人は、より良い世を願い、祈る。
己が為に、誰が為に。
軈て信仰心は人の中で型を成し、器を探す。
其は信仰を捧げる為の器。
人が漠然とした祈りを捧ぐ、言うなれば端末。
“私”とは如何様にして生まれたのか。明細に覚えてはいない。
ただ、石材でも無い、唯の大雑把な岩から生み出された事は知っている。
彫刻を生業としていない、石鑿の扱いが覚束ない者より、岩という封から取り出された。
型は荒削りどころか、まるで整っちゃいない。
然し、人は丁重に大事に“私”を扱った。
私は其処で、善を観た。
●
「───何故、私に頭を下げるのですか」
魂の灯が揺らめき、亡者の白装束が目に痛い。
是非曲直庁での裁判では、時折こういった面倒事が起きる。
こうも浅慮な儘、よく三途の河を越えられたものだ。
大方、碌で無しばかりを船に乗せるサボり死神にでも運んで貰ったのだろう。
そう頭の片隅で考えながら、亡者の情報を探る。
───当たり。
判決には何一つとして関係無いが、船頭が選り好みしてはいけない事を後で言っておこう。
そう考え、手鏡に目を向ける。
「私は言うなれば行き先を決めるだけ。そして情状酌量は“生きてきたこれまで”を考慮するもの。ここで取り繕ったところで判決には影響しません」
途端になんと横柄な事。
生前にどんな悪行を犯したのかしら。
「浄瑠璃の鏡で、貴方の生前の行いを覗いてみましょうか」
本当に、小町に蹴り落とされずによく辿り着けたものだ。
●
岩が地蔵となり、軈て私になった時。
そこには善悪に依らない価値観が在った。
正義。
未だ動けぬ私の前に、少年が縄に縛られて放られた。
聞けば、村の外から来た者が盗みを働き罰せられたという顛末。
村の外から来た少年は家族を助けるためだと主張し、
畑から盗まれた者は種を盗まれたせいで村の分が減ったと主張する。
あまりにも細く、骨に皮が張り付いたような少年の腕を見て、私は───
●
「四季映姫様」
「…はい」
「畜生界についてですが、聞いていましたか?」
「申し訳ありません。聞いていませんでした」
「珍しいですね。何か心配事でも?」
庭渡久侘歌が資料から顔を上げた。
疲れからか若干隈が見える。どうにも働かせすぎただろうか。
「少し考え事をしていました」
「仕事に関する事でしょうか」
「そうですね。私が生まれた意味について、少し」
ふぅむ、と久侘歌が真剣な顔をして唸る。
「鶏が先か卵が先か、という事でしょうか」
「違います」
あまりにもハッキリとした物言いに、久侘歌は苦笑した。
曖昧な物言いはしたくないのだ。許して欲しい。
●
荒削りだった頭も、風雨によって丸みを増した頃。
祈りの中に、不純が混ざった事がある。
自分勝手な願い、悍しい程の憎悪。
道を外れかけた人間は、正常な判断を失って仏に縋った。
あまりにも身勝手で、私は目を伏せる。
見ていられないと、そう思った。
だが同時に、これを見るべきだとも思った。
目を背けてはいけないのだと、悟ったのだ。
●
「ふむ、悪行は殆ど無いですね。素晴らしい善性です」
魂の灯が揺れる。
「───わかっていますよ。少しばかりの罰はあります」
美しい善性だ。
瞬く星々の様な魂の輝きが見えるようで。
宝石のような煌めきに、羨望の息が漏れる。
判決を言い渡した後、獄卒に案内される亡者を見送る。
今日渡ってきた亡者はもういない。仕事が終わった。
書類を纏めていれば、小野塚小町が顔を出す。
「四季様、今日の分は渡し終わりましたよ」
「お疲れ様です、小町。…今日は選り好みをしていませんでしたね」
「えへへ、褒めてくださいますか?」
「───部下を褒めるのも上司の仕事ですからね。今日は真面目に職務を果たしたこと、本当に素晴らしいことだと思います。これがいつも続けば良いのですが。第一に貴女は少し…いえ、今日はやめましょう」
「あれ、良いんですか?」
「叱られたいのですか?」
勢いよく首を振る小町。
説教をするような気分でも無い。
良いものを見た後は、少しばかり余韻に浸る時間が欲しいものだ。
「最後の亡者、綺麗な魂をしていましたね。あっという間に三途の河を渡ることができました」
「そうですね。美しい魂は…私にとって、羨ましいものです」
小町が意外そうな顔をする。
「四季様の魂は綺麗なのでは」
「いいえ、私の魂は石質です。岩から刳り抜かれたものですから」
「地蔵様だった、って話に関係していますか?」
「えぇ、しています。姿形は地蔵から変わり四季映姫・ヤマザナドゥの形を成していますが、魂は変わらない。私の魂は冷たく硬い石質のままなのです」
書類を纏め終わったので、席を立った。
小町に背を向け、部屋を後にしようとする。
「お疲れ様でした。よく疲れを解してくださいね」
「…あたいは、四季様の魂は冷たく硬くても、綺麗だと思います」
「───そうですか。ありがとう御座います」
「本当です。宝石だって石ですから」
「小町、私は石材でも何でもない岩から…」
「ではその岩は原石だった、って事です。四季様の魂は四季様自身の行いでよく磨かれ、宝石になったんですよ!」
その言葉に、振り向いた。
あぁ、そんな風に考えたことなど無かった。
石質の魂が、磨かれて輝いていくなどと。
「…ありがとう」
人の願いを受け、荒く岩より刳り抜かれた型と魂も、磨き続ければ輝くことだってあるのだ。
少しばかり、頬に温かみが差す。
やはり、美しい善性は眩しいものだ。
己が為に、誰が為に。
軈て信仰心は人の中で型を成し、器を探す。
其は信仰を捧げる為の器。
人が漠然とした祈りを捧ぐ、言うなれば端末。
“私”とは如何様にして生まれたのか。明細に覚えてはいない。
ただ、石材でも無い、唯の大雑把な岩から生み出された事は知っている。
彫刻を生業としていない、石鑿の扱いが覚束ない者より、岩という封から取り出された。
型は荒削りどころか、まるで整っちゃいない。
然し、人は丁重に大事に“私”を扱った。
私は其処で、善を観た。
●
「───何故、私に頭を下げるのですか」
魂の灯が揺らめき、亡者の白装束が目に痛い。
是非曲直庁での裁判では、時折こういった面倒事が起きる。
こうも浅慮な儘、よく三途の河を越えられたものだ。
大方、碌で無しばかりを船に乗せるサボり死神にでも運んで貰ったのだろう。
そう頭の片隅で考えながら、亡者の情報を探る。
───当たり。
判決には何一つとして関係無いが、船頭が選り好みしてはいけない事を後で言っておこう。
そう考え、手鏡に目を向ける。
「私は言うなれば行き先を決めるだけ。そして情状酌量は“生きてきたこれまで”を考慮するもの。ここで取り繕ったところで判決には影響しません」
途端になんと横柄な事。
生前にどんな悪行を犯したのかしら。
「浄瑠璃の鏡で、貴方の生前の行いを覗いてみましょうか」
本当に、小町に蹴り落とされずによく辿り着けたものだ。
●
岩が地蔵となり、軈て私になった時。
そこには善悪に依らない価値観が在った。
正義。
未だ動けぬ私の前に、少年が縄に縛られて放られた。
聞けば、村の外から来た者が盗みを働き罰せられたという顛末。
村の外から来た少年は家族を助けるためだと主張し、
畑から盗まれた者は種を盗まれたせいで村の分が減ったと主張する。
あまりにも細く、骨に皮が張り付いたような少年の腕を見て、私は───
●
「四季映姫様」
「…はい」
「畜生界についてですが、聞いていましたか?」
「申し訳ありません。聞いていませんでした」
「珍しいですね。何か心配事でも?」
庭渡久侘歌が資料から顔を上げた。
疲れからか若干隈が見える。どうにも働かせすぎただろうか。
「少し考え事をしていました」
「仕事に関する事でしょうか」
「そうですね。私が生まれた意味について、少し」
ふぅむ、と久侘歌が真剣な顔をして唸る。
「鶏が先か卵が先か、という事でしょうか」
「違います」
あまりにもハッキリとした物言いに、久侘歌は苦笑した。
曖昧な物言いはしたくないのだ。許して欲しい。
●
荒削りだった頭も、風雨によって丸みを増した頃。
祈りの中に、不純が混ざった事がある。
自分勝手な願い、悍しい程の憎悪。
道を外れかけた人間は、正常な判断を失って仏に縋った。
あまりにも身勝手で、私は目を伏せる。
見ていられないと、そう思った。
だが同時に、これを見るべきだとも思った。
目を背けてはいけないのだと、悟ったのだ。
●
「ふむ、悪行は殆ど無いですね。素晴らしい善性です」
魂の灯が揺れる。
「───わかっていますよ。少しばかりの罰はあります」
美しい善性だ。
瞬く星々の様な魂の輝きが見えるようで。
宝石のような煌めきに、羨望の息が漏れる。
判決を言い渡した後、獄卒に案内される亡者を見送る。
今日渡ってきた亡者はもういない。仕事が終わった。
書類を纏めていれば、小野塚小町が顔を出す。
「四季様、今日の分は渡し終わりましたよ」
「お疲れ様です、小町。…今日は選り好みをしていませんでしたね」
「えへへ、褒めてくださいますか?」
「───部下を褒めるのも上司の仕事ですからね。今日は真面目に職務を果たしたこと、本当に素晴らしいことだと思います。これがいつも続けば良いのですが。第一に貴女は少し…いえ、今日はやめましょう」
「あれ、良いんですか?」
「叱られたいのですか?」
勢いよく首を振る小町。
説教をするような気分でも無い。
良いものを見た後は、少しばかり余韻に浸る時間が欲しいものだ。
「最後の亡者、綺麗な魂をしていましたね。あっという間に三途の河を渡ることができました」
「そうですね。美しい魂は…私にとって、羨ましいものです」
小町が意外そうな顔をする。
「四季様の魂は綺麗なのでは」
「いいえ、私の魂は石質です。岩から刳り抜かれたものですから」
「地蔵様だった、って話に関係していますか?」
「えぇ、しています。姿形は地蔵から変わり四季映姫・ヤマザナドゥの形を成していますが、魂は変わらない。私の魂は冷たく硬い石質のままなのです」
書類を纏め終わったので、席を立った。
小町に背を向け、部屋を後にしようとする。
「お疲れ様でした。よく疲れを解してくださいね」
「…あたいは、四季様の魂は冷たく硬くても、綺麗だと思います」
「───そうですか。ありがとう御座います」
「本当です。宝石だって石ですから」
「小町、私は石材でも何でもない岩から…」
「ではその岩は原石だった、って事です。四季様の魂は四季様自身の行いでよく磨かれ、宝石になったんですよ!」
その言葉に、振り向いた。
あぁ、そんな風に考えたことなど無かった。
石質の魂が、磨かれて輝いていくなどと。
「…ありがとう」
人の願いを受け、荒く岩より刳り抜かれた型と魂も、磨き続ければ輝くことだってあるのだ。
少しばかり、頬に温かみが差す。
やはり、美しい善性は眩しいものだ。
良いですね。唸らされました。お見事です。
美しいというものは四季様にとって良いものなんでしょうね……とても良かったです。
生き方次第で宝石になれると堂々と言う小町が素敵でした