妹君の誕生日に際する貴重な触れ合いのひとときがぶち壊しになったばかりか、紅美鈴の鍛え上げられたその肉体の内、頭部と首と腹と腿が貫かれ、十六夜咲夜の右腕が欠損したという余りの惨事に流石のレミリア・スカーレットも憤りを感じ、彼女は今、東風谷早苗と共に妖怪の山のある区画に潜んでいた。犯人はふわふわと宙に浮かぶ烏賊だった。一般的な人間より二回りほど大きく、三匹程度が共同的に存在している。月明りに照らされたその姿は、海底から空を見上げたような呑気な詫び寂びをも感じさせる処が却って薄ら寒く目障りだった。紅魔館の誇る、幻想郷全土でも上から数えた方が早いであろうその総戦闘力によって相当の負傷を与えた筈のその海産物共は、ブロッコリーでも食べるかのようにその辺の緑を犯すのと引き換えに全快したようだった。
茶番じみた強さだな、奴らは。とレミリアは忌々しげにぼやく。奴らが紅魔館の領域圏外まで逃げ出してから、半刻程しか経っていない。その半刻の間にあったことと言えば、怒髪天を衝いた彼女が即座に館を飛び出し、気配を追って妖怪の山まですっ飛んでいって、それを止めに来た懲戒天狗を腹いせとばかりに殆どブチのめし、早苗の調停術式によって漸く落ち着いて、事の顛末を話合ったくらいだ。雑魚天狗はレミリアと烏賊によって壊滅状態になったので、今は戦闘力に特化した別部隊を作成中らしい。それを聞いてレミリアは呆れた。
「緊急事態で化物三匹の相手をしている最中であっても、明らかにそれを斃しにきた私をも止めねばならず、新しい部隊の作成や出撃の指示などに一々会議を挟まねばならないとはな。妖怪の山の連中の愚鈍さには憐れみさえ覚える。なあ守谷の」
「東風谷早苗です。これで三度目ですよレミリアさん。貴方が敷いている独裁によって得られる即断即行は所詮、貴方の持つ強大な力と魅力に依ります。共同体の強固性をシステムに頼る以上仕方のないことです」
「フン。褒め言葉と受け取っておくとするが、口の聞き方には気をつけろ。平時ならその程度の軽口に眉を潜める事もないが今の私は虫の居所が悪い」
「心中お察ししますと言うと同時に、腸が煮えくり返っているのはこちらも同じだと主張させて頂きます。あの烏賊が出した損害の中には私の友人諸子も含まれていますのでね」
「そういうことじゃあないんだよ」
「え?」
「いや、いい。すまない」
烏賊は地に伏せ休息を取ると言ったことはない。ただ浮いている。海の中を揺蕩うように。幻想郷に海はないし、烏賊は漁獲とされる中では初見がそこそこグロテスクで、わざわざ人里に入荷されるような事は少ない。故に幻想郷の住人の殆どには全く未知の化物で完全な恐怖の対称だ。しかしレミリアや早苗からすると、それは未知への恐怖と言うよりは寧ろ、妙なシュールさを感じさせつつも、日常に異常が侵食してくるような悍しさがある。なにせあのすっとぼけたような外見はそのままにひたすらデカい。矢よりも早く空中を泳ぎ、更に体表を任意に硬質化出来る為、移動そのものが攻撃となる。吸盤の歯はぎしぎしと音を立てて回転し、大凡何もかもと言って差し支えなく刮ぎ取る。どんなものでも食べ、すぐに自らの細胞へと変じさせる。分裂もする。大きさと個体数は決まっているようで、今以上に厄介なことにはならなそうなのがせめてもの救いか。度し難い。とはいえ、レミリアにとっては嬉しい誤算もある。早苗の補助術式は攻撃性能に特化したレミリアとは相性がいい。彼女は自分一匹でも十分に殺しきれると踏んでいるが、念の為の保険としては此れ以上無い人選だ。
「はあ。物も考えられない畜生が生きる為にした行動にブチ切れていても栓の無いことだ。判ってはいる」
「私の知っている通りならあれらには人並みの知能がありますし、愉快犯的に人を殺します」
「なんだと?君は奴らの何を知っている?」
「あっやべえ目があった」
「オイオイ」
烏賊共に存在を気取られてしまった二人だが、それですぐさま襲ってくるような事はない。何せレミリアの放つ圧を紅魔館にて一度体感している。そもそもこいつらは美鈴と咲夜の後にこんな化け物の相手は出来ないからという事で逃げ出している。蛇の特性を降ろしている早苗はともかくあの烏賊共、夜目まで効きやがるよとレミリアは石を蹴った。不意打ちを敢行する為森の下を這って動いていたが、相手は空中に大きな視界を持って存在しているので目が合ったのはたまたまだし、早苗の責任とは言い難い。二人は警戒する敵対者に対する認識系の力に長けていない。
「仕方ない。手筈通り私が先に突っ込む。我が下僕共がアレされた相手な手前油断はしないが、そもそも私一人でも十分に燼滅出来る相手の筈だ。心配はしなくてもいい。守谷の、君は戦局を見て術を張れ。動きを鈍らせるようなものが良い」
「東風谷早苗。私の事は東風谷早苗と。四度目です。判りましたが、あれらは貴方よりも明確に創作設定に縛られた存在です。現状、力量の上では勝っていても『ノートの上から書き足される』様な事態にならないとは限りません」
「君の言っている事はさっきから随分確信的だな。後で詳しく聞かせてもらえるのだろうね?」
「ああ…まあ、はい、良いでしょう」
「結構」
結構の「う」の発音が終わるのと同時に、レミリアの姿は既に三匹の烏賊と共にあった。早苗は直ちに愚鈍付与術式と脆弱化術式と生命吸収術式を同時に詠唱した。
***
前述の二人が興じているのは異変解決というよりはバウンティ・ハンティングに近い。幻想郷の機構には山程の欠陥がある。「幻想郷は全てを受け入れる」もその一つ(尤も賢者達の中に、これを欠陥と一言で切り捨てられるような者は居ない)。これによって受け入れられた中で、既存の住人に到底共存不可と断定された存在は即時討伐の対象となる。そしてこれは博麗の巫女一人に務まる責務ではない。故に何らかの報酬によって討伐を各陣営に打診している。これら陣営の中で、紅魔と守矢に共通しているのは「降りかかる火の粉は払う」というスタンスくらいのものだった。
その日レミリアの機嫌が良かったのは妹の誕生日を祝うという名目にかこつけて彼女と接する機会に恵まれるからだった。レミリアは身内に対して妙な照れを発揮する事で、通常の好意の表明も出来ないようなポンコツ女だった。誕生日を祝うという提案すら、(半ば呆れ調で)咲夜がしたものであり、レミリアはそれに渋々了承したに過ぎない。誕生日プレゼントも用意していた。投げ遣りに何でも買い与えていたような、これまでのいい加減なあれやこれやではなくて、薔薇の花弁一枚挟んだだけの只の栞と共に、今日こそは姉として歩み寄るのだと考えていた。レミリアはそわそわのうきうきだった。
クソみてーに長い廊下の真ん中で、少し頬の紅い、愛らしい愛おしい妹を前にして、さあ何を言おうかと言った処で、ガラスの破片と共にその姉妹の間にぶっ飛んできたのは門番だった。直ちに血溜まりが辺りを支配した。風を切る白い触手に、呆気にとられた妹の首が飛ばされそうになるのをレミリアは跳ね除けた。駆けつけてきた咲夜には右腕が無かった。不死力をばちゃりと飛ばして怪我塗れの二人を即座に全快させた。
「お姉様」
「少し待っているように」
無論限度はあるが、ある程度なら致命傷を修復した処で眷属になるような事はない。レミリアは運命を操るが、咲夜の運命は視えない。美鈴の運命は広大すぎて観測しきれない。フランドールには近づいただけで周りの運命諸共幕に覆われたようになる。身内でまともに視れるのはパチュリーくらいのものだった。司書の運命は視ても意味がない。魔界の悪魔だから。美鈴は申し訳ない、と横になったまま言った。レミリアはブチ切れていた。静かな怒りとかそういうのではなくて、只々分かりやすく普通に怒っていた。
勿論、大事なメイドと門番をアレされた怒りも多分にあるが、何より漸く踏ん切りの付いた自分の決心に冷水を浴びせられたのが一番気に入らなかった。しかしこれは自分の歩みから出た錆びでもあるよなと、彼女は思った。何でこんな時に限って、ではない。普段から素直になっておけばこんな気持ちになる事もなかったのだから。そうすれば今、彼女は純粋に部下を痛めつけられた義憤と報復という目的によってのみ行動できたはずだ。「私は紅魔の主なのだから」。今の自身は不純だ。しかし如何に自分の人格が理想とは掛け離れていたとしても、それを顧みている時間はない。誰も不安にさせる事のない立ち振る舞いのみが常に要求されている。要求しているのは誰だ?それはレミリア自身だ。他の誰も、レミリアにそこまでの完璧を求めちゃいない。それでも彼女は自分を許すことはない。決して。
「お姉様!私ちゃんと待ってるから!」
妹が叫ぶのが背中に届いて、やっぱりレミリアは少しだけ全能感を味わった。何を置いてもレミリアにはフランドールが全てだった。ある意味これはレミリアにそれを自覚させるイベントとして機能した。レミリアからすれば、妹と話そうとしていただけなのに手負いの下僕二人と触手が躍り出てきた格好だ。唐突かつ意味不明。何の伸展性も脈絡もない。案外、紅魔館を飛び出した時点で既に、レミリアは怒りとは別の位置に居た。そして、大凡自己の中で渦巻く感情に対しては冷静な質であり、ほぼ自覚的だった。
あっけらかんと、かくもあっさりと、まだ何も乗り越えてもいないのに彼女は精神的に成長した。人間が人生の間でひり出す全ての糞の量よりも断然多く、下らない自己分析に時間を使ってきた彼女なりの半生の成果だった。
***
五百手、九十秒程度で大凡劣勢と相成ったレミリアは胴が泣き別れし、即時の再生が難しい程に繰り返し損傷していた。早苗は舌打ちをした。結果的にはレミリアの言う通り彼女一人で事に臨むのが最善だったかもしれないと考えたからだ。レミリアは早苗に飛ぶ攻撃を九割方封じ込めながら戦っていた。連帯行動に慣れていない早苗が劣等感を抱くのも無理はないが、実際の処このタッグはパーティとして十全に機能しており、レミリアは相当に助かっていた為この勘繰りは的外れであると彼女の名誉の為に記述しておく。
「まいったな、しかし…瞬殺が不可能なら泥仕合に持ち込むまでだ」
ぼやいたレミリアが「ふん」と体に力を入れると新しい下半身が生えてくる。槍と爪と放出による派手な攻撃が鳴りを潜め、代わりに鎖と蝙蝠と魔法陣を駆使し牛歩を始めたレミリアを見て、早苗は状況と取るべき戦術が変わった事を理解した。早苗が投げ込んだ「結ばれた紙」が吉を示し黄色い爆発として烏賊に炸裂した。一瞬怯んだ隙を突いて鎖で三匹を捕縛したレミリアは早苗の同射程まで離脱した。
「君の継戦能力を聞きたい」
「あれらの力を吸い取りながら戦っているので、気力や集中力の面を除けば無尽蔵です」
「結構、撤退はない」
「どうするつもりですか?」
「運命を操る程度の能力を使う。ただ演算が完了するまで時間がかかる。奴は強大な上に何故か運命が視えん」
「絶望的状況に聞こえてなりませんが」
「なぁに、我がメイドとかを筆頭に、運命が視えない相手にはなれっこだ。相性が悪いからと言って嘆いていても始まらないの。視えないと判ればそれならそれで幾らでもやりようはあるさ」
烏賊が自らの戒めを破壊した折を見て、またレミリアが前線へ向かった。暫くの間、早苗は此れまでの術と合わせて、おみくじ爆弾で牽制を繰り返したりしていたが、程なく苛立ちが隠しきれなくなって、終いにはレミリアの更に前に出た。
「オイ、何をしてる?死にたいのか」
「向いてないんですよこういうの」
吐き捨てるようにそう言って、早苗は烏賊の目玉にサッカーボールキックを食らわせた。無様としか形容のしようがなく、烏賊の目玉は勢いよく欠損した。更に、体全体に風を纏って掘削機の様に烏賊の体躯を削り始めた。全ての術式は依然、並行して作用していた。レミリアは閉口した。烏賊も閉口した。尚も戦いは続いた。
***
奇跡を起こす程度の能力は単なる詠唱の他に、自分にできる最大限の努力と、自分の幻想性に対する一点の曇りもない信仰の末に発動する。早苗は最近調子が悪かった。スランプだった。イップスですらあった。彼女を取り巻く最近の事象は彼女を大いに動揺させていた。幻想入りしてくる討伐対象の正体に覚えがあったからだ。あの烏賊は早苗の友達が昔創作サイトでバズらせたモンスターだった。
よくある話ではある。チープで最強の化け物。パブリックワールド黎明期のアイドル。膨れ上がる人工。そしてしょうもないトラブルを繰り返して気付けば衰退。早苗が中学に上がろうかという頃には公式とされていたサイトは潰れた。野良wikiサイトに転載された記事を見返しては友達と笑っていた。ちょっとした青春時代の懐郷。現在進行形で踏み躙られているもの。少し前にはコープス体で構成されたインビジブルかつ不可視の異常増殖する毒キノコが魔法の森の実に五分の一を侵し大きな騒ぎになったが、早苗は収束後にその話を聞いて「ああ、あれか」と思った。似たような事が他に二度程あった。
関係してしまっている罪悪感で脳みそが潰れそうになる。新天地に厄災を持ち込むなど。しかし、早苗は全然関係なかった。早苗が何かをした訳ではなかった。ただ知っているだけだ。この件に関して早苗は傍観者だ。それに、もし早苗がそれらの作者だったとしても、だったら人は物語を紡いではならないのか?想像力を形にしてはならないのか?そんなものは命題としても下らな過ぎて一考にすら値しない。そもそも幻想郷のシステムの見境の無さにこそ問題がある。真に早苗が恥じているのは、普段はそんな事歯牙にもかけない彼女が、何故か今回に限って不当に石を投げられる事を忌避し情報を開示しなかった事だ。これによって早苗は早苗自身にとって本物の罪人と化してしまった。
常識の名の下に緩やかな排斥を受けようとも鼻で笑っていた。但し、今回担保にしているのは「楽しかった過去と友人の名誉」だった。残念ながら人生経験にそんなアーカイブはなかった。うじうじしている内に十代特有の全能感に任せて適当に振るっていた奇跡は打ち砕かれた。
結局、それらが打破の気配を見たのは友達の河童の腹が食い千切られてしまった時だった。うじうじする原因が友人ならカリカリする原因も友人だった。何処まで行った処で交友関係に支配される一般的な少女だった。それでもまだ吹っ切り切れてない彼女の精神を統一させたのは、「向いてない」の言葉通り溜まったフラストレーションの開放と、無限大な破壊と、共闘の快感と、命の危機。
後に残ったのは奇跡を起こす尊大千万な風祝のみだった。
***
レミリアは確かに長期戦を覚悟していたが、それにしたって夜が明けるとは思っていなかった。やぶれかぶれで、せめて烏賊達がまた何かを喰って再生しないようにお口を魔法陣でチャックしてみたら案外と有効だったようで再生はしなくなったが、その代わりとばかりに攻撃の苛烈さが増して(危機感を覚えて必死になったのもあるだろうが、単に再生に費やしていたリソースを全て戦闘に向ける事が出来るようになった為だと考えられる)、消耗し切った上に日に焼けて煙の出てきたレミリアはついに泣きが入った。
「おーい守矢の。もう無理だ一回帰ろう」
「東風谷早苗です。日が差すのが困るというなら雨でも降らせましょうか」
「馬鹿、雨もダメなんだ」
「じゃあ曇り。とにかく帰るのは無しです」
早苗が大気を圧縮させて固めると烏賊達はひしゃげ潰れた。悪趣味な水晶と遜色のなくなったそれをレミリアがぐるぐる巻きにして地面に張り付ける。
「もうめちゃくちゃですね。これ見て烏賊と答える人はいないでしょう」
「封印できるんだったらこれで倒したで良いんじゃないのか」
「封印は不可能です。それに私別に巫女って訳じゃないのでそういうのはちょっと。これは私の力を使い続けるので封印とは違いますし」
「私の鎖もそうだ」
「とりあえず曇りにします」
宣言通り直ちに曇りになった。レミリアが神かよとぼやくと、そうですがと言って憚らない早苗だった。これも一つの時間稼ぎ。小休止とはいかなくとも作戦会議くらいはできる。運命操作は全然進んでいなかった。早苗はそれに期待していたというのに、あと三日はかかると当たり前のように言ったレミリアには早苗もため息をついた。天狗達が来ない事をレミリアは訝しんだが、多分我々にやらせちゃえばいいという話になったのだろうと当たり前のように言った早苗にはレミリアもため息をついた。幻想郷の住人的に紅魔の主人というのは、ポッと出の異形に苦戦するような存在ではないし、事実それは的を射ている。もっと言うとそんなのと化け物が破滅の光を打ち合っている処にのこのこ出て行って巻き込まれたくはないのが正常の感性というものだろう。守矢の風祝にしたって、問題児の烙印を押された暴れん坊なのだから事情はレミリアと大して変わらなかった。
「しかし、あー、君のとこの神様連中は帰ってこない君を心配して駆けつけたりはしないのか?」
「放任主義なんで」
「お前マジでさぁ…」
「半分冗談です。天狗がサボってるのに加奈子様や諏訪子様が出張ってたら腰が軽いってナメられるでしょ。そういうの気を付けて下さいって普段からって言ってあるんで」
「正しいがそれ君が言い聞かせないといけないくらい連中は奔放なのかい」
「はい」
「はいかよ」
「本題に入りましょう」
早苗は深呼吸をした。噛み砕いて説明しようとすると自分との関連性を喋る必要が無いことにここで気付いて、笑ってしまいそうになった。余裕が無いかよと早苗は自嘲するものの、そこを笑い飛ばせるのは結局、無意味な罪悪感から逃れるという前提を達成したからに他ならない。
「あれは『怪物の代名詞』という名前の存在です」
「うん?」
「外の世界で最近まで有名だった…まぁ、妖怪的な奴です」
「あー、まて、まて、名前があるんだったらもっと早く教えてほしかった。大分役にたったのに」
「えっ?す、すいません」
早苗は知っている限りの情報をレミリアに提供した。同じ力の元に暴露し続けるとそれに適応すること(つまりそもそも封印できない。今行っている時間稼ぎも程なく破綻する)や、散々他の創作物をぶつけて殺し合わせていた際に、お互いの作品の格が落ちないような都合のいい解釈が付け足されまくった経緯から、今尚驚異となりうる存在と相対した場合に新しい設定が急に生えてくる可能性があること。存在自体が全く異質な原因は昔と今の信仰の「質の違い」にあり、厳密には妖怪とも神とも異なった全く新しいジャンルの存在であること。全ての情報に早苗自身の考察が含まれること。
「それだけ判れば、慣れさえあればあの手合の運命を視る事ができるのもそう遠くなさそうだ」
「本当ですか?あれの運命を変えるのはどれくらいかかりますか?」
「言っても今晩まではかかる。昼にそんな大きな力は出ないし」
「…まぁ良いでしょう。私は何をします?」
「自由にやってくれ。さっきので判ったが、指示通りに動いてる時の君はパフォーマンスが低い」
「さいで」
「私は君とうちのが繰り広げる余興を多く見てきた。君が当たってほしいと思うヤマを好きに張ればいい」
「承知しました」
「あれらに相応しい運命自体は決まったけれど、正直な処あんまり状況が良くなくてね。埃一つ分程のズレすら許されないとでもいうか…ふふ、まぁ奇跡にでも期待してみるか?いやいや、良いんだよ、別に。けつまくって逃げて増援の一つでも呼べばあっさり解決さ。目を離した隙にどれくらい死ぬかは知らんがね。君はまだ若いし大人に任せたって誰も責めやしないって」
「奇跡なら起きますよ」
レミリアはきょとんとし、少し黙った。人事を尽くして天命を待てば、後に残るは茶番のみ。東風谷早苗にとって奇跡とはそういうものだった。目の前で膨れ上がっていく悪趣味な水晶に二人は視線をやった。こんな程度の事象は幻想郷に何ら被害を齎さない。より正確に表現するならば、百人や二百人死ぬような事は幻想郷にとって代謝程度の事でしかない。細菌を殺すのに免疫細胞が沢山死ぬのは当然と言える。それでもここには二人と三匹しか居ない。そしてこれから死ぬのは多分三匹の方だけで、誰一人として殺める事なく殺されるのだろう。
「起こします」
「結構だ、守矢の」
「東風谷早苗です」
***
かくして、遂に夜になった。東風谷早苗です、から十分程で時間稼ぎは破られ、魔法陣で塞がれていた代わりの口が体中からばかばかと開いた。そこから夜に至るまでの壮絶な戦いの引き伸ばしは面倒なのでいちいち描写しない。一番厄介なのは、三匹同時に逃さないようにする立ち回りだった。二人だからまだなんとかなっているが、どちらか一人でも居なかったらまず間違いなく辺りに被害を撒き散らす結果になっていた。レミリアは早苗から血を少し貰いながら戦うというあんまり過ぎる戦法を取って尚、右腕を再生させるのが億劫という、底辺すれすれの不死力をなんとか維持している状態だった。早苗はとにかく貧血と眠気との戦いで、疲れたし意識が飛びそうだった。ちょっと触手に撫でられたら爆散するような憐れな耐久力しか持たない種族がこの集中力で戦っているので、レミリアの被弾も増えるという悪循環だった。
その地獄の様な時間もいよいよ終わる。日が沈み切り、もう良いぞとレミリアが叫ぶと早苗は一際大きな旋風を起こし、烏賊共を遥か上空まで吹き飛ばした。早苗からは、直ぐに烏賊共の高度まで追いついたレミリアが無数の鎖を放射状に射出したのが見えた。早苗は「結ばれた紙」を吹雪と見紛う様な量でもって、烏賊に向かって撃ち込んだ。烏賊共は、そんな事が出来るなら最初からやっとけよと思うが、二十体程に小さく分裂してレミリアに群がった。
「なぁっ!?」
直ぐに食い尽くされて生首を残すのみとなったレミリアに、早苗は呻いた。口が増えた件といい、どんどん新しくなっている。肝心のレミリアに能力発動の力が残ってなければ彼女は死ぬ。ここまでやっておいて下らない犠牲の下に勝利などという結果に終われば早苗の今後に暗い影が落ちる事は間違いない。しかし、早苗の心配を他所に、彼女は唯只管不敵だった。無数にまで分かれた烏賊達は突如、全てひしゃげた。
「勘弁してほしい。そりゃ、私は泥仕合の方が得手だがね。運命の見えない相手とはあまり戦いたくない。我が妹の真似事をして諸君らに使ったのは単純な存在の拒絶だ。致命的破壊。どんな相手にでも覿面の効果を発揮する筈なのだが、私の矮小な魔力量と諸君らの異質さを加味して、これだけでは不十分な事は理解している。守矢のがアホみたいに投げまくってるのが何なのかはまったく知らん。一つ言えるのはこういった場合、私は操りたい相手以外の全てを操って結果を思い通りにする手法を使うという事だ。演算型能力の最高峰故可能なゴリ押しと言えるな。ああくたびれた。案山子相手に労せず勝ちたいと、いつも願っているものだよ。ともあれ―
運命『ミゼラブルフェイト』。怪物の代名詞の運命を決定した。諸君らの運命は―『大凶』だ」
早苗が空を埋め尽くさんばかりに召還した、「結ばれた紙」はその全てが大凶を示し、空間を捻じ切るようにして距離感すらない黒共に、哀れな白達はかき消された。正常な人生の下を歩みたいのであれば決して一生の内一度でも聞くべきではない大きな、何かが歪み割れる音がすると星空だった。須臾を抜けるように当然に無事だったレミリアの生首が落ちてくるのを、早苗は出来うる限りの慈しみをもって優しく捕球した。少し遅れて血の雨が降って来て二人は濡れた。レミリアはにかりと笑った。
「やったな、守矢の」
「東風谷早苗ですっ。共に一つのヤマを越えて認め合い、やっと最後に私の名前を呼ぶっていう場面じゃないんですか、ここは!」
「ふふ、何の話か分からんな」
「もうっ」
***
「お前の能力を、普段使っている魔法に置き換えて考えてみろ。破壊するを一、破壊しないを零、対象を変数とするんだ。そしてそれを全ての概念に当てはめる」
「ちょっと難しいかも」
「ここに我が親友に作ってもらった水流リングがある。これを腕に身に着けて、吸血鬼の弱点を克服するにはどの様に摂理を破壊すれば良いのか演算してみろ」
「えっ。入門編にしては荷が勝ちすぎているんじゃないかしら」
「入門編とは言っていない。これができればお前に出来ない事はこの世に存在しない。しかし同時に、これを努力する過程で大抵の事は出来るようになるはずだ」
「壊したものを直す事も?」
「壊したものによる。物理的修復は破壊の何乗も難易度が高い。対して摂理系修復はそもそも必要ないケースが多い。まず順番として、自分の魔力で手に負える範囲を正確に切り取って設定してから本演算を始めるからだ。時間が経てば多数派空間の摂理に合わせて補完される。修復が必要な程破壊された摂理をどうにかしようなどと言うのは神にでもやらせておけ。いずれにせよ並列に情報を処理できる頭と、単純な魔力量を永遠に研鑽し続ける必要がある」
「じゃあ私、神を目指すわお姉様」
「実に不敵で大変結構」
「えへへぇ」
烏賊の件から数日が経った。紅魔館には天狗連中から警告的な書状が届いた。受け取った美鈴はそれに少しだけ目を通して直ぐに破いた。早苗が文に事情を問いただした処によると大体早苗の予想で合っていたが、更にその上「我々はあくまで対処の用意を急いでいたのであり、紅魔はその最中我々の領内で勝手な真似をした」という建前を作ろうとしていたようだった。主張がそこまで的外れでもない処がなんとも質が悪い。実際、レミリアが居なかった処で程なく天狗の部隊が烏賊を誅滅した事だろうし、そもそもレミリアが烏賊を斃したがったのは単に個人的な報復の為だったのだから。とはいえ無犠牲で事を収めたレミリアをそんな扱いとあっては早苗としても流石に忍びないということで、暗躍と暴力の末にそんな建前は握りつぶされた。それら全てを知る由も無く、レミリアは妹と至上の時を過ごしていた。力の使い方を教授するという口実で、妹の羽を磨きながらほぼ雑談に興じていた。ただのねんごろだった。程なく部屋の外から厚かましさに溢れた無粋な足音が聞こえてきて、扉が開け放たれた。仲睦まじい姉妹の語らいは中止の憂き目に遭った。顔を出した緑髪は(恐らく侵入を止めようとわちゃわちゃしている内にそうなったのであろうが)咲夜をおんぶしていた。レミリアは笑顔で侵入者を迎えた。
「悪いが今は忙しいんだ。というより、当面は妹及び下僕達へのアフターケアで忙しいので改めての挨拶についてはこちらから連絡すると言ってあった筈だが?出てけ」
「そんな事を言っている場合じゃないんです。幻想郷中の水が多発的に水晶化している件について調査を手伝って欲しいんですよ。知ってるでしょ?レミリアさん家の前の湖だって今ガチガチでしたよ。このままじゃ皆干からびて死んじゃうかも」
「私は勿論、君にだってそんな義理は無いだろう」
「それがですね、私が『埒外』に詳しいって知った八雲が私を専門の解决屋に任命しちゃったんですよ。しかも報酬が良くて」
「『埒外』?」
「そういう名前が付いたんです」
烏賊で四件目であった事から、似たような事件が頻発する事は想像に固くなかった。何せそのパブリックワールドの題材は「人類に害為す汎ゆる存在との戦い」がテーマだったので、その厄介さも「たまたま幻想入りした怖い連中」どころの騒ぎではなかった。さながら土俵の上に放り込まれたクワガタとカブトムシのようで、早苗はそれらを好奇の目で見る巨大な人間の視線を思って止まなかったが、早苗自身もホラー映画でキャーキャー言うのが好きなタイプだったので、次のトゥルーマン・ショーの操り人形に自分が選ばれたからと言って文句を言ってはいけないなと思っていた。東風谷早苗の感性は乾いていた。
「ははあ。それで何故私を?」
「気持ちよかったじゃないですか。あの時私が奇跡で動かしたのはおみくじの結果だけです。それが烏賊に致命的に作用するか、レミリアさんにだけ都合よく当たらずに済むかは全部レミリアさんがやった事ですよ。私達、最強のコンビだと思いませんか?」
幻想郷が全てを受け入れるのをやめた時、それは全ての優しさを失い衰退するだろう。故にこれを避ける事はできない。システムの欠陥を善性でカバー出来ると思っているなら只の馬鹿だが、善性で作られたルールは願いと同義で、それはつまり順番が逆で、必ずしも愚かさの産物とは言えなかった。黎明期共同創作のるつぼに混沌として生み出され続けた全てはいずれ陳腐化し、順番にこちらに流れてくる。人間が造物主の眷属であることの証左が幻想郷だ。思い、作り出し、忘れられ、それでも消えず、流れ着く。その結果誰が死ぬのか?殺されたのは烏賊か?それともこれからの幻想少女の誰かか?どういう経緯で生まれた何にせよこの世の全ては、
「気分が良かったという点については否定しない。我々の相性が良いという件についてもだ。だが、やだね。私は身内を構う以上に大事な時間が存在しない事を今回の件で痛感したのだ。白黒でも誘って勝手に何でも解決していろ」
「でも湖が固まってしまったのは悲しいわ。私お姉様と湖畔を散歩するのが好きだったのに」
「仕方ないな守谷の。報酬はきちんと折半しろよ、紅魔の財布事情も我らの隆盛に比例するという訳ではないのでね」
「東風谷早苗ですっ!」
カジュアルに殺される。人も物も。現実も幻想も。
茶番じみた強さだな、奴らは。とレミリアは忌々しげにぼやく。奴らが紅魔館の領域圏外まで逃げ出してから、半刻程しか経っていない。その半刻の間にあったことと言えば、怒髪天を衝いた彼女が即座に館を飛び出し、気配を追って妖怪の山まですっ飛んでいって、それを止めに来た懲戒天狗を腹いせとばかりに殆どブチのめし、早苗の調停術式によって漸く落ち着いて、事の顛末を話合ったくらいだ。雑魚天狗はレミリアと烏賊によって壊滅状態になったので、今は戦闘力に特化した別部隊を作成中らしい。それを聞いてレミリアは呆れた。
「緊急事態で化物三匹の相手をしている最中であっても、明らかにそれを斃しにきた私をも止めねばならず、新しい部隊の作成や出撃の指示などに一々会議を挟まねばならないとはな。妖怪の山の連中の愚鈍さには憐れみさえ覚える。なあ守谷の」
「東風谷早苗です。これで三度目ですよレミリアさん。貴方が敷いている独裁によって得られる即断即行は所詮、貴方の持つ強大な力と魅力に依ります。共同体の強固性をシステムに頼る以上仕方のないことです」
「フン。褒め言葉と受け取っておくとするが、口の聞き方には気をつけろ。平時ならその程度の軽口に眉を潜める事もないが今の私は虫の居所が悪い」
「心中お察ししますと言うと同時に、腸が煮えくり返っているのはこちらも同じだと主張させて頂きます。あの烏賊が出した損害の中には私の友人諸子も含まれていますのでね」
「そういうことじゃあないんだよ」
「え?」
「いや、いい。すまない」
烏賊は地に伏せ休息を取ると言ったことはない。ただ浮いている。海の中を揺蕩うように。幻想郷に海はないし、烏賊は漁獲とされる中では初見がそこそこグロテスクで、わざわざ人里に入荷されるような事は少ない。故に幻想郷の住人の殆どには全く未知の化物で完全な恐怖の対称だ。しかしレミリアや早苗からすると、それは未知への恐怖と言うよりは寧ろ、妙なシュールさを感じさせつつも、日常に異常が侵食してくるような悍しさがある。なにせあのすっとぼけたような外見はそのままにひたすらデカい。矢よりも早く空中を泳ぎ、更に体表を任意に硬質化出来る為、移動そのものが攻撃となる。吸盤の歯はぎしぎしと音を立てて回転し、大凡何もかもと言って差し支えなく刮ぎ取る。どんなものでも食べ、すぐに自らの細胞へと変じさせる。分裂もする。大きさと個体数は決まっているようで、今以上に厄介なことにはならなそうなのがせめてもの救いか。度し難い。とはいえ、レミリアにとっては嬉しい誤算もある。早苗の補助術式は攻撃性能に特化したレミリアとは相性がいい。彼女は自分一匹でも十分に殺しきれると踏んでいるが、念の為の保険としては此れ以上無い人選だ。
「はあ。物も考えられない畜生が生きる為にした行動にブチ切れていても栓の無いことだ。判ってはいる」
「私の知っている通りならあれらには人並みの知能がありますし、愉快犯的に人を殺します」
「なんだと?君は奴らの何を知っている?」
「あっやべえ目があった」
「オイオイ」
烏賊共に存在を気取られてしまった二人だが、それですぐさま襲ってくるような事はない。何せレミリアの放つ圧を紅魔館にて一度体感している。そもそもこいつらは美鈴と咲夜の後にこんな化け物の相手は出来ないからという事で逃げ出している。蛇の特性を降ろしている早苗はともかくあの烏賊共、夜目まで効きやがるよとレミリアは石を蹴った。不意打ちを敢行する為森の下を這って動いていたが、相手は空中に大きな視界を持って存在しているので目が合ったのはたまたまだし、早苗の責任とは言い難い。二人は警戒する敵対者に対する認識系の力に長けていない。
「仕方ない。手筈通り私が先に突っ込む。我が下僕共がアレされた相手な手前油断はしないが、そもそも私一人でも十分に燼滅出来る相手の筈だ。心配はしなくてもいい。守谷の、君は戦局を見て術を張れ。動きを鈍らせるようなものが良い」
「東風谷早苗。私の事は東風谷早苗と。四度目です。判りましたが、あれらは貴方よりも明確に創作設定に縛られた存在です。現状、力量の上では勝っていても『ノートの上から書き足される』様な事態にならないとは限りません」
「君の言っている事はさっきから随分確信的だな。後で詳しく聞かせてもらえるのだろうね?」
「ああ…まあ、はい、良いでしょう」
「結構」
結構の「う」の発音が終わるのと同時に、レミリアの姿は既に三匹の烏賊と共にあった。早苗は直ちに愚鈍付与術式と脆弱化術式と生命吸収術式を同時に詠唱した。
***
前述の二人が興じているのは異変解決というよりはバウンティ・ハンティングに近い。幻想郷の機構には山程の欠陥がある。「幻想郷は全てを受け入れる」もその一つ(尤も賢者達の中に、これを欠陥と一言で切り捨てられるような者は居ない)。これによって受け入れられた中で、既存の住人に到底共存不可と断定された存在は即時討伐の対象となる。そしてこれは博麗の巫女一人に務まる責務ではない。故に何らかの報酬によって討伐を各陣営に打診している。これら陣営の中で、紅魔と守矢に共通しているのは「降りかかる火の粉は払う」というスタンスくらいのものだった。
その日レミリアの機嫌が良かったのは妹の誕生日を祝うという名目にかこつけて彼女と接する機会に恵まれるからだった。レミリアは身内に対して妙な照れを発揮する事で、通常の好意の表明も出来ないようなポンコツ女だった。誕生日を祝うという提案すら、(半ば呆れ調で)咲夜がしたものであり、レミリアはそれに渋々了承したに過ぎない。誕生日プレゼントも用意していた。投げ遣りに何でも買い与えていたような、これまでのいい加減なあれやこれやではなくて、薔薇の花弁一枚挟んだだけの只の栞と共に、今日こそは姉として歩み寄るのだと考えていた。レミリアはそわそわのうきうきだった。
クソみてーに長い廊下の真ん中で、少し頬の紅い、愛らしい愛おしい妹を前にして、さあ何を言おうかと言った処で、ガラスの破片と共にその姉妹の間にぶっ飛んできたのは門番だった。直ちに血溜まりが辺りを支配した。風を切る白い触手に、呆気にとられた妹の首が飛ばされそうになるのをレミリアは跳ね除けた。駆けつけてきた咲夜には右腕が無かった。不死力をばちゃりと飛ばして怪我塗れの二人を即座に全快させた。
「お姉様」
「少し待っているように」
無論限度はあるが、ある程度なら致命傷を修復した処で眷属になるような事はない。レミリアは運命を操るが、咲夜の運命は視えない。美鈴の運命は広大すぎて観測しきれない。フランドールには近づいただけで周りの運命諸共幕に覆われたようになる。身内でまともに視れるのはパチュリーくらいのものだった。司書の運命は視ても意味がない。魔界の悪魔だから。美鈴は申し訳ない、と横になったまま言った。レミリアはブチ切れていた。静かな怒りとかそういうのではなくて、只々分かりやすく普通に怒っていた。
勿論、大事なメイドと門番をアレされた怒りも多分にあるが、何より漸く踏ん切りの付いた自分の決心に冷水を浴びせられたのが一番気に入らなかった。しかしこれは自分の歩みから出た錆びでもあるよなと、彼女は思った。何でこんな時に限って、ではない。普段から素直になっておけばこんな気持ちになる事もなかったのだから。そうすれば今、彼女は純粋に部下を痛めつけられた義憤と報復という目的によってのみ行動できたはずだ。「私は紅魔の主なのだから」。今の自身は不純だ。しかし如何に自分の人格が理想とは掛け離れていたとしても、それを顧みている時間はない。誰も不安にさせる事のない立ち振る舞いのみが常に要求されている。要求しているのは誰だ?それはレミリア自身だ。他の誰も、レミリアにそこまでの完璧を求めちゃいない。それでも彼女は自分を許すことはない。決して。
「お姉様!私ちゃんと待ってるから!」
妹が叫ぶのが背中に届いて、やっぱりレミリアは少しだけ全能感を味わった。何を置いてもレミリアにはフランドールが全てだった。ある意味これはレミリアにそれを自覚させるイベントとして機能した。レミリアからすれば、妹と話そうとしていただけなのに手負いの下僕二人と触手が躍り出てきた格好だ。唐突かつ意味不明。何の伸展性も脈絡もない。案外、紅魔館を飛び出した時点で既に、レミリアは怒りとは別の位置に居た。そして、大凡自己の中で渦巻く感情に対しては冷静な質であり、ほぼ自覚的だった。
あっけらかんと、かくもあっさりと、まだ何も乗り越えてもいないのに彼女は精神的に成長した。人間が人生の間でひり出す全ての糞の量よりも断然多く、下らない自己分析に時間を使ってきた彼女なりの半生の成果だった。
***
五百手、九十秒程度で大凡劣勢と相成ったレミリアは胴が泣き別れし、即時の再生が難しい程に繰り返し損傷していた。早苗は舌打ちをした。結果的にはレミリアの言う通り彼女一人で事に臨むのが最善だったかもしれないと考えたからだ。レミリアは早苗に飛ぶ攻撃を九割方封じ込めながら戦っていた。連帯行動に慣れていない早苗が劣等感を抱くのも無理はないが、実際の処このタッグはパーティとして十全に機能しており、レミリアは相当に助かっていた為この勘繰りは的外れであると彼女の名誉の為に記述しておく。
「まいったな、しかし…瞬殺が不可能なら泥仕合に持ち込むまでだ」
ぼやいたレミリアが「ふん」と体に力を入れると新しい下半身が生えてくる。槍と爪と放出による派手な攻撃が鳴りを潜め、代わりに鎖と蝙蝠と魔法陣を駆使し牛歩を始めたレミリアを見て、早苗は状況と取るべき戦術が変わった事を理解した。早苗が投げ込んだ「結ばれた紙」が吉を示し黄色い爆発として烏賊に炸裂した。一瞬怯んだ隙を突いて鎖で三匹を捕縛したレミリアは早苗の同射程まで離脱した。
「君の継戦能力を聞きたい」
「あれらの力を吸い取りながら戦っているので、気力や集中力の面を除けば無尽蔵です」
「結構、撤退はない」
「どうするつもりですか?」
「運命を操る程度の能力を使う。ただ演算が完了するまで時間がかかる。奴は強大な上に何故か運命が視えん」
「絶望的状況に聞こえてなりませんが」
「なぁに、我がメイドとかを筆頭に、運命が視えない相手にはなれっこだ。相性が悪いからと言って嘆いていても始まらないの。視えないと判ればそれならそれで幾らでもやりようはあるさ」
烏賊が自らの戒めを破壊した折を見て、またレミリアが前線へ向かった。暫くの間、早苗は此れまでの術と合わせて、おみくじ爆弾で牽制を繰り返したりしていたが、程なく苛立ちが隠しきれなくなって、終いにはレミリアの更に前に出た。
「オイ、何をしてる?死にたいのか」
「向いてないんですよこういうの」
吐き捨てるようにそう言って、早苗は烏賊の目玉にサッカーボールキックを食らわせた。無様としか形容のしようがなく、烏賊の目玉は勢いよく欠損した。更に、体全体に風を纏って掘削機の様に烏賊の体躯を削り始めた。全ての術式は依然、並行して作用していた。レミリアは閉口した。烏賊も閉口した。尚も戦いは続いた。
***
奇跡を起こす程度の能力は単なる詠唱の他に、自分にできる最大限の努力と、自分の幻想性に対する一点の曇りもない信仰の末に発動する。早苗は最近調子が悪かった。スランプだった。イップスですらあった。彼女を取り巻く最近の事象は彼女を大いに動揺させていた。幻想入りしてくる討伐対象の正体に覚えがあったからだ。あの烏賊は早苗の友達が昔創作サイトでバズらせたモンスターだった。
よくある話ではある。チープで最強の化け物。パブリックワールド黎明期のアイドル。膨れ上がる人工。そしてしょうもないトラブルを繰り返して気付けば衰退。早苗が中学に上がろうかという頃には公式とされていたサイトは潰れた。野良wikiサイトに転載された記事を見返しては友達と笑っていた。ちょっとした青春時代の懐郷。現在進行形で踏み躙られているもの。少し前にはコープス体で構成されたインビジブルかつ不可視の異常増殖する毒キノコが魔法の森の実に五分の一を侵し大きな騒ぎになったが、早苗は収束後にその話を聞いて「ああ、あれか」と思った。似たような事が他に二度程あった。
関係してしまっている罪悪感で脳みそが潰れそうになる。新天地に厄災を持ち込むなど。しかし、早苗は全然関係なかった。早苗が何かをした訳ではなかった。ただ知っているだけだ。この件に関して早苗は傍観者だ。それに、もし早苗がそれらの作者だったとしても、だったら人は物語を紡いではならないのか?想像力を形にしてはならないのか?そんなものは命題としても下らな過ぎて一考にすら値しない。そもそも幻想郷のシステムの見境の無さにこそ問題がある。真に早苗が恥じているのは、普段はそんな事歯牙にもかけない彼女が、何故か今回に限って不当に石を投げられる事を忌避し情報を開示しなかった事だ。これによって早苗は早苗自身にとって本物の罪人と化してしまった。
常識の名の下に緩やかな排斥を受けようとも鼻で笑っていた。但し、今回担保にしているのは「楽しかった過去と友人の名誉」だった。残念ながら人生経験にそんなアーカイブはなかった。うじうじしている内に十代特有の全能感に任せて適当に振るっていた奇跡は打ち砕かれた。
結局、それらが打破の気配を見たのは友達の河童の腹が食い千切られてしまった時だった。うじうじする原因が友人ならカリカリする原因も友人だった。何処まで行った処で交友関係に支配される一般的な少女だった。それでもまだ吹っ切り切れてない彼女の精神を統一させたのは、「向いてない」の言葉通り溜まったフラストレーションの開放と、無限大な破壊と、共闘の快感と、命の危機。
後に残ったのは奇跡を起こす尊大千万な風祝のみだった。
***
レミリアは確かに長期戦を覚悟していたが、それにしたって夜が明けるとは思っていなかった。やぶれかぶれで、せめて烏賊達がまた何かを喰って再生しないようにお口を魔法陣でチャックしてみたら案外と有効だったようで再生はしなくなったが、その代わりとばかりに攻撃の苛烈さが増して(危機感を覚えて必死になったのもあるだろうが、単に再生に費やしていたリソースを全て戦闘に向ける事が出来るようになった為だと考えられる)、消耗し切った上に日に焼けて煙の出てきたレミリアはついに泣きが入った。
「おーい守矢の。もう無理だ一回帰ろう」
「東風谷早苗です。日が差すのが困るというなら雨でも降らせましょうか」
「馬鹿、雨もダメなんだ」
「じゃあ曇り。とにかく帰るのは無しです」
早苗が大気を圧縮させて固めると烏賊達はひしゃげ潰れた。悪趣味な水晶と遜色のなくなったそれをレミリアがぐるぐる巻きにして地面に張り付ける。
「もうめちゃくちゃですね。これ見て烏賊と答える人はいないでしょう」
「封印できるんだったらこれで倒したで良いんじゃないのか」
「封印は不可能です。それに私別に巫女って訳じゃないのでそういうのはちょっと。これは私の力を使い続けるので封印とは違いますし」
「私の鎖もそうだ」
「とりあえず曇りにします」
宣言通り直ちに曇りになった。レミリアが神かよとぼやくと、そうですがと言って憚らない早苗だった。これも一つの時間稼ぎ。小休止とはいかなくとも作戦会議くらいはできる。運命操作は全然進んでいなかった。早苗はそれに期待していたというのに、あと三日はかかると当たり前のように言ったレミリアには早苗もため息をついた。天狗達が来ない事をレミリアは訝しんだが、多分我々にやらせちゃえばいいという話になったのだろうと当たり前のように言った早苗にはレミリアもため息をついた。幻想郷の住人的に紅魔の主人というのは、ポッと出の異形に苦戦するような存在ではないし、事実それは的を射ている。もっと言うとそんなのと化け物が破滅の光を打ち合っている処にのこのこ出て行って巻き込まれたくはないのが正常の感性というものだろう。守矢の風祝にしたって、問題児の烙印を押された暴れん坊なのだから事情はレミリアと大して変わらなかった。
「しかし、あー、君のとこの神様連中は帰ってこない君を心配して駆けつけたりはしないのか?」
「放任主義なんで」
「お前マジでさぁ…」
「半分冗談です。天狗がサボってるのに加奈子様や諏訪子様が出張ってたら腰が軽いってナメられるでしょ。そういうの気を付けて下さいって普段からって言ってあるんで」
「正しいがそれ君が言い聞かせないといけないくらい連中は奔放なのかい」
「はい」
「はいかよ」
「本題に入りましょう」
早苗は深呼吸をした。噛み砕いて説明しようとすると自分との関連性を喋る必要が無いことにここで気付いて、笑ってしまいそうになった。余裕が無いかよと早苗は自嘲するものの、そこを笑い飛ばせるのは結局、無意味な罪悪感から逃れるという前提を達成したからに他ならない。
「あれは『怪物の代名詞』という名前の存在です」
「うん?」
「外の世界で最近まで有名だった…まぁ、妖怪的な奴です」
「あー、まて、まて、名前があるんだったらもっと早く教えてほしかった。大分役にたったのに」
「えっ?す、すいません」
早苗は知っている限りの情報をレミリアに提供した。同じ力の元に暴露し続けるとそれに適応すること(つまりそもそも封印できない。今行っている時間稼ぎも程なく破綻する)や、散々他の創作物をぶつけて殺し合わせていた際に、お互いの作品の格が落ちないような都合のいい解釈が付け足されまくった経緯から、今尚驚異となりうる存在と相対した場合に新しい設定が急に生えてくる可能性があること。存在自体が全く異質な原因は昔と今の信仰の「質の違い」にあり、厳密には妖怪とも神とも異なった全く新しいジャンルの存在であること。全ての情報に早苗自身の考察が含まれること。
「それだけ判れば、慣れさえあればあの手合の運命を視る事ができるのもそう遠くなさそうだ」
「本当ですか?あれの運命を変えるのはどれくらいかかりますか?」
「言っても今晩まではかかる。昼にそんな大きな力は出ないし」
「…まぁ良いでしょう。私は何をします?」
「自由にやってくれ。さっきので判ったが、指示通りに動いてる時の君はパフォーマンスが低い」
「さいで」
「私は君とうちのが繰り広げる余興を多く見てきた。君が当たってほしいと思うヤマを好きに張ればいい」
「承知しました」
「あれらに相応しい運命自体は決まったけれど、正直な処あんまり状況が良くなくてね。埃一つ分程のズレすら許されないとでもいうか…ふふ、まぁ奇跡にでも期待してみるか?いやいや、良いんだよ、別に。けつまくって逃げて増援の一つでも呼べばあっさり解決さ。目を離した隙にどれくらい死ぬかは知らんがね。君はまだ若いし大人に任せたって誰も責めやしないって」
「奇跡なら起きますよ」
レミリアはきょとんとし、少し黙った。人事を尽くして天命を待てば、後に残るは茶番のみ。東風谷早苗にとって奇跡とはそういうものだった。目の前で膨れ上がっていく悪趣味な水晶に二人は視線をやった。こんな程度の事象は幻想郷に何ら被害を齎さない。より正確に表現するならば、百人や二百人死ぬような事は幻想郷にとって代謝程度の事でしかない。細菌を殺すのに免疫細胞が沢山死ぬのは当然と言える。それでもここには二人と三匹しか居ない。そしてこれから死ぬのは多分三匹の方だけで、誰一人として殺める事なく殺されるのだろう。
「起こします」
「結構だ、守矢の」
「東風谷早苗です」
***
かくして、遂に夜になった。東風谷早苗です、から十分程で時間稼ぎは破られ、魔法陣で塞がれていた代わりの口が体中からばかばかと開いた。そこから夜に至るまでの壮絶な戦いの引き伸ばしは面倒なのでいちいち描写しない。一番厄介なのは、三匹同時に逃さないようにする立ち回りだった。二人だからまだなんとかなっているが、どちらか一人でも居なかったらまず間違いなく辺りに被害を撒き散らす結果になっていた。レミリアは早苗から血を少し貰いながら戦うというあんまり過ぎる戦法を取って尚、右腕を再生させるのが億劫という、底辺すれすれの不死力をなんとか維持している状態だった。早苗はとにかく貧血と眠気との戦いで、疲れたし意識が飛びそうだった。ちょっと触手に撫でられたら爆散するような憐れな耐久力しか持たない種族がこの集中力で戦っているので、レミリアの被弾も増えるという悪循環だった。
その地獄の様な時間もいよいよ終わる。日が沈み切り、もう良いぞとレミリアが叫ぶと早苗は一際大きな旋風を起こし、烏賊共を遥か上空まで吹き飛ばした。早苗からは、直ぐに烏賊共の高度まで追いついたレミリアが無数の鎖を放射状に射出したのが見えた。早苗は「結ばれた紙」を吹雪と見紛う様な量でもって、烏賊に向かって撃ち込んだ。烏賊共は、そんな事が出来るなら最初からやっとけよと思うが、二十体程に小さく分裂してレミリアに群がった。
「なぁっ!?」
直ぐに食い尽くされて生首を残すのみとなったレミリアに、早苗は呻いた。口が増えた件といい、どんどん新しくなっている。肝心のレミリアに能力発動の力が残ってなければ彼女は死ぬ。ここまでやっておいて下らない犠牲の下に勝利などという結果に終われば早苗の今後に暗い影が落ちる事は間違いない。しかし、早苗の心配を他所に、彼女は唯只管不敵だった。無数にまで分かれた烏賊達は突如、全てひしゃげた。
「勘弁してほしい。そりゃ、私は泥仕合の方が得手だがね。運命の見えない相手とはあまり戦いたくない。我が妹の真似事をして諸君らに使ったのは単純な存在の拒絶だ。致命的破壊。どんな相手にでも覿面の効果を発揮する筈なのだが、私の矮小な魔力量と諸君らの異質さを加味して、これだけでは不十分な事は理解している。守矢のがアホみたいに投げまくってるのが何なのかはまったく知らん。一つ言えるのはこういった場合、私は操りたい相手以外の全てを操って結果を思い通りにする手法を使うという事だ。演算型能力の最高峰故可能なゴリ押しと言えるな。ああくたびれた。案山子相手に労せず勝ちたいと、いつも願っているものだよ。ともあれ―
運命『ミゼラブルフェイト』。怪物の代名詞の運命を決定した。諸君らの運命は―『大凶』だ」
早苗が空を埋め尽くさんばかりに召還した、「結ばれた紙」はその全てが大凶を示し、空間を捻じ切るようにして距離感すらない黒共に、哀れな白達はかき消された。正常な人生の下を歩みたいのであれば決して一生の内一度でも聞くべきではない大きな、何かが歪み割れる音がすると星空だった。須臾を抜けるように当然に無事だったレミリアの生首が落ちてくるのを、早苗は出来うる限りの慈しみをもって優しく捕球した。少し遅れて血の雨が降って来て二人は濡れた。レミリアはにかりと笑った。
「やったな、守矢の」
「東風谷早苗ですっ。共に一つのヤマを越えて認め合い、やっと最後に私の名前を呼ぶっていう場面じゃないんですか、ここは!」
「ふふ、何の話か分からんな」
「もうっ」
***
「お前の能力を、普段使っている魔法に置き換えて考えてみろ。破壊するを一、破壊しないを零、対象を変数とするんだ。そしてそれを全ての概念に当てはめる」
「ちょっと難しいかも」
「ここに我が親友に作ってもらった水流リングがある。これを腕に身に着けて、吸血鬼の弱点を克服するにはどの様に摂理を破壊すれば良いのか演算してみろ」
「えっ。入門編にしては荷が勝ちすぎているんじゃないかしら」
「入門編とは言っていない。これができればお前に出来ない事はこの世に存在しない。しかし同時に、これを努力する過程で大抵の事は出来るようになるはずだ」
「壊したものを直す事も?」
「壊したものによる。物理的修復は破壊の何乗も難易度が高い。対して摂理系修復はそもそも必要ないケースが多い。まず順番として、自分の魔力で手に負える範囲を正確に切り取って設定してから本演算を始めるからだ。時間が経てば多数派空間の摂理に合わせて補完される。修復が必要な程破壊された摂理をどうにかしようなどと言うのは神にでもやらせておけ。いずれにせよ並列に情報を処理できる頭と、単純な魔力量を永遠に研鑽し続ける必要がある」
「じゃあ私、神を目指すわお姉様」
「実に不敵で大変結構」
「えへへぇ」
烏賊の件から数日が経った。紅魔館には天狗連中から警告的な書状が届いた。受け取った美鈴はそれに少しだけ目を通して直ぐに破いた。早苗が文に事情を問いただした処によると大体早苗の予想で合っていたが、更にその上「我々はあくまで対処の用意を急いでいたのであり、紅魔はその最中我々の領内で勝手な真似をした」という建前を作ろうとしていたようだった。主張がそこまで的外れでもない処がなんとも質が悪い。実際、レミリアが居なかった処で程なく天狗の部隊が烏賊を誅滅した事だろうし、そもそもレミリアが烏賊を斃したがったのは単に個人的な報復の為だったのだから。とはいえ無犠牲で事を収めたレミリアをそんな扱いとあっては早苗としても流石に忍びないということで、暗躍と暴力の末にそんな建前は握りつぶされた。それら全てを知る由も無く、レミリアは妹と至上の時を過ごしていた。力の使い方を教授するという口実で、妹の羽を磨きながらほぼ雑談に興じていた。ただのねんごろだった。程なく部屋の外から厚かましさに溢れた無粋な足音が聞こえてきて、扉が開け放たれた。仲睦まじい姉妹の語らいは中止の憂き目に遭った。顔を出した緑髪は(恐らく侵入を止めようとわちゃわちゃしている内にそうなったのであろうが)咲夜をおんぶしていた。レミリアは笑顔で侵入者を迎えた。
「悪いが今は忙しいんだ。というより、当面は妹及び下僕達へのアフターケアで忙しいので改めての挨拶についてはこちらから連絡すると言ってあった筈だが?出てけ」
「そんな事を言っている場合じゃないんです。幻想郷中の水が多発的に水晶化している件について調査を手伝って欲しいんですよ。知ってるでしょ?レミリアさん家の前の湖だって今ガチガチでしたよ。このままじゃ皆干からびて死んじゃうかも」
「私は勿論、君にだってそんな義理は無いだろう」
「それがですね、私が『埒外』に詳しいって知った八雲が私を専門の解决屋に任命しちゃったんですよ。しかも報酬が良くて」
「『埒外』?」
「そういう名前が付いたんです」
烏賊で四件目であった事から、似たような事件が頻発する事は想像に固くなかった。何せそのパブリックワールドの題材は「人類に害為す汎ゆる存在との戦い」がテーマだったので、その厄介さも「たまたま幻想入りした怖い連中」どころの騒ぎではなかった。さながら土俵の上に放り込まれたクワガタとカブトムシのようで、早苗はそれらを好奇の目で見る巨大な人間の視線を思って止まなかったが、早苗自身もホラー映画でキャーキャー言うのが好きなタイプだったので、次のトゥルーマン・ショーの操り人形に自分が選ばれたからと言って文句を言ってはいけないなと思っていた。東風谷早苗の感性は乾いていた。
「ははあ。それで何故私を?」
「気持ちよかったじゃないですか。あの時私が奇跡で動かしたのはおみくじの結果だけです。それが烏賊に致命的に作用するか、レミリアさんにだけ都合よく当たらずに済むかは全部レミリアさんがやった事ですよ。私達、最強のコンビだと思いませんか?」
幻想郷が全てを受け入れるのをやめた時、それは全ての優しさを失い衰退するだろう。故にこれを避ける事はできない。システムの欠陥を善性でカバー出来ると思っているなら只の馬鹿だが、善性で作られたルールは願いと同義で、それはつまり順番が逆で、必ずしも愚かさの産物とは言えなかった。黎明期共同創作のるつぼに混沌として生み出され続けた全てはいずれ陳腐化し、順番にこちらに流れてくる。人間が造物主の眷属であることの証左が幻想郷だ。思い、作り出し、忘れられ、それでも消えず、流れ着く。その結果誰が死ぬのか?殺されたのは烏賊か?それともこれからの幻想少女の誰かか?どういう経緯で生まれた何にせよこの世の全ては、
「気分が良かったという点については否定しない。我々の相性が良いという件についてもだ。だが、やだね。私は身内を構う以上に大事な時間が存在しない事を今回の件で痛感したのだ。白黒でも誘って勝手に何でも解決していろ」
「でも湖が固まってしまったのは悲しいわ。私お姉様と湖畔を散歩するのが好きだったのに」
「仕方ないな守谷の。報酬はきちんと折半しろよ、紅魔の財布事情も我らの隆盛に比例するという訳ではないのでね」
「東風谷早苗ですっ!」
カジュアルに殺される。人も物も。現実も幻想も。
ものすごく好きです
今までの深夜で最上級の興奮です、カタルシスを得ました
よかった、凄くよかったです
チートvsチートのフリーダムな殺し合いに存在としての制限だとか他の勢力との兼ね合いだとかでどうにもならない縛りがつき、それでバランスのとれたアクセントがついててなんとなく哀愁や世知辛さも感じさせるような雰囲気だったと思います
何でもかんでも無節操に受け入れる幻想郷の一側面が垣間見れました。
最初から最後まで一気に読ませるパワーがありました
レミリアかっこいい