「……ふむふむ。なるほど。この環状ペプチドって奴を取り出すことが出来ればいいんだな。そうすれば……」
一人でブツブツ言いながら霧雨魔理沙は、自室の机に座り文献を読んでいる。
その時ドアを叩く音が聞こえる。
「誰だ? 開いてるぜー!」
玄関から入ってきたのは、藁の笠をかぶり黒髪で二本の三つ編みを結った小柄な少女――矢田寺成美だった。
「誰かと思えば、成子じゃないか!」
「だから成美だってば。何度も人の名前間違えないでよ。魔理沙」
「気にするな、愛称みたいなもんさ。しかし、こりゃまた珍しいのが来たな」
「人を珍獣みたいに言わないで」
不満そうな顔をする成美に、魔理沙は言う。
「ある意味珍獣だろ? いや、どちらかというと珍種か」
元々彼女は、魔法の森にあった地蔵の一つで、魔法の森の魔力でいつの間にか動けるようになった存在だ。
「で、どうしたんだ。今日は?」
「あ、えっと。その……暇だから遊びに……」
「なんだ地蔵は暇なのか。あいにく私は忙しいぞ?」
「そうなんだ。じゃ、お邪魔なら帰ろうかな……」
「いや。邪魔じゃなけりゃ居てもいいぜ? その代わり何も出せんが」
「そう? じゃあ居させてもらおうっと」
と、成美は椅子へ座ると、キョロキョロと辺りを見回す。魔理沙が告げる。
「おいおい。あまり人の部屋をジロジロ見ないでくれよ。私のプライベートがダダ漏れじゃないか」
「自分から自室に招いておいて、今更プライベートも何もないと思うけど……」
「なるほど! それもそうだな!」
「そこ、納得しちゃうんだ……。で、何をやってたの?」
「素晴らしい研究さ!」
「研究ってどんな……?」
「ふふふ。よくぞ聞いてくれた!」
と、魔理沙は自信ありげに胸を張って説明を始める。
「いいか。この研究が成功した暁には、魔法の森における食難事情が解決出来ると私は踏んでいる。それだけ意義のある研究なのだ!」
「何か凄そうだけど、一体どんな研究なの?」
「よくぞ聞いてくれた!」
「その台詞2回目よ?」
「いいだろ別に。同じ台詞を何度も言っちゃいけないなんてルールはどこにもないだろ。こう言うのは雰囲気が大事なんだぜ!」
成美は何の雰囲気なのだろうと、頭に疑問符を浮かべつつも、とりあえず彼女の説明を聞くことにする。
「この魔法の森には数多くのキノコが生えるのはご存じの通りだ。しかも森全体を覆っている魔力と瘴気のおかげで一年中色んなキノコが生える。そして、そのキノコの中でも、とりわけ目立つのがこいつだ!」
と、彼女は机の上に置いてある箱の中から、純白のキノコを取り出す。すかさず成美が言う。
「あ、それ知ってる。よく森のあちこちに生えてるわよね。名前は知らないけど」
「こいつはな。テッポウタケと言って、魔法の森においては割とどこでも見られる、特に珍しくもなんともないキノコだ!」
「でも、それって確か毒なんじゃなかった? 食べちゃいけないって……」
「その通りだ! こいつはこんな綺麗な見た目をしていながら、えげつないくらい強い毒を持ったキノコだ」
「猛毒なんだ。で、このキノコがどうしたの……?」
きょとんとした様子で首をかしげる成美に、魔理沙はじれったそうに告げる。
「……まったく、勘が鈍い奴だな。さっき言っただろう? 魔法の森の食難事情を解決出来るかもしれないって」
成美は怪訝そうな表情を浮かべて魔理沙に聞く。
「え……まさか食べるの? これを」
「まさか食べるんだよ。これを」
「どうやって食べるのよ。これ猛毒なんでしょ?」
「猛毒だぜ。食べたら確実に死ねるくらいには」
「そんなのどうやって食べるのよ」
「成美。その台詞二回目だぜ? なんだ。人のこと言えないじゃないか」
「い、いいでしょ別に……! そんなことより、どうやって食べるのよ!」
「決まってるだろ。毒抜きするんだよ」
「毒抜き……?」
「そうだ。毒のあるキノコでも塩漬けにしたり熱湯で煮込んだりすれば、毒がなくなって食べられるようになる場合もあるんだ」
「へえー。そうなんだ。でも、場合って事は、ダメな時もあるのね?」
「もちろんだとも! すべての毒に有効なわけじゃないからな」
「それで、このキノコはどっち側なの?」
「ダメ側だ。こいつの毒は煮ても焼いても決して消えることはない。しかも食べても消化出来ない。ずっと体に毒素が残り続ける」
「ダメ過ぎる! そんなのどうやって毒抜きするの?」
「特殊な技法を使うのさ」
そう言うと魔理沙は、にやっと笑みを浮かべる。
「……何か嫌な予感しかしないんだけど、一体どんな技法なの」
「私が開発した魔法を使うんだ」
「嫌な予感的中だわ……。大丈夫なのそれ」
呆れた様子で成美が尋ねると、魔理沙は胸を張って答える。
「大丈夫だとも! 理屈は簡単だからな。既存の解毒魔法を応用して、キノコの毒成分を中和させるんだ。ようは人体ではなくキノコの解毒をするってわけだ」
魔理沙の説明を聞きながら成美は何度か軽く頷く。
「……なるほど。それなら確かに理にはかなってるわよね」
「だろう? だが、そのためにやらなくちゃいけないことがある」
「っていうと?」
「こいつの毒成分を取り出して、魔法に馴染ませる必要があるんだよ」
「毒成分の抽出かぁ。面倒くさそう」
「ああ、面倒くさいぜ」
「なんかそういう薬使ってなんとかならないのかな。そういうのって」
「なんとかなってたら、こんなに苦労していないさ……」
そう言って魔理沙はため息をつくと、実験器具のような物を机の引き出しから取り出す。
「文献によれば、こいつの毒は環状ペプチドっていう複数の毒素の塊らしい、つまりこの毒素たちに反応するものがあればいいということになるんだが、一度に複数の毒に反応する都合のいいものなんてないし、仮に毒素の一つ一つに反応するものがあったとしてもだ。その毒素のうちどれが一番強い作用を持つ毒なのかという問題も出てくる」
そう言いながら魔理沙は試験管にキノコの切片を入れる。
「うーん。そういうのは私の専門外だなぁ。魔法ならいけるけど」
成美はこう見えても魔法使いだ。尤も本人が魔法生物そのもののようなものだが。
「そういえばそうだったな。そういう魔法何かないか? 特定の物質に反応するものとか」
「そうねえ。……あ、そうだ。食べられるものと食べられないものを見分ける魔法ならあるわよ?」
「ほう? どんなのだ?」
「食べられるものは青白く光って、食べられないものは赤く光るの」
「なんだそりゃ。使えそうで使えんな」
「そうでもないわよ? 森でお腹すいたときに食べられる雑草とかキノコとか探せるし。たまに外れるけど」
「別な魔法はないのか?」
「別なのねえ……」
成美は顎に手を当てて考え込んでいたが、やがて口を開く。
「あのさ。魔理沙、凄く言いづらいんだけど……」
「なんだ、急に。告白か?」
「違うっ! そうじゃなくて、別にこのキノコじゃなくてもいいんじゃないかって思って……その、わざわざ猛毒のキノコを食べられるようにするなんて危険だと思うけど……」
成美は魔理沙が怒り出すと思い、徐々に声のトーンを下げてしまう。しかし、魔理沙は意外にも目を閉じて何度か頷きながら落ち着いた口調で彼女に告げる。
「確かにお前の言うことも一理ある……。だが、さっきも言ったとおり、あのキノコは森のあちこちに生えている上に他のキノコとも見分けが付きやすい。もし、この研究が成功してこいつが食べられるようになれば、安心して大量に手に入る貴重な食料となる。それにだな」
そう言いながら魔理沙は文献をペラペラとめくり、とあるページを彼女に見せる。そこにはまるで脳みそのような姿をしたキノコの写真が載っている。
「このキノコを見てくれ。これは外の世界では猛毒だが、毒抜きをして食べられていることで知られているんだ」
「……こんな脳みそみたいな不気味なのが?」
「そうだ。しかもこいつは茹でれば毒が抜けるんだが、茹でているとき出る湯気を吸うと死ぬことがあるんだそうだ」
「……なんで外の人はそんな危ない橋渡ってまで、こんなの食べようとしたのかしら」
そう言いながら成美は、不思議そうな表情でそのキノコの写真を見つめている。すかさず魔理沙が言う。
「決まってるだろ。そこまでしてまで食べる価値のあるキノコなんだ」
「……美味しいって事?」
「そうだぜ。毒キノコをわざわざ食べられるようにするなんて、それ以外に理由はない。大きさ的にもそんなんでもないしな。つまり、外の世界でも私のように猛毒のキノコを食べられるように技術を確立させた奴がいるって事だ」
「……そんなに美味しいの? その、魔理沙のキノコって」
「そりゃ美味いぜ」
「食べたことは?」
「そんなのないに決まってるだろ。食ってたら私は今頃あの世だ」
「じゃあ、どうして美味しいって分かるのよ」
「前読んだ外の文献にな。鍋にして食べて中毒を起こしたものの、奇跡的に生還した人の話が載っていたんだよ。それによると、歯切れ良く、煮込んでも肉質がしっかりとしていながら鍋の汁をよく吸っていて噛む度にキノコの旨みと煮汁が口の中に広がり、大変美味礼賛であったというんだ」
「魔理沙……よだれ垂れてる」
「……おっと。失礼」
そう言うと魔理沙は口を手で拭う。
「……ふーん、そんなに美味しいっていうんなら、私も試しに食べてみたい気はするかも」
「お? 興味持ってくれたのか。よし! じゃあ、早速だが手伝ってくれ」
「え!? ちょっと……? まだ決め――」
目を白黒させる成美の前に、どかっと分厚い本が置かれる。
「早速だがこの文献から、こいつの毒成分の詳しい情報を書き出してくれないか?」
「えっ……? う、うん、わかった……」
「いやー。助かるぜー! やっぱこういうのは一人よりも二人の方がいいに決まってるからな!」
そう言って魔理沙は、にかっと笑う。
半ば強引に彼女の研究を手伝うことになってしまった成美だったが、彼女は案外まんざらでもなかった。
普段は一人で居ることが多い彼女にとって、こうやって誰かと一緒に過ごす事は楽しいのだ。それに彼女にとって魔理沙は、数少ない貴重な知り合いの一人で、憧れの人物でもあった。
一人で居ることを好み、引っ込み思案な彼女からすれば、いつも天真爛漫で明朗活発な霧雨魔理沙という存在は、煩わしいと思う反面、羨ましくもあったのだ。
成美は科学分野には疎かったが、流石魔法使いなだけあって魔理沙の片腕として十分な働きをこなす。
彼女がテッポウタケの毒成分について資料の解読を更に突き詰めた結果、複数の毒成分の中でも特にアマニチンという物質が人体に直接害をもたらすものであるということが分かる。
そこから先は早かった。文献からアマニチンの抽出方法を調べ上げ、それを魔法により代用することで、抽出に成功する。そして、その毒素を解毒魔法に反応させて、ついにテッポウタケの毒を抜く魔法が完成する事ができた。
早速、二人はその魔法をテッポウタケに施すが、ここである問題が発生してしまう。
「さて、こいつの毒が本当に抜けたかどうかを確かめる必要があるわけなんだが……」
「そればっかりは実際に食べてみるのが一番だけど……」
「ま、そういうことだな。じゃあ、早速食ってみるとするか」
と、彼女がそのキノコを調理場に持って行こうとすると、すかさず成美が止める。
「待って、魔理沙!」
「どうした?」
「このキノコは私が食べるわ。元々地蔵の私なら万が一毒が抜けきっていなくても平気だと思うから……」
「いや、成子。それじゃ意味がないぜ」
「えっ?」
「人間が食べて平気かどうかを確かめるんだ。そのためには人間である私が食べる以外に方法はない」
「えっ。でも……」
「大丈夫だ! 私とおまえの共同作業で作った魔法なんだぜ? 失敗するわけないだろう」
そう言って魔理沙はふっと笑みを見せる。
「……格好つけちゃって。まったく、本当に妬ましいんだから……」
などと、成美はどこぞの橋姫のようなセリフを吐き、ふうとため息をつくと彼女に言う。
「……参考程度だけど、あの魔法使ってみるね」
そう言うと成美は魔法を構築し、その魔法をテッポウタケにかざす。するとテッポウタケはぼんやりと青白く光る。
「青って事は……?」
「一応大丈夫ってことよ」
「そりゃ心強いぜ!」
「でも、さっきも言ったけどたまに外れるからあくまでも参考程度よ?」
「構わん! 何も確証がないよりはマシさ。それじゃ早速調理して食べるとするか!」
そう言いながら魔理沙は、キノコを食べやすい大きさに切りはじめる。
「ちなみにどうやって食べるの?」
「そうだな。油で炒めるのも悪くないが……あ、そうだ! そういえば」
と、言いながら彼女は部屋の奥から鍋を持ってくる。
「作り置きしておいたシチューがあったんだった。こいつに入れて食べてみよう。これならこのキノコを入れた事による味の変化もわかるからな」
彼女は早速、キノコをシチューの入った鍋に入れ、ミニ八卦炉を使ってとろ火でじっくりと煮込む。それを見ていた成美が言う。
「魔理沙のそれ便利よねぇ。マスタースパークだっけ? あれもこれ使って撃ってるんでしょ?」
「そうだぜ。こいつは火力の微調節が出来る優れものだからな。私にとっては体の一部のような物だ」
「いいなー。私にもそんなものあればいいのに……」
「成子にぴったりな魔法アイテムか……今度こーりんのとこ行って一緒に探してみるか?」
「え!? いいの?」
「ああ、研究を手伝ってくれた礼だぜ」
「本当? ありがと!」
そう言って成美は微笑む。
「……と言ってる内に、鍋が煮えたようだぜ」
魔理沙が鍋の蓋を開けると、ふつふつと煮えたテッポウタケ入りのシチューが姿を現す。辺りにはシチューのまろやかな香りが広がる。
「こいつは美味そうだ!」
「魔理沙。気をつけてよ?」
「わかってるって。……念のためだが、奥の戸棚に薬草一式が入っているから用意しておいてくれないか?」
「うん。わかった」
成美は言われたとおり、戸棚から薬草の入った箱を取り出す。それを見て魔理沙は器にシチューをよそる。
心なしか普段のシチューより魅惑的なものを感じる。これもテッポウタケを入れた効力なのだろうか。などと思いながら魔理沙はシチューをさじですくう。
「それじゃ……いくぜ?」
魔理沙は意を決したようにシチューを口にし、咀嚼して飲み込む。成美は黙って固唾を飲んで見守る。
「……こ、これはっ!」
「ど、どう……?」
「うまい! 美味すぎるぞ!! なんだこれは……!?」
魔理沙はシチューをかき込む。
「あの、具体的にどんな味なの……?」
「ああ、シチューのクリーミーさとキノコの旨みが相まって……怖いくらいに美味いぞ!!」
魔理沙は再び器にシチューをよそると、何かにとりつかれたかのようにそれをどんどん平らげていく。結局そのまま食べきってしまう。
「ふう。ごちそうさま!」
彼女は満足そうにカップに注いだ水を飲む。心配そうに成美が尋ねる。
「……どう? 体に変調とかない?」
「ないぜ? まぁ、こいつの毒は発症まで時間かかるからな」
「そういえば、具体的にどんな毒なの?」
「そういや、まだ教えてなかったな。こいつの毒は食べてから早くて数時間後、遅けりゃ1日後くらいにまず消化器官に悪さをする。腹痛とかな」
「それは辛い」
「ただ、それはしばらくすると治まる。問題はそこからだ」
「……っていうと?」
「治ったと思わせておいて実は、密かに内臓の組織を壊していってるのさ」
「え? 何それ怖い」
「そして、体の異変の気づいたときはもうすでに手遅れだ。あとはもがき苦しんで血反吐を吐いて死を待つのみとなる。運良く生き延びたとしても重い後遺症が残ると言われているぜ」
それを聞いた成美の顔がたちまち真っ青になる。
「ちょっとちょっと! 洒落にならないわよそれ! 魔理沙死んじゃうわよ!?」
「だから食べちゃいけないって言われてるんだよ。テッポウタケは。だが、このキノコの攻略のカギは症状が出るまで遅いという点にある。犠牲になる人の大半は、テッポウタケの恐ろしさを知らないから手遅れになるんだ。だが、初めからテッポウタケの特徴を知っているうえで、それを食べたのなら、なんとかなるはずだ」
「なんとかなるって……どういう風に?」
「初期の症状の時に適切な処置をすれば助かる可能性が高い。なぜなら致命的となるのは一旦症状が治まっている間に体の組織を破壊しているからなんだ。つまり、そこになる前に先手を打てばまだ軽症で済む」
「軽症で済むって……」
「それに、そもそも魔法が成功していれば何も症状は起きないはずだ。さっきも言っただろ? 私とおまえで作った魔法が失敗するはずないって」
「……私はとんでもない実験に加担してしまったみたいだわ……」
成美は思わずぺたんと座り込んで俯いてしまう。すかさず魔理沙が彼女の肩に手にやる。
「心配するな! これは私が勝手にやったことだからな。おまえはそれを手伝ってくれただけだ。だからお前には何も責任は――」
「もう、これじゃ私、帰れないじゃない……!」
「ん……?」
成美は少し目を潤ませながら魔理沙を見上げて言い放つ。
「……魔理沙が心配で帰れない! 私、今夜ここに泊まるからね……っ!?」
「え? ああ、別にいいが……」
彼女の様子に戸惑いながらも魔理沙は頷く。
それから二人は同じ部屋で過ごす。魔理沙は特にいつもと同じように読書をしたり紅茶を淹れたりしている。一方の成美は、じっと魔理沙を見つめ続けている。たまらず魔理沙が言う。
「おいおい。そんなに見つめられるとちょっと気持ち悪いぞ?」
「だって、魔理沙の体に異変起きたらすぐ対処したいし……」
「さっきも言っただろう? そんなすぐ症状は出ないって。それに異変が起きたらすぐ教えるから大丈夫だ。普通にしてろ」
「わ、わかった」
とは言うものの、彼女は落ち着かない様子でそわそわとし続けている。見かねた魔理沙が言う。
「ほら、飲めよ」
彼女は紅茶の入ったカップを成美に差し出す。
「あ、ありがとう」
成美は恐る恐るティーカップを受け取るとそっと口につける。そしてほっとしたように息をつく。
「な? うまいだろ?」
そう言って魔理沙は微笑むと、読んでいた本を閉じる。
「……さてと、そろそろ寝るか」
「え。もう?」
「もう。ってもうこんな時間だぞ?」
と、魔理沙が時計を差し出すと時刻はすでに亥の刻を回っている。
「え、もうこんな時間なの……!?」
「仕方ないさ。夜ご飯食べたの遅かったからな。さて私は寝るぞ。お前はどうする?」
「私は……起きてる」
「そうか。じゃあお休みだぜ。成子」
魔理沙は寝間着に着替えるとそのままベッドに入る。
その様子を成美は見守る。しかし、見守っているうちに彼女は、うとうとと眠気に襲われてしまう。
彼女は、何かの声に気付き、はっとして目を覚ます。すると、布団の中で魔理沙が、うんうんとうなっていた。成美は慌てて声をかける。
「魔理沙!! 魔理沙!! しっかりして!?」
魔理沙は苦しそうに歯ぎしりをしながら、うなり声を上げ続けている。
すっかり気が動転して頭が真っ白になってしまった彼女は、思わず外へ飛び出しそのまま永遠亭へと駆け込む。そして、医者である八意永琳に事情を話すと、彼女と一緒に急いで魔理沙の家へと戻る、家に着くと永琳は早速、魔理沙の診察を始める。
成美は目に涙を浮かべてその様子を見守る。やがて診察が終わり、永琳は成美に告げる。
「……大丈夫。ただの食あたりのようね」
「え? 毒キノコ中毒じゃ……?」
「診たところそれらしい兆候はなかったわ」
「え? じゃあ……」
「単に何か悪いものを食べたんじゃないかしら?」
「悪いもの……? ……まさか!」
慌てて成美はシチューの入った鍋に例の魔法をかける。するとぼんやりと赤く光り出す。
「あっ! シチューが悪くなってたんだ!?」
永琳は、ふっと笑みを浮かべて彼女に言う。
「無事原因は特定出来たようね。一通り処方はしておいたからすぐに良くなると思うわ。それと念のため解毒処置もしておいたわよ。これに懲りたらもう二度と危ない真似はしないようにって本人に伝えておいてね」
そう言うと永琳は家を後にする。彼女を見送ったあと成美は力が抜けたように椅子に座り込んでしまった。
それからしばらくして夜が明ける頃、魔理沙が目覚める。
「あれ……? 私は……?」
彼女は目をこすりながらベッドから立ち上がる。
「魔理沙ぁーーー! うわぁーん! よかったー!」
魔理沙が目覚めたことに気づいた成美は、泣き叫びながら彼女に抱きつく。
「わわ!? どうしたんだ成子っ!?」
そのまま二人はベッドに倒れ込んでしまう。そして、魔理沙の胸の中でひとしきり泣き、ようやく落ち着きを取り戻した成美は涙を拭いながら彼女に今までの経緯を告げる。
それを聞いた魔理沙は、ようやく事が理解出来たのか、一つため息をつくと彼女に告げる。
「……そうだったのか。それは迷惑をかけてしまったな。すまない。成子」
「いいのよ。私も慌てちゃってたから……でも、無事で良かった」
そう言って成美は、ふとテーブルの上にあるテッポウタケを見やる。
「実験……失敗しちゃったね……」
「そうだな……」
魔理沙はうつろな目で呟く。成美が続ける。
「……もう、これに懲りてテッポウタケになんか手を出さない方がいいわよ。命がいくつあっても足りないわ。……あなたも私も」
魔理沙はすっと立ち上がると笑みを浮かべて、彼女に告げる。
「……そうだな。お前の言うとおりだ。もう、この実験は止めよう。成子」
「うん。それがいいわ。魔理沙」
成美もそう言って頷くと、笑みを返す。
窓から朝日が差し込み、二人を照らし出す。その光に包まれながら魔理沙は懐から何かを取り出すと彼女に告げる。
「よし、テッポウタケがダメならこの、ツキヨタケでいこう。こいつも毒キノコだが美味いんだよ。前に実際食べたことあるから確実だ! 毒成分もテッポウタケより弱いから――」
「ねえ、魔理沙ぁー……?」
成美は満面の笑みを浮かべる。
「な、なんだ? 告白か?」
「全然懲りてないじゃないのよ! このばかー!!!」
そう言い放つと、成美は渾身の張り手を彼女の頬に炸裂させる。しかし、その表情はどこか楽しそうだった。
一人でブツブツ言いながら霧雨魔理沙は、自室の机に座り文献を読んでいる。
その時ドアを叩く音が聞こえる。
「誰だ? 開いてるぜー!」
玄関から入ってきたのは、藁の笠をかぶり黒髪で二本の三つ編みを結った小柄な少女――矢田寺成美だった。
「誰かと思えば、成子じゃないか!」
「だから成美だってば。何度も人の名前間違えないでよ。魔理沙」
「気にするな、愛称みたいなもんさ。しかし、こりゃまた珍しいのが来たな」
「人を珍獣みたいに言わないで」
不満そうな顔をする成美に、魔理沙は言う。
「ある意味珍獣だろ? いや、どちらかというと珍種か」
元々彼女は、魔法の森にあった地蔵の一つで、魔法の森の魔力でいつの間にか動けるようになった存在だ。
「で、どうしたんだ。今日は?」
「あ、えっと。その……暇だから遊びに……」
「なんだ地蔵は暇なのか。あいにく私は忙しいぞ?」
「そうなんだ。じゃ、お邪魔なら帰ろうかな……」
「いや。邪魔じゃなけりゃ居てもいいぜ? その代わり何も出せんが」
「そう? じゃあ居させてもらおうっと」
と、成美は椅子へ座ると、キョロキョロと辺りを見回す。魔理沙が告げる。
「おいおい。あまり人の部屋をジロジロ見ないでくれよ。私のプライベートがダダ漏れじゃないか」
「自分から自室に招いておいて、今更プライベートも何もないと思うけど……」
「なるほど! それもそうだな!」
「そこ、納得しちゃうんだ……。で、何をやってたの?」
「素晴らしい研究さ!」
「研究ってどんな……?」
「ふふふ。よくぞ聞いてくれた!」
と、魔理沙は自信ありげに胸を張って説明を始める。
「いいか。この研究が成功した暁には、魔法の森における食難事情が解決出来ると私は踏んでいる。それだけ意義のある研究なのだ!」
「何か凄そうだけど、一体どんな研究なの?」
「よくぞ聞いてくれた!」
「その台詞2回目よ?」
「いいだろ別に。同じ台詞を何度も言っちゃいけないなんてルールはどこにもないだろ。こう言うのは雰囲気が大事なんだぜ!」
成美は何の雰囲気なのだろうと、頭に疑問符を浮かべつつも、とりあえず彼女の説明を聞くことにする。
「この魔法の森には数多くのキノコが生えるのはご存じの通りだ。しかも森全体を覆っている魔力と瘴気のおかげで一年中色んなキノコが生える。そして、そのキノコの中でも、とりわけ目立つのがこいつだ!」
と、彼女は机の上に置いてある箱の中から、純白のキノコを取り出す。すかさず成美が言う。
「あ、それ知ってる。よく森のあちこちに生えてるわよね。名前は知らないけど」
「こいつはな。テッポウタケと言って、魔法の森においては割とどこでも見られる、特に珍しくもなんともないキノコだ!」
「でも、それって確か毒なんじゃなかった? 食べちゃいけないって……」
「その通りだ! こいつはこんな綺麗な見た目をしていながら、えげつないくらい強い毒を持ったキノコだ」
「猛毒なんだ。で、このキノコがどうしたの……?」
きょとんとした様子で首をかしげる成美に、魔理沙はじれったそうに告げる。
「……まったく、勘が鈍い奴だな。さっき言っただろう? 魔法の森の食難事情を解決出来るかもしれないって」
成美は怪訝そうな表情を浮かべて魔理沙に聞く。
「え……まさか食べるの? これを」
「まさか食べるんだよ。これを」
「どうやって食べるのよ。これ猛毒なんでしょ?」
「猛毒だぜ。食べたら確実に死ねるくらいには」
「そんなのどうやって食べるのよ」
「成美。その台詞二回目だぜ? なんだ。人のこと言えないじゃないか」
「い、いいでしょ別に……! そんなことより、どうやって食べるのよ!」
「決まってるだろ。毒抜きするんだよ」
「毒抜き……?」
「そうだ。毒のあるキノコでも塩漬けにしたり熱湯で煮込んだりすれば、毒がなくなって食べられるようになる場合もあるんだ」
「へえー。そうなんだ。でも、場合って事は、ダメな時もあるのね?」
「もちろんだとも! すべての毒に有効なわけじゃないからな」
「それで、このキノコはどっち側なの?」
「ダメ側だ。こいつの毒は煮ても焼いても決して消えることはない。しかも食べても消化出来ない。ずっと体に毒素が残り続ける」
「ダメ過ぎる! そんなのどうやって毒抜きするの?」
「特殊な技法を使うのさ」
そう言うと魔理沙は、にやっと笑みを浮かべる。
「……何か嫌な予感しかしないんだけど、一体どんな技法なの」
「私が開発した魔法を使うんだ」
「嫌な予感的中だわ……。大丈夫なのそれ」
呆れた様子で成美が尋ねると、魔理沙は胸を張って答える。
「大丈夫だとも! 理屈は簡単だからな。既存の解毒魔法を応用して、キノコの毒成分を中和させるんだ。ようは人体ではなくキノコの解毒をするってわけだ」
魔理沙の説明を聞きながら成美は何度か軽く頷く。
「……なるほど。それなら確かに理にはかなってるわよね」
「だろう? だが、そのためにやらなくちゃいけないことがある」
「っていうと?」
「こいつの毒成分を取り出して、魔法に馴染ませる必要があるんだよ」
「毒成分の抽出かぁ。面倒くさそう」
「ああ、面倒くさいぜ」
「なんかそういう薬使ってなんとかならないのかな。そういうのって」
「なんとかなってたら、こんなに苦労していないさ……」
そう言って魔理沙はため息をつくと、実験器具のような物を机の引き出しから取り出す。
「文献によれば、こいつの毒は環状ペプチドっていう複数の毒素の塊らしい、つまりこの毒素たちに反応するものがあればいいということになるんだが、一度に複数の毒に反応する都合のいいものなんてないし、仮に毒素の一つ一つに反応するものがあったとしてもだ。その毒素のうちどれが一番強い作用を持つ毒なのかという問題も出てくる」
そう言いながら魔理沙は試験管にキノコの切片を入れる。
「うーん。そういうのは私の専門外だなぁ。魔法ならいけるけど」
成美はこう見えても魔法使いだ。尤も本人が魔法生物そのもののようなものだが。
「そういえばそうだったな。そういう魔法何かないか? 特定の物質に反応するものとか」
「そうねえ。……あ、そうだ。食べられるものと食べられないものを見分ける魔法ならあるわよ?」
「ほう? どんなのだ?」
「食べられるものは青白く光って、食べられないものは赤く光るの」
「なんだそりゃ。使えそうで使えんな」
「そうでもないわよ? 森でお腹すいたときに食べられる雑草とかキノコとか探せるし。たまに外れるけど」
「別な魔法はないのか?」
「別なのねえ……」
成美は顎に手を当てて考え込んでいたが、やがて口を開く。
「あのさ。魔理沙、凄く言いづらいんだけど……」
「なんだ、急に。告白か?」
「違うっ! そうじゃなくて、別にこのキノコじゃなくてもいいんじゃないかって思って……その、わざわざ猛毒のキノコを食べられるようにするなんて危険だと思うけど……」
成美は魔理沙が怒り出すと思い、徐々に声のトーンを下げてしまう。しかし、魔理沙は意外にも目を閉じて何度か頷きながら落ち着いた口調で彼女に告げる。
「確かにお前の言うことも一理ある……。だが、さっきも言ったとおり、あのキノコは森のあちこちに生えている上に他のキノコとも見分けが付きやすい。もし、この研究が成功してこいつが食べられるようになれば、安心して大量に手に入る貴重な食料となる。それにだな」
そう言いながら魔理沙は文献をペラペラとめくり、とあるページを彼女に見せる。そこにはまるで脳みそのような姿をしたキノコの写真が載っている。
「このキノコを見てくれ。これは外の世界では猛毒だが、毒抜きをして食べられていることで知られているんだ」
「……こんな脳みそみたいな不気味なのが?」
「そうだ。しかもこいつは茹でれば毒が抜けるんだが、茹でているとき出る湯気を吸うと死ぬことがあるんだそうだ」
「……なんで外の人はそんな危ない橋渡ってまで、こんなの食べようとしたのかしら」
そう言いながら成美は、不思議そうな表情でそのキノコの写真を見つめている。すかさず魔理沙が言う。
「決まってるだろ。そこまでしてまで食べる価値のあるキノコなんだ」
「……美味しいって事?」
「そうだぜ。毒キノコをわざわざ食べられるようにするなんて、それ以外に理由はない。大きさ的にもそんなんでもないしな。つまり、外の世界でも私のように猛毒のキノコを食べられるように技術を確立させた奴がいるって事だ」
「……そんなに美味しいの? その、魔理沙のキノコって」
「そりゃ美味いぜ」
「食べたことは?」
「そんなのないに決まってるだろ。食ってたら私は今頃あの世だ」
「じゃあ、どうして美味しいって分かるのよ」
「前読んだ外の文献にな。鍋にして食べて中毒を起こしたものの、奇跡的に生還した人の話が載っていたんだよ。それによると、歯切れ良く、煮込んでも肉質がしっかりとしていながら鍋の汁をよく吸っていて噛む度にキノコの旨みと煮汁が口の中に広がり、大変美味礼賛であったというんだ」
「魔理沙……よだれ垂れてる」
「……おっと。失礼」
そう言うと魔理沙は口を手で拭う。
「……ふーん、そんなに美味しいっていうんなら、私も試しに食べてみたい気はするかも」
「お? 興味持ってくれたのか。よし! じゃあ、早速だが手伝ってくれ」
「え!? ちょっと……? まだ決め――」
目を白黒させる成美の前に、どかっと分厚い本が置かれる。
「早速だがこの文献から、こいつの毒成分の詳しい情報を書き出してくれないか?」
「えっ……? う、うん、わかった……」
「いやー。助かるぜー! やっぱこういうのは一人よりも二人の方がいいに決まってるからな!」
そう言って魔理沙は、にかっと笑う。
半ば強引に彼女の研究を手伝うことになってしまった成美だったが、彼女は案外まんざらでもなかった。
普段は一人で居ることが多い彼女にとって、こうやって誰かと一緒に過ごす事は楽しいのだ。それに彼女にとって魔理沙は、数少ない貴重な知り合いの一人で、憧れの人物でもあった。
一人で居ることを好み、引っ込み思案な彼女からすれば、いつも天真爛漫で明朗活発な霧雨魔理沙という存在は、煩わしいと思う反面、羨ましくもあったのだ。
成美は科学分野には疎かったが、流石魔法使いなだけあって魔理沙の片腕として十分な働きをこなす。
彼女がテッポウタケの毒成分について資料の解読を更に突き詰めた結果、複数の毒成分の中でも特にアマニチンという物質が人体に直接害をもたらすものであるということが分かる。
そこから先は早かった。文献からアマニチンの抽出方法を調べ上げ、それを魔法により代用することで、抽出に成功する。そして、その毒素を解毒魔法に反応させて、ついにテッポウタケの毒を抜く魔法が完成する事ができた。
早速、二人はその魔法をテッポウタケに施すが、ここである問題が発生してしまう。
「さて、こいつの毒が本当に抜けたかどうかを確かめる必要があるわけなんだが……」
「そればっかりは実際に食べてみるのが一番だけど……」
「ま、そういうことだな。じゃあ、早速食ってみるとするか」
と、彼女がそのキノコを調理場に持って行こうとすると、すかさず成美が止める。
「待って、魔理沙!」
「どうした?」
「このキノコは私が食べるわ。元々地蔵の私なら万が一毒が抜けきっていなくても平気だと思うから……」
「いや、成子。それじゃ意味がないぜ」
「えっ?」
「人間が食べて平気かどうかを確かめるんだ。そのためには人間である私が食べる以外に方法はない」
「えっ。でも……」
「大丈夫だ! 私とおまえの共同作業で作った魔法なんだぜ? 失敗するわけないだろう」
そう言って魔理沙はふっと笑みを見せる。
「……格好つけちゃって。まったく、本当に妬ましいんだから……」
などと、成美はどこぞの橋姫のようなセリフを吐き、ふうとため息をつくと彼女に言う。
「……参考程度だけど、あの魔法使ってみるね」
そう言うと成美は魔法を構築し、その魔法をテッポウタケにかざす。するとテッポウタケはぼんやりと青白く光る。
「青って事は……?」
「一応大丈夫ってことよ」
「そりゃ心強いぜ!」
「でも、さっきも言ったけどたまに外れるからあくまでも参考程度よ?」
「構わん! 何も確証がないよりはマシさ。それじゃ早速調理して食べるとするか!」
そう言いながら魔理沙は、キノコを食べやすい大きさに切りはじめる。
「ちなみにどうやって食べるの?」
「そうだな。油で炒めるのも悪くないが……あ、そうだ! そういえば」
と、言いながら彼女は部屋の奥から鍋を持ってくる。
「作り置きしておいたシチューがあったんだった。こいつに入れて食べてみよう。これならこのキノコを入れた事による味の変化もわかるからな」
彼女は早速、キノコをシチューの入った鍋に入れ、ミニ八卦炉を使ってとろ火でじっくりと煮込む。それを見ていた成美が言う。
「魔理沙のそれ便利よねぇ。マスタースパークだっけ? あれもこれ使って撃ってるんでしょ?」
「そうだぜ。こいつは火力の微調節が出来る優れものだからな。私にとっては体の一部のような物だ」
「いいなー。私にもそんなものあればいいのに……」
「成子にぴったりな魔法アイテムか……今度こーりんのとこ行って一緒に探してみるか?」
「え!? いいの?」
「ああ、研究を手伝ってくれた礼だぜ」
「本当? ありがと!」
そう言って成美は微笑む。
「……と言ってる内に、鍋が煮えたようだぜ」
魔理沙が鍋の蓋を開けると、ふつふつと煮えたテッポウタケ入りのシチューが姿を現す。辺りにはシチューのまろやかな香りが広がる。
「こいつは美味そうだ!」
「魔理沙。気をつけてよ?」
「わかってるって。……念のためだが、奥の戸棚に薬草一式が入っているから用意しておいてくれないか?」
「うん。わかった」
成美は言われたとおり、戸棚から薬草の入った箱を取り出す。それを見て魔理沙は器にシチューをよそる。
心なしか普段のシチューより魅惑的なものを感じる。これもテッポウタケを入れた効力なのだろうか。などと思いながら魔理沙はシチューをさじですくう。
「それじゃ……いくぜ?」
魔理沙は意を決したようにシチューを口にし、咀嚼して飲み込む。成美は黙って固唾を飲んで見守る。
「……こ、これはっ!」
「ど、どう……?」
「うまい! 美味すぎるぞ!! なんだこれは……!?」
魔理沙はシチューをかき込む。
「あの、具体的にどんな味なの……?」
「ああ、シチューのクリーミーさとキノコの旨みが相まって……怖いくらいに美味いぞ!!」
魔理沙は再び器にシチューをよそると、何かにとりつかれたかのようにそれをどんどん平らげていく。結局そのまま食べきってしまう。
「ふう。ごちそうさま!」
彼女は満足そうにカップに注いだ水を飲む。心配そうに成美が尋ねる。
「……どう? 体に変調とかない?」
「ないぜ? まぁ、こいつの毒は発症まで時間かかるからな」
「そういえば、具体的にどんな毒なの?」
「そういや、まだ教えてなかったな。こいつの毒は食べてから早くて数時間後、遅けりゃ1日後くらいにまず消化器官に悪さをする。腹痛とかな」
「それは辛い」
「ただ、それはしばらくすると治まる。問題はそこからだ」
「……っていうと?」
「治ったと思わせておいて実は、密かに内臓の組織を壊していってるのさ」
「え? 何それ怖い」
「そして、体の異変の気づいたときはもうすでに手遅れだ。あとはもがき苦しんで血反吐を吐いて死を待つのみとなる。運良く生き延びたとしても重い後遺症が残ると言われているぜ」
それを聞いた成美の顔がたちまち真っ青になる。
「ちょっとちょっと! 洒落にならないわよそれ! 魔理沙死んじゃうわよ!?」
「だから食べちゃいけないって言われてるんだよ。テッポウタケは。だが、このキノコの攻略のカギは症状が出るまで遅いという点にある。犠牲になる人の大半は、テッポウタケの恐ろしさを知らないから手遅れになるんだ。だが、初めからテッポウタケの特徴を知っているうえで、それを食べたのなら、なんとかなるはずだ」
「なんとかなるって……どういう風に?」
「初期の症状の時に適切な処置をすれば助かる可能性が高い。なぜなら致命的となるのは一旦症状が治まっている間に体の組織を破壊しているからなんだ。つまり、そこになる前に先手を打てばまだ軽症で済む」
「軽症で済むって……」
「それに、そもそも魔法が成功していれば何も症状は起きないはずだ。さっきも言っただろ? 私とおまえで作った魔法が失敗するはずないって」
「……私はとんでもない実験に加担してしまったみたいだわ……」
成美は思わずぺたんと座り込んで俯いてしまう。すかさず魔理沙が彼女の肩に手にやる。
「心配するな! これは私が勝手にやったことだからな。おまえはそれを手伝ってくれただけだ。だからお前には何も責任は――」
「もう、これじゃ私、帰れないじゃない……!」
「ん……?」
成美は少し目を潤ませながら魔理沙を見上げて言い放つ。
「……魔理沙が心配で帰れない! 私、今夜ここに泊まるからね……っ!?」
「え? ああ、別にいいが……」
彼女の様子に戸惑いながらも魔理沙は頷く。
それから二人は同じ部屋で過ごす。魔理沙は特にいつもと同じように読書をしたり紅茶を淹れたりしている。一方の成美は、じっと魔理沙を見つめ続けている。たまらず魔理沙が言う。
「おいおい。そんなに見つめられるとちょっと気持ち悪いぞ?」
「だって、魔理沙の体に異変起きたらすぐ対処したいし……」
「さっきも言っただろう? そんなすぐ症状は出ないって。それに異変が起きたらすぐ教えるから大丈夫だ。普通にしてろ」
「わ、わかった」
とは言うものの、彼女は落ち着かない様子でそわそわとし続けている。見かねた魔理沙が言う。
「ほら、飲めよ」
彼女は紅茶の入ったカップを成美に差し出す。
「あ、ありがとう」
成美は恐る恐るティーカップを受け取るとそっと口につける。そしてほっとしたように息をつく。
「な? うまいだろ?」
そう言って魔理沙は微笑むと、読んでいた本を閉じる。
「……さてと、そろそろ寝るか」
「え。もう?」
「もう。ってもうこんな時間だぞ?」
と、魔理沙が時計を差し出すと時刻はすでに亥の刻を回っている。
「え、もうこんな時間なの……!?」
「仕方ないさ。夜ご飯食べたの遅かったからな。さて私は寝るぞ。お前はどうする?」
「私は……起きてる」
「そうか。じゃあお休みだぜ。成子」
魔理沙は寝間着に着替えるとそのままベッドに入る。
その様子を成美は見守る。しかし、見守っているうちに彼女は、うとうとと眠気に襲われてしまう。
彼女は、何かの声に気付き、はっとして目を覚ます。すると、布団の中で魔理沙が、うんうんとうなっていた。成美は慌てて声をかける。
「魔理沙!! 魔理沙!! しっかりして!?」
魔理沙は苦しそうに歯ぎしりをしながら、うなり声を上げ続けている。
すっかり気が動転して頭が真っ白になってしまった彼女は、思わず外へ飛び出しそのまま永遠亭へと駆け込む。そして、医者である八意永琳に事情を話すと、彼女と一緒に急いで魔理沙の家へと戻る、家に着くと永琳は早速、魔理沙の診察を始める。
成美は目に涙を浮かべてその様子を見守る。やがて診察が終わり、永琳は成美に告げる。
「……大丈夫。ただの食あたりのようね」
「え? 毒キノコ中毒じゃ……?」
「診たところそれらしい兆候はなかったわ」
「え? じゃあ……」
「単に何か悪いものを食べたんじゃないかしら?」
「悪いもの……? ……まさか!」
慌てて成美はシチューの入った鍋に例の魔法をかける。するとぼんやりと赤く光り出す。
「あっ! シチューが悪くなってたんだ!?」
永琳は、ふっと笑みを浮かべて彼女に言う。
「無事原因は特定出来たようね。一通り処方はしておいたからすぐに良くなると思うわ。それと念のため解毒処置もしておいたわよ。これに懲りたらもう二度と危ない真似はしないようにって本人に伝えておいてね」
そう言うと永琳は家を後にする。彼女を見送ったあと成美は力が抜けたように椅子に座り込んでしまった。
それからしばらくして夜が明ける頃、魔理沙が目覚める。
「あれ……? 私は……?」
彼女は目をこすりながらベッドから立ち上がる。
「魔理沙ぁーーー! うわぁーん! よかったー!」
魔理沙が目覚めたことに気づいた成美は、泣き叫びながら彼女に抱きつく。
「わわ!? どうしたんだ成子っ!?」
そのまま二人はベッドに倒れ込んでしまう。そして、魔理沙の胸の中でひとしきり泣き、ようやく落ち着きを取り戻した成美は涙を拭いながら彼女に今までの経緯を告げる。
それを聞いた魔理沙は、ようやく事が理解出来たのか、一つため息をつくと彼女に告げる。
「……そうだったのか。それは迷惑をかけてしまったな。すまない。成子」
「いいのよ。私も慌てちゃってたから……でも、無事で良かった」
そう言って成美は、ふとテーブルの上にあるテッポウタケを見やる。
「実験……失敗しちゃったね……」
「そうだな……」
魔理沙はうつろな目で呟く。成美が続ける。
「……もう、これに懲りてテッポウタケになんか手を出さない方がいいわよ。命がいくつあっても足りないわ。……あなたも私も」
魔理沙はすっと立ち上がると笑みを浮かべて、彼女に告げる。
「……そうだな。お前の言うとおりだ。もう、この実験は止めよう。成子」
「うん。それがいいわ。魔理沙」
成美もそう言って頷くと、笑みを返す。
窓から朝日が差し込み、二人を照らし出す。その光に包まれながら魔理沙は懐から何かを取り出すと彼女に告げる。
「よし、テッポウタケがダメならこの、ツキヨタケでいこう。こいつも毒キノコだが美味いんだよ。前に実際食べたことあるから確実だ! 毒成分もテッポウタケより弱いから――」
「ねえ、魔理沙ぁー……?」
成美は満面の笑みを浮かべる。
「な、なんだ? 告白か?」
「全然懲りてないじゃないのよ! このばかー!!!」
そう言い放つと、成美は渾身の張り手を彼女の頬に炸裂させる。しかし、その表情はどこか楽しそうだった。
面白かったです
テッポウタケには気をつけようと思います
成美が楽しそうにしているのが可愛いです
破滅の天使ってドクツルタケなのね
心配している成美がかわいらしかったです