子供の頃、 『眠る』 という行為が怖かった。
私は子供にしては寝つきが悪い方だったのだろう。目を閉じてから意識を手放すまでの時間が長かった。
よくわからない、得体のしれないものに引っ張られていくような気がしたのだ。ホラー映画でも見たか、残酷なニュースを見たか。今となってはもう思い出すことは難しいのだけれど、少なくともそれは私の中では恐怖とか、不安といったものを纏っていた。
例えば、目を覚ましたら家には誰もいなくて。私は母や父の名を呼びながら、段々と声がかすれていって。部屋から出ることも出来ずにただ布団に潜り込んでガタガタと震える。そんな夢を見たこともあった。
感受性が豊かだとか、少し変わっているだとか、もう顔も思い出せないどこかのお医者様が言っていた。あの頃の私はその言葉の意味を理解できなくて。だから母が不安気な表情でこちらを見つめても、その表情が何を語りかけているか、理解が出来なかったのだ。
目を覚ますと、世界はまだ薄闇に包まれていて。サイドテーブルに置いてある目覚まし時計の針の音だけが部屋に響いていた。パジャマを着替え、防寒具代わりの半纏に腕を通す。二柱は起きているのか、寝ているのか。
魔法瓶にお茶を入れ、境内に出る。僅かにではあるが空の床が白んでいた。きっと、もうそろそろ日が頭を出し始めるだろう。
この世界に来て、よかったことはいくつもある。勿論、嫌なことも沢山あるが。特に、この神社から見る空が、私は好きなのだ。
星の光が消えていく。それとも呑まれているのだろうか。ただ、理解はできる。あの星の光は、きっと死んだのだ。
生まれて初めて夜更かしをしたことがあった。中学校に入って、しばらく経った頃だ。
確か、当時とっても好きだったアニメ映画が夜中に再放送するからとか、そんな理由だった。今にして思うと下らない理由だったが。
映画を観終わって、時計はまだ三時を回ったばかりだったことを覚えている。母も父も寝ていた。それが私の背中を突き動かした。気が付いたら私は制服を着て、静かに家を出たのだ。
街は微かな光だけを残して、静寂を保っていた。
早朝というよりは深夜と言った方が正しい時間帯で、私は一人高揚していた。子供の頃に感じていた、眠ることへの恐怖とか、夜という世界に対する畏れのようなものも、この頃にはだいぶ薄れていて、きっと当時の私は大人になったと、内心誰かに自慢したくてたまらなかったのだろう。
自動販売機の光と、ぽつぽつと規則的に並ぶ外灯の光。既に電気が点いて一日を始めようとしている家の光。ぞくぞくとしたのだ。
空を見上げると、星の光はまだ煌々としていた。ホットのミルクティを買って、近所の児童公園に向かった。今にして思うと、危険なことこの上ない行動だが、私の背中には常に神様がついていた。
公園のブランコに座りながら、ミルクティのキャップを開けて、一口喉を鳴らした。たった数年前には同じ学年の男の子たちと一緒に立ち漕ぎなんかをしていた。あの時には男子だとか女子だとか、そんなことは微塵も考えていなくて。
とても、楽しかったのだ。楽しかったはずなのに、今は錆びた鎖が奏でる音も、漕いで動く視界も、私の心を弾ませはしてくれなかった。ただそれでも胸の内にある昂ぶりは空回りしながらも私の背中を押し続ける。
ブランコから飛び降りて、足を動かした。特に目的地なんてなく、気ままにだ。
空を見ると、少しずつ星の光が消えていった。星の光が見えなくなっただけ。ただそれだけで、私は薄紫から藍色に白んでいく空に、死を見たのだ。
足はいつの間にか、私のことをいっとう好きな坂の上に運んでくれていた。街の光が、家を出た時よりも増えている気がした。
目線が道の先に移って、そこに、誰かがいた。女の子だった。その誰かは私が視線を向けることを待っていたかのように走り出したのだ。
何故だか放っておくことが出来なくて、私も女の子の背中を目指して駆け出した。
まだ車の通りがまばらな歩道橋の上で、少女は止まった。息を切らせた私を待っていたかのように。一体彼女が誰なのか。振り向いた顔は、私自身だった。
どこか楽しそうに笑いながら、振り向いた私は消えていった。
昨日、里に食材を買いに行った時のことだった。
十もいかない子どもたちが、路地の一角で遊んでいた。知らず、私は足を止めてその光景に見入っていた。
男の子も、女の子も、ただそこにある楽しさを享受して、屈託なく笑っていた。
何が楽しいのだろう。その気持ちを、私は汲むことが出来なかった。楽しんでいることはわかる。だって私もそうだったから。ただ、あの頃に何を思っていたかまでは、もう思い出すことが出来ないのだ。
早く起きてしまったのは、そんなことを考えながら床に就いたからだろうか。
故郷の空も大分澄んでいたことを思い出す。
眼下に広がる木々を視界に収める。遠くに聞こえる滝の音、鳥の声。面白いもので、気にはしていないはずなのに、目を閉じると、音が確かに山々に息づいているのを感じることが出来る。
空を見上げる。もう空はその大部分が明るくなっていて、そして彼方は黄金に燃えている。後ほんの少しで太陽が昇り、一日が始まる。
眠ることは、どこか死につながっていると考えていた。夜の深さがそうさせたのか、それとも静まった音がそう感じさせるのか。逆に、日が昇って、生き物たちが動き始める朝に、私は生の息吹を感じるのだ。おかしな話だとも思う。夜行性の生き物だっていれば、朝に花弁を閉じる花もあるというのに。
そう、死んだのだ。昨日までの私は。今日を生きようとする私の身体に持てるだけの記憶を詰め込んで。思い出という形見からあの頃の感情が剥がれて、そこにまた新しく思い出を貼り合わせて。
あの頃の私を私自身が理解できないように、きっと昨日までの私達は、今日を生きる私を完全には理解できないのだ。
眠ることは、儀式なのだ。昨日までを必死に生きた私たちが、今日生まれる私に魂を託す。
きっと今日も何かがあって、その思い出を形見にして、今日の私は死んでいくのだ。それを明日の私に託して。
日が昇る。
しばらく呆として眺めていると、名前を呼ばれた。振り返った先には敬愛する神様の姿があった。
どうしたのかと尋ねると、こちらの台詞だと返されて、朝餉の時間だと告げられた。
神社へ戻る道すがら、あの頃のことを思い出していた。初めて夜更かしをした日の事。勝手に家を飛び出して、人気のない時間の街を歩き回って、きっと何かを感じながら。私は私だったものを追いかけた。
もうあの頃の気持ちも薄れ始めてしまっているが、そんな今だからこそわかる。あの時見た私の幻が、きっと昨日までを生きた私達だったのだと。
その日、初めて夜更かしをして、そして学校で初めて居眠りをした。ほんのちょっとの悪い事。それが今も、こうして今日を生きる私を構成している。ただそれだけが、堪らなく愛おしい。
昨日死んだ私へ。ありがとう。
明日生まれる私へ。大丈夫。
口に運んだ味噌汁は、とても美味しかった。
「最期に」、が誤字なのか一瞬だけ考えて、投稿日時を見て納得しました。創作活動こそ、ある意味究極の形見なのかもしれない。
朝目を覚ましたとき、澄んだ冷たい空気に触れたときの感覚を想起しました。お見事でした。
明日は何があるんでしょうか。
綺麗な文章で素敵でした
早苗の想いが伝わってくるようでした
最後の早苗が早苗に向かって励ましの言葉をかけてあげるところが儚くて健気な感じがして心があたたかくなりました
空気を感じる、というか文章が映像になる感覚がものすごくあります。勇気付けられるような話でもあるなと思いました