Coolier - 新生・東方創想話

三食短編

2020/04/09 22:33:24
最終更新
サイズ
19.18KB
ページ数
1
閲覧数
2583
評価数
18/24
POINT
2050
Rate
16.60

分類タグ

 スシ語り

「時すでにお寿司」
「シャベッタアアアアアア!」
 主の傍でお茶を注いでいた妖夢はびっくり仰天し、祖父が聞いたら心臓麻痺を起こすほど素っ頓狂な叫び声をあげた。幽々子が食べようとしたスシが声を出したのだ。幽々子も思わずスシをちゃぶ台に叩きつけてしまいそうになったが、妖夢が取り乱したおかげで、主らしく冷静さを保つことができた。
 幽々子が目を丸くして次の言葉を待つと、スシは饒舌に語りだした。
「あいや失礼、ワタクシはマグロのスシでございます。海を泳いでいた記憶はありませんが、自分の切り身に何が起きているかくらいは重々承知しております」
「聞かせて」
「あちゃ、あちゃ、あちゃ」
 お茶を盛大に自分の腕にぶっかけてしまった妖夢がわめきながら台所へと駆けていくのを尻目に、幽々子は興味深そうにスシの話を聞いた。
「ワタクシ、今は何の変哲もない語るスシでありますが、ひれをもがれ、ご丁寧に切り身にされたこの状態でも韋駄天のごとく足が速いのでございます。つまりは私の体表を雑菌がウロチョロとしておりまして、申し上げにくいのですがたいへんばっちいのです。今は持ちこたえておりますが、この身が胃酸で朽ちた時、きゃつらがあなた方の体内で暴れまわるやもしれませぬ。すし詰め、あいやさしずめ下るスシなのでございます」
 なるほど、よくよくみればなんとも色合いの悪いマグロである。一晩くらい醤油につけた形相だ。紫が差し入れてくれたスシであるが、そんなに痛んでいるとは幽々子は思いもよらなかった。
 大方酔っ払って放置していた土産を送り付けたのだろう。幽々子はそう推測した。
「腐ってるなんて、酷いわぁ。楽しみにしてたのに」
「申し訳ございません、手前どもあなた様のお口に入れなくて心底残念です」
 幻想郷が成立してからというもの、幽々子は滅多にスシなど食べられなかった。下界には川魚くらいしか流通していない。幻想郷に海を作らなかった紫に嫌味を言ったところ、こうやって定期的に届けてくれるようになったのだ。
 不良品をつかまされた幽々子はなんともつらい心境であった。目の前にスシがある、だが食べられない。犬畜生でもなければ、おあずけなど耐えられないというのに。
 幽々子はスシをまじまじと見て考えた。寿司、読んで字のごとく寿を司る、それはそれは縁起の良いものだ。味も良ければ身体にも良いに決まってる。むしろ食べ物一般腐りかけが一番うまいと言うではないか。人間だってそうだ。年を取れば否応なしに、その生きざまに深みが出るものだ。根っこがちょっと腐ってるくらいの方が歴史に名を残すし、新鮮さを売りにした若手などすぐに埋もれてしまう。後世に語り継がれる偉人なんてものは全員腐敗寸前の状態だと相場は決まっている。
 見よ、このスシの含蓄を。口は達者だが、その身は明らかに醸されている。老境の剣士の一挙手一投足が剣の型を連想させるように、年老いた獣が妖気を帯びて経立と成るように、八雲紫が鼻歌を歌うとそこにすら海よりも深い意味を込められていると錯覚するように。
「美味しそうね、あなた」
 幽々子はスシを手に取った。そして容赦なく口へと運んだ。
「なっ、正気ですか? 今一度御考え直していただけませぬか。これは、あなた方の為を想って申しておるのです! なにとぞ、なにとぞ!」
「スシは食べるために在るの」
 幽々子は無慈悲にスシを頬張った。捕食者の眼光、スシに逃れる術はない。手も足も出ないのだから仕方がない。そこに自然の傲慢ちきで残酷な摂理があるのだ。
「美味しいわぁ」
 スシは滅茶苦茶美味かった。言葉では表現しきれないほどに、ただ美味かった。精神が浄化される、まさにカタルシス。
 語るスシはカタルシスに至るスシだった。
「チクショウ! クソ、てやんでぃ、てめぇなんか死んでしまえ! 悪食マグロ野郎がよ!」
 江戸前のスシの断末魔が胃に溶けて無くなった。
 次々と残りのスシも胃へ送り込み、あっというまに容器が空になった。海原に漕ぎ出す漁師さながら母なる海を堪能しきった。「なんでも食べる、残さず食べる」が幽々子の信条である。
 幽々子は満足気に腹を一こすりして、ほうと息を吐いた。妖夢が台所でしくしくとすすり泣いていたが、そんな声すら耳に入らないほど満たされていた。
 そして腹は一度下り、幽々子は厠で昇天した。後悔しか残らなかった。


 賞味の桜

 私は縁側で美味しいお茶と菓子を今か今かと心待ちにしていた。今日のお茶菓子は桜餅である。大好物だ。
「ふんふーん、さくら、さくら、さくらのおもちー♪」
 我ながらあざとい。だが気分が高まるのも仕方がない。だって好きなんだもん。
 私は桜色が好きだ。ピンクだとなんとなくハイカラだ。桃色、悪くはないが人によっては卑猥な響きに感じることもあるだろう。みずみずしい桃(意味深)、ああなんかエッチだ。それに比べて桜色、なんと雅な響きか。桜が舞い散る様子をどこぞの唄人は「空に知られぬ雪」と称したそうだ。震えるほど美しい表現である。俳句とかもたいてい桜ってつければそれっぽくなる。
 私はなんとはなしに口ずさんだ。
「桜餅、ああ食べたいな、今すぐに」
 素敵だ。最初に桜餅が来ることで待ちわびている気持ちがよく表現されている。
 桜色とは紅白、つまり血と骨を合わせた色彩だ。もちもちとした感触は肉体を示している。そして中には黒いあんこが詰まっている。餡だと響きが硬い、あんこと平仮名で書くのがよろしい。つぶあんだと最高だ。こしあんも良い。
 見た目は美しく、内面に黒さを隠し持つ、まさに人間を体現したかのような食べ物だ。
 桜餅本体が人間ならば、さしずめその身に纏った塩漬けの葉っぱは衣服である。それをぺりぺりと剥がす輩も多々いるが、それではあまりにも破廉恥だ。私の流儀はそのまま齧りつき、味や食感が一体となった美味しさを楽しむことである。
 足をぷらぷらさせながら外の桜の木を見た。
「まだかしら」
 時間が永遠に感じられる。待つ、という行為はこれほどまでに胸を昂らせるのか。もう一句詠めてしまいそうだ。
「桜餅、草餅月餅、柏餅、菱はなびらに、葛に鶯」
 全部好きだ。月餅は餅じゃないと思うけど好きだ。だがやはり桜餅は別格だ。盃に月を映して風情を楽しむように、花びらが散った桜の木を眺めながら食べる桜餅は乙なものである。こいのぼりを見ながら食べる柏餅も魅力的だが、それは行事の非日常感が味を一層引き立てるのであたりまえである。
 いろいろと思考を巡らせているとようやく妖夢がお盆を持って現れた。
「本日のおやつです。手づからこさえました」
「まぁ、素敵ね。褒めて遣わす、なんちゃって」
「ありがたいお言葉」
 妖夢は早く食べてと言いたげである。私の感想が聞きたいのだ。ういやつじゃのう。
 桜餅はもち米のつぶが残っている俵型のもので、とても香り豊かである。それが八つ、綺麗に盆の上にある。
 私は己を焦らすようにお茶を一啜りしてから桜餅を齧った。
 白あんだった。死にたい。
「……とても、美味しいわ。妖夢」
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいです」
 なんと嬉しそうな顔。なんの疑いもなく、この世界が平和であり幸せに満ちていると思っているかのような、曇りなき純粋な表情。妖夢には経験が不足している。
 この世は空虚だ。本質はこの白あんのようにまっさらなのだ。何が桜だ、色など本当は無いに等しいのに、あの手この手で周囲を塗り固め、風情があるように錯覚したがる。虚偽の皮を少しばかり剥げば、そこには何もないというのに。ちくしょう、ちくしょう。
 私の信条は「なんでも食べる、残さず食べる」である。これに従って、世界を象徴したかのような桜餅を次々と口に放り込み、むぐむぐと頬を膨らましてみじめな敗走を遂げるしか、今の私にはできなかった。なんと無力、なんと無情。
「泣いておられるのですか!?」
「美味しすぎるのよ。感激して涙があふれちゃったわ」
 美味いことには美味いのだ。甘いし、もちもちしてるし、お茶にも合う。使われてる白あんだって上等なものだ。でも、言いようのない虚無からは逃れられそうにない。
「お世辞でも嬉しいです。目にゴミでも入ったんですかね、チリ紙を持ってきます」
 妖夢は優しさを振りまいて、居間のほうへと駆けて行った。彼女は知らなくていい。何も知らない無垢なまま、否、好色に焦がれる青いままで居てほしい。純白が世界の真理だなんてあまりにも残酷だ。こんな思いをするのは私だけで沢山だ。
 私は残りの白あんの桜餅をすべて平らげた。


 孤独の幽々子~命蓮寺のカレーライス~

「ここがあの女の寺ね! ヴィーガン滅すべし!」
 命蓮寺の門前にて幽々子は怒りに打ち震えていた。今や幻想郷で最大の勢力となったヴィーガン連合、それに仇名す幽々子は今や、たった一人の肉食主義者となっていた。


 幻想郷に菜食主義という概念が広まったのはつい最近である。ことの発端は命蓮寺の住職である聖白蓮が布教活動の一環として、敷居が高いと感じている人間や妖怪に精進料理を振舞ったこととされている。これを好機と見た一部のヴィーガンが活動の幅を広げ始めたのだ。曰く、肉食は穢れの象徴、菜食こそ生物のあるべき共存の姿、合理的かつ健康的、ダイエット効果がある、肉食うと馬鹿になるって慧音が言ってた(言ってない)だそうだ。
 一部の界隈で盛り上がる分にはよかった。しかし、その概念が歴史を塗りつぶすほどに拡散してしまうとは誰にも予想がつかなかった。
 健康ブームが到来した。里にそろい踏みしたヴィーガンたちは軒並みスタイルが良く、色白で匂いもなんかいい感じという理想を押し込めたかのような姿だったからだ。
 一過性の流行り廃りならまだよかった。しかし、勢いは止まらず菜食主義は宗教の域にまで達してしまった。
 これが菜食主義と言っていいのか、彼らをヴィーガンと呼んで良いのか、最初期の住み分けがきっちりしていた穏便なヴィーガンたちは悩んだが、もう手遅れだった。声がでかいだけが取り柄の者たちが主張を捻じ曲げ始めていたのだ。行為がエスカレートすれば目的と手段が逆転していくのと同じで、歪んだ主張にすでに意義はなくなっていた。ただ、菜食主義に従うという共通の概念が、わけもなく蔓延してしまった。
 このブームには黒幕がいない。よしんばいた、もしくは誰かを黒幕に仕立て上げ、退治したところで何も変わらない。つまり異変ではないのだ。したがって巫女は動かない。むしろ清貧な博麗は「いいわよ別に、ふんだ、皆野菜しか食べなきゃいいのよ」と言い、妖怪が人を襲わなくなることを喜んでいた。
 巫女の発言が追い風となり、ついに過激派集団が現れた。息を潜めていたのが明るみに出たと言った方が正しい。伝統を重んずる肉食妖怪たちは古臭い間抜けと罵られ、庇う者あれば徹底的にぐちゃぐちゃのめっためたにされた。彼らの存在は荒れ狂う大波となって幻想郷全土へと広がった。
 そして、その波は結界を越え、白玉楼にまで達していた。
 今日の食事は根菜の煮つけ、ほうれん草のおひたし、玉ねぎのお味噌汁、玄米であった。
 和やかな夕餉の時間が過ぎていく。食事時の居間はまさに幸せを絵にかいたような空間である。よく味が染みた人参を口に放り込んでから幽々子は唐突に言った。
「お肉食べたいわ」
「は?」
 妖夢はふざけた了見を抜かす主を鋭い眼光で睨みつけた。成熟した剣士が放つ覇気が、半人前であるはずの彼女の両眼に灯っていた。
「そんな顔しないで、ゆゆさまショックでご飯も食べられない」
「言っていい冗談と悪い冗談があります。食事の席で猥談しますか、睦言を交わしますか」
 おつかいなどでよく人里に降りている妖夢は流行りにすぐ影響されてしまう。単純な女の子なのだ。もし、育ての親が唄人なら和歌を嗜んでいただろうし、ロックアーティストなら毎晩ベースをかき鳴らしていただろう。
 様々なものに触れ、影響されては空まわる従者を幽々子は面白がっているのだが、今回はその放任主義が都合の悪い方に作用していた。
 妖夢は元々ストイックなところがあるので、野菜生活が苦ではない。大豆たんぱくを血肉に変える度量がある。しかし、幽々子にしてみれば拷問であった。
 幽々子は「食」が好きだった。霊だからものを食べること自体無駄である。しかし、その無駄を愛していた。ものを味わうという行為について、幽々子は確固たる信念を持っていた。「なんでも食べる、残さず食べる」これこそ幽々子の食への矜持であった。栄養補給だと割り切って漫然とものを口に運ぶ人間どもを見下し、遊びやお洒落の道具としてしか食べ物と向き合わない愚か者を秘密裏に屠ってきた。「大食いキャラは伊達では務まらないのよ」とは本人の談である。
 そんな偏愛ともとれる彼女の「食」への執着は、最も親しい従者の手によって踏みにじられていた。説教をぶちかましても、妖夢はこれは主への愛だと言って譲らなった。その妙ちきりんな頑固さに幽々子は折れるしかなかった。


 食事を終え、幽々子は従者に悟られぬよう庭に出た。桜の木の下、幽々子は空中に手を差し出した。
「紫、来てるんでしょ」
 そう言うと空間が裂けた。いつの間にか幽々子の掌にはコンビーフの缶詰めが乗っかっていた。屋敷に背を向けながら缶をくるくると開け、しゃがんでこそこそとコンビーフを口に運ぶ。従者に見られないよう、背後には十分注意を向けた。
 ああ、美味い。このジューシーさ、旨味、ああもっと食べたい。脂がのったステーキや焼き魚が食べたい。
 わずかな肉塊は、余計に幽々子の渇望を強めた。
 紫はこうやって親友である幽々子に動物性のたんぱく質を与えていた。幻想郷で、所謂普通のたんぱく質を調達できる場所はなくなっていた。外と行き来できる紫だけが手に入れられるのだ。
「おかわり」
「もうないわ」
「残念、明日までおあずけね」
「いえ、今ので最後よ……」
 幽々子はその言葉をはじめは冗談と捉えた。しかし、顔をのぞかせた紫があまりにも人間臭い神妙な面持ちをしていたので、紛れもない真実だとわかってしまった。それを否定したくて、幽々子は空想の世界に住む子供のような無邪気さを装って尋ねた。
「え、でも、明日には調達してくれるんでしょう」
「……もうやめましょう。幽々子。あなただけなの。もう、幻想郷には」
「え、え?」
 重苦しく、紫は言った。
「もう、居場所はないの。私も。ほらこれ、ヴィーガン連合の名刺。直々に呼び出されてね、もう妖怪は……肉を食べなくても生きていけるの」
 紫は名刺を一枚渡した。幽々子は見もせず懐にしまった。
「嫌よ、お肉食べたいもの。嗜好品よ、酒や煙草と同じ」
「でも、ねえわかって幽々子。もう庇いきれないわ、それに私も立場上ね、新しい常識を受け入れなくてはならないの」
 伝統に縋る老兵、それが紫であった。だから妖怪の伝統を守るべく東奔西走し、裏工作等も積極的に行ってきた。菜食主義勢力の台頭は幻想郷を震撼させた。住民は次々と取り込まれ、ついには「妖怪は人を喰わなくても一切問題は生じない」という認識が広がってしまった。歴史や伝統はすでに塗り替えられていた。菜食こそが、幻想郷のルールである。
 新たな概念の定着により紫は動く理由を失ってしまった。そうなると紫は今度は体裁を気にした。賢く柔軟な妖怪であることを誇示しなければならなかったからだ。
 今日は幽々子を説得するために来たのだ。
 それが、幽々子は許せなかった。親友だと思っていたのは自分だけ、あちらは残念ながら宗教にどっぷりと支配されてしまった、と失望していた。
「幽々子、ごめんね」
「そう、仕方がないわ。時代は移ろうもの、でも流されない生き方も一興だと思うの。私は自分に従うだけ。じゃあね“八雲の妖怪さん”」
 紫はその場に泣き崩れた。涙はとめどなく溢れ、迎えに来た式神二匹が溺れてしまった。
 幽々子は稽古に使う三文刀を蔵から持ち出した。屋敷にはもう戻れない。下界へと降りながら幽々子は受け取った名刺を見た。そこには「ヴィーガン連合総本山、代表聖白蓮」と書かれてあった。
「許すまじ……聖白蓮!」


 そして今に至る。幽々子は単身命蓮寺に乗り込み、ブームの火付け役である白蓮を縊り殺す腹積もりであった。能力も、弾幕も使わない。この切れ味の悪い刀でぶちのめしてくれる。身体強化? お経? 構うものか、食べ物の怨念こそ最も恐ろしいとわからせてやる。まったく研ぎ澄まされてない一撃を喰らわせる。ぶん殴って、その肉体を切り分け、さやで叩いて柔らかくしたのち寺の奴らに食わせ、絶望と共に肉のうまみを味わわせてやるのだ。
 食べ物が絡むと幽々子はここまで残虐になれる。さすがは危険度極高である。
 勢いよく門を開け、本堂へと乗り込んだ。
「我こそは食の番人、西行寺幽々子也! 食を冒涜する過激派菜食主義者どもよ、この場で冥府へ送ってくれる!」
 そう叫ぶと、聖白蓮が顔を出した。幽々子の悪鬼の形相とは正反対の柔和な笑みを携えている。だが応じる声は堂々としていた。
「私が代表の聖です。お噂はかねがね、西行寺さん。どうぞおあがりくださいまし」
「問答無用、死ねぇええええええ!」
 幽々子は腰に差した刀を抜き、白蓮に切りかかった。しかし、その刃が身体に達することはなかった。白蓮が手に持っていたあるものを刀の前に差し出したのだ。
「ふふ。あなたにこれを切ることはできない」
「なっ、それは、もしやこの芳醇な香りは……カレーライス!」
 白蓮は勝ち誇った顔をしていた。まるで手を止めるのがわかっていたかのようだ。
 食への並々ならぬ愛情を持つ幽々子が、いかに怨念が在ろうとも、たとえ敵が持っていようとも、カレーライスを切り捨てることなどできるはずがないのだ。
「話をしましょう。さあこちらへ」
「そうするしかないようね……」
 幽々子は歯ぎしりしながらそう吐き捨てた。言われるがままに客間に案内され、腰を下ろすと先ほどのカレーライスでもてなされた。幽々子は疑いもせず口をつけ、そのあまりの美味しさに感動した。
「いかがでしょうか。苦心の末、辿り着いたスパイスの黄金比です」
「……肉類は入っていないのね」
 ほめちぎりたくなる衝動を堪え、唯一の問題点を指摘した。白蓮は答える。
「もちろん、このカレーも精進料理ですから。命蓮寺カレーと名付けました」
 各種スパイスの混沌が生む奥深い味わい。ごろりと入ったジャガイモやニンジンが美味いのなんの。印度からの来訪者は味覚を存分に刺激し、食した者の心を捉えて離さない。敵陣でなければ幽々子は恍惚の表情となっていただろう。
「満足していただけたようですね。ふふ、どうです、精進料理も悪くないでしょう」
 白蓮は得意げにそう言った。命蓮寺の面々が結託し、悠久の時と無数の台所を犠牲にして作り上げた最高傑作である。
 食した幽々子は唸った。美味いのは認めよう、だが、自分の信念だけは曲げるものか。幽々子はこう言った。
「確かに、素晴らしいわ。でも私は、この異常に終止符を打つために来た。動物性の食品が食べられないなんて考えられないわ。……このカレーには肉が足りない!」
「ええ、現状は存じております。しかし、もう止めることはできないのです。菜食主義は常識と成ってしまった。今は多くの者を救うしかないのです。……肉のないカレーでも満足するしかないのです」
 白蓮があまりにも辛そうな顔をして話すので「ふざけるな!」と幽々子は激昂した。そして、現状をつぶさに語り、思いつく限りの罵倒を浴びせた。
 時代に適応できず動物性のたんぱく質を求める廃人が出現したこと。供給が断たれた彼らはまず、自身や他人が体内で産生した穢れた液体を飲んだ。里には痴情がはびこり、民家の壁は白濁に染まった。彼らを狂気とみなした過激派は住民の去勢を強行した。そもそも、性交そのものが体内に動物性のたんぱく質を取り入れる行為だと気づいた者が魔術に縋り、クローン技術を開発してしまった。生物の理や、共生の意思、自然主義的な思想はもうない。ただ「たんぱく質を摂取してはいけない」という概念が独り歩きし、すべての民衆が狂気の渦に呑み込まれたのだ。
 前時代的な雑食者、もとい肉食主義者や淫乱な者は連合軍に処刑され、その本性をひた隠しにして生き延びている者もすべて廃人と化してしまった。今、幻想郷にいるのは菜食主義者と死肉を求めるゾンビだけだった。そのゾンビすら拘束され、もがき苦しんでいる。自分の身体を喰らい尽くしてしまう者もいた。これは数あるエピソードの一つである。もっとおそろしく過激な話もあるが、余白が足りないので割愛する。
 幽々子は最後に残された理性を保っている肉食主義者なのだ。
 その実情をまざまざと聞かせ、苦しむ者の声を代表し白蓮を罵った。彼女とて、弱者の呻き声は知っているはずだ、それから目を背けるのかと毒を浴びせた。
「あなたは少し傲慢すぎる!」
 最後にビシッとそう言うと、うつむきながら聞いていた白蓮は、唐突に涙を流し始めた。
「わ、私だっえ、私だってぇ、お肉食べたいんですよう! でも、皆が頑張るっていうからぁ、ちゃんとしないとってぇ!」
 弁明どころか言い訳にすらなっていなかった。だが、それは白蓮の魂の叫びであった。彼女を慕う者の愛があまりにも大きく重すぎたのだ。愛が歪み、いつしか白蓮の意思とは関係のない方へと突き抜けていったのだ。
 白蓮は生粋の生臭坊主であるという本性をさらけ出せず、真面目な信仰深い仏徒としてふるまうしかなかった。そもそも、今まで酒(般若湯)を飲んだり、三種浄肉の穴をついて肉や魚の刺身を食べたり(宗派によっては他人からの頂き物なら食べてもよいとされていたりする)していたのに、急にブームの火付け役に担ぎ上げられた白蓮としては「たまったもんじゃない」が心境であった。 
「あなたも、苦しみを分かち合う同士だったのね」
 白蓮はこくりと小さく頷いた。ついに幽々子は彼女に心を開いた。
 孤軍奮闘を覚悟していた幽々子であったが、目の前で本気で泣いている白蓮は種族や宗派を超越した仲間と言えた。幽々子は決して孤独ではなかったのだ……!
 白蓮の嗚咽交じりの涙は、およそ半刻ほど続いた。ようやく声が出せるようになったところで、力強くこう言った。
「私は、救うため、台所に立ちます。これが私なりの抗い方です」
 美味いものを、肉や魚がなくても満足できるものをこしらえる。それが白蓮にできる償いであり、抵抗であった。彼女は他者だけでなく、自分すら救おうとしているのだ。それは自己犠牲以上に難しい。
 握りしめている彼女の手は傷だらけだった。夥しい火傷痕、生々しい切り傷、それは戦士のあかしである。このカレーライス、否、命蓮寺カレーは血涙と汗で出汁を取り、慈悲と辛抱のスパイスで味を調えた研鑽の賜物なのだ。
「幽々子さん、私は決して諦めません。皆が笑えるその日まで、カレーを作り続けます……!」
「……わかったわ、引くことにする。でも私は私のやり方で抗い続けるわ」
「構いません。いずれまた、どこかで会うかもしれません。その時は……その時は進化した命蓮寺カレーを御馳走しましょう」
「楽しみにしているわ」
 幽々子は手を合わせた。
「ごちそうさまでした!」
 食と、その調理者に感謝を伝え、幽々子は命蓮寺を後にした。


 ふよふよと連合の包囲網を潜り抜けながら幽々子は飛ぶ。
「私は決して屈しない。何処までも逃げのびて、訴え続ける。時代が変わるその日まで」
 常識はいつだって覆される。今に菜食主義に異論を唱える者が現れ、時代は大きくうねるだろう。歴史は何度も、それこそ輪廻転生のように繰り返される。
 時が来たら堂々と命蓮寺カレーを食べるのだ。幽々子は強くそう誓った。
コンビーフくるくるしたいです。
灯眼
http://twitter.com/tougan833
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.270簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
テンポ良く面白かったです
2.100電柱.削除
飯テロかよ!面白かったです。
3.100サク_ウマ削除
洗練された狂気的コメディ大好き
2話目だけいまいち意図が分からなかったけど絵面がシュールだったので良いと思います
狂った発想と狂った展開を堅実な文章で書き上げるの、ずるい
パーフェクトかと
お見事でした
4.100Actadust削除
やばいっすわ……こんなの反則でしょ……笑わずにはいられねぇんですよ……
絵面がシュールなのに文章が上手くてすごい。
あとこの霊夢可愛すぎません?
5.100名前が無い程度の能力削除
頭イカれちまってんのか!
6.100名前が無い程度の能力削除
作者に洗脳されてる気分で読みました
7.100ヘンプ削除
サイコーだよ!
面白すぎる!スシがとても良かったです!
8.100南条削除
とても面白かったです
初手からテンションおかしくて最高でした
9.100終身削除
3食並んだうちの最初からクライマックスで笑いました ただ大食いをするだけでない幽々子なりの食への拘りのようなものへの探求と世知辛い幻想郷の衝突のあれこれに文字通りしっかりとした持ち味と魅力があったと思います 所々の小ネタにまで拘りがあって面白かったです 
10.100やまじゅん削除
開幕四文字で落としにかかるのはズルい。

ツッコミまみれで読みきるのに結構時間がかかりましたわ!!
最後丸め込まれてるしさぁ!菜食主義問題解決してないしさぁ!!!!

でもめっちゃ面白いからOKです。
12.無評価名前が無い程度の能力削除
私は三話目がお気に入りです。
とんでもねえディストピアだ。
13.100名前が無い程度の能力削除
↑評価わすれましたごめんなさい。
14.100名前が無い程度の能力削除
桜餅にはうぐいすあんだろ常識に考えt…あっ、嘘です幽々子さま、だからその刀を閉まって(斬
19.100名前が無い程度の能力削除
か…怪文書…
全てを忘れて楽しめました!
20.100こしょ削除
幽々子様ならどんな状況もひっくり返せるって思えるさ!
21.100名前が無い程度の能力削除
食事で壊れる友情が儚い
いやまあ肉食えるようになったらフツーに元通りになってそうですけど
22.100夏後冬前削除
やはり肉を食わないと人間はおかしくなるのです。みんなわかってたこと。
23.90竹者削除
よかったです
24.100きぬたあげまき削除
筒井康隆さんみを感じました。
白あんで死にたくなったところで爆笑しました。