私は誕生日が嫌いだった。
一般的に誕生日といえば祝い事であり、めでたい行事であり、あるいは酒を飲み騒ぐための口実としての形骸化された非日常である。
それはほとんどが死者であるこの畜生界であっても差異のないものであった。
だが私にとって誕生日とは龍に成り損ない、クソみたいな人生を運命付けたクソみたいな記念日だった。
もし吉弔などではなく、強く美しく、気高い存在として生まれていたなら。そんなくだらない妄執に捕らわれる度に、地べたを這い回る己の有り様に絶望し、この身を素にした薬の為に執拗に人間に狙われる日々を呪い、そしてあっけなく弱者として死んだ虚しい人生を思い出させる記念日だった。
だからこそ、誕生日は嫌いだった。
配下のカワウソ霊達が誕辰会なるものを用意していたが、それも毎年のように無視していた。今日だけは、誰にも邪魔される事なくひたすらに酒に溺れたいのだ。
それを邪魔する奴は誕生日と同じぐらい嫌いだった。
なのにである。
「吉弔! 今日誕生日なんだってな! 飲みに行こう!」
だからこそ、無遠慮に誘ってくるこいつが嫌いだった。
嫌です。と言い掛けた時にはもう驪駒に引き摺られていた。
曰く、店主の口が堅く人目に付かずひっそりと飲める店があるという。一応はお互いの立場を理解しているようで安心する。
人の話を聞かず、思い立ったらすぐに行動するこの暴れ馬が苦手であったがそれが長所であるのも理解していた。
この決断と決行の速さに痛い目を見たのは一度や二度ではない。
苦手ではあるが数少ない驪駒の敬意を表する点であった。
「一応聞いておきますが奢りですよね?」
「え? 割り勘だろ?」
「貴方の頭を割りましょうか?」
「割るなら水より氷がいいな」
訂正、やっぱりこいつは大嫌いだ。
然したる意味のない言葉という弾幕の応酬を続けるうち、一件の物静かなBARに辿り着いた。店内には他に客は無く、数人が座れるカウンター席と申し訳程度の内容のメニュー表が壁に掛けられているだけであった。
ウィスキーとツマミが少々。それだけ有れば十分だ。
「えーっと、誕生日おめでとう! 乾杯!」
驪駒は琥珀色の液体が注がれたグラスを小さく掲げ一気に煽る。
私も適当にグラスの中身を揺らし無言で答えると、倣うように一気に煽り、文字通り杯を乾かした。スモーキーで芳醇な液体が喉を焼きながら流れ込んでくる。胃に染み込むと火が付いたような熱さが走るのが堪らない。
そこからはもう、驪駒も私も酔い潰れる為ひたすらに杯を乾かし続けた。
誕生日とは、酒を飲み騒ぐための形骸化された口実なのであった。
数刻が経ち、脳味噌が適度にアルコール漬けになった頃に驪駒がぼんやりと呟いた。
「……なぁ吉弔」
「なんです?」
「カワウソ達もお前の事を慕ってるんだ、今年ぐらい行ってやれよ」
「嫌ですよ、私は自分の生まれがどうしようもなく我慢ならないんです。それを祝われるのがどうしようもなく不愉快なんです。今の私は、私自身の力で築きあげたもので、私の生まれなど何の関係のない物なんです。それを蒸し返されるのが嫌で嫌で堪らない」
ぽつりぽつりと、何かに取り憑かれたように言葉を吐き出すとじっと何かを重ねるように手の内のグラスを見つめた。
在りし日の思い出に縋ってみても、惨めな気持ちになるだけだから。
「相変わらず生き辛そうで何よりだな」
「どういう意味です?」
「昔と今は別物だ。それが例え忘れがたい過去だとしても、私たちが生きているのは今、この時だ」
「……死んでますけどね」
「自分自身を認めず、欺き続けることでしか矜持を保てない馬鹿だって言ってるんだ」
「それだと、まるで私が馬鹿の一歩手前みたいじゃないですか」
「半歩先だろ?」
ああ言えばこう言う減らず口に腹が立ち顔を上げ驪駒を睨み付ける。
だが意外にも、普段の驪駒からは想像できないほど穏やかな表情で、何かを見透かしたように目を細めこちらを見つめていた。
「あのな吉弔。誰であろうと、どんな人生を送ろうと、産まれてくるその瞬間は一人の例外もなく祝福されて産まれてくるんだ」
その声音には柔らかく温かな感情が滲み出ていた。私は、驪駒の言葉をゆっくりと咀嚼して呑み込んだ。
「人生にとって誕生日は誰もが持っている最初の記念日だ。その日がなければ、私もお前もここにはいない」
胸の奥底から、抗いがたい甘い苦しさが、漏れ出した水のように広がっていく。言語化することのできない感情が、自覚すら出来ていなかった心の淀みが、目を伝ってこぼれそうになる。
「だからこそ、もう一度言うぞ。誕生日おめでとう、吉弔」
差し出されたウィスキーに自身の顔が鏡写しに写り込んでいた。波紋に揺れる表情は、泣いているのか笑っているのか判断が難しい。
「これ飲んだら、カワウソ達の所に行ってやれよ」
「……今年くらいは、祝われてあげてもいいかもしれませんね」
「相変わらず素直じゃないなぁ」
「貴方も相変わらずですけどね」
「どういう意味だ?」
「変なところで気が回る」
顔を見合わせるとどちらともなくフッと笑った。
私は、愉快とも嘲けりとも付かないいつもの笑みを。驪駒は全面降伏したくなるような、強さと快活さを見出させる笑みを。
たまにはこういう年もあってもいい。
けれど、やられっぱなしなんて私らしくもない。
意趣返ししてやらないと気が済まない悪癖が、心の奥でゆらゆらと鎌首をもたげた。
「ありがとう、驪駒」
「……あー、それなら、私以外に言うべき奴らがいるだろ?」
「それでも、貴方が私を想ってくれたことに違いはない筈だ」
「誕生日を祝っただけだ、他愛のない話さ」
「でもそこに、愛はあるんでしょう?」
驪駒は一瞬固まるとウィスキーの残りを一息で飲み干し、比類なき脚力で足早に店を飛び出した。
残された吉弔は照れを隠すためにグラスを口に運んだ。
最後の一杯は、いつもより何倍も幸せな味がした。
一般的に誕生日といえば祝い事であり、めでたい行事であり、あるいは酒を飲み騒ぐための口実としての形骸化された非日常である。
それはほとんどが死者であるこの畜生界であっても差異のないものであった。
だが私にとって誕生日とは龍に成り損ない、クソみたいな人生を運命付けたクソみたいな記念日だった。
もし吉弔などではなく、強く美しく、気高い存在として生まれていたなら。そんなくだらない妄執に捕らわれる度に、地べたを這い回る己の有り様に絶望し、この身を素にした薬の為に執拗に人間に狙われる日々を呪い、そしてあっけなく弱者として死んだ虚しい人生を思い出させる記念日だった。
だからこそ、誕生日は嫌いだった。
配下のカワウソ霊達が誕辰会なるものを用意していたが、それも毎年のように無視していた。今日だけは、誰にも邪魔される事なくひたすらに酒に溺れたいのだ。
それを邪魔する奴は誕生日と同じぐらい嫌いだった。
なのにである。
「吉弔! 今日誕生日なんだってな! 飲みに行こう!」
だからこそ、無遠慮に誘ってくるこいつが嫌いだった。
嫌です。と言い掛けた時にはもう驪駒に引き摺られていた。
曰く、店主の口が堅く人目に付かずひっそりと飲める店があるという。一応はお互いの立場を理解しているようで安心する。
人の話を聞かず、思い立ったらすぐに行動するこの暴れ馬が苦手であったがそれが長所であるのも理解していた。
この決断と決行の速さに痛い目を見たのは一度や二度ではない。
苦手ではあるが数少ない驪駒の敬意を表する点であった。
「一応聞いておきますが奢りですよね?」
「え? 割り勘だろ?」
「貴方の頭を割りましょうか?」
「割るなら水より氷がいいな」
訂正、やっぱりこいつは大嫌いだ。
然したる意味のない言葉という弾幕の応酬を続けるうち、一件の物静かなBARに辿り着いた。店内には他に客は無く、数人が座れるカウンター席と申し訳程度の内容のメニュー表が壁に掛けられているだけであった。
ウィスキーとツマミが少々。それだけ有れば十分だ。
「えーっと、誕生日おめでとう! 乾杯!」
驪駒は琥珀色の液体が注がれたグラスを小さく掲げ一気に煽る。
私も適当にグラスの中身を揺らし無言で答えると、倣うように一気に煽り、文字通り杯を乾かした。スモーキーで芳醇な液体が喉を焼きながら流れ込んでくる。胃に染み込むと火が付いたような熱さが走るのが堪らない。
そこからはもう、驪駒も私も酔い潰れる為ひたすらに杯を乾かし続けた。
誕生日とは、酒を飲み騒ぐための形骸化された口実なのであった。
数刻が経ち、脳味噌が適度にアルコール漬けになった頃に驪駒がぼんやりと呟いた。
「……なぁ吉弔」
「なんです?」
「カワウソ達もお前の事を慕ってるんだ、今年ぐらい行ってやれよ」
「嫌ですよ、私は自分の生まれがどうしようもなく我慢ならないんです。それを祝われるのがどうしようもなく不愉快なんです。今の私は、私自身の力で築きあげたもので、私の生まれなど何の関係のない物なんです。それを蒸し返されるのが嫌で嫌で堪らない」
ぽつりぽつりと、何かに取り憑かれたように言葉を吐き出すとじっと何かを重ねるように手の内のグラスを見つめた。
在りし日の思い出に縋ってみても、惨めな気持ちになるだけだから。
「相変わらず生き辛そうで何よりだな」
「どういう意味です?」
「昔と今は別物だ。それが例え忘れがたい過去だとしても、私たちが生きているのは今、この時だ」
「……死んでますけどね」
「自分自身を認めず、欺き続けることでしか矜持を保てない馬鹿だって言ってるんだ」
「それだと、まるで私が馬鹿の一歩手前みたいじゃないですか」
「半歩先だろ?」
ああ言えばこう言う減らず口に腹が立ち顔を上げ驪駒を睨み付ける。
だが意外にも、普段の驪駒からは想像できないほど穏やかな表情で、何かを見透かしたように目を細めこちらを見つめていた。
「あのな吉弔。誰であろうと、どんな人生を送ろうと、産まれてくるその瞬間は一人の例外もなく祝福されて産まれてくるんだ」
その声音には柔らかく温かな感情が滲み出ていた。私は、驪駒の言葉をゆっくりと咀嚼して呑み込んだ。
「人生にとって誕生日は誰もが持っている最初の記念日だ。その日がなければ、私もお前もここにはいない」
胸の奥底から、抗いがたい甘い苦しさが、漏れ出した水のように広がっていく。言語化することのできない感情が、自覚すら出来ていなかった心の淀みが、目を伝ってこぼれそうになる。
「だからこそ、もう一度言うぞ。誕生日おめでとう、吉弔」
差し出されたウィスキーに自身の顔が鏡写しに写り込んでいた。波紋に揺れる表情は、泣いているのか笑っているのか判断が難しい。
「これ飲んだら、カワウソ達の所に行ってやれよ」
「……今年くらいは、祝われてあげてもいいかもしれませんね」
「相変わらず素直じゃないなぁ」
「貴方も相変わらずですけどね」
「どういう意味だ?」
「変なところで気が回る」
顔を見合わせるとどちらともなくフッと笑った。
私は、愉快とも嘲けりとも付かないいつもの笑みを。驪駒は全面降伏したくなるような、強さと快活さを見出させる笑みを。
たまにはこういう年もあってもいい。
けれど、やられっぱなしなんて私らしくもない。
意趣返ししてやらないと気が済まない悪癖が、心の奥でゆらゆらと鎌首をもたげた。
「ありがとう、驪駒」
「……あー、それなら、私以外に言うべき奴らがいるだろ?」
「それでも、貴方が私を想ってくれたことに違いはない筈だ」
「誕生日を祝っただけだ、他愛のない話さ」
「でもそこに、愛はあるんでしょう?」
驪駒は一瞬固まるとウィスキーの残りを一息で飲み干し、比類なき脚力で足早に店を飛び出した。
残された吉弔は照れを隠すためにグラスを口に運んだ。
最後の一杯は、いつもより何倍も幸せな味がした。
思わずニヤリとなる会話でした。
積極的に誘うのは早鬼だけど、一歩踏み込んでくるのは吉弔。
いいなぁ。いいなぁ。
いつ誕生日かわからないけど、八千慧ちゃん、誕生日おめでとうございます!