◆
夜の十時。雲に隠れる星と月を残念に思いつつ帰宅する。
ここ二日はメリーがご飯を作っていてくれるため、開け慣れたドアがさらに軽い。
「ただいまー」
リビングに投げた言葉はむなしく地に落ちた。
「出かけたのかしら・・・・・・」
少し不安に思いつつも、リビングの扉を開ける。
そこには、苦しそうに眠るメリーことマエリベリー・ハーンがいた。
荷物を片付けて、ベッドの上に正座する。
「そういえば朝くしゃみしてたな・・・・・・」
壁の方を向いて眠るにいるメリーの額に手を当て自分と比較すると
「熱い・・・・・・」
どうやら本格的に風邪になってしまったようだ。
触られて起きたのか、メリーがこちらに寝返りを打つ。
しばらくぼーっと薄めを開け、私の膝を見つめる。しょぼしょぼとさせていた瞼を二、三、瞬かせてはっきりとわたしを視る。
「ごめんね蓮子、どうも風邪がひどくなったみたい」
律儀にも身体を起こそうとするので、ずれた布団を被せて制止する。
「大丈夫大丈夫、休んでてよ」
ポンポンと肩を叩き、彼女の右頬を手のひらで冷やしてやる。
頭がはっきり回っていないせいなのか、ぼーっと私を見たかと思うと「うん」とだけ返事をしてまた目を閉じた。
「じゃあ、まずは現状確認しますか」
起こさないようゆっくり膝立ちになり、後ずさる。ミシ、ミシとベットが大きく鳴いて、ギョッとしたが幸いにも彼女は起きなかった。
私は一度リビングを出て、玄関付近にある冷蔵庫を確認することにした。
「うわ、ちゃんと買い出ししてある・・・・・・」
きっかり明日の夕方分までだろうか。肉、野菜お弁当用のレトルト食品が庫内の六割ほど入っていた。
彼女曰く、『食費半分の知恵』らしい。
「何も体調悪いときまで無理しなくてもいいのに」
と言ってはみたが、どこか体が温かくなる。
「今日は私がしっかりしなきゃね」
自分に言い聞かせて、近場のドラッグストアへ買い出しに向かった。
◇
「あれ、ここはどこかしら」
さっき蓮子と会話して目を閉じたはずが、いつの間にか、私は森の中にいた。
「ううん、体も軽いし夢かしらね」
先ほどまで感じていた節々を虐(いじめ)めていた寒気が消えたことを確認したのでとりあえず体を起こす。
辺りを見渡すが、同じような形の木々が溶けた闇があるばかりだ。
空を見るとあいにくの曇りらしく、月とも星とも目が合わなかった。
「ううん・・・・・・暗いけど、ここにいても面白くはなさそうねぇ」
せっかく夢に来たのだ。蓮子にお土産の一つでも持って帰ろうと思い森の中を探索することにした。
◆
「栄養ゼリーにバナナ、ヨーグルト、熱さまシート、林檎に清潔なタオル・・・・・・こんなものかしら?」
ドラッグストア内を二周ほど周り集めた品物を確認する。
「あ、薬」
致命的な不足に気づき風邪薬のコーナーに足を運ぶ。
「どれにしようかしら・・・・・・」
昔ながらの総合感冒薬?
「病院で診てもらおうにもメリーってデータベースに登録されていないのよね・・・・・・」
この街はデータベースで人間を管理しており、登録された者以外は公共施設を利用できない決まりになっている。
なんやかんやでメリーは、住所変更もデータベース登録もしていないため病院は当てにできない。
「となると・・・・・・これか」
私は白いウサギが描かれた小箱を手に取る。
<兎の瞳>。つい数年前に発売されたナノマシン内蔵汎用治療薬である。
「これ、めちゃくちゃ苦いのよね・・・・・・」
飲んでもいないのに苦みがフラッシュバックし思わず顔をしかめる。
ナノマシンを飲みこむ不快感はないが、周りを保護する赤いゼリー状の液体がいけない奴なのだ。
「まぁでも割と治療範囲広いからこれにするか」
良薬口に苦しなんて昔は言ったのだから仕方ない。多少恨まれてもいいからこれで元気になってもらおう。
自分を納得させ、会計を済ませた私は二度目の帰宅を急いだ。
◇
どれくらい時間がたったのか。森の中を大分長く歩いていたことは間違いない。
その証拠にわたしのふくらはぎは少し張っていた。
「運動不足がたたるわねぇ」
ぼやきつつも足を止めず歩き続けていると、右側の方から何か聞こえてくる。
「泣き声? それとも鳴き声・・・・・・かしら?」
声のするほうへ足を出す。こんな月もない夜に人がいるわけがない。
好奇心から心なしか歩調が早くなる。だんだんと泣き声が近くなるにつれて、あることに気づく。
「人間の女の子かしら?」
「しくしく、しくしく」
どうやらこの先に声の主がいるらしい。
私はゆっくりゆっくり地面を踏む。見えた。
抜き足差し足忍び足で近寄りつつ声の主を観察する。
薄ピンクの耳に真っ白な体、目はリンゴ飴をすかしたような赤。
「シロ、ウサギ・・・・・・?」
顎を地面にぺしょりとのせて四つん這いになっているうさぎがいた。
泣き声で人間と思っていたため、少し意表を突かれる。
しばらく、じっと観察してみたが変身して襲ってくるようなそぶりはない。泣くのに手一杯なのかな。
手を伸ばせば触れられる距離まで近づいても泣き止まない。挨拶でもしてみようかしら。
驚かさないようにゆっくり膝をつき、ウサギの顔をのぞき込む。
「こんばんは、うさぎさん」
声を掛けると、うさぎは耳をピンとたて、尻尾をまっすぐ後ろに伸ばす。怖がらせちゃったかな・・・・・・。
わたしはうさぎを見つめて優しく声を掛けてみる。
「怖くないよ怖くないよ。暗くて怖いの一緒だわ」
少し不安そうな顔もおまけでつける。するとうさぎはむきゅっと顔を上げた。
「こんばんは、人間さん」
すっかり泣きやんではいたものの、まだ怖いのか少し震え声だ。
「お返事ありがとう、うさぎさん。ところでうさぎさん、あなたはどうして泣いてるの?」
「心配してくれるの人間さん?」
「もちろんよ。あなたのお話を聞かせて」
そっと背中をなでてやる。うさぎは少しびっくりしたように体を震わせたが、すぐに身を任せてくれる。
「うん・・・・・・。あのね・・・・・・」
わたしはそっと目を閉じてうさぎの話に耳を傾けた。
◆
「メリー?」
そっとベッドに乗り、壁際を向いて寝るメリーの顔をのぞき込む。
少し眉間にしわを寄せて、苦しそうな彼女の顔があった。
私は彼女の前髪を上げて熱さまシートを貼る。
「もう少し様子を見てからゼリーを食べさせますか」
その後は、薬を飲ませて、体を拭いてってとこかな・・・・・・、などとこれからの段取りを確認していると、
「あなたの・・・・・・お話、聞かせて」
ごろんと寝返りを打ち天井を向いたメリーがこぼした。
突然の寝言にびっくりして私は後ずさり、固まる。
しばらくして、彼女は言葉を続けることなく再び寝息を立て始めた。
「どんな夢を見てるのかしらね」
彼女の温かい手を握る。夢の中身を覗きたくなる衝動に駆られるが、看病に集中するためぐっとこらえる。
起きたら夢の内容を訊くことにしよう。そう思いつつ私はベッドから降りた。
◇
「なるほど・・・・・・みんなとはぐれちゃったのね」
「うん。いっぱい探したけど見つからなくて・・・・・・」
鼻で私の手をつつきながらうさぎは言った。
話を要約すると、みんなとお家に帰る途中で、はぐれてしまったらしい。
頑張って歩いてはみたものの、合流することができず途方に暮れて泣いていたところを、わたしが発見したといったところだ。
「じゃあ、わたしも一緒に探してあげる」
うさぎのおでこをなでて提案する。
「ほんとに?」
「うん。ほら、一人だと寂しいけど二人なら百人力よ」
「ふたりなのにひゃくにんりきなの?」
おかしそうに、うさぎが笑う。すっかり落ち着いたみたいだ。
「そろそろ行こっか。うさぎさんは歩ける?」
「うん。歩けるよ」
というと、ひょいと立ち上がる。
「二足歩行!?」
「え、うん」
きょとんとした目で私を見る。
驚いた・・・・・・。二足歩行のうさぎなんて不思議の国のアリスか、ぬいぐるみでしか見たことがない。
そんな私を横目に、うさぎはどこからか見慣れた黒い中折れ帽を取り出して被る。耳の部分は穴が開いていてうまく外に出るようになっている。
「・・・・・・もしかして蓮子なの?」
おもわずうさぎを見て問いかける。
彼女なら、こっそり観に来るなんてこともしそうだ。うさぎなのは・・・・・・夢補正かしら。
「わたしのなまえ?」
「・・・・・・違うみたいね」
まぁ、そもそも蓮子なら迷子になっても嬉々として探索するわよね。
「おねえさん?」
「うん? あ、ごめんね。行きましょうか」
かくしてわたしとうさぎの奇妙な冒険が始まった。
◆
「れんこ・・・・・・?」
名前を呼ばれて声の方を向く。
真横のベッドでは先ほど見たときと同じ体勢でメリーがすやすや眠っている。
様子を見るため、私は座椅子から立ち上がりベッドに膝をつく。
「寝言かな。ふふ、意外と多いわね」
少しかわいいと思うのは本能かしら・・・・・・。
思わずメリーの頬から首を撫でる。
「あれ、さっきよりも熱い?」
心なしか首に汗をかいているようだ。
「うーん。こういうときに体を拭けば良いのかしら?」
私は台所に行き、先ほど買った新品のタオルを冷たい水に浸して絞りメリーの元へ戻る。
白い首筋ににじむ汗を、冷えタオルで拭っていく。
ついでに身体も拭いてあげよう。そう思い台所とベッドを往復する。
「やっぱり大学の時より痩せてるなぁ」
背中に触れて思わず独り言つ。
昔、じゃれて背中に触ったときよりも背骨の感触が強い。
風邪治ったら外でご飯でも食べに行きたいな。そんなことを考えながら台所とベッドを数回往復する。
「これでよし」
一通り汗を拭き終え、仕上げに冷えピタを張り替えてやり布団を元に戻す。
先ほどよりも表情が柔らかくなっているように見えるのでこれで良いのだろう。
「この調子だと無理に食事させるよりも寝かせた方が良さそうね」
冒険のお邪魔をするのも悪いし。
「ふぁ・・・・・・。私も寝る準備するかな」
リビングの電気をオレンジの豆にして、シャワーを浴びに浴室へ向かった。
◇
「おねえさん! おねえさん! もっといそいで!」
腕に抱えたうさぎが叫ぶ。
「は、走ってる! 急いでる!」
私は息を切らせながらうさぎに云う。
後ろからはガウガウとうなり声が近づいている。
私たちは、オオカミに追われていた。うさぎの仲間を探してさまよっていたところばったり遭遇し、今に至る。
それほど長い時間走った訳ではないが、かなり限界が近い。
「おねえさん! あそこ、あかり!」
少し遠くに、ぼぅと温いオレンジがにじむ。
「はぁはぁ・・・・・・もう駄目・・・・・・!」
「いそいでぇっ!」
爆発しそうなほど熱い体とパンパンに張る足に鞭を打つ。
そんな私を応援するかのように小雨が降り始める。冷たくて気持ちいい。
「まてぇ、くぅわせろっ」
先ほどまではうなり声にしか聞こえなかったものが、だんだん人語に聞こえてくる。
もしかしてかなり近い? 振り返りたい衝動に駆られるがなんとかこらえて足に意識を集中させる。
豆くらいだった明かりがだんだん大きくなる。
「もんがみえるよ!」
目をこらすと、高さ二メートルほどのウッドフェンスと扉が見える。
「やった・・・・・・」
最後の力を振り絞り、扉を押し、体をねじ込みすぐ閉めた。
バゴっと何かが当たる音と衝撃がする。
「ひっ!」
うさぎは白い身体をブルリと震わせ、顔を腕に埋める。
私は、咄嗟にハンドルの周辺をいじり鍵を掛ける。
「あけぇろぉ!」
ドンッ、ドンッと全身を使ったノック音と低いわめき声が扉を揺らし続ける。
「そのうち破られちゃいそうね・・・・・・」
「どうしようどうしよう!」
相変わらず、うさぎは腕の中で白い毛を震わせている。
このまま押さえていても埒があかない。
「どうしましょ・・・・・・」
あれこれと作戦を考えていると後ろの方でガチャリと音がする。
ズリ足で何か重たいものが近づく音がする。
「騒がしいと思って見に来たら、ずいぶんかわいいお客様ねぇ」
はっと後ろを振り向くと、白いエプロンをした大きな熊が立っていた。
前門の狼、後門の熊さすがに駄目かしら・・・・・・。私はうさぎをかばうように抱き込み考えを巡らせる。
「あけろぉ! くわせろぉ!」
「あら? この声はオオカミさんかしら」
「?」
「なるほど、彼に追われてここに逃げ込んできたのねぇ。・・・・・・お嬢ちゃん。大丈夫よぉ」
「え?」
「私はあなたの敵では無いわぁ」
おっとりと熊が言う。
「あの、助けてもらえませんか?」
「もちろんよぉ。そこをどいてもらえるかしらぁ」
「は、はい」
門が破られないか心配しつつ、熊の後ろに回る。
「オオカミさん、お入りなさい」
熊は錠前を開け、
「急いで食べるよりも、ゆっくり食べたいでしょ?」
門を破った狼と鋭い爪をもつ大熊がゆっくりこちらを向いた。
◆
「さて、どう寝ようかしら・・・・・・」
シャワーを終えた私はベッドの横で悩んでいた。
真ん中にはメリーが寝息を立てている。
「端にどかすのは気が引けるわねぇ・・・・・・」
うっかり布団を引っぺがして朝になろうものなら風邪延長戦だ。
来客の想定など微塵もしていないこの部屋には、予備の布団など無い。
「座椅子で寝ますか・・・・・・・」
私は座椅子を平坦にする。これだけでは、頭がはみ出てしまうためメリーが普段使いしている座布団もつける。
「さすがに布団無しは寒いわね……」
ごそごそとクローゼットで代わりを探す。・・・・・・あった。
膝下ほどまで長さのある白のロングコートをハンガーから外す。あまり着ていないせいか少し埃っぽい。
「これなら、凌げるでしょ」
足下が余るが、靴下で何とかなる。
「さて、寝ますか・・・・・・」
右肩を下にして、座椅子に寝そべる。綿がよっていて少し違和感があるけど、まぁ一晩だし良いでしょ。
そんなことを考えながら電灯のリモコンを操作しようとしたとき、
「お腹すいた・・・・・・」
後ろの方でメリーの声がした。
寝言だろうか? 念のため起き上がり振り向くと、うつろな表情で上半身を起こした彼女がいた。
「何か食べたいの?」
「うん」
「ゼリーとバナナとリンゴどれがいい?」
「・・・・・・果物」
「了解」
やりとりは成立しているが、どこか朧気でまるでまだ夢の中みたいだ。
「とりあえず、この状態で林檎は危ないかな」
となると、バナナヨーグルトか。
私は少しの眠気を押しのけて台所へ向かった。
五分ほどかけてバナナをスライスしてヨーグルトと混ぜたものを作る。
「これで良し」
洗い物は明日にしよう。
私はバナナヨーグルトを入れた容器とスプーンを持ち、メリーの元へ戻った。
「大丈夫? 起きてる?」
ポンポンと肩を叩き意識を確認する。
「うん・・・・・・」
疑わしい返答だが本人がこういうならば信じよう。
口元に薄いバナナ一切れと少量のヨーグルトをスプーンで運ぶ。
すると、きちんと口を開け迎え入れる。ゆっくり私がスプーンを引き抜くともきゅもきゅと口元が動き少し喉をならす。
まるでうさぎだなぁ。そんなことを思いながら先のルーチンを十ループほど繰り返すと、すっかり容器は空になっていた。
「ふぅ・・・・・・意外と食べれるものなのね」
容器を流し台に持って行き、適当に洗剤をかけておく。
「あ、せっかくだし薬も飲ませちゃうか」
白いウサギの描かれた箱から一口ゼリーよりも小さい容器に入った薬を一個取り出す。
ケトルに少量のお湯を沸かして少し水で割ったものをコップに入れてまたまたメリーの元へ戻る。
薬を飲ませることを察知していたのだろうか、まだ身体を起こしたままでいた。
「メリー口を開けて」
容器の蓋を開けてスタンバイ。
少しすると、閉じた唇が開かれる。すかさず容器からゼリーを押し出し口に流し入れる。
その瞬間、メリーの顔がくしゃりと歪む。
「にが・・・・・・」
「飲んで」
すかさずぬるま湯をちょっとずつ流し込む。口がいっぱいになりそうになるたびにコップごと唇を閉じて飲み下していく。
メリーの目尻には少し涙がにじんでいた。なんか少し罪悪感が・・・・・・。
「ごめんね、あなたのためだから・・・・・・ね?」
親指で涙を拭ってやる。
「さ、寝ちゃいましょ」
背を左手で支えながら右手で胸元を押して寝かせる。
布団を掛けてやるとゆっくりメリーは目を閉じた。
「私も寝る・・・・・・」
明日も仕事だ。さすがにこれ以上起きていると仕事に支障が出かねない。
コップも流し台に放置した私は、雑な寝床に横になり今度こそ部屋の電気を消した。
◇
わたし達は、古びたログハウスの中にいた。
部屋の真ん中に設置されたテーブルと椅子は人間のものより背が高く、足が太い。
熊のすすめで椅子に腰を掛ける。
「はらへったぞぉ」
横ではオオカミが熊のいる方に喚き続けている。
「はいはい、これで良いかしら?」
台所の方から声がしたかと思うと、ぽいっとオオカミに生肉が放られる。得体のしれない真っ赤なお肉が弧を描き木の床に落ちる。
間髪入れずオオカミはそれに食いつきむさぼり始める。
「人間さんとうさぎさんにはこれかしら」
ボロボロのテーブルにコトリとお皿を置いて熊も席に着く。わたしは椅子をギシギシ揺するのをやめ、皿を見る。
「果物・・・・・・?」
お皿には山盛りの果実が積まれていた。どれも変わった形や色をしている。
「わぁ! ごちそうだ!」
テーブルの上に立っているうさぎがぴょん、ぴょんと跳ねる。
「ねぇねぇ、たべていい?」
「はいはい、どうぞ」
「やったぁ!」
うさぎは皿に手を入れ果実を食べ始める。
「大きな熊さん、先ほどは助けていただきありがとう。それにこんなご馳走まで・・・・・・」
「うふふ、いいのよ。半分は私の不始末でもあるわけだし」
白エプロンをつけた熊は目を細めて笑い、おばちゃんのように手で「んもう」と云う。
「さ、貴女もお食べ。甘くて美味しいわよ」
「ありがとう」
見慣れないものを食べるのは少し気が引けるが、手をつけないのも失礼にかなと思い、皿から適当に果実をとり食する。
「ん・・・・・・! 美味しい!」
見た目は大根のような実だったが、いざ食べてみると歯ごたえは柔らかく、バナナとヨーグルトを合わせた味がした。
「よかったわぁ」
「そういえば熊さんはオオカミさんとお知り合いなんですか?」
「ええ、あの子にはこの森の番人をしてもらっているのよ。最近はごはんあげて無くってねぇ・・・・・・。普段は死人と敵しか襲わないから安心してね」
「あぁ、だからさっき不始末って云ったんですね」
ちょっと物騒な部分は聞き流そう。
「そうなのよ。ホントごめんなさいね」
またまた熊が謝るので「いえいえ」と流す。
しばらく、おしゃべりを楽しみながら食事を続け、頃合いを見て本題を切り出してみる。
「あの、熊さん。一つ伺っても良いかしら?」
「何かしら?」
「実は、この子の住処を探してるのですがご存じありませんか?」
「あらあら、まぁまぁ迷子だったのねぇ」
のんびり熊が答える。うさぎは我関せずとばかりに紫の唐辛子のような果実をむさぼっている。
「森に詳しい熊さんならご存じではないですか?」
「えぇえぇ、もちろんよ。まぁ口で伝えてもわかりづらいでしょうから、オオカミくんに送っていってもらいましょうか」
思わず横で毛繕いをする灰茶色のオオカミを見る。
「・・・・・・」
「大丈夫よぉ。もしその子が乱暴を働くようなら私がむしゃむしゃするわぁ」
「えぇ・・・・・・」
おっとりとした口調と大きく強そうな身体のギャップからホントか嘘かわからず困惑する。
「あらあらぁ、怖がらないでよぉ。さっきのは、人間さんでいうところの指切り拳万よぉ」
「あぁ、なるほど・・・・・・」
なぜか、可愛らしい行動のはずが拳による制裁を思い浮かぶ。
「まぁ安心しなさいな。あなたもウサギもきちんと帰れます。この森の主として約束するわぁ」
のそりと熊が立ち上がる。一度台所の方に行ったかと思うとまた戻ってくる。
手には赤い小さな木のみのようなものを持っている。
熊は私の前に来てその木の実を差し出してくる。
「これは?」
「あなたがこの世界から帰るのに必要なものよ」
「え?」
「いいからお食べなさいな」
つい先ほどの冗談めかした口調は消えている。
その気迫に押されて思わず木の実を受け取る。間近で見るとまるでウサギの目のようだ。
そんなことを考え、少し食べるのをためらっていると、食事を終えたのか、ウサギが足下で私を見上げていた。
「あぁ! おねえさんずるい! おねえさんだけなにかいいものもらってる!」
ぴょんと跳びはね膝の上に乗ってくる。
「あなたはさっき食べたでしょ?」
ウサギの頭を撫でてやりながらさとす。
「やだやだ、たべるたべる!」
しきりに鼻を木の実を持つ手に押しつけながら駄々をこねる。
わたしはそれを避けるように手を高く上げる。
「早く食べないから欲張りさんに狙われるのよぉ」
見かねた熊が木の実を取り上げる。
「さ、口をあけて?」
「はい」
云われるがままに口を開けると、ぽいと木の実が放られる。
実を噛み砕くと、
「うぅっ・・・・・・苦い」
思わず口を押さえ丸くなる。胃を何者かが掴んで中身を絞り出そうとしているような錯覚を覚える。
心配そうにウサギが頭を撫でてくれる。
「はい、お水よぉ」
熊が木のコップを渡してくる。
「・・・・・・・・・・・・はぁ。助かりました」
水を流し込み、楽になる。
「あらあら、涙まで流しちゃって。そんなに苦かったかしらぁ」
ちょっと申し訳なさそうな口調で熊は云いながら、私の目元をエプロンで拭ってくれる。
「いえ・・・・・・」
「ごめんなさいね・・・・・・。でもあなたのためなのよ」
「ちなみに、今の木の実ってどんな効果が?」
「この実は食べると、しばらく食欲がなくなるのよぉ」
云われてみるとその通りだ。
お腹がいっぱいになった訳ではなく、どちらかというと食べたら”吐く予感”といった方が正しいだろうか。
しかし、それと帰ることは関係あるのかしら・・・・・・?
「不思議そうな顔をしてるわねぇ。まぁ、お守り程度の効果よぉ」
「はぁ・・・・・・」
「さ、そろそろ帰る準備をしましょうね。オオカミさんオオカミさん、このお二方を送っていってちょうだい」
お腹が膨れて眠くなっていたのだろうか。床に丸まっていた狼を熊が揺り起こす。
「ぉ? いいよぉ?」
「ひぃ……っ!」
膝のうさぎが洋服をむきゅっと掴む。
まぁ、怖いよね。
「うふふ、ウサギさんも怖いのねぇ。大丈夫よぉ。おまじないはかけてあるし、それに……」
部屋のランタンを一つ手に取り、出入り口に向かう。
私もうさぎを抱えて立ち上がり、あとに続く。
「あなたたちのご両親は仲良しだもの」
「え? あなた達知り合いだったの?」
思わずうさぎを見る。
「……ううん? 知らないよ」
きょとんとしながら私をじっと視る。
「おれはおまえみたことあるかもなぁ」
オオカミはあおんと欠伸をしながら答える。
「うーん……」
うさぎは腕を組んで考える素振りをする。
「なんかでもよくおぼえてないや」
「わたしも」
「小さい時に会った記憶ってなかなか思い出せないものよねぇ」
熊は小屋の出入り口を開ける。
「さ、これをお持ちなさいな」
ランタンを熊から渡される。
「うさぎさん、ごめん。降ろすね」
脇を持って後ろ足から床に下ろしてランタンを受け取る。
持ち手は細い金属の輪で、その下は細長い円筒でくすんだ茶色の金属。ようやくその下にガラスの中に火があり、最下部は茶筒の蓋みたいな燃料部と、だいぶ縦長のランタンだ。
「なんか知ってるのと違うわね」
イメージだともっと明かりの入るガラス部分が大きくて、他の部分が小さいと思ったのだけれど。
「持ってて爆発するのは嫌でしょぉ。明かりは小さいけど安全なやつなのよぉ」
「へぇ……」
「オオカミくんがいれば問題ないと思うけど、明かりがあったほうが落ち着くでしょう?」
「……確かに」
お腹の前で暖かくオレンジ色の光はどこか部屋の豆電球を彷彿とさせる。
「さぁお家へおかえりなさい」
熊はわたしの背中をポンポンと叩く。
「いい? 狼さん一度だけ教えるわねぇ」
「おうおう、どこまでおおくりすりやいいんだい?」
生理的欲求が満たされて上機嫌なオオカミが調子良く聞く。
「ここからまっすぐ歩いて、あの扉を出て」
「ふんふん」
「あなたの鼻を頼りにするわ」
「まかせろぉ!」
「いい子ねぇ。森に出たら、あなたの大好物の匂いがする方へ歩いて行くのよ。おそらく真っ直ぐ進めるわ」
「おおぅ。ついたらまたごちそうかぁ?」
嬉しそうにオオカミが尻尾を振る。
「それはその子のパパに聞くのねぇ」
うさぎを見て熊が言う。
「ぱぱのもとまでかえれたら、おねだりしてあげる!」
器用に立つうさぎは右手で胸をぽんと叩き「まかせて」とオオカミに意気込む。
案外このうさぎ、ずるい子ね……。
「おおうおおう! じゃあはやくかえろぅ!」
「おおかみさん、おおかみさん! せなかのっていい?」
「いいぞ!」
うさぎがぴょんと狼の背にまたがる。
やっぱりこのうさぎ、蓮子じゃない?
「じゃあ帰りましょ」
「うん!」
「おおぅ!」
早く行こうと言わんばかりにうさぎとオオカミが小屋の外に飛び出る。
「熊さんほんとに色々ありがとう」
わたしは頭を下げる。
「いいのよぉ。それに、まだ油断しちゃだめよぉ?」
「え? はい」
やはり森は危ないのだろうか。狼くんがいればなんとかなりそうな気がするけど。
「一応これをあげるわぁ」
ごそごそとエプロンの内側を漁り、何かを取り出すとそれを差し出してくる。
「これは?」
「スカラベのお守りよ」
飴玉ほどの透明な球体を受け取り、よく見てみると確かに虫の羽と目が掘られている。
「ありがとう熊さん」
「いいのよ。さ、お行きなさい」
わたしは再び頭を下げて熊の小屋を後にした。
◆
「うぅ、寒っ……!」
私は体を回転させてうつ伏せになり、枕がわりの座布団に顔を埋める。
ぼーっとしながらも、座布団下においた端末を右手で探し当て時刻を確認する。
「四時……。微妙な時間ね」
外からは雨がしとしととアスファルトを濡らす音が聞こえる。
一雨一度というものだろうか。暑いのは嫌なので、秋は歓迎するべき季節なのだが今日に限っては少し憎い。
暖房つけるか。いや、空気が乾燥するのも良くないかな。
「これだけ冷えると温泉とか入りたいわねぇ」
人工でも、天然でもどっちでもいい。今の季節の露天風呂はきっと気持ちいい。
あぁ、でも湯冷めするだろうか。流石に病み上がりのメリーには酷かもしれない。
治りきった頃合いを見て行くかな。
「あ、そういえばメリー」
少しは良くなっただろうか。
私は体を起こし、被っていた白のロングコートをそのまま羽織る。
右の膝をベッドに踏み出し、左膝を少し上げてゆっくりベッドに乗る。
タイミングがいいのか、寝相がいいのかメリーは天井を向いてすやすや眠っていた。
おでこの熱さまシートを剥がし、おでこに手を当てる。
「うん、下がってるわね」
ほっと胸を撫で下ろしているとメリーの口元がモゴモゴ動く。
うゆうゆと言葉にならない声が漏れてくる。
「夢でおしゃべりしてるのかしら?」
すこし可笑しくなって、
「どうしたの?」と訊くと、メリーはもぞもぞと体を動かして右に寝返りをうつと、少し顎と手を引いて
「……ほんとに色々とありがとう」
もにょもにょと彼女は言った。
「え?」
一瞬起きているんじゃないかと思い凝視する。
数十秒顔を見ているが、穏やかな表情は変わらない。
「なんてタイミングの寝言かしら……」
まぁ、穏やかな夢で良かったけどさ。
熱でうなされながら化け物と追いかけっこなんてしんどそうだし……。
「……いや、それはそれで面白いなぁ」
次風邪になったらメリーにお願いしてみよう。
「さて、もう一眠りしますか」
なんだか、あまり眠れていないのか疲れが取れてないし、目もゴロゴロするので結局二度寝を選択する。
端末のアラームをいくつかセットして、座布団に放って、羽織っていたコートを脱ぐ。
のろのろとベッドから降りて、先程までの寝床まで戻り、横になる。
そんなに長い時間離れていたわけではないのに座椅子はひんやりとしていた。
「うぅ……冷た」
メリーが来てから布団が狭いなぁなどと思っていたが、ちょっとだけ湯たんぽメリーが恋しく思えた。
◇
ずいぶん長いこと歩いた気がする。
はじめはほとんど視界がなく、オオカミさんに真横を歩いてもらっていた。偶においてかれて呼び戻したりしたが、今となっては二メートルくらいであればギリギリ見える。
今も大分先を歩かれているが、特に待ってもらうこともなくあとをついて行っているような状態だ。
「お、そろそろだぞぉ」
オオカミが足を止める。どうやらわたしを待ってくれるらしい。
「なにか見えたの?」
「うー、どっちかというとにくのにおいがかなりちかいってとこかぁ」
「なるほど……」
食事との距離で測っていたらしい。腹時計ならぬ鼻メジャーね。
「うさぎさん? うさぎさん? もう着くって」
オオカミの背中に捕まり、こっくらこっくら眠りこけるうさぎを撫でて起こす。
うさぎは、ばっと身を起こしてキョロキョロしだす。
「はっ! よくねた!」
このうさぎは大物だ。間違いない。
そんな確信を持ちながら、歩くこと数分。
高さが一メートルほどの建物群が見えてくる。
「あれ、え……。竪穴住居……?」
もっとメルヘンチックな住処だと思っていた……。
もっと、こう・・・・・・あるんじゃないかしら。西洋建築のオシャレな小屋が。
「かえってこれたぁ」
「おまえんちどこだぁ?」
「しっ。こえがおおきいよ。みんながおきちゃったらごちそうたべられなくなっちゃうよ?」
「おおぅ。きをつけるぅ」
「あ、あれおうち!」
うさぎが指差す方を見る。
「うわぁ、大きいわねぇ」
周りの三倍の高さはあるわらぶき屋根の家が佇んでいた。
さきほどいた熊の小屋よりも大きく、迫力がある。縄文時代の人間でもこのサイズは作らなかったのではないだろうか。
家の前まで着くと、うさぎはオオカミの背中から飛び降りて、大きな戸口に向かって走り出す。
「ぱぱただいま!」
ドアノッカーを三回鳴らしながら、うさぎが叫ぶ。
「うさぎよぉ。こえおおきくないかぁ?」
「だいじょうぶだいじょうぶ!」
かなり嬉しいようで、声のボリュームは下がっていない。
オオカミはげんなりしたようにしっぽを下げるだけで何も返さなかった。
しばらくすると、中からドシドシ音が近づいてくる。今回もビッグサイズの気配だ。
「おかえりマイガール! こんな時間までどこをほっつき歩いていたんだい?」
勢いよく開かれた戸の先にはちょび髭を生やした三メートル弱の大うさぎが立っていた。
「パパも大物なのねぇ」
わたしは思わず子うさぎに言った。
◇
パパうさぎに通された場所は、とても奇妙な部屋だった。
『マイガールとボクはちょっとしたもてなしの準備をするから君たちはくつろいでいたまえ』
と云ったきりうさぎ親子は戻ってきていない。
少し退屈になって、部屋を見て回ることにした。
雰囲気はどこか大正ロマンな室内は猫足の古びたチェストに、鳥かごのような照明。
木の床にはカフェオレ色の絨毯が引かれていて、中央には長方形の大きなガラステーブル、それを挟むようにアンティークな大きいローソファーが四席置かれている。
あの外観で、内装がこうなっているとは誰も思わないだろう。
何よりも、奇妙なのは部屋の最奥、雪見障子を隔てた先にあった。
「ねえ、このお家見た感じはガラス戸なんて無かったわよね」
「おぉ、なかったなぁ」
肉が待ち遠しいのか、入り口のふすまに張り付くような位置で座っているオオカミは気のない返事をした。
わたしはおかしな部屋を一通り堪能した後、一番下手の席着く。
しばらく待っていると、ふすまの方から砂糖と醤油が煮立ったようなにおいがしてくる。
はてさて、なにが出てくるのかしら。
「紅茶にクッキーじゃないことは確かね」
籠に閉じ込められた明かりをぬぼーっと見ながら、独り言つ。
熊からもらったリビアングラスのスカラベを手の中で転がすこと五分くらい。
廊下から、ドシドシと足音がしたかと思うと背後のふすまが開かれる。
「やぁ! お待たせ! 待ったかい?」
「おねえさん! おおかみさん! ごはんですよっ。わ、おおかみさんおとしちゃうからはなれてぇ」
「にく! にく!」
「はっはっは! さすがは我が盟友の息子だな。あいつに負けないぐらいの食欲だ。そら、たべなさい」
「うおぉ! にぃく!にぃく!」
背後で床に肉が落ちる音がしたかと思うと、すぐに咀嚼音と喉が鳴る音が聞こえ始める。
座っているのも失礼だと思い、準備を手伝うため立ち上がろうと前のめりになったちょうどそのときテーブルの横にうさぎが来て
「あ、おねえさんはすわってて・・・・・・お、おもぃ」
よろよろとしながらカセットコンロと切られた野菜の入った籠を置く。
「ふぅ・・・・・・」
「お疲れうさぎさん」
とねぎらうと、足元に寄ってきて頬をスリスリとこすりつけてきたので、指をたてて上から下に背を撫でてやる。
「えへへ・・・・・・ありがとぉ」
ルビー色の目を細めながら、身体全体を足にこすりつけてくる。
「こらこら、マイガール。物事には順序があるんだよ? さ、食事の準備だ」
「あ、はーい」
「すまないね、躾がなっていなくて」
「いえ、全然」
とことこと子ウサギが配膳をし、パパうさぎがカセットコンロに鍋を置き火をつける。
中にはすでに火が通った状態の肉、野菜、キノコが茶色い液体につかっていた。
「すき焼きはお好きかね?」
合成ではないお肉を見ながら唇を噛みしめ、わたしは縦に首を振った。
◇
「あぁ・・・・・・地獄だわ・・・・・・」
「ん? 何か言ったかね?」
パパうさぎが頬を上気させながら訊いてくる。テーブルの上にはキリンが描かれた茶色い空の酒瓶が数本ある。
だいぶ酔っているらしく、少しとろりとした目でこちらを見ていた。
「あ、いえ特に」
どれくらい時間が経っただろうか。
コンロの火とうさぎ親子の顔を見ながら、やれ君の名前はだの、やれうちの子はだのとおしゃべりに付き合い、すき焼きを”食べる振り”をする。
目の前には美味しそうな肉がどんどん足されて赤から茶色に変わっていき、それをうさぎ親子が美味しそうに食べていく。
食べたら、吐くとわかっていて食べるなんてことはできず、かといって出された料理を食べないこともできない時間は地獄といっても過言では無い。
「食べないのかね?」と最初は訊いてきたパパうさぎはお酒の力で朧気になっているため後者の葛藤はなくなったが、前者はまだ続いていた。
食べる振りをしながら、オオカミさんの口にとりわけた具を全て入れる作業は、さながら賽の河原で石積みを行っているようだ。
目の前では、パパうさぎが子うさぎの苦労話をしている。
「さすがに耐えられないわねぇ・・・・・・」
あの熊さんが変なものを食べさせなければ、新鮮なお肉を楽しめたのになぁ。
「おねえさん、おねえさん。もうお腹いっぱい?」
手が止まっていたのか、子うさぎが訊いてくる。
「うーん、”もうお腹いっぱいね”」
というとそわそわしながらパパうさぎに向かって「だって! ぱぱ!」と興奮気味に叫ぶ。
「ん? おお、もう満足なのかね?」
「そうみたい! ね!」
「えぇ、まぁ。ご馳走さまでした」
「うんうん。よく食べてくれたみたいだね。ご馳走した甲斐があったよ」
満足げにパパうさぎがいう。
「ねぇ、ぱぱ。あのことおねがいしてよ」
「おぉ、そうだったね。 メリーくんだったかな」
「はい」
「どうかね? うちのマイガールと交尾しないかい?」
「はい?」
思わず、パパうさぎの顔を見る。今何かとんでもないことを言わなかったかしら?
「ん? わからないかね? うちの娘と子作りをしないかと言っているのだよ。おわかりかな」
さっぱりわからない。
「あのお父さん? だいぶ飲み過ぎて混乱しているのですか? わたし人間で雌なのだけれど・・・・・・」
「ふむ、種族と性別か、別になにか問題になることでも?」
「そうだよおねえさん!」
子うさぎが腕に抱きつき身体をこすりつけてくる。
「いや、大問題だとおもいますよ? それに私、帰らないと・・・・・・」
「君の世界にかね?」
「ええ」
「残念だが、君は帰れないよ」
笑みを浮かべて親うさぎが告げる。
「だって君、”食べて”しまったのだろう? すき焼きを」
「おねえさん。ごめんね! でもどうしてもおねえさんがほしかったの」
全身を揺すりながら子うさぎは無邪気な顔を向けてくる。
「君も訊いたことはあるんじゃ無いのかな? よもつへぐいを」
わたしはそこで理解した。どうやら子うさぎを送り届けるつもりが、黄泉まで下ってしまったらしい。
背筋がすーっと寒くなる。食べていたら目が覚めなかったなんて洒落にもならないわ。
幸い熊のおかげで"食べそびれた"ため最悪の事態は避けられたけど、それでもこれはピンチかしら。
「騙してしまって申し訳ないとは思ったんだがね、娘がどうしてもというものだから」
「ねえ、おねえさん。わたしのこときらい?」
子うさぎが帽子の下から熱っぽい視線を向けてくる。
「わたしおねえさんだいすき! おおかみさんにおわれたときかかえてにげてくれたし、おうちまでおくってもくれた。だいすき!」
目の前の赤い目は爛々と輝きながらわたしの目を犯してくる。
だいぶ理性が飛んでしまっているようだ。あれほど無邪気だった子うさぎの変貌に胃がきゅっとしまる。
帰らなきゃ。悟られる前に。
「ねえうさぎさん」
「なにおねえさん?」
「あなたの目。赤くて澄んでいてルビーみたいできれいね」
うさぎの目をのぞき込みながら、ささやくように言う。
「わぁ! ありがとう!」
「だから、素敵な子きっと見つかるわ」
私は腰を震わせる子ウサギを持ち上げながら立ち上がり、パパうさぎへ一歩踏み出す。
「寝室は君の後ろにあるふすまを出て左にある、ごゆっくり」
お別れの言葉が聞こえなかったのかパパうさぎが的外れなことをいうので、膝に娘を置いてやり私は駆け出す。
雪見障子を右手で払い、ガラス戸を開けて外に飛び出した。
◆
ピピピピピっ!ピピピピピっ!
アラームの音がする。
「やかましい・・・・・・」
安眠を妨害する端末を黙らせようとうつ伏せになり、座布団の下を漁る。
「やばっ・・・・・・!」
見ると遅刻ボーダーギリギリの八時三十のアラームだった。
「うー、でも眠い・・・・・・」
座布団に顔を埋めながらぼんやり目を閉じる。
あと五分したら起きるかな、などと考えていると、突然背中に衝撃が走る。
「ぐえっ」
カエルが潰されたときのような声が出た。
どうやら湯たんぽが落ちてきたらしい。
「おはよう、いやお帰りかしらメリーさん」
顔を座布団から逃がし、背中の重りに言う。
「ただいま、蓮子」
そう言うと上から降りてくれる。
「ずいぶんダイナミックなご帰還ね」
ちょっと皮肉を込めながら言いつつ、彼女の方を振り向き起き上がる。
「・・・・・・ねえ蓮子」
「ん? なに? 看病のお礼?」
「いえ、それよりも大事なこと」
メリーが私の目尻に触れ笑みを浮かべる。
「なんか今日のあなたの目、赤くていつにも増して気持ち悪いわ」
「・・・・・・」
私は笑みを返しながら、彼女のおでこに力一杯のデコピンをくらわせた。
◆
メリーの風邪が治った翌日の夜。私達は"温玉野菜"ですき焼きを食べていた。
雨が降っていて帰れなかったところメリーが迎えに来てくれたお礼と称して外食を提案したところ、
メリーが「すき焼きが食べたい」と云ったためこのチョイスとなった。
「へぇ、あなたの寝言からして珍しく安穏で剣呑さのかけらも無い夢だと思っていたのだけれど」
私は醤油と砂糖の混ざった茶色い液体の中で、肉が染まっていくのを眺めながらメリーのお土産、リビンググラスのスカラベをもてあそぶ。
「珍しく神も仏も関係なかったけどね」
「純粋に死にかけてたんじゃない?」
「ちょっと・・・・・・さらっと怖いこと言わないでよ」
溶いた卵の入った皿に具を取り分けながら、メリーは苦笑した。
「まぁ、存外一回くらいは死んでも良かったんじゃ無い?」
「ひど・・・・・・。あなたねぇ・・・・・・まだ根に持ってるの?」
「起き抜けに云われた『なんか今日のあなたの目、赤くていつにも増して気持ち悪いわ』のこと? 別に気にしてないけど」
「ほんとにぃ?」
ちょっと意地の悪い笑みでこちらを見てくるので、
「ほんとほんと。九割九分九厘」と返すと、
「一厘あるじゃない」と彼女は笑った。
「まぁ、でもさっきのは割と冗談じゃ無くてさ」
「なに? やっぱり根に持ってるってことかしら?」
「いや、そっちじゃ無くて」取り分けてもらった合成椎茸を食らいながら苦い笑みを向ける。
「じゃあ何?」
「熊のくれたお土産のこと」
「ガラスのスカラベ?」
「そう。知らない? スカラベって復活の象徴なのよ?」
「へぇじゃあ一回ぐらいなら平気ね・・・・・・って思わないわよ?」
冗談っぽく怒るメリー。
「その合成じゃ無い肉を見て吐き気に打ち勝ち食べていたら、このお土産も無かったかもね」
「身代わりアイテム的な? まさか、RPGじゃあるまいし」
「それにしてもメリー、さっきから肉ばかり食べ過ぎじゃない?」
「夢でお預け食らった分ね」
「私野菜ばっかりなのですがね、メリーさん」
「あなたもお預けをくらう気持ちを思い知るが良いわ」
くっくっくと悪代官のような笑い方の彼女をみながら、私はため息をつく。
「すいません、一番良いお肉二人前」
追加注文をするのに時間はかからなかった。
夜の十時。雲に隠れる星と月を残念に思いつつ帰宅する。
ここ二日はメリーがご飯を作っていてくれるため、開け慣れたドアがさらに軽い。
「ただいまー」
リビングに投げた言葉はむなしく地に落ちた。
「出かけたのかしら・・・・・・」
少し不安に思いつつも、リビングの扉を開ける。
そこには、苦しそうに眠るメリーことマエリベリー・ハーンがいた。
荷物を片付けて、ベッドの上に正座する。
「そういえば朝くしゃみしてたな・・・・・・」
壁の方を向いて眠るにいるメリーの額に手を当て自分と比較すると
「熱い・・・・・・」
どうやら本格的に風邪になってしまったようだ。
触られて起きたのか、メリーがこちらに寝返りを打つ。
しばらくぼーっと薄めを開け、私の膝を見つめる。しょぼしょぼとさせていた瞼を二、三、瞬かせてはっきりとわたしを視る。
「ごめんね蓮子、どうも風邪がひどくなったみたい」
律儀にも身体を起こそうとするので、ずれた布団を被せて制止する。
「大丈夫大丈夫、休んでてよ」
ポンポンと肩を叩き、彼女の右頬を手のひらで冷やしてやる。
頭がはっきり回っていないせいなのか、ぼーっと私を見たかと思うと「うん」とだけ返事をしてまた目を閉じた。
「じゃあ、まずは現状確認しますか」
起こさないようゆっくり膝立ちになり、後ずさる。ミシ、ミシとベットが大きく鳴いて、ギョッとしたが幸いにも彼女は起きなかった。
私は一度リビングを出て、玄関付近にある冷蔵庫を確認することにした。
「うわ、ちゃんと買い出ししてある・・・・・・」
きっかり明日の夕方分までだろうか。肉、野菜お弁当用のレトルト食品が庫内の六割ほど入っていた。
彼女曰く、『食費半分の知恵』らしい。
「何も体調悪いときまで無理しなくてもいいのに」
と言ってはみたが、どこか体が温かくなる。
「今日は私がしっかりしなきゃね」
自分に言い聞かせて、近場のドラッグストアへ買い出しに向かった。
◇
「あれ、ここはどこかしら」
さっき蓮子と会話して目を閉じたはずが、いつの間にか、私は森の中にいた。
「ううん、体も軽いし夢かしらね」
先ほどまで感じていた節々を虐(いじめ)めていた寒気が消えたことを確認したのでとりあえず体を起こす。
辺りを見渡すが、同じような形の木々が溶けた闇があるばかりだ。
空を見るとあいにくの曇りらしく、月とも星とも目が合わなかった。
「ううん・・・・・・暗いけど、ここにいても面白くはなさそうねぇ」
せっかく夢に来たのだ。蓮子にお土産の一つでも持って帰ろうと思い森の中を探索することにした。
◆
「栄養ゼリーにバナナ、ヨーグルト、熱さまシート、林檎に清潔なタオル・・・・・・こんなものかしら?」
ドラッグストア内を二周ほど周り集めた品物を確認する。
「あ、薬」
致命的な不足に気づき風邪薬のコーナーに足を運ぶ。
「どれにしようかしら・・・・・・」
昔ながらの総合感冒薬?
「病院で診てもらおうにもメリーってデータベースに登録されていないのよね・・・・・・」
この街はデータベースで人間を管理しており、登録された者以外は公共施設を利用できない決まりになっている。
なんやかんやでメリーは、住所変更もデータベース登録もしていないため病院は当てにできない。
「となると・・・・・・これか」
私は白いウサギが描かれた小箱を手に取る。
<兎の瞳>。つい数年前に発売されたナノマシン内蔵汎用治療薬である。
「これ、めちゃくちゃ苦いのよね・・・・・・」
飲んでもいないのに苦みがフラッシュバックし思わず顔をしかめる。
ナノマシンを飲みこむ不快感はないが、周りを保護する赤いゼリー状の液体がいけない奴なのだ。
「まぁでも割と治療範囲広いからこれにするか」
良薬口に苦しなんて昔は言ったのだから仕方ない。多少恨まれてもいいからこれで元気になってもらおう。
自分を納得させ、会計を済ませた私は二度目の帰宅を急いだ。
◇
どれくらい時間がたったのか。森の中を大分長く歩いていたことは間違いない。
その証拠にわたしのふくらはぎは少し張っていた。
「運動不足がたたるわねぇ」
ぼやきつつも足を止めず歩き続けていると、右側の方から何か聞こえてくる。
「泣き声? それとも鳴き声・・・・・・かしら?」
声のするほうへ足を出す。こんな月もない夜に人がいるわけがない。
好奇心から心なしか歩調が早くなる。だんだんと泣き声が近くなるにつれて、あることに気づく。
「人間の女の子かしら?」
「しくしく、しくしく」
どうやらこの先に声の主がいるらしい。
私はゆっくりゆっくり地面を踏む。見えた。
抜き足差し足忍び足で近寄りつつ声の主を観察する。
薄ピンクの耳に真っ白な体、目はリンゴ飴をすかしたような赤。
「シロ、ウサギ・・・・・・?」
顎を地面にぺしょりとのせて四つん這いになっているうさぎがいた。
泣き声で人間と思っていたため、少し意表を突かれる。
しばらく、じっと観察してみたが変身して襲ってくるようなそぶりはない。泣くのに手一杯なのかな。
手を伸ばせば触れられる距離まで近づいても泣き止まない。挨拶でもしてみようかしら。
驚かさないようにゆっくり膝をつき、ウサギの顔をのぞき込む。
「こんばんは、うさぎさん」
声を掛けると、うさぎは耳をピンとたて、尻尾をまっすぐ後ろに伸ばす。怖がらせちゃったかな・・・・・・。
わたしはうさぎを見つめて優しく声を掛けてみる。
「怖くないよ怖くないよ。暗くて怖いの一緒だわ」
少し不安そうな顔もおまけでつける。するとうさぎはむきゅっと顔を上げた。
「こんばんは、人間さん」
すっかり泣きやんではいたものの、まだ怖いのか少し震え声だ。
「お返事ありがとう、うさぎさん。ところでうさぎさん、あなたはどうして泣いてるの?」
「心配してくれるの人間さん?」
「もちろんよ。あなたのお話を聞かせて」
そっと背中をなでてやる。うさぎは少しびっくりしたように体を震わせたが、すぐに身を任せてくれる。
「うん・・・・・・。あのね・・・・・・」
わたしはそっと目を閉じてうさぎの話に耳を傾けた。
◆
「メリー?」
そっとベッドに乗り、壁際を向いて寝るメリーの顔をのぞき込む。
少し眉間にしわを寄せて、苦しそうな彼女の顔があった。
私は彼女の前髪を上げて熱さまシートを貼る。
「もう少し様子を見てからゼリーを食べさせますか」
その後は、薬を飲ませて、体を拭いてってとこかな・・・・・・、などとこれからの段取りを確認していると、
「あなたの・・・・・・お話、聞かせて」
ごろんと寝返りを打ち天井を向いたメリーがこぼした。
突然の寝言にびっくりして私は後ずさり、固まる。
しばらくして、彼女は言葉を続けることなく再び寝息を立て始めた。
「どんな夢を見てるのかしらね」
彼女の温かい手を握る。夢の中身を覗きたくなる衝動に駆られるが、看病に集中するためぐっとこらえる。
起きたら夢の内容を訊くことにしよう。そう思いつつ私はベッドから降りた。
◇
「なるほど・・・・・・みんなとはぐれちゃったのね」
「うん。いっぱい探したけど見つからなくて・・・・・・」
鼻で私の手をつつきながらうさぎは言った。
話を要約すると、みんなとお家に帰る途中で、はぐれてしまったらしい。
頑張って歩いてはみたものの、合流することができず途方に暮れて泣いていたところを、わたしが発見したといったところだ。
「じゃあ、わたしも一緒に探してあげる」
うさぎのおでこをなでて提案する。
「ほんとに?」
「うん。ほら、一人だと寂しいけど二人なら百人力よ」
「ふたりなのにひゃくにんりきなの?」
おかしそうに、うさぎが笑う。すっかり落ち着いたみたいだ。
「そろそろ行こっか。うさぎさんは歩ける?」
「うん。歩けるよ」
というと、ひょいと立ち上がる。
「二足歩行!?」
「え、うん」
きょとんとした目で私を見る。
驚いた・・・・・・。二足歩行のうさぎなんて不思議の国のアリスか、ぬいぐるみでしか見たことがない。
そんな私を横目に、うさぎはどこからか見慣れた黒い中折れ帽を取り出して被る。耳の部分は穴が開いていてうまく外に出るようになっている。
「・・・・・・もしかして蓮子なの?」
おもわずうさぎを見て問いかける。
彼女なら、こっそり観に来るなんてこともしそうだ。うさぎなのは・・・・・・夢補正かしら。
「わたしのなまえ?」
「・・・・・・違うみたいね」
まぁ、そもそも蓮子なら迷子になっても嬉々として探索するわよね。
「おねえさん?」
「うん? あ、ごめんね。行きましょうか」
かくしてわたしとうさぎの奇妙な冒険が始まった。
◆
「れんこ・・・・・・?」
名前を呼ばれて声の方を向く。
真横のベッドでは先ほど見たときと同じ体勢でメリーがすやすや眠っている。
様子を見るため、私は座椅子から立ち上がりベッドに膝をつく。
「寝言かな。ふふ、意外と多いわね」
少しかわいいと思うのは本能かしら・・・・・・。
思わずメリーの頬から首を撫でる。
「あれ、さっきよりも熱い?」
心なしか首に汗をかいているようだ。
「うーん。こういうときに体を拭けば良いのかしら?」
私は台所に行き、先ほど買った新品のタオルを冷たい水に浸して絞りメリーの元へ戻る。
白い首筋ににじむ汗を、冷えタオルで拭っていく。
ついでに身体も拭いてあげよう。そう思い台所とベッドを往復する。
「やっぱり大学の時より痩せてるなぁ」
背中に触れて思わず独り言つ。
昔、じゃれて背中に触ったときよりも背骨の感触が強い。
風邪治ったら外でご飯でも食べに行きたいな。そんなことを考えながら台所とベッドを数回往復する。
「これでよし」
一通り汗を拭き終え、仕上げに冷えピタを張り替えてやり布団を元に戻す。
先ほどよりも表情が柔らかくなっているように見えるのでこれで良いのだろう。
「この調子だと無理に食事させるよりも寝かせた方が良さそうね」
冒険のお邪魔をするのも悪いし。
「ふぁ・・・・・・。私も寝る準備するかな」
リビングの電気をオレンジの豆にして、シャワーを浴びに浴室へ向かった。
◇
「おねえさん! おねえさん! もっといそいで!」
腕に抱えたうさぎが叫ぶ。
「は、走ってる! 急いでる!」
私は息を切らせながらうさぎに云う。
後ろからはガウガウとうなり声が近づいている。
私たちは、オオカミに追われていた。うさぎの仲間を探してさまよっていたところばったり遭遇し、今に至る。
それほど長い時間走った訳ではないが、かなり限界が近い。
「おねえさん! あそこ、あかり!」
少し遠くに、ぼぅと温いオレンジがにじむ。
「はぁはぁ・・・・・・もう駄目・・・・・・!」
「いそいでぇっ!」
爆発しそうなほど熱い体とパンパンに張る足に鞭を打つ。
そんな私を応援するかのように小雨が降り始める。冷たくて気持ちいい。
「まてぇ、くぅわせろっ」
先ほどまではうなり声にしか聞こえなかったものが、だんだん人語に聞こえてくる。
もしかしてかなり近い? 振り返りたい衝動に駆られるがなんとかこらえて足に意識を集中させる。
豆くらいだった明かりがだんだん大きくなる。
「もんがみえるよ!」
目をこらすと、高さ二メートルほどのウッドフェンスと扉が見える。
「やった・・・・・・」
最後の力を振り絞り、扉を押し、体をねじ込みすぐ閉めた。
バゴっと何かが当たる音と衝撃がする。
「ひっ!」
うさぎは白い身体をブルリと震わせ、顔を腕に埋める。
私は、咄嗟にハンドルの周辺をいじり鍵を掛ける。
「あけぇろぉ!」
ドンッ、ドンッと全身を使ったノック音と低いわめき声が扉を揺らし続ける。
「そのうち破られちゃいそうね・・・・・・」
「どうしようどうしよう!」
相変わらず、うさぎは腕の中で白い毛を震わせている。
このまま押さえていても埒があかない。
「どうしましょ・・・・・・」
あれこれと作戦を考えていると後ろの方でガチャリと音がする。
ズリ足で何か重たいものが近づく音がする。
「騒がしいと思って見に来たら、ずいぶんかわいいお客様ねぇ」
はっと後ろを振り向くと、白いエプロンをした大きな熊が立っていた。
前門の狼、後門の熊さすがに駄目かしら・・・・・・。私はうさぎをかばうように抱き込み考えを巡らせる。
「あけろぉ! くわせろぉ!」
「あら? この声はオオカミさんかしら」
「?」
「なるほど、彼に追われてここに逃げ込んできたのねぇ。・・・・・・お嬢ちゃん。大丈夫よぉ」
「え?」
「私はあなたの敵では無いわぁ」
おっとりと熊が言う。
「あの、助けてもらえませんか?」
「もちろんよぉ。そこをどいてもらえるかしらぁ」
「は、はい」
門が破られないか心配しつつ、熊の後ろに回る。
「オオカミさん、お入りなさい」
熊は錠前を開け、
「急いで食べるよりも、ゆっくり食べたいでしょ?」
門を破った狼と鋭い爪をもつ大熊がゆっくりこちらを向いた。
◆
「さて、どう寝ようかしら・・・・・・」
シャワーを終えた私はベッドの横で悩んでいた。
真ん中にはメリーが寝息を立てている。
「端にどかすのは気が引けるわねぇ・・・・・・」
うっかり布団を引っぺがして朝になろうものなら風邪延長戦だ。
来客の想定など微塵もしていないこの部屋には、予備の布団など無い。
「座椅子で寝ますか・・・・・・・」
私は座椅子を平坦にする。これだけでは、頭がはみ出てしまうためメリーが普段使いしている座布団もつける。
「さすがに布団無しは寒いわね……」
ごそごそとクローゼットで代わりを探す。・・・・・・あった。
膝下ほどまで長さのある白のロングコートをハンガーから外す。あまり着ていないせいか少し埃っぽい。
「これなら、凌げるでしょ」
足下が余るが、靴下で何とかなる。
「さて、寝ますか・・・・・・」
右肩を下にして、座椅子に寝そべる。綿がよっていて少し違和感があるけど、まぁ一晩だし良いでしょ。
そんなことを考えながら電灯のリモコンを操作しようとしたとき、
「お腹すいた・・・・・・」
後ろの方でメリーの声がした。
寝言だろうか? 念のため起き上がり振り向くと、うつろな表情で上半身を起こした彼女がいた。
「何か食べたいの?」
「うん」
「ゼリーとバナナとリンゴどれがいい?」
「・・・・・・果物」
「了解」
やりとりは成立しているが、どこか朧気でまるでまだ夢の中みたいだ。
「とりあえず、この状態で林檎は危ないかな」
となると、バナナヨーグルトか。
私は少しの眠気を押しのけて台所へ向かった。
五分ほどかけてバナナをスライスしてヨーグルトと混ぜたものを作る。
「これで良し」
洗い物は明日にしよう。
私はバナナヨーグルトを入れた容器とスプーンを持ち、メリーの元へ戻った。
「大丈夫? 起きてる?」
ポンポンと肩を叩き意識を確認する。
「うん・・・・・・」
疑わしい返答だが本人がこういうならば信じよう。
口元に薄いバナナ一切れと少量のヨーグルトをスプーンで運ぶ。
すると、きちんと口を開け迎え入れる。ゆっくり私がスプーンを引き抜くともきゅもきゅと口元が動き少し喉をならす。
まるでうさぎだなぁ。そんなことを思いながら先のルーチンを十ループほど繰り返すと、すっかり容器は空になっていた。
「ふぅ・・・・・・意外と食べれるものなのね」
容器を流し台に持って行き、適当に洗剤をかけておく。
「あ、せっかくだし薬も飲ませちゃうか」
白いウサギの描かれた箱から一口ゼリーよりも小さい容器に入った薬を一個取り出す。
ケトルに少量のお湯を沸かして少し水で割ったものをコップに入れてまたまたメリーの元へ戻る。
薬を飲ませることを察知していたのだろうか、まだ身体を起こしたままでいた。
「メリー口を開けて」
容器の蓋を開けてスタンバイ。
少しすると、閉じた唇が開かれる。すかさず容器からゼリーを押し出し口に流し入れる。
その瞬間、メリーの顔がくしゃりと歪む。
「にが・・・・・・」
「飲んで」
すかさずぬるま湯をちょっとずつ流し込む。口がいっぱいになりそうになるたびにコップごと唇を閉じて飲み下していく。
メリーの目尻には少し涙がにじんでいた。なんか少し罪悪感が・・・・・・。
「ごめんね、あなたのためだから・・・・・・ね?」
親指で涙を拭ってやる。
「さ、寝ちゃいましょ」
背を左手で支えながら右手で胸元を押して寝かせる。
布団を掛けてやるとゆっくりメリーは目を閉じた。
「私も寝る・・・・・・」
明日も仕事だ。さすがにこれ以上起きていると仕事に支障が出かねない。
コップも流し台に放置した私は、雑な寝床に横になり今度こそ部屋の電気を消した。
◇
わたし達は、古びたログハウスの中にいた。
部屋の真ん中に設置されたテーブルと椅子は人間のものより背が高く、足が太い。
熊のすすめで椅子に腰を掛ける。
「はらへったぞぉ」
横ではオオカミが熊のいる方に喚き続けている。
「はいはい、これで良いかしら?」
台所の方から声がしたかと思うと、ぽいっとオオカミに生肉が放られる。得体のしれない真っ赤なお肉が弧を描き木の床に落ちる。
間髪入れずオオカミはそれに食いつきむさぼり始める。
「人間さんとうさぎさんにはこれかしら」
ボロボロのテーブルにコトリとお皿を置いて熊も席に着く。わたしは椅子をギシギシ揺するのをやめ、皿を見る。
「果物・・・・・・?」
お皿には山盛りの果実が積まれていた。どれも変わった形や色をしている。
「わぁ! ごちそうだ!」
テーブルの上に立っているうさぎがぴょん、ぴょんと跳ねる。
「ねぇねぇ、たべていい?」
「はいはい、どうぞ」
「やったぁ!」
うさぎは皿に手を入れ果実を食べ始める。
「大きな熊さん、先ほどは助けていただきありがとう。それにこんなご馳走まで・・・・・・」
「うふふ、いいのよ。半分は私の不始末でもあるわけだし」
白エプロンをつけた熊は目を細めて笑い、おばちゃんのように手で「んもう」と云う。
「さ、貴女もお食べ。甘くて美味しいわよ」
「ありがとう」
見慣れないものを食べるのは少し気が引けるが、手をつけないのも失礼にかなと思い、皿から適当に果実をとり食する。
「ん・・・・・・! 美味しい!」
見た目は大根のような実だったが、いざ食べてみると歯ごたえは柔らかく、バナナとヨーグルトを合わせた味がした。
「よかったわぁ」
「そういえば熊さんはオオカミさんとお知り合いなんですか?」
「ええ、あの子にはこの森の番人をしてもらっているのよ。最近はごはんあげて無くってねぇ・・・・・・。普段は死人と敵しか襲わないから安心してね」
「あぁ、だからさっき不始末って云ったんですね」
ちょっと物騒な部分は聞き流そう。
「そうなのよ。ホントごめんなさいね」
またまた熊が謝るので「いえいえ」と流す。
しばらく、おしゃべりを楽しみながら食事を続け、頃合いを見て本題を切り出してみる。
「あの、熊さん。一つ伺っても良いかしら?」
「何かしら?」
「実は、この子の住処を探してるのですがご存じありませんか?」
「あらあら、まぁまぁ迷子だったのねぇ」
のんびり熊が答える。うさぎは我関せずとばかりに紫の唐辛子のような果実をむさぼっている。
「森に詳しい熊さんならご存じではないですか?」
「えぇえぇ、もちろんよ。まぁ口で伝えてもわかりづらいでしょうから、オオカミくんに送っていってもらいましょうか」
思わず横で毛繕いをする灰茶色のオオカミを見る。
「・・・・・・」
「大丈夫よぉ。もしその子が乱暴を働くようなら私がむしゃむしゃするわぁ」
「えぇ・・・・・・」
おっとりとした口調と大きく強そうな身体のギャップからホントか嘘かわからず困惑する。
「あらあらぁ、怖がらないでよぉ。さっきのは、人間さんでいうところの指切り拳万よぉ」
「あぁ、なるほど・・・・・・」
なぜか、可愛らしい行動のはずが拳による制裁を思い浮かぶ。
「まぁ安心しなさいな。あなたもウサギもきちんと帰れます。この森の主として約束するわぁ」
のそりと熊が立ち上がる。一度台所の方に行ったかと思うとまた戻ってくる。
手には赤い小さな木のみのようなものを持っている。
熊は私の前に来てその木の実を差し出してくる。
「これは?」
「あなたがこの世界から帰るのに必要なものよ」
「え?」
「いいからお食べなさいな」
つい先ほどの冗談めかした口調は消えている。
その気迫に押されて思わず木の実を受け取る。間近で見るとまるでウサギの目のようだ。
そんなことを考え、少し食べるのをためらっていると、食事を終えたのか、ウサギが足下で私を見上げていた。
「あぁ! おねえさんずるい! おねえさんだけなにかいいものもらってる!」
ぴょんと跳びはね膝の上に乗ってくる。
「あなたはさっき食べたでしょ?」
ウサギの頭を撫でてやりながらさとす。
「やだやだ、たべるたべる!」
しきりに鼻を木の実を持つ手に押しつけながら駄々をこねる。
わたしはそれを避けるように手を高く上げる。
「早く食べないから欲張りさんに狙われるのよぉ」
見かねた熊が木の実を取り上げる。
「さ、口をあけて?」
「はい」
云われるがままに口を開けると、ぽいと木の実が放られる。
実を噛み砕くと、
「うぅっ・・・・・・苦い」
思わず口を押さえ丸くなる。胃を何者かが掴んで中身を絞り出そうとしているような錯覚を覚える。
心配そうにウサギが頭を撫でてくれる。
「はい、お水よぉ」
熊が木のコップを渡してくる。
「・・・・・・・・・・・・はぁ。助かりました」
水を流し込み、楽になる。
「あらあら、涙まで流しちゃって。そんなに苦かったかしらぁ」
ちょっと申し訳なさそうな口調で熊は云いながら、私の目元をエプロンで拭ってくれる。
「いえ・・・・・・」
「ごめんなさいね・・・・・・。でもあなたのためなのよ」
「ちなみに、今の木の実ってどんな効果が?」
「この実は食べると、しばらく食欲がなくなるのよぉ」
云われてみるとその通りだ。
お腹がいっぱいになった訳ではなく、どちらかというと食べたら”吐く予感”といった方が正しいだろうか。
しかし、それと帰ることは関係あるのかしら・・・・・・?
「不思議そうな顔をしてるわねぇ。まぁ、お守り程度の効果よぉ」
「はぁ・・・・・・」
「さ、そろそろ帰る準備をしましょうね。オオカミさんオオカミさん、このお二方を送っていってちょうだい」
お腹が膨れて眠くなっていたのだろうか。床に丸まっていた狼を熊が揺り起こす。
「ぉ? いいよぉ?」
「ひぃ……っ!」
膝のうさぎが洋服をむきゅっと掴む。
まぁ、怖いよね。
「うふふ、ウサギさんも怖いのねぇ。大丈夫よぉ。おまじないはかけてあるし、それに……」
部屋のランタンを一つ手に取り、出入り口に向かう。
私もうさぎを抱えて立ち上がり、あとに続く。
「あなたたちのご両親は仲良しだもの」
「え? あなた達知り合いだったの?」
思わずうさぎを見る。
「……ううん? 知らないよ」
きょとんとしながら私をじっと視る。
「おれはおまえみたことあるかもなぁ」
オオカミはあおんと欠伸をしながら答える。
「うーん……」
うさぎは腕を組んで考える素振りをする。
「なんかでもよくおぼえてないや」
「わたしも」
「小さい時に会った記憶ってなかなか思い出せないものよねぇ」
熊は小屋の出入り口を開ける。
「さ、これをお持ちなさいな」
ランタンを熊から渡される。
「うさぎさん、ごめん。降ろすね」
脇を持って後ろ足から床に下ろしてランタンを受け取る。
持ち手は細い金属の輪で、その下は細長い円筒でくすんだ茶色の金属。ようやくその下にガラスの中に火があり、最下部は茶筒の蓋みたいな燃料部と、だいぶ縦長のランタンだ。
「なんか知ってるのと違うわね」
イメージだともっと明かりの入るガラス部分が大きくて、他の部分が小さいと思ったのだけれど。
「持ってて爆発するのは嫌でしょぉ。明かりは小さいけど安全なやつなのよぉ」
「へぇ……」
「オオカミくんがいれば問題ないと思うけど、明かりがあったほうが落ち着くでしょう?」
「……確かに」
お腹の前で暖かくオレンジ色の光はどこか部屋の豆電球を彷彿とさせる。
「さぁお家へおかえりなさい」
熊はわたしの背中をポンポンと叩く。
「いい? 狼さん一度だけ教えるわねぇ」
「おうおう、どこまでおおくりすりやいいんだい?」
生理的欲求が満たされて上機嫌なオオカミが調子良く聞く。
「ここからまっすぐ歩いて、あの扉を出て」
「ふんふん」
「あなたの鼻を頼りにするわ」
「まかせろぉ!」
「いい子ねぇ。森に出たら、あなたの大好物の匂いがする方へ歩いて行くのよ。おそらく真っ直ぐ進めるわ」
「おおぅ。ついたらまたごちそうかぁ?」
嬉しそうにオオカミが尻尾を振る。
「それはその子のパパに聞くのねぇ」
うさぎを見て熊が言う。
「ぱぱのもとまでかえれたら、おねだりしてあげる!」
器用に立つうさぎは右手で胸をぽんと叩き「まかせて」とオオカミに意気込む。
案外このうさぎ、ずるい子ね……。
「おおうおおう! じゃあはやくかえろぅ!」
「おおかみさん、おおかみさん! せなかのっていい?」
「いいぞ!」
うさぎがぴょんと狼の背にまたがる。
やっぱりこのうさぎ、蓮子じゃない?
「じゃあ帰りましょ」
「うん!」
「おおぅ!」
早く行こうと言わんばかりにうさぎとオオカミが小屋の外に飛び出る。
「熊さんほんとに色々ありがとう」
わたしは頭を下げる。
「いいのよぉ。それに、まだ油断しちゃだめよぉ?」
「え? はい」
やはり森は危ないのだろうか。狼くんがいればなんとかなりそうな気がするけど。
「一応これをあげるわぁ」
ごそごそとエプロンの内側を漁り、何かを取り出すとそれを差し出してくる。
「これは?」
「スカラベのお守りよ」
飴玉ほどの透明な球体を受け取り、よく見てみると確かに虫の羽と目が掘られている。
「ありがとう熊さん」
「いいのよ。さ、お行きなさい」
わたしは再び頭を下げて熊の小屋を後にした。
◆
「うぅ、寒っ……!」
私は体を回転させてうつ伏せになり、枕がわりの座布団に顔を埋める。
ぼーっとしながらも、座布団下においた端末を右手で探し当て時刻を確認する。
「四時……。微妙な時間ね」
外からは雨がしとしととアスファルトを濡らす音が聞こえる。
一雨一度というものだろうか。暑いのは嫌なので、秋は歓迎するべき季節なのだが今日に限っては少し憎い。
暖房つけるか。いや、空気が乾燥するのも良くないかな。
「これだけ冷えると温泉とか入りたいわねぇ」
人工でも、天然でもどっちでもいい。今の季節の露天風呂はきっと気持ちいい。
あぁ、でも湯冷めするだろうか。流石に病み上がりのメリーには酷かもしれない。
治りきった頃合いを見て行くかな。
「あ、そういえばメリー」
少しは良くなっただろうか。
私は体を起こし、被っていた白のロングコートをそのまま羽織る。
右の膝をベッドに踏み出し、左膝を少し上げてゆっくりベッドに乗る。
タイミングがいいのか、寝相がいいのかメリーは天井を向いてすやすや眠っていた。
おでこの熱さまシートを剥がし、おでこに手を当てる。
「うん、下がってるわね」
ほっと胸を撫で下ろしているとメリーの口元がモゴモゴ動く。
うゆうゆと言葉にならない声が漏れてくる。
「夢でおしゃべりしてるのかしら?」
すこし可笑しくなって、
「どうしたの?」と訊くと、メリーはもぞもぞと体を動かして右に寝返りをうつと、少し顎と手を引いて
「……ほんとに色々とありがとう」
もにょもにょと彼女は言った。
「え?」
一瞬起きているんじゃないかと思い凝視する。
数十秒顔を見ているが、穏やかな表情は変わらない。
「なんてタイミングの寝言かしら……」
まぁ、穏やかな夢で良かったけどさ。
熱でうなされながら化け物と追いかけっこなんてしんどそうだし……。
「……いや、それはそれで面白いなぁ」
次風邪になったらメリーにお願いしてみよう。
「さて、もう一眠りしますか」
なんだか、あまり眠れていないのか疲れが取れてないし、目もゴロゴロするので結局二度寝を選択する。
端末のアラームをいくつかセットして、座布団に放って、羽織っていたコートを脱ぐ。
のろのろとベッドから降りて、先程までの寝床まで戻り、横になる。
そんなに長い時間離れていたわけではないのに座椅子はひんやりとしていた。
「うぅ……冷た」
メリーが来てから布団が狭いなぁなどと思っていたが、ちょっとだけ湯たんぽメリーが恋しく思えた。
◇
ずいぶん長いこと歩いた気がする。
はじめはほとんど視界がなく、オオカミさんに真横を歩いてもらっていた。偶においてかれて呼び戻したりしたが、今となっては二メートルくらいであればギリギリ見える。
今も大分先を歩かれているが、特に待ってもらうこともなくあとをついて行っているような状態だ。
「お、そろそろだぞぉ」
オオカミが足を止める。どうやらわたしを待ってくれるらしい。
「なにか見えたの?」
「うー、どっちかというとにくのにおいがかなりちかいってとこかぁ」
「なるほど……」
食事との距離で測っていたらしい。腹時計ならぬ鼻メジャーね。
「うさぎさん? うさぎさん? もう着くって」
オオカミの背中に捕まり、こっくらこっくら眠りこけるうさぎを撫でて起こす。
うさぎは、ばっと身を起こしてキョロキョロしだす。
「はっ! よくねた!」
このうさぎは大物だ。間違いない。
そんな確信を持ちながら、歩くこと数分。
高さが一メートルほどの建物群が見えてくる。
「あれ、え……。竪穴住居……?」
もっとメルヘンチックな住処だと思っていた……。
もっと、こう・・・・・・あるんじゃないかしら。西洋建築のオシャレな小屋が。
「かえってこれたぁ」
「おまえんちどこだぁ?」
「しっ。こえがおおきいよ。みんながおきちゃったらごちそうたべられなくなっちゃうよ?」
「おおぅ。きをつけるぅ」
「あ、あれおうち!」
うさぎが指差す方を見る。
「うわぁ、大きいわねぇ」
周りの三倍の高さはあるわらぶき屋根の家が佇んでいた。
さきほどいた熊の小屋よりも大きく、迫力がある。縄文時代の人間でもこのサイズは作らなかったのではないだろうか。
家の前まで着くと、うさぎはオオカミの背中から飛び降りて、大きな戸口に向かって走り出す。
「ぱぱただいま!」
ドアノッカーを三回鳴らしながら、うさぎが叫ぶ。
「うさぎよぉ。こえおおきくないかぁ?」
「だいじょうぶだいじょうぶ!」
かなり嬉しいようで、声のボリュームは下がっていない。
オオカミはげんなりしたようにしっぽを下げるだけで何も返さなかった。
しばらくすると、中からドシドシ音が近づいてくる。今回もビッグサイズの気配だ。
「おかえりマイガール! こんな時間までどこをほっつき歩いていたんだい?」
勢いよく開かれた戸の先にはちょび髭を生やした三メートル弱の大うさぎが立っていた。
「パパも大物なのねぇ」
わたしは思わず子うさぎに言った。
◇
パパうさぎに通された場所は、とても奇妙な部屋だった。
『マイガールとボクはちょっとしたもてなしの準備をするから君たちはくつろいでいたまえ』
と云ったきりうさぎ親子は戻ってきていない。
少し退屈になって、部屋を見て回ることにした。
雰囲気はどこか大正ロマンな室内は猫足の古びたチェストに、鳥かごのような照明。
木の床にはカフェオレ色の絨毯が引かれていて、中央には長方形の大きなガラステーブル、それを挟むようにアンティークな大きいローソファーが四席置かれている。
あの外観で、内装がこうなっているとは誰も思わないだろう。
何よりも、奇妙なのは部屋の最奥、雪見障子を隔てた先にあった。
「ねえ、このお家見た感じはガラス戸なんて無かったわよね」
「おぉ、なかったなぁ」
肉が待ち遠しいのか、入り口のふすまに張り付くような位置で座っているオオカミは気のない返事をした。
わたしはおかしな部屋を一通り堪能した後、一番下手の席着く。
しばらく待っていると、ふすまの方から砂糖と醤油が煮立ったようなにおいがしてくる。
はてさて、なにが出てくるのかしら。
「紅茶にクッキーじゃないことは確かね」
籠に閉じ込められた明かりをぬぼーっと見ながら、独り言つ。
熊からもらったリビアングラスのスカラベを手の中で転がすこと五分くらい。
廊下から、ドシドシと足音がしたかと思うと背後のふすまが開かれる。
「やぁ! お待たせ! 待ったかい?」
「おねえさん! おおかみさん! ごはんですよっ。わ、おおかみさんおとしちゃうからはなれてぇ」
「にく! にく!」
「はっはっは! さすがは我が盟友の息子だな。あいつに負けないぐらいの食欲だ。そら、たべなさい」
「うおぉ! にぃく!にぃく!」
背後で床に肉が落ちる音がしたかと思うと、すぐに咀嚼音と喉が鳴る音が聞こえ始める。
座っているのも失礼だと思い、準備を手伝うため立ち上がろうと前のめりになったちょうどそのときテーブルの横にうさぎが来て
「あ、おねえさんはすわってて・・・・・・お、おもぃ」
よろよろとしながらカセットコンロと切られた野菜の入った籠を置く。
「ふぅ・・・・・・」
「お疲れうさぎさん」
とねぎらうと、足元に寄ってきて頬をスリスリとこすりつけてきたので、指をたてて上から下に背を撫でてやる。
「えへへ・・・・・・ありがとぉ」
ルビー色の目を細めながら、身体全体を足にこすりつけてくる。
「こらこら、マイガール。物事には順序があるんだよ? さ、食事の準備だ」
「あ、はーい」
「すまないね、躾がなっていなくて」
「いえ、全然」
とことこと子ウサギが配膳をし、パパうさぎがカセットコンロに鍋を置き火をつける。
中にはすでに火が通った状態の肉、野菜、キノコが茶色い液体につかっていた。
「すき焼きはお好きかね?」
合成ではないお肉を見ながら唇を噛みしめ、わたしは縦に首を振った。
◇
「あぁ・・・・・・地獄だわ・・・・・・」
「ん? 何か言ったかね?」
パパうさぎが頬を上気させながら訊いてくる。テーブルの上にはキリンが描かれた茶色い空の酒瓶が数本ある。
だいぶ酔っているらしく、少しとろりとした目でこちらを見ていた。
「あ、いえ特に」
どれくらい時間が経っただろうか。
コンロの火とうさぎ親子の顔を見ながら、やれ君の名前はだの、やれうちの子はだのとおしゃべりに付き合い、すき焼きを”食べる振り”をする。
目の前には美味しそうな肉がどんどん足されて赤から茶色に変わっていき、それをうさぎ親子が美味しそうに食べていく。
食べたら、吐くとわかっていて食べるなんてことはできず、かといって出された料理を食べないこともできない時間は地獄といっても過言では無い。
「食べないのかね?」と最初は訊いてきたパパうさぎはお酒の力で朧気になっているため後者の葛藤はなくなったが、前者はまだ続いていた。
食べる振りをしながら、オオカミさんの口にとりわけた具を全て入れる作業は、さながら賽の河原で石積みを行っているようだ。
目の前では、パパうさぎが子うさぎの苦労話をしている。
「さすがに耐えられないわねぇ・・・・・・」
あの熊さんが変なものを食べさせなければ、新鮮なお肉を楽しめたのになぁ。
「おねえさん、おねえさん。もうお腹いっぱい?」
手が止まっていたのか、子うさぎが訊いてくる。
「うーん、”もうお腹いっぱいね”」
というとそわそわしながらパパうさぎに向かって「だって! ぱぱ!」と興奮気味に叫ぶ。
「ん? おお、もう満足なのかね?」
「そうみたい! ね!」
「えぇ、まぁ。ご馳走さまでした」
「うんうん。よく食べてくれたみたいだね。ご馳走した甲斐があったよ」
満足げにパパうさぎがいう。
「ねぇ、ぱぱ。あのことおねがいしてよ」
「おぉ、そうだったね。 メリーくんだったかな」
「はい」
「どうかね? うちのマイガールと交尾しないかい?」
「はい?」
思わず、パパうさぎの顔を見る。今何かとんでもないことを言わなかったかしら?
「ん? わからないかね? うちの娘と子作りをしないかと言っているのだよ。おわかりかな」
さっぱりわからない。
「あのお父さん? だいぶ飲み過ぎて混乱しているのですか? わたし人間で雌なのだけれど・・・・・・」
「ふむ、種族と性別か、別になにか問題になることでも?」
「そうだよおねえさん!」
子うさぎが腕に抱きつき身体をこすりつけてくる。
「いや、大問題だとおもいますよ? それに私、帰らないと・・・・・・」
「君の世界にかね?」
「ええ」
「残念だが、君は帰れないよ」
笑みを浮かべて親うさぎが告げる。
「だって君、”食べて”しまったのだろう? すき焼きを」
「おねえさん。ごめんね! でもどうしてもおねえさんがほしかったの」
全身を揺すりながら子うさぎは無邪気な顔を向けてくる。
「君も訊いたことはあるんじゃ無いのかな? よもつへぐいを」
わたしはそこで理解した。どうやら子うさぎを送り届けるつもりが、黄泉まで下ってしまったらしい。
背筋がすーっと寒くなる。食べていたら目が覚めなかったなんて洒落にもならないわ。
幸い熊のおかげで"食べそびれた"ため最悪の事態は避けられたけど、それでもこれはピンチかしら。
「騙してしまって申し訳ないとは思ったんだがね、娘がどうしてもというものだから」
「ねえ、おねえさん。わたしのこときらい?」
子うさぎが帽子の下から熱っぽい視線を向けてくる。
「わたしおねえさんだいすき! おおかみさんにおわれたときかかえてにげてくれたし、おうちまでおくってもくれた。だいすき!」
目の前の赤い目は爛々と輝きながらわたしの目を犯してくる。
だいぶ理性が飛んでしまっているようだ。あれほど無邪気だった子うさぎの変貌に胃がきゅっとしまる。
帰らなきゃ。悟られる前に。
「ねえうさぎさん」
「なにおねえさん?」
「あなたの目。赤くて澄んでいてルビーみたいできれいね」
うさぎの目をのぞき込みながら、ささやくように言う。
「わぁ! ありがとう!」
「だから、素敵な子きっと見つかるわ」
私は腰を震わせる子ウサギを持ち上げながら立ち上がり、パパうさぎへ一歩踏み出す。
「寝室は君の後ろにあるふすまを出て左にある、ごゆっくり」
お別れの言葉が聞こえなかったのかパパうさぎが的外れなことをいうので、膝に娘を置いてやり私は駆け出す。
雪見障子を右手で払い、ガラス戸を開けて外に飛び出した。
◆
ピピピピピっ!ピピピピピっ!
アラームの音がする。
「やかましい・・・・・・」
安眠を妨害する端末を黙らせようとうつ伏せになり、座布団の下を漁る。
「やばっ・・・・・・!」
見ると遅刻ボーダーギリギリの八時三十のアラームだった。
「うー、でも眠い・・・・・・」
座布団に顔を埋めながらぼんやり目を閉じる。
あと五分したら起きるかな、などと考えていると、突然背中に衝撃が走る。
「ぐえっ」
カエルが潰されたときのような声が出た。
どうやら湯たんぽが落ちてきたらしい。
「おはよう、いやお帰りかしらメリーさん」
顔を座布団から逃がし、背中の重りに言う。
「ただいま、蓮子」
そう言うと上から降りてくれる。
「ずいぶんダイナミックなご帰還ね」
ちょっと皮肉を込めながら言いつつ、彼女の方を振り向き起き上がる。
「・・・・・・ねえ蓮子」
「ん? なに? 看病のお礼?」
「いえ、それよりも大事なこと」
メリーが私の目尻に触れ笑みを浮かべる。
「なんか今日のあなたの目、赤くていつにも増して気持ち悪いわ」
「・・・・・・」
私は笑みを返しながら、彼女のおでこに力一杯のデコピンをくらわせた。
◆
メリーの風邪が治った翌日の夜。私達は"温玉野菜"ですき焼きを食べていた。
雨が降っていて帰れなかったところメリーが迎えに来てくれたお礼と称して外食を提案したところ、
メリーが「すき焼きが食べたい」と云ったためこのチョイスとなった。
「へぇ、あなたの寝言からして珍しく安穏で剣呑さのかけらも無い夢だと思っていたのだけれど」
私は醤油と砂糖の混ざった茶色い液体の中で、肉が染まっていくのを眺めながらメリーのお土産、リビンググラスのスカラベをもてあそぶ。
「珍しく神も仏も関係なかったけどね」
「純粋に死にかけてたんじゃない?」
「ちょっと・・・・・・さらっと怖いこと言わないでよ」
溶いた卵の入った皿に具を取り分けながら、メリーは苦笑した。
「まぁ、存外一回くらいは死んでも良かったんじゃ無い?」
「ひど・・・・・・。あなたねぇ・・・・・・まだ根に持ってるの?」
「起き抜けに云われた『なんか今日のあなたの目、赤くていつにも増して気持ち悪いわ』のこと? 別に気にしてないけど」
「ほんとにぃ?」
ちょっと意地の悪い笑みでこちらを見てくるので、
「ほんとほんと。九割九分九厘」と返すと、
「一厘あるじゃない」と彼女は笑った。
「まぁ、でもさっきのは割と冗談じゃ無くてさ」
「なに? やっぱり根に持ってるってことかしら?」
「いや、そっちじゃ無くて」取り分けてもらった合成椎茸を食らいながら苦い笑みを向ける。
「じゃあ何?」
「熊のくれたお土産のこと」
「ガラスのスカラベ?」
「そう。知らない? スカラベって復活の象徴なのよ?」
「へぇじゃあ一回ぐらいなら平気ね・・・・・・って思わないわよ?」
冗談っぽく怒るメリー。
「その合成じゃ無い肉を見て吐き気に打ち勝ち食べていたら、このお土産も無かったかもね」
「身代わりアイテム的な? まさか、RPGじゃあるまいし」
「それにしてもメリー、さっきから肉ばかり食べ過ぎじゃない?」
「夢でお預け食らった分ね」
「私野菜ばっかりなのですがね、メリーさん」
「あなたもお預けをくらう気持ちを思い知るが良いわ」
くっくっくと悪代官のような笑い方の彼女をみながら、私はため息をつく。
「すいません、一番良いお肉二人前」
追加注文をするのに時間はかからなかった。
面白かったです。
よもつへぐいのところもよかったけど、展開がちょっと唐突?