なんとなく人里をぶらぶらしながら、守矢神社の風祝で現人神である東風谷早苗はこう考えていた。そろそろ人里でお祭りがある。屋台がいっぱい出るだろう。私たちもなにか出店しても面白いかもしれない。信仰はほどほどに集まっているが、信仰だけでは生きていけない。ちょっと風が冷たくなってきている。この頃は夏から秋になるとすぐに涼しくなってしまうし、お日様はつるべ落としだ、と。まして彼女の住む山の上の寒さときたら。
そうだ、カエルの唐揚げなんて出してみるのはどうだろう、と早苗はまた考えた。日本ではあんまり食べないが、外国ではご馳走らしい。……でも、諏訪子様のことを考えると、あまり気分のいいものではない。別にカエルの神様というわけではないが……というよりも、諏訪子様を思い出してその発想に至ったのが失礼な気がした。それに珍しいかもしれないが、珍しさだけではたして売れるのだろうか……そもそも食用とその辺にいるカエルとは種類が違うという話も……。どうもいけない、考えがおかしな方向に行っている。悪い傾向だ。
ひとまずお祭りのことは忘れよう。早苗が今日、人里に来たのは冬服を買うためなのだ。おしゃれであればなおよし。なにしろ脇を出してるこの巫女服は冬はたまらないほどに寒い。伝統とか格式とかはともかく着てる側としてはつらい。博麗の巫女さんはどうなのだろうか。気にしてなさそうな感じもする。気にしないで済む話なのかどうなのか早苗にはわからないが。
そんなわけで早苗は里の服屋に来てそれはもうたいそう長い時間をかけて良さそうな服を何着も買い込んだ。自分のものだけでなく、神奈子や諏訪子のぶんも。お金を払って店を出た途端、ああそうだと早苗は思い出した。このためにお金を稼ぐことを考えていたのだった。妖怪の山にある守矢神社にはあまり人間が参拝してくれない。
とはいえ、実をいうと最近、飛べない人間用のロープウェイが完成したので、金銭問題は現在進行系でだんだんと解決しつつある。結果的に人間と妖怪との距離が近づいてきているようでもある。それがいいことなのかどうかというと、あまりよくないようではある。
日が傾いてきた。普通に飛んで帰るのは寒すぎるので、早速買ったばかりでほやほやの上着を着ている。なにかこれだと巫女服が隠れてしまうから、自分の個性がなくなってしまっているのではと早苗は心配した。だが、その程度で隠れるような個性はしていない。
「只今戻りました~」
早苗が家に戻った頃にはもう薄暗くなっていた。そしてお腹はペコペコだ。不思議なことに、誰がやったのかわからないが食事の用意ができている。早苗が家にいれば早苗が料理をするのだが、いなかった時はなぜかいつの間にか完成した料理ができているのだ。それは魔法か、神徳か。そもそもいったい神様が日常生活を送っている場面を人に見せたりするものだろうか? ……でも、神様もご飯は食べるのだ。お酒も飲む。それは、楽しみだから。楽しみにしてるんだからしょうがない。
「早苗、おかえり。もう食事にするから、手を洗ってきなさい」
八坂神奈子がそう言った。温かいご飯とお味噌汁になんだかよくわからない肉と草。
「わあ、私の大好物です」
有り体に言えばなんでも大好物なのだった。
小さい頃は仲良く家族で隣り合って寝ていた。しかしいつだったかに早苗は自らがもう大人であると主張し、自分の部屋を得て、一人で寝るようになった。それはいいのだが、時々怖いと感じることがある。なにしろここは妖怪の山なのだ。おばけなんて信じていないよ、とはとても言える状況ではない。今日はことのほか風が強い。雨は降っていないが、木の葉がさわさわとこすれる音が早苗の不安をいやが上にもあおってくる。布団に潜り込みながら彼女は考えた。
(これはあの天狗の仕業ですね。そう、あの……なんとかっていう……風を操る能力の!)
実際そうだと思っているわけではないが、どんなものでも原因を突き止めたと思ったらなんとなく安心する。明日退治してやろうかなどと考えながら、色々と計画をねっていると、いつの間にか眠れていた。
朝起きるといつも文々。新聞が新聞受けに入っている。新聞が新聞受けに入ってるのは当たり前なのだが、いったいいつ入れられているのかさっぱりわからないのが問題だ。一言挨拶でもしてやろうと早苗が思っても、どれほど早く起きてもすでに入っている。となると、もうこれはまだ夜も明けてないうちから来ているとしか考えられない。あるいは来ていないのかもしれない。風に任せてぶん投げている可能性もある。そりゃ、風を操ったら百発百中に違いない。だけどそれって結構な風の勢いが必要そうだから、そういうのが早苗の安眠を妨害しているのかもしれない。なんにしても天狗のやることだから油断できないことだ。そういうわけで新聞は毎日読んでいるのに配達員に会うことがないのである。まるで恐怖新聞だが、ただ、内容自体はお祭りのこととか、子供が転んだとか、平和なことが書いてある。
新聞を回収した早苗が家の中に戻ると、諏訪子が気の早いことでこたつを出し始めていた。
「あら、もう出されるんですか?」
「うん、だって風が強いじゃない。もう寒いからさ」
と諏訪子は小さな体で大きなこたつを設置しながらそれに答える。
「せっかく昨日冬服を買ってきたんですから、まずはそちらで対応してくれれば……」
「そっちもありがたく着させてもらうけど、まあ固いこと言わないで。こっちはこたつを出したいんだよ。神の賜物だよこたつは」
神様に言われてしまってはしょうがない。早苗自身もこたつが嫌いなわけではない。というよりも嫌いな人はいるのだろうか? まあ、根が生えてしまっては少し困る。
日が差してくるとにわかに暖かくなって気持ちがいい。ふんふんと鼻歌を歌いながら、早苗は山を降りた。昼間に悪い妖怪が出てくれば弾幕ごっこで退治するのも楽しいだろうと思うのだが、残念ながら悪い妖怪というのはたいてい夜に出てくるものだ。山の夜は寒すぎてあまり出歩きたくない。いっそ昼に出てきてくれたら悪い妖怪じゃなくても退治してみたい。
川のそばで鍵山雛を発見した。厄神様だ。厄を集めてどこかに捨ててくれるとってもありがたい存在なので、それを退治するとか倒しちゃうなんてことをするような非常識というか恩知らずなことは早苗はするはずがない。初めからそんな選択肢は入っていないので穏便に挨拶をしてみる。
「こんにちは」
早苗が頭を下げると、雛も頭を優雅に下げ返した。
「こんにちは。でも今の私に近づかない方がいいよ。いい感じに厄が溜まってるから」
「あっそうですか、失礼します」
聞いた早苗のその逃げ足は素早かった。
「やれやれ、まったく冷や汗をかきますね」
独り言を言いながら彼女は人里に来た。今日は特に用事があるわけでもない。ふと、甘いものでも食べようとした時、外の世界で流行ってる甘味があるとかいうのを風のうわさで聞いたのを思い出した。
(なんでしたっけ……食感が面白いあれです。タ……タがついたような。タコ……じゃない。そうそう、ナタ・デ・ココだ。こういうのは何年かおきに定期的に流行る気がしますね)
おや、と早苗は気がついた。金髪の魔法使い、霧雨魔理沙が街角の影に隠れているのだ。
「魔理沙さん、どうしたんですか、珍しいですね、こんなところで」
しーっと彼女は口の前に指を立てた。目立ちたくないらしい。
「ちょっとお祭りの準備を見に来ただけなんだ。人里には会いたくない相手がいるんだよ」
「そうなんですか?」
早苗にはよくわからなかったが、家出少女たる魔理沙だから、なんだかんだ事情があるのだろう。それだというのに、賑やかなことが大好きな彼女はそれを見に来てしまったのだ。その気になれば変装もできるだろうが。いや、今の魔理沙の姿そのものがすでに変装なのかもしれなかった。
早苗は魔理沙と一言二言話しただけで別れた。彼女はこの先どうするのだろう。病気にでもなったら……人里から遠く離れた家で、一人ぼっちだ。まあ、なんだかんだで交友関係の広い彼女ならどうにかなるかもしれない。うっかりすると彼女のやっている研究が実って人間を捨ててしまう方が早いのかもしれないな、と早苗は考えた。
「あの人の髪、緑色で変なのー」
寺子屋が終わったらしく、子供たちが遊びながら走っている。早苗は運悪くその途中に捕まってしまったようだ。人のことを変だなんて言ってはいけませんよ、と言おうとしたが、とっさにうまく言えなかった。自分に向かって指をさすその指を捕まえてぎゅっとつねってやろうかとも思ったが、あまりにも小さい子供なので断念した。(まあいいでしょう。ここは大きく構えて大人の対応を見せるべき)と、要するに無視するべく早苗が心を決めた時だった。
「こら、お前たち、失礼なことを言うな。謝りなさい!」
子供たちが後から追いかけてきた藤原妹紅に怒られると、怒られたその子が丁寧に頭を下げて謝った。
「ごめんなさい」
いいんですよと大人ぶって早苗が手をふると、子供たちは笑い声を残してあちこちへ散っていった。それを見送ると妹紅と二人きり取り残されてしまって少し気まずい。
「妹紅さん。妹紅さんは寺子屋のお仕事をされているのですか?」
と早苗はそちらに向き直りつつ言った。
「仕事ってんじゃないけど」なぜか照れながら妹紅は答えた。「個人的に慧音の手伝いをしてるだけだよ。小さい子供が多いっていうのはそれだけでもう大変だからね」
子供が多いというのは少ないよりはいいことだ。だが、そんな調子で人口が増え続けたら人が結界の中をギュウギュウ詰めになってそのうち決壊してしまうんじゃないのか。と早苗は疑問に思った。ただでさえ近年おかしな妖怪たちが増えているのに大丈夫なんだろうか、と自分を棚に上げて心配を始めた。
(いやいや、私たちは神ですから、幻想郷にいい影響しか与えていないはずです!)
「……どうした? 考え事でもしてるのか?」
妹紅が早苗の顔を心配そうに覗き込んだ。
「いえいえ、たいしたことはありません。ちょっと、ええ、余計なことを考えてただけですから」
ニコリと早苗は笑い、会話はほどほどにして、立ち去ろうと挨拶をして、したところで思い出すことがあり立ち止まった。
「あ、そうだ、妹紅さんたちは、お祭りに参加するんですか?」
「ああ、するよ、いや私はしないけど。子供たちに小さなお神輿を担がせるんだ。練習もしているところだよ、なかなか威勢がいいから、当日は見に来ておくれな」
妹紅は千年以上も生きている特別な人間の割に、まるで普通の人間のように人生を楽しんでいて、その姿勢は羨ましく感じられる。早苗などは少し日常を持て余しているところがないではない。何しろ刺激の多い外の世界からやってきたのだ。テレビすらない幻想郷はおとなしく過ごすには退屈すぎる。だからこそ、毎日出歩いて色んな人や妖怪と出会わなくては面白くない。
お祭りの当日になった。早苗は起きて朝食をとる。
「早苗ー、最近よく人里に出かけてるね。そんなに面白いことがあるの?」
一緒に食べ終わった諏訪子がこたつに入ってぬくぬくしながら尋ねる。その隣には神奈子もいて実に平和に浸りきった様子で二人を見つめている。
「いいえ、別になんにも。というより何かないかと思って出かけているんですけどね」と早苗は答えた。
色々話を聞いてはいるものの、彼女からするとあまりお祭りは楽しみではない。別にそんな大したものじゃないだろう。それこそ早苗の知っているお祭り、死者すら出るほどに激しいものと比べるとだいぶおとなしいものだ。それなら弾幕ごっこの方が楽しいと思う。ただ、安心して気楽に楽しめる良さはあるかもしれない。見物するぐらいなら悪くはない。
「よかったら、諏訪子様も行かれますか?」
空になった皿を洗いながら早苗は聞いた。
「うーん」ちょっと顎に手を当て考えるふうを見せながらも、特に悩まずに諏訪子は答えた。「いや、いいよ。神がわざわざよそのお祭りを見に行くこともない。気を使わせても悪いしね」
「人里のなんの神様を祀ってるんでしょうね」
「さあ、よく知らないな。昔からいる神なんだと思うよ。博麗神社とも違う、幻想郷の人里の、街の一角を守ってきた神だよ」
それこそ八百万の神々がいるのだから、何もかもわかるわけではない。縄張りとかいうわけではないが、お互いの守護する土地に干渉しないという決め事らしきものもあった。基本的に神奈子や諏訪子が関わるのは守矢神社とそこに来た人に対してだけであって、その外にあまり手を出すとあれこれと面倒なことになる。何しろここは幻想郷だから、すべてを受け入れ、尊重しなくてはならない。
「神奈子様は今日はどちらかへ行かれるのですか?」
「私? 私はお祭りを見に行くよ」
早苗が尋ねると、平然とそんな答えが帰ってきたので軽くずっこけてしまった。
「早苗も一緒に行くかい?」
「そうですね、行きましょうか」
「やめた方がいいんじゃないの」諏訪子が口を挟んだ。「神が二人も揃ってきたら主役を食っちまうよ。ただでさえ神奈子なんて目立つんだからさ」
「私の格好が珍妙だって?」笑いながら神奈子は言った。
「そんなことは言ってない」ぶすっと不機嫌そうに諏訪子は答えた。
「そうかね。まあそこは目立たないようにするさ。でも、確かに一緒に行くのはよした方がいいか……残念だなぁ早苗」
「私は後から行きますから、いいですよ。妹紅さんの子供たちが神輿を担ぐとこだけ見られればいいかなって思ってるので」
「妹紅って、藤原妹紅? 子供がいたんだ」
神奈子が驚いて聞いた。
「え、ああ、そういう意味では……寺子屋の子供たちという意味でした。すみません」
大真面目に謝ってしまった早苗だったが、ともかくそんな感じでお互いの予定が決まっていった。
お昼過ぎ、早苗が人里についたら、ちょうど表通りで村人が応援する前を、わっしょいわっしょいと担がれた子供用の小さな神輿が元気よく通り過ぎていくのを見ることができた。遠ざかってもその声がどこまでも聴こえて、特別なその日に胸が熱くなるのを感じる。それは神輿が大きくても小さくても変わらなかった。
そうだ、カエルの唐揚げなんて出してみるのはどうだろう、と早苗はまた考えた。日本ではあんまり食べないが、外国ではご馳走らしい。……でも、諏訪子様のことを考えると、あまり気分のいいものではない。別にカエルの神様というわけではないが……というよりも、諏訪子様を思い出してその発想に至ったのが失礼な気がした。それに珍しいかもしれないが、珍しさだけではたして売れるのだろうか……そもそも食用とその辺にいるカエルとは種類が違うという話も……。どうもいけない、考えがおかしな方向に行っている。悪い傾向だ。
ひとまずお祭りのことは忘れよう。早苗が今日、人里に来たのは冬服を買うためなのだ。おしゃれであればなおよし。なにしろ脇を出してるこの巫女服は冬はたまらないほどに寒い。伝統とか格式とかはともかく着てる側としてはつらい。博麗の巫女さんはどうなのだろうか。気にしてなさそうな感じもする。気にしないで済む話なのかどうなのか早苗にはわからないが。
そんなわけで早苗は里の服屋に来てそれはもうたいそう長い時間をかけて良さそうな服を何着も買い込んだ。自分のものだけでなく、神奈子や諏訪子のぶんも。お金を払って店を出た途端、ああそうだと早苗は思い出した。このためにお金を稼ぐことを考えていたのだった。妖怪の山にある守矢神社にはあまり人間が参拝してくれない。
とはいえ、実をいうと最近、飛べない人間用のロープウェイが完成したので、金銭問題は現在進行系でだんだんと解決しつつある。結果的に人間と妖怪との距離が近づいてきているようでもある。それがいいことなのかどうかというと、あまりよくないようではある。
日が傾いてきた。普通に飛んで帰るのは寒すぎるので、早速買ったばかりでほやほやの上着を着ている。なにかこれだと巫女服が隠れてしまうから、自分の個性がなくなってしまっているのではと早苗は心配した。だが、その程度で隠れるような個性はしていない。
「只今戻りました~」
早苗が家に戻った頃にはもう薄暗くなっていた。そしてお腹はペコペコだ。不思議なことに、誰がやったのかわからないが食事の用意ができている。早苗が家にいれば早苗が料理をするのだが、いなかった時はなぜかいつの間にか完成した料理ができているのだ。それは魔法か、神徳か。そもそもいったい神様が日常生活を送っている場面を人に見せたりするものだろうか? ……でも、神様もご飯は食べるのだ。お酒も飲む。それは、楽しみだから。楽しみにしてるんだからしょうがない。
「早苗、おかえり。もう食事にするから、手を洗ってきなさい」
八坂神奈子がそう言った。温かいご飯とお味噌汁になんだかよくわからない肉と草。
「わあ、私の大好物です」
有り体に言えばなんでも大好物なのだった。
小さい頃は仲良く家族で隣り合って寝ていた。しかしいつだったかに早苗は自らがもう大人であると主張し、自分の部屋を得て、一人で寝るようになった。それはいいのだが、時々怖いと感じることがある。なにしろここは妖怪の山なのだ。おばけなんて信じていないよ、とはとても言える状況ではない。今日はことのほか風が強い。雨は降っていないが、木の葉がさわさわとこすれる音が早苗の不安をいやが上にもあおってくる。布団に潜り込みながら彼女は考えた。
(これはあの天狗の仕業ですね。そう、あの……なんとかっていう……風を操る能力の!)
実際そうだと思っているわけではないが、どんなものでも原因を突き止めたと思ったらなんとなく安心する。明日退治してやろうかなどと考えながら、色々と計画をねっていると、いつの間にか眠れていた。
朝起きるといつも文々。新聞が新聞受けに入っている。新聞が新聞受けに入ってるのは当たり前なのだが、いったいいつ入れられているのかさっぱりわからないのが問題だ。一言挨拶でもしてやろうと早苗が思っても、どれほど早く起きてもすでに入っている。となると、もうこれはまだ夜も明けてないうちから来ているとしか考えられない。あるいは来ていないのかもしれない。風に任せてぶん投げている可能性もある。そりゃ、風を操ったら百発百中に違いない。だけどそれって結構な風の勢いが必要そうだから、そういうのが早苗の安眠を妨害しているのかもしれない。なんにしても天狗のやることだから油断できないことだ。そういうわけで新聞は毎日読んでいるのに配達員に会うことがないのである。まるで恐怖新聞だが、ただ、内容自体はお祭りのこととか、子供が転んだとか、平和なことが書いてある。
新聞を回収した早苗が家の中に戻ると、諏訪子が気の早いことでこたつを出し始めていた。
「あら、もう出されるんですか?」
「うん、だって風が強いじゃない。もう寒いからさ」
と諏訪子は小さな体で大きなこたつを設置しながらそれに答える。
「せっかく昨日冬服を買ってきたんですから、まずはそちらで対応してくれれば……」
「そっちもありがたく着させてもらうけど、まあ固いこと言わないで。こっちはこたつを出したいんだよ。神の賜物だよこたつは」
神様に言われてしまってはしょうがない。早苗自身もこたつが嫌いなわけではない。というよりも嫌いな人はいるのだろうか? まあ、根が生えてしまっては少し困る。
日が差してくるとにわかに暖かくなって気持ちがいい。ふんふんと鼻歌を歌いながら、早苗は山を降りた。昼間に悪い妖怪が出てくれば弾幕ごっこで退治するのも楽しいだろうと思うのだが、残念ながら悪い妖怪というのはたいてい夜に出てくるものだ。山の夜は寒すぎてあまり出歩きたくない。いっそ昼に出てきてくれたら悪い妖怪じゃなくても退治してみたい。
川のそばで鍵山雛を発見した。厄神様だ。厄を集めてどこかに捨ててくれるとってもありがたい存在なので、それを退治するとか倒しちゃうなんてことをするような非常識というか恩知らずなことは早苗はするはずがない。初めからそんな選択肢は入っていないので穏便に挨拶をしてみる。
「こんにちは」
早苗が頭を下げると、雛も頭を優雅に下げ返した。
「こんにちは。でも今の私に近づかない方がいいよ。いい感じに厄が溜まってるから」
「あっそうですか、失礼します」
聞いた早苗のその逃げ足は素早かった。
「やれやれ、まったく冷や汗をかきますね」
独り言を言いながら彼女は人里に来た。今日は特に用事があるわけでもない。ふと、甘いものでも食べようとした時、外の世界で流行ってる甘味があるとかいうのを風のうわさで聞いたのを思い出した。
(なんでしたっけ……食感が面白いあれです。タ……タがついたような。タコ……じゃない。そうそう、ナタ・デ・ココだ。こういうのは何年かおきに定期的に流行る気がしますね)
おや、と早苗は気がついた。金髪の魔法使い、霧雨魔理沙が街角の影に隠れているのだ。
「魔理沙さん、どうしたんですか、珍しいですね、こんなところで」
しーっと彼女は口の前に指を立てた。目立ちたくないらしい。
「ちょっとお祭りの準備を見に来ただけなんだ。人里には会いたくない相手がいるんだよ」
「そうなんですか?」
早苗にはよくわからなかったが、家出少女たる魔理沙だから、なんだかんだ事情があるのだろう。それだというのに、賑やかなことが大好きな彼女はそれを見に来てしまったのだ。その気になれば変装もできるだろうが。いや、今の魔理沙の姿そのものがすでに変装なのかもしれなかった。
早苗は魔理沙と一言二言話しただけで別れた。彼女はこの先どうするのだろう。病気にでもなったら……人里から遠く離れた家で、一人ぼっちだ。まあ、なんだかんだで交友関係の広い彼女ならどうにかなるかもしれない。うっかりすると彼女のやっている研究が実って人間を捨ててしまう方が早いのかもしれないな、と早苗は考えた。
「あの人の髪、緑色で変なのー」
寺子屋が終わったらしく、子供たちが遊びながら走っている。早苗は運悪くその途中に捕まってしまったようだ。人のことを変だなんて言ってはいけませんよ、と言おうとしたが、とっさにうまく言えなかった。自分に向かって指をさすその指を捕まえてぎゅっとつねってやろうかとも思ったが、あまりにも小さい子供なので断念した。(まあいいでしょう。ここは大きく構えて大人の対応を見せるべき)と、要するに無視するべく早苗が心を決めた時だった。
「こら、お前たち、失礼なことを言うな。謝りなさい!」
子供たちが後から追いかけてきた藤原妹紅に怒られると、怒られたその子が丁寧に頭を下げて謝った。
「ごめんなさい」
いいんですよと大人ぶって早苗が手をふると、子供たちは笑い声を残してあちこちへ散っていった。それを見送ると妹紅と二人きり取り残されてしまって少し気まずい。
「妹紅さん。妹紅さんは寺子屋のお仕事をされているのですか?」
と早苗はそちらに向き直りつつ言った。
「仕事ってんじゃないけど」なぜか照れながら妹紅は答えた。「個人的に慧音の手伝いをしてるだけだよ。小さい子供が多いっていうのはそれだけでもう大変だからね」
子供が多いというのは少ないよりはいいことだ。だが、そんな調子で人口が増え続けたら人が結界の中をギュウギュウ詰めになってそのうち決壊してしまうんじゃないのか。と早苗は疑問に思った。ただでさえ近年おかしな妖怪たちが増えているのに大丈夫なんだろうか、と自分を棚に上げて心配を始めた。
(いやいや、私たちは神ですから、幻想郷にいい影響しか与えていないはずです!)
「……どうした? 考え事でもしてるのか?」
妹紅が早苗の顔を心配そうに覗き込んだ。
「いえいえ、たいしたことはありません。ちょっと、ええ、余計なことを考えてただけですから」
ニコリと早苗は笑い、会話はほどほどにして、立ち去ろうと挨拶をして、したところで思い出すことがあり立ち止まった。
「あ、そうだ、妹紅さんたちは、お祭りに参加するんですか?」
「ああ、するよ、いや私はしないけど。子供たちに小さなお神輿を担がせるんだ。練習もしているところだよ、なかなか威勢がいいから、当日は見に来ておくれな」
妹紅は千年以上も生きている特別な人間の割に、まるで普通の人間のように人生を楽しんでいて、その姿勢は羨ましく感じられる。早苗などは少し日常を持て余しているところがないではない。何しろ刺激の多い外の世界からやってきたのだ。テレビすらない幻想郷はおとなしく過ごすには退屈すぎる。だからこそ、毎日出歩いて色んな人や妖怪と出会わなくては面白くない。
お祭りの当日になった。早苗は起きて朝食をとる。
「早苗ー、最近よく人里に出かけてるね。そんなに面白いことがあるの?」
一緒に食べ終わった諏訪子がこたつに入ってぬくぬくしながら尋ねる。その隣には神奈子もいて実に平和に浸りきった様子で二人を見つめている。
「いいえ、別になんにも。というより何かないかと思って出かけているんですけどね」と早苗は答えた。
色々話を聞いてはいるものの、彼女からするとあまりお祭りは楽しみではない。別にそんな大したものじゃないだろう。それこそ早苗の知っているお祭り、死者すら出るほどに激しいものと比べるとだいぶおとなしいものだ。それなら弾幕ごっこの方が楽しいと思う。ただ、安心して気楽に楽しめる良さはあるかもしれない。見物するぐらいなら悪くはない。
「よかったら、諏訪子様も行かれますか?」
空になった皿を洗いながら早苗は聞いた。
「うーん」ちょっと顎に手を当て考えるふうを見せながらも、特に悩まずに諏訪子は答えた。「いや、いいよ。神がわざわざよそのお祭りを見に行くこともない。気を使わせても悪いしね」
「人里のなんの神様を祀ってるんでしょうね」
「さあ、よく知らないな。昔からいる神なんだと思うよ。博麗神社とも違う、幻想郷の人里の、街の一角を守ってきた神だよ」
それこそ八百万の神々がいるのだから、何もかもわかるわけではない。縄張りとかいうわけではないが、お互いの守護する土地に干渉しないという決め事らしきものもあった。基本的に神奈子や諏訪子が関わるのは守矢神社とそこに来た人に対してだけであって、その外にあまり手を出すとあれこれと面倒なことになる。何しろここは幻想郷だから、すべてを受け入れ、尊重しなくてはならない。
「神奈子様は今日はどちらかへ行かれるのですか?」
「私? 私はお祭りを見に行くよ」
早苗が尋ねると、平然とそんな答えが帰ってきたので軽くずっこけてしまった。
「早苗も一緒に行くかい?」
「そうですね、行きましょうか」
「やめた方がいいんじゃないの」諏訪子が口を挟んだ。「神が二人も揃ってきたら主役を食っちまうよ。ただでさえ神奈子なんて目立つんだからさ」
「私の格好が珍妙だって?」笑いながら神奈子は言った。
「そんなことは言ってない」ぶすっと不機嫌そうに諏訪子は答えた。
「そうかね。まあそこは目立たないようにするさ。でも、確かに一緒に行くのはよした方がいいか……残念だなぁ早苗」
「私は後から行きますから、いいですよ。妹紅さんの子供たちが神輿を担ぐとこだけ見られればいいかなって思ってるので」
「妹紅って、藤原妹紅? 子供がいたんだ」
神奈子が驚いて聞いた。
「え、ああ、そういう意味では……寺子屋の子供たちという意味でした。すみません」
大真面目に謝ってしまった早苗だったが、ともかくそんな感じでお互いの予定が決まっていった。
お昼過ぎ、早苗が人里についたら、ちょうど表通りで村人が応援する前を、わっしょいわっしょいと担がれた子供用の小さな神輿が元気よく通り過ぎていくのを見ることができた。遠ざかってもその声がどこまでも聴こえて、特別なその日に胸が熱くなるのを感じる。それは神輿が大きくても小さくても変わらなかった。
題名がとても良いです