Coolier - 新生・東方創想話

透明なエビ/パーフェクトコミュニケーション

2020/01/15 22:58:56
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 革命の失敗から七年。鬼人正邪は最悪だった。正月が明けてから一日も働いていない。
 煤けた窓の隙間風、薄いカーテンの挙動を追う日々。正邪は荒れた畳から窓、即ち世界を睥睨する。
 
「まぶし」

 睥睨というのも上等な表現だったかもしれない。正邪はただ睨んでいるだけで、本当のところ、なにもみてはいなかった。



   透明なエビ

 朝起きて、水を飲む。朝食の有無で同居人の働きを確かめる。テーブル上にはラップのかかった目玉焼きやらなにやらがあった。そう、正邪の今朝は同居人の不在を認めるところから始まった。ラップをはがし、冷めた朝食に感慨を浮かべるともなく摂り終えれば、また水を飲む。
「結局、年始らしいもんは食えずじまいだ」
 そうして、正邪は目覚めてそうそう面倒になる頭でこの世界における報奨についてを考え始めた。
(年始らしいもん。なんだったか。そう、おせちとかなんとか。ひとびとは要するに、おせちを食いたいがために毎日毎日汗水たらして働いている。アホだ。針妙丸にしたって同じだ。結局あれだろ? なんていったか。……そう、エビ。エビが食いたいがために、日夜労働に励むってわけだ。こんな馬鹿な話があるか? 年始だってのに、師走もばたばた年始もばたばた。仮にエビが食えたとしても、それは屈辱的な労働に報いる励ましなんかじゃない。世界の単なるお為ごかしだ、方便だ。針妙丸、あいつはアホだ。あいつは人が羨むものにしか興味を持たないから)
 はて、そうすると自分は何に興味を抱いているというのだろう。不思議になった正邪にわかるのは、二階建ての窓の外、通りを流れていく働き人や学童が滑稽で愉快ということのみだった。いい気分のまま畳に寝転ぶ。頭の後ろに腕を組んで、陽の高い冬のそよ風がひどく穏やかな朝だった。
(ああ、スズメが鳴いてら。この時間に眠れば起き抜けにゃまた、同じ声を聞くことだろうよ)
 朝起きる。飯食って寝る。それは正邪にとって日々の中、一番にすばらしく思える時間だった。働き人の陰鬱な咳嗽、学童たちの無邪気な声、スズメの鳴き声。次第に寝息を立て始める正邪をよそに、世界は朦朧と朝を再生し続けた。一寸を経てみなが各々の屋に入り込むころ、しんとする。夢うつつ、正邪は静寂を愛撫していた。
 
 しかし、正邪はずいぶん乱暴な目覚め方をする。
 カンカン、カンカンと力強く、アパートの階段を駆け上がる音がした。かと思えば、足音は今度小走りになって、狭い共用廊下を力強く踏みしめる。ふと正邪は目を覚ます。心地よい微睡みのなかに生じた嫌な予感はすぐさま現実のものとなる。玄関からけたたましく響く物音は、同居人の鍵すらさせぬ慌てた手つきを想像させた。して扉が開く。
「せーじゃ、せーじゃ! せーじゃせーじゃ! おいせーじゃ!」
 急速に剥がされていく心地よい眠気を惜しんで、正邪は舌打ちをした。
(なんだってんだ。今度の昼寝は夢すらみなかったってのに。チビのアホのせいでみんなパーだ)
 それでも、正邪は再度の入眠を試みる。されど同居人は無慈悲である。更に捲し立てる同居人の声に、正邪は自身の試みの無謀さを悟った。
「せーじゃ! カニ! カニ! カニ買ってきた! おいせーじゃ! カニ!」
「えっカニ!?」
 正邪は飛び起きる。
「あっ! カニじゃない! 間違えた!」
 正邪は再三になる入眠を試みる。「カニじゃなくてエビ! エビ買ってきた!」
「えっエビ!?」
 正邪は飛び起きた。普段ならばおよそあり得ない食材の名称にあらゆる想像、落胆の予感を巡らす。
「おい針妙丸、私の頬を張れ!」
「大丈夫だよ、夢なんかじゃないから!」
 言いながら、同居人、少名針妙丸は正邪の頬を思いきり打った。針妙丸はなんだかんだ言っても口では聞かない正邪のことをわかっていたのだ。正邪はひどく混乱する。
(エビだのなんだの。あの一瞬の間に眠ってしまって、夢でもみてるのかと思ったが。どうやらそうじゃあないらしい。とするとどーゆ-ことだ? 寝てる間になにか危ない物質でも分泌させてしまったのかもしらん)
 自身の脳に危険物質を分泌させる機能があるという点に一切の疑問を抱かないというなら、貧乏な耳には珍しいエビの存在を鵜呑んでも良いのではないだろうか。しかし正邪は真っ先に自分を信じた。ともすれば疑わしきは現実、自身の五感である。されども聞こえてしまっていては仕方がない。偽の喜びに落胆はせぬぞと、正邪は躍起になって否定材料、心の予防線を探し求めた。
「あー。……エビってあれだろ。小エビかなんかだろ。鯛でも釣りに行こうってのか? なんにせよ、小エビくらいでぎゃあぎゃあ喚くなよな」
「ば、馬鹿言うなよ! エビはエビでもこいつはすごいんだ、なんせ伊勢――」
(――えっ伊勢エビ!?)
 伊勢エビ。伊勢エビ、伊勢エビ。話には聞いたことがあった。正邪と針妙丸が議論を重ねた結果、おとぎ話の類ということで結論が出たその生き物こそが伊勢エビだった。正邪はすごいはやさで首をまわして、針妙丸に視線を向ける。勢いあまって左方のテーブルを通り越したが、体の向きを調整することにより上手いこと針妙丸のほうを向けた。
「な、ほら! すごいだろ、でっかいだろ! わたしよりでかいんだ、ここまで帰ってくるのに苦労したよ!」
「……あ?」
 眉を潜め目を細める。正邪の視覚にはたしかにエビをつかんで掲げている針妙丸が映った。正邪は判断に悩んだ。狂っているのは自身の五感か、それとも針妙丸か。問題は、針妙丸の掲げるエビに色のないことだ。エビは透明だった。
「おい針妙丸。私の脳には寝てる間に危険物質を分泌させる機能があると思うんだ」
「へ? あるわけないだろ、聞いたことないぞ」
 言いながら、針妙丸は正邪の頬を思いきり打った。夢じゃない、五感でもない。とすれば、正邪はすぐに合点がいく。
(ははーん。なるほど、なるほど。こいつはアレだな、私を騙そうってんだ。そうすると、ここで驚いたり落胆したりしちゃチビの思うつぼになる。怒るのも白けるのも無しだ。エビが見えている体で進めて、こいつがどこまで嘘をつき続けられるか試してやろう。それにしたってなんだ、なにがエビだ。冗談にしたっておもしろくない、むしろあわれになる。こいつは結局、エビを食べたいけど食べられない悔しさを裏返して、こういった奇行に走ったんだ。おおむね私が落胆の素振りをみせれば、やーい引っかかった、エビなぞあるわけなかろうが、とかなんとか言って、指突き出して笑っていたんだろうな。針妙丸、こいつはアホだ。こいつは人が羨むものにしか興味を持たないから)
 長い思案だった。正邪は丸い目で約一分ほど虚空を眺めていた。針妙丸はその間、逃げる。逃げる。などと発声しつつ、ときおりもんどり打つエビを逃がすまいと慌ただしい手ぶりに努めていた。しかしエビは透明だった。半透明など生ぬるい、あるべき臓器や胃の内容物すらも透明だったから、ともすればそれは大気で、針妙丸は大気と格闘し続けている。ようやく我に返った正邪はやっと口を開く。
「おいおい針妙丸さん。くそでけえエビですね。持って帰ってくるのはさぞ大変だったでしょう」
「まあ、わたしの半月ぶんの稼ぎで買ったエビだからな! どうしてもって言うなら、お前にも食わせてやらんこともない」
「ほんとうですか。光栄だな」
「まてまて。わたしは、どうしてもって言うなら、食べさせてやると言ったんだ。おまえ、まだ言ってないじゃないか」
 正邪はイラっとした。ないエビをでっちあげられた時点で相当のストレスだったのにも関わらず、今度はそれを食べたがれと云う。けれどここで怒ってしまうと、エビという単語に期待した事実や伴う落胆が針妙丸に露見してしまう。それだけは嫌な正邪だったので、元気よくどうしてもを発音してみせた。
「そうかどうしても食べたいのか。仕方ないな、おまえは。それじゃあ玄関から七輪を持ってくるといい。私はこいつを逃さないように持っているから。どうした、早く行け」
 仕方がない、仕方がないと内心で繰り返しながら、正邪は七輪を運ぶ。乗りかかった舟だ、とことん付き合ってやろうじゃないかと意気込みつつ、いつも以上にぶっきら棒な針妙丸の表情を憎たらしく思った。
「ほら持ってきたぞ。どうして焼くんだ、殻のままやるのか?」
「そのつもりだったんだけど。どうしよ、それとも茹でる?」
 ないエビの処遇など真実どうでもよかったが、正邪は勇んで焼くことを奨めた。加速度的に白けていく正邪の心とは裏腹に、針妙丸はよっしゃと七輪にエビを乗せる。豆炭はすでに燃焼を始めている。
「おい正邪、なにやってる。窓を開けろよな」
 針妙丸は伊勢エビほどの大気を真剣に七輪へと押し付けている。へえへえと窓を開けつつ、正邪はいよいよ馬鹿らしくなってきた。
「よし、そしたら戻ってきて、エビを押さえるのを手伝え。ほら逃げそうだから。エビが死ぬまで一緒に押さえるんだ」
 ついにきた。正邪は戦慄した。針妙丸は正邪にないエビを一緒になって押さえろと云う。しかしそんな馬鹿げた共同作業を飲めばどうなるだろうか。正邪は想像する。
(こ、これはどうなるんだ。例えば……おまえもつくづく馬鹿だよな、ほんとにエビがあるとでも思ったのか? ……こうか? いやそれとも……やーい引っかかった、わけでもないか。おまえには幻滅したよ、正邪。長引かせたわりにつまんない幕切れだったな。まるで見込みなしだ。……ああ、こんなこともあるかもしれない。しかしここまで長引いてその程度で済むのか? もしかするとエビを押さえようとした私の手を、無理やり網に押し付けて焼かれる、なんてことも、あるかもしれない。よし、さわるのは無しだ。そもそも、なんで私がこんな卑屈な想像をしなければいけない? 針妙丸、こいつはアホだ。こいつは人が羨むものにしか興味を……)
 正邪が眉間をひそめ腕を組み黙考する。針妙丸がどうした、なにしてる、はやくしろ、を再三再四繰り返しても、正邪が反応することはない。不意にぱち、と音がなる。
「あっつ」
 針妙丸はいつのまにか熱くなった大気から慌てて手を離しては、死んだかな? 死んだっぽい。などと自問自答をした。そのとき、相変わらずに腕を組みっぱなしの正邪の眉がぴくりと動いた。
(……あ? なんだ、この、まことしやかな匂いは……)
 正邪は混乱した。窓際、吹き込む冬の風が正邪を揺らす。開けた窓の部屋から、芳ばしい香りが外へと逃げてゆく。正邪は混乱する。夢でもない、危険物質もない。とすればこのまことしやかな匂いの正体は一体なんだというのか。
「異臭がする」
「馬鹿か? おまえは急になにを言うんだ。給料半月分のエビが焼けるのを捕まえて異臭とは、わたしはがっかりだよ。おまえがあんまりに正月らしいものを食べたい食べたいって宣うから、せっかく買ってきてやったエビじゃないか。おまえはおせちなんて食べてもどうせ、エビがメインだとか抜かして、その上メインのエビのすくなさに喚き散らすだろうから、わざわざ金のたまるのを待って、店でもいちばん値の張るこいつを買ってきたってのに。それをなんだ、異臭って。もういい、おまえは食うな。わたしがひとりで食べてしまうから」
 バチバチにキレた針妙丸に若干たじろぎつつも、正邪はそんな針妙丸の口調に真実味を覚えた。こいつはなにかおかしい、冗談にしてはきつすぎる怒り方をしている。正邪はおずおずと七輪に近づき、手を伸ばした。
「あっつ」
 七輪の上、透明なエビはまことしやかな実体を持って熱を帯びていた。
「寄ってきたっていまさらだ、おまえにはやらないぞ。ああ、美味しそうな匂いがする。そして、おまえにはやらん」
 頑なすぎる針妙丸とまことしやかな透明なエビを前に、正邪はごにょごにょとした。
「なんだ。喋るならはっきり喋るんだな。……おっと、そろそろ食べどきかな、どれ一飲みにしてやろう」
「あ、あのさ」
 いつのまにか出現した箸でそれを掴もうとする針妙丸の手を、正邪は制止した。
「なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言えったら」
「あ、あのぅ……」

「もうちょい焼いたほうがいいんじゃないか……?」
 正邪は赤くなった。



   パーフェクトコミュニケーション

 正邪は死んだ。感情が物質化されるようになって、アイデンティティを失ったのだ。針妙丸はひとり、暗い表情で窓の外を眺める。二階建ての窓の外、通りがあった。陽に照らされた通りは時間帯に似つかわしくないほどに陰鬱に濁っていた。朝早い働き人たちが歩く通りは、苦、という感情で埋め尽くされていた。以前なら学童たちの笑い声が混ざり多少なりとも平和だった通りだが、今となっては見る影もない。あんまりに陰鬱だから、親御さんが子供たちにこの通りは避けるようにと教育した結果だった。今では冷たい外気と労働に咽び泣く人間の咳嗽のみが通りを彩っている。
「なにも、死ぬことないじゃないか……」
 そんな光景に針妙丸は悲しくなる。針妙丸は、天邪鬼の本分を失ったとしても、正邪に居て欲しかった。けれど、正邪は死んだ。感情が可視化される恥ずかしさに耐えきれずに自殺してしまったのだ。と、針妙丸は思い込んでいた。正邪は生きている。自身の死を悼む針妙丸に呆れながらテレビを観ていた。テレビでは烏天狗が適当なことを無という感情と共に吐き出し続けている。
『いやあ、急にこんなことになっちゃって。世間は大変なことになってますよ。でも悪いことばかりでもないらしいです。なんでも物質化された感情を役所が買い取っているとかなんとか。働く人々は苦しみと同じだけの対価を、ふつーに生きてる人々はなんかそれらしき対価を受け取れるという話ですからね。ところで私から発生するこの無はいくらになるんでしょうね』
 正邪は至極どうでもよさげに頬杖をついては煎餅を割る。
『ということで役所に来ました。どうも国の人、私のこれを買い取っていただきたいんですが、いくらになりますかね。え! 無はタダ! むしろ私がお金を払って引き取ってもらう場合もある、ですか。へええ、なるほどぉ』
 正邪は思わずため息を吐く。窓際を見やれば針妙丸はさめざめと泣いていた。
『えー、なんだか不服ですが。質問の方をさせていただきましょう。どうも国の人、私の無は殆どタダというお話ですが、例えばどんな感情ならそれなりの値段で買い取ってもらえるのでしょうか? はあ、主に苦しみ、ですか。なるほど、基本的には働く人々のために作られた制度ということですかね。では、この感情は高く買う! みたいなのはないんですか? はい、はい。深い悲しみ、ですか! なるほどー! じゃあご家族がなくなってしまった方とかは、結構儲かるってことですね! テレビの前の遺族のみなさん、チャンスですよ!』
 途端に、針妙丸はおいおいと泣き始めた。正邪は舌打ちをする。
(針妙丸、こいつはアホだ。冥福の前借りで儲けようとしやがる。私は生きてる)
 次第に転がって泣き喚く針妙丸のまわりには、気狂、という感情が飽和した。ため息をつく自身の口から呆が溢れると、正邪は苛立たしげにそれを叩き潰した。
 そんな日々がしばらく続いた。金には困らなかった。正邪は自身の死でかたわになった同居人の代わりに、通りの苦しみを拾い集めては役所まで歩いた。僅かに得る労働の対価という報奨で、正邪は侘しい一飯を作り、食卓に並べる。正邪は何食わぬ顔で一飯にありつく同居人の様を白々と眺めた。そんなとき、同居人はいつも無を吐き出し続けていた。
 ある日、いつものように一働き終えた正邪は、里で気になる新聞を見つけた。苦しみ、深い悲しみの価格低下。家に持ち帰り、しつこくげんなりとしている同居人を尻目にして、記事へと目を落とす。記事は痛ましいニュースの続く昨今、という書き出しから始まっている。正邪は痛ましいニュースに覚えがあった。近頃のテレビでは金欲しさに家族を殺害、などという剣呑な報道が続いていた。しかし報道を務める烏天狗は相変わらず呑気に無を吐き続けていたから、正邪はそこまで注視することをせずにいたのだ。
『苦しみ、深い悲しみの価格低下が騒がれている。そもそもの発端は、今では『テレビの顔』でお馴染みな私の友人、射命丸文にあると考える。先月の番組内で同氏の放った例の発言はあまりにも配慮と人道に欠けている。家族が死ねば纏まった金が得られると誤認させるような氏の発言はあまりにも軽率である。しかしテレビが発明されてからというもの、十一チャンネル二十四時間全番組の企画構成編集出演を任されている氏の現状を鑑みれば、人道を無視した軽率な発言も道理かもしれない。彼女の友人として、私は悲しい』
 正邪はいろいろと思うところがあったが、ひとまず無視して同居人に声をかけた。
「おいチビ、価格低下だってよ」
 返答はない。同居人はあいも変わらず陰鬱な通りを静かに眺めた。しかし、同居人から漏れ出る気狂の感情はいつのまにか、悩というものにすげ変わっていたから正邪はやりきれなかった。それから、通りに転がる苦しみに見切りをつけた正邪は次第に、真っ当に働き始めたのだった。

 正邪が家を空けるようになってから針妙丸はひとりだった。窓の欄干に片手をついて、もう片手で涙を拭う。
「うう、正邪や。なんで死んでしまったんだ」
 嘯けど針妙丸から発生するのは無という感情だった。ひとりの居間にしらじらとテレビの音が流れる。どうやら、暇を持て余した何処ぞの誰かが発見した、犬、という感情が高値で売買されているらしい。進行役の烏天狗が興味なさげに感嘆する。
『へええ。私が家に帰ってぼんやりしているとたまに出てくる感情に、そんな値打ちがあったとは』
 それから、出演者は一様にぼんやりとしはじめた。この番組の趣旨は件の犬という感情を再現するところにあるらしい。役所が犬という感情を買い取ることはないが、その希少性、特異性から特定の層に高く売れる。しかし出演者のなかに犬を発生させられるものはいなかった。ただひとり、気まぐれに壁に向かって吠え続けていた氷精を除いては。
『いやあさすがはチルノさん! 妖精といえど侮れない、天才の異名をいかんなく発揮してくれました! テレビの前のみなさんも挑戦してみてはいかがでしょうか。レッツひと財産!』
 感情を消して番組を眺めていた針妙丸だったが、番組が終わると同時に、その瞳を輝かせた。
(せ、せーじゃの声が聴こえる。死んだはずのせーじゃの声が……。針妙丸、いつまで私の死に囚われているつもりなんだ。いい加減目を覚ませ。私はお前に悼んでもらったところで、ちっとも嬉しくなんかないんだ。冥福の前借なんて、お前にゃ似合わないんだよ。そうだ、お前は一度も私に供え物を寄こさないじゃないか。以前のようにさっさと稼いで、私にエビの一つでも供えてくれよ。だけど、腐ったら勿体ないから新鮮なうちに食うといい。……そっか、わかった。わかったよせーじゃ。わたし、どうかしてたんだ。そうだな、おまえの言う通り、頑張ってみることにする。ありがとな、せーじゃ)
 そうして、針妙丸はみごと正邪の死を乗り越えてみせた。


 労働を終えた正邪が家に帰ると壁に向かって延々と吠え続ける同居人がいた。正邪が労働の対価を貯めてやっとの思いで買った大きなエビで頭を打てば、同居人はようやく正気を取り戻した。
(針妙丸、こいつはアホだ。こいつは人の羨むものにしか興味を持たないから)

   おしまい
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コメント



0.250簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
頭いとおかし
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.100ヘンプ削除
最後、どっちがどっちだったんでしょうか……正邪と針妙丸のエビの下りがとても面白かったです。
4.100サク_ウマ削除
なんだこれ(すき)
5.100上条怜祇削除
エビが凄い落語的だった気がする。
あとパーフェクトコミュニケーションは発想が天才のそれだった。悔しい
6.100電柱.削除
良かったです
7.100名前が無い程度の能力削除
透明な感想
8.100名前が無い程度の能力削除
くそだけど優勝
9.100レッドウッド削除
ショートショートの鑑
10.100南条削除
面白かったです
面白かったけどどうかしています
でも面白かったです
エビ買ってテンション上がっちゃう針妙丸が最高でした
11.100名前が無い程度の能力削除
ふたりの掛け合いがどこか奇妙で面白かったです
12.80平田削除





                                       」
14.100名前が無い程度の能力削除
…スゴい短編だ
はたして狂ってるのはどちらか
それに無を感情として生産する文の心はどんだけ死んでるんだ
16.70名前が無い程度の能力削除
なんだかよく分かりませんでしたが、
最終的にこのふたりは引力で寄せられていく感じがあってすきでした
20.100終身削除
おかしな事が起きても淡々としていてなんだか冷めているような正邪と特に何も気が付かずに気ぐるいしているような針妙丸の起きている状況ごしに会話のような何かをしているような感じが面白かったです なんだか一つ屋根の下で起こっているような気がしなくて不思議な感じがしました
21.100こしょ削除
あまりにもシュールな世界観ですき というかおもしろいです
23.100竹者削除
よかったです
24.100きぬたあげまき削除
ああなにをやっているんだろうこの人たちは、となりました。それでも愛おしくなってくるのが不思議でした。