流れよわが涙、と人形は言った
-1-
重たい土袋を抱えながら杖刀偶磨弓は廊下を歩いていた。身に着けた刀や装飾品が揺れてガチャガチャと音を立てて歩行のリズムに演奏を付け加えていた。視界が見えなくなるほどたくさんの荷物を抱えていたが危なげもなく、息を乱すこともなく部屋にたどり着いた。
「袿姫様、土袋持ってきました」
埴安神袿姫は顔を上げて磨弓に視線をやった。
「多すぎね。二つで十分だったのに」
「すみません。戻しましょうか」
「いいわ。全部そこの机に置いといて」
土袋を置こうとすると、机には小道具や製作途中で捨て置かれた土の固まりなどがあちこちに散らばっており、磨弓は肘で押しのけてスペースを作らなければいけなかった。置いた後、散らばった道具等を一か所に集めて整理をしていた。
「ずいぶんと頑張りますね。ここまで製作に打ち込んだのは久しぶりではないですか」
「そうね。幻想郷の奴らのおかげでアイデアが色々できたの」
過去の騒動を思い出し、磨弓の目元が細くなる。
「あの時はすいません。お役に立てませんでした」
「いいの、いいの。あそこまで強いとは私も想定外だったから」
ふー、と一息つきながら袿姫は額の汗を拭った。
「あと、頼みたいことがあるんだけどいい?」
「なんですか?」
「埴輪が一体逃げ出しちゃったみたいで連れ戻して欲しいの」
整理する手がピタリと止まった。
「逃げたんですか? 道に迷ったとかではなく?」
「その子の気配を追いかけたんだけど、どうも幻想郷にいるみたいなの。迷子にしては遠すぎると思わない?」
「そんなところまで」
「まあ、迷子なのか逃げたのかはどっちでもいいの。とりあえず連れて帰ってちょうだい」
磨弓が眉を吊り上げる。
「わかりました。ただ私も始めて行くので何日かかるかわかりませんよ」
「あ、それは大丈夫」
袿姫は山と積まれたガラクタに手を伸ばし小さなコンパスを取り出した。息を吹きかけてホコリを飛ばすと魔弓に渡した。
「コンパスの赤い矢印の方向にその子がいるから、これなら難しくないでしょう」
磨弓が受け取ったコンパスは静かに一つの方向を指していた。
-2-
磨弓は小高い丘の上に降り立った。空は太陽が沈んで深い赤色をたたえており、足元には名前のわからない白い花が一面に咲いていて見事な風景に磨弓は思わず見とれてしまった。
しばし見とれた後、不安そうに磨弓は手元のコンパスに視線を落とす。
「このコンパス大丈夫かな」
幻想郷にたどり着く前は安定して同じ方向を指していたが、少しずつ揺らいできて振り子のように大きく動き始めたのだ。
特に妖怪を恐れるわけではないが、夜中に知らない場所を歩くのは良くないので寝床を探そうと考えながら丘を降り始める。
「ちょっと、そこの人」
花畑の中から声が聞こえて磨弓は立ち止まる。
「私?」
「ちょっと助けて欲しいの」
白い花をかき分けながら声の出所を探す。
「ここよ、ここ」
かき分けた先に人形がちょこんと座っていた。金髪に青い目をしたいかにも可愛いと言える人形だ。
「あなたですか?」
人形はチャーミングな笑顔で手を振った。
「うん。片足が取れちゃって。上に落ちているはずだから探してくれない?」
磨弓が立ち上がり坂の上を歩くと花畑の中に不自然なくぼみを見つけた。そこには人形の言う通り足が落ちていた。
「どうぞ」
磨弓から受け取ると人形は手慣れた様子で自分の腰に押し込む。すると、はめた足が生きているように動き出し人形は危なげなく立ち上がった。
「ありがとう、坂から下りてたらこけちゃって」
足首を振って調子を確認していると人形はアレっと呟いて顔を上げた。
「そういえばあなた私に驚かないのね。人形が動いてるのに」
「私も人形ですから」
人形は興味深げに磨弓の全身を見ると、彼女の肌をコツコツと叩いた。
「陶器の人形?」
「埴輪なんです。土でできています」
少し呆然とすると、とたんに理解し表情を輝かせた。
「ねえ、お名前は?」
「杖刀偶磨弓です」
「私はメディスン・メランコリー。ねえ、もうすぐ夜だけど行くとこある?」
「実は決まってなくて寝られる場所を探しているんです」
「じゃあ、私の家に来なよ。いっぱいお話しよう」
メディスンは心底嬉しそうに鈴蘭畑を背景に笑って見せた。
-3-
案内されたメディスンの家は小さかった。どうやら体の小さいメディスンに合わせて作られているようで磨弓は常にかがんで移動しなければいけなかった。まあ、成長のない人形ならおかしくもないかと磨弓は一人で納得していた。
「磨弓ちゃんにはちょっと狭かったね」
「いえ、大丈夫です」
勧められた椅子に座るとメディスンは正面に座り込んでこぼれんばかりの笑顔で磨弓を見つめてきた。
「どこから来たの?」
「畜生界っていうんですが、地獄のはずれですね」
「あー、地獄。遠いところから来たのね大変だったでしょう」
まあ、と適当な返事をしながらメディスンの家を観察していた。内装の様子から見ると一人暮らしのようだった。ただ、壁には絵が掛けられていたり、クローゼットの隙間から替えの服が見えたりしている。人形なのに自分用のベッドを用意していることも含めるとずいぶんと人間的な暮らしをしている。
「メディスンさんは一人暮らしなんですか?」
「……まあね。自由気ままよ」
奇妙な空白を感じるが特に磨弓は突っ込もうとはしなかった。
「わざわざ地獄から何しに?」
「埴輪の仲間がこの辺りに来たらしくって探しているんです」
磨弓はコンパスを取り出しメディスンに見せた。
「ほら、この赤い矢印の方向にいるって聞いたんですけど。さっきから方向が定まらなくって困ってるの」
メディスンが覗き込みながら話す。
「この方向って確か崖があるわね。朝になったら案内してあげる」
「助かります。親切な人がいてくれて嬉しいです」
「当然よ。お互い人形なんだし」
メディスンは嬉しくて仕方がないのか落ち着かない様子だった。
「磨弓ちゃんの所には人形がいっぱいいるの?」
「いますよ。物騒な場所なので警備のためにたくさん作られるんです」
「じゃあ誰かのために働いるって感じ?」
「そうですね。お守りしたい人がいるんで」
メディスンの動きがピタリと止まり何か考えているのが見てとれた。
「ひょっとしてその人に言われて仲間を探しに来たの?」
「はい。連れ戻してほしいって」
「どうしてここまで来たのかわかってるの?」
「さあ、言われた時も逃げたのか迷子なのかわからないけどとりあえず連れて帰れって」
メディスンは磨弓の隣に並び覗き込む。なんとなく媚びているような目つきをしている気がした。
「ねえ、探さなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「探すのめんどくさそうだしさ、見つけたら動かなくなってましたって言えば大丈夫だよ。この辺りを案内してあげる」
「できませんよ。動かないにしても証拠を持ってかないと納得してくれません」
「別にいいじゃん。あなた信頼されてるんでしょ?」
「だとしたら信頼に応えないと」
メディスンは一瞬黙り込んで目を逸らすが直ぐに視線を戻す。
「どうしていなくなったと思う?」
「分かりませんよ」
「迷子だとしたら遠くに来すぎだと思わない。川とか山とか越えないとここまでは来れないわ」
「まあ、それは思いました」
「だとしたら逃げたのよ。嫌なことがあって誰の迷惑にならない場所を探したのよ。無理に探さなくてもきっと困らない。大丈夫よ」
そんな推測、と言いかけて磨弓は口を閉ざした。彼女の言動と妙に人間的な家の内装、人形が動き出してることを考えると一つの考えが生まれた。
「……ひょっとして、あなたは元々人間の持ち物だったのでは?」
メディスンはわずかに視線を落とした。怒りで膨れ上がるというより、空気が抜けて萎み始めたような雰囲気すらあった。
「……そうよ、捨てられたの」
つまり、いなくなった埴輪に感情移入しているのだ。
誤魔化す必要がなくなったのかメディスンは表現を選ばなくなった。目つきも言葉遣いもまた違っていた。
「別に良いじゃない。ここまで来たってことは逃げ出すつもりなのよ。無視したって問題ないでしょ」
「だから主人の命令があります。少なくても見つけないと」
「命令ってあなたは自分で考えてるの? 逃げ出した子の気持ちは無視するの?」
「組織から逃げ出したら組織の決まりで罰を受けるのはおかしくないでしょう」
「じゃあ、あなたよりもっと優秀な人形ができたらクビになっても良いわけ?」
一瞬磨弓は喉に使えるものを感じた。それでも答えは一つしかない
「それが主人の考えなら従います」
メディスンは怒って磨弓の胸ぐらを掴み自分の手もとに引き寄せた。爪先立ちになりながらも怒りの面を被った表情だった。
「そういうのはね、奴隷って言うのよ」
「忠義を尽くすのは奴隷ですか?」
「あなたがやっているのは服従よ。人形だからって全部従っちゃダメ。自分で考えて、行動できるんでしょ」
メディスンはさらに強く服を掴んだ。
「あなたの持ち主は逃げた理由も考えずに捕まえろっていう酷い奴よ。そんなんじゃ、いいように使われてゴミとして捨てられるのがオチよ」
そこまで言われると磨弓も黙ってはいられなくなった。胸ぐらを掴むメディスンの手を掴みゆっくりと力を込めて服から引き剥がした。
「いくらなんでも言い過ぎではないですか。私にだって大切なものがあるんですよ」
メディスンの手を握る力を強めるとゆっくりと表情が変わっていく。気持ちが抜けて面を被ったような表情のない顔だった。
「……そうね、ごめんなさい。熱くなりすぎた」
一歩下がって軽く頭を下げる。
「明日はちゃんと手伝うから。そもそも、よく知らない人なのに怒って悪かったわ。もう休んで冷静になるから」
メディスンは部屋の隅のベッドに腰を下ろした。
「そうだ。磨弓ちゃんベッド使う?」
「いえ、座って寝れます」
出来るだけいつもの調子を意識しながら魔弓は返事をする。床に直接腰を下ろして腕を組んで目を閉じた。
すぐに目を閉じたせいでメディスンが悲しそうに見つめているのに魔弓は気づかなかった。
-4-
磨弓は夢を見た。いつのことか正確に言えないほど昔の出来事だ。
お気に入りの馬の埴輪で遊んでいるといじめっ子の集団がやってきた。その人形を見せろと言う。渡したら壊されてしまうと思った磨弓は嫌だと言った。
いじめっ子は磨弓から奪い取ろうとする。馬は小さかったので抱き抱える姿勢を取って磨弓は渡すまいとした。いじめっ子たちは無理矢理奪い取ろうと磨弓を蹴ったり殴ったりした。
やがて袿姫がやってきていじめっ子を追い払う。そして魔弓を抱きしめてほめるのだ。よく守りきれた、偉いと。
目を覚ました磨弓は疑問に思う。あの馬の人形は今どこにあるのだろうか。あのいじめっ子は誰だったのだろうか。
-5-
「なるほど、反応が弱かったはずだ」
磨弓の足元には割れて手の平サイズになった焼き物のかけらが大量に転がっていた。動物が持ち去ったのか全体の形をとらえることはできなかった。
磨弓の拾うかけらを見ながらメディスンが呟く。
「壊れちゃったの?」
「ええ、もう直せないでしょう。かけらを持って帰ります」
かけらを集めながら磨弓は顔を上げる。崖が壁のようにそびえ立っていた。
「落ちたんですかね」
「わかんない。野良妖怪に襲われたのかも」
磨弓の横でメディスンはかけらをひとつ摘み上げる。何度もひっくり返してはじっくりと観察する。
「せっかくここまで来たのに悲しいわね」
磨弓は答えなかった。メディスンは変わりなく接してくれていたが、昨日あれだけの言い争いをするとどうしてもぎこちなくなってしまう。
無言でかけらを拾っていると自分の手が濡れているのに気付いた。
こんな時間に結露?と訝しんでいると手がますます濡れてきた。
「磨弓ちゃん、何やってるの。あっちで雨宿りしましょう」
メディスンに言われてこの水が空から落ちてることに磨弓はようやく気づいた。
大木の下で雨宿りをする。磨弓は膝を立てて雨が降る様子を子猫のような瞳で見ていた。
「雨って始めてみました」
「そうなの?」
「地獄では天気の変化ってほとんどないんです」
灰色の世界を切り裂くような細い線、絶え間なく聞こえる雨音は地獄の風景を思い出させる。そして隣にいるのは地獄には似つかわしくない綺麗な人形だった。
「こんなに沢山の水が降ってきて地面は大丈夫ですか? グショグショになりそうですが」
「大丈夫よ。水は大体植物が吸ってくれたり、晴れの日に蒸発したりするの。1日で元通りになるから」
「すごいですね。あっというまに無くなるんですか」
メディスンは先ほどのかけらを手に取り、見つめる。そのかけらの持ち主を想うように。
「……そうね。みんな無かったことにして忘れちゃうのよ。雨の中の涙みたいに」
磨弓は無言でメディスンを見つめる。灰色の世界に彼女の白い身体が浮かび上がっていた。
「どうかした?」
「いえ……泣いたことがあるんですか?」
メディスンは笑う。笑っているはずなのに目元は悲しそうだった。
「やっぱりあなたは人形なのね」
磨弓はそれ以上言葉を続けられなかった。小さいはずの彼女が強く、近寄りがたい物に見えてしまった。
雨足は一層強く、雨音は絶え間ないうめき声だった。
「雨が終わったら帰ります」
「大丈夫? びしょ濡れよ?」
「風邪なんてひきませんよ」
ジョークだと思ったのかメディスンは笑いだす。今度は目元まで笑っていた。
「そうね。確かにひかない」
メディスンは持っていたかけらを磨弓に渡す。
「また来て欲しいな。ついででもいいから」
「……はい」
もう来ないだろうと磨弓は思う。
-6-
「あの子はどうして幻想郷に行ったんでしょう?」
机に向かって図面を書きながら袿姫は返事をする。
「さあねえ、単なる冒険心か巫女の後を追いかけたのか。ひょっとしたらここが嫌になったのかもね」
特に動揺も見せず、袿姫は作業の手を止めようとしなかった。
「逃げたとしたら、袿姫様は認めますか?」
作業の手を止めて袿姫はペンを口元に押しつけた。
「駄目とは言わないけど、一言教えて欲しかったな。私が作った埴輪は全部私の子どもで何かあったら私の責任だもん。ちゃんと管理したかった」
しっかりした人だと磨弓は思う。こういう人だから磨弓は戦えるし、どんな命令でも聞き入れる覚悟があるのだ。
メディスンだって捨てられる前はそうだったのではないか、捨てられなければあんな風にはならなかったのではないかと磨弓は同情を含みながら思ってしまう。
袿姫は視線を上げて時計を確認する。
「そろそろね」
「はい?」
袿姫は楽しそうな表情で部屋奥の廊下に向かって声を上げる。
「おいで」
奥の廊下から小柄な人形が歩いてきた。顔を見た瞬間、磨弓は立ち上がった。
メディスンが裸で立っていた。
「磨弓が可愛い子って言ってたから、作ってみたの。土製だけど似てる?」
磨弓は膝をついてメディスンの顔を覗き込んだ。身長、体格、顔、髪の色全てが幻想郷で会ったメディスンにそっくりだった。
メディスンが笑う。口元も目元も綺麗に笑っていて、出会った時の鈴蘭畑すら思い出せそうだった。
報告の際のやり取りだけでここまで作れるとは、やはりこの方の造形術は素晴らしい。
けれど、と磨弓は思う。
「彼女の瞳は緑でした」
「あら、ごめんなさい」
袿姫はハンマーを手に取るとメディスンの頭部を叩き割った。
最後の袿姫様の行動を、磨弓は当然のことと思っているのでしょうけれど、けれどきっとメディスンがそれを見たら烈火の如く怒るのでしょう。それがなにやら二人の分かり合えそうで分かり合えない距離感を表しているように思います。
良かったです。
そうしたものをメディスンも見てきたのでしょう
磨弓が最後に何を思ったのかに触れないことで主人と道具の間のぽっかりと空いた断絶が強調されているようで凄みを感じました
とても楽しく読ませていただきました。
この読後感どう表現すればいいのやら……
磨弓は新たなものが見えるようになった!!
人形たちの意思はどこなのかと思いました。面白かったです。
最後の行動が非常にインパクトが強く、メディスンとの違いが引き立てられていたように感じました
逃げだした埴輪も、まさにこの感性が嫌だったのではと思わずにはいられませんでした。
非常に良かったです。
メディスンはわかりやすい喜怒哀楽がある一方、
実は磨弓のほうも心を揺さぶられているのが面白いですね
ラストシーンもとても印象的でした
夢のシーンがちゃんと解釈できていないのですが、もし馬の人形を彼女が守りきれなかったら?などと想像すると少し肝が冷えるのを感じました。
幻想郷の神様が人間臭すぎるだけで純粋な神ってこういうものですよね