その日、秋姉妹の家では、朝から何かをごりごりとする音が響いていた。
家の縁側で穣子は、すり鉢で何かをすりおろしている。
「穣子、何してるの?」
気になった静葉が尋ねると、彼女が答える。
「長芋すり下ろしているのよ」
「長芋?」
「そ。長芋よ」
「長芋なんかすり下ろしてどうするの? 暇つぶし?」
「なんで暇つぶしで、長芋すり下ろさなくちゃならないのよ!」
「いや、穣子だし」
「あのさ。姉さんは私を何だと思ってるの!?」
「お芋の神様」
「ちがぁーーうっ!!」
「あら、違うの? 正月早々お芋をすり下ろすなんて、お芋の神様以外にするわけないじゃない」
「……あのねぇ。今日は三日とろろっていう日なの!」
「三日とろろ?」
「そう! 正月の三日目はとろろを食べて一年の無病息災を祈るっていう人間の風習なの!」
「へぇー。それで長芋をすっているのね。てっきり三日間芋をすり続ける風習なのかと思ったわ」
「そんな苦行誰がするのよ!?」
「でも穣子。神様のあなたが、人間の風習なんか真似しても意味ないんじゃないの?」
「もう。これだから姉さんは……。私は里に近い神様という自負があるの! だからあえて人間の風習を行うことでそれをアピールしてるのよ!」
「ふーん。なるほどね。まぁ。……無意味ね」
「もういいわよっ! 姉さんには食べさせてあげないからっ!」
「別にいいわよ。私とろろあんまり好きじゃないもの」
頭にきたのか、穣子はすりこぎ棒が折れそうなくらいの力で芋をすり下ろし続けている。その様子を静葉はじっと見つめている。
「……なにジロジロ見てるのよ。好きじゃないんでしょ? あっちいってよ!」
「ねえ。穣子。私思ったんだけど」
「何よ」
「長芋って鬼の角に似てると思わない?」
思わず穣子は手を止めて芋を見つめる。
「……言われてみれば、少し似てるかも?」
「ねえ。穣子。もしかしたら、鬼の角すり下ろしたら美味しいんじゃないかしら?」
「えぇ!? そりゃいくらなんでもないと思うわよ? 固そうだし」
「その芋だって見た目固そうじゃない」
「えー。そう……かなぁ? 美味しそうだけど」
「試してみる価値あるんじゃない?」
「試すったってどうやって? 角なんてそうそうくれると思わないけど」
「そこは上手く交渉するのよ」
「どうやって?」
「そうね。例えば……お宅のお子さんは預かった。返して欲しければその角を私によこしなさい。さもなくばお子さんの命は保証しないわ。秋穣子より……って感じでね」
「それ脅迫じゃない!? 交渉になってないわよ!? しかも何でちゃっかり私の仕業になってるのよ!?」
「これならきっと応じてくれるわ」
「絶対無理だわ!! 第一お子さんって誰よ。鬼の子なんてみたことないわよ!?」
「そうね。じゃ、この長芋を、鬼のお子さんってことにしましょうか」
「……もう、無茶苦茶だわ」
あきれ果てたように穣子はため息をつくと、時間の無駄だとばかりに再び芋をすり下ろし始めるのだった。
◆
その日の夜。
とろろそばを美味しそうに啜る穣子には目もくれず、静葉はミスティアの居酒屋に出かける。店に入るとすでに先客がいるようでワイワイと賑やかだった。
「あ、静葉さん。いらっしゃいませー!」
ミスティアが笑顔で挨拶をする。
「今日のおすすめは何かしら」
静葉が尋ねると、彼女は笑顔で答えた。
「今日は山かけそばがおすすめです」
「山かけって、つまりとろろよね?」
「はいそうです。とろろですよ」
「私、とろろあまり好きじゃないのよね」
「え、そうなんですか? 今日は三日とろろっていう風習の日だからとろろ料理に力入れてみたんですけど……」
「……なるほどね。それじゃ、とろろ抜きで普通のそば頂戴」
「はーい。わかりましたー!」
と、言い残し彼女は厨房へと姿を消す。
ふと、辺りを見回すと鬼の姿が二人見える。賑やかなのでもっと客がいるのかと思ったが、どうやら鬼達しか客はいないようだ。逆に言えば二人だけでかなり喧しいとも言える。
金髪でガタイの良い鬼が星熊勇儀。もう片方の小さくて立派な角を持った鬼が伊吹萃香。二人はすでに出来上がっているようで、豪快な笑い声を上げながら酒を注ぎ合っている。
「おい! 萃香ぁー! お前の角ってこれそっくりだよなぁ?」
そう言って、ふと勇儀がテーブルにあった長芋を手に持ってみせる。
「はぁ!? 私の角と長芋なんかを一緒にするなよ!? ブン殴るぞ」
「はははは!!! やれるもんならやってみろ! これ折ってすり下ろしたら案外美味いんじゃないか?」
「そんなわけないだろ!」
「いっちょ試してみるか!」
そう言いながら勇儀は、問答無用で萃香の角をぐっと掴むと、いともたやすくぽきりと折ってしまう。
「ぎゃあーーーー!!? 私の角があぁーーー!!?」
萃香の悲鳴が辺りに響き、何事かと慌てて出てきたミスティアに勇儀は告げる。
「おーい! 女将ぃー! これすり下ろしてくれないかー?」
「え……。これを……ですか!?」
「そーだー」
「だってこれ……萃香さんの角でしょ?」
「そーだー」
「こんなのすり下ろしても……」
「いいから! はやくやれって言ってるだろ!」
酒が入っているせいか、普段より口調が強い。ここで機嫌を損ねて暴れ始めたりでもしたら居酒屋が壊されてしまう。どうしようかと思わずミスティアは狼狽してしまう。
見かねた静葉が、彼女を手招きで呼び寄せると耳打ちをする。それを聞いたミスティアは思わず目を丸くさせた。
「……えぇ? それ大丈夫なんですか?」
「……いいから。私の言うとおりにしてみなさい」
しばらくして、ミスティアはすり鉢を持って現れる。鉢にはとろろが山盛りに盛られていた。それを見た勇儀が彼女に尋ねる。
「おい。それなんだ?」
「鬼の角ですよ」
「鬼の角って……それとろろじゃないか」
「はい。萃香さんの角は本当に長芋だったみたいです」
それを聞いた勇儀はあっけにとられていたが、唐突に「ワッハッハッハ」と大声で笑い出す。
「こりゃ、傑作だ! お前の角はやっぱり長芋だったらしいぞ? 萃香ぁ」
「嘘だ……!? 私の角、本当に長芋だったの……!?」
萃香はショックを受けたように、机に突っ伏してしまう。
「わははは!! 萃香の角は美味いなぁー」
一方の勇儀は上機嫌で、とろろをつまみに一人で酒盛りを続けている。酔っ払っているためか、何も疑問に思わないようだ。
とりあえず危機が過ぎ去り、安堵の表情を浮かべながらミスティアは、かけそばを啜っている静葉にお礼を告げた。
「ありがとうございます。おかげで店を壊されずに済みました。是非何かお礼をしたいんですが……」
「あ、お礼ならそれでいいわよ」
と、静葉は彼女が右手に持っているそれを指さす。
「え……? これですか」
「ええ。だめかしら?」
「いや……別にいいですけど……」
「それじゃもらっていくわ。どうもごちそうさま」
静葉は、あっけにとられているミスティアからそれをもらうと、颯爽と店を出た。
◆
「いやいやいや。まさか、本当に持ってくるとは……」
「私は有言実行の女なのよ」
涼しい顔で告げる静葉を、唖然とした様子で見つめる穣子。その二人の前のテーブルの上には彼女が居酒屋から持ってきたもの――鬼の角が置かれていた。
「ねえ。どうするのよこれ」
「もちろん、すり下ろしましょ」
「えぇ……!?」
「そのために持ってきたんだから」
「こんな固そうなのすり下ろしたらすり鉢が傷んじゃうわよ」
「すり鉢なんて壊れたらまた新しいもの買えば良いじゃない」
「そう言う問題じゃないわよ」
「そう言う問題よ」
「……もし鬼にばれたらどうするの?」
「大丈夫よ。二人ともへべれけになってたし」
「そう言う問題じゃないわよ」
「いいから早く。鬼の角は鮮度が大事よ」
鬼の角に鮮度もなにもあるものか。と理不尽さを感じながら穣子は台所へ向かう。
さてはて、困った。このまま鬼の角をすり下ろしても良いのだが、万が一、角を取り戻しに来た彼女が、すり下ろされた自分の角を見て怒り出したら家ごと吹っ飛ばされかねない。とは言え、一度意固地になってしまった姉を説得するのもそれはそれで至難の業。一体どうしたものか。
(ようし、こうなったら……)
穣子は、流し場に置いてある大量の長芋を見やると、にやりと笑みを浮かべた。
◆
「姉さんお待たせー!」
「ずいぶん時間かかったのねー」
「ちょっとおろすのに時間かかっちゃってさー」
「鬼の角は固いからしかたないわね」
「はい。それじゃどうぞ!」
と、穣子はテーブルの上にすり鉢いっぱいのとろろを置く。
それを見た静葉は、怪訝そうな表情を浮かべる。
「穣子。これはなに?」
「鬼の角よ」
「鬼の角ってこれとろろじゃない」
「それが聞いてよー。本当に鬼の角って長芋だったみたいなのよ」
「え、そうなの?」
「いいから食べてみてよ」
そう言いながら穣子は、蕎麦の残り汁にとろろを入れて静葉に差し出す。
とろろが苦手とは言え、世にも珍しい鬼の角のとろろということもあってか、静葉は恐る恐る汁に口をつける。
「あら、美味しい」
彼女は笑みを浮かべ、たちまち汁を飲み干してしまうと、満足そうに告げた。
「へえー。鬼の角ってこんなに美味しいものだったのね。知らなかったわー」
「そうだったみたいね。満足してもらえたようで何よりよ!」
(本当はただの長芋だけどね……だってこうでもしないと姉さん納得してくれないし……)
「ねえ。穣子」
「な、なに!? どうしたの姉さん?」
「これからは毎日、鬼の角をすり下ろしましょうね」
「え、えぇ。そうね……」
上機嫌そうな姉を見て穣子は、思わず苦笑を浮かべるのだった。
しかし、結局その後、静葉は三日でとろろに飽きてしまう。
穣子は思うのだった。
これじゃ三日とろろじゃなくて、三日坊主とろろだ。と。
と思ってたら鬼の角をすり下ろそうとかいう話で笑いました
来年は三日とろろ食べてみようと思います
恐れ多い。
ほのぼのしているのにちょこちょこ狂気が垣間見えてすごかったです
なにをどう間違えたら鬼の角をへし折ってすり下ろそうなんてことになるのだと思いました
同じ手口に引っかかる静葉かわいいぞ
ラストは個人的に断定せずに濁すか言わなくてもわかるだろう的な感じで終えるほうが好きですがそれは好みの範疇
静葉の三日坊主にとほほな穣子がかわいかったです