Coolier - 新生・東方創想話

包丁・ハサミ・カッター・ナイフ・ドス・橙

2020/01/23 00:20:13
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 天邪鬼と疫病神を呼び出したまではよかったが、ここから先はぶっつけ本番だ。
 藍様からの助力が期待できないことに一抹の不安は残るものの、まぁ失敗したところで人里がひとつ滅ぶだけだし。
 そう思ってしまえば、案外肩の力は抜いていけそうだった。

 連中が指定した洋風バーに私が着いた時、テーブルにはすでにいくらかの皿が並んでいた。
 銘柄は知らないがたぶんワイン。どうせ店で一番高いやつを適当に頼んだのだろう。
 あとは肴に豚の角煮と大根の煮物、そしてカレイか何かの煮つけ。そしてそれらを挟んで座る厄介者の喫煙者が2人。
 そいつらは、ほぼ同時に私に気付いた様子だった。

「よぉ橙久しぶり。私を捕まえられないからってそっちから呼び出すとは恐れ入ったぞ。今日の呼び出しは罠とかだったりするのかぁ?」
「ちげぇよ正邪。お前なんか私がその気になったら瞬殺だろうが。ちょっと奥に詰めろ」
「へいへい」

「今日はどうしたのよ黒猫ちゃん。神頼みならお安くしとくわよ? 私頑張っちゃう」
「ちげぇよ女苑。煙吹きかけてくんな」
「はいはーい」

 何か飲むか? と正邪に差し出されたメニューを下げさせ、代わりに灰皿を取ってもらった。
 正邪の吸っていた葉巻の灰が残っていたが、私のは細っこい普通の紙巻きなので灰を落とすスペースはあった。
 
 さて、ほんのりとしたバニラの香りに身をゆだね、たっぷり10秒かけて最初の煙を味わう。
 酒はいらねぇ。これから話すことを考えれば、飲む気にはなれなかった。

「で、なんの用よ。私は暇だけどあんたは違うんでしょ黒猫ちゃん」

 ネイルの出来が気になるのか、女苑はキセルの灰を落としながら照明に透かすように爪をチェックしている。
 そしていかにも。私は暇じゃない。
 ここ数日まともにシャワーも浴びれず働き詰めなのだ。
 臭かったらゴメンなのだ。

「んー? ああ、うん。何日か前にちょっと面白いことがあってね。お前らにも教えてあげようと思ったんだ」
「橙、それはこの里の周りが百鬼夜行みたいになってた事と関係あったりすんのかぁ?」
「ある」
「なーんか山の方ですんごくいろんな人がてんやわんやしてた事とも関係ある感じ?」
「ある。ていうかよく知ってるね。さすが神」

 実はね、と適当に前置きして私は本題に入る。
 阿吽の呼吸とでも言うのかどうか、女苑は爪のチェックをやめ、正邪はふかしていた葉巻を置いた。
 聞く体勢。大事。

「天人が貧乏神と小人を連れて大天狗管轄の施設を襲撃したんだよ」

 は? とか言いながら横で正邪がアホみたいに口を開け、ングフッとか妙な音を立てて正面で女苑がむせた。
 うんまあ、気持ちはわかる。

「何がどうしてそうなったんだよ橙」
「姉は巻き込まれただけよ。犯意はないわ」
「酔った勢いだとさ」

 あっちゃぁ。と頭を抱える2人であったが、そこはそれ、鬼人正邪と依神女苑だ。天邪鬼と疫病神であり、レジスタンスとエゴイストだ。
 切り替えも早ければ、話も早かった。

「「で、なにすりゃいい」」
「まあ聞きなよ」

 事の発端は4日前。
 腐った桃とネクラとちびが酔った勢いで大天狗管轄の施設を襲撃、建物の一部を破壊して内部へと押し入った。
 その施設というのは、正邪が祈るように期待した図書館でもなければ、女苑がすがるように祈願した郵便局でもない。
 その名も『拾得物保管センター』。

 かつては治安課第四設備室とかいう窓際部署のちょっとした倉庫だったもので、20と数年前に治安維持の組織として独立し、現在では結構な予算をかけて運営されている所だ。
 略称は『拾保』。活動内容は拾得物の保管。
 そこだけ聞くと財布や傘でも集めてそうな印象を受けるが、そんなんだったらわざわざコストをかけてまで独立させたりしない。
 つまりは拾得された、誰かが拾った出自不明のマジックアイテムを封印・管理することこそが、この施設の第一義なのだった。

 藍様に言わせれば幻想郷の火薬庫、紫様に言わせればSCP財団。
 取説もなければ誰が作ったのかもわからない。
 どんな機能があるのかもわからなければ、どんなバグがあるのかもわからない超危険物。
 オブジェクトクラスも決められないような災害そのものを地域住民から隔離するための施設だった。

 要石の直撃をものともせず、緋想の剣の全力に2度まで耐えたその防衛術式の健闘を思えば多額の税金をつぎ込むだけの価値はあったと思えるし、仮にも武装した天人である比那名居天子をボコボコにして生け捕りにした機動部隊の手腕もたいしたものだ。
 保管していた物品に損害は出たものの、その大半は職員たちの献身によって回収と再封印に成功していた。

 ただし、ただひとつ。
 最後のひとつがどうしても見つからない。
 人間に寄生して人の間に潜む自立腫瘍。
 こいつが人里に解き放たれた可能性がある。

 見た目はこぶし大の腫瘍で、質感も人間の肌そのもの。
 色は黄色人種の肌より少し黒ずんでいる程度で、ぱっと見にはただの病気かそれ系の憑き物に見えることだろうね。
 ちなみに長期間何にも憑りつかないと仮死状態になってしおしおのレーズンみたいになるんだってさ。まずそうだね。

 こいつは自力でぴょんぴょん跳ねて宿主となる人間を探し、身体に癒着すると数十分ほどで硬質化してちょっとやそっとでは離れなくなる。
 それでもこの時に無理やり切除すればまだ助かりはするのだが、2日ほど経って発熱と倦怠感が出てくるともう手遅れ、魂レベルで宿主と融合を始めるので切除しても助からない。
 そこからさらに2日ほどで全身の肉がこの腫瘍と同質のものに置き換わって、目から血の涙を流しながら往来をふらつくようになる。SIRENの屍人みたいだね。
 そして最後は身体が破裂して、数十から数百体の新たな腫瘍が体から飛び出してくるのだ。

 感染し、繁殖し、増幅する魔導生物。
 それがここ、ふもとの里に紛れ込んだ可能性が高い。
 人里以外はそれこそ血眼になって探したし、本体の移動能力から考えて他の里にまで移動する可能性は無視できる程度。
 人間以外には取りつかないから私たちに憑りつく心配はないし、この里と他の里の間を行き来していた輸送業者とかは全員検査済み。

 そして今もこの里の周りをチンピラ妖怪たちに歩き回らせて人間は誰も出入りできないようにしてる。
 さっき正邪が言ってたやつだね。百鬼夜行とは言い得て妙だったよ。
 面倒だったから知り合いの害虫に外注したんだ。あの害虫は頭数揃えるのだけは得意な奴だからね、金さえ払えばこれくらいはしてくれる。
 ついでに博麗の相手もしといてくれるっていうから楽できるよ。あいつ使えるね。

 まあつまり、この腫瘍がいるとすればこの里の中で誰かに憑りついているか、あるいは仮死状態になって転がっているかのどちらかの可能性が高いってことだよ。

 さっきも言ったけど事の発端は4日前。時間的にもそろそろやばい。
 今日明日中に解決しないとパンデミックになって収集つかなくなるし、そしたらこの里は丸ごと破棄することになる。
 平たく言えば全部燃やすってことさ。
 もちろん妖怪がやったことにするよ。まあ実際に妖怪がやるんだけどさ。

 『血迷った妖怪が規律を無視して暴走。しかる後に鎮圧。その際に人里がひとつ地図から消えた』。
 歴史の教科書にはそう書かれるだろうね。
 犯人?
 ちょうどいいのが3人いるだろ。
 そいつらを里を襲った犯人として処刑するんだよ。
 めでたしめでたし世は事もなしだね。
 楽しくなってきたでしょ?

「あー、橙。素人質問で恐縮だが、その専門の職員で人里の人間を全頭検査とかしないのかぁ?」

 しないよ。
 そんなことはしない。
 その組織自体がここ20年ちょっと前に独立した新生組織だからたいした実績も権限もないのだよ。
 一応管轄違いの人里でも活動できなくないけど申請に時間かかってる。
 なんでかっていうとこの魔導生物の挙動が感染症に似てるからだって。

 感染症への恐怖は妖怪への恐怖とは違うからね、あんまり表ざたにすると相対的に妖怪への恐怖が減っちゃうのさ。
 毎年インフルエンザの予防接種を無料でやってるのもそのためだし。
 手洗いうがい慣行だね。
 だから秘密裏に解決するか、いっそ解決しないで里のひとつくらいあきらめろって言い出す奴らがいて時間食ってるらしいよ。
 馬鹿みたいでしょ。
 他の里から人間移住させたり外界から補充したりどんだけのコストかかるかわかってねぇんだよ馬鹿だから。

 人里の数は幻想郷の残機だ。
 1つ減るごとに消滅の危機に近づく。
 時間をかければ復旧できるとはいえ、安易に滅ぼしていいわけないんだよね。
 それに。
 ここの角煮が二度と食べられなくなる。
 だから私はこうして正式な許可もなく独断専行っていう体でシャワーも浴びずに事態の収束に向かって動いてるんだよ。拾保と八雲って別組織だからね、そもそも私が拾保の被害状況を知ってるはずがないんだ。
 うん。味が染みててうまいね。

「それで、黒猫ちゃん的には私たちにその解決を手伝えって言いたいの?」

 いいや言わないよ。
 そんなことは言わない。
 ただ私はね、お前らがどうしてもって言うなら手伝わせてやらなくもないんだ。
 酔いは醒めただろ?
 ほらその葉巻とキセルも消しなよ。
 会計も済ませてトイレにも行っておくといいね。

 さぁ、夜の街に繰り出そうぜ?
 ご褒美は下手人の命とほっぺにチュウだ。





 夜の人里を3人の怪異が歩く。
 雲一つない星空は、まさしく探し物日和と言えよう。

 人手はほしいが猫の手はいらぬ。
 故にこの2人。
 鬼人正邪、依神女苑。
 雑魚キャラ界の実力者にして弱小階級のトップランカー。

 ブス界イチの美女みたいなやつらだが、私が個人の力で手に負えるのはこいつらがせいぜいだろう。
 こいつら以上の実力者を駆り出そうとしたら私の方に払えるものがないだろうし、変に出し抜かれてそいつ自身の目的を優先されても困る。
 ちょうど犯人どもの縁者でもあるし、いろいろ都合がよかったのだ。

「黒猫ちゃん。無事に解決できたら姉の命は保証してくれるみたいだけど、できたら天人も助けてやってほしいんだけど」
「ん? なんでさ。あいついっぺん死んだほうがよくない?」
「姉に始めたできた友達なのよ。頼むわ」
「えー?」
「橙。私からも頼む」
「んだよ。お前の姫も友達いないのか」
「比那名居天子はいずれ姫が魅了してレジスタンスの傘下に加える予定だからだ。頼む」
「……最善は尽くすけど保証はできかねるよ」

 予想に反して生存を望まれている桃天人だったが、まあできなくはないだろう。
 解決後の下手人の処遇に関して私の権限でどうこうできるものでは本来ないのだが、天人に連れまわされたことにしちゃえば死罪はないだろうし、里への脅威を未然に防いだことへの褒賞として恩赦くらいは要求できるだろう。
 ぶっちゃけ天人本人は微妙なところだが、そん時はまあ、いいや。貧乏神には新しいお友達を紹介してあげよう。レジスタンスは知らん。

「橙。つまりこれから誰に憑りついてるともそこらに転がっているとも知れない見たこともない物を探すわけだがぁ」
「はいこれターゲットの写真」
「ああ、うん。なんだこれキモいな。いやそうじゃなくてよぉ、今のところどの辺まで捜査は進んでるんだ?」
「ん? いやこれから始めるんだけど」
「……脱走したの4日前だったよな」
「私が知ったのは一昨日。そっから人里出入りした奴見つけ出してお前らに連絡とって害虫に話付けてやっと捜査開始だね」
「あー、そっか。どこから探す?」

 私も同行する、と正邪。
 追いかけるより追われる側の立場になることが多いやつだけど、本日は即興の捜査官として大いに活躍してもらおう。

「ふむ、普通に考えて体にそんなできもの出来たら医者行くよね」
「それか祈祷師だなぁ」
「神頼みって選択肢もあるわよ黒猫ちゃん」

 歩きながら煙管に火を入れる女苑だったが、言ってる自分でもその可能性は低そうだと思ってそうだった。
 この里の通りには簡易的な祠や地蔵が点在しており、派手な縄張り争いこそないもののそれなりの数の神が人々の生活を見守っている。
 監視の目という意味は本来ないのだけども、女苑の方から聞き込みしてもらえれば目撃情報のひとつでも見つかるかもしれない。

「というわけでここからは別行動だ貴様ら。私は医者、正邪は人間の祈祷師とか占い師とか呪術師とかそれ系、女苑は神様を当たれ」
「了解、橙。力づくで聞きだしていいかぁ?」
「ダメって回答するね」
「了解した」

「あんた返り討ちに遭わないの? 術者って要するに魔法使いでしょーよ? 別に詐欺師とかじゃなくて」
「魔法使いなんざホンモンの怪異には及ばねえよぉ」
「ヒュー♪ かーっこいー♪」
「だろぉ?」

「だろじゃねーよ。女苑も頼むね。目撃情報とかでもいいから」
「はいはい。頼まれると叶えてあげたくなっちゃうわ私」
「あー、あれかぁ? 普段神様ってのを隠して活動してるから頼られること自体少ねーんだろぉ。ヒュー」
「うるさいわよ天邪鬼」

 じゃあ2時間後にシャボンディ諸島で、と告げて2人と別れようとしたら正邪が葉巻を取り出したので取り上げた。
 歩きタバコをするな。

「女苑も吸ってんじゃん!」
「おいおい。よく見てみろよ正邪」
「なんだよ」
「お前と違って様になってる」
「ファッキュー」
「今度ね」

 さて、この里で一番の名医のもとに馳せ参じた私は玄関のカギをピッキングして内部へ侵入し、晩酌していたお医者様の胸倉をつかみ上げて妖力を全力開放した。
 夜分遅くにごめんね。でも里の危機なのだ。

「命が惜しければ質問に答えろ。私は急いでいる。無駄に時間を取らせるようなら貴様の小腸を4割ほど切除してやる。腎臓もだ」

 彼が言うには、腫瘍に関しては特段思い当たる節もないようで、患者からもそのような話は出ていないとのことであった。
 ついでに彼の家人にも聞いて回ってみるも、結果は同じだ。
 うん。収穫なし。でもまあ可能性をひとつ潰せたのでそれもよし。

「協力ありがとう! またね!」

 二度と来るなと背後から言われながらも次の住所に向かって駆けていく。
 各々の住所はわかっているのでそう難しいことでもなかった。
 診療所を開く際には医師として里への登録が必要なのだが、そのリストは昨日のうちに八雲の権限を使って里長から徴発しておいたのだ。
 八雲七つ権限がひとつ。
 非常時には私にだって使える便利なものであった。
 権力万歳。権威主義万歳。

 一番の名医がダメだったので、続いては一番人気の医者のもとへと向かう。
 道中、里の外から発せられる妖力の気配とごっこ遊びじゃ済まないような炸裂音に害虫が仕事している雰囲気を感じつつも、美人過ぎる女医とかいう医師サーの姫のもとへと家宅侵入を果たした。
 お取込み中失礼つかまつる。

「はいはい騒がない騒がないただのよくある妖怪のお出ましだよ。今年の怪談話のネタにでもしてね。ほら早く服着て。君も。はい君も。君もね、……君なかなかでっかいね。まあいいや。質問に答えろ。答えればすぐ終わるし答えなくてもすぐ終わるよ。答えないと坐骨神経を引きずり出すけどね。強盗じゃないよ。アンケート取ってるだけ」

 リングフィットアドベンチャーの4人対戦プレイに興じていた猿どもに明らかに異常な腫瘍を見なかったかと聞いてみるも、これまた不発。
 唯一、かなりのサイズを誇っていた男が葡萄サイズのイボを切除したことがあると言っていたが、去年の話らしかったので関係なし。
 しかもこいつこの後行く予定だった皮膚科の先生だったわ。手間省けたわ。
 よく見たら他の2人も今日行く予定の人たちだったわ。
 謀らずして一気に潰せたよ。

「協力ありがとう! 子孫繁栄!」

 既婚者が混じっていた気もするが気にしないことにしつつ、私はリストから4つの名前を消した。うーん順調。
 順調なれど、手掛かりなし。
 人里の未来がかかってるんだけどなぁ。

 さて、ぼちぼち深夜とも呼べる時刻。
 それでも人里には普段より多くの明かりが灯り、夜を照らしている。
 さすがに昼間に比べれば少ないものの、出歩いている人間の姿も多数見受けられた。害虫に外注した百鬼夜行の影響か、里内の人間たちも警戒状態が続いているのだろう。
 今日か明日にはすべて終わる。もうちょっとだけ待っててほしい。
 私の姿を見て速足で去って行こうとして転ぶヒト科どもの生活は、私たち妖怪の生活をも支えているのだ。

 急がねば。
 リストを懐にしまい、次の住所へと駆け出していく私であった。





 術式展開。
 距離よし。
 高さよし。
 風よし。
 遮蔽物なし。
 コースに影響する瘴気の偏りなし。

 フォイア。

 まっすぐにのばされた私の右腕を銃身代わりに、妖力の弾丸がイメージ通りの軌跡を描いて飛んでいく。
 そしてパァンという威勢のいい音とともに、八雲流初級妖術である狙撃術式が正邪の咥えていた葉巻に弾着した。
 歩きタバコするな。

「どわぁ!!」
「うひゃぁ!!」

 損害を確認するや否や女苑を抱えて正邪が跳ねる。
 道に穿たれた弾痕から攻撃が飛んできた方向を把握したのか、建物を遮蔽物にして身を隠していた。
 とっさの割にはいい動きだった。さすがレジスタンス。

 どこに持っていたのか、正邪は物陰から鏡を晒して先ほど私が狙撃していたポイントの方を覗いていたが、そこにはデコイの人型実体を潜ませているだけだった。
 その人型実体とは私の質問にまともに答えなかったアホ医者の息子であり、猿轡をされて民家の屋根の上に放置されているかわいそうな少年なのであった。

 民家から飛び降りた私は着地と同時に猫形態へ変身。
 四足歩行のバネを活かして通りの家と家の間をすり抜け反対側へ回る。
 正邪の後ろを取るべく加速していくも、そこには民家の外壁にガムテープで固定された棒付きの鏡があるだけであった。

 慌てて適当な路地に飛び込むと同時に、先ほどまで私がいた民家の屋根の方から発光が確認される。
 こっそりと顔を出してそちらを確認してみると、そこには正邪と女苑がいたいけな男の子の猿轡を解いている所だった。

 どうやらお互いに囮に引っかかったらしかった。

「いい勝負だったね」
「いやお前、私らと互角でいいのかよ」
「圧倒してちょうだいよ八雲でしょあんた」

 いきなりなにすんだと憤る正邪ではあったものの、姫の危機の前ではそれもすぐに収めざるを得まい。
 気にせず成果報告を促すも、2人とも特段の情報は得られなかったようだ。

「んー、ダメかー。誰かしら当たる可能性もあったんだけどねー」
「そんでもだいぶ絞れたけどな。あとはどんな可能性が残ってるかだ」
「仮死状態なんじゃないの? しおしおのレーズンだっけ?」

 女苑の言う通りその可能性もあった。
 その場合は小銭でも探すように地面に這いつくばって探すか、どこかの子供が新しい宝物を見つけていないか聞いて回る必要が出てくるだろう。
 捜索範囲が、一気に広がる。
 そうなったら3人では到底不可能だ。

 私の頭に『増援』という2文字が浮かぶ。
 今からでも呼べそうな人を頭の中でピックアップしていくが、そいつらに協力を取り付ける手段が乏しすぎた。
 有用で秘密を守れる奴は、それだけで貴重で度し難いものなのだ。
 最悪またあの害虫に人を寄越してもらうことも考えるが、あいつはマジで金がかかるのでそれは最後の手段に取っておきたい。

「……人間に憑りついてさえいなければ時間をオーバーしても問題はないよ。拾保の職員だっていつまでも手をこまねいているわけじゃない」
「なら憑りついているって前提で動いていいんだな」
「うん」

 医者、祈祷師、神。
 ここで見つかる可能性も十分あったのだが、本当に、ここで見つかってほしかったのだが、残念ながら他の可能性を探らなくてはならないようだった。
 他に何があり得る。
 医者にも行けないような貧困層とか。

「橙よぉ。ちょっとエリア絞ってみないか」
「エリア?」
「聞いた感じその腫瘍って移動能力大したことないんだろ? 別に特定の条件の人間にしか憑りつかないってわけじゃないなら単純に山に近いエリアの方が確率高ぇーんじゃねぇの?」
「あ、そうか」

 山に近い側ということは、妖怪歓迎系の商業地域とそれ関係で利益を上げている裕福層の居宅があるエリアだ。
 昔からいる地主とかは里の中央辺りに住んでいることが多いのだが、それら里の実権を握る重鎮たちよりももっと革新的な、商人気質な者たちがそこらに住んでいたはずだ。
 悪く言えば成金だが、それはともかく。

「栄えている所の裏には貧しき所もあるもんだ。商店街の裏手にゃあストリートチルドレンが目白押しだろぉ? そいつらなら医者とか行かなそうじゃねぇの」
「なるほど、さすが正邪さえてるね」
「だろぉ?」

 そういうところなら神様の宿る祠とかもないだろうし、そこにターゲットがいたのなら女苑の情報収集に収穫がなかったことも頷ける。
 私そんなところ行きたくないなと女苑が呟くが、姉の命が惜しくば我慢して付き合うのだ。

「いや女苑はあの辺の成金どもにコネとかねぇかぁ? あんならそっちで情報収集できねぇかなって」
「えーっと、イケるイケる。このあいだカモにした奴の弟がその辺に住んでんのよ」
「頼もしいなお前ら」

 そんなわけで捜索再開。私と正邪が商業地域の裏通りあたりの浮浪者を手あたり次第調査し、女苑が成金どもと、可能ならそのお抱え医師などが居たらそちらも当たってみる。
 まあお抱え医師とかはいる方が少ないだろうし、そちらは望み薄だが。

 小銭があったほうがいいという正邪のアドバイスに従い適当な店でお札を崩し、八雲とレジスタンスで路地裏へと繰り出した。
 バタバタと往来を行き来する人間どもを尻目にすでに閉店していたなんかの店の脇を通り抜けると、そこに広がっていたのは生ごみと排せつ物のにおいが立ち込める不快な空間だった。まあ私もここ数日シャワー浴びてないが、ここのにおいはそういうレベルではなかった。
 人がやっとすれ違えるような狭い道に転がる無数のゴミ、凹凸がちらほら目に付く地面、そこに溜まっている汚らしい液体。嫌になるね。
 そんな生活水準が地べたを這っているような劣悪な道路は、所により誰かにとっての食堂であり、休憩スペースであり、そして家であるようだった。
 私も妖怪なので里を空から眺めることもあるのだが、目立つところばかり見ていてこういうところはあまり意識してこなかったと思う。確かにあまり直視したくもない場所だが、こういったところにだって近づく機会がないわけではないことが今回証明された。そういう意味では私も反省しなければならないかもしれない。
 脅して無理やり連れまわしておいてなんだけど。正邪がいてくれてよかった。本当に。

「ねぇ正邪。ずいぶんズンズン進んでるけど目的地でもあるの?」
「あー、まあ長老みたいなやつがいるんだよ」
「情報通的な?」
「そうそうそんなやつ」

 ちらほら見かける浮浪者共を素通りし、正邪は人なりゴミなりを器用によけながら迷いなく進んでいく。
 私も私で索敵妖術をかけ続けながら後を付いていくが、長老なる人物の住まいに着くまでの間に自立腫瘍を発見することはできなかった。
 ただ仮に、ここに感染者いたとしたら私の独力では発見できなかっただろうなとは、はっきり意識していた。

「橙、小銭くれるか?」
「あいよ」
「ついでにタバコも」
「ほらよ」

 件の長老とやらは長い白髪とあごひげを蓄えた悪臭を放つ老人であった。たしかにこれは長老っぽい。
 トタンと藁と木の板で作られたバラック小屋で寝そべっていた長老は正邪が手の中で鳴らしたチャリンという音に反応すると、シラミをぼりぼりと掻き出しながらむくりと起き上がった。
 小銭を手渡しながら近況について尋ねる正邪であるが、同時に遠くの方から響いてくる爆発音も気になった。
 長老の相手は正邪にまかせて小屋から出る。そのままふわりと空へと飛びあがってみると、夜空に新しい星座でも作るかのようにきらきらとした光点が瞬いているのが見えた。明らかに妖力による弾幕であった。
 近いな、里のすぐ外あたりだ。

「……ミスティアかな」

 夜空のキャンパスに描かれている弾幕の形にはなんとなく見覚えがあった。永夜異変の時に使ったやつを流用しているように見える。確証はないが、包囲を頼んだ相手があの害虫であることを考慮すれば妥当な予測に思えた。
 さすがにここから姿までは確認できないが、お相手はおそらく博麗霊夢だろう。妖怪が相手なら普通に話して入らないでもらえばいいし、話が通じない奴なら数人がかりで薙ぎ払えばいい。そして数がいても勝てそうもない天狗級妖怪なら通しちゃっていいと言ってあるのだ。そのどれでもなく、異変でもないのにわざわざスペルカードルールで対応をしなければならない相手となれば、十中八九あの巫女だ。
 まあ、ミスティアだって馬鹿じゃないんだし、放っておいても大丈夫だろう。

「ちぇーん! 話終わったぞー!」
「あいよー」

 とんだ貧乏くじを引いた夜雀がいる方向にエールを込めた念を送りつつ、私は正邪の側へと着地した。
 その口に咥えているタバコがさっき渡した私の奴であることとバラック小屋の中から同じ香りの煙が漂っていることから、どうやらここではタバコが通貨のように使えるのであろうことが予想できた。映画みたいだった。

「箱ごと渡しちゃったよタバコ」
「いいよ。収穫は?」

 代わりとばかりに差し出された正邪の葉巻を1本もらい、術を使って火をつける。うーん、苦い。これ好きじゃない。

「ここら一帯で腫瘍だとかレーズンだとかの目撃情報はなかった」
「ふぅん。それってどれくらいの信ぴょう性で『本当に無い』?」
「天狗の新聞」
「あまりにも低すぎる」
「無いって情報だからなぁ。無いことを証明するのは難しいさ」
「まあそれもそうか」

 もし目撃情報があったらそれで決まっていたのだ。だが知らないというならしょうがない。他にも情報屋みたいなのがいるなら当たってみたいけども。

「次行ってみるか。心当たりがあと2人いる」
「できたらエリアをぐるっと一周したいね。直接見かけるかも」
「わかった。大回りで行こう」

 吸いきったタバコを地面でもみ消し、正邪がまた狭い路地を縫うように歩き出す。私もそれに続くが、まだ葉巻を吸い終わってなかったので咥えたまま歩くことになった。歩きタバコだった。というかマフィアみたいだった。

 さて、事態に進展があったのは長老の住まいから歩き始めて5分。かつてはここの表通りで3つも店を経営していたのに没落したという元事業家のところへ向かっていた時のことだった。この路地裏で屈辱に身を晒しながらも再起を狙っているとかで、しかも顔がミスタービーンにそっくりだという。
 そのビーン似の元事業家が情報収集という点でかなり積極的に活動しているとか新事業の立ち上げに正邪が一枚噛んでるとかそういう話を聞いていたところに、パァンという破裂音が2回連続で辺りに響き渡った。
 反射的に空を見上げれば、ここから少し西の方で光の残滓が花火のようにきらめいている。

「女苑からの合図だ」
「マジで? 見っけたかぁ?」

 大急ぎで空に飛びあがり、正邪と2人で音のした方へとすっ飛んでいく。正直ビーン似の元事業家も気になったが、こっちが先だ。
 ほどなくして発見した女苑がこちらに手を振ってくる。口元の浮かんでいる笑みを見た感じ、成果は期待できそうだ。

「黒猫さん! いたわよ!」
「女苑ナイス!」
「さっすが疫病神だぁ!」
「ドンピシャよ! 前にカモったやつの弟の愛人の叔母の一人娘が一昨日から姿を見せないって話があってね、その子の父親のスキャンダル握ってた雑誌記者をたぶらかしてそのネタで脅してその子の父親の家に会いに行ったら聞いてた通りの腫瘍よ」
「お前すげーな!」
「私らが浮浪者と戯れてる間によくぞよぉ」

 さらっと尋常じゃないほどの仕事の早さを見せつけてくれた疫病神に惜しみない拍手が贈られる。どうやら腫瘍に憑りつかれた子は一族の恥みたいな扱いになっていたらしく、医者にも見せず神頼みもせず、離れに幽閉されていたらしかった。
 よくこの深夜にそこまで人を辿れたな本当に。私じゃ絶対にできなかっただろう。

「例の百鬼夜行のせいでなんかみんなこの時間まで起きてたわ。なんかもう里自体が臨戦態勢っぽかったわ」
「そんな副次効果があったか」
「猶予なさそうだったし、早く行きましょ。目が血走ってたわよあの子」
「あ、それヤバいかも」

 かなり症状も進行してるように思える。急いだほうがよさそうだ。

「じゃあ早速だけど案内お願い」
「オッケー。神様に任せなさい」
「……あれ?」

 パチリとウィンクを決めてくる神についていこうとした矢先、背後で殺気を伴った妖力が膨れ上がるのを感じた。
 私と正邪がとっさに振り向くと、上空から妖力の弾丸がこちらに向かって飛んできているのが目に映った。しかもこのコース、女苑に当たる!

「危ないッ!」
「女苑!!」
「……え?」

 とっさに女苑の手をつかみ、自分の方に引き寄せる。
 しかし、どうも反対側で正邪が同じことをしようとしていたようで、結果的に両サイドから思い切り引っ張りあうことになってしまった。
 妖怪の腕力で大岡裁きを喰らった女苑が「ミ゜ッ」っという断末魔をあげ、遅れて事態を把握した私と正邪はお互い照れ隠しのように頭を掻いた。てへ。そしてそこに雪崩れ込んできた無数の弾幕が女苑に直撃するものだから、かの疫病神は地べたを転がりプスプスと全身から煙を上げる羽目になった。
 やべぇやっちまった。

「ごめん女苑大丈夫?」
「すまねぇ。思いっきり引っ張っちまった」
「痛いよう痛いよう。……ナンデ? 脱臼ナンデ? 肩ナンデ?」

 地面にうずくまりながら神は涙していた。
 よかった大丈夫そうだ。

「だ、大丈夫よ……。子羊ども……、大丈夫、わかってる……。助けようと、してくれたんだもんね……ありがとうね……肩痛い……ああああイタイイタイイタイ……」
「ちょっと待ってろ肩はめてやる」

 聖母の如き慈悲を見せる女神の肩を治そうとする天邪鬼という神話の1ページみたいな光景はともかく、私は改めて弾幕が飛んできた方向を睨みつけた。
 里内で発砲とはいい度胸だ。しかも活動中の八雲とその協力者を狙うとは万死に値する。

 そう思ったところにすっ飛んできたのは先ほど里の外で奮闘していたと思われる夜雀であり、そいつが羽交い絞めにしている巫女が暴れるものだから完全に飛行のコントロールを失っているようであった。
 地面にぶつかる直前に巫女をかばって自らをクッションにしたのはいいとしても、お前、博麗にケガでもさせたらさすがに庇いきれないぞ。

「リリカァ―――ッ!! 状況よこせ!!」
「撃ち落とした弾が10発くらい、家屋に5発直撃、通行人に何発か直撃、目撃者が2人」
「ファ――ック!! リリカ! 4人呼んで来い! 目撃者を隠滅しろ!!」
「全員呼んだって無理だよミスティア。相手が悪い」

 ミスティアが上空に向かって叫び声をあげる。つられてそちらを見てみれば、頭を抱える騒霊の姿がそこにあった。
 どうもツーマンセルで博麗に当たっていたらしかった。

「離しなさいよあんた!!! 何企んでんのよ!!」
「お前が里を壊さないようにしてんだよ!!」
「うるさい邪魔すんじゃないわよ!!」
「ここで撃つな馬鹿野郎!!」

「おいこら」

 あ? と、今気が付いたかのようにミスティアがこちらを見る。そして私と目が合うと同時にみるみると顔が青ざめていくのは大変楽しかった。
 うーん、どうしようこれ。とりあえず博麗は無事だからよさそうだけど、今この里に侵入されるのはまずいんだよね。こっちも時間ないし。

「よ、よぉ。なんだか急いでるんだって? ここは私に任せて先に行きなよ」
「……頼むね。今引っ掻き回されるとシャレにならない事態になるから」
「お、おう」

 ぎゃんぎゃんと絶え間なく喚き続ける博麗が勝手に紫様の関与を断定しているが、正直構っている余裕はない。

「あいつがいるってことは紫も絡んでるんでしょ!! 何する気なのよ! 白状なさい!!」
「八雲がやろうとしてることをなんでお前が邪魔するんだよ!!」

 正論だった。

「ミスティア。戯れんのもいいけどその状態を里の人に見られるのもマズいからね」
「ああ。何とかする」
「なによ! とっとと離しなさい!!」

 夜雀が羽交い絞めにしていた博麗ごと立ち上がる。
 そしてほこりでも払うように翼を羽ばたかせながら、博麗の身体を自分の方へと向けさせた。

「いいか博麗。今夜は異変でもなければお前が関わるような事件でもない。私が知らされてるのは八雲に伝わる秘宝が盗まれたってことだけだ。見ての通り八雲の方が対応中だからお前は里の中に入らないでくれ。できることなら見張りの方を協力してもらえると助かる」
「あー? それが本当だってどう信じんのよ!」
「あ痛ぁ!」

 目を合わせながら真剣な表情でそれっぽい事情を捏造するミスティアに博麗式の頭突きが叩き込まれる。
 まあでも、あの調子なら最低限博麗を負傷させるような事態だけは回避してくれるだろう。それだけはダメだってことはミスティアも理解していそうだ。ただ遺憾ながら、博麗の巫女に説得や交渉は通じないんだなこれが。耳を貸すな、ただ倒せ。そういう風に育てられたのだよそいつは。

「なあ、博麗に精神干渉系は使っていいんだっけ?」
「……後遺症残したら殺すぞ」
「ああ、うん。了解」

 まあいいや。ここはあいつに任せて先に行こう。
 ていうか女苑大丈夫?





 我々は依然として事を急ぐ必要があったものの、数メートル歩く度に女苑が肩を押さえてふらつくため、その都度「神様! 私たちを導いて!」「女苑、あんただけが頼りなんだぁ!」と背後からエールを送る必要があった。

「うおおおおお!」

 普段神として活動する際に疫病神であることを隠す必要に駆られている女苑である。今日のように疫病神であることを知られた状態でなお誰かに頼られることは稀だろう。そのためか、我ら無垢な乙女たちの祈りが彼女の力となり、肩の脱臼と全身被弾の痛みを堪える原動力になり得たようだった。
 頑張れ女苑、負けるな女苑。里の未来はお前の肩にかかっている。

「着いたわよ!」
「やったあ!」
「さすが女苑だぁ!」
「私に続きなさい人の子たちよ!」
「オッケー!」
「どこまでもついて行くぜぇ!」

 ついて行くのはおおよそ人の子とはかけ離れた存在であったが、痛みのあまりアドレナリンがドハドバであろう女苑にとっては些細なことなのかもしれない。
 そんな頼れる神が先陣を切って入っていったのは、ここふもとの里の富裕層が住む区画の端の方のお屋敷であった。
 サイズ感だけなら八雲のお屋敷と比肩しうるほど立派な造りだし、まだ新築のにおいが残っていることからしても比較的最近建てられたもののように思えた。もともといた人が立て直したのか商業地区で一山当てた人が金持ちの仲間入りをしたのかまではわからなかったが。

「依神さん。その子らがさっき言ってた『あて』かい? 医者には見えないが……」
「医者とは言ってないわよ。大丈夫、娘さんは助かるわ」

 感染者が幽閉されているという離れに勝手に侵入した私たちを待っていたのは、このお屋敷の世帯主と思しき眼鏡の男性であった。服装こそは確かに女苑の好きそうな高級品だったが、声も身体も震えているように思えた。
 人間の年齢を予想するのは難しいが、恐らく40代半ばくらいだろう。女苑はまだしも明らかに妖怪な私を見ても取り乱す様子もないのは、単に余裕がないからだと思えた。

「ねぇ、早速なんだけど患者を診せてくれないかな。手遅れにならないうちにさ」
「あ、ああ、頼むぞ。こっちだ」

 男性に、女苑の口ぶりからすると感染者の父親に促され、普通の民家ぐらいの大きさがある離れの奥に進んでみると、そこには年端もいかない少女が苦しそうに呻きながら床に臥せていた。そういえばこの子の母親は居ないのかとも思ったが、女苑が言うには就寝中のはずだという。まあ、夜中にいきなり訪れて弱みをちらつかせて押し入っているのはこっちなのだ。大ごとにはしたくないし、寝かせておいてやろう。
 さて、掛け布団をはぎ取り寝間着をはだけてみれば、その瑞々しい体に似つかわしくないグロテスクな腫瘍が腹部に憑りついている。これこそまさに、私がここ数日探し回っていた目的物に相違なかった。
 感染し、繁殖し、増幅する魔導生物。拾得物保管センターから逃げ出した最後のひとつ。
 かけてあったランタンの明かりを頼りによく観察してみれば、腫瘍と肉体の融合がかなり進行していることがわかる。眼球や四肢の末端など、細い血管のあるあたりに負荷でもかかったようで、肌のむくみや軽い出血も見られた。
 手遅れだ。
 かわいそうだが、この子の命は今日までだ。
 天人よ。比那名居天子よ。お前のせいでこの子は死ぬぞ。たかが人間の命だなんて言わせねーぞクソが。

「橙。どうなのよ」
「うん、間違いないね。探してた腫瘍だよ。お手柄だよ女苑」
「よかった。早く処置しましょ。肩の痛みも増してきてるわ。気を抜くと崩れ落ちそうよ」
「うん、悪いけどこの場で処理はできないんだ。里の外で待機している拾保のスタッフに引き渡す」
「え? そうなの?」

 わざとらしく驚いて見せる女苑に、隣にいたこの子の父親の表情に焦りが浮かぶ。さて、私の経験上こういう時に変な期待を持たせると後々余計に厄介なことになることが多い。助からないことは助からないかもしれないと思っているうちに伝えたほうがあきらめがつくものなのだ。
 境遇には同情を禁じ得ないがどうすることもできなかった。私にできることは、被害の拡大を未然に防ぐことだけだ。

「症状が進行しすぎてる。残念だけどもう助からないよ」
「そんな! なんとかならないの!?」
「無理だよ女苑。被害者を増やさないことだけを考えるんだ」
「ちょ! ちょっと待ってくれ! 話が違う!」

 予想通り父親が割って入ってくるが、残念ながら期待には応えられそうにない。

「何とか、何とか治してくれ……、あんたら、秘薬とかそういうのあるんだろう! 支払えるものならなんだって」
「ゴメンね、無理なんだ」

 私はここで、全身から妖力を開放する。この身からほとばしる妖怪のエネルギーが、炎のように揺らめきながら感染者の父親を貫いた。
 妖怪。殺戮者の気配に当てられ父親は1歩後ずさる。ただ、下がったのは1歩だけだった。女苑はおろか妖怪である正邪ですらも距離を取りたがるような力の本流の中、彼の眼には未だ苦しげに呻く娘の姿が映っていた。医者にも見せないで放置していたくせに、それでも情は残っているようだった。

「君の娘は助けられない。私にも、誰にもだ。だけど君は明日も生きる。明後日も、明々後日もだ。重要なのはそこだよ」
「そんな」
「だれが悪いわけじゃない。ただ本当に不運だっただけだ。運悪く、この子は悪質な妖怪にどうしようもなく『ぶち当たった』」
「……どうして」
「理由なんてないよ」
「……」
「私に人間の心の機微はわからない。気に障る言い回しがあったら謝るよ。ただ言いたいのは、君もこの子も何も悪くない。ただ不運だった。そして私はあえて君まで傷つけたくはないけど、それ以上に時間がないってことだ」

 だからそこをどいてくれ。

「強行突破する。道を確保してくれ」
「あ? 私かぁ?」
「頼む」
「あいよ」

 念のため正邪の名前は出さずに指示だけ出した。軽く返事をしてくれた正邪が離れの出口に向かっていくのを尻目に、私は感染者を掛け布団に包んで担ぎ上げた。仮にも人間を担いでいるとは思えないほど軽かった。
 打ちひしがれている父親に女苑が寄り添い、身体を密着させながら慰めの言葉を口にし始める。娘の命をあきらめるに値する正当な理由が次から次へと出てくる女苑に疫病神としての質の高さを感じながら、私は離れを後にしようとした。

「だ、誰よあなた! その子に何をしているの!!」

 正邪が離れの戸を開けようとした丁度そのタイミングで、外から戸が開かれた。
 離れの明かりに気付いたのか、感染者の母親と思しき女性がヒステリックに叫び声をあげる。母親の勘か、女性は私の担いでいる物が何なのかすぐにわかったようだった。
 しかし。

「誰かー! 誰か来てー!!」
「来られても困るんだよなぁ」

 掌底一閃、正邪の手のひらが夫人の顎を正確に捉え、一瞬にしてその意識を刈った。十分に加減はされていたようで、ぱっと見問題はなさそうだ。少なくとも首はもげていない。

「……お前、起きて来たのか」
「念のため医者に見せたほうがいいぞぉ」

 感染者の父親が気絶した妻に駆け寄るが、構っている暇はないのだ。
 騒ぎを聞きつけた使用人たちが集まってくる気配もあるし、急いで撤収しよう。

「とう、さま……かぁさ、ま……」
「……」

 背中から聞こえてくる娘の最期の声を、彼らに聞かせてやることはできそうになかった。





 地を蹴り、空へと飛びあがる。
 幸いというかなんというか先ほどの屋敷は里の端の方に位置していたため、里外まで飛んでいくことは容易かった。
 害虫が雇ったと思しき妖怪が列をなしているのを飛び越し、遠くから聞こえてくるミスティアの歌声とリリカの演奏を聞き流し、安全な距離まで遠ざかってから指笛を一発。ピュイーという甲高い音に呼応して、里の周りで突入命令を待っていた黒装束の集団が集まってきた。
 拾得物保管センターの実働部隊。天狗級妖怪のみで構成されたエリート中のエリートたちだ。
 ついて来ていた正邪たちが着地するのを待たず、私は背負っていた感染者を地面に下ろす。身体が地面に触れないよう掛け布団の位置を調整し、感染者の腹部を露出させてみせた。彼女にはまだかろうじて息があるものの、先ほど見たときよりも侵食が進んでいるように見えた。

「確認させていただきます」
「うん」

 拾保の人たちはそれだけ言い、簡易的な計測器のようなもので腫瘍を検査していく。仕上げに刃物で削り取った腫瘍を試験管に入れて薬品で溶かし、色の変色具合を標本と見比べる。どうやら想定通りの反応だったようで、色を見比べていた部隊員からOKサインが出た。

 拾保の部隊員たちが直立不動の姿勢で行った正式な形の敬礼にこちらも返礼し、事態の引継ぎ完了。これでめでたく『逃走した腫瘍は一時的に消息不明となったものの、妖怪の山ふもとの人里付近で感染者を発見、確保に成功』となる。
 ああ、よし。よかった。やっと終わった。

「橙。仕事は終わりか?」
「報酬頼むわよ黒猫さん」
「……うん。任せといて」

 いつの間にか側にいた頼れる協力者たちに答えながら、私は肩の荷が下りた充足感を味わっていた。
 この瞬間はいつだって気分がよかった。
 できることなら仮死状態で見つけたかったけれど、それはいくら何でも高望みが過ぎる。今日も幻想郷は無事だったのだ。だから、それだけでいいのだ。

「ありがとうね2人とも。本気で助かったよ」
「いいってことよ。姫のこと頼むな。あー。とりあえず飲みなおすかなぁ」
「私病院行きたいわ。肩がもう感覚なくなってきたわ」
「うわ、よく見たら顔色やばいね女苑」
「あーそっか、医者行くなら付き合うぞぉ。半分私のせいだし」
「平気よ。あんたたちの信仰心が奇跡をもたらしてくれるから」
「じゃあ急いで医者行かないとなぁ。悪化する一方だぞぉ」
「どういう意味よあんた」

 そうだった女苑負傷してるんだった。
 肩のこともさることながら何発か弾幕をまともに浴びていたのだ。女苑だって決して強い部類じゃない。というか弱い。底辺と言っても過言ではない。そんなのが妖怪の弾幕を喰らったのだ。焦げ臭さこそなくなっていたが、かなり無理しているに違いなかった。医者に行く途中で倒れでもしたら大変だ。

「そういうことなら私もいっしょに行くよ女苑。もう半分は私のせいだし」
「いや、お前はいい」
「ええ、黒猫さんは来なくていいわ」

 なんでさ。と仲間外れにされた私は面白くなくって理由を聞くと、2人は顔を見合わせてからとんでもないことを言ってきやがった。
 だってなぁ、だってねぇ、などと口をそろえて。

「「お前はシャワー浴びてこい」」
「……」

 などと言うのだ。
 私、臭くないもん。





 奴との交渉は思い出すだけで業腹だ。
 通信機越しの害虫の声が、明らかに私の足元を見ていた。

『ふもとの里を4日間封鎖したい?』
「200万円出す。お金以外を払う気はないから」
『24時間?』
「24時間」
『……僕が雇えるのは雑魚キャラだけで、違法なことはしないよ』
「こっちは急いでるんだ。できるのかどうか早く答えろ」
『何の出入りを防ぎたいの? 天狗とかは無理だよ』
「雑魚キャラで防げる範囲でいい。天狗級妖怪以上は免責でいいけど人間は絶対に出入りさせるな」
『ふぅん。……200万じゃ無理だね』
「時間が惜しいって言ってんじゃん。くだらない交渉に付き合ってる暇はないんだよ。それくらい汲んでくれる頭はあると思ってたけど」
『馬鹿はお前だ。いいか? 里を丸ごと囲うには50人は必要だ。それを3交代制で行えば150人を4日間拘束することになる』
「……そんなにいらねぇよ」
『里の円周から人数くらい割り出せるだろ。絶対出入りさせないって条件なら必要不可欠だ”妖怪がうろついてる”程度の認識じゃなくて”妖怪に囲まれている”と内部の人間が理解するには任意の視界から常に複数人が確認できる必要がある』
「……ていうかまずそんなに集められるの?」
『鳥獣伎楽のファンクラブとプリズムリバー管弦楽団とその後援会と3丁目主婦の会と怒羅御音栖とバターパックスと草の根妖怪ネットワークと天空大空倶楽部に声かけて金欠の奴らを呼べばまず80人くらいはパッと集まる』
「なんだそのチーマーと町内会混ぜたようなのは」
『雑魚キャラとはすなわち善良なる地域住民のことだよ。そいつらにさらに人を呼んでもらえば150は現実的な数字だ』
「……できそうなのが逆に腹立たしい」
『そいつらを日当いくらで……、いや逆に聞こう”末端の労働者にいくら行き渡らせたい?” 僕は中抜きとか中間搾取って言葉が嫌いだ。負け犬のすることだ。お前はどうだ。下々の民を買い叩くことを是とするか?』
「……予算にも限界はある。日当5千円だ。4日で2万」
『わかった。2万円行き渡らせるには額面で2万4千円必要だ。150人分で360万円用意しろ』
「手取りで2万かよ!!」
『お前らが決めた税率と社会保険料だ。異論があるなら上司に言え』
「別に八雲だけで決めてるわけじゃないよ! ハンコはたぶん押すけど!」
『そしてそれは末端の連中の給料だ。それ以外に中間管理ができるやつが6人は必要になる』
「お前が全部やれよ!」
『150人規模を中間管理なしなんてできるわけないだろ。僕だって休むし寝るし。ちょっとしたことなら自力で対応できる常識と頭のあるやつが必要だ。そいつらは5千円じゃ雇えない』
「……いくらだよ」
『1人1日3万円だ。4日で12万円。額面で言うなら……』
「額面で12万でも高いよ!」
『ミスティアレベルの奴が小遣い銭で動くものか。リリカ、歌舞伎塚、一輪、三宮、瓔花。対博麗戦の心得がある奴を雇うには必要な条件だ』
「瓔花って誰だよ!」
『今度紹介してやるよ。博麗との交戦経験もあるしある程度のリーダーシップもとれる奴だ。こいつらなら万が一博麗の巫女が現れても絶対に傷付けずに撃退できるし、狛犬からの密告にも即応できる』
「……400万以上出せってのか」
『オーダーの内容に前例がないからだよ。ノウハウのない中で確実な成果を期待するなら冗長性の確保は必要なことだ。鴉あたりが飛んできても適当にあしらって追い払うオプションも付けるし、金銭以外の一切を要求しない。それに”封鎖された里の中でお前が何をするのかなんてみじんも興味を抱かない”』
「……それでも君ならもう少し安くできるでしょ?」
『その前に僕の取り分を忘れるな。人を集めて暴走させずに責任者としてすべての業務を全うするんだ。タダでやるものか』
「20万くらいなら」
『100万円もらおう』
「ふざけんなお前!!!!」
『じゃあ他の奴に頼め』

 言われるや否やバツッという音とともに通信が切断される。
 そして私はたっぷり40秒ほど思案というか留飲を下げるのに時間を費やし、再び通信機を起動させた。
 500万円に負けてもらった。
 だから貴様は害虫なのだ。





 交渉成立から6時間足らずで包囲網を完成させた手腕に関してのみ言うならば、本当にそこにだけピンポイントに言及するならば見事な働きだったと言えるだろう。
 明らかに私が自分でやるより早かった。
 それは認めなければならない。
 害虫、リグル・ナイトバグ。
 弱小階級の最底辺。
 底辺の両端は頂点。
 邪険に扱うにはメリットが大きすぎる。

「……よーし」

 術式展開。
 距離よし。
 高さよし。
 風よし。
 遮蔽物なし。
 コースに影響する瘴気の偏りなし。

 フォイア。

 屋根の上に設置しておいた封入術式を遠隔で起動、2発の弾丸を射出させた。
 対する正邪もこれを予期していたようで、吸っていた葉巻がはじけ飛ぶと同時に射撃地点へと飛びかかった。その急激な加速はターゲットである私の虚を見事に突いたが、残念ながら私はそこには居ないのだ。
 昔藍様からいただいたクナイ投げ練習用ダミー人形の小太郎君と正邪が運命的な出会いを果たした瞬間を狙い、私は物陰から飛び出した。
 驚く女苑の手を取り、私は打ち上げ会場である居酒屋へと入店する。店員に予約していた八雲ですと伝え、速やかに奥の窓際4人席へと案内してもらい、奴が入ってくる前に酒の注文を済ませたのであった。ビールをピッチャーで。

「おう橙! こいつはどこの男だぁ! しかもお前女苑の隣を取りやがったなぁ!?」
「きはははは、そいつは昔の男だよ。立たなくなったから捨ててやったのさ」
「なんて奴だ。こんなに穴だらけにされるまで付き合ってくれた彼を!」

 ダミー人形を抱えて入店してきた正邪が私の正面に腰かける。そして隣に座らせた人形の角度を調整しながらメニュー表を受け取った。

「避けるのが下手なんだよそいつは、棒立ちもいいところだ」
「どうせ吊るし上げて動けなくしたんだろぉ?」
「文句ひとつ言わなかったね」
「まだ素面よねあんたら。妖怪さんのジョークよくわかんないわ私」

 さて、例の腫瘍を拾保に引き渡した翌日、ちゃんとシャワーを浴びてきた私はちょっとした打ち上げとしてここ鯢呑亭へと足を運んでいた。
 初めて入る店だったが、正邪が言うには煮物がうまいとのことだったので結構期待していた。昨日こいつらと待ち合わせた店とどっちがうまいのか気になるところである。
 隣のテーブルに届けられていた筑前煮からはかなり上質な香りが漂ってくるけど、昨日の店も昨日の店で幻想郷有数の煮物出すからなぁ。店は洋風なのに。

 さて、女苑と一緒にメニューを眺めながら枝豆と筑前煮いってみようかなぁなどと考えていたところ、対面に座る正邪の口から本件最後の一撃の開幕が宣言された。

「橙!!!」
「なんだようるせーぞ私まだ決まってないよ」
「例の奴の最後の症状は『血の涙を流しながらふらつく』だったな!!」
「え? そうだけど」

 すっ転ぶように立ち上がった正邪がテーブルに飛び乗り、私と女苑の間を飛び越えてためらうことなく窓へと突進した。
 その行動に反応して私も脳のスイッチが入る。
 背後を確認もせず正邪に続いて店の外へと飛び出す。跳躍の最中に見えたのは目から赤い液体を垂れ流して道の真ん中を歩く男性と、その肩に憑りついた人の顔ほどもある大きな腫瘍と、それを遠巻きに見守る何人かの見物人と、上着を脱ぎながら男性へと迫る正邪の姿であった。
 地面に片足が着地すると同時に正邪の意図を把握した私は、2歩目を踏み込むとともに結界術式用の道具を取り出して詠唱を開始する。
 男性が動きを止め、天を仰いで大きくのけぞる。そしてその皮膚の下で何かが蠢くようにボコボコと蠕動し、ついに肉の殻を突き破って花火のごとく破裂するに至った。

 幾十幾百もの腫瘍が、人里に解き放たれた。

 だがそれよりも、ほんの1瞬だけ正邪の方が早かった。
 正邪が走りながら投げつけた上着は狙いたがわず男性の頭部に直撃しており、正邪本人が続けて覆いかぶさったことも加わり斜め上方向への、最も被害が拡大する方向への拡散がその勢いの大部分を削がれていた。
 しかし、その腫瘍はあまりにも膨大だった。
 もとの身体におおよそ入り切れるはずのない量の腫瘍が、あとからあとから絶え間なくあふれ出てくるのである。勢いこそ正邪が抑えてくれているものの、このままではやはりあふれ出すのは時間の問題だった。
 私の焦りがピークに達した刹那、男性が不意に発光したかと思ったらその体が女苑へと変身する。何事かと1瞬理解が及ばなかったが、私の脳裏に『完全憑依』という言葉がよぎる。あの状態の人物相手にそれが可能なのか。しかしこれでこの後飛び出てくるはずだった残りの腫瘍がすべて押しとどめられた。
 この腫瘍自体の移動能力は乏しい。押し出される勢いさえなくなればそうそう遠くへは飛んでいけない。
 それ故に、結界発動が間に合った。
 周囲半径20メートル。
 固体も液体も気体も霊体も通さない。私にできる最高強度の結界術が近隣の家屋ごと空間を隔離した。
 取りこぼしはゼロだ。

 私は全身から力が抜けるような錯覚に陥るが、もちろん結界術を切らすようなことはなかった。
 付近の人間どもが次々と悲鳴を連鎖させていくのも私の耳にはろくに入っては来ない。
 というか、なんで感染者がまだいるのだ。

 正邪が押しとどめてくれなかったら終わってた。
 女苑が後続を断ってくれなかったらあふれていた。
 死ぬかと思った。

「……藍様呼ばないと」

 私のつぶやきと同時に、女苑がまたもとの男性へ戻った。遅れてあふれ出てきた腫瘍に正邪が押し流されたものの、私の結界外へ漏れ出ることはなかった。
 女苑の夢の世界はまあ、きっと無事だろう。

 その後、通信機で藍様に状況を報告し、ほどなくして里内に突入してきた拾保職員たちに結界の主導権を引き継いでもらった。きっと今回はマジックアイテムの『捜索』ではなく『確保』が目的だったのですぐ突入許可が下りたのだろう。
 そっからはもう早いもので、私と正邪と女苑はその場で身体検査。往来で裸にひん剥かれてから高圧水流での除染の後に結界外へ出れたが、身に着けていたものはすべて焼却処分することとなった。
 私も自作した術具とかいくつか持ってたし、小太郎君とは永遠の別れをすることとなった。女苑はこれいくらすると思ってんだと職員に詰め寄っていた。正邪だけがマジックアイテム持ってきてなくてよかったと胸をなでおろしていた。
 私たちの私物とともに、たまたまその場に居合わせた不運な人間18名がまとめて灰になっていくのを毛布1枚羽織っただけの状態で眺めているのはことさらにシュールであった。
 また、女苑に関してはしばらく寝るなとのお達しがなされ、別動隊が女苑の夢の世界を確認している間、というか焼き尽くしている間、女神には日に幾本かのエナジードリンクとカフェイン剤がお供えされる運びとなった。女苑がまたキレていた。現金を寄越せとのことだった。





 さて数日後、そんな女苑の夢の世界の除染が完了した日、すなわち神にも安息は必要なのよと目の下に隈を作っていた女苑に安眠が訪れたのち、私は藍様に呼び出されて八雲のお屋敷にまで赴いていた。
 迷わないとたどり着けないという摩訶不思議なお屋敷。いつ来ても新品の畳のにおいと使い古した油のにおいが無限遠まで混在する異空間であるが、そのお屋敷で藍様にあてがわれている部屋の1つに通された私は上司からお褒めの言葉を賜っていたのである。

「橙、大儀であった」
「恐縮であります藍様」

 拾得物保管センターについてだが、管轄こそ大天狗であるもののその発足を提案したのも推進したのも実は藍様なのである。何かあってからでは遅いと割と強引に予算を割いたとかで、間接的ではあるもののかなり責任を取らされうる立場なのであった。
 それでも天人の襲撃については当然天人の責任であるし、その後に離散した36種のアイテムのうち35種までもを迅速に回収したことはむしろ評価されるべき事象と言える。ラスイチだった例の腫瘍についても里内での活動許可が下りなかったという言い分があるし、結局無事に回収できたので特段問題はなかった。そこまでは。

 問題だったのは最後の1体。あいつは何だったのか。ということだ。正邪が言うには憑りつかれていたのはまさに私たちが話を聞こうとしていたビーン似の元事業家その人だった、ということについては運命を感じるが、それはともかく。
 拾保の記録上あの腫瘍は4体保管されているはずで、天人襲撃後に3体しか回収できなかったことから残りは1体だと思われていた。しかし、先の件を受けて再度書類を精査したところ、実は書類に不備があり保管していた腫瘍が5体であることが発覚した。
 これが大問題であり、襲撃だとか妨害だとかとは無関係な初歩的ミスが露呈し、拾保の責任者の首が飛ぶとともに藍様の名誉に傷がつくところだったのだ。
 その辺の証拠はすでに隠滅され、私たちが先に見つけた腫瘍の方は元から拾保で回収済みだったことになり、感染者の女の子がいたあのお屋敷は家人や使用人もろとも謎の失火で消え失せる運びとなった。かわいそうすぎる。
 あの人たちが体面を気にして医者にも診せていなかったことは不幸中の幸いで、これで事態を知るものは八雲と拾保を除けば正邪と女苑だけとなった。
 とはいえこの件であの2人を口封じに消そうとかいう話になったら私は博麗をぶち殺してあらゆる施設を爆破して人里も全部燃やすことで奴らへの手向けにしてやるつもりであったため、多額の報奨金とともに箝口令を敷くという結論になったことは幸いであった。これには疫病神もにっこり。

 そして。

「なに? 天人も?」
「はい、無罪にとは申しません。死罪だけ回避できれば」
「……ふーむ」

 奴らとの約束を果たすべく、今回の発端となった拾保襲撃事件の犯人の処遇を藍様へお願いする。
 藍様自身の権限でそこまで干渉できるのかはわからなかったし、もしかしたら紫様を巻き込む形になるかもしれない。でも、これがなければ始まらないし、このまま小人と貧乏神を処そうものなら幻想郷史上最悪のテロリストが誕生する恐れもあった。

「うーむ、少名針妙丸と依神紫苑に関してはもともとそこまでの処罰は予定してなかったから問題ないが、天人がな」
「藍様、今回は通常の業務と違い伝達された情報に致命的な齟齬がございました。にもかかわらずそれすらもフォローした功績もご考慮いただければと存じます」
「うむぅ。まあな、でもな、実は紫様がな」
「……天人を処刑すべし、と?」
「いや、あのお方はあの天人に妙に甘い。適当なところで許してやれと言われていた」
「でしたら……?」
「あー、それについて、つい、『あそこまでされて許せるわけないだろ転生すらできないように私が粉みじんにしてくれる』と宣言してしまってな」
「なんてことを」
「今更撤回するのもな……」
「『頭に血が上っていた』と、どうかそうお伝えください」
「『私の言うことは聞けないのに橙の言うことは聞くのね』って絶対言われる」
「……どうか、お耐え願えませんか」
「ぐむむむ。……致し方ない。当然無罪とはいかんが、キツめの罰を与えて許すことにしよう。ああそうだ、あいつの口からあいつの親父に事態を報告でもさせて今回の賠償金をねだらせたら少しでも反省するだろう」

 割と丁寧にプライドをへし折りに行く藍様はやはり尊敬すべきドSである。まあ、幻想郷を危険にさらしたんだから怒って当たり前なんだけども。

「ところで橙。今回人里を封鎖したわけだが」
「は、はい。必要な処置でした」
「うむ。限られた条件の中、それもあの短期間でよくやった。巫女にも対応できていたし、何より新聞記者どもへの対応は完璧だった」

 記者への対応?
 鴉への?
 案の定取材が多数あったって話は聞いてるけども。

「あの里を囲う行列には表向きの理由、裏向きの理由、さらにその奥には偽りの真実が用意されていた。おかげで誰がどの程度の調査能力を持っている天狗なのかが浮き彫りになったな。前回の調査から時間も空いていたしそろそろまたやらねばと思っていたのだが、優先順位が低かったためやっていなかったんだ。手間が省けたし、それでいて正しい情報はどこにも漏れていない。良い欺瞞工作だ。大儀だった」
「た、大変恐縮です……」

 ……やりやがったなあの害虫!
 どさくさに紛れて鴉どもの格付けをしやがった!
 何が金銭以外求めないだ!
 結局博麗に里への侵入許したくせに!!
 
「そうだな。しかし金もかかっただろう」
「あ、は、はい。実はそこそこの額がかかってしまいました」
「いくらだ」
「……500万円ほど」
「わかったその分は補填しよう。なぜ副業を禁じられているお前がそんな大金を持っているかは聞かないが、個人に出させるわけにもいかん」
「ありがとうございます!」

 聞かないでくれてありがとうございます! 前に正邪に教わった投資で一発当てたんです!

「それにそうだな。これだけできるのなら今後はお前にも機密費をある程度使える権限を与えることも検討しよう」
「よろしいのですか?」
「お前はいい仕事をしたのだ。私はそれに報いなければならん」

 害虫の仕事っぷりが評価されるのは不愉快だが、それを上回る報酬!
 ならばそう、ここは約束通りの金を払い奴との関係を維持するのが得策か。
 博麗の侵入と女苑への誤射の件で値切ろうと思っていたが、たぶん、僅差で、ほんのわずかな差で、全額払った方が得っぽく感じた。
 金とは、気前よく払うものなのだ。





 今回の事故は間一髪で大ごとにならなかったけども、この手のトラブルなんて今までも起きてきたし、今後もいくらでも起こるだろう。
 私はそれを解決し、あるいは未然に防いでいかなければならない。
 そのための力で、そのための権限だ。

 私は管理者だ。
 八雲の末席だ。

 幻想郷はいつだって滅亡の危機に瀕している。
 狭すぎる領地に絶えず犇めく過剰戦力。
 そいつらが連日連夜巻き起こすトラブルの山は、我々八雲がひとつ残らず叩き潰さなければならない。
 妖怪の生存を賭けたトラブルバスター。
 連戦連勝を誇る我々であるが、どうしたって限界というものはある。
 私ひとりの力なんて藍様に比べたら無いに等しいし、いままでだって私にも対応できる些細なトラブルをちまちま解決することしかできなかった。
 しかし今回、藍様からの助力なしで里の崩壊を未然に防ぐという金星を挙げた。それは私に、私自身の成長を確かに感じさせるものであった。
 相応の評価もいただいて喜ばしい限りであるが、逆に言えば今後このレベルのトラブルは随時私に振られるということをも意味するだろう。
 別につまらない民間企業じゃないのだ。自分の分担が増えることは悪いことではない。
 私に対応可能な範囲が増えれば、それだけ他の人たちの仕事が減る。私よりはるか格上の怪物たちがより重要な案件に注力できるのだ。
 そしてそれはそのまま、幻想郷の寿命が延びることにつながる。

 我こそは管理者。
 民を生存させることこそが至上命題。
 そのためだったら神様や天邪鬼のひとりやふたりいくらでも手懐けてやる。
 おだてて頼って脅迫して、協力関係を築いていこう。
 機密費なんてあてにしてない、これこそ私の新たな力だ。

 さぁ出世してやる。
 この狭い狭い箱庭の中で。



 了
26度目ましてこんにちは。

ホルモン大好きです。
比那名居天子が幻想郷で二度としてはいけないことの公式リストに『比那名居天子は公共の施設に押し入ってはいけません』が追加されました。

それではまた。
南条
http://twitter.com/nanjo_4164
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コメント



0.100簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白くとても楽しめました
2.100名前が無い程度の能力削除
橙以上に害虫が切れ者だった……皆キャラ立ちしてて非常に面白かったです。
3.90名前が無い程度の能力削除
肩が強い
4.100上条怜祇削除
マフィアやんこれ
5.80名前が無い程度の能力削除
物語もキャラクターもロックだね
6.100名前が無い程度の能力削除
キャラが新鮮ぴちぴちで良かったです
7.100サク_ウマ削除
キレッキレのイケメンガールズで大変良いと思います。でも女苑も正邪ももっとキレさせてもええんやで。
良かったです。
8.100ヘンプ削除
橙がかっこいい!そしてお話がとても良かったです。
女苑の肩ぁ!肩ぁ!最後のどんでん返しもとても面白かったです!
9.100名前が無い程度の能力削除
文句なしでした
10.90平田削除
自分の矮小さを理解しているちぇんがカッコいい
12.100モブ削除
これは面白い。坐骨神経引きずり出すのはやめよう。お金の話を見たときに、やはり妖怪は人間から生まれたのかと感じました。ご馳走様でした。面白かったです。
13.80名前が無い程度の能力削除
個性的な世界観でしたが、気がついたら最後まで読まされていました
とてもいいエンタメ作品だったと思います
この世界観でまた別の作品も読んでみたい
14.100名前が無い程度の能力削除
とても面白かったです
なんという組み合わせ……
15.100とらねこ削除
汚い事も引き受けて幻想郷を維持する橙たちがただただすごいです。あっという間に最後まで読み進めましたが、正直この幻想郷には住みたくないな。あと私の書く幻想郷住人より知能が高い事高い事。リグルマジで害虫というより「狡虫類」といった感じ。たまにはこういう清濁併せ呑む世界観もいいですね。
16.100終身削除
橙のちょっとすれていて少し冷たい感じのやり口だったりとか交渉の方法だったりとかもダークヒーローっぽくてとてもカッコ良かったです 本捜査に協力してくれた正邪と女苑も本人達ならではの活躍の場面があって皆んなそれぞれキャラがたっていて目立っていて良いなと思いました 
17.100こしょ削除
ひどく世間ずれした妖怪たちという感じがしましてよかったです
18.100夏後冬前削除
メチャクチャ面白かったのでこの作品は何度か読み返すことで私の血肉にさせていただく
19.100名前が無い程度の能力削除
オモロ
21.100削除
橙と正邪は今後も街中で会うたびにドンパチやるんだろうか……? 正邪が指名手配のままだからそれが正しいといえば正しいのか。二人ともが納得した上でドンパチしてるなら、ただのイチャイチャと変わらないのかも知れぬ。

橙、正邪、女苑のアウトロートリオの痛快活劇、楽しく読ませていただきました。
南条さん独特のユーモアセンス、言葉選びの軽妙さ、鉄火場でなお輝く少女たちの魅力、それら全てが血の匂いが漂ってきそうなほど殺伐とした話の展開と奇妙なバランスで融合し、独特な作品の魅力として仕上がっていたと思います。
女苑、正邪それぞれの有能さも伝わってきますが、何と言っても橙の全力っぷりが光っていたと思います。地雷原同然な幻想郷の地雷案件を全力で何とかしてやるという橙のエネルギーと手抜きの無さに、とてもとても惹かれました。大変面白かったです。