと話すのが苦ではなさそうなのは幸いだ。
色んな妖怪と話して、世界を広げることこそ、小鈴の目的なのだから。
……もっとルーミアの話を聞いてみたいけど……。
「ルーミア、何か面白い話無い?」
「うわー、宴会でのフリみたいな唐突な台詞」
「いいからいいから」
「そうねえ」
そう言ったルーミアは、どうしてか悩んでいるようだった。
何を話そうか、という風ではない。
何か頭の中にある話題を、話してもいいだろうかという様子だと、小鈴は感じた。
「何か悩んでる? 私なら、妖怪らしい怖い話でも大丈夫だけど」
「……小鈴って、本当に変わってるわねえ」
じゃあいいか、とルーミアは言った。
小鈴にはその表情が、笑顔から別の表情に切り替わったように思えた。
●
この間食べた、おいしいものの話なんてどう?
おいしいもの?
うん。昔からの大好物だったんだけど、最近食べられなくてねー。
へえ。
いろいろ考えて食べてなかったんだけど、偶然手に入って。
妖怪も我慢することがあるのね。
別に我慢してたわけじゃないんだけど。
そうなんだ。
あれはやることもなくて、家でごろごろしてたときのことでね。
家、あるんだ。
小さな家だけどね。それで……。
うんうん。
コンコンって音が聞こえて、初めは気のせいかなあって思ってたんだけど。
気のせいじゃなかったの?
その後何度も聞こえてね。
ふうん。
でも、だんだん弱くなっていって、次第に消えちゃったの。
それで?
暫くは放っておいたんだけど、耳を澄ましたら聞こえたのよ。
な、何が?
カリ、カリ、って家の扉を引っ掻く音が。
…………。
さすがに私も気になって、外に出てみたのよね。そうしたら――
そう、したら?
――そこに居たのよ、おいしいものが。
●
そう言って、ルーミアは黙ってしまった。
先ほどまで見えていたはずの表情は、どうしてかぼやけて見えなかった。
どことなく、提灯の光も霞んで見える。
「…………」
そう見えるのも無理はなかった。気が付けば日は完全に姿を消して、空に光となるものは何もなかった。月さえも。
儚げに瞬く星は、小鈴にとって何の慰めにもならなかった。
……ちょ、ちょっと。
「ね、ねえ。それでどうなったの?」
どうして目の前の妖怪は黙っているのか。そもそも、
「この話って、おいしいものの話だったわよね……?」
「そうだよ」
短く、肯定が返る。
「じゃあ兎とか、猪とかだったの……? もしかして、野鳥だったり……?」
「わかってるくせに」
「え」
言って、ルーミアの顔が上がる。
笑っていた。口の端を上げ、白い歯を覗かせながら。
だけどその目は、笑っていなかった。
……まって。
「まって、まって」
「なにが?」
「なにがって、その」
「ねえどうしたの? 顔が真っ青よ」
言って、ルーミアが手を重ねてくる。提灯を持った小鈴の右手へと手を伸ばして、
「ほら、そんな顔しないで? ――ふっ」
「あ――」
耳元で息を吹きかけられて、身体が震えた。
しかしそんなことよりも、問題があった。
消えたのだ。提灯の光が。
「――なんで」
「落ち着いて落ち着いて。おかしいことじゃないわ、私が消しただけだもん」
そう言われても、何も落ち着けなかった。
今すぐにでも叫び声をあげて、走り出してしまいそうだった。
でもそれもできなかった。なぜなら、ルーミアが小鈴の腰に手を回して身体を抑え込んでいたのだから。
「小鈴、震えてるね。寒いの?」
「あ……そ、その……」
「声が震えてるわね。かわいそう」
「ね、ねえ。冗談よね……? あなた、阿求の使いなのよね……?」
「阿求? 誰だっけ、それ」
小鈴の息が、止まった。
「……さっきの話の続き、聴いてほしいんだけど」
小鈴に選択権はなかった。
耳元で囁かれる声は、息が漏れるような音にもかかわらず、はっきりと聞こえた。
「私が扉をあけるとね、そこに居たのよとっておきの御馳走が」
ルーミアの右手に力がこもって、提灯を握る小鈴の手が固く強張る。
後ろから手を回されている小鈴は、どうすることもできなかった。
「そ、その、とっておきのご馳走って、なに?」
「それは、ね」
つ、と。小鈴の耳に、冷たい感触が走った。
ちゅぱ、と。小さな水音が鼓膜を震わす。
それがどう意味かを悟るより早く、ルーミアはこう言った。
「――女の子だったの。あんたより、五つは年下だったかな」
「――ぁ」
「おいしかったわ」
心臓が高鳴っている。
それなのに血が巡っている感覚がしない。
ただただ、どこまでも寒気が走った。
「ねえ」
だめだ。
「あなたは、食べてもいいの?」
――もはや返事はできなかった。
鼓動も、熱も感触もなにもかもが遠ざかっていく。
いつの間にか星空さえも視界から消えていた。
全ての五感の消失を――気絶していることを悟った小鈴が最後に聞いたのは、
「ふふ、ご馳走様」
と、そんな台詞だった。
ぱちぱちぱちぱち。
弾けるような、跳ねるような、空気を叩く軽い音が耳に届く。
焚火の音だ、と脳が認識する頃には、肌も熱を感じていた。
まどろみの中で記憶が想起して、
……確か私は、神社に行くために待ち合わせをして、そうしたら金髪の妖怪に会って、一緒に歩いて、そしたら――。
…………!
「――わあぁ! 食べないで! 焼かないで!」
「あ、やっと起きた」
「へ?」
勢いのまま身を起こすと、そこは宴会場だった。
右手には大鍋と、その下にぱちぱちと音を立てる炎があって。
左手には宴会の参加者。その奥には木々が並び、風情ある葉桜をその枝に付けている。
そして振り返ったその先には、
「阿求、どうしてここに?」
「あんたねえ、何も覚えてないわけ?」
「え?」
見れば阿求は足を崩して、平たく座り込んでいる。状況からして、先ほどまで膝枕をしてくれていたのだろう。
もう少し寝ていれば良かったかな、と小鈴は思った。怒られそうなので、口には出さなかったが。
「まったく、使いを待たずに一人で来ようとするからそうなるのよ。夜道を歩いただけで気絶するって、今日日子どもでもしないわよ」
「え、いやだって、それは……」
「ま、儂は気にしてないがの。折角夜道のデートとしゃれこめると思ったんじゃが」
「あ、マミゾウさん」
顔を上げると、二ツ岩マミゾウその人がこちらを覗き込んでいた。
彼女は悪げなく笑って、
「それより、お前さんを拾ってここまで運んでくれた彼奴にお礼を言うんじゃな」
「え? 彼奴、って……」
「今は霊夢さんに話があるとかで、神社のほうに。……ほら、帰って来たわ」
阿求が視線をやったその先には、二つの姿があった。
霊夢と、ルーミアだった。
「あ、起きてる。小鈴ちゃん、もう大丈夫なの?」
「え、あ、はい。あの、それよりそっちは――」
「私はルーミア。初めまして。私があんたを運んできたのよ?」
「――――」
間違いなかった。
里の前で出会って、一緒に闇の中を歩いて、私を襲おうとした――或いは襲った妖怪。
そのはずなのに、どうしてか彼女は、何もなかったかのように振る舞っていた。
「ねえ、ルーミア、貴方」
「なに? あ、お礼ならいいよ。私もいい体験ができたから……ね?」
「ん、なんじゃ。何かあったのか」
「ううん。久々に宴会に出てみたかったから、たまたまこの子を拾えてよかったなってだけ」
「ほーう……」
マミゾウはどこか納得がいかなかったようだったが、それだけ言うと黙ってしまう。
縋るように霊夢の方を向けば、
「あー、なんか気分が悪いから夜風に当たってくるわ。二人とも、後は適当にやってて」
「れ、霊夢さん」
「あー、じゃあ私も一緒にいくー」
「……ま、別にいいけど。邪魔しないでよね」
「わー、霊夢と一緒なのも懐かしいねー」
「親し気にされても困るんだけど」
そう言って、何も言わずに夜空へと立ち去ってしまった。
……もう、何が何だか。
「小鈴、本当に大丈夫?」
「お腹もすいとるじゃろ。儂が適当によそってくるぞい」
「ど、どうも」
二人に本当のことを話すべきだろうか。
しかし、何から話したらよいのだろう。伝えたところで、あの妖怪がこんな意味のないことをしたなんて、信じてくれるのだろうか。
「ねえ阿求、実は……」
「あんたが気絶したことならもういいわよ。それとも、もう少し寝る?」
ぽんぽん、と阿求が自分の膝を叩く。
魅力的なお誘いであったが、今はそれどころではなかった。
「いや、大丈夫。それよりも――」
「何?」
「……ううん。なんでもない」
小鈴には、言ってどうにかなるとは思えなかった。
霊夢とルーミアは知り合いなようであるし、本当のことを言ったところで何も変わらないだろう。
たぶんあの妖怪は人を驚かすのが好きなだけだ。人里の人間を襲ったという事実は都合が悪いので、無かったことにしたに違いない。
幻想郷と妖怪の関係は、小鈴にもわかっている。だから、このことは心の中にしまって置けばよいのだ。
……泣き寝入りと、言えなくもないけれど。
「ほれ、取って来たぞい」
「あ、有難う御座います」
器を手にして、小鈴は心が落ち着きを取り戻すのを感じた。
信頼できる二人が傍に居るからだろうか。少なくとも今、安全は確保されているからだろうか。
どちらにせよ、二人には感謝である。
……あれ。
「そう言えば霊夢さん、ちょっとおかしなことを言っていたような……」
少しばかりの違和感を覚えたけれど。
暖かいご飯と、普段飲まないようなお酒を口にして、その時は全てを忘れてしまったのだった。
その日は、明るい夜だった。
あれから少しの時間が経っていた。里はすっかり夏の空気に包まれて、今も外から虫の音が聞こえている。
あの夜はどれくらい前のことだったかなと小鈴は思い、そういえばあの時は月が出ていなかったなと記憶を辿る。
月は妖怪を狂わせると言うけれど、あの妖怪はどうなのだろう。ひょっとすると、新月の時にこそ力を増す妖怪なのかもしれない。
「宵闇、か」
あの妖怪は、自身のことをそう呼んでいた。
つかみどころが無くて、何を考えているのかわからなかった妖怪。でも今なら、少し理解できる気がした。
半月余りも経てば、考えだってそれなりにまとまるというものだ。
その答え合わせをする機会は、今までなかったのだけど。
どうしてか、今日それができるんじゃないかと、小鈴はぼんやりと感じていた。
――コンコン。
(ほうらきた)
小窓が、小さく叩かれた。
驚きはなかった。だから小鈴は、誰何の声もかけずに窓を開けると、
「今晩は」
「――びっくり。まさか、開けてくれるとは」
「どうしてそう思ったの?」
「嫌われちゃったかなって」
「あの時はね。でも、もう平気」
「そう」
と言って、彼女は窓から部屋の中に入ってくる。
無理をするわねと小鈴が思う内に、小柄な彼女はするりと身体を潜り込ませた。
小鈴と同じか、それよりも小さな少女。
ルーミアが、あの夜と変わらぬ姿で存在していた。
「……靴、履いてないのね」
「屋根で脱いできた」
「私が入れなかったらどうするつもりだったの」
「うーん、まあ入れてくれるかなーって」
「適当ねえ」
先ほどの話と矛盾していることは、もはや言わなかった。
「よくうちの場所がわかったわね」
「霊夢から聞いた」
「じゃあ、顛末も霊夢さんから聞いたの?」
「ううん。小鈴から聞けって。というか、小鈴は全部知ってるの?」
「それこそ、ううんって言うしかないわ。霊夢さんからは何も聞いてない、私の憶測だけ」
――まるで探偵小説ね、と小鈴は思う。
「それじゃあ、さ。単刀直入に言うけど――」
切り出して、小鈴はルーミアの瞳を見た。その瞳は、宵闇と言うには明るすぎる光を持っていて。
「ルーミアが言ってたあの話、嘘なんでしょ? それも、子どもを食べちゃったって部分だけ」
言われ、ルーミアは口を弓の形にする。それは、小鈴が見たことのない、仕方がなさそうな笑みだった。
「どうしてそう思ったの?」
「元々、私も里から行方不明者が出ていたのは知っていたの」
つい最近まで、阿求が忙しそうにしていた原因の一つだ。
当時は行方不明者が出たことなんて、稗田家に相談してどうなるのだと思っていた。だけど、今思い返してみれば違うものが見える。
つまり、その失踪には妖怪が絡んでいる可能性があったのだ。
「あれから里に戻ってきて、調べてみたの。そうしたらわかったの、行方不明になっているのは小さな女の子で、たぶん里の外に出てしまったんだということが」
その子どもは、前から里の外に出てみたいと言って聞かなかったらしい。
母親は、大きくなったら神社の縁日に連れて行ってあげると約束していたらしい。しかしそれでは、子どもの心を抑えることはできなかったようだ。
「もちろん初めは、その子どもをルーミアが……食べてしまったんだと思った」
「うん」
「でも、その子どもは私が里に帰ってきてから数日後に帰って来たの。今は、親御さんのところで以前と変わらず暮らしてる」
「――そう、なのね」
……ああ、やっぱり。
そう言ったルーミアの笑いが、一瞬安堵を得たように見えたのは気のせいではないはずだ。
「つまり、こういうこと。里から一人で遊びに出てしまった女の子は、そのまま迷子になって遭難してしまった。もう少しで命を落とすというところで、あなたに――ルーミアに救われた」
否定はなかった。だから小鈴は、それを肯定に受け取って、
「妖怪は人里の人間を襲えない。だからルーミアは迷い込んできた子どもを保護して、霊夢さんに報告したのよね」
あの夜、霊夢はこう言っていた。『二人とも、後は適当にやってて』と。
あの場に居たのは、小鈴を除けば三人だ。阿求と、マミゾウと、そしてルーミア。
「ルーミアから子どもの話を聞いていた霊夢さんは、そのままルーミアの家に行って子どもを保護するつもりだった。だからあの時、うっかり二人はと言ったんだわ」
「もー。霊夢も抜けてるなー」
惚けたように言って、しかしルーミアは表情を崩さない。
「これがあの夜にあったこと。違う?」
「うーん、五十点かなあ」
……まあ、そうよね。
「案外、低いわね?」
心のうちを悟られないように、心の声とは違う内容を観想した。
それを知ってか知らずか、ルーミアは微笑んで言う。
「大体は正解だけど、一つ間違いがあるわ」
それは、と小鈴が疑問するより早くルーミアはこう言った。
「里と妖怪のルールなんてどうでもいいもん。私は、私がやりたいと思ったことをやっただけ」
「え――」
予想外の答えを言われ、小鈴はほんの少しだけ放心した。
そして、
「ほら、隙ありー」
「あ」
そのままルーミアに押し倒されて、布団の上に転げてしまった。
「え、ルーミア……?」
「私みたいな妖怪を部屋にあげちゃうなんて、不用心ね」
油断していたのは事実だ。しかも、一連の動きを経て心臓の鼓動も強くなっている――あの夜のように。
だけど、
「里のルールはどうでもいい、って言うけど」
「言った言った」
「じゃあ、今ここで私のことも食べちゃうの?」
「そうだと言ったら?」
「――言わない。だってルーミアは、私のことを気遣ってくれた」
ああ、そうだ。
あの夜道でルーミアに『おいしいものの話』をされた時、小鈴は自分がルーミアに襲われたものだとばかり思っていた。
手と身体を押さえられ、逃げられないようにされたと。でもそれは、後から考えてみれば、
「私が暴れて一人で迷わないように、押さえててくれたんだよね? 提灯も落とさないように、右手でしっかり固定しながら」
「…………」
「阿求からルーミアの能力は聞いた。あの夜道でルーミアがやったのは、ただ闇を――自分さえも見えなくなる闇で私達を包んで、私を脅かしただけ」
ねえ、
「確かにさっきの私の回答だと良い点は貰えないと思う。どうしてルーミアがあんなことをしたのか、わからないんだもの」
問うた先、ルーミアはやはり笑っていた。
だけどその笑みは柔らかいものになっていて、
「そっか、そこまでわかってるのね。てっきり、ただの怖がりかと思ってた」
「これでも霊夢さんや魔理沙さんと色々あって、妖怪には詳しいの。……だからこそ、ルーミアが何を考えているのか、わからない」
部屋の中の灯は、小鈴に覆いかぶさるルーミアの姿をぼんやりと映し出していた。小鈴はそんな姿を仰ぎ見て、もはや言葉を待っている。
数秒の沈黙の後、果たしてルーミアはこう言った。
「――私さ。なんか、人間を食べるのめんどうになっちゃったのよね」
◆◆◆
ルーミアは思う。最後に人間を食べたのは、いつごろだったろうかと。
命名決闘法が人妖の中で流行ったころからだろうか。それとも、幻想郷に大結界が張られて外と隔絶したころからだろうか。
わからない。
だけど、きっと昔は平気で人を食べていたはずだ。
ばりばりと食べるのは好きじゃなかった。今、兎や野鳥や熊を食べている時のように、火を通して食べていたはず。
物質的にも満たされていて、精神的にも満たされていた。自身への畏怖や恐怖を活力にできるのは、ほとんどの妖怪に共通する能力だ。
だけど、いつごろだろうか。人間を食べなくなったのは。
「人を襲うのも、食べるのも、めんどうになったのよね。むかしは、ずっとそうしていたはずなのに」
「それで生きていけるの?」
「食べ物としては、他の動物と変わらないからねー。ほら、宴会に来てる連中も人間と同じごはんを食べてるでしょ?」
確かにとでもいうように、小鈴が頷く。
「でも、あの女の子は……」
小鈴が何を疑問しているかはわかる。それは、
「遭難した女の子は体力も気力も使い果たしていたはず。だから、私みたいな妖怪からすればただの食料のはずだ――って話でしょ?」
「う、うん」
身体を僅かに震わす小鈴を、ルーミアは快く思う。そういった恐怖こそが、妖怪の力になるのだから。
「だけどどうしてか、その時もその子を食べようって気持ちにならなかったのよね。それどころか、余ってたご飯をあげちゃったりしてね」
その時は流石に、妖怪としてだめかなーとか、もしかすると自分消えちゃうんじゃないかなーと思ったものだ。
でも違った。
「その子、色んなことを話してくれたわ。お母さんのこととか、友達のこととか、さっき小鈴が言った、いつか神社のお祭りに行くんだって話も」
神社。博霊神社。
妖怪と人間が集まる場所。
宴会をする時もあれば、妖人混じった縁日を開く時もある。とてもじゃないけれど、人間を守る巫女の棲み家じゃないと思う。
大体、妖怪は人間の敵、なんてお題目を掲げておきながらあんなイベントを開くなんてどうかしている。
「それでも、その時私は確かにって思ったの。宴会をして、肝試しをして、たまには弾幕ごっこをしたり、それを観戦したりされたりして」
「うん、わかる。私も、好き」
「でしょ? だからまあ」
今まで人を襲うのを、めんどくさいとか、誤魔化してきたけれど。
「――人間が、失われるのが、嫌なのよ」
「――――」
「脅かして、恐怖させて、力を貰って、だけど」
だけど。
「仲良くなれるなら、そっちのほうがいいよね?」
◆◆◆
それはきっと、我儘だ。人間の敵としてありながらも、同時に人間の隣人でありたいというのだから。
でも。でもだと小鈴は思う。
「――えいっ」
「わっ」
呆けているルーミアの隙をつくのは一瞬だった。
仰ぎ見ていたルーミアの身体を抱きしめて、布団の中に転がり込む。
まるで、仲の良い友達のように。
ぎゅっと近寄せた身体は、とっても暖かかった。
「ちょっとちょっと、いや私からやったようなものだけどさー」
「私も!」
「え?」
「私も、人間と妖怪は敵だけど――友達としても付き合いたいと思ってたの!」
ああそうだ。自分がこっち側にやって来た、きっかけになった事件。
あの時から自分は知っている。誰もが皆最適な真実を自分で選び取って、解釈をして、自らの立場を決めていいのだということを。
「ルーミアも同じだったんでしょ!?
自分は人間の敵で、脅かすのは楽しいけど、それでも仲良くもしたいって!
――だから今日も来てくれた!」
小鈴は全ての謎が解けたことを悟った。
どうしてルーミアは、あの日自分に声をかけたのか。
どうしてルーミアは、今日ここに来てくれたのか。
どうして自分は、そのことを予測できたのか。
そして、どうして自分はルーミアに嫌気を感じていないのか。
その答えは、きっと一つだ。
……私もルーミアも、お互いは敵だけど、お互いに仲良くなりたいって思ってた!
「小鈴、あなた……よくまーそんなにはっきり言えるね」
「ごめんごめん。でも、嬉しくて」
「まあ、全部正解だけどねー」
小鈴は、ルーミアを抱き枕のように抱えている自分に気が付く。
間近に見えるその顔はほおずきのように紅く染まっていて。荒い呼吸が顔に当たって、くすぐったかった。
「……あの子を家に置いてきて、始めは里に相談しようって思ったの。でも一応、里に妖怪は入っちゃいけないってルールを思い出してね」
「それで、里の近くに居たんだ」
「うん。それでまあ、なんとなく小鈴に話しかけてね。そうしたら神社に行くって言ってたから、じゃあ霊夢に言えばいいやって……ね」
聞いてしまえば話は簡単だ。
それはつまり、
「私と話していて、こう思ってくれたんでしょ。怖がらせ甲斐のある、それでいて仲良くしたい人間だなあって」
「あーうんうん。そういうこと。あんた、怖がりな癖に妖怪に興味津々なんだもん。面白すぎるわ」
ここに来て、初めてルーミアが顔を逸らす。
照れているのか何なのか。少なくとも、小鈴には悪い反応とは思えなかった。
「ああ、もう。でも、小鈴はいいの?」
「何が?」
「その……私さ、これからも小鈴を怖がらせるよ? それでもいいの?」
眉をひそめてルーミアが疑問する。
「正直、あんたを怖がらせたいけど、あんたと仲良くしたいだなんて、受け入れられないわよねーと思ってたんだけど……」
「なーにそんなこと。それなら大丈夫!」
なぜって、
「私――怖いのも震えるのも、結構好きだから!」
「――そう。ありがとう、小鈴」
やっぱり変な人間ね、という呟きが聞こえた気がしたけれど。
今日のところは聞き流しておこうと、小鈴はそう思った。
◆◆◆
果たして、博霊神社初夏祭りはつつがなく開催された。
心なしか人里からの訪問者が多く、普段以上の盛り上がりを見せていた。
妖怪の屋台で射的をして、妖精の屋台でかき氷を食べる。そんな光景が、当然のように見ることができた。
いつもと違うところを挙げるならば二つだろう。
一つは、阿礼乙女が年頃の女の子のようにふて腐れた様子を見せていたことであり。
もう一つは、飴色と金色の髪を持つ少女達が、笑いながらお祭りを楽しんでいたことだった。
もっとも阿礼乙女は、それをいつもの光景として何度も記憶することになるのだが――その度に自分が不機嫌になることも、程なくして女の子が一人増えることも、今は知る由もないのだった。
日の入りを前に急いで家へと戻る子どもの姿もあれば、快活に暖簾を掲げる飲み屋の主人の姿もある。かと思えば、己の子の名を呼ぶ、慌てた様子の母親の姿も見えた。
どこか騒がしく、どこか物寂しい。光と闇が入れ替わり、夜が降りてくる時間。
いつもと変わらない空気が、人里に流れていた。
動きの絶えない逢魔が時の最中、例外と言える静かな場所がある。
人里の入り口となる、大きな門だった。
妖怪の時間となる夜に、外に出ようとする者はいない。外に出掛けていた者も、この時間には里に戻ってきているのが通例だ。
しかしそんな場所に、一つの姿がある。
飴色の髪を小さな鈴で留めた、小柄な少女の姿だった。
夕陽に照らされた髪は、燃えるような美しさを持っていた。
その少女は、暇を持て余すように小石を蹴ると、
「もー。迎えの人、まだかなー」
と、そう言った。
◆◆◆
「こんな時間にお出かけなんて、悪いことしてるみたいねえ」
言いつつ、しかし小鈴は思う。今日は霊夢さんにお呼ばれしているんだから、悪いことじゃないよねと。
そのきっかけは昨日、親友である阿求と会話したことだった。近日開かれるお祭りの打ち合わせに、阿求が神社へと行くと聞いたのだ。
そして合わせて聞き出したのが、夜に催される宴会に阿求が参加することだった。
「ふっふっふ、阿求が口を滑らした時の顔といったらもう。阿求じゃないけど、暫くは忘れられないわ」
折角『こっち側』になったのだから、そのような催しには積極的に参加していきたいところだ。例え阿求がこちらの身を案じていることがわかっているとしても、やはり好奇心は抑え切れないのだから。
最近は阿求も何かと忙しく、里中だけでもやることが多いらしい。子どもが行方不明になっただとか、鼠の被害が増えてきただとかで、稗田家に相談が来ることも多いのだとか。
そんな中で阿求が宴会に出るとは意外だったが、恐らくは霊夢達の気遣いだろう。そんな中に自分が飛び込んでいくのは少しばかり気が引けなくもない。
とはいえ、
……阿求から使いを出すって言ってくれたんだから、嫌とは思われていないはずよね。
自分も宴会に参加したい旨を阿求に伝えると、こう提案された。祭りの打ち合わせは昼から。ならばあんたは夜から参加した方が良いんじゃない、と。
そう言われたのが昨日のこと。適当に迎えをお願いするから、夕方門の前で待っていてとの指定付きで、だ。
もっとも、誰が迎えに来るかは聞いていない。一番に思い浮かぶのは魔理沙であるが、人間に限らずマミゾウか誰かかもしれない。
小鈴としては、知らない誰かでもいいと思う。自分の知らない世界との交流こそが、一番の望みなのだから。
「レミリアさんと咲夜さんだっけ? あの紅霧異変を起こした人たちって言うし、もっと話してみたいのよねー。後は亡霊のお姫様とも話してみたいし、竹藪のお医者さんとも……」
誰もこれも、霊夢からは気を付けなさいと言われているのだけど。
やはり小鈴は、自分の好奇心にはかなわないのだった。
――と、
「あなた、なにしてるの?」
「え?」
「こんな時間にこんなところに居るなんて。巫女や魔法使いの同族?」
赤い逆光の中、話しかけてきたのは金髪の少女だった。
白のシャツに黒のスカート。金髪とおぼしき短髪は、今は自分と同じ赤色に染まっていた。
光の中に合って浮き上がるその姿を、小鈴はこう思った。
まるで、闇みたいねと。
「ええと、霊夢さんと魔理沙さんのこと?」
「そうそう。あの二人みたいに、あんたも変な人間?」
「へ、変な人間じゃないわよ。ああでも霊夢さんや魔理沙さんみたいって言われるのは嬉しいかも?」
「じゃあ、やっぱり変な人間ってことねー」
何がおかしいのか、楽しいのか。彼女は両手を広げて、くるくると夕陽の中で回っていた。笑いながら、踊るように。
ぽかんと口を開けていた小鈴は、暫くしてからはたと気がつく。
「もしかして、貴方が神社まで送って行ってくれるの?」
「んー? まあ、確かに今から神社に行こうかなあと思っていたけど」
「なあんだ、それならそうと早く言ってくれればいいのにー」
……おかしな人だけど、霊夢さんの知り合いってそういう人ばっかりだしなあ。
自分がおかしい人だと言われたばかりにもかかわらず、小鈴は内心でそうごちる。
「どうしようかと思ってたけど……ま、いっか。あなた、おもしろそうだし」
彼女は手を広げるのをやめて、おしゃまに後ろで手を組んで、
「私の名前はルーミア。短い間だとは思うけど――よろしくね」
そう、言った。
いつの間にか夕日は沈んで、周りは昏くなっている。
「へえ、あんた貸本屋なんて珍しいことやってるのね」
「あんたじゃなくて小鈴。本居小鈴よ」
「ふうん。貸本屋って楽しいの?」
「最高の仕事と私は思ってるわ。最近は妖怪のお客さんも多いしね」
「妖怪が来るのが嬉しいの? 私も妖怪だけど」
「嬉しいし、楽しいわよ。というかあなた、妖怪だったのね」
「妖怪じゃなかったらなんだと思ってたの?」
「だってルーミアってほわほわしてるから、まるで人間の子どもみたいだなって」
「私が人間みたい、ねー」
薄暗闇の中、小鈴とルーミアは博霊神社へ歩みを進めていた。
家から持ってきた提灯だけが灯りの頼りだが、ルーミアは必要としていないらしい。
「ほんとに暗くても大丈夫なの? もう暗いから足元気を付けてね」
「あんた優しいのねー。大丈夫大丈夫」
本人の言う通り、足取りは軽い。それどころか、暗さにも、二人ぼっちなことにも、心細さを覚えていないようだった。
提灯に照らされ、闇に浮かぶその顔には、にやにやと笑いが浮かんでいる。
……本当に変わった子。
「あのさ、ルーミアはなんであんなところにいたの? 妖怪は里に入っちゃ駄目なのに」
「その台詞、妖怪のお客さんが来るのを喜んでた人の言葉とは思えないわ」
「まあまあ、それはそれということで」
小鈴の言葉に、ルーミアは僅かに眉尻を下げる。
「んーまあ、なんとなくかな。私人間好きだし、たまには姿を見たくなるのよねー」
「そうなんだ」
妖怪が人間を好きとは、どういう意味でだろうか。
友人としてなのか、利用価値のある対象としてなのか、保護の対象としてなのか、はたまた――食料としてなのか。
……そもそもルーミアって、何の妖怪なのかな。
相変わらず笑い続けているルーミアを見ながら、小鈴は疑問した。
少し話してみたところ、悪い人には――妖怪には見えない。本性を隠しているようにも思えなかった。
……マミゾウさんや文さんみたいに、裏があるタイプじゃないよねーたぶん。
「ねえねえ、ルーミアは何の妖怪なの?」
「私? うーん、何の妖怪なんだろう」
「なにそれ」
「一応宵闇の妖怪ということになってるけど」
「宵闇……」
どことなくかっこいい気がするが、確かにピンと来ない答えだ。
紅い館の主人が吸血鬼であるように、変化の得意な知り合いは化け狸なように、妖怪と言っても種族というものがあるのではないか。
……まあでも。
「紫さんだって何かの妖怪ってわけじゃないし、そういうものなのかな」
「紫って、たまに宴会に来てる胡散臭い奴? 知り合い多いわねーあんた」
「うーん、でももっと妖怪の知り合いを増やしたいのよね。あ、それに私のことは小鈴って呼んでってば。さっきも言わなかったっけ?」
「わかったわかった」
本当にわかっているのか、呆けた笑顔でルーミアは頷く。
どことなく掴みどころのない彼女であるが、こちらと話すのが苦ではなさそうなのは幸いだ。
色んな妖怪と話して、世界を広げることこそ、小鈴の目的なのだから。
……もっとルーミアの話を聞いてみたいけど……。
「ルーミア、何か面白い話無い?」
「うわー、宴会でのフリみたいな唐突な台詞」
「いいからいいから」
「そうねえ」
そう言ったルーミアは、どうしてか悩んでいるようだった。
何を話そうか、という風ではない。
何か頭の中にある話題を、話してもいいだろうかという様子だと、小鈴は感じた。
「何か悩んでる? 私なら、妖怪らしい怖い話でも大丈夫だけど」
「……小鈴って、本当に変わってるわねえ」
じゃあいいか、とルーミアは言った。
小鈴にはその表情が、笑顔から別の表情に切り替わったように思えた。
●
この間食べた、おいしいものの話なんてどう?
おいしいもの?
うん。昔からの大好物だったんだけど、最近食べられなくてねー。
へえ。
いろいろ考えて食べてなかったんだけど、偶然手に入って。
妖怪も我慢することがあるのね。
別に我慢してたわけじゃないんだけど。
そうなんだ。
あれはやることもなくて、家でごろごろしてたときのことでね。
家、あるんだ。
小さな家だけどね。それで……。
うんうん。
コンコンって音が聞こえて、初めは気のせいかなあって思ってたんだけど。
気のせいじゃなかったの?
その後何度も聞こえてね。
ふうん。
でも、だんだん弱くなっていって、次第に消えちゃったの。
それで?
暫くは放っておいたんだけど、耳を澄ましたら聞こえたのよ。
な、何が?
カリ、カリ、って家の扉を引っ掻く音が。
…………。
さすがに私も気になって、外に出てみたのよね。そうしたら――
そう、したら?
――そこに居たのよ、おいしいものが。
●
そう言って、ルーミアは黙ってしまった。
先ほどまで見えていたはずの表情は、どうしてかぼやけて見えなかった。
どことなく、提灯の光も霞んで見える。
「…………」
そう見えるのも無理はなかった。気が付けば日は完全に姿を消して、空に光となるものは何もなかった。月さえも。
儚げに瞬く星は、小鈴にとって何の慰めにもならなかった。
……ちょ、ちょっと。
「ね、ねえ。それでどうなったの?」
どうして目の前の妖怪は黙っているのか。そもそも、
「この話って、おいしいものの話だったわよね……?」
「そうだよ」
短く、肯定が返る。
「じゃあ兎とか、猪とかだったの……? もしかして、野鳥だったり……?」
「わかってるくせに」
「え」
言って、ルーミアの顔が上がる。
笑っていた。口の端を上げ、白い歯を覗かせながら。
だけどその目は、笑っていなかった。
……まって。
「まって、まって」
「なにが?」
「なにがって、その」
「ねえどうしたの? 顔が真っ青よ」
言って、ルーミアが手を重ねてくる。提灯を持った小鈴の右手へと手を伸ばして、
「ほら、そんな顔しないで? ――ふっ」
「あ――」
耳元で息を吹きかけられて、身体が震えた。
しかしそんなことよりも、問題があった。
消えたのだ。提灯の光が。
「――なんで」
「落ち着いて落ち着いて。おかしいことじゃないわ、私が消しただけだもん」
そう言われても、何も落ち着けなかった。
今すぐにでも叫び声をあげて、走り出してしまいそうだった。
でもそれもできなかった。なぜなら、ルーミアが小鈴の腰に手を回して身体を抑え込んでいたのだから。
「小鈴、震えてるね。寒いの?」
「あ……そ、その……」
「声が震えてるわね。かわいそう」
「ね、ねえ。冗談よね……? あなた、阿求の使いなのよね……?」
「阿求? 誰だっけ、それ」
小鈴の息が、止まった。
「……さっきの話の続き、聴いてほしいんだけど」
小鈴に選択権はなかった。
耳元で囁かれる声は、息が漏れるような音にもかかわらず、はっきりと聞こえた。
「私が扉をあけるとね、そこに居たのよとっておきの御馳走が」
ルーミアの右手に力がこもって、提灯を握る小鈴の手が固く強張る。
後ろから手を回されている小鈴は、どうすることもできなかった。
「そ、その、とっておきのご馳走って、なに?」
「それは、ね」
つ、と。小鈴の耳に、冷たい感触が走った。
ちゅぱ、と。小さな水音が鼓膜を震わす。
それがどう意味かを悟るより早く、ルーミアはこう言った。
「――女の子だったの。あんたより、五つは年下だったかな」
「――ぁ」
「おいしかったわ」
心臓が高鳴っている。
それなのに血が巡っている感覚がしない。
ただただ、どこまでも寒気が走った。
「ねえ」
だめだ。
「あなたは、食べてもいいの?」
――もはや返事はできなかった。
鼓動も、熱も感触もなにもかもが遠ざかっていく。
いつの間にか星空さえも視界から消えていた。
全ての五感の消失を――気絶していることを悟った小鈴が最後に聞いたのは、
「ふふ、ご馳走様」
と、そんな台詞だった。
ぱちぱちぱちぱち。
弾けるような、跳ねるような、空気を叩く軽い音が耳に届く。
焚火の音だ、と脳が認識する頃には、肌も熱を感じていた。
まどろみの中で記憶が想起して、
……確か私は、神社に行くために待ち合わせをして、そうしたら金髪の妖怪に会って、一緒に歩いて、そしたら――。
…………!
「――わあぁ! 食べないで! 焼かないで!」
「あ、やっと起きた」
「へ?」
勢いのまま身を起こすと、そこは宴会場だった。
右手には大鍋と、その下にぱちぱちと音を立てる炎があって。
左手には宴会の参加者。その奥には木々が並び、風情ある葉桜をその枝に付けている。
そして振り返ったその先には、
「阿求、どうしてここに?」
「あんたねえ、何も覚えてないわけ?」
「え?」
見れば阿求は足を崩して、平たく座り込んでいる。状況からして、先ほどまで膝枕をしてくれていたのだろう。
もう少し寝ていれば良かったかな、と小鈴は思った。怒られそうなので、口には出さなかったが。
「まったく、使いを待たずに一人で来ようとするからそうなるのよ。夜道を歩いただけで気絶するって、今日日子どもでもしないわよ」
「え、いやだって、それは……」
「ま、儂は気にしてないがの。折角夜道のデートとしゃれこめると思ったんじゃが」
「あ、マミゾウさん」
顔を上げると、二ツ岩マミゾウその人がこちらを覗き込んでいた。
彼女は悪げなく笑って、
「それより、お前さんを拾ってここまで運んでくれた彼奴にお礼を言うんじゃな」
「え? 彼奴、って……」
「今は霊夢さんに話があるとかで、神社のほうに。……ほら、帰って来たわ」
阿求が視線をやったその先には、二つの姿があった。
霊夢と、ルーミアだった。
「あ、起きてる。小鈴ちゃん、もう大丈夫なの?」
「え、あ、はい。あの、それよりそっちは――」
「私はルーミア。初めまして。私があんたを運んできたのよ?」
「――――」
間違いなかった。
里の前で出会って、一緒に闇の中を歩いて、私を襲おうとした――或いは襲った妖怪。
そのはずなのに、どうしてか彼女は、何もなかったかのように振る舞っていた。
「ねえ、ルーミア、貴方」
「なに? あ、お礼ならいいよ。私もいい体験ができたから……ね?」
「ん、なんじゃ。何かあったのか」
「ううん。久々に宴会に出てみたかったから、たまたまこの子を拾えてよかったなってだけ」
「ほーう……」
マミゾウはどこか納得がいかなかったようだったが、それだけ言うと黙ってしまう。
縋るように霊夢の方を向けば、
「あー、なんか気分が悪いから夜風に当たってくるわ。二人とも、後は適当にやってて」
「れ、霊夢さん」
「あー、じゃあ私も一緒にいくー」
「……ま、別にいいけど。邪魔しないでよね」
「わー、霊夢と一緒なのも懐かしいねー」
「親し気にされても困るんだけど」
そう言って、何も言わずに夜空へと立ち去ってしまった。
……もう、何が何だか。
「小鈴、本当に大丈夫?」
「お腹もすいとるじゃろ。儂が適当によそってくるぞい」
「ど、どうも」
二人に本当のことを話すべきだろうか。
しかし、何から話したらよいのだろう。伝えたところで、あの妖怪がこんな意味のないことをしたなんて、信じてくれるのだろうか。
「ねえ阿求、実は……」
「あんたが気絶したことならもういいわよ。それとも、もう少し寝る?」
ぽんぽん、と阿求が自分の膝を叩く。
魅力的なお誘いであったが、今はそれどころではなかった。
「いや、大丈夫。それよりも――」
「何?」
「……ううん。なんでもない」
小鈴には、言ってどうにかなるとは思えなかった。
霊夢とルーミアは知り合いなようであるし、本当のことを言ったところで何も変わらないだろう。
たぶんあの妖怪は人を驚かすのが好きなだけだ。人里の人間を襲ったという事実は都合が悪いので、無かったことにしたに違いない。
幻想郷と妖怪の関係は、小鈴にもわかっている。だから、このことは心の中にしまって置けばよいのだ。
……泣き寝入りと、言えなくもないけれど。
「ほれ、取って来たぞい」
「あ、有難う御座います」
器を手にして、小鈴は心が落ち着きを取り戻すのを感じた。
信頼できる二人が傍に居るからだろうか。少なくとも今、安全は確保されているからだろうか。
どちらにせよ、二人には感謝である。
……あれ。
「そう言えば霊夢さん、ちょっとおかしなことを言っていたような……」
少しばかりの違和感を覚えたけれど。
暖かいご飯と、普段飲まないようなお酒を口にして、その時は全てを忘れてしまったのだった。
その日は、明るい夜だった。
あれから少しの時間が経っていた。里はすっかり夏の空気に包まれて、今も外から虫の音が聞こえている。
あの夜はどれくらい前のことだったかなと小鈴は思い、そういえばあの時は月が出ていなかったなと記憶を辿る。
月は妖怪を狂わせると言うけれど、あの妖怪はどうなのだろう。ひょっとすると、新月の時にこそ力を増す妖怪なのかもしれない。
「宵闇、か」
あの妖怪は、自身のことをそう呼んでいた。
つかみどころが無くて、何を考えているのかわからなかった妖怪。でも今なら、少し理解できる気がした。
半月余りも経てば、考えだってそれなりにまとまるというものだ。
その答え合わせをする機会は、今までなかったのだけど。
どうしてか、今日それができるんじゃないかと、小鈴はぼんやりと感じていた。
――コンコン。
(ほうらきた)
小窓が、小さく叩かれた。
驚きはなかった。だから小鈴は、誰何の声もかけずに窓を開けると、
「今晩は」
「――びっくり。まさか、開けてくれるとは」
「どうしてそう思ったの?」
「嫌われちゃったかなって」
「あの時はね。でも、もう平気」
「そう」
と言って、彼女は窓から部屋の中に入ってくる。
無理をするわねと小鈴が思う内に、小柄な彼女はするりと身体を潜り込ませた。
小鈴と同じか、それよりも小さな少女。
ルーミアが、あの夜と変わらぬ姿で存在していた。
「……靴、履いてないのね」
「屋根で脱いできた」
「私が入れなかったらどうするつもりだったの」
「うーん、まあ入れてくれるかなーって」
「適当ねえ」
先ほどの話と矛盾していることは、もはや言わなかった。
「よくうちの場所がわかったわね」
「霊夢から聞いた」
「じゃあ、顛末も霊夢さんから聞いたの?」
「ううん。小鈴から聞けって。というか、小鈴は全部知ってるの?」
「それこそ、ううんって言うしかないわ。霊夢さんからは何も聞いてない、私の憶測だけ」
――まるで探偵小説ね、と小鈴は思う。
「それじゃあ、さ。単刀直入に言うけど――」
切り出して、小鈴はルーミアの瞳を見た。その瞳は、宵闇と言うには明るすぎる光を持っていて。
「ルーミアが言ってたあの話、嘘なんでしょ? それも、子どもを食べちゃったって部分だけ」
言われ、ルーミアは口を弓の形にする。それは、小鈴が見たことのない、仕方がなさそうな笑みだった。
「どうしてそう思ったの?」
「元々、私も里から行方不明者が出ていたのは知っていたの」
つい最近まで、阿求が忙しそうにしていた原因の一つだ。
当時は行方不明者が出たことなんて、稗田家に相談してどうなるのだと思っていた。だけど、今思い返してみれば違うものが見える。
つまり、その失踪には妖怪が絡んでいる可能性があったのだ。
「あれから里に戻ってきて、調べてみたの。そうしたらわかったの、行方不明になっているのは小さな女の子で、たぶん里の外に出てしまったんだということが」
その子どもは、前から里の外に出てみたいと言って聞かなかったらしい。
母親は、大きくなったら神社の縁日に連れて行ってあげると約束していたらしい。しかしそれでは、子どもの心を抑えることはできなかったようだ。
「もちろん初めは、その子どもをルーミアが……食べてしまったんだと思った」
「うん」
「でも、その子どもは私が里に帰ってきてから数日後に帰って来たの。今は、親御さんのところで以前と変わらず暮らしてる」
「――そう、なのね」
……ああ、やっぱり。
そう言ったルーミアの笑いが、一瞬安堵を得たように見えたのは気のせいではないはずだ。
「つまり、こういうこと。里から一人で遊びに出てしまった女の子は、そのまま迷子になって遭難してしまった。もう少しで命を落とすというところで、あなたに――ルーミアに救われた」
否定はなかった。だから小鈴は、それを肯定に受け取って、
「妖怪は人里の人間を襲えない。だからルーミアは迷い込んできた子どもを保護して、霊夢さんに報告したのよね」
あの夜、霊夢はこう言っていた。『二人とも、後は適当にやってて』と。
あの場に居たのは、小鈴を除けば三人だ。阿求と、マミゾウと、そしてルーミア。
「ルーミアから子どもの話を聞いていた霊夢さんは、そのままルーミアの家に行って子どもを保護するつもりだった。だからあの時、うっかり二人はと言ったんだわ」
「もー。霊夢も抜けてるなー」
惚けたように言って、しかしルーミアは表情を崩さない。
「これがあの夜にあったこと。違う?」
「うーん、五十点かなあ」
……まあ、そうよね。
「案外、低いわね?」
心のうちを悟られないように、心の声とは違う内容を観想した。
それを知ってか知らずか、ルーミアは微笑んで言う。
「大体は正解だけど、一つ間違いがあるわ」
それは、と小鈴が疑問するより早くルーミアはこう言った。
「里と妖怪のルールなんてどうでもいいもん。私は、私がやりたいと思ったことをやっただけ」
「え――」
予想外の答えを言われ、小鈴はほんの少しだけ放心した。
そして、
「ほら、隙ありー」
「あ」
そのままルーミアに押し倒されて、布団の上に転げてしまった。
「え、ルーミア……?」
「私みたいな妖怪を部屋にあげちゃうなんて、不用心ね」
油断していたのは事実だ。しかも、一連の動きを経て心臓の鼓動も強くなっている――あの夜のように。
だけど、
「里のルールはどうでもいい、って言うけど」
「言った言った」
「じゃあ、今ここで私のことも食べちゃうの?」
「そうだと言ったら?」
「――言わない。だってルーミアは、私のことを気遣ってくれた」
ああ、そうだ。
あの夜道でルーミアに『おいしいものの話』をされた時、小鈴は自分がルーミアに襲われたものだとばかり思っていた。
手と身体を押さえられ、逃げられないようにされたと。でもそれは、後から考えてみれば、
「私が暴れて一人で迷わないように、押さえててくれたんだよね? 提灯も落とさないように、右手でしっかり固定しながら」
「…………」
「阿求からルーミアの能力は聞いた。あの夜道でルーミアがやったのは、ただ闇を――自分さえも見えなくなる闇で私達を包んで、私を脅かしただけ」
ねえ、
「確かにさっきの私の回答だと良い点は貰えないと思う。どうしてルーミアがあんなことをしたのか、わからないんだもの」
問うた先、ルーミアはやはり笑っていた。
だけどその笑みは柔らかいものになっていて、
「そっか、そこまでわかってるのね。てっきり、ただの怖がりかと思ってた」
「これでも霊夢さんや魔理沙さんと色々あって、妖怪には詳しいの。……だからこそ、ルーミアが何を考えているのか、わからない」
部屋の中の灯は、小鈴に覆いかぶさるルーミアの姿をぼんやりと映し出していた。小鈴はそんな姿を仰ぎ見て、もはや言葉を待っている。
数秒の沈黙の後、果たしてルーミアはこう言った。
「――私さ。なんか、人間を食べるのめんどうになっちゃったのよね」
◆◆◆
ルーミアは思う。最後に人間を食べたのは、いつごろだったろうかと。
命名決闘法が人妖の中で流行ったころからだろうか。それとも、幻想郷に大結界が張られて外と隔絶したころからだろうか。
わからない。
だけど、きっと昔は平気で人を食べていたはずだ。
ばりばりと食べるのは好きじゃなかった。今、兎や野鳥や熊を食べている時のように、火を通して食べていたはず。
物質的にも満たされていて、精神的にも満たされていた。自身への畏怖や恐怖を活力にできるのは、ほとんどの妖怪に共通する能力だ。
だけど、いつごろだろうか。人間を食べなくなったのは。
「人を襲うのも、食べるのも、めんどうになったのよね。むかしは、ずっとそうしていたはずなのに」
「それで生きていけるの?」
「食べ物としては、他の動物と変わらないからねー。ほら、宴会に来てる連中も人間と同じごはんを食べてるでしょ?」
確かにとでもいうように、小鈴が頷く。
「でも、あの女の子は……」
小鈴が何を疑問しているかはわかる。それは、
「遭難した女の子は体力も気力も使い果たしていたはず。だから、私みたいな妖怪からすればただの食料のはずだ――って話でしょ?」
「う、うん」
身体を僅かに震わす小鈴を、ルーミアは快く思う。そういった恐怖こそが、妖怪の力になるのだから。
「だけどどうしてか、その時もその子を食べようって気持ちにならなかったのよね。それどころか、余ってたご飯をあげちゃったりしてね」
その時は流石に、妖怪としてだめかなーとか、もしかすると自分消えちゃうんじゃないかなーと思ったものだ。
でも違った。
「その子、色んなことを話してくれたわ。お母さんのこととか、友達のこととか、さっき小鈴が言った、いつか神社のお祭りに行くんだって話も」
神社。博霊神社。
妖怪と人間が集まる場所。
宴会をする時もあれば、妖人混じった縁日を開く時もある。とてもじゃないけれど、人間を守る巫女の棲み家じゃないと思う。
大体、妖怪は人間の敵、なんてお題目を掲げておきながらあんなイベントを開くなんてどうかしている。
「それでも、その時私は確かにって思ったの。宴会をして、肝試しをして、たまには弾幕ごっこをしたり、それを観戦したりされたりして」
「うん、わかる。私も、好き」
「でしょ? だからまあ」
今まで人を襲うのを、めんどくさいとか、誤魔化してきたけれど。
「――人間が、失われるのが、嫌なのよ」
「――――」
「脅かして、恐怖させて、力を貰って、だけど」
だけど。
「仲良くなれるなら、そっちのほうがいいよね?」
◆◆◆
それはきっと、我儘だ。人間の敵としてありながらも、同時に人間の隣人でありたいというのだから。
でも。でもだと小鈴は思う。
「――えいっ」
「わっ」
呆けているルーミアの隙をつくのは一瞬だった。
仰ぎ見ていたルーミアの身体を抱きしめて、布団の中に転がり込む。
まるで、仲の良い友達のように。
ぎゅっと近寄せた身体は、とっても暖かかった。
「ちょっとちょっと、いや私からやったようなものだけどさー」
「私も!」
「え?」
「私も、人間と妖怪は敵だけど――友達としても付き合いたいと思ってたの!」
ああそうだ。自分がこっち側にやって来た、きっかけになった事件。
あの時から自分は知っている。誰もが皆最適な真実を自分で選び取って、解釈をして、自らの立場を決めていいのだということを。
「ルーミアも同じだったんでしょ!?
自分は人間の敵で、脅かすのは楽しいけど、それでも仲良くもしたいって!
――だから今日も来てくれた!」
小鈴は全ての謎が解けたことを悟った。
どうしてルーミアは、あの日自分に声をかけたのか。
どうしてルーミアは、今日ここに来てくれたのか。
どうして自分は、そのことを予測できたのか。
そして、どうして自分はルーミアに嫌気を感じていないのか。
その答えは、きっと一つだ。
……私もルーミアも、お互いは敵だけど、お互いに仲良くなりたいって思ってた!
「小鈴、あなた……よくまーそんなにはっきり言えるね」
「ごめんごめん。でも、嬉しくて」
「まあ、全部正解だけどねー」
小鈴は、ルーミアを抱き枕のように抱えている自分に気が付く。
間近に見えるその顔はほおずきのように紅く染まっていて。荒い呼吸が顔に当たって、くすぐったかった。
「……あの子を家に置いてきて、始めは里に相談しようって思ったの。でも一応、里に妖怪は入っちゃいけないってルールを思い出してね」
「それで、里の近くに居たんだ」
「うん。それでまあ、なんとなく小鈴に話しかけてね。そうしたら神社に行くって言ってたから、じゃあ霊夢に言えばいいやって……ね」
聞いてしまえば話は簡単だ。
それはつまり、
「私と話していて、こう思ってくれたんでしょ。怖がらせ甲斐のある、それでいて仲良くしたい人間だなあって」
「あーうんうん。そういうこと。あんた、怖がりな癖に妖怪に興味津々なんだもん。面白すぎるわ」
ここに来て、初めてルーミアが顔を逸らす。
照れているのか何なのか。少なくとも、小鈴には悪い反応とは思えなかった。
「ああ、もう。でも、小鈴はいいの?」
「何が?」
「その……私さ、これからも小鈴を怖がらせるよ? それでもいいの?」
眉をひそめてルーミアが疑問する。
「正直、あんたを怖がらせたいけど、あんたと仲良くしたいだなんて、受け入れられないわよねーと思ってたんだけど……」
「なーにそんなこと。それなら大丈夫!」
なぜって、
「私――怖いのも震えるのも、結構好きだから!」
「――そう。ありがとう、小鈴」
やっぱり変な人間ね、という呟きが聞こえた気がしたけれど。
今日のところは聞き流しておこうと、小鈴はそう思った。
◆◆◆
果たして、博霊神社初夏祭りはつつがなく開催された。
心なしか人里からの訪問者が多く、普段以上の盛り上がりを見せていた。
妖怪の屋台で射的をして、妖精の屋台でかき氷を食べる。そんな光景が、当然のように見ることができた。
いつもと違うところを挙げるならば二つだろう。
一つは、阿礼乙女が年頃の女の子のようにふて腐れた様子を見せていたことであり。
もう一つは、飴色と金色の髪を持つ少女達が、笑いながらお祭りを楽しんでいたことだった。
もっとも阿礼乙女は、それをいつもの光景として何度も記憶することになるのだが――その度に自分が不機嫌になることも、程なくして女の子が一人増えることも、今は知る由もないのだった。
優しくて素敵な話だと思います。良かったです。
良かったです
原作要素もちょいちょい入ってて読みやすかったです!
鈴奈庵の後日談のようでとてもよかった
すごい良かった
人と妖怪、敵対している部分をきっちりと表現しつつも、変人と呼ぶのがふさわしいような個人が違った答えを見せてくれたように感じました
意地悪で優しい、そんなルーミアが魅力的でした
そして好奇心だけでなく妙な聡明さも見せてくれた小鈴もまた素晴らしかったです
立場や生き方の異なる両者が恐れながら思案しながら、思い切って行動し、少しずつ近づいていく雰囲気がとても好きでした。
互いに理解して通じ合っていく様子がすごく良かったです……!
この二人の組み合わせすごくかわいいですね
前半はホラーテイスト、後半は心温まる友情譚。ルーミアと小鈴の二人だったからこそ成り立つ物語だったと思います。
技術的な意味でも、そして「この作品を創作する体験を得た」という意味でも、これほどのキャラクターと物語を描写できる作者が羨ましくなってしまった。それほどに魅力的な作品でした。
人間と妖怪、ちょっとちぐはぐで風変わりな二人の心の在り方を綴ったお話。味わい深く読ませていただきました。