「明日は夜だよ、スカーレット」
ルーミアの呟いたその言葉はあまりに平常然としていて、やもすればそのまま聞き逃してしまいそうなほどだった。そうか、夜か、とつい頷いて、その奇妙さに顔をしかめた。
「夜だって? 明日が?」
「うん」
「どういう意味だい、それは」
「と言われても」
なんとも、要領の得ない話だった。
「頭でも打ったか?」
「違うと思うけど」
本当に?と尋ねたくなるのをぐっと堪える。彼女のことだ、そう問われれば面倒になって「じゃあそれでいいや」などと言い始めるに違いない。ルーミアという存在は、概ねそういう輩だった。
それに、……正直に言えば私にとって、その真偽だとか意図だとかなどは、そこまで気にすることでもなかった。どうせ先は長いのだ。とりあえず彼女に付き合って、楽しめたならそれも一興。外れを踏んだらそれはそれで笑い話だ。気楽に物事を楽しんでいくのが、長命を満喫する秘訣である。
「よく分からんが、まあ、そうだね。楽しみにしてるよ」
「それがいいと思う」
要するに私、レミリア・スカーレットという存在は、概ねそういう性格だった。
「で、どういう意味だと思う?」
「どういう意味でしょうねえ」
ふと思い出して咲夜に話を振ってみると、惚けた言葉が返ってきた。まあ、予想通りだ。端から彼女には碌な答えなど期待していない。
咲夜は面白い人間だ。悪魔の館の求人の噂に釣られる程度に天然で、そのまま流れで住み着く程度には狡猾だ。純銀ナイフは悪魔の配下の嗜みだなどと吹き込まれたのを真に受ける程度には残念だし、決してそれを私や妹に触れさせまいとできる程度に有能でもある。
愉快な奴だし、今回も何か妙なことなどを言ってくれたりはしないだろうかと少し期待していたのだが、どうも今回は外れらしい。
まあ、そんなもんだ。そうも毎回上手く行くわけはない。
「さてね。とりあえず、明日は朝から出ることにするよ。悪いが帰りはいつになるか分からない。付き添いもなくて構わないよ」
「ああ、ですがお嬢様。もしも何かがあるかとしたら、それは恐らくお昼頃ですよ」
咲夜の言葉に思わず振り向いた。当の咲夜はきょとんとしたままで、どうやら自分が変なことを言ったなどとは微塵も思ってないらしい。
「お前、」私は思わず呆れて言った。「さては知っているな?」
「知りませんよ」
「ならなんだ、昼頃という根拠はあるのかい?」
「ええ、まあ」
咲夜はひとつ、頷いて言った。
「八意先生が仰ってましたから」
それを知っていると言うんだよ。
「やあ」
「うん。おはよう、スカーレット」
昼前頃にルーミアのもとを訪れる。闇を纏って樹にもたれつつぼんやりとしていた彼女は、私の声に頷きを返した。
吸血鬼の瞳では宵闇の方がよりよく見えるのは知っての通りである。
「しかしなんだ。明日は夜だなんて言うから割と期待していたんだが、結局普通に日は上るじゃないか」
「まあ、そういうのじゃないし」
「ふうん? なら一体どういうのなんだい?」
「どういうのなんだろうね」
「おいおい」
相も変わらず要領を得ない物言いに呆れながらも苦笑を返すと、彼女はむうと困った顔を見せた。
「私もよくは知らないもん。ケーキの最初の一切れだけしか私は関与してないから」
成程ね、と頷いた私に彼女はそれに、と付け足した。
「面倒だし」
「さてはそっちが本音だな?」
「まあそう」
心底ばかばかしくなって思わず溜息を溢した私に、弁解するようにルーミアは言う。
「だって、じきに来るのをわざわざ説明する必要はないし」
「もうすぐ来るのか?」
私の問いに、ルーミアは頷いてすぐ頭を振った。
「うん。いや、もう来るよ。ああ、来る」
立って浮かび上がりつつ、彼女は虚空に視線を向けた。
「来る。来るよ、来る。夜が。夜が、夜が……」
瞬間、僅かな静寂。
そうして、彼女は言った。
「夜が、来た」
闇が弾けた。そう表現するのが恐らく最も適切だった。
ルーミアの広げていた宵闇が花開くように上部を弾けさせ、その衝撃に耐えられなかったかのように闇のあちこちが飛散した。撒き散らされた宵闇はそのまま円を描くように彼女の周囲を周回した。質量はおろか実体も持たない闇の端切れは、けれどその余りの速度故にか風切音を幻聴させた。つい避けんとする反射神経を力業でもって封殺し、闇が私をすり抜けるのを感じながら上の方へと視線を向ける。炸裂した宵闇色の果実はそこから無数の暗黒色を天上に向かって吐き出していた。
鳥だった。私にはそう見えた。
夜色の鳥の軍勢は、確かにルーミアの闇の内から、否、闇そのものから生み出されていた。引き千切られた粘土のように遊離した闇の一欠片が、見る間に鳥へと造詣を整え、そしてまた空へと飛び立っていった。
好奇に駆られて私は思わず日傘を下ろすと空を見上げた。焼かれるだろうし一瞬だけ、と思っていたのだが杞憂だったらしい。憎たらしいかの太陽は宵闇鳥どもに隠されていた。鳥の柱は本来太陽の見えるべきだった方角へ一直線に飛んでいた。黒く塗りつぶされた空の一角の、その周囲を彩る白くも淡い光のみが、そこに太陽があるのだと私に教えてくれていた。
「なんなんだい、これは」
「だから、言ったじゃん」
思わず漏れた私の言葉に、面倒臭げにルーミアが応えた。
「私は最初の一切れだけしか知ってもいないし興味もないの」
「ああ、うん。そうだな」
ルーミアの闇は少しづつ、けれど確かにその体積を失っていた。気付けば彼女の足が闇の外へと露出していた。暫し見る間に闇は一抱え程に縮んで、掌大程に収まった。
「スカーレット」
「うん?」
呆れたような瞳でルーミアが私を見ていた。
「ぼうっとしてるけど、そろそろ夜が終わるよ」
「おっと」
慌てて日傘を差し直すと、示し合わせたかのように太陽の光が降り注いだ。危なかったと息を吐いてルーミアの方を再び見ると、どうやらしゃがんで何かを拾っているようだった。
覗き込むと、そこには数匹、先の闇色の鳥がいた。見たところでは、まるで雛鳥のようだった。どうも飛ぶことができないらしく、よたよたと地を這っているのをルーミアに捕えられた。
「飛べないやつもいるのか」
「うん。最後の方は夜が足りなくて、こういう出来損ないが生まれるみたい」
そう言って、ルーミアはがぱりと口を開いた。口腔内に吸い込まれていった黒い鳥は、諦めたように暴れることを止めていた。
私が何も言わず見つめていると、ルーミアが私に手を差し出した。そこにはまた別の宵闇鳥が、ぐったりと横たわっていた。
「食べる?」
「食べていいのかい? ……いや」
私は少しの逡巡の後に言い直した。
「美味しいのかい?」
「美味しいよ」
ルーミアはこくりと頷いて言った。
「少なくとも、私達みたいな夜に潜んでる奴らにはね」
「なあ、咲夜」
理由はない。強いて言うなら、悪戯心が疼いたのだろうか。私の声に咲夜は手を止めて振り向いた。
「夜の味というと、全体どんなものだと思う?」
「夜の味、ですか」
咲夜の鉄面皮が少し歪んだように見えた。これはあれだ、呆れているときの顔だ。
「僭越ながらお嬢様、幾ら日食が珍しいからと、日傘から身を乗り出すのはよろしくないかと思われます」
「なんの話だいそれ」
「違うのですか? てっきりお嬢様が頭を焼かれてしまわれたのかと思ったのですが」
「君ね、それはひょっとして私を莫迦にしてるのかい?」
「滅相もありません」
大袈裟な身振りで否定する。まあ、咲夜はあくまで大真面目に言っているんだろうね。惜しからんは今言われてもどうにもならないってことに彼女が気付いていないことか。いや、そこが彼女の面白いところなのだが。
「まあ、気にしないでくれていいよ。ちょっとした冗談さ」
笑って手を振ると渋々ながらも咲夜は引き下がった。それを見ながら私は心中でほくそ笑んだのだ。
ルーミアに貰った夜の鳥は、彼女の言う通り美味だった。そしてなるほど、これは確かに私達以外には理解し難いと思われた。言葉にはとても形容し難いものであったし、あの呑み込みながら呑み込まれるような感覚はきっと、多くの者には受け入れられないことだろう。少なくとも咲夜にはきっと、人を辞めるまで理解できないに違いない。そう考えるとどこか愉快な気分だった。
夜の味は、私と彼女だけが知っている。これは要するに、そういう話だ。
ルーミアの呟いたその言葉はあまりに平常然としていて、やもすればそのまま聞き逃してしまいそうなほどだった。そうか、夜か、とつい頷いて、その奇妙さに顔をしかめた。
「夜だって? 明日が?」
「うん」
「どういう意味だい、それは」
「と言われても」
なんとも、要領の得ない話だった。
「頭でも打ったか?」
「違うと思うけど」
本当に?と尋ねたくなるのをぐっと堪える。彼女のことだ、そう問われれば面倒になって「じゃあそれでいいや」などと言い始めるに違いない。ルーミアという存在は、概ねそういう輩だった。
それに、……正直に言えば私にとって、その真偽だとか意図だとかなどは、そこまで気にすることでもなかった。どうせ先は長いのだ。とりあえず彼女に付き合って、楽しめたならそれも一興。外れを踏んだらそれはそれで笑い話だ。気楽に物事を楽しんでいくのが、長命を満喫する秘訣である。
「よく分からんが、まあ、そうだね。楽しみにしてるよ」
「それがいいと思う」
要するに私、レミリア・スカーレットという存在は、概ねそういう性格だった。
「で、どういう意味だと思う?」
「どういう意味でしょうねえ」
ふと思い出して咲夜に話を振ってみると、惚けた言葉が返ってきた。まあ、予想通りだ。端から彼女には碌な答えなど期待していない。
咲夜は面白い人間だ。悪魔の館の求人の噂に釣られる程度に天然で、そのまま流れで住み着く程度には狡猾だ。純銀ナイフは悪魔の配下の嗜みだなどと吹き込まれたのを真に受ける程度には残念だし、決してそれを私や妹に触れさせまいとできる程度に有能でもある。
愉快な奴だし、今回も何か妙なことなどを言ってくれたりはしないだろうかと少し期待していたのだが、どうも今回は外れらしい。
まあ、そんなもんだ。そうも毎回上手く行くわけはない。
「さてね。とりあえず、明日は朝から出ることにするよ。悪いが帰りはいつになるか分からない。付き添いもなくて構わないよ」
「ああ、ですがお嬢様。もしも何かがあるかとしたら、それは恐らくお昼頃ですよ」
咲夜の言葉に思わず振り向いた。当の咲夜はきょとんとしたままで、どうやら自分が変なことを言ったなどとは微塵も思ってないらしい。
「お前、」私は思わず呆れて言った。「さては知っているな?」
「知りませんよ」
「ならなんだ、昼頃という根拠はあるのかい?」
「ええ、まあ」
咲夜はひとつ、頷いて言った。
「八意先生が仰ってましたから」
それを知っていると言うんだよ。
「やあ」
「うん。おはよう、スカーレット」
昼前頃にルーミアのもとを訪れる。闇を纏って樹にもたれつつぼんやりとしていた彼女は、私の声に頷きを返した。
吸血鬼の瞳では宵闇の方がよりよく見えるのは知っての通りである。
「しかしなんだ。明日は夜だなんて言うから割と期待していたんだが、結局普通に日は上るじゃないか」
「まあ、そういうのじゃないし」
「ふうん? なら一体どういうのなんだい?」
「どういうのなんだろうね」
「おいおい」
相も変わらず要領を得ない物言いに呆れながらも苦笑を返すと、彼女はむうと困った顔を見せた。
「私もよくは知らないもん。ケーキの最初の一切れだけしか私は関与してないから」
成程ね、と頷いた私に彼女はそれに、と付け足した。
「面倒だし」
「さてはそっちが本音だな?」
「まあそう」
心底ばかばかしくなって思わず溜息を溢した私に、弁解するようにルーミアは言う。
「だって、じきに来るのをわざわざ説明する必要はないし」
「もうすぐ来るのか?」
私の問いに、ルーミアは頷いてすぐ頭を振った。
「うん。いや、もう来るよ。ああ、来る」
立って浮かび上がりつつ、彼女は虚空に視線を向けた。
「来る。来るよ、来る。夜が。夜が、夜が……」
瞬間、僅かな静寂。
そうして、彼女は言った。
「夜が、来た」
闇が弾けた。そう表現するのが恐らく最も適切だった。
ルーミアの広げていた宵闇が花開くように上部を弾けさせ、その衝撃に耐えられなかったかのように闇のあちこちが飛散した。撒き散らされた宵闇はそのまま円を描くように彼女の周囲を周回した。質量はおろか実体も持たない闇の端切れは、けれどその余りの速度故にか風切音を幻聴させた。つい避けんとする反射神経を力業でもって封殺し、闇が私をすり抜けるのを感じながら上の方へと視線を向ける。炸裂した宵闇色の果実はそこから無数の暗黒色を天上に向かって吐き出していた。
鳥だった。私にはそう見えた。
夜色の鳥の軍勢は、確かにルーミアの闇の内から、否、闇そのものから生み出されていた。引き千切られた粘土のように遊離した闇の一欠片が、見る間に鳥へと造詣を整え、そしてまた空へと飛び立っていった。
好奇に駆られて私は思わず日傘を下ろすと空を見上げた。焼かれるだろうし一瞬だけ、と思っていたのだが杞憂だったらしい。憎たらしいかの太陽は宵闇鳥どもに隠されていた。鳥の柱は本来太陽の見えるべきだった方角へ一直線に飛んでいた。黒く塗りつぶされた空の一角の、その周囲を彩る白くも淡い光のみが、そこに太陽があるのだと私に教えてくれていた。
「なんなんだい、これは」
「だから、言ったじゃん」
思わず漏れた私の言葉に、面倒臭げにルーミアが応えた。
「私は最初の一切れだけしか知ってもいないし興味もないの」
「ああ、うん。そうだな」
ルーミアの闇は少しづつ、けれど確かにその体積を失っていた。気付けば彼女の足が闇の外へと露出していた。暫し見る間に闇は一抱え程に縮んで、掌大程に収まった。
「スカーレット」
「うん?」
呆れたような瞳でルーミアが私を見ていた。
「ぼうっとしてるけど、そろそろ夜が終わるよ」
「おっと」
慌てて日傘を差し直すと、示し合わせたかのように太陽の光が降り注いだ。危なかったと息を吐いてルーミアの方を再び見ると、どうやらしゃがんで何かを拾っているようだった。
覗き込むと、そこには数匹、先の闇色の鳥がいた。見たところでは、まるで雛鳥のようだった。どうも飛ぶことができないらしく、よたよたと地を這っているのをルーミアに捕えられた。
「飛べないやつもいるのか」
「うん。最後の方は夜が足りなくて、こういう出来損ないが生まれるみたい」
そう言って、ルーミアはがぱりと口を開いた。口腔内に吸い込まれていった黒い鳥は、諦めたように暴れることを止めていた。
私が何も言わず見つめていると、ルーミアが私に手を差し出した。そこにはまた別の宵闇鳥が、ぐったりと横たわっていた。
「食べる?」
「食べていいのかい? ……いや」
私は少しの逡巡の後に言い直した。
「美味しいのかい?」
「美味しいよ」
ルーミアはこくりと頷いて言った。
「少なくとも、私達みたいな夜に潜んでる奴らにはね」
「なあ、咲夜」
理由はない。強いて言うなら、悪戯心が疼いたのだろうか。私の声に咲夜は手を止めて振り向いた。
「夜の味というと、全体どんなものだと思う?」
「夜の味、ですか」
咲夜の鉄面皮が少し歪んだように見えた。これはあれだ、呆れているときの顔だ。
「僭越ながらお嬢様、幾ら日食が珍しいからと、日傘から身を乗り出すのはよろしくないかと思われます」
「なんの話だいそれ」
「違うのですか? てっきりお嬢様が頭を焼かれてしまわれたのかと思ったのですが」
「君ね、それはひょっとして私を莫迦にしてるのかい?」
「滅相もありません」
大袈裟な身振りで否定する。まあ、咲夜はあくまで大真面目に言っているんだろうね。惜しからんは今言われてもどうにもならないってことに彼女が気付いていないことか。いや、そこが彼女の面白いところなのだが。
「まあ、気にしないでくれていいよ。ちょっとした冗談さ」
笑って手を振ると渋々ながらも咲夜は引き下がった。それを見ながら私は心中でほくそ笑んだのだ。
ルーミアに貰った夜の鳥は、彼女の言う通り美味だった。そしてなるほど、これは確かに私達以外には理解し難いと思われた。言葉にはとても形容し難いものであったし、あの呑み込みながら呑み込まれるような感覚はきっと、多くの者には受け入れられないことだろう。少なくとも咲夜にはきっと、人を辞めるまで理解できないに違いない。そう考えるとどこか愉快な気分だった。
夜の味は、私と彼女だけが知っている。これは要するに、そういう話だ。
闇を広げていくときの描写も好きでした
人を辞めて夜に潜んで生きる事を選んだ者たちの生き様が描写されていて興味深かったです。
日食と幻想が合わさった素敵なお話でした。夜の味は私たちにはわからないんでしょうね。
夜がブワっとはじけて広がっていく光景が目に浮かぶようでした
素敵なお話をありがとうございます。
ルーミアだとか従者だとかの人物評がなんともユーモラスでいいですね
ルーミアってお嬢様にも見通せないような、不思議なところ持ってますよね……そういう雰囲気良いですよね……
なんだか幻想郷に連れて行かれたような、不思議で魅力的なおはなしでした。
ですが夜ってそういうものだなーと考えるとなるほど。
締めがなんだかよかったです。