Coolier - 新生・東方創想話

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 物は、壊れてしまう。
例えばこの花瓶だってそうだ。うっすらとほこりをかぶっていたせいで、ちょっと手を滑らせてしまっただけで、それは重力の虜になり、こんなにもあっけなく、断末魔の悲鳴を一瞬あげて、ばらばらになってしまった。
なぜ。どうして。
 拾い集めた無数の花瓶だった破片を胸に抱えながら、秦こころはうつむく。大きな目をまん丸く見開いたまま、涙もなく、歯ぎしりもせず。しかし彼女を取り巻く無数の面は、入れ代わり立ち代わりこころの前に現れては次の面に場所を譲る。その様子はまるで竜巻のようだった。
 この喪失に対して、どの感情を当てはめればよいのか。この別れに際して、こころには答えが出せない。
単純な悲しみとも、燃え上がるような怒りともまた違う。
自らのうかつを、そして物というモノのほとんどがたどる呪われた定めを、呪うこの気持ちが、いったい何ものなのか。わからない。
 モノは、いずれ壊れる。
 壊れて、捨てられて、ゴミになる。
 ゴミになって、人から忘れられて。
モノはそうやって、死んでいく。
花瓶を抱きしめる。それらは擦れ合って、きし、と声を上げる。耳に痛い声で、こころは体をすくませる。彼女をなす感情のうち、姥の面が優位に立つ。
花瓶は、ゴミになった。
そして、無為に死んでいく。こころのせいで。
しかし奥に座っている聖白蓮は、それは違うという。
「よいですか、秦こころ。そのものはいま、天寿を全うしたのです」
 聞く耳を持たないこころに、白蓮がため息をつく。
「あなたにも、門下の者にもよく聞かせていますが……無常という言葉を思い出しなさい。すべてのものも、生き物も、永遠を過ごすことは決してできません。形あるもの、いつかは滅びる。それが常世の定めです」
「……滅びたんじゃない。滅ぼしたんだ、私が。私のせいで」
「たまたまあなただっただけのことです。あなたでなくても、きっとそそっかしい星あたりが割ってしまっていたでしょう」
「でも、今割ったのは私だ」
「そうですね。それは間違いない。でも、そのように自らを強く責めるのはやめなさい」
「できるもんか。人や、飼い犬に置き換えてみろ。とてもそんなこと、言えないはずだ」
 白蓮はそれを聞いて、深く頷く。
「その通り。でも、あなたは結果に囚われすぎよ。あなたの想いを、花瓶のことを想わなければ」
 こう、続ける。
「なぜ、割れたのだと思いますか」
「私が手を滑らせたからだ」
「なぜ、手を触れたのですか」
「水を替えるために、だ……」
 こころが初めて顔を上げる。感情の渦は治まり、白蓮の慈悲深い沈痛な面持ちを、じっと見つめる。
「そう。あなたが、花瓶を使おうとしたからです」
「じゃあやっぱり私のせいじゃないか」
「ああ、言葉が悪かった。それなら、花瓶の立場に立ってみて」
 再び面が舞い始めるその前に、白蓮が鋭く割り込む。
「その花瓶は……最期まで使ってもらえて、幸せだったと思わない」
「……」
 こころは黙る。
「その花瓶は……恥ずかしい話ですが、あなたが気付くまで誰も、水も替えていなければ花も生けていませんでした。それに気づいてくれたあなたが、こうして水を差そうとしてくれた。その結果でしょう」
 つまり、こういうことだ。
「モノは使われてこそ、その本懐を遂げるものです。ならば、こころ。あなたの行いは、悔いる類いのものではない。徹頭徹尾、その花瓶の幸せに寄与するものだったのですよ」
 諭すように白蓮は言う。
 こころは、答えない。
 口を開けば、爆発してしまいそうな思いだけがあった。だが白蓮がそこに、無遠慮な一針を入れたものだから。
「あなたも付喪神の一柱なら、わかるでしょう」
 その一言は、聞き捨てならなかった。
「……黙れ」
 途端、嵐の様に面が吹き荒れる。暴風の中でただ一枚動じず、こころに寄り添うのは、彼女が深層を覆い隠すのに用いる狐面だった。
「……こころ」
「黙れ、おまえに何がわかる……」
 薙刀すら現出させ、しかしそれは手に持たず、こころは花瓶だったかけらを抱えたまま宙に浮く。狐面の下にある、彼女の本心はうかがえない。
 しかし声は。やっとの事で絞り出したその声は。
「……命を持って、愛を抱いて生まれてきたお前たちに、我々の何がわかる。この腐れ坊主!」
 わななく声だ。こころはそう叫んで、命蓮寺から飛び出した。引き留める声は聞こえなかったし、聞くつもりもなかった。
あの場にはもう一瞬たりとも居たくなかった。
行先は、決まっていない。

     †

 秦こころは付喪神である。
 さる高名な舞踊家の手に渡った能面たちが、群体として自我を持った付喪神だ。その由来は古い。妖怪としては年若い彼女だが、モノとして過ごした時間はとても長い。いくつの時代を超えてきたのか、わからないほどだ。
 人の隆盛を、衰退を、彼女は舞台の上から見つめていた。烏帽子姿のやんごとなきお方が行き去り、刀を携えた粗野な男たちが朽ち果て、やがて大きな戦が始まって見向きもされなくなった。
そういう長い、長い時を経て。秦こころは付喪神となった。
 幸いにも、彼女は宝だった。ゆえに壊れずに残った。しかし腕の中の花瓶は違った。秦こころという迂闊な少女の手に渡り、そしてあっけなく割れた。彼か彼女か今となっては知るよしもないが、ともかくそれが生きる道を、こころ自身が閉ざしたのだった。

 殺した。

 そう言い切ってしまっても過言ではない。こころにはそう思えた。
そしてその結末を、絶対に認めたくはなかった。殺してなんかない。死んでなんか無い。私がこの子を見捨てない限り、この子は花瓶であり続ける。絶対に死なせるもんか。
 そう言い張ってみても、破片のままでは死体のままだ。こころは『修理屋』の伝をあたった。
それは困難を極めた。人間に頼めればそれが一番良かったが、こころは先に起こした異変の元凶である。散々迷惑を掛けたし、気が引けるというのが一番のところだった。それに人間は、まったくの無表情でいるこころという存在を不気味がる。それがきちんと感情を持ち合わせているこころを傷つける。故に人間とは、今のところあまり話したくなかった。
面倒な性格をしているなとこころ自身も思うが、差し当たっては妖怪の伝をあたらざるを得なかった。
そして妖怪たちは、あらゆる事柄の扱いが大雑把で……従ってモノの扱いもぞんざいな傾向があった。酒宴に赴けば皿やお猪口、徳利の二、三、割れているのが常の相手だった。壊れて上等と考える連中に、直して使おうなどという発想が湧くわけもない。こころは頭を抱えることになった。幻想郷では、モノの命が軽すぎる。
これには般若の面が、真っ先にこころの前に立った。
モノをなんだと思っている。
モノだって、生きているんだ。
憤れば憤るほど、花瓶たちを納めた風呂敷は重みを増していく。焦りが先にたち、思考の幅と視野を狭めていく。それでもこころは歩くことを止めない。
「本当に、だれか助けてくれないものか」

「呼ばれて飛び出てばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっっっっっ!」

そこに突如、上空から天を裂くような大声。突如紫色に染まった視界。こころはたまらずしりもちをつく。大事に抱えていた風呂敷が解け、花瓶が散らばる。
「うひゃあ」
「やった大成功!」
そうやって高笑いをしてみせた妖怪に、こころは見覚えがあった。どこを飛んでいたときだったか、えらく特徴的な見た目だったので強く印象に残っていたのだった。大ぶりのなすびを思わせる紫色の唐傘、そこから長く伸びる卑猥な太い舌。持ち主自身も十把一絡げにできる容姿ではない。徹底的に空の色へ寄せた髪色、洋服。その中に一点だけ差す、紅が片瞳の色だというのだから驚きだ。
自慢げに立つ、美しい妖怪。名を確か多々良小傘と言ったか。ドヤ顔を決めてこころを見おろしている。こころは般若の面の奥から、ぞんざいに応じる。
「呼んでないぞ」
それどころではない。落としてしまった破片を拾い集めるのに必死だった。一つでも欠けようものなら、この花瓶は二度と蘇らないかも知れない。
「当然! さぁ来いって呼ばれてから驚かしに行くんじゃ、どうやっても驚かせようがないでしょ。生きることは日々、新しい刺激と驚きの連続。なら生きているあんたは今! まさに驚きを求め続けていると言っても過言ではないよ。つまり生きとし生けるものは皆、常に私を呼んでいるってワケ」
「時間と呼吸と心拍数と集中力を無駄にした。今忙しいから黙っていてくれ」
「ええーっ、ちょっと待ってよ! ごめんって。……ひょっとしてその割れ物、大切なもの?」
「割れ物って呼ぶな。花瓶だ。まだ。お前が転ばせたりしなければ、そのまま蘇るはずだった」
「…………う」
「わかったら黙って消えてくれ。それか、もしくは」
 般若の目が光り、離れる。それがこころの背後に浮かぶと、小傘を圧倒する威容の一部となる。こころの持つ六十六の面が、一面にならんで一度に小傘を見つめる。それらが隊列を離れこころの周囲を一つずつぐるぐると回り出し、渦を作る。感情の渦を。足を掬われれば決して逃れることの出来ない、濁流を。
「お前の大好きな驚きとやらの渦の中で、永遠に揉んでやろうか」
 この暴威には流石の小傘も気圧されてしまって、平に謝りながら申し出た。
「……手伝うよ」
「必要ない。馬鹿にするな。拾うだけなら私にだって」
「そ……そうじゃなくて。継ぐほう」
「なに?」
 こころは顔を上げる。
「金継ぎ。うちの工房なら出来ると思う。どう、興味ない?」
「金継ぎというのはなんだ」
 小傘は答えた。
 破損した陶磁器の割れ目に、漆を塗って繋ぐ。そしてその上から金粉をまぶし、継ぎ目を華やかに装飾する。割れた花瓶は新しく生まれ変わる。花瓶としての命に、美術品としての衣を着て。
「…………それ、私にも出来るのか」
「興味ある?」
「ちょっとだけだ。ちょっとだけ」
などと強がりを言っても仕方がない。もとより修理屋のつてが無かったところに、願ってもない申し出だった。それにこころはすっかり、金継ぎという儀式のもつ響きのとりこになっていた。なにせ一度壊れてしまったものが、装いも新たに生まれ変わるというのだから。
「是非とも教えてほしい。私はこの子を蘇らせたい」
「交渉成立ってわけだね。誠心誠意、平身低頭、手伝わせていただきます」
小傘はおどけたお辞儀をしてみせる。
こころは、それを見て小さく鼻を鳴らし、「気持ち拾いしたな、妖怪」と、小傘に釘をさすのを忘れない。
 我ながら、お人好しというか、お物好しというか。
相手が同じ付喪神というだけで、これだけの苛立ちを、即座に鞘へ収めることができるのだから。

     †

小傘の工房へ場所を移し、二人は早速金継ぎを始めた。
工房の主人であり、冶金に秀でる小傘。彼女は工房の奥の方で金箔を延べるべく、金槌を振るっている。薄く、薄く、風に舞ってたなびくほどに薄く。しかし、千切れてしまわないように。精緻な作業だが、小傘の手元に狂いはない。迷いもない。たたらの名を持つ彼女にとっては、肩慣らしのようなものだ。小気味の良いかな音が、絶え間なく響く。
一方のこころは、すでに継ぎの工程に入っていた。
 バラバラになってしまった破片が、どの破片に繋がるのかを見出して、断面に漆を塗り、元通りの形になるよう継ぎ合わせていく。貼り付けたような無表情が常のこころも、この時ばかりは下唇を噛みしめて息を詰まらせる。気がつけば息が止まっていて、思い出したかのように大きく深呼吸をする。そして作業を再開する。甲高く響く金槌の音も耳に入らないほどだった。
こころは、彼女に魂を込めるようなつもりで花瓶を継いでいた。彼女……というのは、装いも新たにこの花瓶が生まれ落ちるならば、きっと華やかな娘になるだろうと思ったからだ。装いがやたらときらびやかな娘といえば一人、命蓮寺の周りで面識がある。疫病神の何と言ったか、あんなに下品にはなって欲しくはない。でも、着飾っては欲しい。親心に近い複雑な感情に対して翁の面が優位に立つが、こころは首を振って雑念を払い除ける。
いまは、この娘の躰を継ぎあげることが先決だ。
「おおい、ちょっと休憩しようよ」
 作業の一段落した小傘が時折、額の汗を拭いながら声を掛けるが、こころは答えない。聞こえてすらいない。
 そんなこころの様子を見て、小傘は再びの呼びかけを呑み込んで、工房の奥にある居住空間へと引っ込む。あれだけ真摯に物事と向き合ったあとには、とびっきり甘い茶菓子と、暖かいお茶が必要になるはずだった。

     †

 継ぎの工程は丸一日かかった。しかし、間もなく終わってしまうと思われた。
 こころの手先が存外に器用だったと言うこともある。しかしそれ以上に小傘を驚かせたのは、こころが見せた執念だった。こころはどんなに促しても、花瓶の前から一歩も動かなかった。それは睡眠を取るときですらそうだ。すぐそばの床で、目覚め次第いつでも作業を再開できるように眠る。良く硬い床で眠れるものだと小傘は感心するばかりだが、すぐにそれは逆なのだと気付く。無茶な姿勢でも眠れてしまうくらいに、消耗しているのだ。
 金を延ばし、粉末にするという小傘の職分は早々に終わってしまっていた。話し相手は眠ってしまっている。退屈だった。寝起きにドッキリを仕掛けようかと画策したこともあったが、万が一出来上がりかけた花瓶が壊れてしまおうものなら、こころにとっても小傘にとっても、気持ちの良い結末ではなくなってしまう。
 花瓶は九割方出来上がっていた。残った破片の数も数えるほどだ。継ぎ目に見える漆の跡は、赤茶けた色合いと相まってまるで血を流しているかのようにも見える。躰の欠落も含めて、痛ましい姿だと小傘は思う。
 その感情は妖怪としての物で。
 それとは別に、元、モノとしての感傷もある。
「…………いいなぁ」
 小傘は人差し指を咥えて呟くのだった。
 誰からも見向きもされず、誰にも拾われない。誰にも使われず、故に誰からも壊されることなく生き延びてきた。それが小傘の来歴だった。
 風に任せて吹かれるがまま……気がついたら、妖怪になっていた。
 寂しかったから。
 とにかく寒くて、冷たくて。人の手が恋しくて仕方がなくて。故に小傘はモノであることをやめたのだった。そうでもしないと、永久に人に触れられなさそうだった。だから、自分から歩み寄ろうとした。小傘が誰彼かまわず驚かしにかかるのは、その寂しさのせいもあった。
 そこに来て、小傘は花瓶の方がうらやましくて仕方がないのだった。モノとしての役割を終えて、なおよみがえらせようとしてくれる者がいる。
 モノとしての命を、つないでくれようとしている人がいる。
「…………幸せ者だねぇ、きみは」
 半ば以上組み上がった花瓶に対して、小傘が声をかける。花瓶は当然、何も答えてはくれない。ただ、これは錯覚に違いないが、継ぎ目に見えている真っ黒な漆が、脈動するように光沢を瞬間、増したような気がする。
 こころが、この割れてしまった花瓶に、新たな命を吹き込んでいる。
 小傘にはついぞ与えられることのなかった愛情を、一身に受けている。
「本当に、幸せ者だねぇ。きみは」
 笑みを浮かべる小傘。そしてゆっくりと、優しく手を伸ばす。
 傷だらけの首に、触れようとする。
 そのとき、こころが目を覚ました。小傘は手を引っ込める。
「おはよう、こころちゃん」
「おはよう。何時ほど眠っていた」
「ほんの四半刻くらいだよ。焦んなくても大丈夫」
「いや。大急ぎなんだ」
 こころはすぐさま漆を手に取る。そして破片を接いでいく。
 小傘はじっと、その様子を見守っている。そして残る破片が一桁を切ったとき、こころがなんに焦燥しているのか把握する。
 五つ、四つ。
 三つ、二つ。
 一つ。それで花瓶はよみがえる…………はずだった。
 
「おかしい、足りない」

 しかし、目の前に組み上がったのは、うつろをぽっかりとのぞかせた歪な姿だった。
 ひとかけら、足りない。
「あ、あわわ。私が驚かせたから……?」
「いいや、私の執念を甘く見るな。あの場に落ちていた躰は、全部回収した」
「……じゃあ、どこで」
 こころは頭を抱える。考えたくはなかった。しかしあの場所でしか、ありえない。
 戻らざるを得ない。天秤は大きく傾いて、コツンと音を立てる。
「……取りに行かなきゃ」
「割ったところに?」
「そうだな」
 取り残してきたとしたなら、それは一か所しか、ありえない。
 こころは爪を噛む。指からは血が滲む。
 小傘が押しとどめるのも聞かず、懊悩する。

     †

 こころは今、花瓶を直そうと必死だ。白蓮は小さな若弟子のことを、その胸に広がる心のことを想う。
 直そうとすればするほど、彼女は焦るだろう。その後、元通りにならないと知った……彼女は怒るだろうか。悲しむだろうか。
 そのどちらでもないに違いない。
 あの子は、秦こころという娘は。優しいから。
 同族である「もの」に対してあまりにも優しいから。
 あの子はおそらく、ここにやってくる。
 愛するもののために。ものを愛するために。やってくる。
 そうでなければ、嘘だ。
 わざわざナズーリンと、その配下のネズミを動員して見張らせた。ひとかけら、適当なものを拾ってこさせた。それを見せれば、白蓮はこころの明確な敵となるだろう。
 同時にそれは白蓮にとってもそうだ。
 こころは、調伏すべき相手になる。
 白蓮は目を閉じる。無尽にあふれ出る闇の中に独り、ぽつん、と座っている自らの虚像が見える。
 体を抱いて震えている自分自身の姿が、はっきりと像を結び出す。それが結像して声を上げる前に、白蓮は現実で蓋をする。瞼をあげて、目の前に現れた娘をにらみ据える。
「なんですか、星」
「聖。あまりにもやり口が汚くはありませんか」
 寅丸星の声は遠慮がちにすぼられていた。しかし彼女は立ったままそう言った。座禅を組む聖に対して、一段高くものを言った。白蓮には気を悪くした様子もない。
「これも、必要なことなのです。彼女が仏門を叩いた以上は、必ず通らねばならぬ道なのです」
「しかし……!」
「わきまえなさい、星」
 白蓮が鋭く諫める。寅丸星は次ごうとした言葉を噛み殺し、白蓮を睨むに留める。
「分かっているはずです」
 やるせない白蓮のため息を聞かされて、飲み下した言葉が、寅丸星の胸を焼く。やはり口に出して、この強情坊主の目を覚まさせてやるべきだったか。
 それとも眠っているのは、星自身なのだろうか。
「私たちだって、通ってきたはずでしょう」
「そうですが、しかし」
「下がりなさい」
 白蓮が立ち上がり、独特なグラデーションをした髪がしゃなりと揺れる。白蓮がにらみ据える先、寅丸星の背後には、彼女がいた。縁側を踏み破って前へ、薙刀を構え、狐面を摘まんで持ち上げこちらを斜に睨み据える、無表情な少女。秦こころが。
「聖」
「下がれ」
白蓮のその一言には、これまでに無いほどの圧が込められていた。力強く前に出た白蓮は、星の肩を掴むと、脇に放り出した。その時に込められた力といったら、重くはないが決して軽くもない星が、宙に浮かされるほどであった。星は空中で受け身をとる。そして事の次第を、見守る。
「用があるのは、これかしら」
 まずは聖が口を開いた。そして、ナズーリンに拾わせたひとかけらを提示する。
「……もしかしたら、ここには無いんじゃないかって。少しだけ期待してたんだけどな」
 応えてこころは、薙刀を一払いして踏み出す。
「返してもらう」
「筋違いだわ。もともとあれは寺のもの。返すというなら、あなたの方よ」
「お前たちはあれを捨てただろうが」
「蘇らせるというのならなおさら。仏徒として渡せません」
「そういうつもりで来るんなら」
 こころが、切っ先を突きつける。
「こっちもそれなりの、態度で応じるぞ」
「……捨てられませんか。その煩悩は」
 傍観していた星の手に、そのひとかけらが置かれる。なんと軽い、一片。しかし欠かすことのできない、躰。星が固唾を呑む間に、聖も、こころも、前に出る。
「絶対に捨てるもんか。我々は生まれ変われる。とこしえを生きられるんだ」
「永久……などと。幻想だと、なぜ分からない」
「分かって……たまるか!」
 溜まりに溜まった熱情が火を吹く。先に一刀を繰り出したのはこころの方だった。遠心力を存分に乗せた大ぶりのなぎ払い。全力の一撃だった。星が大声を上げ、白蓮に駆け寄ろうとするが、白蓮はすでに動いていた。虹色の光輪を纏わせ、強度を増した左腕で八相に受ける。そして打ち払う。そのあまりの威力、こころは薙刀から響いた痺れに瞬間、悶える。取り落とし欠けた得物を握り直し、気を取り直せば目の前に白蓮がいる。強烈な当て身を受け、こころは吹き飛ぶ。
「こころ…………っ!」
 したたかに背中を打ち付け、こころは肺に蓄えていた呼気と一緒に、意識まで手放しそうになる。しかし痛みが。それを踏みとどまらせた。割れた花瓶は躰を割かれる思いをしたのだ。それを想わずして、癒やさずして……どうして倒れられようか。
「なっ…………舐めるな、腐れ坊主!」
 打ち付けられた空中から、こころは通常の飛行では考えられない加速。空を蹴ったのだ。正確に言えば、空に浮いた、姥の面を。この速度には白蓮も目を剥く。両手を交差して防御…………間に合わない。白蓮は頬に強烈な一撃を受け、二人がもつれ合って倒れる。上を取ったのは、こころだ。
「返せ、我々の矜持を! 我々の魂を!」
もう一撃を白蓮の頬に、たたき込む。しかし顔を歪めたのはこころの方だった。先ほど薙刀を防いだ虹色の皮膜が、白蓮の頬を覆っていた。こころは手を見る。拳からは血が滲んでいて、思うように動かない。折れている。
「……なにが、とこしえ」
 一瞬の隙を突かれる。こころは逆に、組み敷かれている。ブラウスの襟首を掴まれる。
「聖、その辺に……!」
そのまま殴打されるかと身構えたこころは、しかし一向に拳が飛んでこないので、うっすらと目を開ける。
「そのありさまの拳を見てもまだ、永久を生きるなどと世迷い言を吐きますか」
 白蓮の顔がすぐ横にあった。息のかかるような距離。そのせいで彼女がどんな顔をしているのか、分からない。
「……命を得たら、終わりが来るって。そう言いたいのか」
「そうです。あなたの言うように物が生きていて、生きたいと願っているというのなら。等しく終わりが来るのです」
「またそれか。鬱陶しいぞ。返せ」
 こころはもがくが、白蓮の力は強い。こころを押さえつけて離さない。
 物が、生き物に従属する。その構図、そのままだ。
「見ろ……生き物はいつだってそうだ。物を下に見ている。みろ、モノの命は! 自分で思うようにできない! 生き物のなすがままだ!」
 こころ自身がそうされているように、そうしたように。そうしてしまったように。
「だから私はあの子を継ぐんだ。絶対に継ぐんだ。自分の力で前に進めるように、自分で自分を選べるように」
 こころを遮ったのは、喉をねじ切られるかと思うほどの強い圧迫だった。白蓮が激高している。
「それが、幻想だと何度言ったら分かる!」
 襟首を持ち上げられ、頭が本殿の固い床にたたき付けられる。痛み、よりも先に、驚きが走った。
 泣いている。あの白蓮が。
「……かつて」
 涙と共に、食いしばった歯の隙間からこぼれ落ちるのは。
「かつて、どんなに生きたがっても、生きられなかった者がいました」
 在りし日のあの時、最期を看取ったその時の記憶。
「皆が、どんなに活かしたいと願っても。生きられなかった者が」
 白蓮の声は震えに震え、しかしこころがそれを聞き逃すことはない。
「私が! どれだけ愛しても生きられなかった者が!」
 慟哭がこころに降ってくる。
 悲しみがこころに降ってくる。
 悔恨が。
 怨嗟が。
 切望が。
 絶望が。
 みんな、こころに降り注ぐ。
「生き物の命が……! みな自分の自由になると思うな……。愛したものの自由になると思うな……! 命持たずして、愛を持たずして生まれ出でたものに何が分かる! 愛したものを失うことの痛みが、お前に……!」
「……っ」
こころにすら御しきれないほどの、感情の波涛。それを真っ向から受けたこころは、はっとする。
 分かるものか。白蓮が最後のそれを呑み込んだのは、偶然ではない。気付いたのだった。なぜなら、こころもそれを知っているから。
 こころが花瓶を割った、あの時に覚えた感情だ。
 失うということ。
 喪うということ。
 どちらもこんなにも、痛くてつらい。亡くして失って、忘れてしまいたいくらいなのに、しかしどうしようもなく胸の奥に刻まれて、こころを掴んで離さないそれを、表す言葉があるとしたなら。
「亡くして、失う」
 亡失と呼ぶほか、ないではないか。
 あの聖ですら、その痛みに抗えない。
 きっと誰にも耐えられない。モノは壊れ、人は去り、残されたこころは崩れ去って、だれも継いではくれない。
白蓮が流す涙が、涙を流せる白蓮が、うらやましい。その涙はきっと、心の隙間を潤して繋ぐ。それでも、欠けてしまったひとかけらは。どんなに呼んで叫んで探しても、戻ることは決してない。
「……あの破片は」
 苦しみにあえぎながら、白蓮がいう。
「あの花瓶のものでは、ありません」
「気付いていた」
 白蓮の声に苦笑が混じる。
「ならば、伝わりましたか。失うと言うことの意味が」
「…………半分くらい」
「半分、ですか。一体どう言う、心持ちですか」
「分かったことがある。この気持ちはどうしようもない。心を壊して穴あきにする悪い奴だ」
「そうですね」
「だから、腐れ坊主」
 こころが呼ぶと、白蓮は顔を上げる。真っ赤に腫れた目が、こころを見下ろす。痛みにこぼれた心の血潮。心にあいた、欠落から。

「腐れ……聖には、その瞬間を、見て欲しくなった」

「なんの?」
「モノに命が宿る、その瞬間をだ」
 彼女にはそれが、必要だと思った。
「人は戻らないし、モノも戻らない。それでも」
それにどれだけの意味があるのかは分からないけれど。
「取り戻せるものがあるってことを、見てもらいたいんだ」
 しばし待つ、こころ。
「……ふふ、弟子に諭されるとはね、もうろくしたものだわ」
「見てくれるのか」
「最後の欠片、アテはあるの」
「ある」
 こころは、向き直る。
 戦いの様子を終始見守っていて。おろおろしたフリをして一つも手を出さず。
 いま、紫の傘と共に風に乗って飛んで行った、同胞の方へと。

     †

 秦こころという付喪神を最初に知ったとき、小傘の心はわけの分からない、熱い想いでいっぱいになっていたのだった。
 それを言語化するだけの余裕も持てなかった。羨望、崇敬、しかし嫉妬と衝動の方が大幅に大きなその感情を、一言で言い表せば。
「……ぶっ壊したい」
 その慈しみしか知らぬこころを、その愛しか知らぬこころを。
 バラバラにしてやりたくて仕方が無かったのだった。
 驚かしに行ったのも、この機会を狙ってのことだった。
 金継ぎを勧めたのも。
 最後の欠片を隠したのも。
 こうしてこころに追われるのも。
 こうして完成間近の彼女を持って飛んでいるのも。
 
 すべては、この一瞬のため。

「小傘!」
 流石にこころは速い。すぐに追いつかれてしまう。小傘が振り向いて、継ぎかけの花瓶を見せる。するとこころは、それ以上迫れなくなってしまう。
「小傘……どうしてだ」
 こころが狼狽えた様子を見せたことに、小傘は溜飲が下がる。しかし臓腑の奥では燃えている。その心が。
「どうして」
 きっと、真っ向から戦えば。小傘は即座に敗北するだろう。
彼女の方が付喪神として格上のものであるのだから、仕方が無い。
故に……腹立たしい。
「どうして……!」
 その身に受けた抱擁に、無自覚なこころの様子が、腹立たしくて仕方が無い。
「こころちゃん、これがなんだか分かる?」
 手に持った、継ぎ終わりも間近のそれを指さして、小傘は問う。
「……なにって、花瓶だ。お前もそれを認めてくれたじゃないか」
「そっか。花瓶なんだ。じゃあもう一度聞くね。これは、なんだか分かる?」
 こころは面食らう。
「花瓶だ。私の、聖の。それから小傘の。だいじな、花瓶じゃないか」
「……私の」
「ああ。だって、分かるだろう。同胞なら、分かるだろう?」
 小傘が顔をしかめるのも構わず、こころはそう言い切った。

「ああ。お前も物の味方だろう。だって、同じ付喪神じゃないか」


「だから……持ってる奴は嫌いなんだ!」


 言うなり、小傘は落とした。二人で継ごうと約束した、あの花瓶を。
「…………っ!」
 こころは即座に動く。仮面を連続で蹴り、加速に加速を重ねて彼女を追う。その背中から、小傘の哄笑が追いかけてくる。
 重力の速度をこころは追い越す。追い越して手を伸ばす。その首のところへ、つかみ取るように。しかしあり得ないことだが、こころは涙滴を感じとる。頬に、真上から降ってきたそれは、紛れもなく。
「大事ならちゃんと守れ! 守って見せろぉ! お前に愛された花瓶を、さぁ!」
戦慄いた声を上げる、小傘のそれ。その声でこころははっとする。更に、加速。
 迫る地面。止まれぬ速度。しかしこころにできることは一つ。
 花瓶と地面の間に割って入る。そして彼女を抱きかかえ、急減速。しかし。
 ――ああ、ちくしょう。
 避けられぬ墜落、とてつもない衝撃が背中を襲うまでの一瞬、こころは内心を冷ややかに作る。
 ――驕った。あの腐れ坊主と、なんにも変わらない……。
 せめて、と。衝撃に備えて体を丸める。
 
――私が持ってる愛じゃあ……まるで足りなかったんだ。
 
 激突、跳ねるこころの体。痛みのあまり呻く。手を離す。
 空中で喘ぎながら、それでもこころは目を開く。彼女はどうなった。その末路は。
 四散していた。弱い漆の力で辛うじて繋がっていた躰は、元通りバラバラに散り、好き勝手な方向へと飛んで行く。行く先を目で追うこともできない。探すこともかなうまい。
 彼女は、死んだ。
 今度こそ死んだ。偶発的に起きた一度目の死を経て、今度は二度目。
 今度こそ、こころが殺した。
「……ごめんな」
「なんだよ、守れないのかよ! あんだけ散々ふかしておいて。あんだけ見せつけておいて」
「ああ、だから。ごめん……小傘」
「え……私」
 小傘は黙る。そして何か言い返そうと口を開く。しかし直後、あまりにも現実離れした、その光景に目を奪われてしまう。
 こころは見ていた。小傘も見ていた。
こころの腕の中に、いつの間にかいた、見たこともない少女が微笑む姿を。
 右目を長く伸びた金の髪で隠して、申し訳なさそうに微笑んで、抱きしめるこころを抱きしめかえした、彼女を。
広がりを持った柔らかな声で彼女はこう言った。
『ありがとね、頑張ってくれて』
 掠れゆく声。こころの腕が、彼女の胴を突き抜ける。
 心が割れる音がする。こころは胸を詰まらせる。
『まぁ、私のことなんて忘れてさ。今いる子を大事にしなよ』
「待て、もうちょっとがんばれ。そうしたらお前だって」
『女々しいぞ、大先輩。じゃあね』
 その幻影は、こころが再び着地すると共に消え去った。
 こころは呆然としていた。
 痛みが引くまでその場に寝そべっていたが、彼女が戻ってくることは二度となかった。
 


 数日後、こころは命蓮寺に戻った。真っ先に聖の元へ行き、詫びを入れた。
白蓮は、「何のことだか分かりませんが」と前置きしながらも、こころをそっと抱きしめてこう言った。
「あなたの愛は、通じていましたか」
「……うん」
「ならば……あれも報われたでしょう。あなたも、小傘という付喪神も」
「そうだといいんだが」
 小傘はあのあと、ひとしきり呻くとどこかへ飛んで行ってしまった。以来彼女には会えていない。
「……持ってる奴。そう詰られた。いいわけをする間もなかった」
「そうですか。……たしかに、付喪神の全てが、あなたのように恵まれているわけではありません」
「私はただ、ものを愛しただけだ」
「そうですね。そしてそれだけのことが、ひどく難しい」
 白蓮が黙る。次に口を開いたその言葉は、重い。
「届かぬ愛も、実らぬ愛も、あります」
「いいや、聖」
 白蓮が目を丸くする。
「私がいて、私が愛することができて、それでいて……通じない愛なんて、そんな哀しいこと、ないだろう」
 こころが、一歩退く。相変わらずの無表情。面も飛んでいない。
 ならばこれは、きっと、こころの心の底からの、言葉なのだろう。
 白蓮はそれを聞いて、その可愛らしさに思わず笑みを漏らした。

「私はどんな気持ちだって、受け止められるんだ。愛されないなんて哀しい奴は、みんな私が愛してやるさ」
『秦こころ喜怒哀楽合同』哀に寄稿しようと思ったけど没にしたネタを供養。
小野秋隆
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
6.100ヘンプ削除
こころが苦悩して、自分の答えを出したところが良かったです。
愛してあげてください。面白かったです。
7.100封筒おとした削除
面白かったです
10.30名前が無い程度の能力削除
キャラクターに共感できない、というのが正直なところ
花瓶を絶対死なせるもんか、と息巻くわりに、
自分が傷つきたくないから人間に頼みにいかないこころ……
このへんでなんとなく冷めてしまった
11.100終身削除
付喪神の考え方とかそれぞれに立場があって通したいものをしっかり持っていてよかったと思います こころ以外の最初は傍観している感じだった人達にも実は一人だけで抱え込んでいるものがあってこころの壺への執着と関わった事ときっかけに同じように感情に巻き込まれて行くような熱量を感じました