Coolier - 新生・東方創想話

スルー・ザ・レンズ

2019/12/27 07:49:28
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 ガラス越しに一瞬目があった。途端、霜白の頬がうすらと朱を灯した。指先のひと押しと光の転写で瞳を焼いた。
 緑底の網膜に像を結んだ彼女は、ひどく慌てていて、愛らしかった。



      

        ◆   



「旧地獄の現況報告?」
「ええ。上からのお達しでして」

 
 ガス灯の火が淡く揺れる地霊殿の執務室。机を挟んで向かい、さとりが細眉を垂れ下げた。三つの視線の先には、机におかれた一通の封筒と、黒い立方体の機械。封筒は分厚く、機械は薄さびている。さとりが指さした封筒を促されるまま手にとった。
 箔の散らされた紙は上質。翻すと「是非曲直庁」の刻印がある。封はすでに切られていた。
 役所らしい慇懃とした字が、延々と迂遠な表現を連ねていたが。三つ折りの紙六頁が言いたいことはおおむねこうだ。

「先の怨霊異変以降、旧地獄の環境及び内情変化の兆候が見受けられるため、旧地獄の現況報告義務を再開する」


 最終頁には、是非曲直庁幻想郷担当官の名と朱判。四季映姫。直接あったことはないが、さとりの言葉を借りるとするなら、「クソ真面目な仕事馬鹿」であるらしい。暇を持て余す私としては、仕事に追われているのは少し妬ましいと、封書を突き返した。

「誤解を招く表現をしないでください。私は実直で仕事熱心だと言っただけです」

 鏡で覗かれますよと、さとりが耳打ちをするようにたしなめた。地獄行きの折りは煌びやかな浄玻璃の鏡を通して、生来のすべてを見透かされるらしい。となれば、隠したってしようがない。どうせばれてしまうのなら、妬みも不満も正直が華だ。それは目の前の女にもいえることだった。
 さとりの胸元に浮かぶ赤玉と目があった。すべてを見抜く瞳はひたすらに真実を写す。私の橋を止まり木にする閑古鳥も、お視通し。

「後で巣箱を届けさせましょうか」
「嫌よ。住み着かれても困るもの」
「暇は暇で楽だけど、ですか。それでお給金が降りるのがうらやましいです」
「閑古鳥の飼育員にでもなろうかな」
「ともかく、あなたには報告書作成のお手伝いをお願いしたいのです」
「いいけど、何で私なの」
「お暇だと思って」
「怒るわよ」

 事実じゃないですかと笑う彼女に、怨嗟の念を送った。涼やかな顔でかわされた。逸らした視線はそのまま机上へ、指とともに黒箱を示した。

「これをあなたに」
「天狗の機械でしょ」
「ええ」

 写真撮影機です。さとりが両手の親指人差し指で四角を作った。パシャリと、シャッターを切るまねをしてみせる。カメラと呼ぶのだったか。以前天狗の突撃取材を受けた私も一度実物を目にしていた。目を合わせる度に眩光を焚かれ、難儀したものだ。
 封筒の横に鎮座してる大仰な黒塗りの箱は、あの天狗のものよりも一回り大きい。型が古いのだろうか。正面にはガラスのハマった円い筒状のでっぱりと、下部に一筋の溝がある。手に取れば、見た目よりもずっしりと重い。底を覗くとここにも「是非曲直庁」の刻印。ほかにもなにやらボタンや数字の書かれたダイヤルが見えるが、使い方は判然としなかった。

 さとり曰く、状況報告として文書だけでは不十分であり、現物現況の写真を要求されたらしかった。七面倒くさい。これが役所仕事というやつか。

「ペットに任せようとも思いましたが、借り物の精密機械ですので。壊しては映姫に怒られます」
「あんたの右腕なら問題ないんじゃないの。それなりにしっかりしているように見えるけど」

 特に猫車のほうは、やんちゃそうに見えてお姉さんを気取っている。配下のペットたちに慕われていたのを、以前ホールで見た。お燐さんお燐さんと、姉分らしい。脳内のぼやけた人相に、さとりが苦笑した。お燐はもう少し野暮ったい顔ですよと、茶々が入った。どうも私は、人の顔を見栄え良く覚えるきらいがある。
 あの子たちは自分の仕事がありますので任せられません、そう前置いて、

「あなたの審美眼は面白そうですし」

 細められた目に、なにがと、心の中で吐き捨てた。唾棄すら透かして見る赤い玉が可笑しそうに上下に揺れた。
 真実を写し取る彼女の目と違って、私の目は世界をゆがめる。望もうと望むまいと、私の切望(のぞ)む形に。
 死体に湧くウジは、艶絹の白さ。一片の綿毛の浮遊は、空を往く宝船の遊覧。目の前の少女の微笑は、心をくすぐる魔性の唇。濁った世界を瞳で漉して、透けて輝く世界を、私は望んで欲してやまない、やめない。世界を彩る緑は、いつでも艶やかだ。

「期待しますよ」
「写りが変になっても知らないわよ」
「誰だってはじめは素人です」

 黒い箱を机に戻して、再び封筒を手に取った。指示された撮影場所は両手の指を越える。脳裏に地底の図面を開いて、順番に撮影地点を繋ぐだけでげんなりとした。それなりの道程だ。飛行しても半日はかかるだろう。何日かに分けてもいいかと考えた所で、紙面の端の日付がちらついた。

「あんた、これ最初の通達じゃないでしょう」

 末尾に示された期限は明日にまで迫っていた。よくよく考えれば、怨霊異変の不祥事からすでに一年は経過している。封筒に押された催促の判に、今更気づいた。

「散らかった書類に紛れてまして。てへ」
 
 悪びれずに答えるさとりが、舌を出した。閻魔に引っこ抜かれればいい。地底のトップが、こんなにいい加減でつとまるものか。痛い想像はやめてくださいと、さとりが嘆いた。

「申し訳ないとは思ってます。しかしもう頼めるのがあなたしかいませんので」
「……写真だけでいいのね?」
「はい、ほかの雑務はすべて私が」

 
 渋々の承諾は、ため息に乗せた。不健康に青白い顔に、わずかに血が通った。日を透かした葉脈のようだった。

 詳しい撮影方法はこちらにと、紙切れを手渡される。別紙とはこれのことだろう。建造物や植物試料の取り方と手順が、詳細に書き連ねられている。いずれも撮影の際は測量棒を立てるなど、かなり本格的だ。撮影日時の書留や、試料の採取手順まで指定されていた。

 これをひとりでやるのかはさすがに目が回りそうだ。だれか助っ人を呼ぶのがいいかもしれない。暇そうなやつの顔を、頁めくりのように思い浮かべていたら、
 
「その必要はありません。私もいきますから」
「はぁ?」

 さとりから待ったがかかった。忙しいのではなかったのか、という思念は片手で征される。

「言ったでしょう。雑務はすべて私がしますから、パルスィは撮影に集中してください」

 どのみちついてくる気ではいたのだという。だとすると前提が覆ってくる。用立てる時間があるのなら、撮影をさとりが担って、雑務をペットに担当させればいいのに。
 読心なしでもわかりやすく眉をひそめていたら、さとりは少しばつが悪そうに顔を伏せて、

「機械、苦手なんです」

 後ろめたげに告白した。



   ◆


 石灰の切り株並木が、荒涼の野に広がっていた。灰色の円卓が無限に並びたち、天蓋から垂れ落ちる銀の滴の受け皿となっていた。
 旧針山地獄。罪人の血にまみれた岩針の群が天蓋をつんざく山岳地帯、というのは昔の話。旧都の再開発の折りに、危険との名目で鬼の手によって岩針はすべて切除された。結果、今では供養も済んでいない折れ針の墓場となっている。中には滴る滴の浸食を受け、水たまりを作っているものもあった。

「相変わらず間抜けな風景ね」
「ええ、何度か来ていますがなんとも」
「あんたが針山に何のようがあるのよ」
「ペットたちがよくかくれんぼを」

 言われてみれば、まばらに折られた岩針の陰はちょうど良い死角になっている。稚気の群れが、無邪気な笑顔を振りまきながらはしゃぐ残像を、緑視した。
 かつての血濡れと絶叫の山が、今では子供の遊技場か。折れた針ではないけれど、丸い世の中だ。

「今のご時世、尖らない方が楽ですから」
「嫌味?」
「とんでもない。さあ、ここらで始めましょうか」

 さとりが岩針の平らな切断面を見繕った。何度か測量棒を押し当て、手頃な面に三脚を立てた。棒の長さはさとりよりも頭二つ分ほど高い。背の低さが目立つ。

「よけいなお世話です。さあお早く」

 私がカメラを構えると、さとりはそそくさとフレームから外れ、私の後ろに位置取った。いつでもどうぞと、手で示される。

「撮るわよ」

 説明書をみる限り、操作は簡単だ。ガラスをのぞき込み、焦点を合わせて、右肩のボタンを押し込むだけ。あとはこの箱がやってくれるらしい。
 天井の滴がまた一滴落ちて、灰色の受け皿の水面を揺らした。世界が額にはまった。明滅と乾いた音が一回。水たまりが受けた光を反射して煌めいた。
 作業は一瞬。数秒待って、黒塗りのフィルムがカメラから吐き出された。色が付くまで少し時間がかかる。

 さとりはフィルムを何度かひらひらと降ってから、光沢のあるそれを眺めている。表情は渋いのは、

「素人仕事だけどこれでいいの」
「ええ、結構ですよ」

 携えたバインダーに写真を張り付け、横に何事か書き込むと、

「さあ、往きましょうか」

 次の撮影場所へと地を蹴った。
 まずは一つ。先は長い。




「で、次はどこを撮るの」
「旧都で一番大きなお屋敷を」
「となると」

 次いで訪れたのは、旧都だった。通達に要求されたのは、都でもっとも大きい邸宅、すなわち、鬼の屋敷。星熊邸。

「さて、勇儀さんがいらっしゃるといいのですが」
「昼間から飲み歩くのが当たり前だものね」

 地底の管理者が古明地さとりならば、地底の統率者は彼女となる。政治的な権力は持っていないにも関わらず、その力こそが強きものの証と、となりにいるさとり妖怪と同等に近しい権力を握るのが彼女だった。にもかかわらずその態度はてらいも外連もなく豪放磊落。筋を通すことをこれ是とし、地底妖怪たちにとっての楽園であるこの旧都を守ろうと躍起になる英雄だ。多くの妖怪がさとりの読心能力をおそれ、忌み嫌うのに対して、勇儀の力はまこと正直、信奉者や囲いも多くいる。そんな彼女が定位置の邸宅を与えられているのは当然ともいえた。彼女の邸宅は、歓楽街を抜けた先にある。

 飲み屋町の喧噪、酒精に呷られた稚気と意地の氾濫、年中灯り通しのあんどん、降りることのないのれん。かつて暗闇に昼夜を忘れた地底で、旧都だけは光の行灯で朝夕の境界を消していた。
 活気と生気を元気を体現した、旧都の目抜き通り。目に付くもの全てが酒気にまみれ、酒精を塗った地底妖怪たちの白い肌は曼珠沙華のごとく染まっている。私たちのような素面はむしろ珍しく、ひたすらに酒香が鼻についた。昼間から酔っぱらえるご身分なんて、ああ。

「妬ましい、私もお仕事をさぼって一杯ひっかけたいですね」
「ひとの科白を取らないで」
「代弁して差し上げたまでですよ」

 往来を手ぶらの鬼たちが歩く中、そこそこの荷物の私たちは少し目立った。頭一つ下のさとりが、足早に前を行った。その一足の度に、嫌みの思念と忌避の視線の波をかき分けて歩いているように見えた。事実、彼女の足を延ばす先はひと混みが割れる。込み合う鬼波の大通りも、彼女を穂先にすれば前に進むのは容易だった。

「こんにちは」
「やあ、お姫さんに、古明地のお嬢さん。珍しいね」
 
 戸を叩くと、出てきたのは星熊勇儀本人だった。珍しく酒は抜けているのか、白い肌が透けていた。地底の嫌われ者二人を前にしても表情を一つも変えず朗らかなのは、強者故か。

「単純にひとがいいんですよ。だからこのひと好きなんですけど」

「? 私の話かい?」
「気にしないで、仕事なの」
「すこし撮影をさせていただきますが、かまいませんか」

 勇儀が私の手元を珍しげに眺める。さとりが封筒を手渡した。一読した勇儀は神妙な顔だ。

「なるほど、上の仕事も大変だね。もちろん許可しよう」

 勇儀は私の手元に目をやるとすぐに相貌を崩して、思いついたように、

「せっかくだから、私も写っていい?」

子供みたく目を輝かせた。

「記念撮影じゃないんだから」
「ええ、かまいませんよ」

 私の否定を、さとりが遮った。目で問うも、首肯で流された。

「旧都の実質的な責任者の近影を乗せておくのは悪くないかも」
「お、それじゃあさっそく」

 測量棒を手渡された勇儀が、ぐるりと棒を一振り演舞のように舞い始める。稲穂色の金髪が流れ巻き、片足を軸に、カラカラと高下駄が同心円を描いた。最後には手を突きだし棒を脇に抱え、鬼灯色がこちらをキリと見据えた。ただ一回転しただけなのに、この女はどこまでも様になる。そのまま決め顔で一言、

「どうだい?」
「いや、そうじゃなくて」

 見栄を切ろうとしたんだけど。残念そうに肩を竦めた勇儀と、あきれ半分でたしなめた私の顔を見比べて、さとりが苦笑した。
 測量棒をまっすぐ立てろ。顔はまじめに。正規の報告書だと言い聞かせると、勇儀は口を尖らせて、渋々と棒を地面に突き立てた。

「さ、いつでもいいよ」

 口角をあげた、満面の笑み。報告書用には少し眩しすぎる。




 体にまとわりついた酒精を、ふき下ろしの風が拭った。
 
 旧都を離れてしまうと、喧騒はいくらか遠くなった。立ち代わりに、荒涼とした岩肌と静けさが私たちを出迎える。
 活気と嫉妬と心の渦巻く旧都(あそこ)は、私にとって保養にも毒にもなる。その点、ここには、私の琴線に触れるものは数少ない。暗闇に薄く浮かび上がる光苔や、清浄な水に磨き上げられた、すべやかな鍾乳石。あえて妬ましく感じるなら、自由におおらかに吹き抜け巡る風くらい。私の心象に、隣のさとりが苦やかに鼻で笑った。
 彼女も同様だ。ひとが少なければ見える心も少なく、その心中は穏やか。いや、それとも飢えるか。

「そうでもありませんよ。隣が賑やかですし」
「節操なし、なんてバカなこと言わないでね。こちとらこれで食ってるのよ」
「ご安心を、ご思案の通り同族ですので」
「それはそれで同族嫌悪」
 
 くだらない言葉を交わしながら、岩肌に張り付く苔をこそげとった。
 植生の調査の一環だった。怨霊の影響や環境の変化を考慮するためとか。指定された通りの植物や苔やを集めた。小瓶の中で、狭そうに身を窄めている。
 小指程度の硝子瓶に入れた光苔、それが薄く光った。天蓋付近の鬼火に向けると、明滅が呼応するように重なった。
 死の間際の蛍のように、互いを呼び合う二つの光。わずかに命の脈を感じて、心に漣(さざなみ)が立った。

「詩人(ぽえっと)ですね」
 
 さとりが再び、鼻を鳴らした。
 好き嫌いせずになんでも食べなければ、嫉妬妖怪ははやっていけないのである。
 
「あんたが普段やってることも似たようなものでしょ」
「私はいちいち、感情にキャプションはつけないもので、つい」
 わたしもやってみましょうか。橋姫は緑光に瞳を重ねる。
 戯けて、情景に言葉を添えられた。
 大きなお世話だ。嫉妬妖怪がロマンチストで何が悪い。くつくつと笑うさとりの揶揄を跳ね除けて、 

「あなたはどうなの」
 
 前より気になっていたことを尋ねた。
 
「鬼火や、植物の心を読めるか、ですか」
 
 質問を読んださとりが、わたしの顔をまじまじと見た。
 
「そんなことが気になります?」
「興味本位。猫や犬の声は読めるそうじゃない。下限はどこかなって」
 
 私の嫉妬は言ってしまえば、どこまでも身勝手だ。相手のあるがままを、あるいはそのあり方を曲解して憧憬する。いわば、どんな対象も美しく写す撮影機。色も輪郭も歪めて、私が望む(妬める)形に作り替える。
 対して彼女の瞳は、ただ真実のみを切り取る。報告書のように、事務仕事のように淡々と。同じ瞳に力を宿していながら、その有り様は私とは対照的だ。彼女がどう世界を写すのか、どこまで世界を見渡せるのか、にわかに興味がわいた。
 
 私のシンパシーを読んでか読まずか、さとりはそうですねぇと一拍置いて、
 
「読もうと思えば、まあ」
「へぇ」
 
 意外だった。
 花は隣で美しく咲く大輪に歯がみをしないし、苔はその繁茂する面積を競わない。鬼火は明滅に任せて、空を漂うばかり。そこに、心の機微などあるのだろうか。心を読んで食う妖怪にとって、矮小な生命の発する微かな電波が、どれほど空腹を満たす。興味は尽きない。
 しかし、私のふくらむ期待を感じとり、さとりはさも残念そうに肩を竦めた。
 
「実のところ、ほとんどは理解が及びません。低次元すぎて、理解が不能。そのため、前菜にも程遠いのが本当です」
「なーんだ」
「ただ、」
 あからさまにがっかりした私を遮って、
「時折私にわかる程度の、形を持った思考が流れてくることがあります」
 悟りはそう続けた。
 
「思考?」
「思考というよりは、感覚でしょうか。それが一体なにを感じでいるのか。五感もなく、感性もなく、ただそこにあるだけのものが、確かに周囲を認知している。その時の心象風景といいますか」
「一体どんな」
「言葉で説明できれば、苦労はしませんが、あえて言うなら」
「あえて言うなら?」
 
 さとりは焦らすようにたっぷり間を開けてから、

「あなたの見る世界に似てますよ」

 三つの眼を細めた。
 
 ◆
 
 
「ここの全体も撮っておきましょうか」
 
 さとりが遠景に選んだのは、地上に続く縦穴への入り口をちょうど見渡せる位置だった。焦げた岩壁や大きくあいた穴など、巫女や黒い魔法使いが暴れた痕跡も、今や洞窟の馴染んだ風景になっている。
 フレームにちょうど遠景が入るように、立ち位置をたしかめて、さとりの合図を待つ。
 
「えーと、あれ」
 
 しかし、彼女はフレームの中でこちらをチラチラと伺いながら、一向に戻らない。測り棒を持ったまま、何やらもたもたとしていた。コーンと、大きく音が洞窟にこだました。取り落とした木製の棒は、岩と身を打ってよく響く。
 痺れを切らして、なにをしているのかと声をかけると、

「いえ、測量棒がですね」
 
 さとりは棒を持って地面を相手に格闘していた。岩場がゴツゴツしていて、三脚がうまく立たない。三つ足が安定せず、傾いていた。短い手足でなんども不器用に調節しようとするも、

「短いは余計です、ああ」

 手を離した途端、測量棒が倒れる。再び、大きく気持ちいい音が響く。
 手伝おうにも手伝えることもなく、そのまましばらく、地霊殿の主人があたふたと慌ている様を眺めていた。
 普段傲岸不遜の彼女が慌てる無様を晒すのは見ていて心地がよかったが、あまりに何度も棒を取り落とすのでだんだんと困惑と苛立ちが勝ってくる。そんな心中がを読み取ったのか、彼女もより慌てる。取り落とす。たまらず、
 
「あなたが持って立てばいいでしょうに」 
「ええ、そうなのですが、しかし」
「なによ」
「それは……あっ」
 
 出した助け舟にも、さとりはなかなか乗ろうとしなかった。三度、木琴が大きく響く。らしくなく、歯切れ悪く、もごもごと口籠っている。
 棒立てチャレンジが五度目度の失敗を記録し、ついい声を荒げかけた矢先、聞き慣れた声が耳をついた。声に明度があるなら、とびきり明るい、太陽光。
 
「ヤッホーお二人さん、なにしてんの」

 薄暗闇に結えた金絹髪を煌めかせながら、朱玉の双眸が興味に輝いた。手から生やした絹糸をするする伝い降りてくる。脇には、桶から愛らしく顔を出した小柄な少女の姿も。
 
「ヤマメにキスメ」
 
 縦穴に響く音につられて、地底の仲良しコンビがやってきた。

「なんかおっきい音が聞こえると思ったら、なにこれ。棒立て?」
「ええ、さとりが一人で遊んでるの」
「違いますよ」
「あ、カメラだ」
「写真? わたしらもとってよ!」
 
 キスメが目ざとくカメラに気付き、黒い眼差しを爛々と光らせる。ヤマメもそれに乗じて、地底のアイドルの名に相応しく、晴れやかに笑う。笑顔と眼差しに、あたりが明るくなったように錯覚した。
 
少女二人の好奇心に押されそうになるが、これは仕事用である。フィルムを無駄にするわけには、
 
「構いませんよ」
 
 呆気なく許可が出た。
 
「ほんと? やったー!」
「ヤマメちゃん、つーしょだよつーしょ!」 
「ちょっと、いいの?」
 
 両手を上げてわかりやすく喜ぶ二人を横目に耳打ちをした。
 勇儀に関しては、役柄を立てて目を瞑るとしても。
 彼女らに大義名分はない。しかし、さとりの答えはひどくあっさりしたものだった。
 
「フィルムにも少し余裕はあります。一枚は測量として報告して」
 おまけのもう一枚は、撮り損じということで。
 立てた人差し指に片目を閉じた。閻魔の名を想起したが、映姫はお堅いですがケチではありませんから、と一言。
 測量棒と格闘してたのはどこふく風、涼しげに提案するさとりが、どこかほっとしているように見えたのは気のせいか。
 
 棒の縞々がクモの模様のようだとはしゃぐ二人を諫めた。勇儀の時と同じように、一枚目は直立不動。面白みのない真面目な一枚に。キスメが身長を気にしていたのが愛らしかった。
 二枚目は、せっかくだからちゃんと撮りたいと、指を二本立てたり、腕を組んだり肩車をしたり、様々なポーズを試した挙句に、頬をピタリとくっつけた近距離のショットを要求。レンズとの距離は三尺もない。
 
「はやくー、結構はずかしいぞぉこれ」
「ヤマメちゃん、くっつきすぎじゃない?」
「はいはい、撮るわよ」
 
 ファインダー越しにはキラキラ光る黒曜と朱玉。金絹と翠緑。一方は慣れた軽快な笑顔を、もう一方はわずかに朱の刺したはにかみを。
 光と共に、瞳と心に妬きつけた。
 
 転写した黒塗りのフィルムをよく乾かすように指示して、

「ありがとー! 大事にするねー!」
「二人ともお仕事頑張ってねー!」
 
 大喜びで手を振る二人と別れた。
 シャッター音に合わせて打った舌打ちが、バレてないといいが。
 
「なにを見せつけられたんでしょうね」
「あら、嫉妬ですか」
「まったくもって正当に妬ましくて困るわ」
「まあいいじゃありませんか、手伝ってもらったことですし」
 
 だんだんと冷えてきた空気の中を二人で飛んだ。地上の日が落ちてしばらく経つだろう。地底の温度変化は、上に比べると緩やかだが、底無しだ。かじかみ始める手をさすり、出来立てのフィルムの温もりを思い出した。それに伴って、勇儀やヤマメとキスメの笑顔も。
 
「写真、たのしいですか」
 
 気がつけば、さとりに顔を覗き込まれていた。霞紫の髪が風にそよぐ。
 
「思ったほど、悪くはないかな。さっきの、上手く撮れてると良いけど」
 
 二人の弾ける笑顔を想起した。ただ人差し指のひと押しであんなに喜ばれるなら、悪い気はしない。
 
「撮れていましたよ」
「ずいぶん言い切るのね」
「わかりますとも。あなた越しに見ていましたから」
 
 風景画よりもポートレートの方が向いてるかもしれませんね。
 珍しく、含みのない物言いだった。私の瞳を通して、彼女もファインダーを覗いたのだろう。私越しの風景は、さぞ煌びやかに違いない。
 
「やはりあなたにして間違いありませんでした。残りも頼みます」
 
 私ならこうはいきません、とさとりはなぜか自慢げだった。

「お褒めの言葉をどーも」
    
 寒くて耳が熱くなってきたので、早く帰りたかった。 
 
   
   ◇
   
   
 かつて死人たちを血の色で迎えた彼岸花の群生地、ひとの骨と肉がとろけるまで煮込んだ地獄の釜戸、元三途の川渡しの停泊所、旧地獄末期に極まった石積みの謎のオブジェ、今は底に穴が開き、血の抜けた血の池地獄。
 
「昔、酔っぱらった鬼が滑って溺れたそうで。それに癇癪をおこして穴を開けたそうですよ」
「ドジな奴もいるものね」
「星熊勇儀っていうんですけど」
 報復の仕方が豪快だ。
 
 さとりと共に、指定された場所を、物を撮って回った。風景を、植物を、動物を。シャッターの一度に、世界を切り取るような錯覚に陥った。
 さとりは相変わらず、棒を立て、植生を採取し、小瓶に入れては、メモ書きをしていた。
 めぐる地獄の風景は鮮やかだった。変わりばえのしない背景に、色を自分で添えた。さとりは時折、穏やかに微笑んでいた。
 
 稚気に突き動かされて、彼女の後ろ姿を撮ってみようとしたことがあった。すぐさま反応されて、薔薇の弾幕とスライド移動でフレームアウトされた。曰く、
 
「フィルムの無駄遣いはお控えください」
 
 自身のポートレートは、お気に召さないらしかった。撮るのを見るのは好きでも、撮られるのはお嫌いなようだ。
 
「さて、次へ行きましょうか」
「ようやく終わりが見えたわね」
 
 気づけば、撮影も次で最後となった。カメラのダイアルが示す数字は残二。いくらか撮り損じをしたにしても、ギリギリだ。是非曲直庁も、もう少し余裕を持たせてくれても良いというのに。
 
「予算はカツカツだそうですからね。まあ、なんとかなりそうでよかったです」
「そうねー」
「もっと撮りたかったですか?」
「な」
 
 見透かされて、言葉に詰まった。
 外界を、枠にはめて切り取るのは存外にたのしい。
 世界をだれより美しく見渡せる私ならば、尚更。
 私の瞳は世界を歪める。視たものすべてを私がねたむ形へ、輪郭を変え、色彩を変え、病むほどに。
 死体に湧くウジを、雪月花とふれあう蝶に。
 樹皮の裂けた枯れ木を、薄桃のにぎわう山桜に。
 天蓋には蒼空を、荒野には草原を。
 被写体は、限りなく。
 他の誰に理解されなくとも、この瞳が妬みたく写した世界を、一つの作品として残すということ。それは、尊いことだ。
 自分の中に芽生えた情熱が、意外だった。
 天狗が躍起になるのも、今ではわかる。
 カメラのシャッターも、せっかく指に馴染んできたところだったというのに。残念という気持ちは、悔しいが確かだ。
  
 しかし反対に、自分を冷静に眺める自分がいた。嫉妬にただ焦がれ、爪を噛み、涙を流す。それが私のあり方のはずだった。何かに情熱を燃やす自分は、少し違う。傍目に緑を妬くくらいが、私にはちょうどいい。
 
「映姫に申請してみましょうか、どうせ古い型ですし」
「……結構よ、仕事だもの。それにお堅い役所なら、備品の横流しは問題になりそうだしね」
「そうですか、ではつぎで最後ですね」

 気を利かせたさとりの提案を、手で制した。さっくりと諦めて、地面を蹴った。最後の被写体は、私の橋だ。
 
 ◇
 
 飛翔からの着地に、橋桁は心地よく応えてくれた。
 ぐるりと、地底を一周した形になった。半日は使ったか。さとりも、少し息をついている。
 名残惜しいが最後の一枚を撮って、終わりにしよう。
 
「何か希望はある?」
「全景さえ写れば特には」
「そ。じゃあ川上から」
 
 愛着のある橋だ。せっかくなので綺麗にとってやりたい。構図は橋の川上から、やや俯瞰で。朱塗りの欄干と、漆の擬宝珠が鬼火に薄く照らされて、艶を纏っていた。ファインダーを覗くと、生命の薄い川の、水面の照り返しがキラキラと輝いて美しい。決まりだ。
 
 パシャリ。
 
 何十回目の、乾いた音と明滅で、また世界を記録した。飽きるほど見慣れたこの場所も、枠に収めるだけで、少し違って見えてくる。
 橋桁に降りると、さとりが、
 
「ご苦労さまでした。良い写りですね」
「現像はまだよ」
「わかりますとも、みてましたから」
 
 したり顔でうなずいた。実際、黒塗りのフィルムは一分ほどで絵を焼き付けた。構図は完璧、光の当たり方も決まっている。
 私は満足に頷くと、さとりにフィルムを手渡した。彼女もそれを認め、日付と場所を記入し、資料に貼り付ける。
 
「ご苦労様でした。以上で終了になります」
 
 パタリとバインダーを閉じて、宣言した。
 肩の荷が下りた。一日中重い立方体を運んで、腕も疲れている。甘味でも食べて、お腹を満たしたい。

「いいですね、どこか食べに行きますか」
「今から旧都に戻るのもね」
 
 半日拘束されて、報酬が甘味一皿は割りに合わない。とはいえ、給金をねだる気にもなれなかった。不思議と胸は満たされていたのだ。
 さとりは、今日の記録を手繰っていた。
 
「本当にいい写真ばかり」
「その資料って、コピーもらえたりする?」
「どうでしょう、一応正式な報告書になるので、部外秘になるかも」
「そう…」
 
 私の最初の作品集ということになる。もしかしたら、最後かもしれない。記念に一部、手元に置いて置きたかったので、残念だった。キャプションは日付と植生記録だけで、味気はないかもしれないが。
 一陣、吹き下ろしの風が強く吹いた。
 
「あ」
 
 通り抜ける風が、紙挟みの資料をパラパラとめくり、一枚をかすめとった。ページは舞い上がり、川上へ。風に煽られて、水面に急降下する。知らず、足が橋桁を蹴っていた。
 
 
「あぶな」
 
 手には乾いた感触、足元はぐっしょりと濡れた。
 水面の瀬戸際、なんとか間に合った。靴とスカートを代償に資料と写真は無事。確かめるように、写真の貼られたそれを眺めた。
 ページにはちょうど、光苔のサンプル写真が貼られていた。キャプションには、植生名と採取場所、さとりによる雑感、そして、
 
「なに、これ」
 
『小指程度の硝子瓶に入れた光苔、それが薄く光った。天蓋付近の鬼火に向けると、明滅が呼応するように重なった。
 死の間際の蛍のように、互いを呼び合う二つの光。わずかに命の脈を感じて、心に漣(さざなみ)が立った。 
   撮影、水橋パルスィ 』
 
 一字一句違わず、私の心の描写が、書き連ねられていた。
 
 (ぽえっとですね)
 
 ほくそ笑む彼女顔が浮かぶ。これは、なんたる辱めか。
 
「パルスィ 、大丈夫です……か」
 
 欄干から振りかかる、さとりの声が詰まった。ちょうど、悪事のバレたいたずら妖怪のように。
 ゆっくりと見上げると、顔の引きつったさとりと目があった。てへ、と茶目っ気たっぷりに微笑まれた。
 
 あとで、私の顔がどんなものだったか、キャプションでもつけてもらおうか。
 
 ◇
 
 
「ほんの出来心です」
「それで本気で許されると思ってる?」
「許して……くれませんか、そうですか」
 
 橋桁に膝を揃えて正座したさとりが、うなだれた。萎れる薔薇のよう。とっさに例えが見つかる自分が憎かった。
 
 つむじを見せるさとりと、紙挟みの資料を順繰りに眺める。
 
『折れた岩針は供養もなされず、稚気にまみれた遊び場に。役目を終えてなお、童が高く数を数えている。』
『稲穂色の金髪が流れ巻き、片足を軸に、カラカラと高下駄が同心円を描いた。』
『かつての血を煮込んだ朱玉が、光を失い暗くどこまでも吸い込まれるような闇の色になっていた』
 
 おおよそほとんどのキャプションに、余計にも撮影時の私の心境が記されている。改めて文字に起こされると、こんなにも恥ずかしい事はなかった。
 最終頁をくり終わり、わざわざ大きく音を立てて紙挟みを閉じた。さとりの方がビクと跳ねる。
 
「茶目っ気が過ぎました。反省はこの通り」

 霞紫が深々とこうべを垂れた。
 いけすかない女だとはわかっていたが、ここまで性格が悪いとは。
 途中、楽しくなっていた自分を責めた。半日、彼女の悪ふざけに付き合わされた。手伝わせておきながら、ひとの心象風景を笑っていたのだ。写真の手腕を褒められたのも、きっと含み笑いを伴って、
 
「それは違います」

 やけくその疑念は、ぴしゃりと否定された。いつのまにか、紫水晶と緋玉の三つ目がこちらを見つめていた。視線に、戯けはなかった。
 
「……ならなんだっての」
「詩人と評したのは、本心ですよ。写真の手腕も。あなたに任せてよかった」
「嫌味のつもり?」
「違います」
 
 紫水晶は引き下がらず、
 
「私はあなたのファンなんです」
「……は?」
 
 横書き顔負けの、恥ずかしい台詞を放った。
 
「ファン?」
「はい」

 実に真面目な顔で。
 
「あなたの瞳と私の瞳、それぞれ理想と真実を写しとると、あなたはそう描写しました。その通りです。私が見逃す綿毛の心象も、あなたにかかれば宝船の遊覧になる。食べ飽きた下らない痴話喧嘩も、あなたの目を通せば一大の戯曲になる。それは、真実を写しとるのになれた私には、それは、」
 
 それはとても羨ましいことなのですよ。
 紫水晶の瞳の奥に、一抹の緑を感じた。私でも見逃しそうな、微かな緑だ。
 さとりは観念したように、つらつらと口紐を解いた。
 
 
「嫉妬、なのかもしれません。才能への、いえ、感性への。会うたび感じていたことです。私は、あなたの瞳を通した世界がたまらなく好きでした。あなたが私に見せてくれる世界は、緑に塗れ、鈍色に色彩を与え、そして美しい」
 
 さとりの口から私の心象風景はの褒め言葉が止めどなく溢れてくる。曰く、色彩の描写が豊か、曰く、負の側面を正に転化する並々ならぬ感性、曰く、肌触りが手にとるよう。ほくそ笑みと共に嫌味を言うこの女が、鼻を鳴らしてひとを小馬鹿にするこの女が、私を、私の才能を褒め称えている。
 
「鼻を鳴らすのは癖ですよ。つい興奮して」
 
 ファンなので。そうしてまた鼻を鳴らすさとりは、さっきまでの熱も少し冷え、いつもの人を食ったような顔に戻っていた。
 対してこっちは、突然の感情の洪水をぶつけられて、思考が追いついていない状態だ。
 
「つまり、いちいち私の心情を書き起こしたのは」
「はい、せっかくなので記録しておこうかと。しかも写真付きですよ、最高じゃないですか」
「報告書を勝手に作品集にしてんじゃないわよ」
「それについては申し訳なく思っていますよ。ちゃんと装丁してからお渡しするつもりだったのですが」
 
 出版も視野に入れておりますので。
 末恐ろしい事を悪びれもなく呟いた。作者の了解なく、作品集が世に出回ろうとしている。目眩のしてきた私をよそに、さとりは既に問題は解決したと言わんばかりだった。勝手に正座を解き、ぽんぽんと膝を叩いている。

「さて、誤解も解けたところで、甘味でも食べに参りましょうか」
「待ちなさい、あんな報告書、提出させるわけにはいかないわ。没収よ」
「そうはいきません。報告書ですので。期限明日までなので」
「あんたまさかこうなることわかってギリギリまで放置したんじゃないでしょうね」
「大きな誤解です。時間があるならもっとじっくり納得いくまで取ってもらいましたよ」
 
 詰め寄る私も難なくかわして、さとり妖怪はほくそ笑んだ。とことん馬鹿にしている。
 相手にしても、疲れるだけかもしれない。 


「わかった。でも本にするに際しては一つだけ条件がある」
「いいんですか? なんなりと!」

 没収を免れた彼女が、嬉しそうに顔を上気させた。わずかに血色が良くなる。が、簡単には終わらせない。ある意味、諦めがついた。開き直りとも言う。人を呪わば穴二つ、とも言う。
 私が考えを脳裏に練るにつれ、彼女の頬はだんだんと色をなくしていった。顔を引きつらせ、今にも逃げ出しそうだ。とびきりの条件だ、ファン垂涎ものの。
 ダイアルが示す残量は一。取り損じは、許されない。
  
「いや、それは、だめです。むりです」
「大丈夫、圧倒的感性で描写してあげるから感謝なさい。ファン一号さん」
「しかしですね、そもそも普通に苦手で、ああ、まって、心の準備が」
「うるさい、ほら撮るわよ」

 半日付き合わされた礼と、勝手に画策された意趣返しに、作者からファン一号へのとびきりの贈り物。
 さとりは逃げるに逃げれず、フレームの中で固まっている。
 描写はたっぷり丁寧に、最大限、色彩を輝かせて。彼女お好みの、ましましで。
 
 ファインダーが彼女をとらえた。紫水晶の目は泳ぎ、胸に浮く緋玉の瞳は視線を逸らす。手足はおぼつかなく揺れて、締まらない姿勢は、夏の空に浮かぶ海月のよう。おり良く風が一吹き、花弁を思わせるスカートを揺らす。霞紫の細糸がまくれ、艶やかな林檎の額を露わにした。
 ガラス越しに一瞬目があった。途端、霜白の頬がうすらと朱を灯した。染まる赤は、薔薇の開花。指先のひと押しと光の転写で瞳を焼いた。
 ウジに美しさを見いだす。綿毛の浮遊をうらやむ。
 カメラを避けるバラの花を、妬む妬む。転写した像は私の緑に。緑柱石を透過して網膜のフィルムに焼け付く。

 緑底に像を結んだ彼女は、ひどく慌てていてーーーーーー。
 
 ◇

 
 
「やはり、苦手です、撮られるのは。あなたの目を通すと余計に気恥ずかしくなりました」
「そう? いい顔してるじゃない」
「薔薇の開花は、盛りすぎではありませんか……」
「じゃあなんなのよ」
「へちゃむくれの蕾とでも」
「だーめ、ちゃんと可愛く撮れてるわよ」
「うぐ……」
 帰りの道行、喫茶店に立ち寄った。
 
 リンゴのパフェを切り崩しながら、出来栄えを二人で論じた。テーブルの中心には、写真と、メモ書き。私の心情風景を、さとりに書き起こさせた。
 ダイアルの残量は零。黒箱も、お役御免。
 
「写真はもう、やらないのですか」
「楽しかったし、まあ気が向いたら」
「もったいない、せっかくの才能を」
 
 パフェの底に、キウイが見え隠れしていた。
 
「それじゃ、キャプションはこれで決定」
「それで結構です……ああ、恥ずかしい。いたずらが過ぎました」
 
 そう言って、パタパタと両手で頬を仰いだ。私は濃緑のキウイを平らげた。
 
 嬉し恥ずかしの処刑を終えたさとりが、消え入るような声で申し出た。
 
『報告書の横書きは差し替え、出版はごく個人的なものにとどめるので』
 
 ベルを背中に喫茶店を後にした。
 さとりとは店先で別れることになった。
 
「それでは、楽しみにしています」
「ん、できたらまた連絡ちょうだい」
「もちろん」
 
 すっかり冷えた空気の中を、さとりが飛んでいく。その背中はどこか、綿毛のように朗らかだ。
 夜の鬼火が、冷たく灯っていた。天蓋を、星空のように覆っていた。
 橋に向けて、踵を返した。装丁はだいたい二週間ほどかかるらしい。
   
『ーー一つだけ、お願いが』


 
 時間はたっぷりあるのだし。  
 


 サインの練習、しておかなくては。
 




 
 
 
 
 
2年前の没案を加筆修正しました。

パルスィの目には、世界は輝いて見えると思います。
怠惰流波
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コメント



0.630簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
色んな場所を、うろうろと。
地底をよく知るふたりで作り上げた写真集は旧い都の風景を魅力的に伝えるガイドブックと成り得そうです。
妬ましい時間をありがとうございました。
3.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
5.100バニハ削除
デートじゃん…!
さとパル地底デートじゃん!!
素晴らしかったです…!

世界を美しく観る橋姫に乾杯!!!!!
ありがとうございます…ありがとうございます…!!
6.100名前が無い程度の能力削除
amaaaaai!!
異なる感性に見るものが嫉妬と羨望を憧れとか好意にするのってとてもすごいことなんだと思います。面白かったです。ごちそうさまでした
7.100ヘンプ削除
滅茶苦茶可愛い……パルスィの見えている風景がとても美しい……
写真を通じて美しい世界の切り取りができたんじゃないかな、と
8.100名前が無い程度の能力削除
スルー・ザ・レンズってそういう
いやあ綺麗ですね
9.100やまじゅん削除
世界観の描写が煌めいて見えるパルスィだからこそ、素晴らしく美しくなったんですね。地獄なのに。
さとり視点で描くと多分くすんで描かれていたのでしょう。

詩的で綺麗で描写への入り込みもし易い、素敵な作品をありがとうございます。
10.100南条削除
とても面白かったです
なんだかんだ理由を付けてパルスィの感性を感じたかったさとりも、なんだかんだ言いつつ写真を撮るのが楽しくなってきちゃったパルスィも非常に魅力的でした
パルスィとカメラ、ありそうでなかった題材がとても素晴らしく物語に昇華されていたと思います
撮られるのが苦手なさとりもよかったです
15.100昭奈削除
恥じらって頬を煽ぐさとりが大変可愛らしいです。その前の、鼻を鳴らすのは癖だと言っているところで何故か原作絵の彼女が脳裡に浮かび、それがまた一層オチでの彼女を愛らしく思わせてくれました。
独特のぽえっとがまた拝読できて喜ばしい限り。
たびたび出てくる造語も愉快でした。
16.100名前が無い程度の能力削除
本当に魅力的な作品でした。地霊殿クロスレビューでもさとりがパルスィの感性を好ましく思っていることは書かれていますが、こうも見事にお話として表現できるものなのですね。パルスィの見る世界の美しさが繊細な文体と非常によくマッチしていて、さとりのパルスィ評に思わず感情移入してしまいました。とても好きです
17.100名前が無い程度の能力削除
さとパルの関係性も地底の様子もそれぞれの"目"の解釈も本当に両手を上げて賛同、好み中の好みでした文章もぽえっとで美しくスラスラ読めました素敵なお話をありがとうございました
18.100torimaru削除
素敵な感性でした
19.100名前が無い程度の能力削除
寒空の下、見飽きた風景に囲まれながら読み始めた筈なのに、気付けば心も頬も火照るようで。
暖かくて素敵な作品をありがとうございました。
20.100サク_ウマ削除
パルスィ何でも褒め殺すのとても生き生きとしていて素敵です。
さとり様はシャイローズ可愛い。
恐ろしく情景豊かで素晴らしいなと思います。とても綺麗だと感じました。お見事でした。
21.100創想話好き削除
どちらかというと作者はさとりの感性に近い? とうとうとイメージ溢れる芸術家よりは、一つ一つを丁寧に切り出す職人? イメージと言葉のダイレクトな美しさに焦がれるはさとりでもあり作者でもあり…とか(※一読者の勝手な想像です) 畢竟どのような時間、道筋を辿ろうと良いものは良い、美しいものは美しい。
23.90名前が無い程度の能力削除
世界が美しく見えすぎるからこその嫉妬、発想の転換がすごい
パルスィとさとり、対照的なふたりだからこそいいですね
27.100終身削除
地底探索を通じてのとびきりの厄介者2人組のえげつないけど返答とかが小粋な感じでお洒落で余裕も感じるようなやり取りが小気味よくテンポよく進んでいくのがなんだか痛快で面白かったです 地底の風景もすごく綺麗で他の住民達とのやり取りも面白くて何というかパルスィの視点にハマってる感じで良いなと思いました
30.100名前が無い程度の能力削除
読みながらやけにポエトリーな内容だと思っていたらまさかそういう事だったとは。とても斬新な演出で面白かったです。2人の掛け合いも機知に富んでおり、魅力的な会話だと思いました。大変良かったです。一種のロードムービーのように濃厚な時間でした。
32.100福哭傀のクロ削除
全体的に感性が素晴らしい。
さとりの瞳とパルスィの瞳を真実と理想で対比させ、
カメラを通して地底を切り取るパルスィとパルスィを通して理想を見るさとり。
まさしくスルー・ザ・レンズのタイトルどおりでした。
正直このアイデアだけで十二分に素晴らしいと思うのですが、
その上でパルスィの見る理想を言語化して表現していった
作者さんの語彙力と感性が本当に素敵でした。
思いつかない発想ですし、ちょっと思いついても自分では書けない。
お見事でした。
33.100名前が無い程度の能力削除
お互いをずっと写していた二人の瞳が美しい……
34.100ローファル削除
面白かったです。
2人の次の撮影旅(デート)に期待せざるを得ません、
さとりもパルスィもとても魅力的に描かれていて素敵です。