きょうはせかいのおわりのひ。
どうしてかな。わたしはいま、お姉ちゃんの家に閉じ込められて、お姉ちゃんを外に連れ出そうと躍起になってる。
「お姉ちゃん、知らないんだ。今日で世界が終わること」
「知ってるわ。だからこそ、あなたをここに閉じ込めたんじゃない」
窓も、扉も、窓も、扉も、ぜんぶ! 全部に鍵がかかってて、ところによってはシャッターが降りてる。ちょっと広いリビングならわたしたちは二人きりで、シャンデリアは高くておおきくて、光だけが、お姉ちゃん色した神様チックなガラス窓に濾過されて、お姉ちゃん色で逃げてゆく。どうしてかな。頭の中は思い出色の風景ばっかり。凝った青空の下の田園とか、泥で汚れた素足とか、恋心を抱いてる女の子の横で甘い果物を食べたがる男の子とか、鄙びた屋に連なって輝かしい青果店とか、上下の曖昧なお姉ちゃんの変わらない目つきとか。
それか、或いはあの、世界の終わりの青白い……。
「ねえお姉ちゃん。バナナが好きだったよね? 甘くて、やわらかいから」
「……私はね、みんな、あなたの好物だと思っていたのよ」
この、二人でおしゃべりするには長すぎるテーブルと、多すぎる椅子のこと、わたしにわかる? わかんない。雨の降らないのにエントランスにちんまりした傘立てに突き刺さった番いの傘のこととおんなじ。わたしはお姉ちゃんの口遊む歌がいつも嫌いでたまらなかった。あの頃はなんにもなくてとか、這いつくばったり泥んこになっても空を見上げたりとか、まだまだやれるとかさみしくなるねとか、まるで、存在しない過去をでっちあげられてるような気持ちになった。
「お姉ちゃんこわいんでしょ。休みを作らないのは外に出るのがいやだからで、外に出るのがいやなのは旅行とか観光とかがいやだからで、旅行とか観光とかがいやなのは、なにも感じない自分がこわいから。そんな不貞腐れた成人未満成人以上のヒモのひとみたいな感情で、お姉ちゃんはわたしを閉じ込めてる。そうでしょ?」
「関係ない話はやめて。わたしの目をみてちょうだい」
お燐もお空も居ない。ふたりだけの広すぎるテーブル。お姉ちゃんはドラマが好きだった。画面の中のひとたちの心は読めなくて、感情だけはよく知ってるから、自分の思い描いた筋書きに沿えば沿うほど満足気な顔をしていた。ひとつしかない屋根の下とか、お金のない大人のひととか、暑苦しい聖職者とか、そんなのばっかり。お姉ちゃんは未来が好きだったんだと思う。明るくて、先の見えなくて、筋書き通りの未来をきっと愛してた。
「あのブランコの公園で、いつまでわたしを待ってたの? 本当に帰ってくると思ってた? 雨が降るなんて信じてた?」
「降っていたわ。だからこそずっと、あなたを待っていたんじゃない」
地底には雨が降らない。お姉ちゃんは筋書き通りに土の下で家族を作った。それでもまだ傘立てには子供じみた番いが突き刺さっているから、お姉ちゃんにとってわたしはきっと、いつまでも子供で、子供で、子供だった。わたしが瞳を閉ざした理由なんて幾億通りあるパターンのうちのひとつに過ぎなくて、だから、お姉ちゃんはわたしをいまでもずっと待ってる。何百通りか、口遊む歌のなかに答えなんてあるはずもないけど、お姉ちゃんは有り得ない郷愁に浸りながら口遊む。青春には二通りの意味があって、それはどちらにせよサクセス・ストーリー以外の何者でもない。夢を見ていた時間を泥濘とすれば、目が覚めたのなら晴天で、間の抜けた陽射しなら白昼夢だ。
「お姉ちゃんは子供が好きでしょ? それも、三歳とか、そのくらいの、自我が定着してなくて、次から次にいろんなことを考えて、一秒毎に表情を変えちゃうくらいの、そんな年頃の子。だからね、カラスならわかるんだけど、どうしてネコは犬じゃないの。あ、そうだ。巣から落ちちゃった小鳥がいます、その近くには、それほどお腹の空いてないネコもいます。お姉ちゃんならどうする? ドブネズミはきたない、自分はかわいい。わたしなら、ネコに小鳥のことを気付かせちゃうか、小鳥をネコから守るようにそっと巣に戻してあげるか、傍観するか、そのどれかを選ぶと思うんだけど。借りてきた猫を我が子と疑わずに可愛がれる生き物っているのかな? ともすればお姉ちゃん、これって人生かな?」
「最後の日でも、姉ちゃんと一緒にご飯を食べることすら嫌がるのね」
向こうの世界からここに、お姉ちゃんに連れさられてきてからどれくらいのときかは忘れちゃったけど、お姉ちゃんが夜な夜な空想していた偉大な計画をわたしは知ってる。地底を愛で満たしましょう。霧の湖に誰からも忘れられた、傷だらけの鯨が流れ着いたときだった。成すすべのないひとたちはみんなして鯨を哀れんでいた。死んじゃう前から悼んでいた。鯨も歌うんだって、そのとき誰かが感じてた。興行にならないと即断した河童さんは鯨の最期をサーチライトで照らしてあげた。それから、お姉ちゃん曰く湖の水源はここじゃないどこか遠くの水底で、だから、霧の湖はしょっぱいんだって。其れ即ち愛で、お姉ちゃんは地底を愛で満たすことを空想していた。湖の底にヒビが入って、大きな穴があいたなら地底は水没しちゃう。しちゃうけど、海水には幾千の命が含まれていて、それこそが愛だと疑いもしなかった。お姉ちゃんをそんなくだらない空想の彼方に置き去りにしたのは一体誰なんだろう。お姉ちゃんは誰に置き去りにされて、なにを待っていたんだろう。世界の終わりなんて紋切り型は例のごとく始まりに繋がってしまうのに。
「雨の代わりに星が降って、そしたら当然地底は水底になっちゃうよ。願ったり叶ったり? それとも不本意? 夢は今でも夢のまま? お姉ちゃん、海ってさ。誰かが泣くとできるんだよ。だからしょっぱいの」
「懐かしいわね。私の日記を読んだの? 悪いけど、鍵は返してくれないかしら。あなたに言えないことのひとつやふたつ、私にもあっていいと思わない?」
ナインティーンエイティフォー。わたしたちは泥まみれの町に生まれた。二千年を目前にして幻想郷にやってきた理由はお姉ちゃんしか知らない。お姉ちゃんは地底にあの町をできる限り再現した。鬼の力を借りてまで、あの猥雑な町並みを造り上げた。町の中にはひとつだけ高級な青果店があって、町外れには誰も立ち入ることの出来ない公園がある。公園にはブランコが設置されていたけど、今はもうがらんどうの、赤土のマットの思い出色したベンチ置き場。青果店にしたって、本当はがらんどうなんだけど、お姉ちゃんはたびたび果物を買って帰ってきた。貧困層のど真ん中をバスケット片手に闊歩できるのはお姉ちゃんぐらいなものだから、ともすれば地底のすべて、お姉ちゃんのための道だった。林檎、パイナップル、ぶどう、いろんなものをバスケットの彩りにしていたけど、やけにバナナが多かったのは、きっとお姉ちゃんに巣食うノスタルジーのせいだとわたしは思う。お姉ちゃんはバナナを乾燥させて、いつまでも、いつまでも保管する。非常食になってくれたのならありがたかったのだろうけど、食べたがる子はお姉ちゃん以外に居なかった。
「ズルだよ、そんなの。終わらせるのは簡単だけど、誰がそれを望んでるっていうの? 残飯のない店にはカラスも寄り付かないこと、お姉ちゃんが知らないわけないじゃない」
「わかってる。わかってるわよ。この日常はいつまでも続く。今日が本当に終わりの日なら、お姉ちゃんはこんなところに居られないもの。だけどね、こいし。お願い、今日だけ、今日だけでいいのよ。帰ってきてちょうだい。おねがいだから」
そう、わたしはこいし。古明地こいし。お姉ちゃんだけが歩ける道にお誂え向きに配置された路傍の石ころ。わたしだけが、お姉ちゃんの青春の躓き。つま先からてっぺんまで、わたしはわたしで出来ている。いつの時代にも便利屋さんっていうのがいて、便利屋さんは読んで字の如しの便利な言葉を売ってくれる。例えばそう、人生はなんちゃらと似ているだとか、この世界の人間は二種類に区分できるだとか、そんな感じの、オールマイティな言葉たち。お姉ちゃんの人生は不条理なまでに理にかなって山と似ていた。お姉ちゃんは区分するなら負け犬の正反対だった。姉妹或いは双子の類似性について言及することの不毛さについては誰しも経験があると思うから、説明する人だってひとりとして居ない。
「ライオンってすごいんだよ。シロサメやサギなんかと違って、カニバリズムの法則に則った早いもの勝ちの選別をしないんだ。本当に強いリーダーが現れたなら、弱い元リーダーの子供はみんな食い殺して、自分の子供だけにしちゃうんだって。それで、なんといってもネコ科なんだよ。面白いと思わない? わたしはね、つまんないと思うの」
「こいし、お願いよ。お願いだから、今日だけは帰ってきてちょうだい。お姉ちゃんのこと、無視しないで」
世界はどうせ続いてゆく。どうせで続いてゆく世界にはちいさな喜びがたくさんある。寄せては返す波の音とか、その中ではしゃぐ子供の声とか、睦まじいカップルの返事じゃない会話とか、聖職者が休日に歌う賛美歌とか、お寺の中の酒宴とか、ブランコの奇妙な浮遊感とか、ドライフルーツの甘酸っぱさとか。それらすべてが曖昧な幻想で、そのなかでも曖昧に笑えてしまうから、世界はどうせ続いてゆくのだ。
「帰ってくるのはお姉ちゃんのほうだよ。はやくここから出ていってよ。わたしをここから解放してよ。ハリボテのおしろを閉鎖したところでなんの意味もないこと、わかってるくせに」
「……ああ、もう」
零を突き刺すべく針が動けばごおん、ごおんって時計が鳴った。同時に、扉や、窓や、扉や、窓の錠がすべて落ちる。秒針が刻む音色はなにかに嵌っているようで、なにかが外れて折れるようでもある。それでもわたしは、どうしたって青春の躓きだったから、聴いたのはお姉ちゃんのどこか骨が折れる音だったのかもしれない。
自由になったわたしはどこへでもゆける。僧侶になってもいいし、誰かの恋人になってもいい。恋人じゃなくて、妹だって、弟だって、なんだっていい。わたしはなんにでもなれるけど、お姉ちゃんの道も続いてゆくから、わたしはどうしたって古明地妹。古明地こいしだった。
地底でいちばん大きな亀裂の入った天井は蒼い。なぜならそこには湖があった。蒼い水底から覗く夜空は凝ってどす黒い。それでも、水は一滴も滴ることなく天井を塞いでいる。夜空にはゆらゆらと揺れる青白い光が見えて、世界を終わらせるはずのその光は何者かの手によってたったいま、木っ端微塵に消し飛んでしまう。もし仮に、雨を恐れて傘を射していたのならわたしはその光景を見ることすら叶わなかったと思う。終わらせるのは簡単だけど、誰がそれを望むというのだろう。個をひとつの世界と見做すなら、生き物の一生に意味はなくなってしまう。だから、だから? だから、世界はいつまでも、どこまでも続いてゆく。
どうしてかな。わたしはいま、お姉ちゃんの家に閉じ込められて、お姉ちゃんを外に連れ出そうと躍起になってる。
「お姉ちゃん、知らないんだ。今日で世界が終わること」
「知ってるわ。だからこそ、あなたをここに閉じ込めたんじゃない」
窓も、扉も、窓も、扉も、ぜんぶ! 全部に鍵がかかってて、ところによってはシャッターが降りてる。ちょっと広いリビングならわたしたちは二人きりで、シャンデリアは高くておおきくて、光だけが、お姉ちゃん色した神様チックなガラス窓に濾過されて、お姉ちゃん色で逃げてゆく。どうしてかな。頭の中は思い出色の風景ばっかり。凝った青空の下の田園とか、泥で汚れた素足とか、恋心を抱いてる女の子の横で甘い果物を食べたがる男の子とか、鄙びた屋に連なって輝かしい青果店とか、上下の曖昧なお姉ちゃんの変わらない目つきとか。
それか、或いはあの、世界の終わりの青白い……。
「ねえお姉ちゃん。バナナが好きだったよね? 甘くて、やわらかいから」
「……私はね、みんな、あなたの好物だと思っていたのよ」
この、二人でおしゃべりするには長すぎるテーブルと、多すぎる椅子のこと、わたしにわかる? わかんない。雨の降らないのにエントランスにちんまりした傘立てに突き刺さった番いの傘のこととおんなじ。わたしはお姉ちゃんの口遊む歌がいつも嫌いでたまらなかった。あの頃はなんにもなくてとか、這いつくばったり泥んこになっても空を見上げたりとか、まだまだやれるとかさみしくなるねとか、まるで、存在しない過去をでっちあげられてるような気持ちになった。
「お姉ちゃんこわいんでしょ。休みを作らないのは外に出るのがいやだからで、外に出るのがいやなのは旅行とか観光とかがいやだからで、旅行とか観光とかがいやなのは、なにも感じない自分がこわいから。そんな不貞腐れた成人未満成人以上のヒモのひとみたいな感情で、お姉ちゃんはわたしを閉じ込めてる。そうでしょ?」
「関係ない話はやめて。わたしの目をみてちょうだい」
お燐もお空も居ない。ふたりだけの広すぎるテーブル。お姉ちゃんはドラマが好きだった。画面の中のひとたちの心は読めなくて、感情だけはよく知ってるから、自分の思い描いた筋書きに沿えば沿うほど満足気な顔をしていた。ひとつしかない屋根の下とか、お金のない大人のひととか、暑苦しい聖職者とか、そんなのばっかり。お姉ちゃんは未来が好きだったんだと思う。明るくて、先の見えなくて、筋書き通りの未来をきっと愛してた。
「あのブランコの公園で、いつまでわたしを待ってたの? 本当に帰ってくると思ってた? 雨が降るなんて信じてた?」
「降っていたわ。だからこそずっと、あなたを待っていたんじゃない」
地底には雨が降らない。お姉ちゃんは筋書き通りに土の下で家族を作った。それでもまだ傘立てには子供じみた番いが突き刺さっているから、お姉ちゃんにとってわたしはきっと、いつまでも子供で、子供で、子供だった。わたしが瞳を閉ざした理由なんて幾億通りあるパターンのうちのひとつに過ぎなくて、だから、お姉ちゃんはわたしをいまでもずっと待ってる。何百通りか、口遊む歌のなかに答えなんてあるはずもないけど、お姉ちゃんは有り得ない郷愁に浸りながら口遊む。青春には二通りの意味があって、それはどちらにせよサクセス・ストーリー以外の何者でもない。夢を見ていた時間を泥濘とすれば、目が覚めたのなら晴天で、間の抜けた陽射しなら白昼夢だ。
「お姉ちゃんは子供が好きでしょ? それも、三歳とか、そのくらいの、自我が定着してなくて、次から次にいろんなことを考えて、一秒毎に表情を変えちゃうくらいの、そんな年頃の子。だからね、カラスならわかるんだけど、どうしてネコは犬じゃないの。あ、そうだ。巣から落ちちゃった小鳥がいます、その近くには、それほどお腹の空いてないネコもいます。お姉ちゃんならどうする? ドブネズミはきたない、自分はかわいい。わたしなら、ネコに小鳥のことを気付かせちゃうか、小鳥をネコから守るようにそっと巣に戻してあげるか、傍観するか、そのどれかを選ぶと思うんだけど。借りてきた猫を我が子と疑わずに可愛がれる生き物っているのかな? ともすればお姉ちゃん、これって人生かな?」
「最後の日でも、姉ちゃんと一緒にご飯を食べることすら嫌がるのね」
向こうの世界からここに、お姉ちゃんに連れさられてきてからどれくらいのときかは忘れちゃったけど、お姉ちゃんが夜な夜な空想していた偉大な計画をわたしは知ってる。地底を愛で満たしましょう。霧の湖に誰からも忘れられた、傷だらけの鯨が流れ着いたときだった。成すすべのないひとたちはみんなして鯨を哀れんでいた。死んじゃう前から悼んでいた。鯨も歌うんだって、そのとき誰かが感じてた。興行にならないと即断した河童さんは鯨の最期をサーチライトで照らしてあげた。それから、お姉ちゃん曰く湖の水源はここじゃないどこか遠くの水底で、だから、霧の湖はしょっぱいんだって。其れ即ち愛で、お姉ちゃんは地底を愛で満たすことを空想していた。湖の底にヒビが入って、大きな穴があいたなら地底は水没しちゃう。しちゃうけど、海水には幾千の命が含まれていて、それこそが愛だと疑いもしなかった。お姉ちゃんをそんなくだらない空想の彼方に置き去りにしたのは一体誰なんだろう。お姉ちゃんは誰に置き去りにされて、なにを待っていたんだろう。世界の終わりなんて紋切り型は例のごとく始まりに繋がってしまうのに。
「雨の代わりに星が降って、そしたら当然地底は水底になっちゃうよ。願ったり叶ったり? それとも不本意? 夢は今でも夢のまま? お姉ちゃん、海ってさ。誰かが泣くとできるんだよ。だからしょっぱいの」
「懐かしいわね。私の日記を読んだの? 悪いけど、鍵は返してくれないかしら。あなたに言えないことのひとつやふたつ、私にもあっていいと思わない?」
ナインティーンエイティフォー。わたしたちは泥まみれの町に生まれた。二千年を目前にして幻想郷にやってきた理由はお姉ちゃんしか知らない。お姉ちゃんは地底にあの町をできる限り再現した。鬼の力を借りてまで、あの猥雑な町並みを造り上げた。町の中にはひとつだけ高級な青果店があって、町外れには誰も立ち入ることの出来ない公園がある。公園にはブランコが設置されていたけど、今はもうがらんどうの、赤土のマットの思い出色したベンチ置き場。青果店にしたって、本当はがらんどうなんだけど、お姉ちゃんはたびたび果物を買って帰ってきた。貧困層のど真ん中をバスケット片手に闊歩できるのはお姉ちゃんぐらいなものだから、ともすれば地底のすべて、お姉ちゃんのための道だった。林檎、パイナップル、ぶどう、いろんなものをバスケットの彩りにしていたけど、やけにバナナが多かったのは、きっとお姉ちゃんに巣食うノスタルジーのせいだとわたしは思う。お姉ちゃんはバナナを乾燥させて、いつまでも、いつまでも保管する。非常食になってくれたのならありがたかったのだろうけど、食べたがる子はお姉ちゃん以外に居なかった。
「ズルだよ、そんなの。終わらせるのは簡単だけど、誰がそれを望んでるっていうの? 残飯のない店にはカラスも寄り付かないこと、お姉ちゃんが知らないわけないじゃない」
「わかってる。わかってるわよ。この日常はいつまでも続く。今日が本当に終わりの日なら、お姉ちゃんはこんなところに居られないもの。だけどね、こいし。お願い、今日だけ、今日だけでいいのよ。帰ってきてちょうだい。おねがいだから」
そう、わたしはこいし。古明地こいし。お姉ちゃんだけが歩ける道にお誂え向きに配置された路傍の石ころ。わたしだけが、お姉ちゃんの青春の躓き。つま先からてっぺんまで、わたしはわたしで出来ている。いつの時代にも便利屋さんっていうのがいて、便利屋さんは読んで字の如しの便利な言葉を売ってくれる。例えばそう、人生はなんちゃらと似ているだとか、この世界の人間は二種類に区分できるだとか、そんな感じの、オールマイティな言葉たち。お姉ちゃんの人生は不条理なまでに理にかなって山と似ていた。お姉ちゃんは区分するなら負け犬の正反対だった。姉妹或いは双子の類似性について言及することの不毛さについては誰しも経験があると思うから、説明する人だってひとりとして居ない。
「ライオンってすごいんだよ。シロサメやサギなんかと違って、カニバリズムの法則に則った早いもの勝ちの選別をしないんだ。本当に強いリーダーが現れたなら、弱い元リーダーの子供はみんな食い殺して、自分の子供だけにしちゃうんだって。それで、なんといってもネコ科なんだよ。面白いと思わない? わたしはね、つまんないと思うの」
「こいし、お願いよ。お願いだから、今日だけは帰ってきてちょうだい。お姉ちゃんのこと、無視しないで」
世界はどうせ続いてゆく。どうせで続いてゆく世界にはちいさな喜びがたくさんある。寄せては返す波の音とか、その中ではしゃぐ子供の声とか、睦まじいカップルの返事じゃない会話とか、聖職者が休日に歌う賛美歌とか、お寺の中の酒宴とか、ブランコの奇妙な浮遊感とか、ドライフルーツの甘酸っぱさとか。それらすべてが曖昧な幻想で、そのなかでも曖昧に笑えてしまうから、世界はどうせ続いてゆくのだ。
「帰ってくるのはお姉ちゃんのほうだよ。はやくここから出ていってよ。わたしをここから解放してよ。ハリボテのおしろを閉鎖したところでなんの意味もないこと、わかってるくせに」
「……ああ、もう」
零を突き刺すべく針が動けばごおん、ごおんって時計が鳴った。同時に、扉や、窓や、扉や、窓の錠がすべて落ちる。秒針が刻む音色はなにかに嵌っているようで、なにかが外れて折れるようでもある。それでもわたしは、どうしたって青春の躓きだったから、聴いたのはお姉ちゃんのどこか骨が折れる音だったのかもしれない。
自由になったわたしはどこへでもゆける。僧侶になってもいいし、誰かの恋人になってもいい。恋人じゃなくて、妹だって、弟だって、なんだっていい。わたしはなんにでもなれるけど、お姉ちゃんの道も続いてゆくから、わたしはどうしたって古明地妹。古明地こいしだった。
地底でいちばん大きな亀裂の入った天井は蒼い。なぜならそこには湖があった。蒼い水底から覗く夜空は凝ってどす黒い。それでも、水は一滴も滴ることなく天井を塞いでいる。夜空にはゆらゆらと揺れる青白い光が見えて、世界を終わらせるはずのその光は何者かの手によってたったいま、木っ端微塵に消し飛んでしまう。もし仮に、雨を恐れて傘を射していたのならわたしはその光景を見ることすら叶わなかったと思う。終わらせるのは簡単だけど、誰がそれを望むというのだろう。個をひとつの世界と見做すなら、生き物の一生に意味はなくなってしまう。だから、だから? だから、世界はいつまでも、どこまでも続いてゆく。
> わたしだけが、お姉ちゃんの青春の躓き。
このフレーズ、好き。
古明地はこうやって、向き合いながらすれ違うのがたいへんに映えます。
世界の破滅が覆されたとき、二人はなにを思うのでしょうね。
モラトリアムな時期に感じるどうしようもなく非言語な、次の日にはきれいさっぱり消えてしまうそんな感情を、お姉ちゃんはきっと知っているのではないかと感じたのです。
多分このこいしが消えてもきっとどこかで別のこいしが現れるのでしょうね。
『今日』くらいはと対話を試みるさとりの切なさはとても伝わってきます