――シモフリシメジ。その名の通り、晩秋に姿を現すキノコで、その少し灰色がかった傘と真っ白い柄のコントラストもさることながら、ずっしりとして、いかにも肉の締まっていそうな姿は、まさにキノコの王様である占地の名に相応しい。
味の方も決して名前負けしておらず、心地よい適度な歯ごたえに加え、口に入れた瞬間に広がるキノコ特有の濃厚な味わい、そして快感すら覚える口当たりの良さは、和洋中どんな料理にもベストマッチする。
まさに多くのキノコマニア垂涎の逸品なのだ。
幻想郷は今年も秋がやってきて、あっという間に過ぎ去ろうとしていた。
その日、秋穣子は朝からキノコ狩りに山に入っていた。
今日のお目当てはもちろんシモフリシメジだ。
秋の終わりを告げる使者であると同時に、冬の始まりを告げる使者でもあるこのキノコを、毎年彼女はこの時期になると食べる習慣があった。
早朝の肌寒い山の中を、一人ほっかむり姿でキノコを探して歩き回る彼女の姿は、とても神様には見えない。しかし、そんなことは彼女はまったく気にしていない。
今年の秋を看取ると言う意味でも、なんとしてもシモフリシメジを手に入れたかったのだ。
ふと、彼女の頭上でひゅんひゅんと、風を切るような音が聞こえる。その音の正体に気づいた穣子は呼びかけた。
「ブン屋! 何の用よ!」
彼女の頭上に姿を現したのは射名丸文だった。彼女は天狗の団扇をひらひらと扇がせて涼しい顔で穣子を見下ろす。
「おやおや。誰かと思えば穣子さんじゃないですか。こんなところで何をしているのですか?」
「見て分からないの?」
「わかりませんよ」
「キノコ狩りしてるのよ」
「だと思いました」
「思ってたんならそう言いなさいよ!」
「いやー。間違ってたら恥ずかしかったので」
嘘か本気かわからないことを言いながら文は、団扇で口元を隠す。
彼女がこういう仕草をするときは大抵、からかっているか照れ隠しかのどちらかだ。
「ところで文。あんた今暇?」
「ええ。まぁ。明日は休刊日ですし」
「なら手伝ってよ。キノコ探してるの」
「えー。嫌ですよ。そんな面倒なことは」
「見つけたらキノコ鍋ごちそうするわよ-?」
その言葉を聞いた彼女がぴくりと動く。すかさず彼女はたたみかける。
「今探してるキノコは、秋の締めくくりにふさわしいとても美味しいキノコなの。それこそほっぺたがふわふわになってとろけ落ちてしまいそうなくらいにそれはそれは美味で美味で美味で美味で……」
「し、仕方ありませんねぇ。そこまで私に手伝って貰いたいというのなら手伝ってあげてもいいですよ? べ、別にキノコ鍋が食べたいからじゃないですよ? ええ、断じて」
文はあっさり陥落する。彼女が、ああ見えて押しに弱いタイプなのは、長年の付き合いで分かっていた。
計画通り。思わず穣子はほくそ笑む。
「……それで、どう探せば良いんですか?」
「えっとね。そのキノコは針葉樹に生えるのよ」
「つまり、松とかヒノキとか生えてるところという事ですね。そこの地面を探せば良いのです?」
「その通りよ。察しが良くて助かるわー。流石、文ね」
「そんなー。褒めても何も出ませんよー」
そう言いながら文は、まんざらでもなさそうな表情を浮かべる。
その後、二人は松林を見つけると、早速キノコ探しを始める。
地面にはびっしりと松の葉が落ちている。それを一つ一つかき分けながら探していく作業はなかなか骨が折れる作業だ。
キノコ狩りというのは、とても地味で孤独になりがちである。
一人で没頭していると、特に人間は、うっかり足を踏み外して崖から落ちたり、道を外れて迷子になってしまったり、気がつかないうちに妖怪に狙われてたりする。だから、協力者がいるといないとでは大違いなのだ。
穣子とてそれは同じで、いくら好きとは言え、ずっと一人では疲れるし、飽きてきてしまう。
頼りだった姉の静葉は「今日は一日中、散りゆく紅葉を憂いでいたいから」という、いまいちよく分からない理由のために家で留守番をしている。
まったく使えない姉だ。そんなことを彼女が思っていると不意に文が声を上げた。
「あ、穣子さん! これ、そうじゃありませんか?」
早速、穣子が近寄ってみると、そこには大きくて、いびつな傘をした黒っぽいキノコの姿があった。
「あー……これはナベタケね。こんなのよく見つけたわね」
「お目当てのキノコじゃないんですか?」
「違うわ。もう少し白っぽくて普通のキノコの姿してるもの」
「……これはどうします?」
「採っていいわよ。焼くといい酒のつまみになるから。少しほろ苦くてお酒に合うのよ」
「ほほう。それは楽しみですね」
文は嬉々としてかごの中にその黒っぽい大きなキノコを入れる。なんだかんだと言って彼女もキノコ狩りを楽しんでいるようだ。
それから数時間ほど過ぎた頃、かごの中はキノコでいっぱいになっていた。しかし、それらはすべてお目当てのキノコとは違ういわゆる雑キノコばかりだ。これはこれで鍋に入れると美味しいのだが、穣子はどうしてもシモフリシメジが食べたかったのだ。
◇
「穣子さん。ここらで一休みしましょうか」
「そうねー……」
二人は切り株に腰をかけると、ふうと息をつく。不意に文が穣子に話しかける。
「ときに穣子さん。今年の秋はどうでしたか?」
「なによ。いきなり。取材?」
「いえいえ。純粋に聞いてみたかっただけですよ」
そう言うと文は、悪びれのない笑顔を見せる。
「んー。そうねぇー。ちょっと物足りなかったかなーって気がするわ」
「物足りないですか。具体的には?」
「んーとね。まずキノコがあまり食べられなかったってことね。やっぱり秋と言えばキノコだもの。キノコ食べないと秋が来たって感じしないわ」
「なるほど。そうですね。秋の風物詩と言えばキノコですからね。あとは?」
「あとはー。うーん。やっぱり今年はキノコがあまり生えなかったのが残念ね。去年が豊作だったからその反動もあるのかしらね。こればっかりは私でもどうしようもないけど」
「やっぱりキノコですか。……穣子さん。本当にキノコ好きですねぇ」
「当たり前じゃない。だって私は秋の神様だもの。秋と言えばキノコでしょ? そう言うあんただって好きでしょ? キノコ」
「いや。私はそれほどでもないですが……でも、思えば毎年秋になると、穣子さんのキノコ鍋を食べている気がしますね」
「ほら。やっぱ好きなんでしょ。キノコ」
「いやいや。キノコが好きなんじゃなくて、穣子さんのキノコ鍋が好きなんですよ」
「あら、そうなの?」
「ええ。だって本当、美味しいんですよ。どこぞの自称キノコマイスターが作った闇鍋なんかより遙かに」
「……ああ。……あれね」
穣子はそう言うとうんざりした表情を浮かべる。どこぞのキノコマイスター――霧雨魔理沙のキノコ鍋は、彼女も前に食べた事があるからだ。
――キノコ鍋なんだから具材はキノコだけでいいだろう! 今日の主役はお前らだ! さあ輝け。 存分に輝くんだ! 君こそスターだ!
彼女は、そんな事を言いながら、とにかくありったけのキノコを大鍋に放り入れていた。
――構わん! 毒をくわばら皿までだ! それに毒は薬にもなるからな!
これは、穣子が毒キノコが混じっている事を教えたときの言葉だ。少なくとも常人は絶対食べてはいけないキノコ鍋であったのは間違いない。くわばらくわばら。
出来上がった鍋も、キノコの味がするにはするが、どことなく物足りなさを感じる一品で、せっかくの素材の良さを生かし切れていない。
鹿肉の一つでも入れれば、もっとキノコの味を引き立たせる事が出来ただろうに、とにかく残念な一品だったのを思い出す。
文が闇鍋と表したのも決して大げさではない。あの鍋はキノコマニアの闇が垣間見えた、そういう意味で闇鍋だったのだ。
そのようなことを思い出しながら、ふと文を見ると、彼女もまた複雑そうな表情をしている。やはり同じ事を思い出していたのだろう。
◇
その後も二人はシモフリシメジを探した。しかし、探せど探せど採れるのは別なキノコばかりで、しまいには今の季節には生えているはずのないキノコまで見つかる始末だ。
普段なら思わぬ収穫に喜ぶはずの彼女だったが、あいにく欲しいのは、シモフリシメジなのだ。
今の彼女にとっては、それ以外のキノコは単なる脇役に過ぎない。
ふと気がつくともう日が傾き始めている。思えば冬至まであと数週間だ。日暮れが早いのも頷ける。流石の文も、疲労を隠せず彼女に告げる。
「穣子さん。そろそろ終わりにしませんか? 流石に疲れてきましたよ」
「やだ! まだ、見つかってないじゃない! 見つかるまで探すのよ!」
ここまで来ると、もはや意地の問題だ。彼女が諦めるのが先か、キノコが見つかるのが先か。と、その時だ。
「ん……?」
穣子は暗闇の中にぼんやりと白いものが落ちているのを見つける。近づいて確かめてみると、それは薄い桃色のハンカチーフだった。そして、更によく見てみると、そのハンカチには持ち主の名前が記してあった。
――霧雨魔理沙
それを確認するなり彼女は文に言い放つ。
「悪いけど先に行ってて!! ちょっと急用が出来たわ!」
「え!? 穣子さん!?」
彼女は困惑している文には目もくれず、空へ飛び上がるとあっという間に姿を消してしまう。
一人取り残されてしまった文は、仕方なく彼女の家に行く事にした。
◇
文がキノコを携えて彼女の家にやってくると、静葉がやたら満面の笑みで声をかけてきた。
「あら、いらっしゃい。どうしたの? そのキノコは」
「いやー。それがですねー……」
彼女は、今までのいきさつを静葉に話す。話を聞いた彼女は何度も頷きながら、にやりと笑みを浮かべて文に告げた。
「なるほどね。そういうこと。ようやく察しが付いたわ」
「え? それはどういう――」
と、そのとき、玄関の引き戸を乱暴に開ける音が聞こえた。二人が急いで行ってみると、そこには穣子が力なく立ち尽くしていた。
彼女は真っ白な顔で歯をガタガタさせながら体を震わせている。静葉は、有無を言わさず彼女を家の中に引っ張り込むと囲炉裏の横に寝転がせる。文は心配そうに、今にも昇天しそうな彼女に声をかけた。
「……大丈夫ですかー? 穣子さん」
穣子は生気のない声で彼女に返事をする。
「あー……だだだだだいじょうぶー……ささささむさにやられただけだからららららららー……」
「まったくもう。穣子ったら全然学習しないのね。何年同じ事繰り返してるのよ」
そう言いながら静葉は湯たんぽを持ってくると穣子に渡す。彼女はすかさずその湯たんぽを抱え込むとようやく安堵の表情を浮かべた。
「あぁああー……生き返るわああぁー……」
「秋度が減少してる今の時期は、少しの寒さでやられちゃうのよ」
そう文に言うと、静葉は湯飲みに口につける。
「そうなんですか。難儀なんですね。神様って」
文も同じく湯飲みに口をつける。香り香ばしいほうじ茶だ。
「さてと。穣子。経緯を説明して貰うわよ」
静葉の言葉を聞いた穣子は、起き上がると説明を始めた。
「あー。うん。えっとね。これを山で見つけたのよ」
そう言って彼女は、魔理沙のハンカチを取り出して見せる。
「魔法使いさんのハンカチじゃない。これがどうしたの……?」
「これが落ちてたって事は、彼女が山に入ったって証拠なのよ。あいつは、いつも根こそぎキノコを採っていっちゃうから今回もそうに違いないと思って、あいつの家に乗り込んだのよ!」
「寒い中ご苦労な事ね。で、どうなったの?」
「それがさー。あいつ留守でさー……」
「そんな事だろうと思ったわ。本当、あなたはいつも後先考えないものね」
「えー。だってーどうしてもあれが食べたかったんだもん」
そう言うと彼女は、うつろな目で宙を見つめる。静葉はふっと笑みを浮かべて尋ねた。
「あれって、朝言ってたキノコのこと? なんだっけ。コシフリシメジ?」
「シモフリ! コシフリシメジってどんなキノコよ!」
「食べたらあまりの美味しさに、思わず腰を振っちゃうんじゃない?」
「そんな気持ち悪いキノコあるかっ!!」
二人のやりとりを聞いていた文は、思わず脳内でコシフリシメジを想像する。……うん、もし実際にあったら椛にでも食べさせてみよう。きっと面白いことになりそうだ。
そんな事を思いながら彼女は、涼しい顔でほうじ茶を啜った。
と、そのときふと、文は玄関の脇に新聞で包まれている何かを見つける。彼女が色々複雑そうな表情でそれを広げてみると、そこにはいかにも身の締まっていそうな灰色っぽいキノコがたくさん包まれていた。
「静葉さん。なんです? このキノコは」
「ああ。そうそう忘れてたわ。森の魔法使いさんがお裾分けって置いてったのよ」
「あぁーーーーー!? それもしかしてーーー!!!?」
気付いた穣子が思わず大声を上げる。そして彼女は、それを手に持つと色んな角度から眺めると言い放つ。
「間違いないわっ!! これはまごう事なきシモフリシメジっ!! あんにゃろーー! やっぱり根こそぎ採っていきやがってたのねーーーー!?」
穣子は、やられたと言った表情で思わず地団駄を踏む。静葉は、あらあらと言った表情で彼女を眺めている。文は苦笑しながら穣子に告げた。
「まぁまぁ。落ち着いてくださいよ。良かったじゃないですか。お目当てのキノコにありつけたし。それに魔理沙さんもいいところありますね。わざわざお裾分けを持ってきてくれるなんて」
「ぐぬぬぬ。それはそうなんだけど……なんか悔しいわ!」
穣子は未だに腑に落ちない様子で、苦虫を潰したような表情を浮かべている。すかさず静葉がふっと笑みを浮かべ告げる。
「穣子。彼女も、あなたと同じキノコを愛する者には違いないのよ。そう。言ってしまえば戦友みたいなものでしょ。ここは彼女からの粋な計らいという事にして、素直に差し入れを受け入れましょう。そして、自然の恵みに感謝するためにも、新鮮なうちに一刻も早く鍋にして頂きましょう。今年の秋を見送るためにキノコ鍋を。さあ早く。今すぐに」
その言葉を聞いた穣子は、思わず半眼で静葉に言い返す。
「姉さん……尤もらしい事言ってるけど、結局のところ早く食べたいんでしょ? キノコ鍋」
「ええそうよ」
そう言うと静葉は、にやりと不敵な笑みを浮かべる。穣子は、一つため息をつくとキノコを持って、渋々台所へと向かった。
◇
その後、キノコ鍋を囲んで秋を見送るささやかな宴が始まる。
穣子の中には、未だにわだかまりが残っていたものの、キノコ鍋の美味しさと、笑顔でキノコ鍋を突いている二人の様子を見ているうちに、そんな事はもうどうでも良くなってしまった。
そして、酒が入り、ほろ酔い気分になった彼女は、ふと思うのだった。
「来年は【彼女】もこの席に呼んでやってもいいかもしれない」と。
味の方も決して名前負けしておらず、心地よい適度な歯ごたえに加え、口に入れた瞬間に広がるキノコ特有の濃厚な味わい、そして快感すら覚える口当たりの良さは、和洋中どんな料理にもベストマッチする。
まさに多くのキノコマニア垂涎の逸品なのだ。
幻想郷は今年も秋がやってきて、あっという間に過ぎ去ろうとしていた。
その日、秋穣子は朝からキノコ狩りに山に入っていた。
今日のお目当てはもちろんシモフリシメジだ。
秋の終わりを告げる使者であると同時に、冬の始まりを告げる使者でもあるこのキノコを、毎年彼女はこの時期になると食べる習慣があった。
早朝の肌寒い山の中を、一人ほっかむり姿でキノコを探して歩き回る彼女の姿は、とても神様には見えない。しかし、そんなことは彼女はまったく気にしていない。
今年の秋を看取ると言う意味でも、なんとしてもシモフリシメジを手に入れたかったのだ。
ふと、彼女の頭上でひゅんひゅんと、風を切るような音が聞こえる。その音の正体に気づいた穣子は呼びかけた。
「ブン屋! 何の用よ!」
彼女の頭上に姿を現したのは射名丸文だった。彼女は天狗の団扇をひらひらと扇がせて涼しい顔で穣子を見下ろす。
「おやおや。誰かと思えば穣子さんじゃないですか。こんなところで何をしているのですか?」
「見て分からないの?」
「わかりませんよ」
「キノコ狩りしてるのよ」
「だと思いました」
「思ってたんならそう言いなさいよ!」
「いやー。間違ってたら恥ずかしかったので」
嘘か本気かわからないことを言いながら文は、団扇で口元を隠す。
彼女がこういう仕草をするときは大抵、からかっているか照れ隠しかのどちらかだ。
「ところで文。あんた今暇?」
「ええ。まぁ。明日は休刊日ですし」
「なら手伝ってよ。キノコ探してるの」
「えー。嫌ですよ。そんな面倒なことは」
「見つけたらキノコ鍋ごちそうするわよ-?」
その言葉を聞いた彼女がぴくりと動く。すかさず彼女はたたみかける。
「今探してるキノコは、秋の締めくくりにふさわしいとても美味しいキノコなの。それこそほっぺたがふわふわになってとろけ落ちてしまいそうなくらいにそれはそれは美味で美味で美味で美味で……」
「し、仕方ありませんねぇ。そこまで私に手伝って貰いたいというのなら手伝ってあげてもいいですよ? べ、別にキノコ鍋が食べたいからじゃないですよ? ええ、断じて」
文はあっさり陥落する。彼女が、ああ見えて押しに弱いタイプなのは、長年の付き合いで分かっていた。
計画通り。思わず穣子はほくそ笑む。
「……それで、どう探せば良いんですか?」
「えっとね。そのキノコは針葉樹に生えるのよ」
「つまり、松とかヒノキとか生えてるところという事ですね。そこの地面を探せば良いのです?」
「その通りよ。察しが良くて助かるわー。流石、文ね」
「そんなー。褒めても何も出ませんよー」
そう言いながら文は、まんざらでもなさそうな表情を浮かべる。
その後、二人は松林を見つけると、早速キノコ探しを始める。
地面にはびっしりと松の葉が落ちている。それを一つ一つかき分けながら探していく作業はなかなか骨が折れる作業だ。
キノコ狩りというのは、とても地味で孤独になりがちである。
一人で没頭していると、特に人間は、うっかり足を踏み外して崖から落ちたり、道を外れて迷子になってしまったり、気がつかないうちに妖怪に狙われてたりする。だから、協力者がいるといないとでは大違いなのだ。
穣子とてそれは同じで、いくら好きとは言え、ずっと一人では疲れるし、飽きてきてしまう。
頼りだった姉の静葉は「今日は一日中、散りゆく紅葉を憂いでいたいから」という、いまいちよく分からない理由のために家で留守番をしている。
まったく使えない姉だ。そんなことを彼女が思っていると不意に文が声を上げた。
「あ、穣子さん! これ、そうじゃありませんか?」
早速、穣子が近寄ってみると、そこには大きくて、いびつな傘をした黒っぽいキノコの姿があった。
「あー……これはナベタケね。こんなのよく見つけたわね」
「お目当てのキノコじゃないんですか?」
「違うわ。もう少し白っぽくて普通のキノコの姿してるもの」
「……これはどうします?」
「採っていいわよ。焼くといい酒のつまみになるから。少しほろ苦くてお酒に合うのよ」
「ほほう。それは楽しみですね」
文は嬉々としてかごの中にその黒っぽい大きなキノコを入れる。なんだかんだと言って彼女もキノコ狩りを楽しんでいるようだ。
それから数時間ほど過ぎた頃、かごの中はキノコでいっぱいになっていた。しかし、それらはすべてお目当てのキノコとは違ういわゆる雑キノコばかりだ。これはこれで鍋に入れると美味しいのだが、穣子はどうしてもシモフリシメジが食べたかったのだ。
◇
「穣子さん。ここらで一休みしましょうか」
「そうねー……」
二人は切り株に腰をかけると、ふうと息をつく。不意に文が穣子に話しかける。
「ときに穣子さん。今年の秋はどうでしたか?」
「なによ。いきなり。取材?」
「いえいえ。純粋に聞いてみたかっただけですよ」
そう言うと文は、悪びれのない笑顔を見せる。
「んー。そうねぇー。ちょっと物足りなかったかなーって気がするわ」
「物足りないですか。具体的には?」
「んーとね。まずキノコがあまり食べられなかったってことね。やっぱり秋と言えばキノコだもの。キノコ食べないと秋が来たって感じしないわ」
「なるほど。そうですね。秋の風物詩と言えばキノコですからね。あとは?」
「あとはー。うーん。やっぱり今年はキノコがあまり生えなかったのが残念ね。去年が豊作だったからその反動もあるのかしらね。こればっかりは私でもどうしようもないけど」
「やっぱりキノコですか。……穣子さん。本当にキノコ好きですねぇ」
「当たり前じゃない。だって私は秋の神様だもの。秋と言えばキノコでしょ? そう言うあんただって好きでしょ? キノコ」
「いや。私はそれほどでもないですが……でも、思えば毎年秋になると、穣子さんのキノコ鍋を食べている気がしますね」
「ほら。やっぱ好きなんでしょ。キノコ」
「いやいや。キノコが好きなんじゃなくて、穣子さんのキノコ鍋が好きなんですよ」
「あら、そうなの?」
「ええ。だって本当、美味しいんですよ。どこぞの自称キノコマイスターが作った闇鍋なんかより遙かに」
「……ああ。……あれね」
穣子はそう言うとうんざりした表情を浮かべる。どこぞのキノコマイスター――霧雨魔理沙のキノコ鍋は、彼女も前に食べた事があるからだ。
――キノコ鍋なんだから具材はキノコだけでいいだろう! 今日の主役はお前らだ! さあ輝け。 存分に輝くんだ! 君こそスターだ!
彼女は、そんな事を言いながら、とにかくありったけのキノコを大鍋に放り入れていた。
――構わん! 毒をくわばら皿までだ! それに毒は薬にもなるからな!
これは、穣子が毒キノコが混じっている事を教えたときの言葉だ。少なくとも常人は絶対食べてはいけないキノコ鍋であったのは間違いない。くわばらくわばら。
出来上がった鍋も、キノコの味がするにはするが、どことなく物足りなさを感じる一品で、せっかくの素材の良さを生かし切れていない。
鹿肉の一つでも入れれば、もっとキノコの味を引き立たせる事が出来ただろうに、とにかく残念な一品だったのを思い出す。
文が闇鍋と表したのも決して大げさではない。あの鍋はキノコマニアの闇が垣間見えた、そういう意味で闇鍋だったのだ。
そのようなことを思い出しながら、ふと文を見ると、彼女もまた複雑そうな表情をしている。やはり同じ事を思い出していたのだろう。
◇
その後も二人はシモフリシメジを探した。しかし、探せど探せど採れるのは別なキノコばかりで、しまいには今の季節には生えているはずのないキノコまで見つかる始末だ。
普段なら思わぬ収穫に喜ぶはずの彼女だったが、あいにく欲しいのは、シモフリシメジなのだ。
今の彼女にとっては、それ以外のキノコは単なる脇役に過ぎない。
ふと気がつくともう日が傾き始めている。思えば冬至まであと数週間だ。日暮れが早いのも頷ける。流石の文も、疲労を隠せず彼女に告げる。
「穣子さん。そろそろ終わりにしませんか? 流石に疲れてきましたよ」
「やだ! まだ、見つかってないじゃない! 見つかるまで探すのよ!」
ここまで来ると、もはや意地の問題だ。彼女が諦めるのが先か、キノコが見つかるのが先か。と、その時だ。
「ん……?」
穣子は暗闇の中にぼんやりと白いものが落ちているのを見つける。近づいて確かめてみると、それは薄い桃色のハンカチーフだった。そして、更によく見てみると、そのハンカチには持ち主の名前が記してあった。
――霧雨魔理沙
それを確認するなり彼女は文に言い放つ。
「悪いけど先に行ってて!! ちょっと急用が出来たわ!」
「え!? 穣子さん!?」
彼女は困惑している文には目もくれず、空へ飛び上がるとあっという間に姿を消してしまう。
一人取り残されてしまった文は、仕方なく彼女の家に行く事にした。
◇
文がキノコを携えて彼女の家にやってくると、静葉がやたら満面の笑みで声をかけてきた。
「あら、いらっしゃい。どうしたの? そのキノコは」
「いやー。それがですねー……」
彼女は、今までのいきさつを静葉に話す。話を聞いた彼女は何度も頷きながら、にやりと笑みを浮かべて文に告げた。
「なるほどね。そういうこと。ようやく察しが付いたわ」
「え? それはどういう――」
と、そのとき、玄関の引き戸を乱暴に開ける音が聞こえた。二人が急いで行ってみると、そこには穣子が力なく立ち尽くしていた。
彼女は真っ白な顔で歯をガタガタさせながら体を震わせている。静葉は、有無を言わさず彼女を家の中に引っ張り込むと囲炉裏の横に寝転がせる。文は心配そうに、今にも昇天しそうな彼女に声をかけた。
「……大丈夫ですかー? 穣子さん」
穣子は生気のない声で彼女に返事をする。
「あー……だだだだだいじょうぶー……ささささむさにやられただけだからららららららー……」
「まったくもう。穣子ったら全然学習しないのね。何年同じ事繰り返してるのよ」
そう言いながら静葉は湯たんぽを持ってくると穣子に渡す。彼女はすかさずその湯たんぽを抱え込むとようやく安堵の表情を浮かべた。
「あぁああー……生き返るわああぁー……」
「秋度が減少してる今の時期は、少しの寒さでやられちゃうのよ」
そう文に言うと、静葉は湯飲みに口につける。
「そうなんですか。難儀なんですね。神様って」
文も同じく湯飲みに口をつける。香り香ばしいほうじ茶だ。
「さてと。穣子。経緯を説明して貰うわよ」
静葉の言葉を聞いた穣子は、起き上がると説明を始めた。
「あー。うん。えっとね。これを山で見つけたのよ」
そう言って彼女は、魔理沙のハンカチを取り出して見せる。
「魔法使いさんのハンカチじゃない。これがどうしたの……?」
「これが落ちてたって事は、彼女が山に入ったって証拠なのよ。あいつは、いつも根こそぎキノコを採っていっちゃうから今回もそうに違いないと思って、あいつの家に乗り込んだのよ!」
「寒い中ご苦労な事ね。で、どうなったの?」
「それがさー。あいつ留守でさー……」
「そんな事だろうと思ったわ。本当、あなたはいつも後先考えないものね」
「えー。だってーどうしてもあれが食べたかったんだもん」
そう言うと彼女は、うつろな目で宙を見つめる。静葉はふっと笑みを浮かべて尋ねた。
「あれって、朝言ってたキノコのこと? なんだっけ。コシフリシメジ?」
「シモフリ! コシフリシメジってどんなキノコよ!」
「食べたらあまりの美味しさに、思わず腰を振っちゃうんじゃない?」
「そんな気持ち悪いキノコあるかっ!!」
二人のやりとりを聞いていた文は、思わず脳内でコシフリシメジを想像する。……うん、もし実際にあったら椛にでも食べさせてみよう。きっと面白いことになりそうだ。
そんな事を思いながら彼女は、涼しい顔でほうじ茶を啜った。
と、そのときふと、文は玄関の脇に新聞で包まれている何かを見つける。彼女が色々複雑そうな表情でそれを広げてみると、そこにはいかにも身の締まっていそうな灰色っぽいキノコがたくさん包まれていた。
「静葉さん。なんです? このキノコは」
「ああ。そうそう忘れてたわ。森の魔法使いさんがお裾分けって置いてったのよ」
「あぁーーーーー!? それもしかしてーーー!!!?」
気付いた穣子が思わず大声を上げる。そして彼女は、それを手に持つと色んな角度から眺めると言い放つ。
「間違いないわっ!! これはまごう事なきシモフリシメジっ!! あんにゃろーー! やっぱり根こそぎ採っていきやがってたのねーーーー!?」
穣子は、やられたと言った表情で思わず地団駄を踏む。静葉は、あらあらと言った表情で彼女を眺めている。文は苦笑しながら穣子に告げた。
「まぁまぁ。落ち着いてくださいよ。良かったじゃないですか。お目当てのキノコにありつけたし。それに魔理沙さんもいいところありますね。わざわざお裾分けを持ってきてくれるなんて」
「ぐぬぬぬ。それはそうなんだけど……なんか悔しいわ!」
穣子は未だに腑に落ちない様子で、苦虫を潰したような表情を浮かべている。すかさず静葉がふっと笑みを浮かべ告げる。
「穣子。彼女も、あなたと同じキノコを愛する者には違いないのよ。そう。言ってしまえば戦友みたいなものでしょ。ここは彼女からの粋な計らいという事にして、素直に差し入れを受け入れましょう。そして、自然の恵みに感謝するためにも、新鮮なうちに一刻も早く鍋にして頂きましょう。今年の秋を見送るためにキノコ鍋を。さあ早く。今すぐに」
その言葉を聞いた穣子は、思わず半眼で静葉に言い返す。
「姉さん……尤もらしい事言ってるけど、結局のところ早く食べたいんでしょ? キノコ鍋」
「ええそうよ」
そう言うと静葉は、にやりと不敵な笑みを浮かべる。穣子は、一つため息をつくとキノコを持って、渋々台所へと向かった。
◇
その後、キノコ鍋を囲んで秋を見送るささやかな宴が始まる。
穣子の中には、未だにわだかまりが残っていたものの、キノコ鍋の美味しさと、笑顔でキノコ鍋を突いている二人の様子を見ているうちに、そんな事はもうどうでも良くなってしまった。
そして、酒が入り、ほろ酔い気分になった彼女は、ふと思うのだった。
「来年は【彼女】もこの席に呼んでやってもいいかもしれない」と。