Coolier - 新生・東方創想話

放浪

2020/01/24 20:45:09
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「ねえ、お姉ちゃん。私の心、読んでみる?」
 そう囁いた妹の言葉を覚えている。
 
 
 
 何の変哲もない昼下がり、私は『他人の顔』の半ば位を開いて微睡んでいた。妹は私の書棚を漁っては、最初の数ページを捲って積み重ねるという奇行を繰り返している。
 床からの暖気と、注がれたアールグレイから醸し出されるベルガモットの芳香とで、全身が心地よい弛緩に支配されていた。もう全てを投げ打って、この朧気なる現に別れを告げて夢幻に身を委ねてしまおうかとも考えるほどであった。
 それほどまでにこの地霊殿という住処は安穏で、私にとって豊かな空間だった。言い換えれば生きる努力を必要としない場所だった。
 私こと、古明地さとりはその名の通り覚妖怪である。覚妖怪とは心を読む妖怪である。覚妖怪たる私にとって、生きる努力とは心を読むことである。旧地獄に来た黎明は、それはもう心を読みに読んだ。これでもかというほどに、見たくもないやくざな心を一生分は読んだとさえ自負している。その甲斐あって今やこの自室から出るまでもなく、ペットが私の仕事をこなしていくようになった。お陰でこうして中途半端な揺蕩いに舟を漕ぐことができるのだ。しかしこれは同時に私が心を読まなくなったということも示していた。とはいえそもそも読む必要がないのだから些末なことだろう。そういえば放浪癖に身を任せふらふらとしていた妹が家に戻ってくるようになったのもこの頃からだ。
 ふむ、放浪というのも悪くはないのかもしれない。残された側は堪ったものではないが――事実、私は最初妹のことが気がかりで不眠を起こしたこともある――放浪する側としては風の向くまま気の向くままというのは相当に心地よいものだろう。そうだ、丁度今の私みたいに脱力しているのも一種の放浪と言うことができるやもしれない。これを精神の放浪と言うなれば、妹のそれは身体の放浪に相違ない。なんだ、姉妹揃って放浪癖を抱え込んでいるのではないか。
 私は目を閉じながら一つくすりと笑った。
 いけない。いけないなこれは。このままでは覚妖怪の姉妹ではなく放浪妖怪の姉妹になってしまう。だのに何ということだろう。放浪という言葉はこれほどまでに甘美なものだったろうか。規律や秩序といったものとは正反対に位置する放浪。何のことはないただそれだけのことに胸躍らされることになろうとは。いや、寧ろ放浪とはそんな矮小なものを超越した概念なのではないだろうか。自己という絶対的かつ確定的な論理によって形成される独善的な規律、遷移的かつ固定的な精神によってもたらされる無秩序な秩序。元来生物とはかくあるべきではなかろうか。そもそも誰かの作った規律、誰かの形成した秩序に従属するなんて馬鹿げた話だろう。そんなものは最早奴隷に等しい。生命たるもの誰に指図されるでもなく、己が儘に生きるべきなのである。そして死ぬ。それ以上でもそれ以下でもないはずなのである。ともすれば割腹自殺をしたとて自分が納得していれば問題無いだろう。それを他人は対岸からやいのやいのと口を出す。しかもそういう輩の心は大抵低俗極まりないものなのだから目も当てられない。何なら同情の念すら抱くほどだ。規律だ秩序だ道徳だと騒ぎ立てる奴らほど醜いものはないと断言しよう。そうした同調圧力で以て他者を御そうとする者は自信が無いのだ。矢面に立つ気概すらないのだ。自身の正当性を外部に依存しているのだ。何と悍ましいことだろう。
 喉が渇いた。
 私は薄く目を開くとまだ湯気の立ちのぼるティーカップを持ち上げて一口液体を流し込んだ。その液体の量と同じだけほうと口から空気が押し出されていった。妹はまだ本積みを繰り返している。私の自室はいつから賽の河原になったのだろうか。
 私はちらとその様子を眺めてから弛緩した体に力を入れて引き出しを開けた。中には愛用の煙管とシャグが仕舞われている。私はシャグを一つまみ取り出すと指の腹で転がした。
 これだ。この時間が堪らなく愛おしい。所謂無心という心境だ。ただの単純作業が充実感をもたらしてくれる。永劫この作業を繰り返しても苦痛ではないやもしれない。しかしそれも吸うという目的のための手段であるからこその充実感に違いない。あくまで目的のための手段であって、手段が目的になってしまってはいけない。それは身を滅ぼす害悪なのだ。本来到達すべき点に至るために行う作業が目的になってしまうと永遠に目標に到達することはできない。実質的な賽の河原である。これは破滅に等しい。賽の河原だって石を積むことが目的なのではない。石を積むことを通じて積み上げるという行為の尊さを悟るための手段に過ぎないのだ。これを認識していないと永遠に鬼に石を崩される。それを把握した水子から転成ができるのである。地獄の責め苦はただ無為に与えられるのではない。きちんと意味がある。ただ単に「こうしてはいけないから」という理由だけで生きていても罪を免れることはできない。だのに人間というのは揃いも揃って仏を信じていれば救われると信じ切ってしまっている能無し共だ。そんなに仏は優しくない。そもそも仏も仏で問題がある。ちょっと目を合わせただけでぐちぐち説教を垂れ流す。最早説教の大安売りだ。自分で苦悩し考え選択して人生を歩んで行かなければ心は磨かれないというのに、仏は相手のことも考えず一方的に道を指し示してしまう。それじゃあ本人のためにならないではないか。いや、まだ仏が指し示す分にはいいとしよう。方向としては間違ってはいないのだから。だがしかし、僧侶という存在はいただけない。奴らは自らを仏門の修行者だと騙り、自己の歪曲した考えによって自身に――または、その宗派に――都合の良い説法の解釈をする。それだけならいざ知らず、あまつさえそんなねじ曲がった妄想を無知なる大衆にあたかも道理であるといった様相で広めるのだ。何ともこれは質が悪い。吐き気すら覚える悪辣さだ。古より人と人が争う原因に宗教が据えられてしまうのもなればこそと言う他ない。
 私は丸めたシャグを煙管の皿にちょいと乗せ……しまった。燐寸を失くした。私は溜息を吐きながら、煙管を置こうと羅宇を摘まんだところで目の前で火が点いた。
 いつの間にか妹が燐寸を擦っている。全く本当にいつの間に盗ったのだろうか。私は呆れながらもありがとうと告げて火を吸い込んだ。このシャグ特有のスッとした清涼感が口の中を満たす。しばらくそれを口の中で弄んでからゆっくりと吐き出した。私の口から飛び出していった煙達は我先にと天井を目指して消えていく。その様子をぼうっと眺めながら不意にぽつりと「何か話があるんでしょう」と呟いた。
「お姉ちゃんはさ、感情が目に見えたらどう思う?」
「どう思うって、どうも思わないわよ。それが当たり前だもの」
「ごめん、語弊があった。感情が物質化したらどう思う?」
「そりゃあんた、覚妖怪もお払い箱になるでしょうね」
 私はもう一つ煙を吸い込むと今度はそれを肺に送り込んだ。これだ、これこれ。この感覚が最高なのだ。死んでいるか生きているか分からないこの空間の中で唯一紅茶と煙草が生きている実感をくれる。これにスコーンなんて付けた日には感無量と言わざるを得ない。「人はパンのみに生くるにあらず」とはよく言ったものだ。人は紅茶とスコーンと煙草のために生くるのだ。私は人ではないが、きっと人だってそうだろう。そうに違いない。そうでない者は人ではない。人の皮を被った畜生だ。これこそが健康で文化的な最低限度の生活である。
「苦とか悲とか無とかいう感情もぽろぽろと物質化してしまう世界。もしかしたら犬とかいう感情もあったりする世界。お姉ちゃんはどう思う?」
「そんなのが罷り通ってしまったら世も末ね。そもそも犬って何よ」
「例えばの話だよ」
「たらればねぇ。たらればたられば」
 肺から追い出した煙の代わりに今度は紅茶を胃に押し込んだ。うん、さっぱりとして心地よい。素晴らしきかなこの世界。
「世も末……私もそう思う」
「へぇ、意外ね。あんたがそう言うなんて……いや、そこまで意外でもなかったわ」
「だって心は見えないからいいんだよ。見えないからこそ愛しくなるし、尊くなるの」
「ま、見えて碌なことはないものね」
「そうだよ。お姉ちゃんも中々分かってきたじゃない」
「そうかもね」
 私は最後にもう一つだけ煙管に口を付けると、燃え切ったシャグを灰皿に向かって振り落とした。妹の話はこの紫煙のようにいまいち要点が掴めない。煮え切らない会話に段々と苛立ちを覚え始めた私はついに「結局の所本題は何?」と問い詰める。
 その問いに対し、妹は瞬時口端を歪めたかと思うと冷ややかに告げた。

「お姉ちゃんさ、もう心読めないでしょう?」

 カチャリと煙管の金属的な音が響く。それが自分の手からこぼれ落ちた煙管によるものだと気付くのには時間を要した。
「……それ、どういうこと?」
「どういうって、そのままの意味だけど」
 そんな馬鹿なことがあるだろうか。第三の目を閉じた妹ならばいざ知らず、私の第三の目はまだしっかりと開いている。第三の目が開いていれば、心が読めない訳がない。
「第三の目が開いていればって……それ本気で思ってるの?」
「なっ、あんた私の心を読んでっ!?」
「もし自分の第三の目を見てまだ開いているなんて考えているなら噴飯ものだわ。お姉ちゃん、気付かないの? そんなに“濁っていたら”視えるものも視えないよ」
 言われて私は自分の目を見て驚愕した。驚愕? いや、違う。絶望……とも異なる。ともかくそれに類似した何らかの感情を抱いた。違うな。それも違う。寧ろ容受に近いのやもしれない。つまりだ、私の第三の目は平生のそれとは大きく異なり見るからに白濁を抱えているのである。なるほどこれでは視えるものも視えようはずがない。
「お燐が仕事に関して何も訊ねて来なくなったのはどうしてだと思う? お空が遊びに来なくなったのはどうしてだと思う? 他のペットがここに来なくなったのはどうしてだと思う?」
 妹が捲し立てるように口早に続けた。
「私が――」
「お姉ちゃんが――」

「「――気付かれていないから」」

 これでようやく得心がいった。
 私がこの自室に篭もるようになってから、妹がよく帰ってくると思っていたのは間違いだったのだ。正確には“私が妹を認識できるようになっていた”というところだろう。
「ご名答。だって部屋に篭もるってさ、それ、心を閉ざしているのと何も変わらないよね」
「そうね、なんだかんだ言って私達、結局姉妹ってことなのね」
「方向性が違うだけで、私達、どっちも放浪癖を持っているんだもの」
 私はベルガモットの香り漂うティーカップを摘まみ上げると一気に煽り、手を離す。
 支えを失ったカップはそのまま真下に向かって直進を続け、地面に触れた先から欠片になって床を踊った。
「無意識にも、無意識の意識があるということかしら」
 妹はそんな私の呟きに、くすくすと笑い声を上げるとそっと囁いた。

「ねえ、お姉ちゃん。私の心、読んでみる?」
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コメント



0.50簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気とやり取りが良かったです
2.100サク_ウマ削除
天才。天才だよ。やっぱり上条先生はさとこいの天才ですわ。
さとり様の長々とした語り口には妙な気持ち悪さがありますし、こいしちゃんの言葉は仄かな掴みどころのなさと、何より強烈な不気味さがあります。
こういうのが読みたかったんです。素晴らしい。最高です。お見事でした。
4.70名前が無い程度の能力削除
物語性は薄いかもしれませんが、推しがお茶飲んでるだけで幸せという動機でそそわに来ているといった人には充分素晴らしいものと思いました
5.100ヘンプ削除
皮肉かな、と思いました。
読めない、読めるじゃなくてさとりは放浪をしているのかなと。
6.60ルミ海苔削除
最後ふわって印象でした
7.80名前が無い程度の能力削除
煙草と思想は切り離せないのだ!!!
8.80名前が無い程度の能力削除
ゆったり流れる放浪の時間良かったです
9.100モブ削除
もしかしたら、こいしのほうが覚妖怪として完成形なのかもしれない。そんなことを考えてしまいました。面白かったです
11.100終身削除
さとりの暮らしの送り方や鬱屈しているような心象がとても印象に残りました こいしの心を読んでみる?と提案のようで何か強制されているような、見透かされていそうな、何が見えるのかという色々な怖さを感じる一言でどきりとしてしまいました