私は間違っていたのかな。という考えは甘えだ。私はいつもいつでも、決定的に間違えてきた。もはや終わっているにも関わらず、続いてしまうことのなんと残酷なことだろう。間違いは更新される。私は新しい懺悔を一つしたい。
きみの不死性を研究させてくれと私の処にやってきたのは、妖怪の山の河童だった。私は第一声で断ったが、河童は引き下がらなかった。家に閉じこもっていればその内帰るだろうと思っていたのに、気配がしなくなった頃に玄関を開けてみたら痩せこけたそいつが倒れていて、結局根負けして話だけは聞いてやろうということになった。それで、蓬莱の薬が生み出す不死性のプロセスを解明したがっているらしい。私は引き続き、気が進まなかった。河童は何故かと食い下がった。やはり実験動物のようにされるのは嫌かと。別に、はっきりいって、有限に住む者の為に時間を割き心を砕いてやるくらい造作もない。その程度のことは何ら私に不利益を齎さない。だが、またまたはっきりいって、蓬莱人のことで有限に住む者が時間を使うのは全く完全に無駄なことだ。それには幾重にも重なった理由があるが、とにかく無駄だ。研鑽したければ他所でやればいい。ただ気になったことの研究をしたいと言うことであれば。お前が生きている内に結果の出る、もっと価値のあるものがいくらでもあるはずだ。だから私は、そんなことはお前にとって時間の無駄でしかないとだけ言って、断ったのだった。
次の日も河童は来た。私は言ってやった。諭してやった。お前のやっていることは支離滅裂だと。本当に蓬莱の薬の全てを知りたければ私のような、不死というだけのみずぼらしい白髪女の処でなく、八意永琳の処へ行くべきだと。彼女は全てを教えてくれる。そして、お前のできて一生の内、百年だか千年だか一万年だかしらないが、その程度の研究期間より、身も蓋もない程練り上げられた無欠の論文その全てを惜しみなく披露してくれる。それをしないのは何故か。お前は後ろめたいことがあるだろうと。
河童は涙ながらに白状した。そんな下りはもう終わったと。人を蘇らせるような汎ゆる研究はし尽くしたし、八意女史の蓬莱の薬に関する記載は全てありがたくその写しを頂いた。打ちのめされた。尽く何もかもに挫折した。それでも動き続けなければ私には何もないのだと。白状というよりは、呪詛だった。
私は、知性の選び得る破滅などというものは所詮、いくつかのテンプレートに振り分けられた縮図でしかないのだなと思った。そして、私達のような無限に住むものは、有限に住む者の目を曇らせる。つまり、人を蘇らせる方法の一つのアプローチとして、蓬莱の薬を選んだと言うわけだ。その性質を鑑みれば甚だ的外れに思えるが、永琳の歴史を汲んで尚こんなことを言うのだから、ただ被害を受けただけで何の知識もない私より少しは可能性に対して客観的なのかもしれないと思った。
永琳に窘められなかったかと聞こうとしたが、やめた。多分、理解ができた。この女はもう死んだようなものなのだと判断されたのだろう。あとは成仏できるかできないか。それまで付き合ってやるくらいならばまあ吝かではない。私は、自分自身に後腐れない結末を約束できるならと承諾した。彼女はそうするしかないだろうと頷いた。
***
如何にも滑稽だった。人を蘇らせること自体はそこまで難しいことでは無いように思ってしまう。だが知る限り不可能だと言える。異能溢れるこの世界にいるとその辺を勘違いするけれど、「死んだけど誰彼の手で蘇りました」なんて話はとうとう聞いたことがない。そもそも人は死ぬのが普通だし、死んだら蘇らない。それこそ死ぬほどに明瞭。当たり前。しかし超常を常識にする知性にとってそれは受け入れ難い。黒魔術にのめり込んだジルドレのように。
私個人の感覚としては、蓬莱の薬は不死になる薬と一発で説明するには不適切だ。これは普遍性の獲得だ。摂理と化すことだ。「我思う故に我在り」の「我」になることだ。死なないのではなく変化しない。髪を切ることすら許されない。破壊された時直ちに蘇生して見えるのは再生している訳ではなく「摂理は破壊し得ず、元に戻っている」だけだ。「それはそういうものなんだよ」という説明で納得できないのは学がないからだ。究極的に学習の完了した知性というのは「説明できない、すること自体が不適切な事柄が世には溢れている」ということを理解している。沈黙は金の本質的な意味はそこにある。この持論は私以外の蓬莱人には「些か情緒的に過ぎる」「我悟ったり、By中学二年生か?愉快」等と鼻で笑われたが。後者とは殺し合いの末晩酌に付き合うことになったのは言うまでもないが。
河童は不死やら蘇生なら何でも多岐にわたって研究していた。しかもそれは、殆ど「やりなおし、今何周目?」というようなものであって、ウロボロスってこういう感じかなと見てて思った。もはや掘り尽くして後のなくなった研究をぐるぐるとやりなおしているのだ。ぶっこわれていると言って差し支えない。そして私はと言うと、彼女が右を向けと言えば右を向き、死んでみてくれと言われれば死んでみせ、飯を作って寝かしつけてやって召使いかそれ以下であるかの如しという生活を送っていた。言われるがまま、されるがまま。私が殊の外甲斐甲斐しいことについて河童は当初懐疑を表明したが、そもそも私から持ちかけた話ではないだけに、すぐにそれは妥協に近い納得という形で霧散した。そもそも彼女は相当に図々しい質であり、不穏なまでの利便性を受け入れることにもさして時間はかからなかった。
休憩を取らせていると、それでも時々疑問に思うことはあるようで、ありがたいけど何故ここまでしてくれるんだと聞いてきた。
暇だからだった。付き合うならとことんだった。そんで、私は残念ながら、お前に諦めさせるために手伝ってるに過ぎなくてごめんなって感じだった。幸せに終え得る帰結としては、それしかなかった。死者蘇生に完全な成功はあり得ない。キョンシーで満足なら話は別だけど。だから、気持ちよく諦めてもらうしかない。そのためならなんだって手伝ってあげる。乗った船には最後までということで。
とはいえ確かに、蓬莱の薬を蘇生という方面に活かせないかなんて研究は永琳もしちゃいないだろう。この上なく参考になる参考書を片手に、しかも馬車馬より働いてくれる蓬莱人の実験体付きで食い扶持も考えず研究に没頭できるなんて、環境としては心強すぎて目眩がするという見方もなくはない。死にそうでしかなかった顔の河童の目に希望のような何かが光っている気がした。潰えるのが前提の希望だけれど。仕方ないんだよ。元々綱渡りだから。九割九分、怨嗟に呑まれて狂って死ぬよお前は。死者蘇生に傾倒した知性の末路なんて衰滅でしかない。そこに至るということはもう大体終わってるってことの証左だ。でも、畢竟無の中からそれを掴み取り、奇跡よりも悍ましく神託よりも疑わしい結果をそれでも残すというなら、それはそれで望むところだった。やってくれるというなら是非とも見たい。
私は、やるだけやれば諦めも付くでしょう、とだけ答えた。
***
三十年程度経って、しまったな、と思った。時間に無頓着。ここ最近、彼女の顔から絶望が色濃く映るようになり気にかけてはいたのだ。ここ最近って、ここ数年だ。いくら彼女が妖怪だと言っても数年はそこそこ長い。
二重、三重にやらかしたことを告白する。まず先述したように、彼女は私と違って有限に住む者であるからして(それは恐らく金髪白黒のあの者のことであるが故に、蘇りを望んですらいないと考えられ、殊更難易度は跳ね上がっているように思うがとにかく)、蘇生研究の進捗が思わしくない期間が長ければ焦るしうんざりするのだ。私は彼女に、やるだけやったのだからと気持ちよく終わってもらうつもりでいたのに、これでは自暴自棄、火薬の匂いと消し炭という結末に着地するであろうことは想像に難くない。なによりメンタルケアが私の成すべきことだったはずだ。初めから期限を明確化するなりの具体的な指針が必要だったかもしれない。あとは私が彼女に入れ込んでしまっていること。背中にすり寄っても、自分の喉から出る猫なで声に自分でうんざりしていても、同じ寝床に潜り込んでも、彼女は否定的な感情を示さなかった。これは本当に良くなかった。そして私自身、彼女が私なしで居られぬように仕向けていることを自覚した頃には既に割と手遅れだった。
ある夜、不意に目が覚めると河童が私の上に馬乗りになってぶつぶつと言っていることに気づいた。彼女はスパナを持っていた。一体どうしたのかと聞くと、スパナで殴りつけられた。繰り返し念入りに。彼女は泣いていた。ひんひんと声を抑えて、涙を流していた。明確に錯乱状態だった。私は喉を潰されて声が出なかったので、両腕を広げて、おいでと態度で表した。彼女はもっと怯えたような様子をたたえ、酸欠でスパナを持っていられなくなるまで私を殴った。そしていつしか、私を抱きしめて寝た。
その日から彼女は研究をする代わりに、単なる不死者への残虐行為に手を染めるようになっていった。極稀に。だけれどだんだんと。ついには研究そっちのけで。永い永い、殺しても死なない相手を実験台とする共同生活は倫理観を筆頭として彼女の様々な色々を蝕んだようだった。私は気分が良くて、破滅に立ち会う快感を優先して抵抗しなかった。ああ、最低の気分だな、と思った。最低の気分ってなんでこんなにお腹の下が熱くなるんだろうな。とはいえ、絶望を貪って快感に変える程度しか生きる方法が無いのは彼女の方なんだろうなと、首を絞められて意識が飛ぶ寸前に私は思った。私は生きては居ないから。
***
気付くと、彼女は目から涎を垂らして動かなくなっていた。生卵をぶちまけて放っておいたのを一番ひどくした感じの悪臭を放っていた。私に抱きしめられながら。彼女が手に持った包丁は私の心臓を的確に捉えてはおらず、みぞおちとの間を中途半端に通る金属の冷たさがだんだんと温くなっていく感覚だけがあった。自死ですらなかった。つまり、私の腕の中で自然に衰弱した。私が殺したのとほぼ遜色がなかった。二年程そうしていたら、輝夜が玄関を開けて私を見て、相変わらず馬鹿だなてめーは、といった調子で私を蹴っ飛ばした。私が抱きしめていた「それと包丁だったやつ」はぼさりと崩れて、吹いてもない風に吹かれて霧散した。私は実に鈍く起き上がって、永遠亭に連れて行かれた。何日か、縁側で二人、空を見ていた。膝枕をされていた。こういう時間の使い方が私達なんだよなと、兎達が掃除をしているのが視界にちらつきながら、思った。
三途の川に行ってみたら死神に訝しがられた。青い髪の河童が最近来なかったか聞いたら、来てないとのことだった。
河童に、イタコに頼んで話ができないか試してみないかと聞いてみたことがある。きっと自分のしていることを否定されるだろう。それか、受け入れるだろう。そしてそのどちらにも私は耐えられないだろうと言っていた。やっぱり、彼女に幸せな帰結はほぼあり得なかった。どれだけ酷い決別を果たせばこのような女が生まれるのだろう?ただの予定調和化された機械的で悲劇的な結末だった。しかし、これは考えていた中では相当に最低で陰惨な終了だった。というより、想定していなかった。吐瀉物に塗れた道以外の何物でもなかった。
彼女は初めから私の方を見ていなかったわけだから、私のほうが彼女にもたれてかかってしまっていたのだよな。頑張っている人の為に尽くすのって気持ちがいい。そんな人に求められるのも気持ちがいい。彼女が手に持ち、振りかぶったはんだごてが、私の眼球に突き刺さり水分の蒸発する音を思い出すと得も言われぬような気分になる。
永琳が私の肩を叩いて、紙を渡した。河童の研究結果を読んでいて見付けたらしかった。
『妹紅、きみが正しかった』
私、あの河童の名前知ってたっけ?あと、名前を呼ばれたこと、あったっけ?
私は彼女を助けるつもりで、不死にかまけて束の間の暇つぶしに使ってしまったのかな?当初の目的が只失敗したこと以上に、私はそもそも間違っていたのかな?
「それにしても、すごいわ。大半は目的に対する無力さ、無念さを表明するに過ぎない、不出来なSF小説のようなものだけれど、この触媒の効率化の研究とかね。これは同じ分野を生きる者達のあと二百年を先取りしたような素晴らしいものだと思うわ。彼女の名前で発表してあげなくちゃね。他にも魂と肉体の相互影響と発生し得る物理的現象っていうのがあってね、これは―――」
薄暗いな、と思った。懺悔終了。また、次の懺悔までさようなら。
きみの不死性を研究させてくれと私の処にやってきたのは、妖怪の山の河童だった。私は第一声で断ったが、河童は引き下がらなかった。家に閉じこもっていればその内帰るだろうと思っていたのに、気配がしなくなった頃に玄関を開けてみたら痩せこけたそいつが倒れていて、結局根負けして話だけは聞いてやろうということになった。それで、蓬莱の薬が生み出す不死性のプロセスを解明したがっているらしい。私は引き続き、気が進まなかった。河童は何故かと食い下がった。やはり実験動物のようにされるのは嫌かと。別に、はっきりいって、有限に住む者の為に時間を割き心を砕いてやるくらい造作もない。その程度のことは何ら私に不利益を齎さない。だが、またまたはっきりいって、蓬莱人のことで有限に住む者が時間を使うのは全く完全に無駄なことだ。それには幾重にも重なった理由があるが、とにかく無駄だ。研鑽したければ他所でやればいい。ただ気になったことの研究をしたいと言うことであれば。お前が生きている内に結果の出る、もっと価値のあるものがいくらでもあるはずだ。だから私は、そんなことはお前にとって時間の無駄でしかないとだけ言って、断ったのだった。
次の日も河童は来た。私は言ってやった。諭してやった。お前のやっていることは支離滅裂だと。本当に蓬莱の薬の全てを知りたければ私のような、不死というだけのみずぼらしい白髪女の処でなく、八意永琳の処へ行くべきだと。彼女は全てを教えてくれる。そして、お前のできて一生の内、百年だか千年だか一万年だかしらないが、その程度の研究期間より、身も蓋もない程練り上げられた無欠の論文その全てを惜しみなく披露してくれる。それをしないのは何故か。お前は後ろめたいことがあるだろうと。
河童は涙ながらに白状した。そんな下りはもう終わったと。人を蘇らせるような汎ゆる研究はし尽くしたし、八意女史の蓬莱の薬に関する記載は全てありがたくその写しを頂いた。打ちのめされた。尽く何もかもに挫折した。それでも動き続けなければ私には何もないのだと。白状というよりは、呪詛だった。
私は、知性の選び得る破滅などというものは所詮、いくつかのテンプレートに振り分けられた縮図でしかないのだなと思った。そして、私達のような無限に住むものは、有限に住む者の目を曇らせる。つまり、人を蘇らせる方法の一つのアプローチとして、蓬莱の薬を選んだと言うわけだ。その性質を鑑みれば甚だ的外れに思えるが、永琳の歴史を汲んで尚こんなことを言うのだから、ただ被害を受けただけで何の知識もない私より少しは可能性に対して客観的なのかもしれないと思った。
永琳に窘められなかったかと聞こうとしたが、やめた。多分、理解ができた。この女はもう死んだようなものなのだと判断されたのだろう。あとは成仏できるかできないか。それまで付き合ってやるくらいならばまあ吝かではない。私は、自分自身に後腐れない結末を約束できるならと承諾した。彼女はそうするしかないだろうと頷いた。
***
如何にも滑稽だった。人を蘇らせること自体はそこまで難しいことでは無いように思ってしまう。だが知る限り不可能だと言える。異能溢れるこの世界にいるとその辺を勘違いするけれど、「死んだけど誰彼の手で蘇りました」なんて話はとうとう聞いたことがない。そもそも人は死ぬのが普通だし、死んだら蘇らない。それこそ死ぬほどに明瞭。当たり前。しかし超常を常識にする知性にとってそれは受け入れ難い。黒魔術にのめり込んだジルドレのように。
私個人の感覚としては、蓬莱の薬は不死になる薬と一発で説明するには不適切だ。これは普遍性の獲得だ。摂理と化すことだ。「我思う故に我在り」の「我」になることだ。死なないのではなく変化しない。髪を切ることすら許されない。破壊された時直ちに蘇生して見えるのは再生している訳ではなく「摂理は破壊し得ず、元に戻っている」だけだ。「それはそういうものなんだよ」という説明で納得できないのは学がないからだ。究極的に学習の完了した知性というのは「説明できない、すること自体が不適切な事柄が世には溢れている」ということを理解している。沈黙は金の本質的な意味はそこにある。この持論は私以外の蓬莱人には「些か情緒的に過ぎる」「我悟ったり、By中学二年生か?愉快」等と鼻で笑われたが。後者とは殺し合いの末晩酌に付き合うことになったのは言うまでもないが。
河童は不死やら蘇生なら何でも多岐にわたって研究していた。しかもそれは、殆ど「やりなおし、今何周目?」というようなものであって、ウロボロスってこういう感じかなと見てて思った。もはや掘り尽くして後のなくなった研究をぐるぐるとやりなおしているのだ。ぶっこわれていると言って差し支えない。そして私はと言うと、彼女が右を向けと言えば右を向き、死んでみてくれと言われれば死んでみせ、飯を作って寝かしつけてやって召使いかそれ以下であるかの如しという生活を送っていた。言われるがまま、されるがまま。私が殊の外甲斐甲斐しいことについて河童は当初懐疑を表明したが、そもそも私から持ちかけた話ではないだけに、すぐにそれは妥協に近い納得という形で霧散した。そもそも彼女は相当に図々しい質であり、不穏なまでの利便性を受け入れることにもさして時間はかからなかった。
休憩を取らせていると、それでも時々疑問に思うことはあるようで、ありがたいけど何故ここまでしてくれるんだと聞いてきた。
暇だからだった。付き合うならとことんだった。そんで、私は残念ながら、お前に諦めさせるために手伝ってるに過ぎなくてごめんなって感じだった。幸せに終え得る帰結としては、それしかなかった。死者蘇生に完全な成功はあり得ない。キョンシーで満足なら話は別だけど。だから、気持ちよく諦めてもらうしかない。そのためならなんだって手伝ってあげる。乗った船には最後までということで。
とはいえ確かに、蓬莱の薬を蘇生という方面に活かせないかなんて研究は永琳もしちゃいないだろう。この上なく参考になる参考書を片手に、しかも馬車馬より働いてくれる蓬莱人の実験体付きで食い扶持も考えず研究に没頭できるなんて、環境としては心強すぎて目眩がするという見方もなくはない。死にそうでしかなかった顔の河童の目に希望のような何かが光っている気がした。潰えるのが前提の希望だけれど。仕方ないんだよ。元々綱渡りだから。九割九分、怨嗟に呑まれて狂って死ぬよお前は。死者蘇生に傾倒した知性の末路なんて衰滅でしかない。そこに至るということはもう大体終わってるってことの証左だ。でも、畢竟無の中からそれを掴み取り、奇跡よりも悍ましく神託よりも疑わしい結果をそれでも残すというなら、それはそれで望むところだった。やってくれるというなら是非とも見たい。
私は、やるだけやれば諦めも付くでしょう、とだけ答えた。
***
三十年程度経って、しまったな、と思った。時間に無頓着。ここ最近、彼女の顔から絶望が色濃く映るようになり気にかけてはいたのだ。ここ最近って、ここ数年だ。いくら彼女が妖怪だと言っても数年はそこそこ長い。
二重、三重にやらかしたことを告白する。まず先述したように、彼女は私と違って有限に住む者であるからして(それは恐らく金髪白黒のあの者のことであるが故に、蘇りを望んですらいないと考えられ、殊更難易度は跳ね上がっているように思うがとにかく)、蘇生研究の進捗が思わしくない期間が長ければ焦るしうんざりするのだ。私は彼女に、やるだけやったのだからと気持ちよく終わってもらうつもりでいたのに、これでは自暴自棄、火薬の匂いと消し炭という結末に着地するであろうことは想像に難くない。なによりメンタルケアが私の成すべきことだったはずだ。初めから期限を明確化するなりの具体的な指針が必要だったかもしれない。あとは私が彼女に入れ込んでしまっていること。背中にすり寄っても、自分の喉から出る猫なで声に自分でうんざりしていても、同じ寝床に潜り込んでも、彼女は否定的な感情を示さなかった。これは本当に良くなかった。そして私自身、彼女が私なしで居られぬように仕向けていることを自覚した頃には既に割と手遅れだった。
ある夜、不意に目が覚めると河童が私の上に馬乗りになってぶつぶつと言っていることに気づいた。彼女はスパナを持っていた。一体どうしたのかと聞くと、スパナで殴りつけられた。繰り返し念入りに。彼女は泣いていた。ひんひんと声を抑えて、涙を流していた。明確に錯乱状態だった。私は喉を潰されて声が出なかったので、両腕を広げて、おいでと態度で表した。彼女はもっと怯えたような様子をたたえ、酸欠でスパナを持っていられなくなるまで私を殴った。そしていつしか、私を抱きしめて寝た。
その日から彼女は研究をする代わりに、単なる不死者への残虐行為に手を染めるようになっていった。極稀に。だけれどだんだんと。ついには研究そっちのけで。永い永い、殺しても死なない相手を実験台とする共同生活は倫理観を筆頭として彼女の様々な色々を蝕んだようだった。私は気分が良くて、破滅に立ち会う快感を優先して抵抗しなかった。ああ、最低の気分だな、と思った。最低の気分ってなんでこんなにお腹の下が熱くなるんだろうな。とはいえ、絶望を貪って快感に変える程度しか生きる方法が無いのは彼女の方なんだろうなと、首を絞められて意識が飛ぶ寸前に私は思った。私は生きては居ないから。
***
気付くと、彼女は目から涎を垂らして動かなくなっていた。生卵をぶちまけて放っておいたのを一番ひどくした感じの悪臭を放っていた。私に抱きしめられながら。彼女が手に持った包丁は私の心臓を的確に捉えてはおらず、みぞおちとの間を中途半端に通る金属の冷たさがだんだんと温くなっていく感覚だけがあった。自死ですらなかった。つまり、私の腕の中で自然に衰弱した。私が殺したのとほぼ遜色がなかった。二年程そうしていたら、輝夜が玄関を開けて私を見て、相変わらず馬鹿だなてめーは、といった調子で私を蹴っ飛ばした。私が抱きしめていた「それと包丁だったやつ」はぼさりと崩れて、吹いてもない風に吹かれて霧散した。私は実に鈍く起き上がって、永遠亭に連れて行かれた。何日か、縁側で二人、空を見ていた。膝枕をされていた。こういう時間の使い方が私達なんだよなと、兎達が掃除をしているのが視界にちらつきながら、思った。
三途の川に行ってみたら死神に訝しがられた。青い髪の河童が最近来なかったか聞いたら、来てないとのことだった。
河童に、イタコに頼んで話ができないか試してみないかと聞いてみたことがある。きっと自分のしていることを否定されるだろう。それか、受け入れるだろう。そしてそのどちらにも私は耐えられないだろうと言っていた。やっぱり、彼女に幸せな帰結はほぼあり得なかった。どれだけ酷い決別を果たせばこのような女が生まれるのだろう?ただの予定調和化された機械的で悲劇的な結末だった。しかし、これは考えていた中では相当に最低で陰惨な終了だった。というより、想定していなかった。吐瀉物に塗れた道以外の何物でもなかった。
彼女は初めから私の方を見ていなかったわけだから、私のほうが彼女にもたれてかかってしまっていたのだよな。頑張っている人の為に尽くすのって気持ちがいい。そんな人に求められるのも気持ちがいい。彼女が手に持ち、振りかぶったはんだごてが、私の眼球に突き刺さり水分の蒸発する音を思い出すと得も言われぬような気分になる。
永琳が私の肩を叩いて、紙を渡した。河童の研究結果を読んでいて見付けたらしかった。
『妹紅、きみが正しかった』
私、あの河童の名前知ってたっけ?あと、名前を呼ばれたこと、あったっけ?
私は彼女を助けるつもりで、不死にかまけて束の間の暇つぶしに使ってしまったのかな?当初の目的が只失敗したこと以上に、私はそもそも間違っていたのかな?
「それにしても、すごいわ。大半は目的に対する無力さ、無念さを表明するに過ぎない、不出来なSF小説のようなものだけれど、この触媒の効率化の研究とかね。これは同じ分野を生きる者達のあと二百年を先取りしたような素晴らしいものだと思うわ。彼女の名前で発表してあげなくちゃね。他にも魂と肉体の相互影響と発生し得る物理的現象っていうのがあってね、これは―――」
薄暗いな、と思った。懺悔終了。また、次の懺悔までさようなら。
懺悔をする妹紅は淡々としているな、と思いました。救われないのが良かったです。
お見事でした。最悪だと思います。
永琳に教えてもらってもなお足りず、こと切れるまで突き進み続けたにとりに凄みを感じました
残りの人生すべてを費やしても届かなかったというところに胸を打たれました
でも無意味でした
救えなさがとてもよかったです