Coolier - 新生・東方創想話

モノケロースの霊骸

2020/02/03 21:55:23
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幽かな発光は、しかし長い暗闇の途に慣れた目を過度に刺した。私は目を細め、蓮子は帽子の鍔を下ろす。
とにかく早くその輝きに目が慣れることを願った。あえて表には出さないけれど私はとても興奮しており、きっと蓮子もそうだと思う。飛び跳ねたくなるような大発見。けれどこの空間を護っている秘匿の帳は寡黙に、けれども確かに、私たちに厳かな礼節を強いていた。
かつて博物館であったという廃墟の地下。一世紀以上前に忘れ去られたこの場所で、それは"生きて"いた。
不思議を忘れた科学世紀に、なお顕れた神秘を観測する私たち秘封倶楽部。随分多くの不可解な現象を見てきたけれど、こういった存在は初めてだった。
「骨格の……幽霊」
蓮子が呟く。
それは固形の霊気で象られた獣の骨格標本だった。
朽ちた展示台の上で、そこに在ったという過去のみを支えとして浮いている。
体は五メートルほどだろうか。ずんぐりとした肋骨が大部分を構成していた。這い蹲るような姿勢だけれど手足は無い。それは地を踏みしめることをやめており、つまりは水棲の生物と予測できる。
何よりの特徴は、真っ直ぐ突き出した一本の角だ。ただその一本が、その姿を異様たらしめていた。
角だけで一メートル以上の長さがある。誰かが悪ふざけで頭から串で突き刺したと言われた方がまだ自然だろう。しかしその角は確かに頭部骨格に組み込まれており、内から外へ向かって突出しているのだ。
瞳孔が縮みきるのを待たず、私たちは骨格に近付いた。
「悪性の境界じゃないわ。ただここに在るだけの魔法。この場所に染み付いた誰かの記憶、想い、あるいは夢」
「これは実在しない動物ってこと?」
狂人の夢想が受肉したものだとすれば、この馬鹿げた姿形にも納得がいく。
無から生み出された獣の骨格。魔獣とでも呼ぶべき異質さは私の胸を高鳴らせた。
「半分その通り。でもメリーが思ってるようなものじゃないよ」
蓮子は笑って幽霊骨格に掌を翳す。
「Monodon monoceros。かつて北極海に生息したとされる絶滅種」
「も、もの……?」
「日本では見た目どおり"一角"と呼ばれていたわ。どのみち現存する生物ではないわね」
蓮子はこの手の知識にやたらと強い。超統一物理学とかいう学問の領域か、ただのネットサーフィンの賜物か。
とかく、科学世紀の犠牲である絶滅種に関する話題は一般的に暗黙の禁忌。けれどそもそも立ち入り禁止の看板と杜撰なセキュリティを突破してきた私たちにとって、今更躊躇われるものではない。咎めるものなど誰もいないのだから。
「てっきりマッドサイエンティストの狂った夢かと思ったわ」
「事実は空想より奇なものね。驚くべきことにこれは純然たる進化の果て」
私は慣れてきた目で、宙空に浮いたMonoなんとかを観察した。
その骨は蝋のように白く滑らかで、ドライアイスのような靄が空想と現実の中間たる輪郭を包んでいる。
問題の角は見上げるほどの位置にある。それは螺旋状の溝を帯びており、金属製の螺子のようだ。生物と螺子というイメージが一つの匣に収まらなくて、軽い眩暈を覚えた。
「この奇怪な角は何のために?」
蓮子は待ってましたとばかりに口角を上げる。その顔にはいじわるが詰まっていた。
「武器だとか同族間の優劣だとか、さまざまな説があったけれど……最終的に研究者たちが辿り着いた答えはとても素敵なものだったわ。考えてみて。メリーの想像は彼らの叡智に及ぶかしら」
蓮子の口ぶりからして、正解はきっと捻くれたものなのだろう。けれどその奇妙な姿を見上げ、一応その謎に想いを馳せてみる。
武器ではない?けれどどうしても貫かれるイメージが先行する。こんなのがまっすぐ突っ込んできたら嫌だな。
北極に棲んでいたというから、氷に穴を開けたりでもするのだろうか。だとしても長すぎるし、何のためにそうするのかも分からない。
考えれば考えるほど、一本角はリスクが大きすぎる。どこかに引っ掛けたりしないのだろうか。折れたらどうするのだろう。
薄く光る神秘に想像を巡らせていると、不意に催眠にかけられているような、正気を蝕まれているような……妙な気味悪さを覚える。角に刻まれた螺旋状の溝が回転しているような錯覚を覚えた頃、私は肩を竦めて蓮子に向き直った。
「わからない」
「そのとおり」
蓮子は鳴らした指を私に向けてウインクする。
やれやれ、そんなことだろうと思った。私は溜息がてら苦笑する。
「終ぞ研究者たちはその謎を解くことができなかった。Monodon Monocerosは物珍しさと迷信が一人歩きした乱獲で数を減らし、保護と研究が間に合わぬまま世界から姿を消したのよ」
「それが一本角を有していた理由は分からないまま、人類は二度とその解を得ることは叶わない、か。素敵な話ね」
「でしょう?」
蓮子はそう言うと骨格に手を伸ばし、薄靄の骨肌を撫でた。
現実の接触に対して、幻想はひどく儚く脆い。本来あるはずのない存在なのだから当然だ。靄は触れる端から、その手から逃げるようにして光を失い消えていく。
それでも蓮子は掴むようにしてそれに触れ、遂には骨格の一片を削ぎ取った。
奇跡的な条件と複雑な均衡で染み出した世界のエラー。そこにあるはずのない存在は、ひとたび綻ぶと再生することはなく現実へと還っていく。
蓮子はさらに靄の骨肌を撫で、丸々一本の肋骨を破壊した。
私はそれを咎めようとは思わなかった。むしろ蓮子を真似て目の前の骨に手を伸ばし、望んでその奇跡を冒涜する。
罰当たりな行為は指先に冷ややかな感触を残して、次々と消えていった。
それは人類に与えられた最後のチャンスなのかもしれない。この惑星に出現し、やがて失われた一角の魔獣。その謎を解き明かすことができるかもしれない奇跡の機会。
けれどそれは私たちの手によって、誰にも知られることなく再び、そして永遠に失われるのだ。
禁忌を冒す背徳的で奇妙な熱狂。数多の研究者や神秘家たちの阿鼻叫喚を夢見ながら、私たちは幽霊の骨格の中で踊る。
次々と砕けていく幻想が、きらめく雨となって降り注いだ。
「シカもヤギも、動物の角って普通はみんな双角。バランスが取りやすいし邪魔にならない。だからMonodon monocerosは有史以来唯一の、実在した一角生物」
「どうしてそんな不合理な進化をしたのかしら」
「さあね」
散る骨格の薄明かりに目を輝かせながら、蓮子は小さく笑う。
それはまたしても意地悪な顔をしていた。
「……ああ、そういうこと」
しばらくして私も自嘲した。
星を読む蓮子と世界の罅を視る私。幻想を忘れた世紀に生まれ落ちた双つの異端。ふと見つめた掌の中で、抉り出した肋骨片が冷たく消えていく。
夢は夢、滅びは滅びのままがいい。
やがて一通りの破壊を終え、骨格の幽霊は飽食の西瓜のように私たちの手の届かない頭部と背骨を残すだけとなった。
中空に浮いた至宝の一角をどうしたものかと考えていると、突如その姿が風に吹かれたように揺らいだ。現実の中に構成される自己の大部分を失ったからか、均衡の中に存在を留めておけなくなったのだろう。
「あ……」
思わずその角に向かって手を伸ばす。せめて最後に、永遠に失われる秘密の核に触れてみたかった。
けれど消失を追う術はなく、虚ろな像は一瞬のノイズの後、空間に融けるように霧散した。
肉体を失い骨となり、果てには幽霊となった絶滅種の最期。
私はもはや見えない幻想の霞を掻いて、虚空に佇むばかりの腕を下ろした。



霊の灯が消えると、再び真暗な現実の中に私たちはいた。
光に慣れた瞳孔が緩やかに闇を受け入れていく。帰路を辿れるようになるまでは、もう少し時間がかかりそうだ。
境界の影響が祓われても、長年の夜に浸された地下層の空気は依然冷たい。
昂揚の名残が内にある。それは私たち二人だけが知る秘密。
不意に、暗闇の中に泳いだ手がどちらともなく触れ合う。
同じ霊気に触れて冷えた手であるにもかかわらず、そこには確かな温かさがあった。
指を重ねて私の手が、蓮子にとってもそうであることを願う。



幻想の絶えた夜の底。
私たちは歪な進化に互いを映し、この極北を漂うのだ。
お読みいただきありがとうございます。うつしのと申します。
有史以来唯一の一角獣であるイッカクをテーマに筆を執ってみました。
一本角は生物の生態としてはデメリットが多く、彼らが何故あの姿形を生得するに至ったのか。未だ明確には解明されていないようです。
願わくば生きているうちに解き明かしてほしいような、今回書いたように永久の謎のままでいてほしいような。……神秘とは食べられるコレクションのようなもので、妙なジレンマを生みますね。

イッカクが現在の姿形を得たきっかけは一体どんなものだったのでしょうか。
元々は普通のクジラのような種の、不合理に狂った突然変異体同士が偶然つがいとなり今日のイッカクを確立したのだという説があります。奇跡のような確率、それでも時に運命は二人を出会わせるのです。
そんなロマンチックで、ある種の危うさを帯びた異端の芽吹き。
そんな蓮メリが一番尊く、食べるも飾るも素敵ですね。

ところで最近あの角で魚を横殴りにして捕食している映像が撮れたそうです。
愛しの神秘がそんな脳筋みたいな用途で終わるのは勘弁してほしいので……今回イッカクさんには絶滅していただきました。南無。

またお会いできますよう。
うつしの
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コメント



0.150簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
不思議な雰囲気でした
2.100モブ削除
やっぱりイッカクさんだった!
書かれてみると、確かに不思議な存在ですね。
いい雰囲気でした
3.100サク_ウマ削除
秘封俱楽部には廃博物館が映えますよね。神秘的で良かったです。
4.100名前が無い程度の能力削除
2人で共有する秘密は美しいなって。それが失われた幻想だったら尚更です
7.100名前が無い程度の能力削除
素敵な雰囲気
すきです
8.100平田削除
とても素敵でした。

なんでもイッカクの角は片方の犬歯が伸びたものだとか。眉唾ですが、進化の不思議を感じられて好きです。
9.100南条削除
とても面白かったです
ロマンとさみしさと美しさを兼ね揃えていたいい話でした
10.100名前が無い程度の能力削除
ロマンがありますね
そう言えば なんで一角獣ってのはいないんでしょう?
動物は最適な進化をすると言いますが いったい二角の何が適していたんでしょうね
11.100ヘンプ削除
なんだろう、とても素敵なお話でした。
二人が一角獣に思いを馳せることや冒涜的に壊していくところがとても印象的でした。進化はどこまで行くんでしょうね。そう思います。
12.80名前が無い程度の能力削除
いいですね
14.100終身削除
最後の秘密を貴重だとか尊いだとかそういう価値を嘲笑うみたいに当たり前の権利のように二人占めするような姿に不思議と惹きつけられました 消えていく骨格に手を伸ばす姿も心に残ってきっと2人はこういうものを追いかけるために活動をしているんだろうなと思いました