「吉弔、おい吉弔。これはめでたい席なんだぞ? もう少し眉間を解したらどうだ」
「良く言いますね。突然人を拉致しておいて。休戦中じゃなかったら殺してましたよ」
飾り気の無いテーブルの上に、大きな土鍋が一つ。
鍋を囲むは小皿とお箸。野菜、鶏肉、茸にマロニー。
ご存じ、鍋料理。
千差万別の姿を見せる冬の定番だが、今回食卓に用意された物は、極めてベーシックな構成だ。
楽しげで暖かな時を想像させるが、それを挟んで相対するは、二匹と二匹の畜生霊。
「事を伝えに行く度に追い返す、お前にも非があると思うぞ。吉弔」
「貴女がアポ無しで直接来たら、それはもう襲撃ですよ」
驪駒は上機嫌で、盛られた野菜の山を眺め。
吉弔は不機嫌で、白い眉間に谷を掘る。
それぞれの背後には、それぞれの側近が、やれやれと言わんばかりの表情を浮かべている。
「色々聞きたい事はありますけどね。まず、何が目出度いんですか」
「例の埴輪どもさ。生人間達が、首魁を倒したじゃないか」
霊長園にて生まれた神性は、偶像を生み出し、その力で版図を広げていった。
死なず、疲れず、悩まず、恐れず。
ただひたすらに前進し、蹂躙し、征服する。神が造りし偶像の兵団。
肉体の無い畜生霊達には、戦う術すら無い。
弱肉強食の世界が、信仰という名の秩序に塗りつぶされていくのを、座して眺めるしか無かった。
生身の人間に戦わせるという、秘策を捻り出すまでは。
「面倒臭い戦いだったなぁ、吉弔よ」
「その面倒は、殆ど私がやったんですけどね……で、それだけですか?」
細い脚を組み替えて、面倒臭そうに尋ねる吉弔。
「いや。この鍋を、我ら連合のケジメにしたいんだ」
「貴女の指なんか食べたくないんですが」
「誰がケジメを具にすると言った! 発想が怖いぞ吉弔! 何で私だけなんだ吉弔!」
「うるさい」
長身を乗り出しての抗議に、眉根を顰めて睨む吉弔。
同時に彼女は、驪駒が言いたい事を何となく理解していた。
「……連合を解散する儀式をしたい訳ですね? 誤解と誤認を防ぐ為に」
いつまで共闘するのか? いつから敵同士に戻るのか?
柔軟は許されても、曖昧は御法度だ。
まして本来対立している同士では、尚更と言える。
不出来な解散がそのまま、泥沼に発展しかねない。
「我ら頭目はともかく……組員達がな。分かりやすい形は必要だろう」
「だから、ココに連れてきたのですね。無理矢理」
畜生界の有力な組織達。それらの縄張りが重なるエリアに設けられた緩衝地帯。
それが、驪駒と吉弔が居るこの一軒家だ。
メニューも無い。呼び鈴も無い。いや、そもそも店ですらない。
壁を飾る絵画も無ければ、小粋な雑貨も置かれていない。
あるのは椅子とテーブル。調理設備とトイレのみ。専属の人員もいない。
用途としては、会合の為に用意された空き家だ。
言ってしまえば宅呑み用なのだが、そう呼ぶには利用者同士の仲が悪すぎる。
完全な第三者を用意できない為か、管理人も月ごとに変わり続ける形になっている。
「まあ難しい話じゃない。食べ終わったら解散だ」
「しかし、どうして鍋に?」
「喰いたかった!」
「それが目的じゃ無いでしょうね……まあ、いいです。これでようやく、駄馬の介護を終えられる」
「私も。ノロマに歩を合わせるのは、もう御免だ。はっはっは」
笑いながら鍋に野菜を入れていく驪駒。
吉弔はそれを手伝う事も無く、豊かになっていく鍋を眺めていたが、ふと思い出したように驪駒に尋ねた。
「ところで。饕餮はどうしたんですか?」
連合に参加した集団の中でも、不明勢力を除いて特に強大な三大勢力。
その一角たる剛欲同盟の頭目が、饕餮だ。
「アレの不在なんて些末な問題ですが、連合です。筋は通さないと厄介でしょう」
「当然誘ったんだが、親戚の葬式があるらしくてな。まあ問題は無かろう」
「それ信じたんですか……饕餮め。雑な逃げ方を」
葬式とは何か。死者を弔い葬る儀式である。
すでに畜生界に堕ちた霊達に、葬式の類いが必要か。言うまでも無い。
「吉弔! いかにお前が冷血でも、親族への敬意は忘れてはならんぞ吉弔!」
「馬鹿駒……」
「おい、いま何か言ったか」
「頭蓋に糞を溜め込んだ役立たずの馬鹿駒……」
「悪態を即座に盛るな吉弔! 食前に糞なんて言うな吉弔!」
「うるさい」
大勢力の頭目が来ないとあれば、ケジメ云々は既に破綻している。
よってこの鍋パは、ただの食事会に成ってしまったのだ。
「……まあ、いいか。もし饕餮が文句垂れても、黙らせるだけですし」
「ほら問題無いじゃないか。騒ぎすぎだぞ吉弔」
「ニンジンをケツの穴に詰められて死ね」
「流石にはしたないぞ吉弔! さっきも言ったが食前だぞ吉弔!」
「口にも詰めろ二度死ね」
吉弔の小さな口から、溜め息が零れる。
この鍋をあの駄馬にブチまけてやろうかと考え……しかし、そうはしなかった。
暴威を躊躇うような女では無いが、今回に関してはそれが出来ない理由がある。
吉弔が拉致されたのは、夕食の直前。現在彼女は、割と重度の空腹状態であった。
「うん。そろそろ良いか」
「ええ。頂くとしましょうか」
「頂きます! いやぁ美味そうな待てそれは取り過ぎだ吉弔! 流石に許容できんぞ吉弔ォ!」
一膳の箸に支えられ、鍋上に晒された有機物の複合体。
我を見よと言わんばかりに湯気を昇らせ、汁を滴らせるそれは、鍋に投じられた具材の実に半数を擁していた。
天馬を出し抜いて得た会心の略奪。それは吉弔の美しい顔に、満足と爽快を咲き誇らせた。
愉悦と侮蔑では? という正しい誤認はさておき。この食卓もまた、弱肉強食であることは確かだった。
「早い者勝ちですよ。何か異論が?」
「ぐぐぐ……確かにそうだが……!」
「天馬が速度で物言いだなんて、恥も良いところで待て待て待て待ちなさい。煮る前の奴はダメです喰うなバカ」
善は急げ。あるいは、兵は拙速を尊ぶ。
古の時代から、速さや早さを重要視する言葉は多い。それが事実であることも広く知られている。
とはいえ。ざるに置かれた生の具材を掻き込む電撃的青田刈りは、果たして尊ぶべき選択か否か。
どちらにせよ、大量のナマモノを詰め込んだ驪駒の端正な顔は、愉快極まりない造形へと変貌していた。
「あやいおのあいらァ!」
「限度ってモノがありますよ。戻しなさい」
「うごおおおォ!?」
閉じられた頑健な歯をこじ開けて、吉弔の箸が驪駒のナカへと突入を敢行。
未調理食材が混ざり合う天馬の口内を、二振りの木棒がいざ喉を突かんと邁進する。
この場にマナー講師が居たら憤死しかねない畜生の食卓に、見かねた側近達が止めに入った。
「く、組長方。材料はまだ有りますから。そう焦る事はありませんって」
「そうですよ! 足りなければもっと持ってきますので!」
「うにもにもにもー!」
「何言ってんのか全然わかんねえ……」
河豚と化した親分に、天を仰ぐオオカミ霊。
吐けと言って吐くわけも無く、かといって、飲み込むまでどれだけの時間を要するか。
オオカミ霊は気を取り直して、深度を増していく吉弔の箸に、出来るだけ穏当な突撃破砕を試みる。
「吉弔さんも勘弁して下さい。箸を沈めた後にナニがあっても、クリーニング代は出せませんぜ」
「不要ですよ? 首を捻じ切れば、惨事の指向は自由ですから」
きょとん、とした表情で告げられる、殺害予告と安全保障。
あまりに鮮やかな一石二鳥に、オオカミ霊も言葉が出ない。
このサディストが、と目線で批難を浴びせつつ、彼女の側近に標的を変更する。
「おいカワウソ! 何とかしろ! テメエの親分だろうが!」
「うっさいな黙ってて! 吉弔様、そろそろ抜きましょう。ほら、汚いですし」
「そんな事より見なさい。この天馬だかハムスターだか分からない顔を」
「何ちょっと楽しそうな顔してるんですか」
コンクリ製の血管を、流れゆくは液体窒素。
そうまで言われる冷血女の笑みは、意外にも可憐な造形をしていた。
他人の口内に棒を捻じ込む蛮行が無ければ、なお良かったのだろうが。
「何なら追加でねじ込んで……あっ」
「うごごごご!」
そして、あの驪駒が黙って耐えている訳も無い。
彼女は、食べ始めた。そして飲み込み始めた。箸も一緒に。
ミキサーの如く噛んで潰し、胃へと落とし込んでいく。
まるで早送りのような速度で顎が動き、頬袋が縮んでいった。
箸は既に、吉弔の手に無い。引きずり込まれてしまった。
時折ぼりぼりと、箸が食材と成れ果てた音が響く。
「すッ、すげえ! さすが組長!」
とうとう中身を失った驪駒の口が、満足げに笑みの形を作り上げた。
「はっはっは! どうだ吉弔!」
「気持ち悪かったです」
「失敬な! そういえば、何か固いのが混じってたぞ。結構美味かったが」
「それ吉弔さんの箸です」
「い、今の顔ヤバ……こんなの笑う……くひっ……!」
「なにウチの組長笑ってんだカワウソ! シメるぞ!」
カワウソの粗相も無理は無い。
限界ハムスターが2秒で美人すぎる馬に戻るその様は、睨めっこなら即殺を確約できる力を秘めていた。
「まったく。吉弔のせいで落ち着きの無い鍋になったな」
「貴女が暴走したんでしょう。馬刺しにしますよ」
「よく言うよ」
そう言いながら、僅かに残った食材を入れていく驪駒。それを吉弔が、先ほどの戦果を堪能しながら眺めている。
残り物も鍋の賑わい。食卓に少しずつ、活気と正気を取り戻していく。
「もう野菜は無いのか?」
「ええ。肉が割と残ってますから、十分でしょう」
「好きだなぁ、肉。その割に、いつまで経っても身体が枯れ枝だが」
「あら、喋れるだなんて賢い豚」
「これは筋肉だ吉弔~ッ!」
両腕に力こぶを作って見せる驪駒。
長身の体躯を美しいままに、無駄なく纏った筋肉は、芸術や美術のそれに肉薄していた。
「この驪駒早鬼に! 無駄な脂肪などッ! 無いッッ!」
「うるさい」
「むしろ吉弔の方が怪しいだろう。いつも肉ばかり食って」
「貴女と違って暴食はしませんので。あ、そろそろ良いですね」
今度は大人しく、正しく鍋をつつく二匹。
吉弔が第二次攻勢を仕掛けなかったのは、単に満足したからだ。
もちろん腹では無く。行為に関して。
「シメの麺はあるんですか?」
「今回は用意しなかった。最後の、喰っていいぞ」
「では」
先ほどの喧噪が嘘のように、静かになった食卓。
最後の、小さな鶏肉を吉弔が食べ、ついに鍋が空となった。
「うむ!」
「ええ」
「「ごちそうさまでした」」
これを以て、三大勢力を中核とした大連合は解消。
協力し合っていた敵同士も晴れて、純然たる怨敵へと。
「よしッ! いくぞ吉弔ォ!!」
叫びと共に、机と鍋が、割れて砕けて宙を舞う。
天馬の強烈な蹴りが、彼女と吉弔の間から障害物を排除した。
「驪駒……」
眼前の粉砕に興味が無いかのように、敵の名をぼそりと呟き、ゆっくりと立ち上がる吉弔。
「長かったな! 待ち望んだぞ!」
「ええ。洒落臭い連合ごっこはお終いです」
吹いて荒れるは破壊と簒奪。泣いて喚くは雑魚と腰抜け。
清きを小銭で買い叩き、糞小便で埋め立てる、情け無用のメトロポリス。
悪徳上等、外道一筋。
畜生界は、今度こそ、弱肉強食の理を取り戻した。
「自慢の甲羅を蹴って砕いて、間抜けな背中を晒してやろう! 吉弔ォ!」
「羽を毟って、脚を捌いて、ドブに撒いて捨ててやる。驪駒……!」
歓喜に沸くのは当然、組長達だけではない。
部屋の扉が破られて、大勢のカワウソ霊達が飛び込んできた。
「吉弔様! ご無事ですか!?」
「覚悟しろ! 勁牙組の馬鹿どもめ!」
吉弔が攫われた後、その拉致先を探していた鬼傑組の部下達。
その努力がようやく実り、絶好のタイミングでの突入となった。
あっという間に数的劣勢へと転げ落ちた勁牙組。
オオカミ霊は低く唸り、カワウソ霊が口角を吊り上げる。
「カスばっか揃えやがって……しかも少ねえ! あと10倍連れてこい!」
「調子コくと後が悪いのに。一番惨めな土下座の仕方、教えてあげるよぉ?」
ギリギリと歯を軋ませて、眼光鋭く睨み合う側近達。
常識霊を気取っていた二匹だが、所詮は畜生霊。血潮が主食のロクデナシ共だ。
「もう邪魔は入らない。とことんやろう、吉弔」
「今日ばかりは、付き合ってあげますよ……目出度い日ですからね」
情熱的な視線を重ね合う二匹。
双方が、いざ暴力、と力を込め始め――。
「吉弔様! 緊急です! 来やがりました!」
一匹のカワウソ霊が、壊れた扉から飛び込んできた。
部屋の空気が冷え込んだのは、夜の風が吹き込んだからでは無いだろう。
アツい逢瀬を邪魔されて、驪駒は口を尖らせ、吉弔は僅かに下を向いた。
「何となく、内容の察しは付くがなぁ。流石にあんまりだと思わんか吉弔ォ~」
「うるさい。それで、来た、とは」
カワウソ霊の返事を待たず、緊急の内容が姿を現した。
「……会合場所は、情報通り。まさか解散の場だとは思わなかったけど」
金の髪に白いリボン。黄色い鎧と腰の剣。
胸元に留められた埴輪のアクセサリが、彼女が何者であるかを、これ以上に無く表している。
埴安神袿姫が生んだ、最高傑作の一角。
あらゆる武に長けた戦士にして、埴輪兵団の長。
杖刀偶磨弓の姿がそこにあった。
「やはりお前か、杖刀偶。直々に来訪とは恐縮だが、もう鍋も勝利も残っていないぞ」
「お久しぶりです、兵団長殿。戦史に釈明と誇張を綴る仕事は順調ですか?」
冷たい歓待にも、磨弓は眉一つ動かさない。
皮肉の二正面に対して、彼女の返答は、同程度に辛辣だった。
「他者を騙して得た勝利で、よくそこまで悦に浸れるものね。不思議な生態だわ」
萎えていた二人が瞬時に沸騰し、顔面に青筋が次々と浮かび上がってくる。
「言うじゃないか杖刀偶! 受けて立つぞ杖刀偶!」
「砕いて埋めるぞ杖刀偶……高く付くぞ杖刀偶……」
「もしかして、意外と仲が良かったりする……?」
「「死にたいようだな杖刀偶ッ!!」」
声を揃えて叫ぶ二匹。
あまり怒りを露わにしない驪駒でさえ、こうだ。よほど心外なのだろう。
「おい杖刀偶。実際のところ、何の用だ? 何をしに来た?」
嘘や言い逃れを許さない、長としての問いかけ。
驪駒らしからぬ昏い声に、磨弓は浮かれたような声で返した。
「兵団の長が、敵地に乗り込んでやる事なんて、一つしかない」
二匹をまっすぐと見据える磨弓。
形作られた華やかな笑顔には、喜びや楽しみとは違うモノが滲み出ている。
「無論、当然、戦うために」
いわゆる、闘争心と呼ばれるモノ。
「埴安神の命で、ですか?」
「少し違う。優先命令を疎かにしない程度に、兵団の自由運用の許可を賜ったのよ」
「手駒の使い方も許可制か。窮屈だな、偶像というものは」
「偶像も武力も、基本そういうものよ。貴方達が自由すぎる……そして」
喜びを抑えきれない、とばかりに含み笑う磨弓。
「弱肉強食の理。それは我々も、例外では無いはず。精鋭無比たる我らが無尽兵団ならば、ゴロツキなど鎧袖一触」
いよいよ剣の柄に手を掛けた磨弓に、二匹は互いに耳打ちする。
「おい吉弔。何となく、次の言葉が読めた気がするんだが」
「ここまで言われて読めなかったら、本気で無能ですよ……驪駒」
「仕方が無いな。いいだろう」
鋼が擦れる音が静かに響き、磨弓が剣を降るって叫ぶ。
「再びこの地に! 誉れ高き袿姫様の燦然たる御威光をってあれ!? 居ないッ!?」
磨弓だけを残して、がらんどうとなった鍋パ部屋。
瞬時に吉弔を背負い、オオカミ霊を頭上に乗せ、カワウソ霊達を吉弔の尾に掴ませる。
そして磨弓の意識が、剣に向かったその一瞬。
文字通り瞬く間に、全員揃って、裏口から離脱した。
武人である磨弓でさえ反応出来ない、まさしく神速の業。
「速い、速いな。真っ当に戦えたら、どれだけ……」
ぽつり、と無念と期待を呟く磨弓。
先の異変での、虐殺に等しいワンサイドゲーム。
神に仕えるモノとしては重畳だったが、武人としては、不足極まりなかった。
彼女は、戦いを望んでいた。畜生霊と同じくらいに。
▽
一方で。磨弓を出し抜いた畜生達は、メトロポリスの上空を飛んでいた。
「はっはっは! 気分爽快だな!」
「……こんな所まで来て、わざわざ宣戦布告とは。連中、やる気ですよ」
「ん、そうだな。奴がもし畜生霊なら、そのまま飛び掛かりたい位だった」
そもそも。なぜ畜生霊達は、わざわざ生身の人間達を巻き込んだのか。
実体を持たない霊である彼女達は、実体である埴輪兵団に、攻撃する手段が無かったからだ。
「ああは言っていましたが、今は霊長園の防護が主な仕事でしょうから」
「そうだな。以前よりは小粒だろう」
首魁たる埴安神袿姫は、人間達が倒した。それ以降埴安神は、霊長園から領地を広げようとはしていない。
埴輪兵団も以前のような、絶滅戦争にも似た徹底的な戦いはしないだろう。
だが、実体と霊体の関係性が変わる訳では無い。
畜生霊達はいまだ、埴輪兵団を攻撃出来ないのだ。
「腕が鳴るな」
「腕が鳴りますね」
競争、いや、戦争だ。どちらが先に、噛みつく手段を見つけ出し、完膚なきまで粉砕するかの。
孤独に探し、多正面を戦い抜き、協力しては裏切って。
力と矜持の名の下に、やれる事は何でもやる。
背負い背負われた二匹は、心の中で勝手に競争を宣言し、相手もそうだろうと勝手に受け取った。
「しかしいい夜だ。連合を解いたからか? 何だが気分が良い。テンション上がってきた」
「組長、連中追って来ませんぜ」
「どうやら諦めたようですよ、吉弔様」
「そのようですね。驪駒、そろそろ」
「ようし! 折角だし飛ばすか! お前ら手を離すなよ!」
「何を言ってるんでウグッ!?」
天馬の健脚が宙を蹴り、空を射貫かんとばかりに上昇していく。
驪駒が大きく高らかに笑い、吉弔が罵りながら驪駒を殴り、オオカミ霊が楽しげに遠吠えし、カワウソ霊達が凄絶な悲鳴を上げる。
星も月も無い、畜生界の色無き天蓋に、畜生達の声が響く。
メトロポリスの無機質な光だけが、黒く騒がしい夜空を照らし続けていた。
「良く言いますね。突然人を拉致しておいて。休戦中じゃなかったら殺してましたよ」
飾り気の無いテーブルの上に、大きな土鍋が一つ。
鍋を囲むは小皿とお箸。野菜、鶏肉、茸にマロニー。
ご存じ、鍋料理。
千差万別の姿を見せる冬の定番だが、今回食卓に用意された物は、極めてベーシックな構成だ。
楽しげで暖かな時を想像させるが、それを挟んで相対するは、二匹と二匹の畜生霊。
「事を伝えに行く度に追い返す、お前にも非があると思うぞ。吉弔」
「貴女がアポ無しで直接来たら、それはもう襲撃ですよ」
驪駒は上機嫌で、盛られた野菜の山を眺め。
吉弔は不機嫌で、白い眉間に谷を掘る。
それぞれの背後には、それぞれの側近が、やれやれと言わんばかりの表情を浮かべている。
「色々聞きたい事はありますけどね。まず、何が目出度いんですか」
「例の埴輪どもさ。生人間達が、首魁を倒したじゃないか」
霊長園にて生まれた神性は、偶像を生み出し、その力で版図を広げていった。
死なず、疲れず、悩まず、恐れず。
ただひたすらに前進し、蹂躙し、征服する。神が造りし偶像の兵団。
肉体の無い畜生霊達には、戦う術すら無い。
弱肉強食の世界が、信仰という名の秩序に塗りつぶされていくのを、座して眺めるしか無かった。
生身の人間に戦わせるという、秘策を捻り出すまでは。
「面倒臭い戦いだったなぁ、吉弔よ」
「その面倒は、殆ど私がやったんですけどね……で、それだけですか?」
細い脚を組み替えて、面倒臭そうに尋ねる吉弔。
「いや。この鍋を、我ら連合のケジメにしたいんだ」
「貴女の指なんか食べたくないんですが」
「誰がケジメを具にすると言った! 発想が怖いぞ吉弔! 何で私だけなんだ吉弔!」
「うるさい」
長身を乗り出しての抗議に、眉根を顰めて睨む吉弔。
同時に彼女は、驪駒が言いたい事を何となく理解していた。
「……連合を解散する儀式をしたい訳ですね? 誤解と誤認を防ぐ為に」
いつまで共闘するのか? いつから敵同士に戻るのか?
柔軟は許されても、曖昧は御法度だ。
まして本来対立している同士では、尚更と言える。
不出来な解散がそのまま、泥沼に発展しかねない。
「我ら頭目はともかく……組員達がな。分かりやすい形は必要だろう」
「だから、ココに連れてきたのですね。無理矢理」
畜生界の有力な組織達。それらの縄張りが重なるエリアに設けられた緩衝地帯。
それが、驪駒と吉弔が居るこの一軒家だ。
メニューも無い。呼び鈴も無い。いや、そもそも店ですらない。
壁を飾る絵画も無ければ、小粋な雑貨も置かれていない。
あるのは椅子とテーブル。調理設備とトイレのみ。専属の人員もいない。
用途としては、会合の為に用意された空き家だ。
言ってしまえば宅呑み用なのだが、そう呼ぶには利用者同士の仲が悪すぎる。
完全な第三者を用意できない為か、管理人も月ごとに変わり続ける形になっている。
「まあ難しい話じゃない。食べ終わったら解散だ」
「しかし、どうして鍋に?」
「喰いたかった!」
「それが目的じゃ無いでしょうね……まあ、いいです。これでようやく、駄馬の介護を終えられる」
「私も。ノロマに歩を合わせるのは、もう御免だ。はっはっは」
笑いながら鍋に野菜を入れていく驪駒。
吉弔はそれを手伝う事も無く、豊かになっていく鍋を眺めていたが、ふと思い出したように驪駒に尋ねた。
「ところで。饕餮はどうしたんですか?」
連合に参加した集団の中でも、不明勢力を除いて特に強大な三大勢力。
その一角たる剛欲同盟の頭目が、饕餮だ。
「アレの不在なんて些末な問題ですが、連合です。筋は通さないと厄介でしょう」
「当然誘ったんだが、親戚の葬式があるらしくてな。まあ問題は無かろう」
「それ信じたんですか……饕餮め。雑な逃げ方を」
葬式とは何か。死者を弔い葬る儀式である。
すでに畜生界に堕ちた霊達に、葬式の類いが必要か。言うまでも無い。
「吉弔! いかにお前が冷血でも、親族への敬意は忘れてはならんぞ吉弔!」
「馬鹿駒……」
「おい、いま何か言ったか」
「頭蓋に糞を溜め込んだ役立たずの馬鹿駒……」
「悪態を即座に盛るな吉弔! 食前に糞なんて言うな吉弔!」
「うるさい」
大勢力の頭目が来ないとあれば、ケジメ云々は既に破綻している。
よってこの鍋パは、ただの食事会に成ってしまったのだ。
「……まあ、いいか。もし饕餮が文句垂れても、黙らせるだけですし」
「ほら問題無いじゃないか。騒ぎすぎだぞ吉弔」
「ニンジンをケツの穴に詰められて死ね」
「流石にはしたないぞ吉弔! さっきも言ったが食前だぞ吉弔!」
「口にも詰めろ二度死ね」
吉弔の小さな口から、溜め息が零れる。
この鍋をあの駄馬にブチまけてやろうかと考え……しかし、そうはしなかった。
暴威を躊躇うような女では無いが、今回に関してはそれが出来ない理由がある。
吉弔が拉致されたのは、夕食の直前。現在彼女は、割と重度の空腹状態であった。
「うん。そろそろ良いか」
「ええ。頂くとしましょうか」
「頂きます! いやぁ美味そうな待てそれは取り過ぎだ吉弔! 流石に許容できんぞ吉弔ォ!」
一膳の箸に支えられ、鍋上に晒された有機物の複合体。
我を見よと言わんばかりに湯気を昇らせ、汁を滴らせるそれは、鍋に投じられた具材の実に半数を擁していた。
天馬を出し抜いて得た会心の略奪。それは吉弔の美しい顔に、満足と爽快を咲き誇らせた。
愉悦と侮蔑では? という正しい誤認はさておき。この食卓もまた、弱肉強食であることは確かだった。
「早い者勝ちですよ。何か異論が?」
「ぐぐぐ……確かにそうだが……!」
「天馬が速度で物言いだなんて、恥も良いところで待て待て待て待ちなさい。煮る前の奴はダメです喰うなバカ」
善は急げ。あるいは、兵は拙速を尊ぶ。
古の時代から、速さや早さを重要視する言葉は多い。それが事実であることも広く知られている。
とはいえ。ざるに置かれた生の具材を掻き込む電撃的青田刈りは、果たして尊ぶべき選択か否か。
どちらにせよ、大量のナマモノを詰め込んだ驪駒の端正な顔は、愉快極まりない造形へと変貌していた。
「あやいおのあいらァ!」
「限度ってモノがありますよ。戻しなさい」
「うごおおおォ!?」
閉じられた頑健な歯をこじ開けて、吉弔の箸が驪駒のナカへと突入を敢行。
未調理食材が混ざり合う天馬の口内を、二振りの木棒がいざ喉を突かんと邁進する。
この場にマナー講師が居たら憤死しかねない畜生の食卓に、見かねた側近達が止めに入った。
「く、組長方。材料はまだ有りますから。そう焦る事はありませんって」
「そうですよ! 足りなければもっと持ってきますので!」
「うにもにもにもー!」
「何言ってんのか全然わかんねえ……」
河豚と化した親分に、天を仰ぐオオカミ霊。
吐けと言って吐くわけも無く、かといって、飲み込むまでどれだけの時間を要するか。
オオカミ霊は気を取り直して、深度を増していく吉弔の箸に、出来るだけ穏当な突撃破砕を試みる。
「吉弔さんも勘弁して下さい。箸を沈めた後にナニがあっても、クリーニング代は出せませんぜ」
「不要ですよ? 首を捻じ切れば、惨事の指向は自由ですから」
きょとん、とした表情で告げられる、殺害予告と安全保障。
あまりに鮮やかな一石二鳥に、オオカミ霊も言葉が出ない。
このサディストが、と目線で批難を浴びせつつ、彼女の側近に標的を変更する。
「おいカワウソ! 何とかしろ! テメエの親分だろうが!」
「うっさいな黙ってて! 吉弔様、そろそろ抜きましょう。ほら、汚いですし」
「そんな事より見なさい。この天馬だかハムスターだか分からない顔を」
「何ちょっと楽しそうな顔してるんですか」
コンクリ製の血管を、流れゆくは液体窒素。
そうまで言われる冷血女の笑みは、意外にも可憐な造形をしていた。
他人の口内に棒を捻じ込む蛮行が無ければ、なお良かったのだろうが。
「何なら追加でねじ込んで……あっ」
「うごごごご!」
そして、あの驪駒が黙って耐えている訳も無い。
彼女は、食べ始めた。そして飲み込み始めた。箸も一緒に。
ミキサーの如く噛んで潰し、胃へと落とし込んでいく。
まるで早送りのような速度で顎が動き、頬袋が縮んでいった。
箸は既に、吉弔の手に無い。引きずり込まれてしまった。
時折ぼりぼりと、箸が食材と成れ果てた音が響く。
「すッ、すげえ! さすが組長!」
とうとう中身を失った驪駒の口が、満足げに笑みの形を作り上げた。
「はっはっは! どうだ吉弔!」
「気持ち悪かったです」
「失敬な! そういえば、何か固いのが混じってたぞ。結構美味かったが」
「それ吉弔さんの箸です」
「い、今の顔ヤバ……こんなの笑う……くひっ……!」
「なにウチの組長笑ってんだカワウソ! シメるぞ!」
カワウソの粗相も無理は無い。
限界ハムスターが2秒で美人すぎる馬に戻るその様は、睨めっこなら即殺を確約できる力を秘めていた。
「まったく。吉弔のせいで落ち着きの無い鍋になったな」
「貴女が暴走したんでしょう。馬刺しにしますよ」
「よく言うよ」
そう言いながら、僅かに残った食材を入れていく驪駒。それを吉弔が、先ほどの戦果を堪能しながら眺めている。
残り物も鍋の賑わい。食卓に少しずつ、活気と正気を取り戻していく。
「もう野菜は無いのか?」
「ええ。肉が割と残ってますから、十分でしょう」
「好きだなぁ、肉。その割に、いつまで経っても身体が枯れ枝だが」
「あら、喋れるだなんて賢い豚」
「これは筋肉だ吉弔~ッ!」
両腕に力こぶを作って見せる驪駒。
長身の体躯を美しいままに、無駄なく纏った筋肉は、芸術や美術のそれに肉薄していた。
「この驪駒早鬼に! 無駄な脂肪などッ! 無いッッ!」
「うるさい」
「むしろ吉弔の方が怪しいだろう。いつも肉ばかり食って」
「貴女と違って暴食はしませんので。あ、そろそろ良いですね」
今度は大人しく、正しく鍋をつつく二匹。
吉弔が第二次攻勢を仕掛けなかったのは、単に満足したからだ。
もちろん腹では無く。行為に関して。
「シメの麺はあるんですか?」
「今回は用意しなかった。最後の、喰っていいぞ」
「では」
先ほどの喧噪が嘘のように、静かになった食卓。
最後の、小さな鶏肉を吉弔が食べ、ついに鍋が空となった。
「うむ!」
「ええ」
「「ごちそうさまでした」」
これを以て、三大勢力を中核とした大連合は解消。
協力し合っていた敵同士も晴れて、純然たる怨敵へと。
「よしッ! いくぞ吉弔ォ!!」
叫びと共に、机と鍋が、割れて砕けて宙を舞う。
天馬の強烈な蹴りが、彼女と吉弔の間から障害物を排除した。
「驪駒……」
眼前の粉砕に興味が無いかのように、敵の名をぼそりと呟き、ゆっくりと立ち上がる吉弔。
「長かったな! 待ち望んだぞ!」
「ええ。洒落臭い連合ごっこはお終いです」
吹いて荒れるは破壊と簒奪。泣いて喚くは雑魚と腰抜け。
清きを小銭で買い叩き、糞小便で埋め立てる、情け無用のメトロポリス。
悪徳上等、外道一筋。
畜生界は、今度こそ、弱肉強食の理を取り戻した。
「自慢の甲羅を蹴って砕いて、間抜けな背中を晒してやろう! 吉弔ォ!」
「羽を毟って、脚を捌いて、ドブに撒いて捨ててやる。驪駒……!」
歓喜に沸くのは当然、組長達だけではない。
部屋の扉が破られて、大勢のカワウソ霊達が飛び込んできた。
「吉弔様! ご無事ですか!?」
「覚悟しろ! 勁牙組の馬鹿どもめ!」
吉弔が攫われた後、その拉致先を探していた鬼傑組の部下達。
その努力がようやく実り、絶好のタイミングでの突入となった。
あっという間に数的劣勢へと転げ落ちた勁牙組。
オオカミ霊は低く唸り、カワウソ霊が口角を吊り上げる。
「カスばっか揃えやがって……しかも少ねえ! あと10倍連れてこい!」
「調子コくと後が悪いのに。一番惨めな土下座の仕方、教えてあげるよぉ?」
ギリギリと歯を軋ませて、眼光鋭く睨み合う側近達。
常識霊を気取っていた二匹だが、所詮は畜生霊。血潮が主食のロクデナシ共だ。
「もう邪魔は入らない。とことんやろう、吉弔」
「今日ばかりは、付き合ってあげますよ……目出度い日ですからね」
情熱的な視線を重ね合う二匹。
双方が、いざ暴力、と力を込め始め――。
「吉弔様! 緊急です! 来やがりました!」
一匹のカワウソ霊が、壊れた扉から飛び込んできた。
部屋の空気が冷え込んだのは、夜の風が吹き込んだからでは無いだろう。
アツい逢瀬を邪魔されて、驪駒は口を尖らせ、吉弔は僅かに下を向いた。
「何となく、内容の察しは付くがなぁ。流石にあんまりだと思わんか吉弔ォ~」
「うるさい。それで、来た、とは」
カワウソ霊の返事を待たず、緊急の内容が姿を現した。
「……会合場所は、情報通り。まさか解散の場だとは思わなかったけど」
金の髪に白いリボン。黄色い鎧と腰の剣。
胸元に留められた埴輪のアクセサリが、彼女が何者であるかを、これ以上に無く表している。
埴安神袿姫が生んだ、最高傑作の一角。
あらゆる武に長けた戦士にして、埴輪兵団の長。
杖刀偶磨弓の姿がそこにあった。
「やはりお前か、杖刀偶。直々に来訪とは恐縮だが、もう鍋も勝利も残っていないぞ」
「お久しぶりです、兵団長殿。戦史に釈明と誇張を綴る仕事は順調ですか?」
冷たい歓待にも、磨弓は眉一つ動かさない。
皮肉の二正面に対して、彼女の返答は、同程度に辛辣だった。
「他者を騙して得た勝利で、よくそこまで悦に浸れるものね。不思議な生態だわ」
萎えていた二人が瞬時に沸騰し、顔面に青筋が次々と浮かび上がってくる。
「言うじゃないか杖刀偶! 受けて立つぞ杖刀偶!」
「砕いて埋めるぞ杖刀偶……高く付くぞ杖刀偶……」
「もしかして、意外と仲が良かったりする……?」
「「死にたいようだな杖刀偶ッ!!」」
声を揃えて叫ぶ二匹。
あまり怒りを露わにしない驪駒でさえ、こうだ。よほど心外なのだろう。
「おい杖刀偶。実際のところ、何の用だ? 何をしに来た?」
嘘や言い逃れを許さない、長としての問いかけ。
驪駒らしからぬ昏い声に、磨弓は浮かれたような声で返した。
「兵団の長が、敵地に乗り込んでやる事なんて、一つしかない」
二匹をまっすぐと見据える磨弓。
形作られた華やかな笑顔には、喜びや楽しみとは違うモノが滲み出ている。
「無論、当然、戦うために」
いわゆる、闘争心と呼ばれるモノ。
「埴安神の命で、ですか?」
「少し違う。優先命令を疎かにしない程度に、兵団の自由運用の許可を賜ったのよ」
「手駒の使い方も許可制か。窮屈だな、偶像というものは」
「偶像も武力も、基本そういうものよ。貴方達が自由すぎる……そして」
喜びを抑えきれない、とばかりに含み笑う磨弓。
「弱肉強食の理。それは我々も、例外では無いはず。精鋭無比たる我らが無尽兵団ならば、ゴロツキなど鎧袖一触」
いよいよ剣の柄に手を掛けた磨弓に、二匹は互いに耳打ちする。
「おい吉弔。何となく、次の言葉が読めた気がするんだが」
「ここまで言われて読めなかったら、本気で無能ですよ……驪駒」
「仕方が無いな。いいだろう」
鋼が擦れる音が静かに響き、磨弓が剣を降るって叫ぶ。
「再びこの地に! 誉れ高き袿姫様の燦然たる御威光をってあれ!? 居ないッ!?」
磨弓だけを残して、がらんどうとなった鍋パ部屋。
瞬時に吉弔を背負い、オオカミ霊を頭上に乗せ、カワウソ霊達を吉弔の尾に掴ませる。
そして磨弓の意識が、剣に向かったその一瞬。
文字通り瞬く間に、全員揃って、裏口から離脱した。
武人である磨弓でさえ反応出来ない、まさしく神速の業。
「速い、速いな。真っ当に戦えたら、どれだけ……」
ぽつり、と無念と期待を呟く磨弓。
先の異変での、虐殺に等しいワンサイドゲーム。
神に仕えるモノとしては重畳だったが、武人としては、不足極まりなかった。
彼女は、戦いを望んでいた。畜生霊と同じくらいに。
▽
一方で。磨弓を出し抜いた畜生達は、メトロポリスの上空を飛んでいた。
「はっはっは! 気分爽快だな!」
「……こんな所まで来て、わざわざ宣戦布告とは。連中、やる気ですよ」
「ん、そうだな。奴がもし畜生霊なら、そのまま飛び掛かりたい位だった」
そもそも。なぜ畜生霊達は、わざわざ生身の人間達を巻き込んだのか。
実体を持たない霊である彼女達は、実体である埴輪兵団に、攻撃する手段が無かったからだ。
「ああは言っていましたが、今は霊長園の防護が主な仕事でしょうから」
「そうだな。以前よりは小粒だろう」
首魁たる埴安神袿姫は、人間達が倒した。それ以降埴安神は、霊長園から領地を広げようとはしていない。
埴輪兵団も以前のような、絶滅戦争にも似た徹底的な戦いはしないだろう。
だが、実体と霊体の関係性が変わる訳では無い。
畜生霊達はいまだ、埴輪兵団を攻撃出来ないのだ。
「腕が鳴るな」
「腕が鳴りますね」
競争、いや、戦争だ。どちらが先に、噛みつく手段を見つけ出し、完膚なきまで粉砕するかの。
孤独に探し、多正面を戦い抜き、協力しては裏切って。
力と矜持の名の下に、やれる事は何でもやる。
背負い背負われた二匹は、心の中で勝手に競争を宣言し、相手もそうだろうと勝手に受け取った。
「しかしいい夜だ。連合を解いたからか? 何だが気分が良い。テンション上がってきた」
「組長、連中追って来ませんぜ」
「どうやら諦めたようですよ、吉弔様」
「そのようですね。驪駒、そろそろ」
「ようし! 折角だし飛ばすか! お前ら手を離すなよ!」
「何を言ってるんでウグッ!?」
天馬の健脚が宙を蹴り、空を射貫かんとばかりに上昇していく。
驪駒が大きく高らかに笑い、吉弔が罵りながら驪駒を殴り、オオカミ霊が楽しげに遠吠えし、カワウソ霊達が凄絶な悲鳴を上げる。
星も月も無い、畜生界の色無き天蓋に、畜生達の声が響く。
メトロポリスの無機質な光だけが、黒く騒がしい夜空を照らし続けていた。
「もう鍋も勝利も残っていないぞ」
このセリフ大好き
とても面白かったです。
黒駒が意外と丁寧で好き!
スジ者が仲良く鍋食ってるって絵面だけで笑えます
そのあと即座に争いになるのも期待どおりでした