「フランちゃん、……やほ」
「……こいし?」
私は疑問混じりに応えた。こいしの声が暗かったからだ。
静かだな、と思った。
感覚としての話だ。
すぐ傍にこいしがいるのに、先から一つも言葉を交わしていないのが、ひどく私に違和感を与えていた。
――今日はね、ちょっと悪戯でね、子供たちを何人か連れて、玄武の沢まで行ってみたの。
――空の月と憑き物の憑きって、もともとおんなじ言葉だったんじゃないかなって思ったのだけど、どうかしら?
――レミリアさんって不思議なひとよね。フランちゃんより吸血鬼っぽいのに咲夜さんより人間らしいわ。
こいしは普段は概ねこのような調子で、常に言葉を紡いでいるか私の話を聞いているかの二択であって、その言葉はまったく尽きることがないかのようだった。
尽きることなどないと、私は勝手に思っていた。
当のこいしは、私の部屋の角端で、膝を抱えて顔を埋めて、死んだかのように動かずにいる。
正直に言えば、意外だった。こいしはいつもくすくすにこにこと笑っていて、暗い表情を見せたことなど今までにおいては一度もなかった。その能力も相まって、こいしというのはそういう存在であるのだと、そう私は信じて疑わなかった。
そして、だからこそ。こいしも心を持っていたのだなあなどと、私はとぼけた感想を心の中に抱いていた。
分からないな、と思った。
こいしが来てからもう既に、本を一冊読み終えるだけの時間が経っていた。
寝ているわけではない、と思う。それも分からない。本当は寝ているのかもしれない。こいしの顔はその被った帽子に隠れていて、傍から表情は見て取れない。寝ているわけではないと思ったのも、それは直感としてだった。
帽子を取れば、或いは一言話しかければ、本当のところは分かるはずだ。それは当然理解している。けれど何故だか、それをしたくはないなと思った。
こいしは、未だに言葉を発さない。
こういう経験は初めてだった。それの理由の半分は私の交流というものが狭いことに起因していて、残りの半分はその交流の相手たちの性格によってもたらされていた。つまりここに住む面々というのは、揃いも揃って話したがりということだ。
――このあいだ、ほら、湖に氷精がいると言ったろう? 昨日あれを見かけたときに、面白い運命が見えたんだ。
――計算上は上手くいくはずだったのよ。これはなにかがおかしいに違いないと思って粗探しをしてみたのだけど、結論としては書き損じだったわ。計算の方の。
――さてはて、時を止めたはいいけれどどうしたものかと思いまして、とりあえずそちらは放置して洗濯物を終わらせることにしたのです。
紅魔館に住む奴らというのは概ねそういったような調子で、とかく話せる暇さえあれば己の話ばかりするところがあった。否、それだけでなくて時に来る魔理沙だとか、そう、いつものこいしだってそうだったか。
そこまで考えて私は気付いた。どうやら考えを違えたようだ。彼女たちが喋りたがりなのはこれとは全くの別件で、問題は彼女たちが私に対して悲しむ顔を見せたことがないということで、つまりはきっと、私は箱入り吸血鬼だということだ。
そういえばいつだったか、ひどく落ち込んでいたことがあった。
原因はなんだったか。よくは覚えていないけれど、お姉様にとっても咲夜にとっても困惑するほどどうでもいいことで、けれど当時の私にとってはかなり大事なことだったように思う。恐らくなにか、大事なものを捨てられたのだと思うのだけど。
とにかく私は落ち込んでいて、そしてその悲しみの誰にも理解されないことが苦痛で、だから――そうだ、確かにそのときの私は、今のこいしのそうであるように、自分の部屋の片隅で膝を抱えてうずくまっていたのだった。
そうして、一人孤独を噛み締めているところに、こいしがやってきたのだ。
――フランちゃん、やほ。
いつものように軽快な様子で部屋に現れたこいしは、けれど私の姿を見つけたところでやおらその口を閉ざして、そのまま一度部屋を出て行った。再び戻ってきたこいしの手には幾冊もの本が収まっていて、だからきっとパチェのところに行っていたのだと思われた。そうしてこいしはひと一人分ほど間を開けて私の隣に座りこんで、そのまま口を開かずに手にした本を開いたのだ。
――言いたかったら、私に聞かせて。
――整理したいなら、隣にいさせて。
私が不思議がって目を向けると、こいしはそんなことを言って笑った。いつもの暢気な笑顔とは違う、毛布のような微笑みだった。
結局そのあと、私はなにも話さなかった。
どうせこいしだって理解してくれやしないのだろうという、諦めから来た沈黙だった。
こいしも何一つ言わなかった。何故かはよくは分からなかった。
けれどもどこか、こいしが隣にいることで、私は安心していたのかもしれなかった。
すう、すう、と音が聞こえた。恐らくはこいしの寝息だった。
私は何とも言えない気分だった。安堵したような、拍子抜けしたような、或いは呆れたような。
やっぱり、よく分からないな、と思った。
こいしは何を欲してここに来たのだろうか、と。私ははたしてこいしの望みに応えることができたのか、と。
いまいちよくは分からないけれど、とりあえずは、と私はこいしに布団をかけた。寝ている相手がいるのなら、そうすべきだということは、私にだってすぐに分かる。
……ふと、出来心でもって帽子を取って、こいしの顔を覗き込んだ。
想像通りに目を閉じていたこいしの顔は、安心したように緩んでいた。
「……こいし?」
私は疑問混じりに応えた。こいしの声が暗かったからだ。
静かだな、と思った。
感覚としての話だ。
すぐ傍にこいしがいるのに、先から一つも言葉を交わしていないのが、ひどく私に違和感を与えていた。
――今日はね、ちょっと悪戯でね、子供たちを何人か連れて、玄武の沢まで行ってみたの。
――空の月と憑き物の憑きって、もともとおんなじ言葉だったんじゃないかなって思ったのだけど、どうかしら?
――レミリアさんって不思議なひとよね。フランちゃんより吸血鬼っぽいのに咲夜さんより人間らしいわ。
こいしは普段は概ねこのような調子で、常に言葉を紡いでいるか私の話を聞いているかの二択であって、その言葉はまったく尽きることがないかのようだった。
尽きることなどないと、私は勝手に思っていた。
当のこいしは、私の部屋の角端で、膝を抱えて顔を埋めて、死んだかのように動かずにいる。
正直に言えば、意外だった。こいしはいつもくすくすにこにこと笑っていて、暗い表情を見せたことなど今までにおいては一度もなかった。その能力も相まって、こいしというのはそういう存在であるのだと、そう私は信じて疑わなかった。
そして、だからこそ。こいしも心を持っていたのだなあなどと、私はとぼけた感想を心の中に抱いていた。
分からないな、と思った。
こいしが来てからもう既に、本を一冊読み終えるだけの時間が経っていた。
寝ているわけではない、と思う。それも分からない。本当は寝ているのかもしれない。こいしの顔はその被った帽子に隠れていて、傍から表情は見て取れない。寝ているわけではないと思ったのも、それは直感としてだった。
帽子を取れば、或いは一言話しかければ、本当のところは分かるはずだ。それは当然理解している。けれど何故だか、それをしたくはないなと思った。
こいしは、未だに言葉を発さない。
こういう経験は初めてだった。それの理由の半分は私の交流というものが狭いことに起因していて、残りの半分はその交流の相手たちの性格によってもたらされていた。つまりここに住む面々というのは、揃いも揃って話したがりということだ。
――このあいだ、ほら、湖に氷精がいると言ったろう? 昨日あれを見かけたときに、面白い運命が見えたんだ。
――計算上は上手くいくはずだったのよ。これはなにかがおかしいに違いないと思って粗探しをしてみたのだけど、結論としては書き損じだったわ。計算の方の。
――さてはて、時を止めたはいいけれどどうしたものかと思いまして、とりあえずそちらは放置して洗濯物を終わらせることにしたのです。
紅魔館に住む奴らというのは概ねそういったような調子で、とかく話せる暇さえあれば己の話ばかりするところがあった。否、それだけでなくて時に来る魔理沙だとか、そう、いつものこいしだってそうだったか。
そこまで考えて私は気付いた。どうやら考えを違えたようだ。彼女たちが喋りたがりなのはこれとは全くの別件で、問題は彼女たちが私に対して悲しむ顔を見せたことがないということで、つまりはきっと、私は箱入り吸血鬼だということだ。
そういえばいつだったか、ひどく落ち込んでいたことがあった。
原因はなんだったか。よくは覚えていないけれど、お姉様にとっても咲夜にとっても困惑するほどどうでもいいことで、けれど当時の私にとってはかなり大事なことだったように思う。恐らくなにか、大事なものを捨てられたのだと思うのだけど。
とにかく私は落ち込んでいて、そしてその悲しみの誰にも理解されないことが苦痛で、だから――そうだ、確かにそのときの私は、今のこいしのそうであるように、自分の部屋の片隅で膝を抱えてうずくまっていたのだった。
そうして、一人孤独を噛み締めているところに、こいしがやってきたのだ。
――フランちゃん、やほ。
いつものように軽快な様子で部屋に現れたこいしは、けれど私の姿を見つけたところでやおらその口を閉ざして、そのまま一度部屋を出て行った。再び戻ってきたこいしの手には幾冊もの本が収まっていて、だからきっとパチェのところに行っていたのだと思われた。そうしてこいしはひと一人分ほど間を開けて私の隣に座りこんで、そのまま口を開かずに手にした本を開いたのだ。
――言いたかったら、私に聞かせて。
――整理したいなら、隣にいさせて。
私が不思議がって目を向けると、こいしはそんなことを言って笑った。いつもの暢気な笑顔とは違う、毛布のような微笑みだった。
結局そのあと、私はなにも話さなかった。
どうせこいしだって理解してくれやしないのだろうという、諦めから来た沈黙だった。
こいしも何一つ言わなかった。何故かはよくは分からなかった。
けれどもどこか、こいしが隣にいることで、私は安心していたのかもしれなかった。
すう、すう、と音が聞こえた。恐らくはこいしの寝息だった。
私は何とも言えない気分だった。安堵したような、拍子抜けしたような、或いは呆れたような。
やっぱり、よく分からないな、と思った。
こいしは何を欲してここに来たのだろうか、と。私ははたしてこいしの望みに応えることができたのか、と。
いまいちよくは分からないけれど、とりあえずは、と私はこいしに布団をかけた。寝ている相手がいるのなら、そうすべきだということは、私にだってすぐに分かる。
……ふと、出来心でもって帽子を取って、こいしの顔を覗き込んだ。
想像通りに目を閉じていたこいしの顔は、安心したように緩んでいた。
親しい間柄だからこそ、その人のそばで話すでもなくじっとしていたい気持ちは、わかる気がします。
だけど大抵の場合、そばにいれば何かを語らないと、何かしらコミュニケーションを取らないと、落ち着かなくなるものなんですよ。
今回の話ではフランちゃんは何となく落ち着かなかったんだろうね。結局こいしちゃんが眠りにつくまでどうしたらいいか解らなかったみたい。
一方でこいしちゃんは、フランちゃんが一人静かにしていたいときには、ちょっとだけ声を掛けて、ずっと静かにそこに居てあげたし、自分が静かにしていたいときには、しっかりフランちゃんに甘える。やるじゃない。
こういう心理描写ができるのってすごいなあ!
この台詞がとても好きです。いい意味で文章をゆっくり読む作品でした。面白かったです。