「霧雨魔理沙が風邪を引いた」という事実を本人の口から聞いた時、僕はついこれ見よがしなため息を漏らしてしまった。目の前にいる魔理沙の顔は確かに赤みがかっていて、鼻水もだらしなく垂れている。チリ紙を2枚渡すと豪快にチーンとやって、それを丸めて彼女の腰かけている大きな壺の中に捨てた。注意しようと口を開こうとすると、図書館の主さながら咳をしてみせるので、強く言えなかった。
注意を諦めて、何をしに来たかを尋ねた。外は肌寒い季節で、助平な北風もぴゅうぴゅうと服を脱がせにかかっているというのに、わざわざ訪れたということは何か理由があるのだろう。彼女はニカリと笑ってこう答えた。
「ほら、私は賢いだろう。バカになりに来たんだ」
確かにバカは風邪をひかないという言い回しは昔からある。それはバカは風邪をひいたことに気づきもしないからバカなのだ、というバカを見下し、そのバカよりも僅かに頭脳が優れた者が自尊感情を高めるために作った皮肉の言葉である。しかしながら、幻想郷においてそのバカを体現する氷精のような存在が、風邪と縁がないことは周知の事実として浸透しており、また言霊が外界よりも強く反映されるこの郷では、文字通りバカは風邪をひかないのかもしれない。
しかし、風邪をひかないという言葉をそのまま解釈するとすれば、バカはあくまで予防策であり対処ではないのだから賢い選択とは言えないだろう。冗談めかして言っているが、魔理沙はこう見えて結構賢いのだ。妖怪の賢者や、各勢力の参謀たちの人智を超越した頭脳と経験に裏打ちされた賢さとはものが違うが、彼女は知識の結晶たる魔法も使えれば、人類の憧れである飛行もでき、またそれなりに語彙もあるため弾幕の動きを分析して本にしたためることもできる。人間としては相当に賢い部類だろう。そんな彼女がわざわざこの香霖堂に来るには何か確固たる合理的な理由があるはずだ。
僕の考えはこうだ。魔理沙はまず僕を便利屋か何かと勘違いしている節がある。確かに香霖堂には、ないものはないといっても過言ではないが、餅は餅屋という言葉があるように、月の餅屋に風邪薬を頂戴しに行くほうが賢明である。置き薬を購入してないのだろうか。たとえそうだとしても、永遠亭まで行く方が確実だ。
では、なぜそうしないのか。憶測だが、今回の風邪は大したものではないのだろう。診断は僕も彼女もできないが、自分の体の事なら感覚でわかるはずだ。そして僕は、つい1週間ほど前にとあるものについて熱弁したことを思い出した。それはチョコレートについてだ。幻想郷にも浸透はしていないが、バレンタインデーにチョコを渡すという日本独自の文化は持ち込まれている。その日ばかりはチョコレートの需要が増えるため、僕は菫子君に依頼して外の世界のチョコを仕入れていたのだ。魔理沙は売れやしないと嘲笑っていたので、僕はチョコレートの素晴らしさを語って見せた。風味や甘みなどの味わいはよく知られているが、チョコレートは昔は風邪薬として広まっていたのだと言った記憶がある。なるほど、魔理沙はそれを試しに来たのだ。幸か不幸か、チョコレートの売れ残りはどういうわけか大量にある。
百聞は一見に如かず、自らが検証の材料となり、僕の言葉の真実性を確かめに来たのだ。そのことを口に出さない意地の悪さが彼女らしいと思った。僕がそれに気づくことも織り込み済みなのだろう。店主はうそつきだと吹聴されては困るので、僕はこれから魔理沙を看病し、風邪を治さなければならない。体質上人間の風邪はうつりにくいので、看病にはうってつけであった。
僕はこう答えた。
「なるほど、実に合理的な判断だ」
「だろう」
「外は寒かっただろう。あたたかい飲み物でも用意するよ」
「気が利くな、っくし、らしくもない」
僕は台所に引っ込み、牛乳を注いだ鍋を火にかけた。そして、魔理沙お気に入りの、不機嫌そうな黒猫が描かれたコップにチョコレートを砕き入れ、ふつふつと煮立っている牛乳の膜を取り除きつつ注いだ。まだチョコレートは余っているため自分の分も作ることにした。マドラーという棒でかき混ぜながら溶け切ったのを確認し、味見をした。甘いが、風邪ひきの舌には丁度いいだろう。チョコレートは菌を叩くわけではないのだが、あたたかく甘いこの飲み物は安寧を与え、良い休息を促してくれる。休養が風邪には一番効果的だ。永琳もそう言ってた。
さらにもとは薬だったという歴史的根拠も相まって素晴らしい効能を発揮するだろう。俗にいうプラシーボ効果だ。それに、この飲み物はショウガやりんご、卵酒よりも断然うまいのだ。
「さて、できたよ。ホットチョコレートだ」
魔理沙はふうふうと息を吹きかけ湯気を散らし、緑茶のごとくずずずっと啜った。熱いのだから仕方ないとは言え、音を立てるのはいかがなものかと思いつつ、僕は自分のコップに口をつけた。そして舌を火傷した。顔には出さなかった。僕は頑張ったのだ。
「ふう、あったまるな」
「そりゃよかった。ああ、そうだ、毛布もとってこよう」
僕は部屋に行き、押し入れの中から真っ白の毛布を取ってきた。手渡すと、彼女は繭のように毛布の中に包まった。香霖堂内はストーブが効いており、汗ばむほどである。見ているだけでも熱い。
「へへ、あったかい」
「今日は泊まっていきなさい。外は冷える」
「そうさせてもらうぜ」
温熱は体温をあげて新陳代謝を促すだけでなく、筋肉を弛緩させ疲労を拭いとる。そのせいか、にんまりとだらしなく頬を緩ませて、彼女は笑っていた。
「寝室を温めてこよう。その間の店番を頼む」
「どうせ誰も来ないだろ」
だから今の魔理沙でも務まるのだ。僕は寝室に布団を敷き、隙間風が漏れ出ないよう襖や窓をぴっちりと閉めた。そして、倉庫へ行き蛇腹の太いパイプを出した。これはストーブの熱を管を通して伝導させるものであり、炬燵などにも使える。寝室とストーブとをつなげば、店内から移動させることなく部屋を暖めることができる。
僕は蛇腹パイプをもって店内に戻った。
「あら、居たのね霖之助さん」
ほんの少し店を開けた絶妙なスキマの時間に霊夢が来ていたようだ。
「いらっしゃい、と言いたいが今日は帰った方がいい。風邪をうつされたくはないだろう」
「あー、これやっぱそうなんだ。蚕かなんかだと」
霊夢はうつらうつらと船をこいでいる繭玉の魔理沙を指さした。真顔で冗談を言うものじゃない、そもそもその毛布は絹じゃなくて羊毛だ。自慢じゃないが、香霖堂に絹製の高級品など置いてない。
「じゃあ、ま、帰りますか。霖之助さんは保護者モードみたいだし」
保護者ではない、とは言い切れないのが困ったものである。頼りにされた以上無碍にもできないので仕方なしに世話を焼いているのだ。
「ああ、そうだ。外界のチョコレートを入荷したんだが、バレンタインデーにどうだい?」
「いらないかなぁ、ツケでなら貰ってあげる」
なぜ上からなのだ。まるで僕が在庫処分に困っているようではないか。断じてそうではない、その証拠にチョコレートは薬となり、魔理沙の風邪を和らげている。むしろ、売れ残りの在庫を抱えている事実は、何らかの強大な、例えば幻想郷の意思によって定められた必然だったのだ。
霊夢は結局買わずに帰っていった。おそらくだが、早苗あたりから貰えるのではないだろうか。今は友チョコとか言って女性同士でも気軽に渡し合うことが増えているそうだ。尤も霊夢は貰うばかりであると思われる。
こう言った変化する文化について菫子君はお菓子メーカーの陰謀だと言っていた。踊らされる阿呆にはならないとも。だが商人からすれば、阿呆が増えてくれたほうが仕事が増えて万々歳である。
寝室が暖まったことを確認したのち、こっくりこっくりと水飲み鳥のように不規則に頭をゆらしている魔理沙を抱き上げた。僕はあまり腕力に自信がないが、彼女の身体は軽かった。幼少のころと変わっていないように思えた。
布団に寝かせると魔理沙はぱちりと目を開いた。
「なんだ、起きていたのか」
「抱き方が雑だからだよ、軽かっただろ。非力な香霖じゃ持てないと思ってな」
へへへとあどけなく笑う様は悪戯が成功した子供のようで、過去の幼い姿を彷彿とさせた。身体を浮かせたのだろうか、どうやら魔法を使ったらしかった。起きているのなら、自分で移動すれば良いのにと口にしかけたが、ふと気が付いた。これは彼女なりの甘えだったのだ。咳をしても一人、と誰かが謳ったように風邪をひくと、どうしようもなく寂しくなる。人肌に触れ、体温を感じたくなる。
しかし、ひねくれもので、意固地な彼女は弱さともとれるその思いを吐き出せる場所がない。香霖堂という僕の城は、魔理沙にとって憩いなのだ。
「ああ、今度は気をつけるよ」
僕はそう答えた。彼女の顔は赤みがかっていたが、それは風邪のせいだけではないだろう。きっと、年甲斐もないことしたなぁと少しだけ恥ずかしくなったに違いない。
日が落ちたので卵を入れたおかゆを作り、食べさせると魔理沙はぐっすりと眠ってしまった。食欲は十分にあるようで、この様子なら明日には快復するだろう。僕は店じまいをした。
布団を取られてしまったので僕は店の椅子に腰かけて眠ることにした。睡眠は必要ないので、夜通し本を読むつもりだったのだが、どういうわけかそのまま寝てしまったらしい。珈琲の代わりに追加で飲んだホットチョコレートには安眠作用があるらしく、その影響かもしれなかった。
目が覚めると、机の上には小包と置手紙があった。魔理沙の筆跡で「治ったから帰る」と書かれていた。小包を開けると、中には星形のチョコレートが入っていた。隠し持っていたことに僕は気づかなかったようだ。
星を一かけら口へ放り込むと、同時にカランカランとドアベルが来客を告げた。ドアを開けするりと入ってきたのは八雲紫であった。彼女は小包を見て言った。
「こんにちは、あら先を越されてしまいましたわ」
「いらっしゃい、順序なんてないよ。胃に入れば同じさ」
最初に渡したいという意図があるのならば、魔理沙は実に合理的だ。尤も、僕にはその重要性などこれっぽちもわからないが。
「まぁ、相変わらず乙女心に鈍いのね。それとも、その目なら本質を見抜けるからかしら。あなたにもわかりやすく言うなら本命か義理か」
「そんなことはわからないよ。これはチョコレートだ。用途は食べること」
僕の眼は確かに名称と用途がわかる。だが、それらは移り変わるもので、たとえ幾万の思いが込められていたとしても、僕の手元に来た瞬間からただの食物になる。バレンタインチョコレートを告白の道具として使う者もいれば、友愛の確認のため使う者もいる。魔理沙は、直接ではなく置手紙とともに渡してきたのだから、余計な勘繰りは野暮であり、また本人も望んでいないだろう。僕はそう伝えた。
「だから、鈍いと言ったのですわ」
「それよりも、今日はどうしたんだい。冬場なのに珍しい」
「イベントごとには目ざといのです。歴史を刻めば文化として残るかもしれませんし」
お祭り好きな性分もあるが、つまり彼女は監視目的で来たのだ。幻想郷に新たな文化が根付くとき、災いをもたらさぬよう、行く末を見守るのが彼女の役目である。
「結構じゃないか。幸いここにはお祭りの主役が沢山ある」
「まあ野暮ですこと」
野暮とはどういうことだろうか。僕が返事に困っていると、紫はいくつかの種類のチョコレートを詰め合わせにしてほしいと伝えてきたので、カラフルな色合いのものや、傘のような形をした苺味のもの、鉛筆を模したものなどを袋詰めにして渡した。
それを受け取った紫は光る何かを親指でピンとはじいて見せた。僕の掌に収まったそれは外の世界の金貨であった。彼女が普通に金銭で支払うことは珍しい。
「毎度あり」
そう言うと「ごきげんよう」と怪しげに言ってスキマに消えていった。その際ついでに、くあとあくびをしているのが見えてしまった。やはり眠かったようだ。
「む」
僕は手に持った金貨を確認して「やられた」と思った。境界を曖昧にしたのだろうか、金貨の中身はチョコレートだった。名称はコインチョコ、用途は食べること。僕は騙されたと憤慨したが、はたと気付いた。売買ではなく、あくまで彼女はチョコレートを渡しにきたのである。それもそのはずで、彼女にとって外界のチョコレートなど珍しくもなんともなく、わざわざ購入する必要がないのだ。
野暮の意味がようやく分かった。今日が祭りなら、商売何ぞやっていないで踊る阿呆になれと言うのだ。
「僕も、魔理沙たちの仲間入りか」
バカとアホ、似たようなものだ。
もう商売はやめにした。もし今日来客があるならチョコレートを存分に振舞うことにしよう。来客があれば、の話である。
注意を諦めて、何をしに来たかを尋ねた。外は肌寒い季節で、助平な北風もぴゅうぴゅうと服を脱がせにかかっているというのに、わざわざ訪れたということは何か理由があるのだろう。彼女はニカリと笑ってこう答えた。
「ほら、私は賢いだろう。バカになりに来たんだ」
確かにバカは風邪をひかないという言い回しは昔からある。それはバカは風邪をひいたことに気づきもしないからバカなのだ、というバカを見下し、そのバカよりも僅かに頭脳が優れた者が自尊感情を高めるために作った皮肉の言葉である。しかしながら、幻想郷においてそのバカを体現する氷精のような存在が、風邪と縁がないことは周知の事実として浸透しており、また言霊が外界よりも強く反映されるこの郷では、文字通りバカは風邪をひかないのかもしれない。
しかし、風邪をひかないという言葉をそのまま解釈するとすれば、バカはあくまで予防策であり対処ではないのだから賢い選択とは言えないだろう。冗談めかして言っているが、魔理沙はこう見えて結構賢いのだ。妖怪の賢者や、各勢力の参謀たちの人智を超越した頭脳と経験に裏打ちされた賢さとはものが違うが、彼女は知識の結晶たる魔法も使えれば、人類の憧れである飛行もでき、またそれなりに語彙もあるため弾幕の動きを分析して本にしたためることもできる。人間としては相当に賢い部類だろう。そんな彼女がわざわざこの香霖堂に来るには何か確固たる合理的な理由があるはずだ。
僕の考えはこうだ。魔理沙はまず僕を便利屋か何かと勘違いしている節がある。確かに香霖堂には、ないものはないといっても過言ではないが、餅は餅屋という言葉があるように、月の餅屋に風邪薬を頂戴しに行くほうが賢明である。置き薬を購入してないのだろうか。たとえそうだとしても、永遠亭まで行く方が確実だ。
では、なぜそうしないのか。憶測だが、今回の風邪は大したものではないのだろう。診断は僕も彼女もできないが、自分の体の事なら感覚でわかるはずだ。そして僕は、つい1週間ほど前にとあるものについて熱弁したことを思い出した。それはチョコレートについてだ。幻想郷にも浸透はしていないが、バレンタインデーにチョコを渡すという日本独自の文化は持ち込まれている。その日ばかりはチョコレートの需要が増えるため、僕は菫子君に依頼して外の世界のチョコを仕入れていたのだ。魔理沙は売れやしないと嘲笑っていたので、僕はチョコレートの素晴らしさを語って見せた。風味や甘みなどの味わいはよく知られているが、チョコレートは昔は風邪薬として広まっていたのだと言った記憶がある。なるほど、魔理沙はそれを試しに来たのだ。幸か不幸か、チョコレートの売れ残りはどういうわけか大量にある。
百聞は一見に如かず、自らが検証の材料となり、僕の言葉の真実性を確かめに来たのだ。そのことを口に出さない意地の悪さが彼女らしいと思った。僕がそれに気づくことも織り込み済みなのだろう。店主はうそつきだと吹聴されては困るので、僕はこれから魔理沙を看病し、風邪を治さなければならない。体質上人間の風邪はうつりにくいので、看病にはうってつけであった。
僕はこう答えた。
「なるほど、実に合理的な判断だ」
「だろう」
「外は寒かっただろう。あたたかい飲み物でも用意するよ」
「気が利くな、っくし、らしくもない」
僕は台所に引っ込み、牛乳を注いだ鍋を火にかけた。そして、魔理沙お気に入りの、不機嫌そうな黒猫が描かれたコップにチョコレートを砕き入れ、ふつふつと煮立っている牛乳の膜を取り除きつつ注いだ。まだチョコレートは余っているため自分の分も作ることにした。マドラーという棒でかき混ぜながら溶け切ったのを確認し、味見をした。甘いが、風邪ひきの舌には丁度いいだろう。チョコレートは菌を叩くわけではないのだが、あたたかく甘いこの飲み物は安寧を与え、良い休息を促してくれる。休養が風邪には一番効果的だ。永琳もそう言ってた。
さらにもとは薬だったという歴史的根拠も相まって素晴らしい効能を発揮するだろう。俗にいうプラシーボ効果だ。それに、この飲み物はショウガやりんご、卵酒よりも断然うまいのだ。
「さて、できたよ。ホットチョコレートだ」
魔理沙はふうふうと息を吹きかけ湯気を散らし、緑茶のごとくずずずっと啜った。熱いのだから仕方ないとは言え、音を立てるのはいかがなものかと思いつつ、僕は自分のコップに口をつけた。そして舌を火傷した。顔には出さなかった。僕は頑張ったのだ。
「ふう、あったまるな」
「そりゃよかった。ああ、そうだ、毛布もとってこよう」
僕は部屋に行き、押し入れの中から真っ白の毛布を取ってきた。手渡すと、彼女は繭のように毛布の中に包まった。香霖堂内はストーブが効いており、汗ばむほどである。見ているだけでも熱い。
「へへ、あったかい」
「今日は泊まっていきなさい。外は冷える」
「そうさせてもらうぜ」
温熱は体温をあげて新陳代謝を促すだけでなく、筋肉を弛緩させ疲労を拭いとる。そのせいか、にんまりとだらしなく頬を緩ませて、彼女は笑っていた。
「寝室を温めてこよう。その間の店番を頼む」
「どうせ誰も来ないだろ」
だから今の魔理沙でも務まるのだ。僕は寝室に布団を敷き、隙間風が漏れ出ないよう襖や窓をぴっちりと閉めた。そして、倉庫へ行き蛇腹の太いパイプを出した。これはストーブの熱を管を通して伝導させるものであり、炬燵などにも使える。寝室とストーブとをつなげば、店内から移動させることなく部屋を暖めることができる。
僕は蛇腹パイプをもって店内に戻った。
「あら、居たのね霖之助さん」
ほんの少し店を開けた絶妙なスキマの時間に霊夢が来ていたようだ。
「いらっしゃい、と言いたいが今日は帰った方がいい。風邪をうつされたくはないだろう」
「あー、これやっぱそうなんだ。蚕かなんかだと」
霊夢はうつらうつらと船をこいでいる繭玉の魔理沙を指さした。真顔で冗談を言うものじゃない、そもそもその毛布は絹じゃなくて羊毛だ。自慢じゃないが、香霖堂に絹製の高級品など置いてない。
「じゃあ、ま、帰りますか。霖之助さんは保護者モードみたいだし」
保護者ではない、とは言い切れないのが困ったものである。頼りにされた以上無碍にもできないので仕方なしに世話を焼いているのだ。
「ああ、そうだ。外界のチョコレートを入荷したんだが、バレンタインデーにどうだい?」
「いらないかなぁ、ツケでなら貰ってあげる」
なぜ上からなのだ。まるで僕が在庫処分に困っているようではないか。断じてそうではない、その証拠にチョコレートは薬となり、魔理沙の風邪を和らげている。むしろ、売れ残りの在庫を抱えている事実は、何らかの強大な、例えば幻想郷の意思によって定められた必然だったのだ。
霊夢は結局買わずに帰っていった。おそらくだが、早苗あたりから貰えるのではないだろうか。今は友チョコとか言って女性同士でも気軽に渡し合うことが増えているそうだ。尤も霊夢は貰うばかりであると思われる。
こう言った変化する文化について菫子君はお菓子メーカーの陰謀だと言っていた。踊らされる阿呆にはならないとも。だが商人からすれば、阿呆が増えてくれたほうが仕事が増えて万々歳である。
寝室が暖まったことを確認したのち、こっくりこっくりと水飲み鳥のように不規則に頭をゆらしている魔理沙を抱き上げた。僕はあまり腕力に自信がないが、彼女の身体は軽かった。幼少のころと変わっていないように思えた。
布団に寝かせると魔理沙はぱちりと目を開いた。
「なんだ、起きていたのか」
「抱き方が雑だからだよ、軽かっただろ。非力な香霖じゃ持てないと思ってな」
へへへとあどけなく笑う様は悪戯が成功した子供のようで、過去の幼い姿を彷彿とさせた。身体を浮かせたのだろうか、どうやら魔法を使ったらしかった。起きているのなら、自分で移動すれば良いのにと口にしかけたが、ふと気が付いた。これは彼女なりの甘えだったのだ。咳をしても一人、と誰かが謳ったように風邪をひくと、どうしようもなく寂しくなる。人肌に触れ、体温を感じたくなる。
しかし、ひねくれもので、意固地な彼女は弱さともとれるその思いを吐き出せる場所がない。香霖堂という僕の城は、魔理沙にとって憩いなのだ。
「ああ、今度は気をつけるよ」
僕はそう答えた。彼女の顔は赤みがかっていたが、それは風邪のせいだけではないだろう。きっと、年甲斐もないことしたなぁと少しだけ恥ずかしくなったに違いない。
日が落ちたので卵を入れたおかゆを作り、食べさせると魔理沙はぐっすりと眠ってしまった。食欲は十分にあるようで、この様子なら明日には快復するだろう。僕は店じまいをした。
布団を取られてしまったので僕は店の椅子に腰かけて眠ることにした。睡眠は必要ないので、夜通し本を読むつもりだったのだが、どういうわけかそのまま寝てしまったらしい。珈琲の代わりに追加で飲んだホットチョコレートには安眠作用があるらしく、その影響かもしれなかった。
目が覚めると、机の上には小包と置手紙があった。魔理沙の筆跡で「治ったから帰る」と書かれていた。小包を開けると、中には星形のチョコレートが入っていた。隠し持っていたことに僕は気づかなかったようだ。
星を一かけら口へ放り込むと、同時にカランカランとドアベルが来客を告げた。ドアを開けするりと入ってきたのは八雲紫であった。彼女は小包を見て言った。
「こんにちは、あら先を越されてしまいましたわ」
「いらっしゃい、順序なんてないよ。胃に入れば同じさ」
最初に渡したいという意図があるのならば、魔理沙は実に合理的だ。尤も、僕にはその重要性などこれっぽちもわからないが。
「まぁ、相変わらず乙女心に鈍いのね。それとも、その目なら本質を見抜けるからかしら。あなたにもわかりやすく言うなら本命か義理か」
「そんなことはわからないよ。これはチョコレートだ。用途は食べること」
僕の眼は確かに名称と用途がわかる。だが、それらは移り変わるもので、たとえ幾万の思いが込められていたとしても、僕の手元に来た瞬間からただの食物になる。バレンタインチョコレートを告白の道具として使う者もいれば、友愛の確認のため使う者もいる。魔理沙は、直接ではなく置手紙とともに渡してきたのだから、余計な勘繰りは野暮であり、また本人も望んでいないだろう。僕はそう伝えた。
「だから、鈍いと言ったのですわ」
「それよりも、今日はどうしたんだい。冬場なのに珍しい」
「イベントごとには目ざといのです。歴史を刻めば文化として残るかもしれませんし」
お祭り好きな性分もあるが、つまり彼女は監視目的で来たのだ。幻想郷に新たな文化が根付くとき、災いをもたらさぬよう、行く末を見守るのが彼女の役目である。
「結構じゃないか。幸いここにはお祭りの主役が沢山ある」
「まあ野暮ですこと」
野暮とはどういうことだろうか。僕が返事に困っていると、紫はいくつかの種類のチョコレートを詰め合わせにしてほしいと伝えてきたので、カラフルな色合いのものや、傘のような形をした苺味のもの、鉛筆を模したものなどを袋詰めにして渡した。
それを受け取った紫は光る何かを親指でピンとはじいて見せた。僕の掌に収まったそれは外の世界の金貨であった。彼女が普通に金銭で支払うことは珍しい。
「毎度あり」
そう言うと「ごきげんよう」と怪しげに言ってスキマに消えていった。その際ついでに、くあとあくびをしているのが見えてしまった。やはり眠かったようだ。
「む」
僕は手に持った金貨を確認して「やられた」と思った。境界を曖昧にしたのだろうか、金貨の中身はチョコレートだった。名称はコインチョコ、用途は食べること。僕は騙されたと憤慨したが、はたと気付いた。売買ではなく、あくまで彼女はチョコレートを渡しにきたのである。それもそのはずで、彼女にとって外界のチョコレートなど珍しくもなんともなく、わざわざ購入する必要がないのだ。
野暮の意味がようやく分かった。今日が祭りなら、商売何ぞやっていないで踊る阿呆になれと言うのだ。
「僕も、魔理沙たちの仲間入りか」
バカとアホ、似たようなものだ。
もう商売はやめにした。もし今日来客があるならチョコレートを存分に振舞うことにしよう。来客があれば、の話である。
可愛いですね。
最後にチョコを置いていく魔理沙がかわいらしかったです
チョコレート持ってるんならそもそも香霖堂に来る必要なかったのでしょう
でも来ちゃったんでしょうね
来たかったんでしょうね