レミリア・スカーレット女史にコラムを寄稿していただきました。
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身分を偽る登場人物が出てくる戯曲などは、観衆にスリルを与え、その後の展開がいかに陳腐な恋の物語だろうとよりよい物語のような印象を与える。身分を偽り、相手と結ばれれば観衆は彼らの幸福を心の中で祝い、拍手をする。結ばれなくとも彼らは登場人物を心の中で慰め同情するだろう。「幸あれ」と願う気持ちは拍手となり劇場を埋め尽くす。
屋敷に住む古い友人などはよく演劇を見た後に涙を流していたものだ。彼女にその気持ちが分からないと率直に伝えたとき、彼女は心底私を軽蔑した目で見つめてくる。そして一言。
「このひとでなし」
私は吸血鬼なのだけれど。そう言うと彼女は蛮族を見るようにさらに私から一歩遠ざかるのだ。ひょっとすると演劇に関して審美眼が無く無教養だと思われているかもしれない。
言い返すことも出来ないまま私は近頃のめり込んでいる趣味に慰めを探しに行くことににする。最近の趣味は一人きりの散歩なのだ。
日傘だけを従者として湖畔を歩けば草木が風に揺れ、花が咲く世界に生きている事に気がつく。近頃では人里でも散歩をするようになった。もちろん人間にはない羽をしまうことで小さな女性として振る舞える。人通りが多い道を日傘で歩き、小さな路地に向かう。小さな長屋の真ん中の家。光を取り入れる障子戸の代わりに近くの廃寺から戴いた舞良戸が玄関に建て付けられている。小さく深呼吸をして私はその扉をノックする。
「おばあさん」
しばらくして「はぁい」と声がする。小さなおばあさんが一人出てくる。
部屋の中は薄暗い。彼女は光を必要としない。そもそも目が見えないのだ。
「今日も来たわよ。またお話聞かせて頂戴」
おばあさんはおせんべいを出してくれる。そして目の見えないおばあさんの話を私は聞く。
薄暗い部屋の中で一人の女性の人生のあれこれを聞かせてもらう。私はその瞬間だけは、従者を何百と抱える主からただの好奇心旺盛な女の子になる。時折肩を揉んだり、お菓子を持って行ったりと演技の幅は小さいけれどそれでもその瞬間だけは私は役者になっているのだ。
彼女は劇場の観衆のように拍手をしたり足を踏みならすことはない。
「ありがとうねぇ。レミちゃんがいると、元気が出るわ」
そんなささやかな言葉をくれるだけだ。
「はい。これ戴いたひなげしだけどレミちゃんにあげるわ」
ただ今日は熱心な観衆から花束の贈呈を受けた。なかなかの売れっ子なのである。
役者も独り、観衆もひとり。そんなささやかな演劇だけどまだしばらくはこの公演は続けるつもりだ。次回はどんなことを演じようかと心の中の脚本家と演出家と相談しながら家路につく。屋敷につけば私は概ね平坦な普通の生活に戻る。昨日と変わったことと言えば花瓶にひなげしの花が生けられてるくらいだろうか。
私は演劇の審美眼がなく、それを養う暇も無いだろう。
だけど私は誰よりも演劇を愉しんでいるといつか友人に話してみるつもりだ。
そのときの友人の顔が楽しみで仕方が無い。ひなげしの花は今日も静かに風に揺れている。