マウザーM1918は第一次世界大戦の最中にドイツ帝国によって開発された兵器である。対戦車ライフルの元祖とも言われ、歩兵銃をそのまま拡大したような外観、大人の身長ほどにもなる長大さから「象撃ち銃」とも通称された。その長大な銃身から放たれる銃弾は、当時の英仏戦車の装甲を余裕で撃ち抜く威力を誇り、連合軍に多大なる脅威を与えたという。
そんな知識を、この幻想郷で有する者は多くないだろう。資料を再現して作ったと言っていた河童たちでもそうだ。知る手段がないのではなく、知る必要がないのだから。
だが、自分が振るう兵器の事はできるだけ知っているべきだとこころは思う。同じように道具であった身としての、それは義務だと。
「やっほーこころちゃん。それって装甲貫通力が距離65mで25mm、最大射程500m、使用弾薬13mm口径のボルトアクションライフルで、対戦車兵器として重用されながらもあまりの反動の大きさに射手が肩関節脱臼や鎖骨骨折とかするせいで『一発撃つと右肩を、二発撃つと左肩を壊し、三発目は撃てない』なんて揶揄されたマウザー・タンクゲヴェールM1918じゃない?」
「私はお前のことが嫌いだ」
いつの間にか寄ってきた古明地こいしからライフルを取り返して、こころはそっぽを向いた。
「そんな大げさな兵器担ぎ出して、戦争でもするの?」
「そんな大層な話じゃない。ちょっと神霊廟の連中を懲らしめてやろうかと」
「そんなので撃ったら懲りるどころか肉片になるけど」
「問題はない。M202ロケットランチャーとM2火炎放射器も用意してあるから、奴らの細胞の一欠片さえも残す事はない」
「火力が過剰すぎる」
「仕留めたあとの道場を速やかに破壊するため、BLU-82/B爆弾の使用許可を賢者の方々に申し出ているところだ」
「何がそこまでこころちゃんを駆り立てるの?」
程なく、賢者の使いだという化け猫がやってきて「不採用♡」と書かれた紙を渡してきたので、マタタビをあげて家に連れ込んだ。中から開けられない部屋に案内して鍵をかけておく。後で天狗たちに撮影機材のレンタルを依頼する必要があるだろう。
「ある日の事だ。私はゲームをしていたんだ。Gensoucraftの連続プレイ時間がだいたい20時間から150時間にかけての事だった」
「ある日の境目が曖昧」
「神子め、事もあろうに『ゲームは一日60分までにしなさい』などと無理難題を申し付けてきたんだ」
「無理難題かなぁ」
「60分でやめられるゲームなどこの世に存在しない。最低15時間からだろう。少しでもゲームを知っていれば誰でもわかる。ゲームが悪だなどという偏見がこのような無理解をもたらすのだ」
「偏見の強さ勝負?」
ふんすと鼻息を荒くするこころの元に、慌てた様子で一人の妖精が飛んできた。陽光を思わせる明るい金髪を左右に跳ねさせ、口元には小さく八重歯が覗く。普段は太陽のように朗らかな表情も、今は不安と焦燥を映し出している。
「屠自古さんが出かけるのが確認できました。今は道場には神子さんの他は布都さんと青娥さんだけです」
「よし、仕掛けるぞ。すぐ全員に支度をさせろ」
「標的って神子さんだけじゃないの?」
「屠自古は優しいから巻き込みたくない。布都はアホだから別にいい。青娥は優しいけど、なんか怖いからこの機会に一緒に亡き者にしておく」
「清々しいほど理不尽」
ライフルを担いでこころが向かった先には、ずらりと整列して並ぶ妖精たちの一団が待っていた。いずれも強い緊張の面持ちで、中には泣きそうな表情を浮かべる者もいた。
「これだけの手勢を揃えた今、仙人何するものぞ。我らは必ずやあの邪悪な者どもを血祭りにあげるだろう」
「妖精を頭数だけ揃えたって戦力にはならなそうだけど」
「問題ない。標準装備として全員にFP-45リベレーターを配備してある」
「その銃がどんな代物か知ってるの?」
「装填数一発、射程およそ15m、空薬莢の排出から再装填まで全部手動な上に15発も撃てば大体壊れる粗雑さと、弾がまっすぐ飛ばないから実質至近距離でしか運用できない低品質さが特徴的な拳銃だ」
「体当たりした方が強そう」
「天道は我らと共にある! 敵の放つ攻撃が諸君らに命中する事はなく、諸君らの放つ弾丸は正義の信念をもって敵の身体を撃ち貫くであろう!」
「部隊を全滅させて自分だけ逃げ延びる隊長ごっこかな」
「あ、あの、こころさん……戦うのはいいんですけど、その、ルナは、ルナは無事なんですか……?」
「ああ、心配するな。じきに会えるさ。じきにな……」
「士気も低そうだなぁ」
戦況はすぐに膠着した。妖精たちの放つ弾丸は、迎撃に出てきた布都に一発たりともかする事さえなかったが、拳銃を構えて泣きながら突貫してくる多数の妖精という絵面は物部氏の姫をして戦慄せしめるものだった。撃ち落とすのは容易いが、妖精らしくすぐに復活してはまた新しい拳銃を構えて突っ込んでくる。弾倉に空薬莢だけを残した無数のリベレーターが道場の入り口に積み重なっていった。
「……目標は少しずつ後退しています。あの……みんなが撃ち落とされて、その分だけ少しずつ……」
「よし、そのまま突撃を続けろ。リベレーターはいくらでもある。落とされながらでも押してゆけばいずれ本殿にも至るはずだ」
「人道という言葉の意味を考えさせられるね」
妖精たちの悲鳴が重なり合う戦場を尻目に、こいしはこころが抱えるマウザーM1918を指し示した。
「ところで、それは使わないの? 妖精たちに突っ込ませるより簡単にあっちを後退させられると思うけど」
「まだ早い。敵は仙術を使うんだ。戦車を呼び出されては妖精では押し返せない。その時のためのコイツだからな」
「そんな仙術はないわよ~」
本殿からふよふよと飛んできた青娥は、その一言を告げるとまた本殿にふよふよと戻っていった。
「ツッコミだけしていったわね」
「暇なんだな」
「一応敵って想定でしょ。撃ち落とさなくてよかったの?」
「コイツ重いから上に構えられないんだ」
「たった今致命的な弱点が白日のもとにさらされたような」
そうこうしている内に、布都が口惜しそうな渋面を浮かべて本殿内に後退した。
「よし、突入するぞ。全員私に続け!」
こころはマウザーM1918を両手で抱えながら走り、その後ろを妖精たちが飛行しながらついて行った。
無数に転がるリベレーターの中には銃弾が入ったままのものもあり、暴発を避けるため抜き足差し足で慎重に回避しながら迅速に進軍する。
「飛べば?」
「コイツ重いから抱えて飛べないんだ」
「邪魔にしかなっていない」
リベレーターを向けあって遊んでいた妖精たちが4人ほど暴発で一回休みになった頃、ようやく本殿の入り口に到達した。
道場の広い通路は閑散としており、どこか威圧的な空気がただよう。
「ここからは慎重に進むぞ。敵は邪悪な仙人どもだ。どんな卑劣な罠が仕掛けてあるか分かったものじゃない」
「本拠地に罠を仕掛けるほど脅威を与えられてるのかなぁ」
「妖精たちに何人か先行させる。これは正義の戦いなのだ。どんな罠にも決して怯んではならない」
「屋内戦じゃなおのこと戦力にならなそうだけど」
「リベレーターの短射程も出会い頭なら好機はあるし、最悪でも罠よけにはなる」
「正義とは」
警戒しながら進軍するも、予想された敵の罠、あるいは迎撃に遭遇する事はなかった。こころは訝しげな表情の代わりに猿の面を浮かべる。
「不可解な……少し進めば先頭が触手の罠に絡め取られて陵辱の限りを尽くされると思ったのだが」
「そんな罠を想定しながら妖精たちに先行させたの?」
「仙術は自分の精気を高める事が主な目的だから、敵を攻撃するようなものじゃないのよ~」
壁に穴を開けて現れた青娥は、一言を添えて穴の向こうに去っていった。
「ほら、青娥さんも呆れてるよ」
「あいつは嘘はつかないけど本当の事も言わないやつだ。きっと猛烈に発情して前後不覚になる香とかを炊いてるに違いない」
「それは入り口に流れたら邪魔だから、もっと奥の方よ~」
「あるんだ」
「……待て! 扉は不用意に開けるな。邪仙の媚薬を嗅がされたら一切の抵抗もできず自分から求めだすようにされてしまうぞ!」
「なんで警戒する罠が全部エロ系なのかしら」
「心外だわ~」
道場の中心は広々とした稽古場となっている。門下の者たちの鍛錬場であると共に、神子が人を集めて様々な演説を行うための場所でもあった。
しかし今は、普段の喧騒が嘘のように静まっている。人気のない稽古場の中心で、一人正座して佇む姿。豊聡耳神子、その人だ。
「ついに来ましたか」
「来たさ。途中でちょっかいを出してきた青娥に妖精たちがみんな懐柔されて連れ去られたが、私は来た」
「エロい事されてそう」
「人聞きの悪いこと言わないで~」
「たかが……と言ってはいけないのでしょうが、ゲームを咎められただけでここまでの反逆を起こすとは、思いもしませんでしたよ」
「神子は分かってない。ゲームが私にとってどういうものなのかを」
ぐ、とこころは身を乗り出し強く拳を握った。傍らに狐の面を浮かべ、普段通りの無表情にもどこか真摯さの影がさす。
「ゲームは私に様々な感情を教えてくれた。初見殺しで初心者をハメる喜び……リスク度外視の無敵技ぶっぱへの怒り……マッチングシステムのせいで勝てる相手とだけ連戦できない哀しみ……」
「てきめんにろくでもない」
「クソ技を延々と押し付けられる怒り……倒しきり超必殺技の演出中に切断される怒り……クソラグ回線と当たって水中戦をさせられる怒り……」
「怒り多くない?」
「喜怒哀楽、感情の根源たるそれらをゲームは私に与えてくれた、学ばせてくれたんだ」
「楽なかったけど」
「様々な感情を沸き起こさせる、そうであって初めて生に意味が生まれる。私はゲームを楽しんでいたのではない。ゲームをしているその時だけが、私の生きている時間なのだ!」
「アイデンティティの問いがどうしようもない結論にアクロバティック着地している」
「私から人生を奪わせはしない。そのために命だって賭ける。これはそのための戦いだ!」
「よくわかりました。確かに60分というのは浅慮な判断だったかもしれませんね」
す、と神子が立ち上がりまっすぐこころを見つめる。射抜くように鋭い視線からは、確かな信念が伺えた。
「しかし、ゲームが生であったとしても、生がゲームなのではない。他人と過ごす、鍛錬する、学ぶ、その他多くの事もまた、お前の時間であるはず。それらはいずれもゲームと価値を等しくする」
「なにが大切かは私が決める事だ!」
「その通り。しかしそれがあまりに均整を欠くものであれば、苦言も呈そうというもの。面霊気よ、お前このところ能楽の公演もサボっているでしょう」
「それは、この身体は一つしかない以上、選ばねばならない事もある」
「選んだ結果であるというのなら、それを公演を楽しみに待つ人々に説明しなくては。何の発表もなく公演が開かれない状況を多くの人々が残念に思い、またお前を心配してもいるのですよ」
「それは……しかし、私には画面の向こうに、喜びを分かち合う仲間たちが……」
「だいたい怒りばっかり感じてたような」
「それを捨てろなどとは言いません。ただ、お前は知るべきです。そこ以外にもお前の居場所があり、その人たち以外にもお前には仲間がいるという事を」
「むしろ画面の向こうの人たちからは仲間だと思われてなさそうだなぁ」
「……仲間を、生をないがしろにしていたのは、私の方だったと……?」
「一つの事に熱中すれば、周りが見えなくなるのもやむを得ない。そんな時に手を差し伸べてくれるのが、お前が大切に扱っていた人々なのです。これが見えますか?」
神子は懐から紙束を取り出した。それは手紙のようで、かなりの量があるが一枚一枚の文章量は少ない。たどたどしい文字から達筆まで様々な筆跡で綴られていた。
「公演が開かれない事を心配する多くの手紙です。ここにお前を責める言葉は一つもなく、ただお前の体調を心配する声だけが連なっています。これほど多くの声が届くのは、お前がそれまでこの人々を大切に扱っていた証でもありましょう」
「おお……こんなにも多くの感情が、私に……」
「ゲームにしたところで、それを作った者の感情は存在している。対戦相手がいる場合もある。その交流を否定はしません。ですが、それ以外のところにも、お前が大切にするべき感情はあるはず。他ならぬお前自身にとってそうであったからこその、この多くの声なのですから」
「そういえば布都ちゃんはどこに行ったのかしら」
「迎撃しなくていいって言われて暇になったから、私と遊んでるわよ~」
「ああ、エロい事してるのね」
「すまない、私が間違っていた。ゲームは大事だが他の事だって同じように大事だ。どちらも同じく大切に扱えるように、色々考えてみる」
「限りある時間の中で、全てを等しく扱えはしないでしょう。ですがそれは最大限に努力を費やす価値があるはずです。それらがもたらす数々の感情は、お前の時間を鮮やかに彩る事でしょう」
「時間を有効に活用しなくてはいけないな……それにソシャゲの課金額も調整しないと」
「一月に200万までは許可しましょう。少ないと思うかもしれませんが、これも修行と心得なさい」
「ここに来てその甘やかし方?」
「ああ、ゲームも能楽も、私は何一つ捨てないし諦めない。その精一杯が、私の生なんだ」
「迷いあればいつでも相談しなさい。そのために私たちはいるのですから」
「ねー青娥さん、私も布都ちゃんたちにエロい事しに行っていい?」
「してないってば~」
「こいし、その物騒な兵器はなに?」
「マウザー・タンクゲヴェールM1918よ。もう必要ないってこころちゃんが言うからもらってきたの」
「なんで?」
「これで撃てば人間なんてひとたまりもないから、とりあえずお姉ちゃんを撃ってみるね」
「なんで?」
そんな知識を、この幻想郷で有する者は多くないだろう。資料を再現して作ったと言っていた河童たちでもそうだ。知る手段がないのではなく、知る必要がないのだから。
だが、自分が振るう兵器の事はできるだけ知っているべきだとこころは思う。同じように道具であった身としての、それは義務だと。
「やっほーこころちゃん。それって装甲貫通力が距離65mで25mm、最大射程500m、使用弾薬13mm口径のボルトアクションライフルで、対戦車兵器として重用されながらもあまりの反動の大きさに射手が肩関節脱臼や鎖骨骨折とかするせいで『一発撃つと右肩を、二発撃つと左肩を壊し、三発目は撃てない』なんて揶揄されたマウザー・タンクゲヴェールM1918じゃない?」
「私はお前のことが嫌いだ」
いつの間にか寄ってきた古明地こいしからライフルを取り返して、こころはそっぽを向いた。
「そんな大げさな兵器担ぎ出して、戦争でもするの?」
「そんな大層な話じゃない。ちょっと神霊廟の連中を懲らしめてやろうかと」
「そんなので撃ったら懲りるどころか肉片になるけど」
「問題はない。M202ロケットランチャーとM2火炎放射器も用意してあるから、奴らの細胞の一欠片さえも残す事はない」
「火力が過剰すぎる」
「仕留めたあとの道場を速やかに破壊するため、BLU-82/B爆弾の使用許可を賢者の方々に申し出ているところだ」
「何がそこまでこころちゃんを駆り立てるの?」
程なく、賢者の使いだという化け猫がやってきて「不採用♡」と書かれた紙を渡してきたので、マタタビをあげて家に連れ込んだ。中から開けられない部屋に案内して鍵をかけておく。後で天狗たちに撮影機材のレンタルを依頼する必要があるだろう。
「ある日の事だ。私はゲームをしていたんだ。Gensoucraftの連続プレイ時間がだいたい20時間から150時間にかけての事だった」
「ある日の境目が曖昧」
「神子め、事もあろうに『ゲームは一日60分までにしなさい』などと無理難題を申し付けてきたんだ」
「無理難題かなぁ」
「60分でやめられるゲームなどこの世に存在しない。最低15時間からだろう。少しでもゲームを知っていれば誰でもわかる。ゲームが悪だなどという偏見がこのような無理解をもたらすのだ」
「偏見の強さ勝負?」
ふんすと鼻息を荒くするこころの元に、慌てた様子で一人の妖精が飛んできた。陽光を思わせる明るい金髪を左右に跳ねさせ、口元には小さく八重歯が覗く。普段は太陽のように朗らかな表情も、今は不安と焦燥を映し出している。
「屠自古さんが出かけるのが確認できました。今は道場には神子さんの他は布都さんと青娥さんだけです」
「よし、仕掛けるぞ。すぐ全員に支度をさせろ」
「標的って神子さんだけじゃないの?」
「屠自古は優しいから巻き込みたくない。布都はアホだから別にいい。青娥は優しいけど、なんか怖いからこの機会に一緒に亡き者にしておく」
「清々しいほど理不尽」
ライフルを担いでこころが向かった先には、ずらりと整列して並ぶ妖精たちの一団が待っていた。いずれも強い緊張の面持ちで、中には泣きそうな表情を浮かべる者もいた。
「これだけの手勢を揃えた今、仙人何するものぞ。我らは必ずやあの邪悪な者どもを血祭りにあげるだろう」
「妖精を頭数だけ揃えたって戦力にはならなそうだけど」
「問題ない。標準装備として全員にFP-45リベレーターを配備してある」
「その銃がどんな代物か知ってるの?」
「装填数一発、射程およそ15m、空薬莢の排出から再装填まで全部手動な上に15発も撃てば大体壊れる粗雑さと、弾がまっすぐ飛ばないから実質至近距離でしか運用できない低品質さが特徴的な拳銃だ」
「体当たりした方が強そう」
「天道は我らと共にある! 敵の放つ攻撃が諸君らに命中する事はなく、諸君らの放つ弾丸は正義の信念をもって敵の身体を撃ち貫くであろう!」
「部隊を全滅させて自分だけ逃げ延びる隊長ごっこかな」
「あ、あの、こころさん……戦うのはいいんですけど、その、ルナは、ルナは無事なんですか……?」
「ああ、心配するな。じきに会えるさ。じきにな……」
「士気も低そうだなぁ」
戦況はすぐに膠着した。妖精たちの放つ弾丸は、迎撃に出てきた布都に一発たりともかする事さえなかったが、拳銃を構えて泣きながら突貫してくる多数の妖精という絵面は物部氏の姫をして戦慄せしめるものだった。撃ち落とすのは容易いが、妖精らしくすぐに復活してはまた新しい拳銃を構えて突っ込んでくる。弾倉に空薬莢だけを残した無数のリベレーターが道場の入り口に積み重なっていった。
「……目標は少しずつ後退しています。あの……みんなが撃ち落とされて、その分だけ少しずつ……」
「よし、そのまま突撃を続けろ。リベレーターはいくらでもある。落とされながらでも押してゆけばいずれ本殿にも至るはずだ」
「人道という言葉の意味を考えさせられるね」
妖精たちの悲鳴が重なり合う戦場を尻目に、こいしはこころが抱えるマウザーM1918を指し示した。
「ところで、それは使わないの? 妖精たちに突っ込ませるより簡単にあっちを後退させられると思うけど」
「まだ早い。敵は仙術を使うんだ。戦車を呼び出されては妖精では押し返せない。その時のためのコイツだからな」
「そんな仙術はないわよ~」
本殿からふよふよと飛んできた青娥は、その一言を告げるとまた本殿にふよふよと戻っていった。
「ツッコミだけしていったわね」
「暇なんだな」
「一応敵って想定でしょ。撃ち落とさなくてよかったの?」
「コイツ重いから上に構えられないんだ」
「たった今致命的な弱点が白日のもとにさらされたような」
そうこうしている内に、布都が口惜しそうな渋面を浮かべて本殿内に後退した。
「よし、突入するぞ。全員私に続け!」
こころはマウザーM1918を両手で抱えながら走り、その後ろを妖精たちが飛行しながらついて行った。
無数に転がるリベレーターの中には銃弾が入ったままのものもあり、暴発を避けるため抜き足差し足で慎重に回避しながら迅速に進軍する。
「飛べば?」
「コイツ重いから抱えて飛べないんだ」
「邪魔にしかなっていない」
リベレーターを向けあって遊んでいた妖精たちが4人ほど暴発で一回休みになった頃、ようやく本殿の入り口に到達した。
道場の広い通路は閑散としており、どこか威圧的な空気がただよう。
「ここからは慎重に進むぞ。敵は邪悪な仙人どもだ。どんな卑劣な罠が仕掛けてあるか分かったものじゃない」
「本拠地に罠を仕掛けるほど脅威を与えられてるのかなぁ」
「妖精たちに何人か先行させる。これは正義の戦いなのだ。どんな罠にも決して怯んではならない」
「屋内戦じゃなおのこと戦力にならなそうだけど」
「リベレーターの短射程も出会い頭なら好機はあるし、最悪でも罠よけにはなる」
「正義とは」
警戒しながら進軍するも、予想された敵の罠、あるいは迎撃に遭遇する事はなかった。こころは訝しげな表情の代わりに猿の面を浮かべる。
「不可解な……少し進めば先頭が触手の罠に絡め取られて陵辱の限りを尽くされると思ったのだが」
「そんな罠を想定しながら妖精たちに先行させたの?」
「仙術は自分の精気を高める事が主な目的だから、敵を攻撃するようなものじゃないのよ~」
壁に穴を開けて現れた青娥は、一言を添えて穴の向こうに去っていった。
「ほら、青娥さんも呆れてるよ」
「あいつは嘘はつかないけど本当の事も言わないやつだ。きっと猛烈に発情して前後不覚になる香とかを炊いてるに違いない」
「それは入り口に流れたら邪魔だから、もっと奥の方よ~」
「あるんだ」
「……待て! 扉は不用意に開けるな。邪仙の媚薬を嗅がされたら一切の抵抗もできず自分から求めだすようにされてしまうぞ!」
「なんで警戒する罠が全部エロ系なのかしら」
「心外だわ~」
道場の中心は広々とした稽古場となっている。門下の者たちの鍛錬場であると共に、神子が人を集めて様々な演説を行うための場所でもあった。
しかし今は、普段の喧騒が嘘のように静まっている。人気のない稽古場の中心で、一人正座して佇む姿。豊聡耳神子、その人だ。
「ついに来ましたか」
「来たさ。途中でちょっかいを出してきた青娥に妖精たちがみんな懐柔されて連れ去られたが、私は来た」
「エロい事されてそう」
「人聞きの悪いこと言わないで~」
「たかが……と言ってはいけないのでしょうが、ゲームを咎められただけでここまでの反逆を起こすとは、思いもしませんでしたよ」
「神子は分かってない。ゲームが私にとってどういうものなのかを」
ぐ、とこころは身を乗り出し強く拳を握った。傍らに狐の面を浮かべ、普段通りの無表情にもどこか真摯さの影がさす。
「ゲームは私に様々な感情を教えてくれた。初見殺しで初心者をハメる喜び……リスク度外視の無敵技ぶっぱへの怒り……マッチングシステムのせいで勝てる相手とだけ連戦できない哀しみ……」
「てきめんにろくでもない」
「クソ技を延々と押し付けられる怒り……倒しきり超必殺技の演出中に切断される怒り……クソラグ回線と当たって水中戦をさせられる怒り……」
「怒り多くない?」
「喜怒哀楽、感情の根源たるそれらをゲームは私に与えてくれた、学ばせてくれたんだ」
「楽なかったけど」
「様々な感情を沸き起こさせる、そうであって初めて生に意味が生まれる。私はゲームを楽しんでいたのではない。ゲームをしているその時だけが、私の生きている時間なのだ!」
「アイデンティティの問いがどうしようもない結論にアクロバティック着地している」
「私から人生を奪わせはしない。そのために命だって賭ける。これはそのための戦いだ!」
「よくわかりました。確かに60分というのは浅慮な判断だったかもしれませんね」
す、と神子が立ち上がりまっすぐこころを見つめる。射抜くように鋭い視線からは、確かな信念が伺えた。
「しかし、ゲームが生であったとしても、生がゲームなのではない。他人と過ごす、鍛錬する、学ぶ、その他多くの事もまた、お前の時間であるはず。それらはいずれもゲームと価値を等しくする」
「なにが大切かは私が決める事だ!」
「その通り。しかしそれがあまりに均整を欠くものであれば、苦言も呈そうというもの。面霊気よ、お前このところ能楽の公演もサボっているでしょう」
「それは、この身体は一つしかない以上、選ばねばならない事もある」
「選んだ結果であるというのなら、それを公演を楽しみに待つ人々に説明しなくては。何の発表もなく公演が開かれない状況を多くの人々が残念に思い、またお前を心配してもいるのですよ」
「それは……しかし、私には画面の向こうに、喜びを分かち合う仲間たちが……」
「だいたい怒りばっかり感じてたような」
「それを捨てろなどとは言いません。ただ、お前は知るべきです。そこ以外にもお前の居場所があり、その人たち以外にもお前には仲間がいるという事を」
「むしろ画面の向こうの人たちからは仲間だと思われてなさそうだなぁ」
「……仲間を、生をないがしろにしていたのは、私の方だったと……?」
「一つの事に熱中すれば、周りが見えなくなるのもやむを得ない。そんな時に手を差し伸べてくれるのが、お前が大切に扱っていた人々なのです。これが見えますか?」
神子は懐から紙束を取り出した。それは手紙のようで、かなりの量があるが一枚一枚の文章量は少ない。たどたどしい文字から達筆まで様々な筆跡で綴られていた。
「公演が開かれない事を心配する多くの手紙です。ここにお前を責める言葉は一つもなく、ただお前の体調を心配する声だけが連なっています。これほど多くの声が届くのは、お前がそれまでこの人々を大切に扱っていた証でもありましょう」
「おお……こんなにも多くの感情が、私に……」
「ゲームにしたところで、それを作った者の感情は存在している。対戦相手がいる場合もある。その交流を否定はしません。ですが、それ以外のところにも、お前が大切にするべき感情はあるはず。他ならぬお前自身にとってそうであったからこその、この多くの声なのですから」
「そういえば布都ちゃんはどこに行ったのかしら」
「迎撃しなくていいって言われて暇になったから、私と遊んでるわよ~」
「ああ、エロい事してるのね」
「すまない、私が間違っていた。ゲームは大事だが他の事だって同じように大事だ。どちらも同じく大切に扱えるように、色々考えてみる」
「限りある時間の中で、全てを等しく扱えはしないでしょう。ですがそれは最大限に努力を費やす価値があるはずです。それらがもたらす数々の感情は、お前の時間を鮮やかに彩る事でしょう」
「時間を有効に活用しなくてはいけないな……それにソシャゲの課金額も調整しないと」
「一月に200万までは許可しましょう。少ないと思うかもしれませんが、これも修行と心得なさい」
「ここに来てその甘やかし方?」
「ああ、ゲームも能楽も、私は何一つ捨てないし諦めない。その精一杯が、私の生なんだ」
「迷いあればいつでも相談しなさい。そのために私たちはいるのですから」
「ねー青娥さん、私も布都ちゃんたちにエロい事しに行っていい?」
「してないってば~」
「こいし、その物騒な兵器はなに?」
「マウザー・タンクゲヴェールM1918よ。もう必要ないってこころちゃんが言うからもらってきたの」
「なんで?」
「これで撃てば人間なんてひとたまりもないから、とりあえずお姉ちゃんを撃ってみるね」
「なんで?」