葬列は粛々と這っていた。
白と黒の斑を揺らし、気味の悪い音色を奏でて、街道を抜けては辻を曲がり、里を埋め尽くさんばかりの群れは延々と続く。
私は箒に腰掛け、参列する人々の意識が及ばぬ空からそれを眺めていた。
随分と寒く、列を型取る人々もそれぞれのリズムで口元から白い靄を吐いていた。
現在も交流のある霖之助の姿が見えた。いつも椅子に座ってへらへらと笑っている彼が真面目な顔で、前を見て歩いているだけで別人のように思える。
少し離れたところには子どもの頃によく面倒を見てもらった小間使いの婆やがいる。今思うと彼女を通して多くの秘密が両親に筒抜けになっていた。
さらに目をやると、昔よく遊んでやった近所の童子が青年の姿で列に続いている。一緒に花火を作ったときに負った火傷は快くなっただろうか。
数回顔を合わせた以来の親族、隣人の夫妻、里の大長、庄屋の主、掃除係の小姓、そして列の先頭で担がれている木棺に眠る祖母。
『霧雨』の名の下に、無数の鱗が貼り合わされた一つの個。そう、それはまさに蛇だった。
私もまたその鱗の一片である。そして自分が纏っている彼らと同じ白黒の、それでいて決定的に異なる意味合いの衣服を思う。
祖母には、随分と世話になった。私が家を出たときには既に長くないと知っていたが、それでも私をそこに留めるには至らなかった。むしろ私が側にいたところで彼女の寿命が縮むことこそあれ、伸びることはないと確信していた。祖母もまた『霧雨』の名に殉じる人であるゆえに。
きっと彼女は本来の天寿を全うできたことだろう。孝行はできなかったが、それはそれで喜ばしいことだ。
蛇の先頭には父がいた。あまりいい気持ちにならないことは承知で、それでもその表情を探らずにはいられなかった。
正直言って――あの岩のように固まった頭と顔面が母を亡くした感傷に解かされている姿を――期待していた。そしてそれが裏切られるであろうことも分かっていた。岩は岩のまま、何食わぬ表情で蛇の這行を先導していた。
父にとって――否、『霧雨』という蛇にとって――これは脱皮にすぎない。古い細胞を脱ぎ捨てるための儀式。そこに煩わしさはあっても感傷など無いのだろう。
これほど大勢の人間が集っていても祖母の死を悼むものはいない。皮肉なことに哀悼を抱いているのは唯一、とうの昔に剥ぎ捨てられた私という異端だけだ。
悪い癖で――私は想像する。淡々とした心無き葬列に満天の星を降らせたならどうなるだろう。
私なりの皮肉であり祝福である。疼く心はさぞ美しい光を燦然と弾けさせるだろう。似つかわしくない星々が乾いた鱗たちの心を動かす光景を想う。
無論、もはや私はそこまで子供ではない。彼らにはこれが正しい作法なのだ。それは尊重されるべきであることを、私は知っている。
理解できないということが、相手を否定していい理由にはならない。『霧雨』に生まれ育った中で私が唯一得たことといえば、その心得だろう。多少痞えはしたが、私は込み上げる幼稚な悪戯心を呑み込んだ。
元より一族の異分子である。こんなところで目立って何になる。
私はただ呆と、流れていく人々を眺めていた。
†
一週間前。
「馬鹿な遊びはいい加減やめたらどうだ」
数年ぶりに再会した娘に対しての第一声。私は心に重い錠が掛かるのを感じた。
この数年間――魔法を研鑽し、未知を啓き、世の異変を解決し、友と親しみ、時に恋をし……――を一言、「馬鹿な遊び」と。
そんな心無い言葉を相も変わらず吐きつける。私はむしろそれを幸いだと思った。最後に顔を合わせたときから何一つ変わらない彼の思想は、何をどうしても理解し合えないという分かりきった結論へと速やかに私を到達せしめた。争うも歩み寄るも所詮同じ結論に至る回り道ということを、
「やめたらどうなる?」
「お前は正さねばならんことが山ほどある」
外見、言葉、知識、振る舞い、常識、作法、社会性。普通の人間として更生して、結婚し子を成し家業を継ぎ……
よくもまあボキャブラリーが続くものだと可笑しくなった。彼の目から見て、私は頭のてっぺんから足の指先まで誤りだらけであるらしい。黙って聞いていれば眩暈のうちに自分は未開の獣に等しく、今この時、二本足で立っているのかさえ疑わしく思えてくる。
されば獣らしく吼えてみようと思った。
「それはあんたの思う正しさだろ」
「それが普通だ」
即答。
「そうかよ」
思わず笑いが零れてしまう。
時間は万病に効く薬だというし、私はそれによって幾分か当時を克服したつもりでいる。だからこうして不敬極まりない言葉を前にしてなお冷静に向き合っている。
けれど父は、その心身の隅々まで『霧雨』の血で出来ていた。彼の数十と余年の生涯のみならず、脈々と積み重なり圧縮されてきた常識という凝固に対して、私が家を出てからのたかが数年がどれだけの変化をもたらすだろう。
「生憎と私とあんた達は決定的に違う」
「そうだ、お前は間違っている」
「そういう話じゃないだろ」
全く頭が痛くなる。文字通り岩と頭突きあっているような気分だ。
彼らが私を尊重できないように、私もまた彼らのためは生きられない。それは互いに別々の存在なのだから自然なことだ。ただ偶然同じ血のもとに生まれた縁、それは自由を縛る鎖などではないはずなのに。
私は懐の魔砲を取り出したくなる衝動をぐっと堪え、言葉に想いを乗せて吐いた。
「私たちは――」
思えば、父はそんな下らない喧嘩をしにきたわけではなく、ただ祖母の危篤を伝えるためだったのだろう。けれど、結局最後までそんな話題には至らなかった。
私はそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。冷静でいたつもりだが、十分惨めなほどに煽られていたのだと理解する。
ただそれきり、弾き飛ばされた視点を父に戻す気にはならなかった。
†
頬に冷たさを感じ、顔を上げる。
泥のように濁った空から綿雪が降りはじめた。
曇天の白雪は私が場違いな星を降らすよりも、ずっと弔いに相応しい。
蛇は往く。父が、親族が、隣人が、里の人々が――ひとつとなって。
彼らは互いに期待しすぎている。別々の体、別々の心が、それこそ一つの生物のように束なるのだと思い込んでいる。
みんなそれぞれ別の存在。分かり合えないなんて当たり前なのに。
続々と地を這う人々が弔いの紙吹雪に顔を上げる前に、私は退散する必要がありそうだ。
腰掛けた箒に念じ、吹き始めた風に乗る。
何ものにも縛られない体は軽く、私は私のままどこまでも往けるだろう。
白と黒の斑を揺らし、気味の悪い音色を奏でて、街道を抜けては辻を曲がり、里を埋め尽くさんばかりの群れは延々と続く。
私は箒に腰掛け、参列する人々の意識が及ばぬ空からそれを眺めていた。
随分と寒く、列を型取る人々もそれぞれのリズムで口元から白い靄を吐いていた。
現在も交流のある霖之助の姿が見えた。いつも椅子に座ってへらへらと笑っている彼が真面目な顔で、前を見て歩いているだけで別人のように思える。
少し離れたところには子どもの頃によく面倒を見てもらった小間使いの婆やがいる。今思うと彼女を通して多くの秘密が両親に筒抜けになっていた。
さらに目をやると、昔よく遊んでやった近所の童子が青年の姿で列に続いている。一緒に花火を作ったときに負った火傷は快くなっただろうか。
数回顔を合わせた以来の親族、隣人の夫妻、里の大長、庄屋の主、掃除係の小姓、そして列の先頭で担がれている木棺に眠る祖母。
『霧雨』の名の下に、無数の鱗が貼り合わされた一つの個。そう、それはまさに蛇だった。
私もまたその鱗の一片である。そして自分が纏っている彼らと同じ白黒の、それでいて決定的に異なる意味合いの衣服を思う。
祖母には、随分と世話になった。私が家を出たときには既に長くないと知っていたが、それでも私をそこに留めるには至らなかった。むしろ私が側にいたところで彼女の寿命が縮むことこそあれ、伸びることはないと確信していた。祖母もまた『霧雨』の名に殉じる人であるゆえに。
きっと彼女は本来の天寿を全うできたことだろう。孝行はできなかったが、それはそれで喜ばしいことだ。
蛇の先頭には父がいた。あまりいい気持ちにならないことは承知で、それでもその表情を探らずにはいられなかった。
正直言って――あの岩のように固まった頭と顔面が母を亡くした感傷に解かされている姿を――期待していた。そしてそれが裏切られるであろうことも分かっていた。岩は岩のまま、何食わぬ表情で蛇の這行を先導していた。
父にとって――否、『霧雨』という蛇にとって――これは脱皮にすぎない。古い細胞を脱ぎ捨てるための儀式。そこに煩わしさはあっても感傷など無いのだろう。
これほど大勢の人間が集っていても祖母の死を悼むものはいない。皮肉なことに哀悼を抱いているのは唯一、とうの昔に剥ぎ捨てられた私という異端だけだ。
悪い癖で――私は想像する。淡々とした心無き葬列に満天の星を降らせたならどうなるだろう。
私なりの皮肉であり祝福である。疼く心はさぞ美しい光を燦然と弾けさせるだろう。似つかわしくない星々が乾いた鱗たちの心を動かす光景を想う。
無論、もはや私はそこまで子供ではない。彼らにはこれが正しい作法なのだ。それは尊重されるべきであることを、私は知っている。
理解できないということが、相手を否定していい理由にはならない。『霧雨』に生まれ育った中で私が唯一得たことといえば、その心得だろう。多少痞えはしたが、私は込み上げる幼稚な悪戯心を呑み込んだ。
元より一族の異分子である。こんなところで目立って何になる。
私はただ呆と、流れていく人々を眺めていた。
†
一週間前。
「馬鹿な遊びはいい加減やめたらどうだ」
数年ぶりに再会した娘に対しての第一声。私は心に重い錠が掛かるのを感じた。
この数年間――魔法を研鑽し、未知を啓き、世の異変を解決し、友と親しみ、時に恋をし……――を一言、「馬鹿な遊び」と。
そんな心無い言葉を相も変わらず吐きつける。私はむしろそれを幸いだと思った。最後に顔を合わせたときから何一つ変わらない彼の思想は、何をどうしても理解し合えないという分かりきった結論へと速やかに私を到達せしめた。争うも歩み寄るも所詮同じ結論に至る回り道ということを、
「やめたらどうなる?」
「お前は正さねばならんことが山ほどある」
外見、言葉、知識、振る舞い、常識、作法、社会性。普通の人間として更生して、結婚し子を成し家業を継ぎ……
よくもまあボキャブラリーが続くものだと可笑しくなった。彼の目から見て、私は頭のてっぺんから足の指先まで誤りだらけであるらしい。黙って聞いていれば眩暈のうちに自分は未開の獣に等しく、今この時、二本足で立っているのかさえ疑わしく思えてくる。
されば獣らしく吼えてみようと思った。
「それはあんたの思う正しさだろ」
「それが普通だ」
即答。
「そうかよ」
思わず笑いが零れてしまう。
時間は万病に効く薬だというし、私はそれによって幾分か当時を克服したつもりでいる。だからこうして不敬極まりない言葉を前にしてなお冷静に向き合っている。
けれど父は、その心身の隅々まで『霧雨』の血で出来ていた。彼の数十と余年の生涯のみならず、脈々と積み重なり圧縮されてきた常識という凝固に対して、私が家を出てからのたかが数年がどれだけの変化をもたらすだろう。
「生憎と私とあんた達は決定的に違う」
「そうだ、お前は間違っている」
「そういう話じゃないだろ」
全く頭が痛くなる。文字通り岩と頭突きあっているような気分だ。
彼らが私を尊重できないように、私もまた彼らのためは生きられない。それは互いに別々の存在なのだから自然なことだ。ただ偶然同じ血のもとに生まれた縁、それは自由を縛る鎖などではないはずなのに。
私は懐の魔砲を取り出したくなる衝動をぐっと堪え、言葉に想いを乗せて吐いた。
「私たちは――」
思えば、父はそんな下らない喧嘩をしにきたわけではなく、ただ祖母の危篤を伝えるためだったのだろう。けれど、結局最後までそんな話題には至らなかった。
私はそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。冷静でいたつもりだが、十分惨めなほどに煽られていたのだと理解する。
ただそれきり、弾き飛ばされた視点を父に戻す気にはならなかった。
†
頬に冷たさを感じ、顔を上げる。
泥のように濁った空から綿雪が降りはじめた。
曇天の白雪は私が場違いな星を降らすよりも、ずっと弔いに相応しい。
蛇は往く。父が、親族が、隣人が、里の人々が――ひとつとなって。
彼らは互いに期待しすぎている。別々の体、別々の心が、それこそ一つの生物のように束なるのだと思い込んでいる。
みんなそれぞれ別の存在。分かり合えないなんて当たり前なのに。
続々と地を這う人々が弔いの紙吹雪に顔を上げる前に、私は退散する必要がありそうだ。
腰掛けた箒に念じ、吹き始めた風に乗る。
何ものにも縛られない体は軽く、私は私のままどこまでも往けるだろう。
理念を主張することはとても大事だし、生存よりも多様性の尊重が上位にくる人がいても良いとは思うけれど。逆方向に振れすぎるとそれはそれで恐ろしいので。
父親も人間ですし、くだらない言い争いで祖母の件を伝えられなかったことに何も感じていないわけではない……と信じたい。読み手としては岩が綻ぶ様を見たいと思うものの、下手に書くと途端にチープな蛇足にもなりえるので難しいですね。
この重い無力感、とても良いなと思います。良かったです。
魔理沙の生き方からとても力強さを感じさせられました
もやもやとした、それこそ中途半端な雨の日に傘を忘れてしまった時のような感覚が、この作品を味わった証拠なのかもしれません。面白かったです。