――やらかした。寝坊した。
それは、非常に珍しいことだった。上司の閻魔――四季映姫・ヤマザナドゥですら、そのあまりの珍しさに目を丸くしていた。
庭渡久侘歌は、その日初めて寝坊した。
地獄関所の番頭を永らく務めていたが、こんな盛大に始業を放りだして眠りコケていたのは初めてのことだった。
久侘歌は昔から非常に真面目であった。是非曲直庁に加わり、映姫の下への配属当時から一度たりとも寝坊やサボりなどはなく、今まできっちり番頭の務めを果たしてきた。長らく映姫の部下として務めている、同僚とも言える間柄の死神・小野塚小町の勤務態度とは全く正反対だった。
別に疲れていたわけでもないし、夜ふかしをしていたわけでもない。ただ、なんとなく起きられなかった。ただそれだけの理由で、寝坊した。
生真面目な久侘歌には、それだけの理由で寝坊した自分自身が許せなかった。寝坊して定時報告を上げられなかったことを映姫に謝りに行き、頭に地面をこすりつけて謝りに謝り倒した。あまりにも久侘歌が謝るものだから、謝られていた映姫も軽く引いていた。
「久侘歌…。長らく勤めていれば一度や二度はあります。あなたが真面目であることは周知の事実。誰も一度の失敗を咎めはしませんよ。」
映姫に諭されたあとも、久侘歌の表情は一日暗いままだった。久侘歌自身はキャリアアップや出世には興味がなかったのでそういうのに影響するかどうかはどうでもよかったのだが、真面目にちゃんと働けることが自分のアイデンティティだと思っていたので、そちらの方でダメージを受けてしまった。
やがて定時近くになり、一日落ち込んだり上の空だった久侘歌の下に、鎌を担いだ大柄な女性が顔を出した。同じ映姫の部下の、小野塚小町だ。
「久侘歌、おつかれさん。随分ヘコんでるな?」
まだ勤務時間のはずだが、持ち場を離れている。まあ、勤務態度が元々そんなに真面目ではない小町にはそんなことは関係ないのだろう。とは言え、この死神もちゃんと働く時はきっちり働いていることを久侘歌は知っている。ただのサボり魔ではないことを知っているため、生真面目な久侘歌もサボり魔の小町を特に咎めたりはしなかった。
「真面目に働くのが私の長所だと思っていたので…。ショックですよ…。」
久侘歌は盛大にため息をつく。小町には無縁の悩みだろう。
「…四季様も言っていたけど、お前さんが真面目にやってきたのはみんな知ってるさ。やっちまったもんはやっちまったんだから気にしたってしょうがない。まあ、幸い明日は休みだし今日は給料日だ。飲みに行って忘れよう。たまにはいいんじゃないか?」
小町は手でお猪口をつまむ仕草をし、くいくいと動かす。
「…そうしましょうか。たまにはハメを外すのも悪くないかもしれませんね。」
「そうこなくっちゃな。じゃ、上がっちゃいますか。」
久侘歌が返事をすると、小町はにかっと笑って久侘歌の手を引っ張り歩き出した。
「…思えば、小野塚さんとサシで飲みに来たのは初めてでしたね。」
八目鰻の屋台で酒を飲みながら仕事の話をひとしきりした後、久侘歌はぽつりとつぶやいた。
小町ともそこそこ付き合いがあるが、あまり飲みに行ったことはなかった。精々が是非曲直庁の忘年会などで、仕事上がりに…ということは初めてだった。仕事の話をこんなに長時間したのも初めてだ。
「そうだね。」
小町が相槌を打つ。
少し酔いが回ってきていた久侘歌は、小町の顔をじーっと見つめていた。付き合いは長いが、よくよく顔を近くで見るのも初めてだった。小町は身体は大きいが、顔はわりと童顔めだ。黙っていれば可愛い系の美人と言える。また、普段のがさつな雰囲気や勤務態度とは反して肌はきれいであり、真っ赤な髪も綺麗に手入れが行き届いていた。
「小野塚さん、髪綺麗ですね。赤が綺麗。」
「やめろ…!」
「え。」
久侘歌が酔った状態で素直な感想を漏らしたら、即座に小町が応えた。しかも、語気が若干荒い。それまで飄々としていた小町の周辺の空気が冷えていく。
何か地雷を踏んだか。久侘歌はやってしまったと思いながら、言葉を紡ぐ。
「すみません、気に触りましたか…。」
「いや…こちらこそすまない。私も急に悪かった。」
久侘歌が謝ると、小町も急に態度を変えてしまったことを謝った。しかし、その後はどうも言葉を発しにくい空気が滞留してしまった。屋台の女将も少し口をはさみにくそうにしていた。
「……お前さんとも付き合いが長いから、話してもいいかな。」
先に沈黙を破ったのは、小町だった。
「少し、昔の話をしようか。」
「昔の話?」
久侘歌が返すと、小町は頷く。
「まだ、私が死神になる前の話だ。小野塚小町が、小野塚小町になる前の話。」
後に小野塚小町という死神になる人間の少女の生活態度は、最悪と言えた。
盗人、博打、売春。生きるためならなんでもやった。孤児の女には、手段は選んでいられなかった。ただ、年齢を重ねるころには上手いこと男に取り入りながら生活する手段を憶えており、死ぬようなことはなかった。
しかし、生きている時代が時代だった。今と異なり、平気で人間の間引きが行われるような時代。村ひとつやふたつ、口減らしのためには平気で焼く時代だった。
小町の暮らしていた集落も、そう言った口減らしの対象となった。突然四方に放たれる炎、逃げ惑う人々。抵抗する手段を持たない人々は武装した役人に次々討ち取られた。炎に包まれ、逃げ出すことすら出来ない、地上の地獄と化した場所で。
小町は、生き延びるために初めて人を殺した。
生来の体躯を活かし、自身に襲いかかる役人を返り討ちにした。一人、二人、三人。何人殺したのか分からない。集落を包んでいた炎が収まるころには、小町ひとりしかそこには立っていなかった。
それからの生活も、地獄のような日々が続いた。当然、集落を焼きに行った部隊が帰ってこないとなれば大事である。小町は行く宛もなかったため半ば廃墟と化した家屋に住んでいたが、次から次へと役人たちがやってくる。
そのたびに殺す、殺す、また殺す。
殺すことにはすぐ慣れた。殺した人間から流れる生暖かい赤い血も最初は気持ち悪かったが、それもすぐに気にならなくなった。来る役人来る役人、片っ端から返りうちにし、返り血を浴びながら死体の山を築いていく。
殺すことに慣れたとは言え、生きるために日がな一日戦うことになってしまったことは苦しかった。いつ死ぬかもわからない極限の状態にさらされながら、見たくもない死体の山を築くことが、苦しくて苦しくて仕方なかった。
苦しみながら、穏やかな山村の廃墟に屍山血河を築き上げるその姿は、まさしく修羅のそれであった。
「…ある日、驚いたよ。水瓶に溜まった水に映る自分の姿を見てさ。」
小町は静かに呟く。
「真っ赤だったんだ。頭から顔から身体まで、何から何まで。赤黒い血の色で染まりきっていた。」
「…。」
久侘歌は絶句していた。
小町の独白は、あまりに急だった。普段のちゃらけた死神からは決して推し量ることのできない、壮絶な過去。飲みながら話すような話ではない。
「…それから少ししてからだ、まだ当時地蔵だった四季様に会ったのは。そこからの紆余曲折は今日は端折るけど…四季様の閻魔登用に合わせて私は死神になった。ただ、そこで死神化した私が得たのはただの死神の身体だけじゃなくて――死神の身体と、この真っ赤な髪だったんだ!」
小町は絞り出すように叫んだ。
「この色は呪いなんだ!今も落ちないんだよ!殺した人間たちの血が、染み付いた血の色が!」
過去を思い出したからなのか、今も苦しんでいるのか。小町は泣きそうな顔で続ける。
「殺しすぎたんだ!私の頭は、手は、血で、真っ赤なんだよ…!これ以上、死神に相応しい髪の色はないよな…!」
――これは自分が悪い。
久侘歌は目を伏せる。事情を知らなかったとは言え、完全に小町の地雷を踏み抜いてしまった。何が地雷になるかは分からないものであるので仕方はないが、小町に思い出させたくないことを思い出させ、必要ないのに苦しめてしまった。
その晩、それっきり久侘歌と小町と無言のまま帰宅した。
翌朝。休日ではあったが、久侘歌は家を出て映姫の下へ来ていた。昨晩の小町の様子があまりにも苦しそうだったので、少し心配になったのだ。事情を知っている映姫に相談すれば、何かしらケアが期待出来るかもしれない、と。
「無理です。」
映姫はきっぱりと言い切った。
「そればっかりはあの子が自分自身と向き合い、乗り越えていくしかありません。生きるために戦い、人を殺め、苦しんで…修羅道に堕ちたあの子の手を引っぱり上げたのは私ですが…気持ちばかりは私だけではどうしようもありません。それはあの子自身が越えるしかないのです。」
久侘歌は若干納得が行かない気持ちになっていた。映姫に食い下がる。
「せめて髪の色は、なんとかしてあげられたんじゃないですか!?」
「それが出来ないと言っているのです!あの子の魂が、それを引きずっている限りは!忘れろ、ということではないのです。彼女が彼女の力で修羅道から抜け出さない限り、私でもどうすることが出来ないのです。」
映姫はふう、とため息をつく。
「しかし、まだあの子の心は修羅道に居るのね。苦しみが続くわけだ…。」
映姫は久侘歌の方を向き、唐突に頭を下げた。
「久侘歌、ありがとう。最近私はあの子をちゃんと見ていなかったのかもしれません。もう少し、丁寧に導いていかないといけないかもしれませんね。上司失格だわ。」
「い、いえ…。少しでも小野塚さんが苦しくなくなることを願ってます。失礼しました。」
急に映姫が頭を下げたから久侘歌は驚いたが、なんとかそれだけは言い、是非曲直庁の映姫の部屋を後にした。
普段はいい加減な態度の死神、小野塚小町。
その出自は普段からは考えられないほど壮絶で、その心は、未だ修羅の道から抜け出せずに居た。
――人は見かけによらない。
久侘歌は普段見かける同僚のいい加減な姿しか知らなかった。それはあくまでも彼女の持つ一面でしかなかったのだ。付き合いが長いとは言え、それは表面的なものでしかなく、本当の彼女を何も理解していなかったのだな、と思う。
――そりゃあそうですよね。ろくに話しても居ない相手のことを知ってる気になっているほうがおかしいってもんです。
久侘歌はそんなことを考えながら、通常業務の待つ日常へと戻っていった。
それは、非常に珍しいことだった。上司の閻魔――四季映姫・ヤマザナドゥですら、そのあまりの珍しさに目を丸くしていた。
庭渡久侘歌は、その日初めて寝坊した。
地獄関所の番頭を永らく務めていたが、こんな盛大に始業を放りだして眠りコケていたのは初めてのことだった。
久侘歌は昔から非常に真面目であった。是非曲直庁に加わり、映姫の下への配属当時から一度たりとも寝坊やサボりなどはなく、今まできっちり番頭の務めを果たしてきた。長らく映姫の部下として務めている、同僚とも言える間柄の死神・小野塚小町の勤務態度とは全く正反対だった。
別に疲れていたわけでもないし、夜ふかしをしていたわけでもない。ただ、なんとなく起きられなかった。ただそれだけの理由で、寝坊した。
生真面目な久侘歌には、それだけの理由で寝坊した自分自身が許せなかった。寝坊して定時報告を上げられなかったことを映姫に謝りに行き、頭に地面をこすりつけて謝りに謝り倒した。あまりにも久侘歌が謝るものだから、謝られていた映姫も軽く引いていた。
「久侘歌…。長らく勤めていれば一度や二度はあります。あなたが真面目であることは周知の事実。誰も一度の失敗を咎めはしませんよ。」
映姫に諭されたあとも、久侘歌の表情は一日暗いままだった。久侘歌自身はキャリアアップや出世には興味がなかったのでそういうのに影響するかどうかはどうでもよかったのだが、真面目にちゃんと働けることが自分のアイデンティティだと思っていたので、そちらの方でダメージを受けてしまった。
やがて定時近くになり、一日落ち込んだり上の空だった久侘歌の下に、鎌を担いだ大柄な女性が顔を出した。同じ映姫の部下の、小野塚小町だ。
「久侘歌、おつかれさん。随分ヘコんでるな?」
まだ勤務時間のはずだが、持ち場を離れている。まあ、勤務態度が元々そんなに真面目ではない小町にはそんなことは関係ないのだろう。とは言え、この死神もちゃんと働く時はきっちり働いていることを久侘歌は知っている。ただのサボり魔ではないことを知っているため、生真面目な久侘歌もサボり魔の小町を特に咎めたりはしなかった。
「真面目に働くのが私の長所だと思っていたので…。ショックですよ…。」
久侘歌は盛大にため息をつく。小町には無縁の悩みだろう。
「…四季様も言っていたけど、お前さんが真面目にやってきたのはみんな知ってるさ。やっちまったもんはやっちまったんだから気にしたってしょうがない。まあ、幸い明日は休みだし今日は給料日だ。飲みに行って忘れよう。たまにはいいんじゃないか?」
小町は手でお猪口をつまむ仕草をし、くいくいと動かす。
「…そうしましょうか。たまにはハメを外すのも悪くないかもしれませんね。」
「そうこなくっちゃな。じゃ、上がっちゃいますか。」
久侘歌が返事をすると、小町はにかっと笑って久侘歌の手を引っ張り歩き出した。
「…思えば、小野塚さんとサシで飲みに来たのは初めてでしたね。」
八目鰻の屋台で酒を飲みながら仕事の話をひとしきりした後、久侘歌はぽつりとつぶやいた。
小町ともそこそこ付き合いがあるが、あまり飲みに行ったことはなかった。精々が是非曲直庁の忘年会などで、仕事上がりに…ということは初めてだった。仕事の話をこんなに長時間したのも初めてだ。
「そうだね。」
小町が相槌を打つ。
少し酔いが回ってきていた久侘歌は、小町の顔をじーっと見つめていた。付き合いは長いが、よくよく顔を近くで見るのも初めてだった。小町は身体は大きいが、顔はわりと童顔めだ。黙っていれば可愛い系の美人と言える。また、普段のがさつな雰囲気や勤務態度とは反して肌はきれいであり、真っ赤な髪も綺麗に手入れが行き届いていた。
「小野塚さん、髪綺麗ですね。赤が綺麗。」
「やめろ…!」
「え。」
久侘歌が酔った状態で素直な感想を漏らしたら、即座に小町が応えた。しかも、語気が若干荒い。それまで飄々としていた小町の周辺の空気が冷えていく。
何か地雷を踏んだか。久侘歌はやってしまったと思いながら、言葉を紡ぐ。
「すみません、気に触りましたか…。」
「いや…こちらこそすまない。私も急に悪かった。」
久侘歌が謝ると、小町も急に態度を変えてしまったことを謝った。しかし、その後はどうも言葉を発しにくい空気が滞留してしまった。屋台の女将も少し口をはさみにくそうにしていた。
「……お前さんとも付き合いが長いから、話してもいいかな。」
先に沈黙を破ったのは、小町だった。
「少し、昔の話をしようか。」
「昔の話?」
久侘歌が返すと、小町は頷く。
「まだ、私が死神になる前の話だ。小野塚小町が、小野塚小町になる前の話。」
後に小野塚小町という死神になる人間の少女の生活態度は、最悪と言えた。
盗人、博打、売春。生きるためならなんでもやった。孤児の女には、手段は選んでいられなかった。ただ、年齢を重ねるころには上手いこと男に取り入りながら生活する手段を憶えており、死ぬようなことはなかった。
しかし、生きている時代が時代だった。今と異なり、平気で人間の間引きが行われるような時代。村ひとつやふたつ、口減らしのためには平気で焼く時代だった。
小町の暮らしていた集落も、そう言った口減らしの対象となった。突然四方に放たれる炎、逃げ惑う人々。抵抗する手段を持たない人々は武装した役人に次々討ち取られた。炎に包まれ、逃げ出すことすら出来ない、地上の地獄と化した場所で。
小町は、生き延びるために初めて人を殺した。
生来の体躯を活かし、自身に襲いかかる役人を返り討ちにした。一人、二人、三人。何人殺したのか分からない。集落を包んでいた炎が収まるころには、小町ひとりしかそこには立っていなかった。
それからの生活も、地獄のような日々が続いた。当然、集落を焼きに行った部隊が帰ってこないとなれば大事である。小町は行く宛もなかったため半ば廃墟と化した家屋に住んでいたが、次から次へと役人たちがやってくる。
そのたびに殺す、殺す、また殺す。
殺すことにはすぐ慣れた。殺した人間から流れる生暖かい赤い血も最初は気持ち悪かったが、それもすぐに気にならなくなった。来る役人来る役人、片っ端から返りうちにし、返り血を浴びながら死体の山を築いていく。
殺すことに慣れたとは言え、生きるために日がな一日戦うことになってしまったことは苦しかった。いつ死ぬかもわからない極限の状態にさらされながら、見たくもない死体の山を築くことが、苦しくて苦しくて仕方なかった。
苦しみながら、穏やかな山村の廃墟に屍山血河を築き上げるその姿は、まさしく修羅のそれであった。
「…ある日、驚いたよ。水瓶に溜まった水に映る自分の姿を見てさ。」
小町は静かに呟く。
「真っ赤だったんだ。頭から顔から身体まで、何から何まで。赤黒い血の色で染まりきっていた。」
「…。」
久侘歌は絶句していた。
小町の独白は、あまりに急だった。普段のちゃらけた死神からは決して推し量ることのできない、壮絶な過去。飲みながら話すような話ではない。
「…それから少ししてからだ、まだ当時地蔵だった四季様に会ったのは。そこからの紆余曲折は今日は端折るけど…四季様の閻魔登用に合わせて私は死神になった。ただ、そこで死神化した私が得たのはただの死神の身体だけじゃなくて――死神の身体と、この真っ赤な髪だったんだ!」
小町は絞り出すように叫んだ。
「この色は呪いなんだ!今も落ちないんだよ!殺した人間たちの血が、染み付いた血の色が!」
過去を思い出したからなのか、今も苦しんでいるのか。小町は泣きそうな顔で続ける。
「殺しすぎたんだ!私の頭は、手は、血で、真っ赤なんだよ…!これ以上、死神に相応しい髪の色はないよな…!」
――これは自分が悪い。
久侘歌は目を伏せる。事情を知らなかったとは言え、完全に小町の地雷を踏み抜いてしまった。何が地雷になるかは分からないものであるので仕方はないが、小町に思い出させたくないことを思い出させ、必要ないのに苦しめてしまった。
その晩、それっきり久侘歌と小町と無言のまま帰宅した。
翌朝。休日ではあったが、久侘歌は家を出て映姫の下へ来ていた。昨晩の小町の様子があまりにも苦しそうだったので、少し心配になったのだ。事情を知っている映姫に相談すれば、何かしらケアが期待出来るかもしれない、と。
「無理です。」
映姫はきっぱりと言い切った。
「そればっかりはあの子が自分自身と向き合い、乗り越えていくしかありません。生きるために戦い、人を殺め、苦しんで…修羅道に堕ちたあの子の手を引っぱり上げたのは私ですが…気持ちばかりは私だけではどうしようもありません。それはあの子自身が越えるしかないのです。」
久侘歌は若干納得が行かない気持ちになっていた。映姫に食い下がる。
「せめて髪の色は、なんとかしてあげられたんじゃないですか!?」
「それが出来ないと言っているのです!あの子の魂が、それを引きずっている限りは!忘れろ、ということではないのです。彼女が彼女の力で修羅道から抜け出さない限り、私でもどうすることが出来ないのです。」
映姫はふう、とため息をつく。
「しかし、まだあの子の心は修羅道に居るのね。苦しみが続くわけだ…。」
映姫は久侘歌の方を向き、唐突に頭を下げた。
「久侘歌、ありがとう。最近私はあの子をちゃんと見ていなかったのかもしれません。もう少し、丁寧に導いていかないといけないかもしれませんね。上司失格だわ。」
「い、いえ…。少しでも小野塚さんが苦しくなくなることを願ってます。失礼しました。」
急に映姫が頭を下げたから久侘歌は驚いたが、なんとかそれだけは言い、是非曲直庁の映姫の部屋を後にした。
普段はいい加減な態度の死神、小野塚小町。
その出自は普段からは考えられないほど壮絶で、その心は、未だ修羅の道から抜け出せずに居た。
――人は見かけによらない。
久侘歌は普段見かける同僚のいい加減な姿しか知らなかった。それはあくまでも彼女の持つ一面でしかなかったのだ。付き合いが長いとは言え、それは表面的なものでしかなく、本当の彼女を何も理解していなかったのだな、と思う。
――そりゃあそうですよね。ろくに話しても居ない相手のことを知ってる気になっているほうがおかしいってもんです。
久侘歌はそんなことを考えながら、通常業務の待つ日常へと戻っていった。
確かに久侘歌の登場により、彼岸組の話の作り方に柔軟性が増した感じがしますね
> 眠りコケていた
コケだけ片仮名なのが地味に好き。コケー!
もう少し長いのを読んでみたいな、と思いました。