雲居一輪は焦っていた。
というのも、雲山フラッシュが夜な夜な里を歩き回り始めたというのだ。
何のことかさっぱりわからないだろうが、彼女自身も実はよくわかっていない。どこからどう説明すればいいのか。
雲山フラッシュ。それは、雲山の目が目映く光ることに一輪がインスピレーションを受けて考案された、内蔵電源式の壁掛け照明だ。
本体の制作において最初は、里の職人に頼んだのだが、出来上がったものを見てもどうも今ひとつしっくりこなかった。
そこで彼女は思いきって、雲山自身に協力してもらい石膏で型を作り、それを元に作成することにした。
石膏まみれになってしまった雲山が、しばらく拗ねて口を聞かなくなってしまったが、尊い犠牲と引き換えに得られたその完成度はまさに特筆に値するものだった。本物の型を使っただけあって、その精巧に作られた本体は今にも動き出しそうだったし、睨みの効いた雲山の目がぴかっと辺りを照らす様は、一種の神々しさすらも感じられた。だが、いくら完成度が高いとは言え、売れるかどうかとなれば話は別である。
下手すれば悪趣味ともとられかねないこの照明を、どうやって売りに出すか。彼女にはある秘策があった。
古今東西、ものが売れるには気の利いた売り文句が必要不可欠。
幸い里には物書きを生業としている者がいる。
一輪は、その物書きに頼んで雲山フラッシュの売り文句を作ってもらったのだ。
――魔除けのために目を光らせます!
なるほど。この凄みすら感じる雲山フラッシュが魔除けの効果もあると感じたのだろう。
確かに、この鋭い形相の照明が家の中に飾ってあったら、泥棒は驚いて逃げ出してしまうだろう。
一輪はいたく気に入り、早速その売り文句を引っ提げて売り出すことにした。すると、雲山フラッシュは瞬く間に大評判となった。
材料費や手間暇を考えると値段も決して安いものではなかったが、売り文句が良かったのか、はたまた閉塞感が漂う世情に対して一風の清涼剤となったのかは定かでないが、とにかくこの雲山フラッシュはあっという間に人気商品となってしまったのである。
世の中、何が売れるかわかるものではないとはよく言ったものである。
一輪のもとにはたちまち大金が舞い込んだ。彼女はそれを商品の製造費にあてると、更なる手を打った。
流行が廃れないうちに、商品の権利を里の業者に売り払ったのだ。
今は売れているとは言え、しょせんは出オチに近い商品だ。飽きられるのも早いはず。
いずれ来るであろう損失を防ぐために彼女は先手を打ったのだ。
残ったお金はすべて寺の運営費として献上した。
思わぬ収益に聖も大いに喜んでくれたし、めでたしめでたしと思われた。
ところが、問題はここからだった。
いつ頃からか里にこんな噂が立つようになったのだ。
――目を光らせた入道が夜な夜な街を歩き回っているらしい
『人の口に戸は立てられぬ』とはよく言ったもので、その噂はあっという間に尾びれ背びれ胸びれがついて広まり、今では「目を光らせた入道が夜な夜な街中を歩き回っては人を襲っている」とまで話が広がってしまっていた。
こうなると困るのは命蓮寺である。
雲山の存在はすでに里の人々には知られているし、里の人々の大半は、今でも彼女らが照明を販売していると思い込んでいるのだ。
寺は毎日のように抗議をする人々で溢れていた。このままでは寺の存続問題にもなりかねない。
困り果てた聖はある決断を下した。それは騒動が収まるまで、一輪を一時的に破門とすることだった。
もちろん復帰前提の処分ではあるが、この騒動が収まらない限り彼女は、寺に戻ってこれないのだ。
聖から破門を言い渡されると流石の一輪も大いにショックを受けた。しかし、そのときの聖の何とも言えない表情を見て、一輪は察したのだ。聖も泣く泣く破門を言い渡したのだと。
本来ならあの方は、誰かを見捨てるという手段は滅多なことがない限り取らない。その滅多なことが今回の事件だったのだ。
そう悟った一輪は、聖の決定を受け入れつつ、自分の犯した罪を悔やんだ。
さて思わぬ形、それも本人の望まざる形で自由の身となった彼女だが、いざ自由になって身にしみたのが、こういう状況に陥ったときのツテというものがほぼ皆無に近いと言うことだった。
普段は命蓮寺の修行僧として修行と布教に明け暮れて、布教の時は里の人々や妖怪などとも交流をしていたが、今の状態では里に入るのすらもはばかれる。もちろん村紗達と逢うことも許されない。
一応、道士の知り合いはいるが、彼女が居るのは言わば商売敵というべき所であり、それを頼って解決したとしても聖が良い顔をするわけがない。かといって他にアテがあるわけでもない。となると、頼れる者はもはや一人。
困り果てた彼女の足は、自然とある所へと向かっていた。
◆
「……フフフ。それで私の所へ来たと言うことかい。まったく滑稽な話だよ」
無縁塚に建っている小屋。その中に彼女がお目当ての人物はいた。
その人物――ナズーリンは、部屋の真ん中を陣取っている炬燵に入りながら新聞を読んでいるところだった。
外は早春特有のやや冷たい風が吹きすさんでいたが、部屋の中には薪ストーブも置いてあり、かなり暖かい。
小屋の中に住んでいると聞いていたのでもっと粗末な暮らしをしているのかと思ったが、予想以上に充実しているようだ。もっともそのほとんどは、外から流れ着いたものを再利用しているようだが。
「笑い事じゃないのよ。ナズーリン。何とかしてこの騒動を解決させないといけないの」
「解決させるったってどうするつもりなんだい? もうこの通り事態は大事になっているようだが」
そう言ってナズーリンは彼女に新聞を投げ渡す。
一輪はそれを一瞥すると、思わずぐしゃっと握り潰す。
それを見ていたナズーリンはニヤニヤと笑いながら記事の見出しを読む。
「『怪奇! 夜な夜な徘徊する人喰い入道!』か。まったくシュール過ぎて涙が出そうだよ」
「ひっどいわね! 雲山が人なんか食う訳ないでしょ!」
一輪の言葉に雲山も、うんうんと何度も頷く。
「で、どうするんだい?」
「え、どうするって……」
口ごもる一輪の様子を見て、ナズーリンは呆れたように告げる。
「やれやれ……。もしかして大したあてもないのに私の所にやってきたというのかい?」
「違うわ。あてがないからあなたのとこに来たのよ」
茶化すような様子のナズーリンに対して、一輪は真っ直ぐな眼差しで見つめている。
彼女その表情を見ていたナズーリンは、ふっと含み笑いを浮かべて告げる。
「まったく君は実に馬鹿だな。……だが、君がここに来た選択はあながち間違ってはいないかもしれない。というのも私は、常に寺にいるわけじゃないからね。つまり、君たちの力になれないこともないわけだ」
彼女は名目上は寺の一人として数えられているが、実際はあくまでも虎丸星のお目付役である。
さすがの聖も、寺に常駐していない彼女にまでは目が行き届いていないだろう。
「それじゃ力を貸してくれるのね?」
一輪の問いにナズーリンは、表情変えずに答える。
「勘違いしないでくれたまえ。別に君たちのためではないよ? 星が所属している寺に何かあると、私にも色々支障が出るのでね」
「いいの。何であろうと協力してくれるなら構わないわ! なんとかしてこの騒動を解決させましょ!」
そう言って一輪は、拳を強く握ってエイエイオーとばかりに高々と振り上げる。
ナズーリンは咳払いを一つすると、一人で盛り上がっている彼女に告げた。
「それでは早速の所だが、お互いに持っている情報を提供するとしようか。まずは君からだ」
「え……? えっと……その」
しどろもどろになる一輪の様子を見て、ナズーリンはため息をついた。
「……呆れたねぇ。せめて何かしら手がかりくらいは持ってきて欲しかったところだよ。それじゃ仕方ない」
そう言って彼女はメモ紙を取り出す。
「これから君にいくつか質問をする。イエスかノーで答えてくれたまえ」
「ええ、わかったわ」
「では、まず最初の質問だ。君が照明を販売し始めてすぐの頃は、この妙な噂はあったかな?」
一輪は首を横に振る。
「では、次の質問だ。この妙な噂が出た頃もまだ君はこれを販売していたかい?」
一輪は少し考えてから首を横に振る。
そう、その頃はもう彼女は里の業者に権利を売り払っていたのだ。
「よし。では最後の質問だ。君は実際に、この照明が里を練り歩いているところを見たことあるのかい?」
一輪は黙って首を横に振る。
するとナズーリンは即座に告げる。
「ならば、まず君が今とるべき行動は、実際に現場を確かめてみることだろう。何事も百聞は一見にしかずだよ」
◆
早速、三人はその夜、歩き回る雲山フラッシュをこの目で確かめることにした。
三人は里の大通りの一角で張り込みを続けている。
立春を越えたとは言え、夜になると流石にまだ寒さが残っている。
「さて、そろそろ丑の刻だ。新聞によると、これからの時間の目撃が多いとのことだが……」
ナズーリンが白い息を吐く。
一輪も固唾を飲んで状況を見守っている。
と、そのときだ。遠くの方から光が近づいて来るのが見えた。その光はゆらゆらと揺れながら徐々に近づいてきており、やがて彼女らの目の前に近づくとその姿がおぼろげに見えてくる。
それは確かに雲山フラッシュのように見えた。
すかさず二人が遮るように立ちはだかると、雲山フラッシュは二人に背を向けて逃げ去ろうとする。
「雲山! 今よ」
雲山は一輪の号令に、ぎょっとした表情を見せる。
「雲山! 何してるの早く!」
彼が戸惑いながらも拳を一発お見舞いすると、雲山フラッシュは「ぎゃーー!!」と声を出して10メートルくらいきりもみしながら吹っ飛び、やがてぼとりと地面に落ちる。
すかさず三人が照明が落ちた場所に近づくと、それは正体を現した状態で伸びていた。三人はその正体を見て驚きを隠せなかった。
それもそのはずで、それは三人ともよく知っている妖怪――封獣ぬえだったのだ。
「あなた、こんなところで何やってんのよ!」
一輪の呼びかけでぬえはふらふらと起きあがる。雲山の一撃が相当効いたらしい。
「いたたた。もー。そんな強く殴らなくてもいいじゃないのよー……」
「この騒動はあなたの仕業だったの!?」
一輪の怒気を含んだ問いかけに、ぬえは慌てて首を振った。
「ち、違うよ!? 私はただ夜の散歩をしてただけだよ!」
と、そのときだ。
「あ! あれ見て、あれ!」
ぬえが指さした先には、複数のゆらゆらと動くまばゆい光があった。その光はあっという間にこっちに近づいて来たかと思うと、いつの間にか通り過ぎていく。
それはまごうことなき雲山フラッシュだった。
「え、え? どういうことなの?」
「知らないよ! 私は散歩してただけだし!」
「そうか、わかったぞ! 私たちは雲山を意識していたから、君が雲山に見えたってわけか。まったく、紛らわしいことをしてくれるもんだ!」
「いいから早く追いかけましょ!」
一輪達は急いで追いかけるが、既に雲山フラッシュの群れは姿を消してしまった後だった。
◆
「……さて、対策を練り直すとしようか」
朝日に照らされつつ小屋に戻ってきた一輪達は、こぞって炬燵に潜り込んでいる。
外の寒さとライトを取り逃した疲れでくたくただった。雲山でさえも炬燵に潜り込んでいる。入道の彼も寒さを感じるのか、あるいは単に場の雰囲気に合わせているのか。
どさくさに紛れてついてきたぬえに至っては、勝手に炬燵の上の蜜柑を食べている始末だ。
ナズーリンは場の有様に思わずため息をつくと、ぬえの蜜柑を没収した。
「あ、なにするんだよ!?」
「なにするんだよ。じゃないだろう。なんで君までついてきてるんだ」
「え? いやなんとなくっていうかー……?」
「そもそも君は寺の一員だろう。こんなところに来ていていいのかい? バレたら聖にゲンコツ食らわされるぞ?」
「ふふん。この天下の大妖怪である封獣ぬえ様が、聖のゲンコツごときで怯むはずがないじゃない。それに一応、寺にいることになってるけど、私自身はどっちもでもいいのよ別にー」
「やれやれ、呆れたもんだ」
そこに一輪が割り込んでくる。
「あなたが余計な事するから、本物を取り逃しちゃったじゃないのよ! どうしてくれるのよ!」
「人聞きが悪いわね。勝手にそっちが勘違いしただけでしょ。それに世の中を恐怖に陥れること。それが私の存在意義よ。それのどこが余計なことなのよ?」
「あのね。この騒動を解決させないと私が寺に戻れないのよ!」
一輪の声に自分もとばかりに雲山が横に顔を出すと、彼女にぼそぼそと何かを告げる。
「えっ。雲山はあのときはじめからぬえに見えてたの?」
雲山は、こくりと頷くと再び彼女に耳打ちする。
「私の命令だったから従った……って、そっか。だからあの時、戸惑ってたのね」
するとぬえは、けらけらと笑いながら彼女たちに告げる。
「バッカじゃないの? あんな不気味なの売り出すのが悪いのよ」
ぬえの言葉に思わず一輪は「うぐっ……」っと言葉を詰まらせてしまう。
すかさずナズーリンが割り込む。
「言いたいことはわからないでもないが、終わってしまった話を今更ぶり返したところで何も進展はしないよ。それより今するべき事を考えた方が有意義だと思うのだがね?」
彼女の言葉に一輪が続く。
「そうよ! これは下手すれば命蓮寺の存続にも関わる事件なのよ! 早く何とかしないと!」
「別にいいんじゃないのー? あんなのが夜な夜な動き回ってれば妖怪も怖くて寄ってこないと思うし。文字通り魔除けになってるじゃん」
「そういう問題じゃないのよ!?」
一輪の言葉にもぬえは、意に介せずと言った様子で天井に浮かび上がっている。
ナズーリンはこれ以上何を言っても無駄と悟り、彼女抜きで話を進めることにした。
「……さて。我々は実際に照明をこの目で確認したわけだ」
「取り逃がしちゃったけどね」
そう言って一輪は、思わずうなだれる。
「確かに取り逃がしてしまったのは事実だ。だが、同時にあることもわかった」
ナズーリンはそう言いながら、部屋の奥の大きなつづらから何かを取り出す。
「実はね……」
そう言って彼女が取り出したのは、雲山フラッシュだった。思わず一輪が尋ねる。
「あなたもこれ買ってくれていたの!?」
「星に頼まれて、しぶしぶだがね。私としてはこんな気味悪いもの欲しくなかったんだが」
彼女の言葉に雲山が一瞬怒ったような表情を見せるが、すかさず一輪がなだめる。構わずナズーリンは話を続ける。
「この照明は昨晩動いた気配がない。念のため部下のネズミに見張らせておいたから間違いない。これがどう言うことだかわかるかい?」
「動く雲山と動かない雲山がいるってこと……?」
「その通りだ。そしてどうやら後になって売り出されたものが動き出しているらしい……。と、なると」
「怪しいのは業者ってこと?」
「そう言うことになる」
「でも、里の中には私は入れないし……」
「そんなの変装でもすればいいだろう。そういえば、ちょうど数日前に外の世界からいいものが流れ着いてきてたね。それを身につけるといい」
そう言ってナズーリンは、意味ありげな含み笑いを浮かべる。
◆
次の日、二人は業者に会うため里へと向かう。
雲山とぬえは、素性を隠すために留守番してもらっている。
もっともぬえは、一輪と一緒にいるのがバレると自分が困るという理由だが。
「……まったく! あいつ結局は聖様のことが怖いんじゃないのよ!」
「まぁ、いいじゃないか。彼女が居ると大抵、話がややこしくなるからね。むしろ好都合だ」
ナズーリンは、フードに灰色の外套姿でぱっと見ではネズミの妖怪に見えない。その姿はかなり様になっており、あるいは普段からこの格好で里に出入りしているのかもしれない。
一方の一輪は、普段とは似ても似つかないような黒を基調とした洋風のドレス姿で、その服の随所にひらひらのフリルが施されている。
いわゆる外の世界で言うゴシックロリータ、略してゴスロリというものだ。
ナズーリンは、その一輪の姿を見る度に口を押さえて笑いをこらえている。
「ちょっと、笑わないでよー!? この服着せたのあなたじゃないの」
「フフフ……これは失礼。しかし思ったより似合ってるじゃないか。まるでどこぞの厄神の色違いのようだよ」
「いいから早く用事すませて里出ましょ! ただでさえ動きづらいんだからこれ」
流石にこの姿は恥ずかしいのか、少し顔を赤らめながら一輪は業者の建物へとやってくる。
道中知った顔に逢わずに、ここまで来ることが出来たのが唯一の救いか。
彼女のメモを元にたどり着いた建物は、路地裏にひっそりと佇んでいる。その建物は作りこそ新しめだが、外からは空き家か新しめの廃墟のような様相を呈している。
「なんか怪しいわね」
「何を今更……そもそも君はここと交渉したんじゃなかったのかい?」
「そうなんだけど、実は直接作業所を尋ねてはいなかったのよ。店頭で販売しているときに、ここの関係者ってのから声かけられて上手く乗せられちゃったって言うか……手続きも書面だけだったし」
「なんだいそれは。典型的な詐欺の手口じゃないか」
「うむむ。今思えば迂闊だったわね……」
「……で、ちなみにその書類はまだあるのかい?」
「ええ、もちろんよ」
一輪は懐から書類を取り出す。ナズーリンは、その書類に一通り目を通すとニヤリと笑みを浮かべた。
「どうしたの? 変な笑み浮かべて」
「ああ、いやなんでもないさ。それより早く中に入ろうか」
入り口の前まで来ると、中から話し声や工具を動かす音が聞こえ、ようやくここが作業所であることがわかる。
扉には手書きでK工房と書かれていた。
「たのもー」
一輪が入り口のドアを叩くと中から出てきたのは作業服姿の少女だった。二人が彼女に理由を説明すると、奥の部屋へ案内させられる。
案内された部屋では、青い髪の少女が何かの機械の修理に勤しんでいた。
ナズーリンは彼女を見るなり驚いたように口を開けてフードを脱ぐ。
「誰かと思えば、にとりじゃないか。どうしてこんなところに」
にとりと呼ばれた彼女の方も、目を丸くしてナズーリンを見ている。
「誰かと思えばナズーリンさん!? なんでこんなとこに」
「あら、二人とも知り合いなの?」
一輪の言葉に、にとりは手に持っているスパナを、くるくる回しながら答える。
「うん、この人には前に無くし物を探してくれた恩があってさ」
「へえー。あなたが他人のために動くなんて珍しいこともあるのねー」
「……まぁ、妖怪同士のよしみというやつだよ」
しれっと告げるとナズーリンは咳払いを一つする。あるいは、照れ隠しのつもりなのかもしれない。
「さて、それはそうと、彼女が君に尋ねたいことがあるというのだが……ちょっといいかな?」
一輪はにとりとは認識こそあったものの、そこまで深い付き合いをしているわけではない。しかし、彼女に関する様々な噂は一輪の耳にも届いている。そしてそれらの噂は、総じてあまり良いものではない。
「いいかしら、河童さん。あなたが製造している雲山フラッシュなんだけど」
「あぁー。あれかい。もう売れなくなっちゃったから今は製造してないよ。在庫品限りさ。欲しいなら今なら定価の九割引で売るよ?」
「そうじゃなくて。今、里で噂になってるのわかるわよね?」
「そうそう。あの噂のせいで売れなくなっちゃったんだよね。まぁ、これ不気味だし仕方ないと言えば仕方ないけど……」
「何か心当たりないかしら?」
「え……? 私が知ってる訳ないじゃないか! そんなの私が知りたいくらいだよ!」
「黙れ! あなたの噂は聞いてるわ。河城にとり! 色々悪どい商売してるって話じゃない! あなたが関係してるって分かっていたら、照明の権利売っ払ったりしなかったわよ!」
その言葉を聞いたにとりは、怪訝そうな表情を見せる。
「……あんたは誰……?」
「雲居一輪よ! あんたに雲山フラッシュの権利を売った張本人の!」
「え!? そんな格好だった? もう少し地味じゃなかったっけ」
「地味で悪かったわね! 色々あってこういう姿になってるのよ!」
思わず一輪は声を荒げてテーブルを拳で叩く。それを横で見ていたナズーリンは、このままでは話が進まないとばかりに口を挟む。
「にとり。すまないけど例のライトの設計図を見せてくれないかな? 確かめたいことがあるんだ」
「設計図? そんなのとっくに捨てたよ。そんなの無くても製造器あるから」
「ほほう。ではその製造器を見せてもらおうか」
「いやー。それは流石に企業秘密だから、出来ない相談だねー」
にとりは首を振りながら手で×マークをつくる。
ナズーリンは表情変えずに彼女に告げた。
「ふむ、そうか。じゃあ、こうしよう。一輪。例の書類を出してくれ」
ナズーリンがそう言うと、一輪はきょとんとした様子で懐から契約書を取り出す。
彼女は、それを受け取ると二人の目の前で、おもむろに引き裂いてしまう。
「ちょっと……っ!?」
慌てる一輪を尻目に彼女は、破った書類を見せながらにとりに告げた。
「この通り契約は、経った今、破棄したよ」
「な、なに言ってんのさ? そんなの通用するわけ――」
「それが通用するんだよ。この文章を見てくれないか」
そう言って彼女は、破った書類の一部分を、唖然としているにとりに見せる。
「いいかい。『万が一、当社によって契約者が著しく迷惑を被る事象が生じた場合は、この契約を破棄するものとする』現に一輪は迷惑を被っている。よって破棄させてもらったわけだ」
「ちょっと待ってくれよ! 何だよ。この騒動は私に原因があるとでも言うのかい? こっちはむしろ被害者なんだよ! 変な言いがかりはやめてくれよ!? なんなら証拠でもあるのかい?」
ナズーリンの言葉に、にとりは目くじらを立てて早口でまくし立てる。するとナズーリンは、懐からメモの切れ端を取り出して彼女に見せる。
「この番号に見覚えはないかな?」
そのメモ紙の内容を見たにとりは一瞬目を見開く。ナズーリンはニヤリとほくそ笑む。
「このメモにはK-01から始まってK-126の番号が書かれている。これは照明の後ろに刻印されていた番号だ。そしてこの番号は一輪が製造していた頃は記されてなかった。つまり君に権利が移ってから記されたものということになる」
「そ、そんなのただの製造ナンバーだよ。それとこの騒動と何の関係があるってんだよ?」
「夜な夜な動いているのは、全部その製造ナンバーが記されている物だけなんだよ。つまり君のところが製造したものだけと言うことだ」
「なんだって!?」
「ちょっと待ってナズーリン。どうしてにとりの製品だけが動いてるってわかったの?」
「それはね。一輪。彼らにちょっと手伝って貰ったのさ」
そう言ってナズーリンが鈴を鳴らすと、どこからともなくネズミ達が集まってくる。
「毎晩この子たちが照明を見張っていたんだよ」
彼女が再び鈴を鳴らすと、ネズミたちはあっという間に姿を消す。
「あの子たちは本来は夜行性だからね。活動がてらに手伝って貰ったのさ」
「……そしたら私の製品だけだったというわけか。なるほどそれは分かったよ。でもまだそれだけじゃ、私が犯人って証拠にならないだろ? たまたま偶然かもしれないし」
「この期に及んで往生際が悪いわよ!」
「まぁ、待ってくれ一輪。彼女の言うこともわかる。このままでは物的証拠がないからね。だが、証拠になりうるものならあるよ」
ナズーリンは、懐から小さな機械のような物体を取り出す。
「これに見覚えは……あるね?」
にとりは明らかに動揺した様子で目を逸らす。
「申し訳ないけど、刻印のあった照明を一つ分解させて貰ったよ。そしたらこれが出てきたんだ。自分が持っている照明も念のため確認したが、この装置は君のところの製品にしか入っていなかった。
「あー……あ、それはあれだよ。あれ。ほら。照明の光を強化するためのみたいなそういう……」
彼女の苦しい説明に、すかさずナズーリンの一喝が入る。
「正直なことを言ってくれないか! これは君のためでもあるんだよ! にとり!」
ナズーリンは、じっと彼女の目を見る。にとりも上目遣いで彼女の目を見る。
その状態がしばらく続いたが、にとりはついに観念したように目を閉じてため息をつく。
「……わかったよ。話すよ。これは反重力装置ってやつで物体を浮かすことが出来るんだ」
「はんじゅう……? なんで照明にそんな機能付ける必要あるのよ!」
「ほんの遊び心ってやつさ。それにまさかそんな大事になるなんて思わなかったし……」
「ふむ。その反重力とやらの詳しい機能を教えてくれないかい?」
「詳しくは企業秘密だけど、壁掛け時計くらいの大きさの物を浮かせることが出来る。ま、浮かせるって言っても地面から少し浮くくらいだし、これは壁掛式だから、実際に浮いてる所見た人はほとんどいないだろうけどさ」
「それは今ここで実演できるかい?」
「もちろんだとも!」
そう言って彼女は、手元に照明をたぐり寄せると地面に置く。
すると暫くしてから照明がゆっくりと浮き始め、地面から大人の拳一つ分ほど地面に浮いたところで留まる。
思わず二人から感嘆の声が漏れる。
「ふふん。どうだい。これが私の自慢の反重力装置さ。まだ改良の余地はあるけど、これが更に性能良くなれば家具なんかも宙に浮かせて設置できるよ。そのまま軽い力で動かすことも出来るから引っ越しとか楽になるよ」
「それは便利! 掃除の度に仏壇とか動かすの結構骨折れるのよね。……でもまぁ、それはそれとしてよ!!?」
「ひゅい!?」
「河童の妖怪無勢で我が妙蓮寺の評判を落とすような真似をするとは良い度胸だ! 河城にとり! 覚悟は出来てるわね!?」
怒気を含んだ口調で一輪は、懐から金輪を取り出すと、狼狽えるにとりの目の前に突き出す。
「ひえー!? お慈悲をー!!」
彼女が慌てて作業台の陰に隠れると、すかさずナズーリンが間に入る。
「待て。一輪。こうするのはどうだい。彼女が売った照明全てから、その装置を無償で外してもらうことで、手打ちにするというのは」
「えっ……でも」
「確かに、契約はもう既に破棄してあるから、お互いに直接的な権利関係はない。しかし、問題を起こした商品を売ったのが彼女である以上、その償いをしてもらうのが筋というものだろう」
「まぁ……そうね。私も出来るだけ穏便に済ませたいし」
「……そう言いながらさっき武器を取りだしてやる気満々だったのはどこの誰だったかな?」
「う、うるさいわね」
ジト目で見るナズーリンに一輪は思わず目を逸らす。
「……というわけでにとり。出来るかい?」
「も、もちろんだとも! そんなのお安いご用さ! 早速取りかかるとしよう!」
「そうか。よろしく頼むよ」
ナズーリンの言葉に、にとりは真剣な表情で頷く。
彼女のその表情を見て、二人はもう大丈夫だろうと確信し、工房を出ることにした。
里からの帰り道、二人の表情は対照的だった。
「はぁー。これで私もやっと寺に戻れるのねー」
一輪はそう言って、まるで憑きものがとれたような清々しそうな表情で伸びをする。
一方のナズーリンはどことなくすっきりしない様子だった。
「どうしたのナズーリン。もう事件は解決したのよ? あなたのおかげよ」
「ああ……そうだね」
「本当にありがとう! お寺に戻ったらお礼にご馳走振る舞ってあげるわね。精進料理だけど」
「それはいい。是非ご馳走になろう。でも、それはまだ早いかもしれないよ」
「え……? どういうこと?」
「どうもまだひっかかるものがあるんだよ」
「ひっかかるものって……?」
「何か、大事なものを見落としているような気がするんだ」
ナズーリンはふと立ち止まって思わず腕組みをする。
一輪も一緒に歩みを止めて、ため息をつくと彼女に告げる。
「……もう。気にしすぎなんじゃない? にとりは今日中に全部の商品から装置を取り外すって言ってたわよ?」
「うん。それはきっと手の早い彼女のことだから実行してくれると信じている。だが問題はそこじゃないんだ」
「っていうと?」
ナズーリンは一つ首をかしげると、彼女に告げる。
「……すまないが、今夜もう一度だけ張り込みさせてくれないかい。どうしても気になることがあってね」
「……別にいいけど」
◆
その日の夜、再びぬえ以外の三人は、深夜の静まりかえった里へとやってくる。そして、雲山の群れが現れるのを待っていた。
今夜は心なしかこないだよりも暖かい。やはり春は近いようだ。
「んー。夜になっても温いわ。もう春は近いわねー」
そう言って一輪は大きく伸びをする。
一方のナズーリンは、神妙な表情で道を眺め続けている。
「そんなに待っても、もう雲山フラッシュはやってこないってば。何なら賭ける? このお団子とさ」
一輪は懐から紙袋に包んだ三色団子を取り出す。
それを見たナズーリンは、にやっと笑みを浮かべる。
「……なるほど。今噂の兎の甘味屋の奴だね。いいだろう。丁度小腹がすいていたところだ。早速頂くとしよう」
「え、ちょっと待ってよ! 雲山フラッシュが現れてからよ!?」
「あれを見たまえ」
そう言ってナズーリンは道の方を指さす。そして一輪がその方向を見ると、ゆらゆらとうごめく光がこっちに向かってきている。
「え……! まさか!? 嘘でしょ!?」
「さて。団子は頂くよ」
そう言ってナズーリンは、唖然としている彼女から団子を奪うと頬張る。
「……うん。美味しいじゃないか。この素朴な甘みとほどよい弾力感。確かに話題になるだけはある……」
「ちょっと!? のんきに食べてる場合じゃないでしょ! 止めないと」
一輪が慌てて道に出ようとすると、すかさず彼女が手を出して制止する。
「どうして止めるのよ?」
「照明の様子をよく見てごらん。何かおかしいと思わないかい?」
一輪が照明の群れをよく見てみると、確かに様子が違っている。
照明は空に浮かずに、地面をずるずると引きずるように動いているのだ。
「浮いてない……?」
「どうやら私の予想は当たってしまったようだ。残念だが、まだ解決はしてない」
「そんな……!」
「さ。こうしちゃいられない。帰って対策を練らないと」
「そんな。もう終わったと思ったのに……」
そう言って彼女は、力なくへたりと地面に座り込んで俯いてしまう。ナズーリンがすかさず彼女の肩を叩いて告げる。
「一輪。気持ちはわかるけど事実は事実だ。受け止めないと先には進めないよ」
ずっと状況を眺めていた雲山も、彼女に頷きながら何かを告げる。どうやら励ましているようだ。
それを聞いた一輪は、大きく頷くとようやく立ち上がる。
「……そうね。私がへこたれちゃダメよね。ありがとう雲山。ナズーリンもごめん。弱気なところ見せちゃって」
「こちらこそすまないね。私は別に君をいじめようとしているわけじゃないんだ。厳しい事を言っているのは重々承知している。だが、私としても一刻も早く事態を解決させて平穏な寺に戻ってもらいたいんだよ」
「そうね。雲山の潔白を証明しないと……!」
彼女の言葉に雲山も力強く頷く。そして三人は住処へと戻ると、すぐに作戦会議を始める。
「さて、では状況を整理しようか。昨晩見ての通り残念ながらまだ照明は動き続けている事がわかった。……だが、今までとは様子が違って照明は地面を引きずるように徘徊していた。これが何を意味するかわかるかい?」
「にとりが装置を取り外したからでしょ。だから浮くことが出来なくなったのよ」
「ご明察。確かに照明が浮くという問題は解決された。だが、夜な夜な街を徘徊することに関してはまだ理由が分からない。つまりだ。照明を徘徊に駆り立てる理由が、何か別にあるということになる」
「うーん。誰かが操ってるとか? 私たちを陥れようとしてる奴とか」
「……確かにその可能性もあるが、一度にこんなに多くの物を毎日決まった時間に動かすなんて、よほどの強い力を持つ妖怪じゃなければ出来ないことだし、仮に犯人がいて我々を陥れようなんて思っていても、そんな無駄に骨の折れる事をわざわざするのはあまりにも非効率的過ぎる。少なくとも、もし自分が犯人だとしたら絶対しないよ」
「……それもそうね。よっぽど暇人でもなければそんなことしないか。……じゃあ、つくも神でも宿ったとか?」
「その可能性も残念ながらほぼ皆無だ。つくも神は一般的に長い年月を経ないと、宿ることはないと言われているからね」
「うむむむ……」
思わず一輪は頭を抱えてしまう。と、その時だ。
「なーに。あんたらまだやってたの?」
三人が声に気づいて上を見上げると、ぬえが足を組んでふわふわと浮いていた。
「ぬえ。あなたいつの間に!?」
「あのさー。だから言ってるじゃない。魔除けになってるんだから、別にいいじゃんって」
「だから、そう言う問題じゃないって――」
「……それだ!!」
ナズーリンは、ぱんっと手を叩いて思わず立ち上がる。
「あの照明達は、魔除けのつもりで動いていたんだ!」
「ど、どういうことなの? ナズーリン」
「一輪。言霊思想は知っているかい?」
「言霊思想って……。確か、言葉にしたことが色々影響与えるって……」
「そう、その通り。それと同じ事が、あの照明たちにも起きているんだ。一輪。あの照明の売り文句を覚えてるかい?」
「もちろんよ。魔除けのために目を光らせます。……あっ!?」
「その売り文句が言霊となって、照明達に影響を与えているんだ」
「まさか、あいつらは魔除けのつもりで夜な夜な徘徊してるって事?」
「その可能性が高い」
「どうすればいいのよ……?」
「まぁ、実質放置してても害はないと思っていい。とは言え、夜な夜なアレがウロウロしている限り、寺への風評は消えないのも事実だが……」
ナズーリンは、歯切れ悪そうに腕を組む。と、その時だ。
雲山が一輪にぼそっと何かを囁く。それを聞いた一輪は思わず手を叩いて告げる。
「……それ、いいアイデアかも!」
「一輪。雲山はなんて?」
「もし、言霊の仕業だとするなら、言霊を上書きしてしまえばいいんじゃないかって」
「……なるほど。しかし、どうやって?」
すると雲山は今度はナズーリンに耳打ちをする。それを聞いた彼女は一つ頷くと彼に告げる。
「……よし。わかった。それでいこう」
「ナズーリン。雲山はなんて?」
「……それを話す前に。一輪。君に夜までやってきてもらいたいことがある。それが済んだら教えるよ」
「えっ……?」
◆
その夜、三人は例の場所に張り込み、雲山フラッシュの群れを待っていた。
「……なんとしてもあの照明達を止めなくちゃ!」
そう言って一輪は、気合いのこもった表情でぐっと手を握りしめる。一方ナズーリンは対照的に少し余裕のある表情で、雲山にそっと声をかける。
「……この騒動の解決は君に委ねられた。後は任せるよ」
雲山は表情を変えずにこくりと頷くと、きっと前を見据える。
それから程なくして、照明達がゆらゆらと姿を現す。
「……来たわね!」
「それじゃ、雲山。頼んだよ。」
二人の言葉を聞いて彼は再び頷くと、すっと目をつむる。そして体を少しずつ変化させ始めたかと思うと、やがて雲山フラッシュそっくりの姿になる。
そう、彼は雲である故、変幻自在に姿を変えることが出来るのだ。
雲山はその姿で照明達へゆっくり近づくと目の前に立ちはだかり、その眼をまばゆく光らせる。
その明るさは一瞬昼になったかと思うほどだった。
本物の眼力フラッシュを浴びた照明の群れは、まるで怯むように動きを止める。その隙に雲山は照明達に向けて何かをぼそぼそと告げる。
すると、その照明達はきびすを返すようにして、たちどころにその場から去って行ってしまう。
場が再び静寂に包まれると、二人は急いで雲山の元に近づく。
「成功したの……?」
一輪の問いに雲山は大きく頷くと、姿を元に戻す。
彼女はほっとしたように胸を撫でおろす。
「これで……もう大丈夫なのね!? 本当に……!」
ふと、彼女はナズーリンの方を向く。すると彼女はふっと笑みを返すと頷いた。
◆
次の日の夜から、雲山フラッシュの目撃情報はすっかり聞かれなくなった。そして数日後、一輪と雲山が命蓮寺へと戻ると、二人はすぐに聖の部屋へと通される。
一輪は聖の姿を見るなり土下座をして言い放った。
「聖様! この度は、私の浅はかな悪知恵のせいで、寺の皆に多大なご迷惑をかけてしまって誠に申し訳ありませんでした……!」
彼女に続いて雲山も同じように頭を下げると、聖は彼女らに告げる。
「……一輪。雲山。二人とも顔を上げなさい」
二人が恐る恐る顔を上げると、聖のその表情は少し険しそうに見えた。彼女は、一輪達を見つめたまま口を開く。
「……いいですか。行き過ぎた欲は己の身を滅ぼします。行き過ぎた欲、すなわち貪欲は仏教において大敵の一つ。それは以前、何度も教えたはずです」
「はっ! 身を持って再確認しました!」
そう言って彼女は再び頭を下げる。聖は話を続ける。
「……とは言うものの、今回の一件において貴女は、私利私欲のためではなく、このお寺のためを思って行ったことであるのも事実です。仲間を思うその慈悲の心は、とても重要な物ですし、何より、この問題を自力で解決し、戻ってきたのですから」
聖の言葉を聞いた一輪は、首を横に振って告げる。
「いえ、それは違います聖様。私一人の力ではありません。この難局は私一人ではとても解決出来ませんでした。雲山はもちろん、ナズーリンやぬえが力を貸してくれたからこそ――」
「まぁ。あの二人が……?」
聖の驚く表情を見て、しまったと思った一輪は、慌ててごまかそうとする。
「あ! いえ、そのあれ、なんでもないです! やっぱり私が一人でズバッと解決をですね……!」
「嘘はつかなくていいんですよ、一輪。……そうですか。あの二人が力を貸してくれたのですか。……ふむ、どうやら二人も、学ぶことが出来たようですね。慈悲の心を」
そう言うと聖はきょとんとしている二人を尻目に、ふっと笑みを浮かべる。
「さて、それはそうとして………。一輪、雲山。よくぞ戻ってきてくれました! ずっと待っていましたよ! 二人とも、また明日からよろしくお願いしますね」
そう言って白蓮は、二人に微笑みを見せる。すかさず一輪は頭を下げて言い放つ。
「はい! 雲居一輪! 雲山! 只今戻りました!! 今後ともよろしくお願いします! 聖様!」
そう言い放った彼女の目には、涙が浮かんでいた。
◆
「……ぬえ、一つ聞いていいかな?」
「なによ?」
無縁塚にあるナズーリンの家。辺りはすっかり日が落ちてしまっている。
中では家主であるナズーリンとぬえの二人が、こたつに入ってくつろいでいる。
あれからぬえは、何故かナズーリンの家に居座ってしまっていた。しかし、ナズーリンも特に追い出そうとはせず、彼女の好きにさせていた。
ぬえは、蜜柑を食べていたところで急に呼びかけられ、いかにも不機嫌そうに振り向く。ナズーリンは、怪訝そうな表情で尋ねる。
「……もしかしなくても、君は始めから知っていたんだね? 今回の一件の顛末を」
ナズーリンの問いに彼女は、にやっと笑みを浮かべて答える。
「さあね?」
そう言うとぬえは、蜜柑を口に放り入れる。その様子をナズーリンは呆れた表情で眺める。
「……まったく。もう少し早く教えて欲しかったものだよ。そうすれば、もっとスマートに事を解決出来たのに」
「そーお? 私は割と早くから伝えていたけど? そっちが気づくの遅かっただけじゃないの?」
「……それはそうなんだがね」
そう言ってナズーリンはため息を一つつくと湯飲みに緑茶を注ぐ。
「……ところで、結局あのあとどうやって解決させたのよ?」
「ああ、知りたいかい? 新しい売り文句を考えてもらったのさ。里の物書き屋さんにね。そして照明に化けた雲山が、照明達に吹き込んだわけさ。その新しい売り文句を」
「へえ。どんな売り文句だったのよ?」
「『家内安全と一家団欒のために目を光らせます』だったかな」
「……ふーん。じゃあ、彼奴ら今頃、家の中を照らしているのね」
「そうだろうね。まあ、そもそも照明とは、そういうものだし」
そう言ってナズーリンは湯飲みに口をつけると、再び、彼女に尋ねる。
「……ところでぬえ。もう一つ聞いていいかい?」
「なによ?」
「君はいつまでここにいるつもりだい……?」
質問が意外だったのか、ぬえは一瞬きょとんとした表情を見せるが、すぐにいつもの調子に戻って答える。
「そーねー……私が飽きるまでかな」
そう言って彼女は、にやっと笑みを浮かべると、再び蜜柑を口に入れる。
ナズーリンは、やれやれと言った具合にため息をつくと、ふと壁の方を見やる。
彼女の視線の先では雲山フラッシュが、まるで見守るように煌々と二人を照らし続けていた。
というのも、雲山フラッシュが夜な夜な里を歩き回り始めたというのだ。
何のことかさっぱりわからないだろうが、彼女自身も実はよくわかっていない。どこからどう説明すればいいのか。
雲山フラッシュ。それは、雲山の目が目映く光ることに一輪がインスピレーションを受けて考案された、内蔵電源式の壁掛け照明だ。
本体の制作において最初は、里の職人に頼んだのだが、出来上がったものを見てもどうも今ひとつしっくりこなかった。
そこで彼女は思いきって、雲山自身に協力してもらい石膏で型を作り、それを元に作成することにした。
石膏まみれになってしまった雲山が、しばらく拗ねて口を聞かなくなってしまったが、尊い犠牲と引き換えに得られたその完成度はまさに特筆に値するものだった。本物の型を使っただけあって、その精巧に作られた本体は今にも動き出しそうだったし、睨みの効いた雲山の目がぴかっと辺りを照らす様は、一種の神々しさすらも感じられた。だが、いくら完成度が高いとは言え、売れるかどうかとなれば話は別である。
下手すれば悪趣味ともとられかねないこの照明を、どうやって売りに出すか。彼女にはある秘策があった。
古今東西、ものが売れるには気の利いた売り文句が必要不可欠。
幸い里には物書きを生業としている者がいる。
一輪は、その物書きに頼んで雲山フラッシュの売り文句を作ってもらったのだ。
――魔除けのために目を光らせます!
なるほど。この凄みすら感じる雲山フラッシュが魔除けの効果もあると感じたのだろう。
確かに、この鋭い形相の照明が家の中に飾ってあったら、泥棒は驚いて逃げ出してしまうだろう。
一輪はいたく気に入り、早速その売り文句を引っ提げて売り出すことにした。すると、雲山フラッシュは瞬く間に大評判となった。
材料費や手間暇を考えると値段も決して安いものではなかったが、売り文句が良かったのか、はたまた閉塞感が漂う世情に対して一風の清涼剤となったのかは定かでないが、とにかくこの雲山フラッシュはあっという間に人気商品となってしまったのである。
世の中、何が売れるかわかるものではないとはよく言ったものである。
一輪のもとにはたちまち大金が舞い込んだ。彼女はそれを商品の製造費にあてると、更なる手を打った。
流行が廃れないうちに、商品の権利を里の業者に売り払ったのだ。
今は売れているとは言え、しょせんは出オチに近い商品だ。飽きられるのも早いはず。
いずれ来るであろう損失を防ぐために彼女は先手を打ったのだ。
残ったお金はすべて寺の運営費として献上した。
思わぬ収益に聖も大いに喜んでくれたし、めでたしめでたしと思われた。
ところが、問題はここからだった。
いつ頃からか里にこんな噂が立つようになったのだ。
――目を光らせた入道が夜な夜な街を歩き回っているらしい
『人の口に戸は立てられぬ』とはよく言ったもので、その噂はあっという間に尾びれ背びれ胸びれがついて広まり、今では「目を光らせた入道が夜な夜な街中を歩き回っては人を襲っている」とまで話が広がってしまっていた。
こうなると困るのは命蓮寺である。
雲山の存在はすでに里の人々には知られているし、里の人々の大半は、今でも彼女らが照明を販売していると思い込んでいるのだ。
寺は毎日のように抗議をする人々で溢れていた。このままでは寺の存続問題にもなりかねない。
困り果てた聖はある決断を下した。それは騒動が収まるまで、一輪を一時的に破門とすることだった。
もちろん復帰前提の処分ではあるが、この騒動が収まらない限り彼女は、寺に戻ってこれないのだ。
聖から破門を言い渡されると流石の一輪も大いにショックを受けた。しかし、そのときの聖の何とも言えない表情を見て、一輪は察したのだ。聖も泣く泣く破門を言い渡したのだと。
本来ならあの方は、誰かを見捨てるという手段は滅多なことがない限り取らない。その滅多なことが今回の事件だったのだ。
そう悟った一輪は、聖の決定を受け入れつつ、自分の犯した罪を悔やんだ。
さて思わぬ形、それも本人の望まざる形で自由の身となった彼女だが、いざ自由になって身にしみたのが、こういう状況に陥ったときのツテというものがほぼ皆無に近いと言うことだった。
普段は命蓮寺の修行僧として修行と布教に明け暮れて、布教の時は里の人々や妖怪などとも交流をしていたが、今の状態では里に入るのすらもはばかれる。もちろん村紗達と逢うことも許されない。
一応、道士の知り合いはいるが、彼女が居るのは言わば商売敵というべき所であり、それを頼って解決したとしても聖が良い顔をするわけがない。かといって他にアテがあるわけでもない。となると、頼れる者はもはや一人。
困り果てた彼女の足は、自然とある所へと向かっていた。
◆
「……フフフ。それで私の所へ来たと言うことかい。まったく滑稽な話だよ」
無縁塚に建っている小屋。その中に彼女がお目当ての人物はいた。
その人物――ナズーリンは、部屋の真ん中を陣取っている炬燵に入りながら新聞を読んでいるところだった。
外は早春特有のやや冷たい風が吹きすさんでいたが、部屋の中には薪ストーブも置いてあり、かなり暖かい。
小屋の中に住んでいると聞いていたのでもっと粗末な暮らしをしているのかと思ったが、予想以上に充実しているようだ。もっともそのほとんどは、外から流れ着いたものを再利用しているようだが。
「笑い事じゃないのよ。ナズーリン。何とかしてこの騒動を解決させないといけないの」
「解決させるったってどうするつもりなんだい? もうこの通り事態は大事になっているようだが」
そう言ってナズーリンは彼女に新聞を投げ渡す。
一輪はそれを一瞥すると、思わずぐしゃっと握り潰す。
それを見ていたナズーリンはニヤニヤと笑いながら記事の見出しを読む。
「『怪奇! 夜な夜な徘徊する人喰い入道!』か。まったくシュール過ぎて涙が出そうだよ」
「ひっどいわね! 雲山が人なんか食う訳ないでしょ!」
一輪の言葉に雲山も、うんうんと何度も頷く。
「で、どうするんだい?」
「え、どうするって……」
口ごもる一輪の様子を見て、ナズーリンは呆れたように告げる。
「やれやれ……。もしかして大したあてもないのに私の所にやってきたというのかい?」
「違うわ。あてがないからあなたのとこに来たのよ」
茶化すような様子のナズーリンに対して、一輪は真っ直ぐな眼差しで見つめている。
彼女その表情を見ていたナズーリンは、ふっと含み笑いを浮かべて告げる。
「まったく君は実に馬鹿だな。……だが、君がここに来た選択はあながち間違ってはいないかもしれない。というのも私は、常に寺にいるわけじゃないからね。つまり、君たちの力になれないこともないわけだ」
彼女は名目上は寺の一人として数えられているが、実際はあくまでも虎丸星のお目付役である。
さすがの聖も、寺に常駐していない彼女にまでは目が行き届いていないだろう。
「それじゃ力を貸してくれるのね?」
一輪の問いにナズーリンは、表情変えずに答える。
「勘違いしないでくれたまえ。別に君たちのためではないよ? 星が所属している寺に何かあると、私にも色々支障が出るのでね」
「いいの。何であろうと協力してくれるなら構わないわ! なんとかしてこの騒動を解決させましょ!」
そう言って一輪は、拳を強く握ってエイエイオーとばかりに高々と振り上げる。
ナズーリンは咳払いを一つすると、一人で盛り上がっている彼女に告げた。
「それでは早速の所だが、お互いに持っている情報を提供するとしようか。まずは君からだ」
「え……? えっと……その」
しどろもどろになる一輪の様子を見て、ナズーリンはため息をついた。
「……呆れたねぇ。せめて何かしら手がかりくらいは持ってきて欲しかったところだよ。それじゃ仕方ない」
そう言って彼女はメモ紙を取り出す。
「これから君にいくつか質問をする。イエスかノーで答えてくれたまえ」
「ええ、わかったわ」
「では、まず最初の質問だ。君が照明を販売し始めてすぐの頃は、この妙な噂はあったかな?」
一輪は首を横に振る。
「では、次の質問だ。この妙な噂が出た頃もまだ君はこれを販売していたかい?」
一輪は少し考えてから首を横に振る。
そう、その頃はもう彼女は里の業者に権利を売り払っていたのだ。
「よし。では最後の質問だ。君は実際に、この照明が里を練り歩いているところを見たことあるのかい?」
一輪は黙って首を横に振る。
するとナズーリンは即座に告げる。
「ならば、まず君が今とるべき行動は、実際に現場を確かめてみることだろう。何事も百聞は一見にしかずだよ」
◆
早速、三人はその夜、歩き回る雲山フラッシュをこの目で確かめることにした。
三人は里の大通りの一角で張り込みを続けている。
立春を越えたとは言え、夜になると流石にまだ寒さが残っている。
「さて、そろそろ丑の刻だ。新聞によると、これからの時間の目撃が多いとのことだが……」
ナズーリンが白い息を吐く。
一輪も固唾を飲んで状況を見守っている。
と、そのときだ。遠くの方から光が近づいて来るのが見えた。その光はゆらゆらと揺れながら徐々に近づいてきており、やがて彼女らの目の前に近づくとその姿がおぼろげに見えてくる。
それは確かに雲山フラッシュのように見えた。
すかさず二人が遮るように立ちはだかると、雲山フラッシュは二人に背を向けて逃げ去ろうとする。
「雲山! 今よ」
雲山は一輪の号令に、ぎょっとした表情を見せる。
「雲山! 何してるの早く!」
彼が戸惑いながらも拳を一発お見舞いすると、雲山フラッシュは「ぎゃーー!!」と声を出して10メートルくらいきりもみしながら吹っ飛び、やがてぼとりと地面に落ちる。
すかさず三人が照明が落ちた場所に近づくと、それは正体を現した状態で伸びていた。三人はその正体を見て驚きを隠せなかった。
それもそのはずで、それは三人ともよく知っている妖怪――封獣ぬえだったのだ。
「あなた、こんなところで何やってんのよ!」
一輪の呼びかけでぬえはふらふらと起きあがる。雲山の一撃が相当効いたらしい。
「いたたた。もー。そんな強く殴らなくてもいいじゃないのよー……」
「この騒動はあなたの仕業だったの!?」
一輪の怒気を含んだ問いかけに、ぬえは慌てて首を振った。
「ち、違うよ!? 私はただ夜の散歩をしてただけだよ!」
と、そのときだ。
「あ! あれ見て、あれ!」
ぬえが指さした先には、複数のゆらゆらと動くまばゆい光があった。その光はあっという間にこっちに近づいて来たかと思うと、いつの間にか通り過ぎていく。
それはまごうことなき雲山フラッシュだった。
「え、え? どういうことなの?」
「知らないよ! 私は散歩してただけだし!」
「そうか、わかったぞ! 私たちは雲山を意識していたから、君が雲山に見えたってわけか。まったく、紛らわしいことをしてくれるもんだ!」
「いいから早く追いかけましょ!」
一輪達は急いで追いかけるが、既に雲山フラッシュの群れは姿を消してしまった後だった。
◆
「……さて、対策を練り直すとしようか」
朝日に照らされつつ小屋に戻ってきた一輪達は、こぞって炬燵に潜り込んでいる。
外の寒さとライトを取り逃した疲れでくたくただった。雲山でさえも炬燵に潜り込んでいる。入道の彼も寒さを感じるのか、あるいは単に場の雰囲気に合わせているのか。
どさくさに紛れてついてきたぬえに至っては、勝手に炬燵の上の蜜柑を食べている始末だ。
ナズーリンは場の有様に思わずため息をつくと、ぬえの蜜柑を没収した。
「あ、なにするんだよ!?」
「なにするんだよ。じゃないだろう。なんで君までついてきてるんだ」
「え? いやなんとなくっていうかー……?」
「そもそも君は寺の一員だろう。こんなところに来ていていいのかい? バレたら聖にゲンコツ食らわされるぞ?」
「ふふん。この天下の大妖怪である封獣ぬえ様が、聖のゲンコツごときで怯むはずがないじゃない。それに一応、寺にいることになってるけど、私自身はどっちもでもいいのよ別にー」
「やれやれ、呆れたもんだ」
そこに一輪が割り込んでくる。
「あなたが余計な事するから、本物を取り逃しちゃったじゃないのよ! どうしてくれるのよ!」
「人聞きが悪いわね。勝手にそっちが勘違いしただけでしょ。それに世の中を恐怖に陥れること。それが私の存在意義よ。それのどこが余計なことなのよ?」
「あのね。この騒動を解決させないと私が寺に戻れないのよ!」
一輪の声に自分もとばかりに雲山が横に顔を出すと、彼女にぼそぼそと何かを告げる。
「えっ。雲山はあのときはじめからぬえに見えてたの?」
雲山は、こくりと頷くと再び彼女に耳打ちする。
「私の命令だったから従った……って、そっか。だからあの時、戸惑ってたのね」
するとぬえは、けらけらと笑いながら彼女たちに告げる。
「バッカじゃないの? あんな不気味なの売り出すのが悪いのよ」
ぬえの言葉に思わず一輪は「うぐっ……」っと言葉を詰まらせてしまう。
すかさずナズーリンが割り込む。
「言いたいことはわからないでもないが、終わってしまった話を今更ぶり返したところで何も進展はしないよ。それより今するべき事を考えた方が有意義だと思うのだがね?」
彼女の言葉に一輪が続く。
「そうよ! これは下手すれば命蓮寺の存続にも関わる事件なのよ! 早く何とかしないと!」
「別にいいんじゃないのー? あんなのが夜な夜な動き回ってれば妖怪も怖くて寄ってこないと思うし。文字通り魔除けになってるじゃん」
「そういう問題じゃないのよ!?」
一輪の言葉にもぬえは、意に介せずと言った様子で天井に浮かび上がっている。
ナズーリンはこれ以上何を言っても無駄と悟り、彼女抜きで話を進めることにした。
「……さて。我々は実際に照明をこの目で確認したわけだ」
「取り逃がしちゃったけどね」
そう言って一輪は、思わずうなだれる。
「確かに取り逃がしてしまったのは事実だ。だが、同時にあることもわかった」
ナズーリンはそう言いながら、部屋の奥の大きなつづらから何かを取り出す。
「実はね……」
そう言って彼女が取り出したのは、雲山フラッシュだった。思わず一輪が尋ねる。
「あなたもこれ買ってくれていたの!?」
「星に頼まれて、しぶしぶだがね。私としてはこんな気味悪いもの欲しくなかったんだが」
彼女の言葉に雲山が一瞬怒ったような表情を見せるが、すかさず一輪がなだめる。構わずナズーリンは話を続ける。
「この照明は昨晩動いた気配がない。念のため部下のネズミに見張らせておいたから間違いない。これがどう言うことだかわかるかい?」
「動く雲山と動かない雲山がいるってこと……?」
「その通りだ。そしてどうやら後になって売り出されたものが動き出しているらしい……。と、なると」
「怪しいのは業者ってこと?」
「そう言うことになる」
「でも、里の中には私は入れないし……」
「そんなの変装でもすればいいだろう。そういえば、ちょうど数日前に外の世界からいいものが流れ着いてきてたね。それを身につけるといい」
そう言ってナズーリンは、意味ありげな含み笑いを浮かべる。
◆
次の日、二人は業者に会うため里へと向かう。
雲山とぬえは、素性を隠すために留守番してもらっている。
もっともぬえは、一輪と一緒にいるのがバレると自分が困るという理由だが。
「……まったく! あいつ結局は聖様のことが怖いんじゃないのよ!」
「まぁ、いいじゃないか。彼女が居ると大抵、話がややこしくなるからね。むしろ好都合だ」
ナズーリンは、フードに灰色の外套姿でぱっと見ではネズミの妖怪に見えない。その姿はかなり様になっており、あるいは普段からこの格好で里に出入りしているのかもしれない。
一方の一輪は、普段とは似ても似つかないような黒を基調とした洋風のドレス姿で、その服の随所にひらひらのフリルが施されている。
いわゆる外の世界で言うゴシックロリータ、略してゴスロリというものだ。
ナズーリンは、その一輪の姿を見る度に口を押さえて笑いをこらえている。
「ちょっと、笑わないでよー!? この服着せたのあなたじゃないの」
「フフフ……これは失礼。しかし思ったより似合ってるじゃないか。まるでどこぞの厄神の色違いのようだよ」
「いいから早く用事すませて里出ましょ! ただでさえ動きづらいんだからこれ」
流石にこの姿は恥ずかしいのか、少し顔を赤らめながら一輪は業者の建物へとやってくる。
道中知った顔に逢わずに、ここまで来ることが出来たのが唯一の救いか。
彼女のメモを元にたどり着いた建物は、路地裏にひっそりと佇んでいる。その建物は作りこそ新しめだが、外からは空き家か新しめの廃墟のような様相を呈している。
「なんか怪しいわね」
「何を今更……そもそも君はここと交渉したんじゃなかったのかい?」
「そうなんだけど、実は直接作業所を尋ねてはいなかったのよ。店頭で販売しているときに、ここの関係者ってのから声かけられて上手く乗せられちゃったって言うか……手続きも書面だけだったし」
「なんだいそれは。典型的な詐欺の手口じゃないか」
「うむむ。今思えば迂闊だったわね……」
「……で、ちなみにその書類はまだあるのかい?」
「ええ、もちろんよ」
一輪は懐から書類を取り出す。ナズーリンは、その書類に一通り目を通すとニヤリと笑みを浮かべた。
「どうしたの? 変な笑み浮かべて」
「ああ、いやなんでもないさ。それより早く中に入ろうか」
入り口の前まで来ると、中から話し声や工具を動かす音が聞こえ、ようやくここが作業所であることがわかる。
扉には手書きでK工房と書かれていた。
「たのもー」
一輪が入り口のドアを叩くと中から出てきたのは作業服姿の少女だった。二人が彼女に理由を説明すると、奥の部屋へ案内させられる。
案内された部屋では、青い髪の少女が何かの機械の修理に勤しんでいた。
ナズーリンは彼女を見るなり驚いたように口を開けてフードを脱ぐ。
「誰かと思えば、にとりじゃないか。どうしてこんなところに」
にとりと呼ばれた彼女の方も、目を丸くしてナズーリンを見ている。
「誰かと思えばナズーリンさん!? なんでこんなとこに」
「あら、二人とも知り合いなの?」
一輪の言葉に、にとりは手に持っているスパナを、くるくる回しながら答える。
「うん、この人には前に無くし物を探してくれた恩があってさ」
「へえー。あなたが他人のために動くなんて珍しいこともあるのねー」
「……まぁ、妖怪同士のよしみというやつだよ」
しれっと告げるとナズーリンは咳払いを一つする。あるいは、照れ隠しのつもりなのかもしれない。
「さて、それはそうと、彼女が君に尋ねたいことがあるというのだが……ちょっといいかな?」
一輪はにとりとは認識こそあったものの、そこまで深い付き合いをしているわけではない。しかし、彼女に関する様々な噂は一輪の耳にも届いている。そしてそれらの噂は、総じてあまり良いものではない。
「いいかしら、河童さん。あなたが製造している雲山フラッシュなんだけど」
「あぁー。あれかい。もう売れなくなっちゃったから今は製造してないよ。在庫品限りさ。欲しいなら今なら定価の九割引で売るよ?」
「そうじゃなくて。今、里で噂になってるのわかるわよね?」
「そうそう。あの噂のせいで売れなくなっちゃったんだよね。まぁ、これ不気味だし仕方ないと言えば仕方ないけど……」
「何か心当たりないかしら?」
「え……? 私が知ってる訳ないじゃないか! そんなの私が知りたいくらいだよ!」
「黙れ! あなたの噂は聞いてるわ。河城にとり! 色々悪どい商売してるって話じゃない! あなたが関係してるって分かっていたら、照明の権利売っ払ったりしなかったわよ!」
その言葉を聞いたにとりは、怪訝そうな表情を見せる。
「……あんたは誰……?」
「雲居一輪よ! あんたに雲山フラッシュの権利を売った張本人の!」
「え!? そんな格好だった? もう少し地味じゃなかったっけ」
「地味で悪かったわね! 色々あってこういう姿になってるのよ!」
思わず一輪は声を荒げてテーブルを拳で叩く。それを横で見ていたナズーリンは、このままでは話が進まないとばかりに口を挟む。
「にとり。すまないけど例のライトの設計図を見せてくれないかな? 確かめたいことがあるんだ」
「設計図? そんなのとっくに捨てたよ。そんなの無くても製造器あるから」
「ほほう。ではその製造器を見せてもらおうか」
「いやー。それは流石に企業秘密だから、出来ない相談だねー」
にとりは首を振りながら手で×マークをつくる。
ナズーリンは表情変えずに彼女に告げた。
「ふむ、そうか。じゃあ、こうしよう。一輪。例の書類を出してくれ」
ナズーリンがそう言うと、一輪はきょとんとした様子で懐から契約書を取り出す。
彼女は、それを受け取ると二人の目の前で、おもむろに引き裂いてしまう。
「ちょっと……っ!?」
慌てる一輪を尻目に彼女は、破った書類を見せながらにとりに告げた。
「この通り契約は、経った今、破棄したよ」
「な、なに言ってんのさ? そんなの通用するわけ――」
「それが通用するんだよ。この文章を見てくれないか」
そう言って彼女は、破った書類の一部分を、唖然としているにとりに見せる。
「いいかい。『万が一、当社によって契約者が著しく迷惑を被る事象が生じた場合は、この契約を破棄するものとする』現に一輪は迷惑を被っている。よって破棄させてもらったわけだ」
「ちょっと待ってくれよ! 何だよ。この騒動は私に原因があるとでも言うのかい? こっちはむしろ被害者なんだよ! 変な言いがかりはやめてくれよ!? なんなら証拠でもあるのかい?」
ナズーリンの言葉に、にとりは目くじらを立てて早口でまくし立てる。するとナズーリンは、懐からメモの切れ端を取り出して彼女に見せる。
「この番号に見覚えはないかな?」
そのメモ紙の内容を見たにとりは一瞬目を見開く。ナズーリンはニヤリとほくそ笑む。
「このメモにはK-01から始まってK-126の番号が書かれている。これは照明の後ろに刻印されていた番号だ。そしてこの番号は一輪が製造していた頃は記されてなかった。つまり君に権利が移ってから記されたものということになる」
「そ、そんなのただの製造ナンバーだよ。それとこの騒動と何の関係があるってんだよ?」
「夜な夜な動いているのは、全部その製造ナンバーが記されている物だけなんだよ。つまり君のところが製造したものだけと言うことだ」
「なんだって!?」
「ちょっと待ってナズーリン。どうしてにとりの製品だけが動いてるってわかったの?」
「それはね。一輪。彼らにちょっと手伝って貰ったのさ」
そう言ってナズーリンが鈴を鳴らすと、どこからともなくネズミ達が集まってくる。
「毎晩この子たちが照明を見張っていたんだよ」
彼女が再び鈴を鳴らすと、ネズミたちはあっという間に姿を消す。
「あの子たちは本来は夜行性だからね。活動がてらに手伝って貰ったのさ」
「……そしたら私の製品だけだったというわけか。なるほどそれは分かったよ。でもまだそれだけじゃ、私が犯人って証拠にならないだろ? たまたま偶然かもしれないし」
「この期に及んで往生際が悪いわよ!」
「まぁ、待ってくれ一輪。彼女の言うこともわかる。このままでは物的証拠がないからね。だが、証拠になりうるものならあるよ」
ナズーリンは、懐から小さな機械のような物体を取り出す。
「これに見覚えは……あるね?」
にとりは明らかに動揺した様子で目を逸らす。
「申し訳ないけど、刻印のあった照明を一つ分解させて貰ったよ。そしたらこれが出てきたんだ。自分が持っている照明も念のため確認したが、この装置は君のところの製品にしか入っていなかった。
「あー……あ、それはあれだよ。あれ。ほら。照明の光を強化するためのみたいなそういう……」
彼女の苦しい説明に、すかさずナズーリンの一喝が入る。
「正直なことを言ってくれないか! これは君のためでもあるんだよ! にとり!」
ナズーリンは、じっと彼女の目を見る。にとりも上目遣いで彼女の目を見る。
その状態がしばらく続いたが、にとりはついに観念したように目を閉じてため息をつく。
「……わかったよ。話すよ。これは反重力装置ってやつで物体を浮かすことが出来るんだ」
「はんじゅう……? なんで照明にそんな機能付ける必要あるのよ!」
「ほんの遊び心ってやつさ。それにまさかそんな大事になるなんて思わなかったし……」
「ふむ。その反重力とやらの詳しい機能を教えてくれないかい?」
「詳しくは企業秘密だけど、壁掛け時計くらいの大きさの物を浮かせることが出来る。ま、浮かせるって言っても地面から少し浮くくらいだし、これは壁掛式だから、実際に浮いてる所見た人はほとんどいないだろうけどさ」
「それは今ここで実演できるかい?」
「もちろんだとも!」
そう言って彼女は、手元に照明をたぐり寄せると地面に置く。
すると暫くしてから照明がゆっくりと浮き始め、地面から大人の拳一つ分ほど地面に浮いたところで留まる。
思わず二人から感嘆の声が漏れる。
「ふふん。どうだい。これが私の自慢の反重力装置さ。まだ改良の余地はあるけど、これが更に性能良くなれば家具なんかも宙に浮かせて設置できるよ。そのまま軽い力で動かすことも出来るから引っ越しとか楽になるよ」
「それは便利! 掃除の度に仏壇とか動かすの結構骨折れるのよね。……でもまぁ、それはそれとしてよ!!?」
「ひゅい!?」
「河童の妖怪無勢で我が妙蓮寺の評判を落とすような真似をするとは良い度胸だ! 河城にとり! 覚悟は出来てるわね!?」
怒気を含んだ口調で一輪は、懐から金輪を取り出すと、狼狽えるにとりの目の前に突き出す。
「ひえー!? お慈悲をー!!」
彼女が慌てて作業台の陰に隠れると、すかさずナズーリンが間に入る。
「待て。一輪。こうするのはどうだい。彼女が売った照明全てから、その装置を無償で外してもらうことで、手打ちにするというのは」
「えっ……でも」
「確かに、契約はもう既に破棄してあるから、お互いに直接的な権利関係はない。しかし、問題を起こした商品を売ったのが彼女である以上、その償いをしてもらうのが筋というものだろう」
「まぁ……そうね。私も出来るだけ穏便に済ませたいし」
「……そう言いながらさっき武器を取りだしてやる気満々だったのはどこの誰だったかな?」
「う、うるさいわね」
ジト目で見るナズーリンに一輪は思わず目を逸らす。
「……というわけでにとり。出来るかい?」
「も、もちろんだとも! そんなのお安いご用さ! 早速取りかかるとしよう!」
「そうか。よろしく頼むよ」
ナズーリンの言葉に、にとりは真剣な表情で頷く。
彼女のその表情を見て、二人はもう大丈夫だろうと確信し、工房を出ることにした。
里からの帰り道、二人の表情は対照的だった。
「はぁー。これで私もやっと寺に戻れるのねー」
一輪はそう言って、まるで憑きものがとれたような清々しそうな表情で伸びをする。
一方のナズーリンはどことなくすっきりしない様子だった。
「どうしたのナズーリン。もう事件は解決したのよ? あなたのおかげよ」
「ああ……そうだね」
「本当にありがとう! お寺に戻ったらお礼にご馳走振る舞ってあげるわね。精進料理だけど」
「それはいい。是非ご馳走になろう。でも、それはまだ早いかもしれないよ」
「え……? どういうこと?」
「どうもまだひっかかるものがあるんだよ」
「ひっかかるものって……?」
「何か、大事なものを見落としているような気がするんだ」
ナズーリンはふと立ち止まって思わず腕組みをする。
一輪も一緒に歩みを止めて、ため息をつくと彼女に告げる。
「……もう。気にしすぎなんじゃない? にとりは今日中に全部の商品から装置を取り外すって言ってたわよ?」
「うん。それはきっと手の早い彼女のことだから実行してくれると信じている。だが問題はそこじゃないんだ」
「っていうと?」
ナズーリンは一つ首をかしげると、彼女に告げる。
「……すまないが、今夜もう一度だけ張り込みさせてくれないかい。どうしても気になることがあってね」
「……別にいいけど」
◆
その日の夜、再びぬえ以外の三人は、深夜の静まりかえった里へとやってくる。そして、雲山の群れが現れるのを待っていた。
今夜は心なしかこないだよりも暖かい。やはり春は近いようだ。
「んー。夜になっても温いわ。もう春は近いわねー」
そう言って一輪は大きく伸びをする。
一方のナズーリンは、神妙な表情で道を眺め続けている。
「そんなに待っても、もう雲山フラッシュはやってこないってば。何なら賭ける? このお団子とさ」
一輪は懐から紙袋に包んだ三色団子を取り出す。
それを見たナズーリンは、にやっと笑みを浮かべる。
「……なるほど。今噂の兎の甘味屋の奴だね。いいだろう。丁度小腹がすいていたところだ。早速頂くとしよう」
「え、ちょっと待ってよ! 雲山フラッシュが現れてからよ!?」
「あれを見たまえ」
そう言ってナズーリンは道の方を指さす。そして一輪がその方向を見ると、ゆらゆらとうごめく光がこっちに向かってきている。
「え……! まさか!? 嘘でしょ!?」
「さて。団子は頂くよ」
そう言ってナズーリンは、唖然としている彼女から団子を奪うと頬張る。
「……うん。美味しいじゃないか。この素朴な甘みとほどよい弾力感。確かに話題になるだけはある……」
「ちょっと!? のんきに食べてる場合じゃないでしょ! 止めないと」
一輪が慌てて道に出ようとすると、すかさず彼女が手を出して制止する。
「どうして止めるのよ?」
「照明の様子をよく見てごらん。何かおかしいと思わないかい?」
一輪が照明の群れをよく見てみると、確かに様子が違っている。
照明は空に浮かずに、地面をずるずると引きずるように動いているのだ。
「浮いてない……?」
「どうやら私の予想は当たってしまったようだ。残念だが、まだ解決はしてない」
「そんな……!」
「さ。こうしちゃいられない。帰って対策を練らないと」
「そんな。もう終わったと思ったのに……」
そう言って彼女は、力なくへたりと地面に座り込んで俯いてしまう。ナズーリンがすかさず彼女の肩を叩いて告げる。
「一輪。気持ちはわかるけど事実は事実だ。受け止めないと先には進めないよ」
ずっと状況を眺めていた雲山も、彼女に頷きながら何かを告げる。どうやら励ましているようだ。
それを聞いた一輪は、大きく頷くとようやく立ち上がる。
「……そうね。私がへこたれちゃダメよね。ありがとう雲山。ナズーリンもごめん。弱気なところ見せちゃって」
「こちらこそすまないね。私は別に君をいじめようとしているわけじゃないんだ。厳しい事を言っているのは重々承知している。だが、私としても一刻も早く事態を解決させて平穏な寺に戻ってもらいたいんだよ」
「そうね。雲山の潔白を証明しないと……!」
彼女の言葉に雲山も力強く頷く。そして三人は住処へと戻ると、すぐに作戦会議を始める。
「さて、では状況を整理しようか。昨晩見ての通り残念ながらまだ照明は動き続けている事がわかった。……だが、今までとは様子が違って照明は地面を引きずるように徘徊していた。これが何を意味するかわかるかい?」
「にとりが装置を取り外したからでしょ。だから浮くことが出来なくなったのよ」
「ご明察。確かに照明が浮くという問題は解決された。だが、夜な夜な街を徘徊することに関してはまだ理由が分からない。つまりだ。照明を徘徊に駆り立てる理由が、何か別にあるということになる」
「うーん。誰かが操ってるとか? 私たちを陥れようとしてる奴とか」
「……確かにその可能性もあるが、一度にこんなに多くの物を毎日決まった時間に動かすなんて、よほどの強い力を持つ妖怪じゃなければ出来ないことだし、仮に犯人がいて我々を陥れようなんて思っていても、そんな無駄に骨の折れる事をわざわざするのはあまりにも非効率的過ぎる。少なくとも、もし自分が犯人だとしたら絶対しないよ」
「……それもそうね。よっぽど暇人でもなければそんなことしないか。……じゃあ、つくも神でも宿ったとか?」
「その可能性も残念ながらほぼ皆無だ。つくも神は一般的に長い年月を経ないと、宿ることはないと言われているからね」
「うむむむ……」
思わず一輪は頭を抱えてしまう。と、その時だ。
「なーに。あんたらまだやってたの?」
三人が声に気づいて上を見上げると、ぬえが足を組んでふわふわと浮いていた。
「ぬえ。あなたいつの間に!?」
「あのさー。だから言ってるじゃない。魔除けになってるんだから、別にいいじゃんって」
「だから、そう言う問題じゃないって――」
「……それだ!!」
ナズーリンは、ぱんっと手を叩いて思わず立ち上がる。
「あの照明達は、魔除けのつもりで動いていたんだ!」
「ど、どういうことなの? ナズーリン」
「一輪。言霊思想は知っているかい?」
「言霊思想って……。確か、言葉にしたことが色々影響与えるって……」
「そう、その通り。それと同じ事が、あの照明たちにも起きているんだ。一輪。あの照明の売り文句を覚えてるかい?」
「もちろんよ。魔除けのために目を光らせます。……あっ!?」
「その売り文句が言霊となって、照明達に影響を与えているんだ」
「まさか、あいつらは魔除けのつもりで夜な夜な徘徊してるって事?」
「その可能性が高い」
「どうすればいいのよ……?」
「まぁ、実質放置してても害はないと思っていい。とは言え、夜な夜なアレがウロウロしている限り、寺への風評は消えないのも事実だが……」
ナズーリンは、歯切れ悪そうに腕を組む。と、その時だ。
雲山が一輪にぼそっと何かを囁く。それを聞いた一輪は思わず手を叩いて告げる。
「……それ、いいアイデアかも!」
「一輪。雲山はなんて?」
「もし、言霊の仕業だとするなら、言霊を上書きしてしまえばいいんじゃないかって」
「……なるほど。しかし、どうやって?」
すると雲山は今度はナズーリンに耳打ちをする。それを聞いた彼女は一つ頷くと彼に告げる。
「……よし。わかった。それでいこう」
「ナズーリン。雲山はなんて?」
「……それを話す前に。一輪。君に夜までやってきてもらいたいことがある。それが済んだら教えるよ」
「えっ……?」
◆
その夜、三人は例の場所に張り込み、雲山フラッシュの群れを待っていた。
「……なんとしてもあの照明達を止めなくちゃ!」
そう言って一輪は、気合いのこもった表情でぐっと手を握りしめる。一方ナズーリンは対照的に少し余裕のある表情で、雲山にそっと声をかける。
「……この騒動の解決は君に委ねられた。後は任せるよ」
雲山は表情を変えずにこくりと頷くと、きっと前を見据える。
それから程なくして、照明達がゆらゆらと姿を現す。
「……来たわね!」
「それじゃ、雲山。頼んだよ。」
二人の言葉を聞いて彼は再び頷くと、すっと目をつむる。そして体を少しずつ変化させ始めたかと思うと、やがて雲山フラッシュそっくりの姿になる。
そう、彼は雲である故、変幻自在に姿を変えることが出来るのだ。
雲山はその姿で照明達へゆっくり近づくと目の前に立ちはだかり、その眼をまばゆく光らせる。
その明るさは一瞬昼になったかと思うほどだった。
本物の眼力フラッシュを浴びた照明の群れは、まるで怯むように動きを止める。その隙に雲山は照明達に向けて何かをぼそぼそと告げる。
すると、その照明達はきびすを返すようにして、たちどころにその場から去って行ってしまう。
場が再び静寂に包まれると、二人は急いで雲山の元に近づく。
「成功したの……?」
一輪の問いに雲山は大きく頷くと、姿を元に戻す。
彼女はほっとしたように胸を撫でおろす。
「これで……もう大丈夫なのね!? 本当に……!」
ふと、彼女はナズーリンの方を向く。すると彼女はふっと笑みを返すと頷いた。
◆
次の日の夜から、雲山フラッシュの目撃情報はすっかり聞かれなくなった。そして数日後、一輪と雲山が命蓮寺へと戻ると、二人はすぐに聖の部屋へと通される。
一輪は聖の姿を見るなり土下座をして言い放った。
「聖様! この度は、私の浅はかな悪知恵のせいで、寺の皆に多大なご迷惑をかけてしまって誠に申し訳ありませんでした……!」
彼女に続いて雲山も同じように頭を下げると、聖は彼女らに告げる。
「……一輪。雲山。二人とも顔を上げなさい」
二人が恐る恐る顔を上げると、聖のその表情は少し険しそうに見えた。彼女は、一輪達を見つめたまま口を開く。
「……いいですか。行き過ぎた欲は己の身を滅ぼします。行き過ぎた欲、すなわち貪欲は仏教において大敵の一つ。それは以前、何度も教えたはずです」
「はっ! 身を持って再確認しました!」
そう言って彼女は再び頭を下げる。聖は話を続ける。
「……とは言うものの、今回の一件において貴女は、私利私欲のためではなく、このお寺のためを思って行ったことであるのも事実です。仲間を思うその慈悲の心は、とても重要な物ですし、何より、この問題を自力で解決し、戻ってきたのですから」
聖の言葉を聞いた一輪は、首を横に振って告げる。
「いえ、それは違います聖様。私一人の力ではありません。この難局は私一人ではとても解決出来ませんでした。雲山はもちろん、ナズーリンやぬえが力を貸してくれたからこそ――」
「まぁ。あの二人が……?」
聖の驚く表情を見て、しまったと思った一輪は、慌ててごまかそうとする。
「あ! いえ、そのあれ、なんでもないです! やっぱり私が一人でズバッと解決をですね……!」
「嘘はつかなくていいんですよ、一輪。……そうですか。あの二人が力を貸してくれたのですか。……ふむ、どうやら二人も、学ぶことが出来たようですね。慈悲の心を」
そう言うと聖はきょとんとしている二人を尻目に、ふっと笑みを浮かべる。
「さて、それはそうとして………。一輪、雲山。よくぞ戻ってきてくれました! ずっと待っていましたよ! 二人とも、また明日からよろしくお願いしますね」
そう言って白蓮は、二人に微笑みを見せる。すかさず一輪は頭を下げて言い放つ。
「はい! 雲居一輪! 雲山! 只今戻りました!! 今後ともよろしくお願いします! 聖様!」
そう言い放った彼女の目には、涙が浮かんでいた。
◆
「……ぬえ、一つ聞いていいかな?」
「なによ?」
無縁塚にあるナズーリンの家。辺りはすっかり日が落ちてしまっている。
中では家主であるナズーリンとぬえの二人が、こたつに入ってくつろいでいる。
あれからぬえは、何故かナズーリンの家に居座ってしまっていた。しかし、ナズーリンも特に追い出そうとはせず、彼女の好きにさせていた。
ぬえは、蜜柑を食べていたところで急に呼びかけられ、いかにも不機嫌そうに振り向く。ナズーリンは、怪訝そうな表情で尋ねる。
「……もしかしなくても、君は始めから知っていたんだね? 今回の一件の顛末を」
ナズーリンの問いに彼女は、にやっと笑みを浮かべて答える。
「さあね?」
そう言うとぬえは、蜜柑を口に放り入れる。その様子をナズーリンは呆れた表情で眺める。
「……まったく。もう少し早く教えて欲しかったものだよ。そうすれば、もっとスマートに事を解決出来たのに」
「そーお? 私は割と早くから伝えていたけど? そっちが気づくの遅かっただけじゃないの?」
「……それはそうなんだがね」
そう言ってナズーリンはため息を一つつくと湯飲みに緑茶を注ぐ。
「……ところで、結局あのあとどうやって解決させたのよ?」
「ああ、知りたいかい? 新しい売り文句を考えてもらったのさ。里の物書き屋さんにね。そして照明に化けた雲山が、照明達に吹き込んだわけさ。その新しい売り文句を」
「へえ。どんな売り文句だったのよ?」
「『家内安全と一家団欒のために目を光らせます』だったかな」
「……ふーん。じゃあ、彼奴ら今頃、家の中を照らしているのね」
「そうだろうね。まあ、そもそも照明とは、そういうものだし」
そう言ってナズーリンは湯飲みに口をつけると、再び、彼女に尋ねる。
「……ところでぬえ。もう一つ聞いていいかい?」
「なによ?」
「君はいつまでここにいるつもりだい……?」
質問が意外だったのか、ぬえは一瞬きょとんとした表情を見せるが、すぐにいつもの調子に戻って答える。
「そーねー……私が飽きるまでかな」
そう言って彼女は、にやっと笑みを浮かべると、再び蜜柑を口に入れる。
ナズーリンは、やれやれと言った具合にため息をつくと、ふと壁の方を見やる。
彼女の視線の先では雲山フラッシュが、まるで見守るように煌々と二人を照らし続けていた。
雲山フラッシュ!
お話がとても纏まって面白かったです。雲山フラッシュ、一家に一台欲しいですね!
キャッチーな冒頭からの流れるようなトラブル、そして解決のために奔走する一輪たちが素敵でした
一輪を始め、それぞれのキャラの魅力を存分に味わえました。とても良かったです。賢将ほんと有能。ぬえは美味しいポジションにいるなぁ。
終盤の聖の言葉でなるほど、と頷かされました。一輪がいてこそ、ナズーリンやぬえは一輪の助けになることができた……
仲間を思う心、とても素晴らしいものでした。命蓮寺の面々がこうして手を取り合う姿を見ると、とても温かい気持ちになります。
事件解決の過程も楽しく、最後まで安心して読めました。面白かったです。
何気に有能なのはキャッチコピー書く物書き屋の人ではあるまいか。この人が最初と最後できっちり良い仕事してたのも面白かったです。