私の瞳は良く見える。いっそ見えすぎるぐらいに。
蝙蝠の、闇夜を自在に飛び回るのがその謂れだということだ。
愚かしいと思う。奴らは瞳でものを捉えてなんかいないのに。
でもまあ、どうでもいいことだ。
寝起きの夕飯を持ってきた咲夜を見送って、それから部屋の灯を落とす。
ひとがいるときに灯を点すのは、相手のためと、もう一つ。余計な情報を削ぐためだ。
私の瞳は良く見える。特に暗闇の中でだと。
いっそ見えすぎて、壁も結界も頑張れば通り抜ける程。
百マイルだとか千里とか、そういうような大したものではないけれど。
紅魔の館の地下室にいて、少し上空まで見渡せるほど。
私の視界は、概ねそんな具合である。
【ひとりひとみに夜空の光】
館の内を見て回る。
見て回るというのは文字通りの意味だ。部屋の各々にピントを合わせて様子を窺う。
勿論、私は地下室にいるままであるけど。
趣味というか、日課というか、そういうものだ。
最近は、あいつとの遊戯のような面もあるが。
昔はこれが仕事だった。まだ門番も、居候すらいなかった頃の話だが。
あの頃に比べて、ここは随分賑やかになったように思う。来客も随分増えたものだ。
昔は訪問者など僅かだった。その上、質も酷いものだった。
有象の賊が凡そ三割、無象の英雄気取りが同程度。まともな客は半分もいなかった。
その「まともな客」ですら、半分は生きて帰さなかったが。
つまり、見逃す価値すらなかった、ということだ。
部屋を一つ一つ覗いて回ると、多くの部屋に妖精たちの姿が見える。
目に見えた変化は幾つもあるが、メイド妖精たちの存在はそれらの最たるものだろう。
妖精たちがここに居付くようになったのは、ほんの最近の話だ。
主の存在を意にも介さず、ふらりと訪れては遊んで帰る。
それまでのここの妖精というのは、概ねそういうものだった。
妖精たちに、メイド服を着せようなどと主張したのは咲夜だった。
「大きな館には沢山のメイドが映えますから」
何故と尋ねると、彼女は大真面目にそのようなことを言ったのだったか。
「妖精などでも案山子でも、いないよりかはましですよ」
そう熱弁する彼女に圧された私達は、まずメイド服を着た妖精達がここに居付いたのに驚いて、奴等がメイドの真似事をし始めたのにまた驚いた。
「お嬢様。上に立つ者が清掃のような雑事をするのはお止め下さい」
けれど、何たる慧眼と拍手を送る姉の前に立つ立役者は、真顔でそんなことを言うものだから、これほど締まらない話もなかった。
そう。咲夜も面白い人間だ。
こちらに来てからの来客も、随分面白い者ばかりだが。
「こちらの方も、食客でしょうか」
私の顔を初めて見て、開口一番がそれだった。
当時の彼女は、私達とほぼ変わらないような背丈だったか。
年の割に、随分と度胸が据わっているな、と感心した覚えがある。
「あー、フランドール」
「大丈夫よお姉様。分かっているから問題ないわ」
お姉様に端的な言葉を返して、私は咲夜に視線を合わせた。
「顔を合わせるのは初めてね、十六夜咲夜。貴方のことは知ってるわ」
「私も貴方のことは知ってますよ、フランボワーズ・スカーレット様」
「私はどっちかというとクランベリー派。フランスにも行ったことないし」
「あら、フランスは良いところですよ。私も行ったことないですけど」
感嘆を漏らさぬようにするのは難しかった。
私を相手にまるで動じず冗談を返せる相手というのは、私の初めて見るものだった。
彼女を傑物と判ずるようになったのは、このときのことだ。
今でも咲夜は傑物であると、私は自信を持って言える。
当時と随分意味は違うが。
まさかあれが天然ものだとは、予想できるはずもないだろう。
私の部屋を後にした彼女が、その瞬間に腰を砕いてへたり込むのを見たときは、何の冗談かと思ったものだ。
ふと、視界に違和感。
普段相手にしているものとは、また違う違和感である。
普段のそれは言うなれば、酷く焦点の定まりにくい視界への違和感だ。
今回のは違う。空間を無理に継ぎ直したような印象がある。
強引に焦点を当て直すと、三人の妖精の姿が見えた。
見覚えはある。メイド妖精に混ざっては遊び惚けて追い出されるのをよく見かけた。
大して害のある輩でもないので放っておいているのだが、なかなか随分懲りないと見える。
別に関わる必要もないが、今日は幾らか興が乗った。
彼女らの目にはこの館がどう映るのか、興味がある。
正確には、前からあった。どうでもいいから流していただけだ。
ともかく、彼女たちをこの地下室へ招いて、少し話を聞いてみたいと、そう思った。
思ったはいいが、どうも失敗したらしい。
一目散に逃げ出していく彼女らを見て、私は軽く首を傾げた。
とりあえずまずは挨拶でも、と思ったのだ。
故に魔術で彼女らの付近の壁に、言葉を描いて貼り付けた。
それだけだと気付かれないと思われたので、横の花瓶を割ってみせた。
結果、彼女らは真っ青に顔を染めたのだが。
知己の者には好評だったのだ。
復活祭の折に披露してみせたときのことだ。
特に血みどろの雰囲気が紅魔らしいと受けたのだが。
感性の違いというやつだろうか。
ともあれ、逃げた相手を追う気はない。
あの調子では碌な話もできないだろう。
ああいう状態の相手ほど詰まらないものもない。
そう判断して視界を元の場所に戻した。
違和感。
原因はすぐに見つかった。
先になかった紙が一枚落ちているのだ。
それも、丁寧に薔薇まで添えられて。
やられた、と私は空を仰いだ。
誰が置いたかは直ぐに分かった。
内容も大方予想がつく。
ゲームセットだ。今日は私の負けらしい。
余計な相手に目移りしたのが敗因か。
半ば諦めて私は紙の文字を追った。
また明日、とだけ書かれていた。
こいしちゃんのいない?追いかけっこが可愛かったです。
すっとぼけている咲夜がよかったです