秋も終わりを告げ、無味乾燥な日々を送っていた秋姉妹であったが、その日は朝から何かがおかしかった。
家がにおっていたのだ。
におうと言っても、芳香の方ではなく悪臭の方。
つまり臭かったのである。それもそんじょそこらの悪臭ではない。それこそ鼻がひん曲がるほどの激臭だ。
最初に臭いに気付いたのは静葉であった。
はじめは倉庫に保管してある硫黄の臭いかと思ったが、どうやらそうではないようだ。
ちなみにどうして硫黄なんかを保管しているかというと、穣子が冬に作る【あんぽ柿】を作る過程で使用するからである。しかし、この臭いは硫黄のものではない。もっと別の何かなのだ。
よく硫黄の臭いは、卵が腐った臭いと例えられるが、その程度のものは、温泉に近づけばいつでも好きなだけ嗅ぐことができる。
この悪臭はそんな生易しいものではない。それこそ腐肉臭に近いような何かなのだ。
腐肉臭となると思いつくのは、家の周りに動物の骸などがあるのではということである。
現にこの時期は、力尽きてしまった野生の動物がよく横たわっているのを見かける。家の周りでもしばしば見かけるものだ。
静葉は、家の周りだけでなく裏の畑の方も入念に見回したが、それらしいものはまったく見あたらなかった。さてはてどうしたものか。曲がりなりにも自分は神様。神様の家の周りがこんなに臭ってははっきり言って恥ですらある。
とうとう困り果ててしまっていたところに穣子が姿を現す。
彼女は夜雀の居酒屋へ顔を出しに行って帰ってきたところだった。
「穣子助けて」
「ん、どうしたの?」
「家が臭いのよ」
「そうなの……?」
「分からないの? この鼻がひんまがりそうな悪臭」
言われて穣子は鼻をくんくんとさせる。
「うーん。言われてみれば少し臭うわねー」
「でしょう? なんなのかしら。臭い」
「んー。どっかで嗅いだ事あるなーこれ」
そう言って穣子は首をかしげる。彼女はあまりダメージは受けていないようだ。そして「あ、わかった!」と手をポンと叩く。
「ごめん、忘れてた。実はねー」
と、言いながら彼女は廊下の一部を外す。
こんなところに隠し部屋をいつ作ったのか、静葉はまったく気づいていなかった。
「ここでこいつの栽培してたのよ」
そう言って彼女が指を指した先にあったのは、卵のようなものからにゅうっと白い茎が突き出した珍妙な物体の群れだった。その物体の先端は黒っぽい粘液で濡れている。
どうやら臭っているのはその粘液のようだ。とにかく臭い。なんとも形容しがたい激悪臭だ。
静葉は思わず鼻をつまみながら彼女に告げる。
「なによこれ。早く捨てなさい」
「嫌よ。これ食べるんだから」
「これを?」
「そーよ。スープとかに入れると美味しいのよー」
「こんな臭いのが?」
「そーよー。これはスッポンタケって言って、れっきとした食用キノコなのよー」
そう言うと、穣子はそのスッポンタケを一つつまんで採ると笑顔で静葉に差し出す。
彼女は思わず顔を背ける。
「やめなさい。穣子」
「ちなみにこれどうして臭いか知ってる-? この臭いで虫を集めて胞子をまくためなのよー。あとねー。この見た目からか恥知らずの男根っても言われててー。南方熊楠って人が描いた絵はねー。まるで本物の――」
「そんな無駄な豆知識どうでもいいから。早くそれをしまいなさい。汚らしい」
「汚くなんかないわよ。もう……」
彼女は不服そうに頬を膨らませながらそれを床の下にしまう。静葉はまだ鼻をつまんだままだ。
「まったく。こんな恥知らずで不気味なもの育ててどうするつもりなの? 宇宙人でも召喚するの?」
「さっき言ったでしょ。食べるって」
「こんな臭いの本当に食べられるの?」
「臭いを放ってるところを水で洗い流せば食べられるのよー」
「じゃあ、早く処理しましょ。早く。一刻も早く。この家の平和のためにも」
「わ、わかったわ。ちょうど食べ頃だし……」
「それじゃ料理は任せたわよ」
と、言い残し静葉はどこかへ行ってしまう。
残された穣子はため息を一つつくと「こんなにかわいいのになぁ」などと言いながらスッポンタケの収穫にとりかかった。
◆
夕刻、静葉が家に帰ると、あの激臭はすっかりなくなっていた。テーブルには鍋が置いてある。どうやらすでに調理は終わっているようだ。
「あ、姉さんおかえりー」
「調理は終わったの?」
「この通りよー」
と、彼女は土鍋の蓋を開ける。湯気と共に琥珀色したスープのスッポンタケ鍋がその姿を現す。
「さ、食べよー食べよー」
穣子は鼻歌を歌いながら鍋を器に取り分ける。どうやらスッポンタケは食べやすいように適度な大きさに切ったようで、その異形は見る影もない。
静葉は恐る恐るそのスッポンタケの切れ端を口に入れる。
噛んだ瞬間、なんとも言えない独特のむにゅり食感と染み出る出汁の旨さが口の中に広がる。
「……あら」
感嘆の声が思わず漏れる。
「ね? 美味しいでしょ?」
そう言って穣子は笑みを向ける。
「く、悔しいけど美味しいわね……」
静葉はそうぼそりと呟き、二つ目を口に入れる。
「濃いめの味付けが決め手なのよ。だからこの旨さが出るの!」
そう得意げに言いながら穣子は次々とスッポンタケ鍋を食べていく。
静葉も負けじと鍋を突く。
あっという間に鍋は空になった。
◆
数日後
「ねえ。穣子」
「ん?」
「考えてみたら、臭いものは美味しいモノが多いわよね」
「っていうとー?」
「納豆とか、くさやとか、あんぽ柿とかこないだのキノコとか」
「あー。まぁねー。あんぽ柿は臭くないけど。そういや姉さん今朝、納豆汁食べてたわね」
「夕べはくさやを焼いたわ」
どうやら静葉はすっかり、臭いものの虜になってしまったようだ。
あれほど嫌がっていたくせにと、呆れ顔の穣子を尻目に彼女は告げる。
「というわけで畑から臭いものを見つけてきたわ。今日はこれを食べましょ」
と、言って彼女が笑顔で取り出したのは、腐りかけのかぼちゃだった。
目を白黒させている穣子に、彼女は笑みを浮かべて告げる。
「肉も腐りかけが美味いって言うでしょ? なら野菜もきっと腐りかけが美味しいに決まってるわ。さあ、早くこれを料理しなさい」
穣子は、大きなため息をつき思わず呟いた。
「……姉さんの方が、よっぽど恥知らずだわ」
家がにおっていたのだ。
におうと言っても、芳香の方ではなく悪臭の方。
つまり臭かったのである。それもそんじょそこらの悪臭ではない。それこそ鼻がひん曲がるほどの激臭だ。
最初に臭いに気付いたのは静葉であった。
はじめは倉庫に保管してある硫黄の臭いかと思ったが、どうやらそうではないようだ。
ちなみにどうして硫黄なんかを保管しているかというと、穣子が冬に作る【あんぽ柿】を作る過程で使用するからである。しかし、この臭いは硫黄のものではない。もっと別の何かなのだ。
よく硫黄の臭いは、卵が腐った臭いと例えられるが、その程度のものは、温泉に近づけばいつでも好きなだけ嗅ぐことができる。
この悪臭はそんな生易しいものではない。それこそ腐肉臭に近いような何かなのだ。
腐肉臭となると思いつくのは、家の周りに動物の骸などがあるのではということである。
現にこの時期は、力尽きてしまった野生の動物がよく横たわっているのを見かける。家の周りでもしばしば見かけるものだ。
静葉は、家の周りだけでなく裏の畑の方も入念に見回したが、それらしいものはまったく見あたらなかった。さてはてどうしたものか。曲がりなりにも自分は神様。神様の家の周りがこんなに臭ってははっきり言って恥ですらある。
とうとう困り果ててしまっていたところに穣子が姿を現す。
彼女は夜雀の居酒屋へ顔を出しに行って帰ってきたところだった。
「穣子助けて」
「ん、どうしたの?」
「家が臭いのよ」
「そうなの……?」
「分からないの? この鼻がひんまがりそうな悪臭」
言われて穣子は鼻をくんくんとさせる。
「うーん。言われてみれば少し臭うわねー」
「でしょう? なんなのかしら。臭い」
「んー。どっかで嗅いだ事あるなーこれ」
そう言って穣子は首をかしげる。彼女はあまりダメージは受けていないようだ。そして「あ、わかった!」と手をポンと叩く。
「ごめん、忘れてた。実はねー」
と、言いながら彼女は廊下の一部を外す。
こんなところに隠し部屋をいつ作ったのか、静葉はまったく気づいていなかった。
「ここでこいつの栽培してたのよ」
そう言って彼女が指を指した先にあったのは、卵のようなものからにゅうっと白い茎が突き出した珍妙な物体の群れだった。その物体の先端は黒っぽい粘液で濡れている。
どうやら臭っているのはその粘液のようだ。とにかく臭い。なんとも形容しがたい激悪臭だ。
静葉は思わず鼻をつまみながら彼女に告げる。
「なによこれ。早く捨てなさい」
「嫌よ。これ食べるんだから」
「これを?」
「そーよ。スープとかに入れると美味しいのよー」
「こんな臭いのが?」
「そーよー。これはスッポンタケって言って、れっきとした食用キノコなのよー」
そう言うと、穣子はそのスッポンタケを一つつまんで採ると笑顔で静葉に差し出す。
彼女は思わず顔を背ける。
「やめなさい。穣子」
「ちなみにこれどうして臭いか知ってる-? この臭いで虫を集めて胞子をまくためなのよー。あとねー。この見た目からか恥知らずの男根っても言われててー。南方熊楠って人が描いた絵はねー。まるで本物の――」
「そんな無駄な豆知識どうでもいいから。早くそれをしまいなさい。汚らしい」
「汚くなんかないわよ。もう……」
彼女は不服そうに頬を膨らませながらそれを床の下にしまう。静葉はまだ鼻をつまんだままだ。
「まったく。こんな恥知らずで不気味なもの育ててどうするつもりなの? 宇宙人でも召喚するの?」
「さっき言ったでしょ。食べるって」
「こんな臭いの本当に食べられるの?」
「臭いを放ってるところを水で洗い流せば食べられるのよー」
「じゃあ、早く処理しましょ。早く。一刻も早く。この家の平和のためにも」
「わ、わかったわ。ちょうど食べ頃だし……」
「それじゃ料理は任せたわよ」
と、言い残し静葉はどこかへ行ってしまう。
残された穣子はため息を一つつくと「こんなにかわいいのになぁ」などと言いながらスッポンタケの収穫にとりかかった。
◆
夕刻、静葉が家に帰ると、あの激臭はすっかりなくなっていた。テーブルには鍋が置いてある。どうやらすでに調理は終わっているようだ。
「あ、姉さんおかえりー」
「調理は終わったの?」
「この通りよー」
と、彼女は土鍋の蓋を開ける。湯気と共に琥珀色したスープのスッポンタケ鍋がその姿を現す。
「さ、食べよー食べよー」
穣子は鼻歌を歌いながら鍋を器に取り分ける。どうやらスッポンタケは食べやすいように適度な大きさに切ったようで、その異形は見る影もない。
静葉は恐る恐るそのスッポンタケの切れ端を口に入れる。
噛んだ瞬間、なんとも言えない独特のむにゅり食感と染み出る出汁の旨さが口の中に広がる。
「……あら」
感嘆の声が思わず漏れる。
「ね? 美味しいでしょ?」
そう言って穣子は笑みを向ける。
「く、悔しいけど美味しいわね……」
静葉はそうぼそりと呟き、二つ目を口に入れる。
「濃いめの味付けが決め手なのよ。だからこの旨さが出るの!」
そう得意げに言いながら穣子は次々とスッポンタケ鍋を食べていく。
静葉も負けじと鍋を突く。
あっという間に鍋は空になった。
◆
数日後
「ねえ。穣子」
「ん?」
「考えてみたら、臭いものは美味しいモノが多いわよね」
「っていうとー?」
「納豆とか、くさやとか、あんぽ柿とかこないだのキノコとか」
「あー。まぁねー。あんぽ柿は臭くないけど。そういや姉さん今朝、納豆汁食べてたわね」
「夕べはくさやを焼いたわ」
どうやら静葉はすっかり、臭いものの虜になってしまったようだ。
あれほど嫌がっていたくせにと、呆れ顔の穣子を尻目に彼女は告げる。
「というわけで畑から臭いものを見つけてきたわ。今日はこれを食べましょ」
と、言って彼女が笑顔で取り出したのは、腐りかけのかぼちゃだった。
目を白黒させている穣子に、彼女は笑みを浮かべて告げる。
「肉も腐りかけが美味いって言うでしょ? なら野菜もきっと腐りかけが美味しいに決まってるわ。さあ、早くこれを料理しなさい」
穣子は、大きなため息をつき思わず呟いた。
「……姉さんの方が、よっぽど恥知らずだわ」
私も一瞬そっちかと。
秋姉妹らしく秋らしいよいお話でした。鍋食べてえ
お気を付けて……
面白かったです。
こいつにスッポンタケ鍋を食わしてやりたいんですがかまいませんね!
ひとつのキノコからストーリーが膨らんでいてとてもよかったです