Coolier - 新生・東方創想話

退屈な話

2019/11/09 19:38:18
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 古明地さとりは退屈だった。毎日毎日文字を目で追って判を押すだけの仕事は退屈だった。時には寝ぼけ眼に涙を湛え大きな欠伸を拵えて、ちょっとずらして判を押すことだってあった。だからといってさとりはこの仕事が嫌だと思ったことはなかった。己の能力を認められ、放棄された地獄を管理するというこの仕事に誇りだって有していた。とはいえ誇りだけでは満たされず、退屈であるのに変わりはなかった。いっそのこと放りだしてしまおうかとも考えた。さりとて自分の肩に乗せられた責の重さはさとりだって理解はしていたのであるから、頬杖をつきながらでも一枚一枚判を押していたのである。
 さてそんな時分のことであった。一人の罪人の魂がふらふらとさとりの自室に迷い込んできたのである。その罪人の魂は燃え盛るような青い炎を身に纏い、凍えるような鋭い冷気を振りまきながらふわふわと空中を漂っていた。その姿は常人から見れば余りに異様なもので存在をすら認めがたいものである。しかしこの旧地獄においてその姿は卑近なものであり、路傍の石ころとそう大差ないものであった。それはさとりにとっても同様であった。だというのにも関わらず、さとりの目は新しい書物を買ってもらった学徒のように輝いていた。つまりこの罪人に自らの暇つぶしをさせようという腹積もりである。これはさとりが常々行う暇つぶしであった。そうというのもさとりの仕事は何も書類に判を押すだけではないのである。旧地獄に残された怨霊の管理もまたさとりの仕事の一つであった。その名目にかこつけてさとりは怨霊に暇つぶしの話をさせていたのであった。
 しかし怨霊というものはその成り行きからもわかるように気難しい輩が多い。けれどもさとりはそれらの怨霊よりも一枚二枚上手であった。それが旧地獄の管理者たる所以であった。
 さとりは最初に心を読む。心を読むと言ったって、何も奥の奥まで視るわけではない。相手のその心の色をまず最初に読み取るのだ。これはさとりがここに来て長年かけて見出した怨霊の扱いの知恵そのものであった。
 早速さとりはその怨霊の心の色を読み取って、あたかも相手が偉大なる大賢人であるかのように振る舞った。管理者である筈のさとりのこの行動にこの怨霊としても上機嫌にならざるを得なかった。そしてさとりは怨霊の気分が良くなるのを読み取ってからうやうやしく口を開いた。
「畏れ多くも私はあなた様のような怨霊を未だかつて見たことがありません。もしあなた様の気が許すのであれば、一つこの私めにその武勇を語ってはくれませんか」
 さとりは自身の益のためなれば自尊心など犬に食わせる性質であった。無益な自尊心などよりも益なる結果の方が重要であると考えていた。かくして気分の高まった一人のその怨霊はかたかたと高い笑い声を上げたかと思うと饒舌になって語り始めた。


「俺ぁ今からちょいと百年程前に人を殺してここに来た。人を殺したと言ったってただの人を殺したわけじゃあない。俺ぁ家族を殺したんだ。とても愉快なもんだったよ。俺ぁ五人家族の真ん中だったんだが、この家族が最悪だった。たかが小百姓の父様がある日俺達に対してこう言ったんだ。
『みんなで満州に移り住もう。満州で畑作って金を足そう』
 奴はそう抜かしやがった。俺ぁふざけんなと思ったけれど、他の奴らは乗り気だった。冗談じゃないと思うだろう? 満州と言やぁ元は支那で土人共が溢れた土地だって言うじゃねぇか。誉れ高き日本人としてそんなことは認められねぇ、いや認めちゃいけねぇ。だから俺ぁその日の夜更けにみんなが寝静まる頃合いで、寝息を立てるその喉に包丁を突き立ててやった。
 一番初めは父様だ。あいつの喉に刃先を押し込むとよ、押し返してくるような反発があったんだ。だから無理矢理にでも押し込んでやった。そうしたら何かがぷつっと弾けるような感覚がして、気が付いたら包丁の根元まであいつの首に埋まってた。でよ、父様の顔を見るんだ。そうしたら何かを噛み締めるようにひん曲がった口からおびただしいほどの血を吹き出しながら鬼のような形相をしてぎろりと俺のことを睨んでるんだ。呪いをかけるかのように瞬きすることなくかっと目を見開いてじっと俺の目を睨んでる。例え自分の目の中に自分の吐き出した血が入ろうとも白目を赤くしながらずぅっと俺のことを睨んでるんだ。流石に俺でも背筋が凍っちまった。それで俺も慌てて包丁を抜くともう一度喉に突き刺した。死ね。死ね。早く死ね。って思いながら何度も何度も突き刺した。それでも父様は逸らすことなく俺の目を一点に睨み続けていた。俺が自分で息切れしているのに気づいた時にはもう父様は死んでいた。それどころか首と胴が離れちまってた。父様の頭はとっくに奥の方に転がって行ってて手元にゃ無かったんだ。でもそんなこと考える余裕もなかったから俺ぁ父様の首を探して辺りを見回した。そしたらどうだ。あいつの首は隣で寝てる母様の横に添うようにして転がってまだ俺のことを睨んでやがる。俺も段々と腹が立ってきて父様の頭を蹴飛ばすと起きないうちに母様の上に跨がって父様と同じように喉に包丁を突き立てた。
 母様の喉は柔らかかった。何の抵抗も感じないですっと刃先が入って行くんだ。包丁が自分の意志を持っているかのように。刀が鞘に納まるように。まるで当然の如く奥まで突き刺さった。俺ぁそこでもまた驚いた。何せさっき呪い殺されるかって位に手間のかかった父様を殺した後だ。母様も同じような目で俺のことを見るんだろうと思ってた。でも違ったんだ。母様は口の端からつうと一筋血を垂らすとそれっきりだった。もう死んでたんじゃないかと思うほど呆気なかった。そして母様に対してだけは、何だろうな、情って奴が湧いてきた。可哀想だという念が起こった。だから俺は母様の息が止まったことを確認してから母様の首を切り落とした。白くて美しいと思った。そんで俺は母様の頭を丁寧に床板の上に置いて隣に父様の首を置いてやった。母様が父様のことを愛していたのは俺も知っていたから、寂しくないようにそうしてやった。
 それからひとしきり母様を眺めて、ようやく隣の部屋に移った。俺と兄様と妹が寝る部屋だ。俺ぁできる限り静かにふすまを開いたんだがその必要は無いくらいに二人ともぐっすり寝入っていた。でもいつ目を覚ますかもわからねぇし、抵抗されたら厄介だから同じようにさっさと終わらせちまおうと思った。
 そこでまずは兄様だ。兄様は俺より三つ四つ上で力も俺より強かった。算学やらなにやらの頭は俺の方が上だったが兄様は『百姓に頭はいらねぇ。力と体力さえありゃ十分だ』っていつも俺のことを馬鹿にしやがる。俺ぁ兄様に跨がった時にそんなことを思い出してむかむかしてたんだ。だから俺ぁ思いっきり包丁を振り上げて目一杯にあいつの喉にぶっ刺した。でもよ、これがいけなかった。包丁が兄様の喉笛に刺さったかと思うと金属の割れるような嫌な音がしたんだ。そんなことで俺ぁ包丁の柄を持ち上げたら案の定包丁が折れてやがった。折れた先は兄様の首の中に微かに見えて吹き出す血しぶきでやがて見えなくなった。俺ぁあの時ほど悔しいと思ったことはなかった。兄様を殺す時までも兄様に負けたような気がして悔しかった。だから一発顔を殴ってやろうと拳を握り締めた時に気付いたんだ。あいつの顔を見てみると目がぐるんと変な方向に向いてやがる。なんて間抜けな表情なんだろうと吹き出しそうになった。それで何だかどうでもいい気持ちになったんだ。ああ、こいつはもう死んだんだなって。そうしたら急に胸がすくような気がして優しい気持ちになれたんだ。こいつも矮小な自尊心を満たすために俺のことを馬鹿にしていたんだろうなって。結局の所俺とこいつは何も違わないんだって。もうこいつの全てを許せる気がしたよ。だから殴る代わりに一つ抱擁をした。俺と兄様がわかり合えた瞬間だったと思う。
 そして最後に残ったのが妹だった。七つになるかならないかの可愛い盛りだった。少しませた所はあるがいつも兄様兄様と言って後ろをひょこひょこ付いてくる可愛い奴だった。そして人一倍の寂しがりだった。なんせ普段家に居る母様がちょいと外に出かけるだけでびーびー泣く位だ。きっとこのまま生かして置いても泣いてしまうだろう。それはちょっとばかり心苦しい。かといって包丁は既に兄様の時に折れてしまった。だから俺ぁこの手で家族の所へ送ってやることにした。とりあえず俺ぁ同じように胴の上に跨がると包丁ではなく自分の手を妹の首を掴むように押し当てた。両手で包める位細い妹の首は男とは違ってとてもすべすべとしていてこの時初めて俺ぁ妹のことを女として見た。そう思うとあちらこちらが気になって仕方ねぇ。俺の手から逃れようと頭を振る度に揺れる前髪。紅潮する頬。喘ぐ唇。弾む胸。どれもこれもが俺を誘惑するかのように見えて、それを実感する度に俺ぁ振り払うように力を込めた。すると手元からぺきっという小気味よい音が響いたんだ。その瞬間に妹は動かなくなった。俺がそっと手をどかすと妹の首はあらぬ方向に曲がっていた。でもそれがまた妖艶だった。完璧の美だと思った。俺ぁどうして女って奴はこうも死ぬと美しくなるのか首をひねったよ。それで俺ぁ耐え切れなくなって妹の唇に接吻した。まだほんのりと温かいそれは俺が思うよりずうっと柔らかかった。でも俺ぁその接吻に何とも言えぬ昂揚感と同時に完璧に作られた芸術品を汚してしまったような罪悪感を感じた。だから俺ぁ妹の体を抱きかかえると隣の父様母様の部屋に連れて行って二人の体の間に寝かせてやった。
 するとどうだ。何とも幸せそうじゃあないか。俺ぁ何だか嬉しくなって兄様も同じように妹の隣に寝せてやった。その姿はどこからどう見ても幸せな家族そのものだった。だからかどうかは知らねぇが急に笑いが込み上げてきた。今までに無いくらい幸福だった。家族が一つになった気がした。もうどこにも行かない。ずっとずっと一緒に居られるような気がした。生きてきた中で最も満たされた瞬間だったさ」


 怨霊は斯く語り終えると今までよりも一際高くかたかた笑った。それはそれは楽しそうに笑った。またさとりもその様子を見て満足気であった。話の内容如何はともかく丁度良い暇つぶしになったからである。怨霊の笑いに合わせて拍手を送りながらこう告げた。
「まさに武勇と言って差し支えない内容でごさいました。そのような話は聞いたこともございません」
 百人居れば百の物語がある。さとりの言葉に嘘はなかった。だから怨霊はその言葉を信じ込んで大抵喜ぶものだった。しかしこの怨霊だけはさとりの予想から外れていた。怨霊はかたかたという笑いをぴたりと止めると急に神妙な声色で語り出した。
「でもよ、今になって思うんだ。あの時は地獄だ極楽だなんて信じちゃいなかった。だがこうして地獄に来てみろ。家族の姿はありゃしねぇ。当然だ。きっとみんな極楽に行ったに違ぇねぇ。俺ぁな嬢ちゃん。今なら、いや今だからこそわかるんだ。俺がやったことは間違っていたんだなって。ようやくわかった。そして思う。家族に会いてぇ。会って頭を下げなきゃなんねぇ。最初死んで閻魔様の前に引っ張り出された時ぁよ、そのことがわかってなかったんだ。あいつらが悪い、俺ぁ悪くねぇ地獄に落ちるべきはあいつらだって。でもこうして地獄に来てみりゃあいつらは居ねぇ。理不尽だと思った。どうして俺がこんな目に遭ってあいつらは遭ってないんだと思った。それが百年経って段々と俺が悪かったと思えるようになった。今すぐが無理なのはわかってる。でも何年でもかけて俺ぁあいつらに頭を下げたい」
 さとりはそれを聞いて真顔になった。こんな怨霊は見たことがなかった。そこら辺の怨霊は自分の非を認めることなく誰かのせいにして不平不満を口にしているだけだった。それがどうだ。この怨霊は不平を言うどころか謝罪したいと言うではないか。これはさとりにとって初めてのことだった。
 しかしてさとりが困惑するのを知ってか知らずか怨霊の様子に異変が生じた。青い炎は穏やかな橙に変わり凍てつく冷気は気の安らぐ暖かさに変わっていく。怨霊は最早怨霊ではなかった。その罪を洗い流した迷える霊は自身の姿が変わったことを認めるとさとりに向かって礼をした。さとりも初めて目にする転生の瞬間だった。


 さとりは消えゆく霊を見送り終えるとまた退屈そうに頬杖ついた。結局はただの暇つぶしでありそれが終わってしまえば退屈な時間に戻るのである。それ故さとりは溜息吐いた。ともすれば舌打ちをしそうな勢いであった。とどのつまり不機嫌だった。退屈しのぎの余興のはずが面倒な書類仕事を増やしていったのだから仕方のないことだった。こんなことになるのであれば自尊心を捨てる必要などなかったなどと取り留めもないことを考えながら。だからといって仕事を放り出すことはない。
 さとりはさもつまらなそうに欠伸を拵え目には大きな涙を湛え、また元のように判を少しずらして押した。
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コメント



0.90簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気が好みでした
2.100サク_ウマ削除
退廃的、と言うのでしょうか。物語全体の薄暗さが素敵だなあと感じます。良かったです。
3.100名前が無い程度の能力削除
うーん、これは11点!
5.100ヘンプ削除
怨霊の殺し方がとても丁寧だと思いました。憎しみ、慈しみ、むしろ愛だったのかな。
さとり様のとても鬱憤そうなお顔が浮かんでとてもよかったです。
6.100モブ削除
人間の身勝手さが丁寧に描かれていると思います。興味深い作品でした。
7.100名前が無い程度の能力削除
「である」が多すぎて話が入ってこなかったんですが、めげずに二回目よんだらすごく面白かったので差し引いても100点です
8.100名前が無い程度の能力削除
怨霊のキャラクター性がいいですね
オリキャラの過去かあ...と最初は思いましたがだんだんと引きこまれてしまいました
しかし なんだかなんだかなんだかなあ
さとりいらねぇ!
9.100南条削除
面白かったです
これだけ長々と身の上話を聞いて、しかも転生する瞬間まで目撃しているのに本当にただの暇つぶしにしか感じていないさとりがまさに11点の女って感じで素晴らしかったです。
10.70名前が無い程度の能力削除
さとりは添えるだけなんだ……。
でも怨霊の話がけっこう面白くてよかったです
11.100終身削除
さとり様がとても地獄の管理者してて良かったと思います 怨霊に口を開かせるくらいの事でもプライドを捨てる事ができて口を挟むわけでもなくじっと聞いてるのがとても不気味で恐ろしくて良いさとり様だと思いました