Coolier - 新生・東方創想話

世界は二人のため

2019/09/28 20:33:20
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「小さな兵隊さんが十人、食事に行ったら一人が喉につまらせて、残り九人」
 霧の湖という湖がある。湖畔には周囲の景色から一際浮いた紅い洋館が存在する。
 紅魔館と呼ばれるその不気味な紅い洋館は吸血鬼の住処であり、幻想郷の人間は近寄る事すら無い。人間を食べるからだ。
「小さな兵隊さんが九人、寝坊をしてしまって一人が出遅れて、残り八人」
 紅魔館には地下室がある。煉瓦造りの重々しい澱んだ空気を醸す部屋は牢獄と言っても差し支えない。
 僅かな蝋燭の灯りだけが光源で、更に陰鬱とした雰囲気を増長させている。
 しかし、室内は赤を基調とした豪華な調度品が仕立て上げられ、紅魔館にとって重要な人物が棲まうことが伺える。
「小さな兵隊さんが八人、デボンへ旅行したら一人が残ると言い出して、残り七人」
 地下室に居るのは赤いナイトドレスを纏う少女である。
 瘦せぎすで小柄なその少女はナイトキャップを被り、金髪を横に一房まとめている、一見すれば可愛らしい女児とも見える。
 しかし、背中にある羽が人外であると認識させる。
 ただの羽ではない。枯れ枝の様な翼の骨組みに、それに吊り下がる八色の宝石が異様さを際立たせる。
「小さな兵隊さんが七人、薪割りしたら一人が自分を割ってしまって、残り六人」
 この異様な翼を持つ赤い少女はフランドール・スカーレットといい、紅魔館の主人、レミリア・スカーレットの妹である。
 何故、その様な人物が地下室に居るかというと、暗闇を好むからという訳ではない。
 フランの持つ能力、そして誰も抑制することの出来ない不安定な性格故に地下へと幽閉されたのだ。
「小さな兵隊さんが六人、丘で遊んでたら一人が蜂に刺されて、残り五人」
 現在、彼女の部屋は妖精のメイドたちによって掃除をされていた。
 外に出る訳にもいかず、手持ち無沙汰となったフランは歌を口ずさみながら宙に浮いてその様子を眺めている。
 掃除をする妖精たちは何かに怯えながら作業を続ける。
「小さな兵隊さんが五人、大法官府に行ったら一人が裁判官を目指すと言って、残り四人」
 歌が一節進む毎に妖精たちはビクリと大きく震えだす。恐怖のあまり啜り泣く者も居る。
 本来は自由気ままでお喋りで、通常勤務時には好き勝手している妖精が、今は無言で一心不乱に掃除を続けているのだ。非常に異質な光景である。
 フランは気怠げに眺めながら、右手で何やら弄んでいる。傍目では何も無い様に見えるが、右手を軽く握り込む動作を取った際、同時に一匹の妖精が苦しさで身悶える。
 先程から啜り泣く妖精である。
「小さな兵隊さんが四人、海に行ったら燻製ニシンに食べられて、残り三人……まだ終わらないの?」
「はっ、はい……! もう間も無くで終わりますのでもう少々お待ちを……」
 即座に返す妖精を無視し、フランは右手を強く握り締める。
 すると苦しみ悶えていた妖精が、苦痛に満ちた表情のまま微塵となって崩れ落ちた。
 これがフランドールの能力である。対象に存在するフランだけにしか見えない『目』を右手に移し破壊することが出来る。
 潰される瞬間を見た妖精たちは声にならない悲鳴をあげ、更に身を震わせる。
 清掃作業を止めなかったのはフランの逆鱗に触れたくない一心だからである。
「それ、片しといてね…………小さな兵隊さんが三人、動物園に歩いて行ったら熊に抱かれて、残り二人」
「か、か、畏まりました……」
 一匹は震える手を抑え、ベッドの乱れを整える。
 別の一匹は絨毯の掃除を始める。
 フランに返事をしていた一匹は崩れた妖精の作業、家具の拭き掃除を引き継いだ。
 皆一様に必死である事には理由がある。今フランが口ずさむ歌である。
 月に一度行われる地下室の清掃作業だが、フランは必ず作業中にこの歌を歌う。
 歌い終えるまでに掃除を終えなければ、使用人全員が崩れた妖精と同じ目にされてしまうのだ。
 そして今、歌は終盤に差し掛かっている。
「小さな兵隊さんが二人、日向ぼっこしてたら日に焼かれて、残り一人」
 フランの右手が再び『目』を弄び始める。
 残りの三匹の妖精は、止まらない怖気によって自分たちの身がどうなっているかを理解し、死にものぐるいで作業を進める。
 逃げ出す事は当然許されない。一縷の望みを賭けて役目を果たすしかないのだ。
 道徳や倫理観など捨て、崩れた同僚を箒で掃き、服と一緒にゴミ箱へ叩き込んだ。
「小さな兵隊さんが一人、一人になってしまって首を吊る」
 掃除は終えたものの、最終節へと到達してしまい、半狂乱になって清掃用具の後始末を行う。
「フランドール様!清掃完了です!そっ、それでは失礼致します!」
「…………」
 締めくくりを歌わずに、無感情に黙ってこちらを見つめるフランに対し、震える身体を無理矢理抑え込み、三匹は深く一礼する。悪寒が止まらない。
 我先にと唯一の逃げ道である扉へと押し掛け、雪崩れる様に外へ飛び出した。
「そして誰もいなくなった」
 三匹の騒がしい足音が聞こえなくなった頃、フランがおもむろに右手を握り締めた。
 何も聞こえない。フランにとって三匹の結末などどうでも良かった。
 只々静かなこの環境がいち早く欲しかったのだ。


 整えられたベッドへと飛び込む。ほんの数分前までの作業は無駄だったと言わんばかりにぐしゃぐしゃに掻き乱す。
 何をするわけでもなく、ベッドカバーを抱きしめ、漠然と宙空を眺める。
 突然、奇妙な現象が発生した。
 フランの眼前に『目』が現れたのだ。
 まるで見られていることを喜んでいる様に『目』は右へ左へと揺れ動く。
 何も無い空間に唐突に現れた、即ち透明な侵入者が居ると判断したフランは即座に『目』を右手に移す。
「あなた誰? 何処から出て……えっ?」
 フランは非常に驚いた。掴んだ『目』が滑り落ちたのである。
 この現象は、吸血鬼として長く生きたフランにとって、初めての出来事であった。
「こっ、このっ……待ちなさいよ!」
 何度も『目』を移すも、いつの間にかスルリと抜けていく。
 『目』は移るまでは大人しく漂うだけで、握り締められるという致命傷だけを避ける風に動いている。
 この動作が挑発的で、フランにとっては猛烈に癪にさわる。
「もういい! 破壊しようとしたのが間違いだったわ! お前なんか焼かれてしまえばいいのよ!」
 鼻息荒く、フランが行ったのは羽根の宝石から弾幕を飛ばしたのだ。
 鮮やかに弾ける光球を『目』に向かって一斉に叩き込む。一発一発が先程の妖精が消し炭になる威力である。
 流れ弾で壁は崩れ、洋服棚は吹き飛んだが、今のフランにとっては些事である。
 苛つく侵入者を排除しなければならない使命感で一杯であった。
 しかし、依然として『目』は無事で、上下に揺れている。喜んで飛び跳ねている様であった。
「ぐぐぐ……! 何なのアンタ! 邪魔なのよ、消えろ!!」
 ベッド横に立て掛けていた杖を取る。レーヴァテインと呼ぶ悪魔の尾を象った杖は、フランの魔力に呼応して噴出する焔を生む。
 額には青筋を浮かべ、歯をむき出しにして杖を振り回す。
 ベッドの天蓋は焼け落ち、絨毯を起点に焼け広がりすえた臭いが満たされ、部屋中至る所に焼け跡を残す。
 加えて、光弾を合わせて飛ばす。敢えて狙わずに無差別にばら撒く。
 さほど広くはない地下室で撒き散らされる攻撃は、鼠であろうと回避困難な密度である。
 しかしながら『目』は、隙間を縫い、掠りもしない。
 撃ち込んでいるそこに本体が存在する筈なのにだ。
「がああああああっ!!」
 杖をかなぐり捨て、居るであろう透明の本体に向かって思い切り殴りかかる。
 当然、空振り床を叩く。
 あまりの怪力に土台部分を割り砕き、地面全体が捲れ上がる。
「クソッ、避けるな!!」
 その後も何発も攻撃を繰り出すが、全て外れる。
 崩れた体勢を立て直す度に、『目』は飛び跳ねている。
 攻撃もせず、待っている。挑発的でその都度フランを苛立たせる。
「う、う、うぅ……」
 苛つきは怒りに変わり、やがて感情の臨界点を越え、フランの目には自然と涙が溢れる。
 爪で切りつけるも、煉瓦の壁に爪痕を残すのみである。
 蹴り飛ばそうにも、空振りの衝撃で部屋の残骸が吹き飛ぶだけである。
 どれだけ攻撃をしても僅かばかりの結果すら伴わない。
「う……うぅ、わあああああ!! っあああああああああん!!」
 自暴自棄になって地団駄を踏む。堰を切ったように泣き声をあげる。
 見た目通りの子供らしさであれば微笑ましいものであるが、フランは恐ろしき吸血鬼の悪魔である。
 部屋は完全に崩壊し、天井は崩れて瓦礫の山を造る。
「コラ、フラン! いつまで暴れればーー」
「わあああああああっ!!! 出てけぇ!!」
 騒ぎを知り、駆けつけたのは姉のレミリアである。
 フランは瓦礫の破片をレミリアの顔を目掛けて投げつける。
 錯乱状態でありながらも頭部へと正確に放たれた石片だが、レミリアは毅然と構えて動かない。
 石片は、レミリアの眼前で不自然な軌道を描いて右側へと逸れる。
「咲夜」
「はい」
 咲夜、と呼ばれた侍女が返事を返すと同時に、フランの身体が装具によって拘束され、倒れる。先程の石片と同じく、咲夜の能力である時間操作によって拘束されたのだ。
「っ!? ぅぐううぅう……!! 外して! 外してよぉ!!」 
 フランを拘束する装具は、紅魔館の魔女パチュリー・ノーレッジ謹製の魔法道具である。
 特殊な魔力が刻み込まれたそれは、肉体の拘束はおろか、能力をも封じる。
 万物を破壊するフランの能力を以ってしても壊すことは出来ないのである。
 力の限りを尽くして、身を纏う厚手の被服を引っ張るが、繊維が僅かに張る程度で無駄であった。
 外せと懇願し身悶えるフランに、レミリアは跨る。
「フラン、あれほど部屋は壊すなって言ったじゃない」
「だって……だって全然当たらないし、わっ、わた、私のことうぅうああぁあ……」
 事情を知らないレミリアにとって、フランの言うことは支離滅裂だ。理解出来るのは何かを攻撃していたことだけ。鼠か、それとも侵入者か。
 涙で顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくるフランを、ハンカチで優しく拭う。
 ようやく泣き止み、鼻をすする妹の頬を両の手で包む。
 疑問符を浮かべながら潤む瞳で見つめる顔を寄せ、口付ける。
「まぁ……!」
 咲夜が思わず声を上げる。姉妹のキスなど年頃の娘にとっては刺激が強い。
 しかし、レミリアにとってはその行為の意味合いは変わってくる。
「ンぅっ!? むぅううぅっ!! ……んっ…………ぅ……」
 フランは驚きで目を見開くも、すぐさま瞳が微睡み始める。レミリアの経口による吸精である。
 視界は揺らぎ、意識が遠のき始める。首を振って逃げる事は吸血鬼の怪力が許さない。
 拘束衣の下で藻搔いて抵抗を示すも、やがてそれも収まる。
「……っふぅ」
「…………」
 数十秒に渡る息継ぎ無しの長い吸精を経て、ようやく口を離す。二人を繋ぐ細い糸が切れる。
 唾液に塗れた口元を拭い、眼前で伸びる妹を紅い瞳で数瞬見下ろし、出口へと踵を返す。
「フランはこのままにしておくわ。明日一日反省させる為に、部屋の修理も明後日からにするように」
「承りました」
 恭しく頭を下げる咲夜であるが、いつもよりも御辞儀の角度が深い。瀟洒な従者が礼儀作法を間違えるであろうか。
 怪しく思うレミリアが顔を覗き込むと、仄かに赤い。
 初心な従者に口角を吊り上げ、頰に口付ける。
「片付けよろしくね」
 返事も出来ない程に、もはや隠しようもなく赤らめる咲夜を尻目に、レミリア機嫌良く部屋を出るのであった。
 

 レミリアは地下を出て自室へと戻る。
 ごく僅かな照明と、同じく僅かばかりの窓から射す月明かりが照らす薄暗い廊下で、一人の女性が佇んでいた。
「随分と情熱的だったじゃない、レミィ」
「可愛い可愛い妹ですもの」
 レミィ、と呼んだ彼女は魔女パチュリー・ノーレッジである。
 今回の件も何処かで確認していたのだ。でなければ夜分遅くに出張る事はない。
「で、パチェ。今回のフランの癇癪の理由だけど、誰かが居たらしい。何か反応あった?」
「え? ちょ、ちょっと待ってもらえるかしら……」
 想定外の質問に面食らうも、淡い光を放つ光球を出し、即座に手持ちの本を確認する。
 高等な魔導書を使いこなし、秘匿としたいフランドールの地下室に対しては厳重な探知と防衛の魔法を仕掛けている。
 以前に人間が侵入した結果、今回以上の大惨事となったからだ。
 地下室が埋没しなかったのは、魔法が完全に崩壊することを防いだのが理由である。
 顔を埋めるほどに魔導書を読み取り、頁を捲る。数十秒程度経つと、パチュリーは顔を上げた。
「駄目ね。妹様の部屋掃除から貴方と咲夜が来るまでメイド妖精以外誰も居た痕跡がないわ」
「妖精如きに挑発されて、と?」
「いいえ。彼女たちは皆妹様に破壊されてる。癇癪もその後ね」
「ふーん…………」
 口元に手を当て、考え込む。ただし、その顔は険しくはない。まるでサプライズを思い付いた年頃の娘の如く、はつらつとした表情である。
 大抵の場合、こうした表情をする時のレミリアの企みは碌でもないものが多い。対するパチュリーの顔付きは渋い。
「……パチェ。地下の魔法はこれまで通りで。もし引っかかったら、そいつとは是非会ってみたいね」
「レミィは他に誰か居ると?」
「勿論。愛しい妹の言うことよ。信じるわ。それからーー」
「面倒なことは嫌よ。今新しい魔法の研究してるの」
 指示を遮ってひらひらと手を振り、にべもなくあしらう。
 話は終わりだと言わんばかりに本を閉じ、灯りを消す。
 素っ気のない態度のパチュリーに、レミリアは気にも留めない。
「いいわ、それで。私が頼みたいのはね、フランに関してはそれ以外何もするな、ということよ」
 振り返り、住まいたる図書館へ戻ろうとしていたパチュリーであったが、その言葉を聞いて足を止め、再度振り返る。
 レミリアを胡乱な目で見つめる。しかし、レミリアは自信たっぷりに言い放った。
「明晩、私は出掛けるけどね、パチェは何もしなくて良いわ。……フランだってたまには外の空気を吸うべきよ」
 パチュリーは思わず聞き返す。
「あの子は今、拘束中でしょ? 破壊出来ないわよ。解くなんて以ての外」
 自身の魔法に絶対の自信を持つパチュリーには、レミリアの発言は信じられなかった。痕跡を一切残さない侵入者も、拘束を解くフランも。
 そして、更に聞き捨てならない発言にパチュリーが詰め寄る。
「それに貴方正気? 妹様を外に出す気? レミィの付き添い無しで?」
 吸血鬼という種族は、強大な能力と引き換えに弱点が多い。
 そのうちの一つとして流水を渡ることが出来ない、というものがある。
 その特性を利用して、パチュリーの魔法をもって紅魔館周辺の天候を雨に変え、最終手段としてフランを外に出さないようにさせていたのだ。
 レミリアは雨にするな、フランドールを外に出せと言っているのだ。情緒不安定の悪魔を外に。
「そういう運命なんだよ。大丈夫、フランは大人しくするわ。そうなるの」
 紅い瞳を薄明りの廊下で煌めかせ、不敵に笑みを浮かべるレミリアには何を言っても聞かない。無駄だと悟り、パチュリーは折れた。
「はぁ……分かったわ。地下の魔法だけにしておくわ。表に出したことがバレて、霊夢にコテンパンにされても知らないわよ」
「はっはっはっ。人間如きに吸血鬼様が負けるわけないだろう? じゃ、おやすみ、パチェ。あまり夜更かしするんじゃないよ」
 レミリアはそう言い残して、パチュリーを通り過ぎて自室へと戻っていく。鼻歌までして上機嫌である。
 レミリアが暗闇に紛れ、一人残されたパチュリーはボソリと呟いた。
「でも貴方、通算で負け越しよ……」


 翌日、地下室では最低限の修理だけが為され、積もる瓦礫の上では拘束されたフランが居た。
 傍らには昨日とはまた違う妖精メイドが付き添っていた。
 身動きの取れないフランに対し、壁にもたれかからせ、甲斐甲斐しく食事を与える。
 食事内容は咲夜特製のサンドイッチと冷製ポタージュである。吸血鬼相手の材料は推して知るべし。
「フランドール様、お口をお空けください……」
 言葉こそ以前のメイドよりも落ち着いてはいるが、肩が微かに震えている。
 フランの恐ろしさは館中に広まっている。拘束されていようと恐ろしいものは恐ろしいのだ。
「お口を…………っ!!」
 瓦礫に直に座り込まされているせいで、無意識に身じろぎをするが、その度に妖精は思い切り入口まで後ずさる。
 この妖精にとって、地下室から逃げ出さないのは紅魔館の待遇が良いからだ。
 逃げ出せば、メイド長たる咲夜によって紅魔館を追い出されてしまう。
 それを踏まえても野良妖精より遥かに環境が良い。フラン以外は。
 また、妖精が恐ろしく感じているのは、フランは一切こちらを見ないことだ。深紅の瞳は一切の瞬きをせずに虚空を見つめている。人形かと見紛うほどだ。
 聞いてはいる為か指示には従うが、それがまた不気味である。先程から幾度としてしまう飛び退る行為も、フランは歯牙にもかけない。
 可愛いけれども情緒不安定で傍若無人の惨虐な悪魔。それが妖精メイド一同からのフランの評価だ。
 いつ拘束を破り、こちらを粉微塵にするか分からない。
 早く食べ終わってくれと妖精は心底願う。噴き出した冷や汗が顔を伝う。
 口を開けるよう指示を出し、食べさせ、嚥下したことを確認したらまた指示を出す。その行程を繰り返し、問題なく食べ進めていく。
「サンドイッチは以上になります。続きましてポタージュをお召し上がりください。零さないよう、お気をつけくださいませ」
 何事もなくサンドイッチを食べさせ終え、ポタージュを飲ませる最中に異変は起こった。
 食事介護に必死で妖精は気付かなかったが、右脚辺りにあるフランを拘束するベルトの一つが外れたのだ。
 フランはこれを見逃さなかった。
 身じろぎの拍子に外れたかというと違う。ベルトはしっかりと固定されていた。誰かが外すしかないのだ。
 能力制限で見えないが、侵入を確信したフランは口に入れられたスプーンの器の根元を噛みちぎった。
「えっ? ……ひっ、ひいいぃっ!?」
 ガチン、と硬い物同士がぶつかり合う鈍い音を聞き、慌ててスプーンを抜くと、先端がない。
 鋭い歯型を残す、鉄製の食器であった物を見て思わず悲鳴を上げてしまった。サンドイッチの際にその気であれば手を噛みちぎられていたのだ。
 その時、一切動くことのなかったフランが妖精を見据えた。
 赤黒く濁った瞳を向けられ、妖精は本能的に泣き喚いて逃げ出そうとするが、邪な理性がその衝動を何とか抑え込んだ。
 地上へ帰還出来れば、また待遇の良い生活が待っているのだ。
 しかし、フランの世話を無下にすると折角手に入れた環境を手放すことになる。
 そういった打算的な逡巡を僅かにした後、柄だけのスプーンを見て閃いた。
「……! フフフフランドール様、いっ、いい今すぐ替えを持ってき、きますわ」
 恐怖に囚われつつも、恭しく一礼し、この場を離れる。
 替えを持ってくるという大義名分を得て、妖精は地下室を脱出した。
 容器や食べ残しは放置されることになるが、それを回収する余裕はない。
 失踪したことにして後は他の数百といる妖精に紛れ込んで大人しくすれば良いのだ。
 震える身体を必死に抑え、妖精は地上へと逃げ込んだ。


 言い訳を垂れ、逃げ出す妖精をフランは黙って見送った。
 こちらから行動を起こさねば、頭の悪い妖精は動かない。また、『目』も一々妖精を気にしてか、二本目のベルトが殆ど外れていない。
「ペッ!」
 鉄製スプーンの器を噛み砕き、吐き捨てる。
 ズタズタに裂かれた鉄塊は元がスプーンだとは言われなければ気付かないほどだ。
「…………ねぇ、昨日のあなた。居るんでしょう? 人払いもしたし、これ外してくれない?」
 何もない空間へ向けて話しかける。話す間にも外され続け、言い終わると同時に二本目のベルトは外れた。
 その後は順調にベルトが外されていく。
 聞こえているかは定かではないが、この様子では話合いがしたい訳では無いようだ。
 一日を挟んで、フランの思考も落ち着いていた。
 身動きの取れない中で新たに作戦も考えている。昨日の無様な二の舞を踏まないと肝に銘じる。
 数分経ち、全てのベルトは外され、ようやくフランは解放された。
「はぁああああぁ、っと。……やっぱり自由が一番ね。寝心地は良かったけど」
 大きく伸びをし、歪な羽根も伸ばす。
 凝った身体も解れたところで、『目』を探す。
「あら?」
 『目』は確かに存在していた。妖精が放棄したポタージュの残りを勝手に飲んでいる。
 フランが気になるところはそこではない。
 『目』の肉体が見えるのだ。完全にではないが、半透明の輪郭だけが空間の歪みとなって現れている。
 背丈はフランと同じくらいであり、リボンの付いたボーラーハットを被っていることは確認できる。
 他に特徴的な部分として、身体を巡る幾本もの管がある。
「なんだ、ちゃんと居るのね。あなた、名前は?」
 『目』はポタージュから口を離し、フランの方へと顔を向ける。
 しかし、見える箇所は輪郭だけであり顔を見ることは出来ない。
 返事も当然返ってこず、身振り手振りでは分からない。
「もういい。聞いた私が馬鹿だったわ。それに、仲良くお話って訳で来たんじゃないでしょう?」
 フランの左掌から赤い紋章が浮かび上がり、一枚の、紋章と同様に赤いカードが現れる。
「禁忌『フォーオブアカインド』」
 宣言と同時にカードを握り潰す。カードは破片となって飛び散り、三つに別れる。
 分裂した破片たちは形を変え、やがて人型へとなった。それぞれ三体は同様の姿をしている。
 背中には八色に吊り下げられた宝石を携えた、歪な羽根がある。
 赤いドレスを纏い、ナイトキャップを被り、金髪を横へ括っている。
 フランドールが四人に分身したのである。
「お遊びで作った魔法だけど、あなたには有効そうね」
 本体のフランは三体の分身と視覚を共有させる。
 力任せに弾幕を飛ばすよりも繊細さを求められる為に魔力を使うが、これにより死角に潜り込まれる可能性は大幅に減る。
 これがフランの考えた作戦であった。兎に角、擦り傷だけでも負わせなければ気が済まない。
 嬲り、破壊はその後にすれば良い。
 瓦礫の山の上から標的を見下ろす。相対する顔の無い半透明な『目』は呆然とした様に顔を上げる。
「覚悟なさい! 昨日のようにはいかないわよ!」
 この言葉を皮切りに、再び勝負が幕を開けた。


「……らぁッ!」
 瓦礫の山を蹴り、思い切り拳を振りかぶり殴りかかる。
 当然避けられ、家具だった物の残骸へと頭から突っ込む。蹴りと飛び込みの衝撃で部屋中が震え、煉瓦の剥げた天井から土くれが零れる。
 破壊の能力で残骸を消し、ゆっくりと立ち上がる。
 昨日までなら見失い、苦労して見つけては挑発に乗って頭に血が上っていた。だが、今回は三体の分身が居る。
 『目』を見逃していない。心配そうな素振りで背後からこちらを見ていた。
 余りにも予想通りの様子に、フランは思わず笑いが漏れる。
「うふっ、うふふふふ……アーッハッハッハッ!!さぁ、小手調べは終わり。今度はあなたを泣かしてやるんだから!」
 飽くまで攻撃の主体は本体だ。分身は『目』の捕捉に徹する。無闇に弾幕を展開すれば、それに紛れて隠れかねない。
 そう判断を下せる程度には冷静であった。
 再びフランが攻撃を仕掛ける。『目』は闘志尽きないフランを見て喜び、小さく跳ねている。
 右爪の振り下ろしを、後ろに跳んで避ける。
 前のめりに崩れた体制を、羽ばたいて無理矢理立て直し、追撃の光弾を放つも『目』はくるりとターンして流す。
 背後の瓦礫を貫通して、奥の壁に更なる大穴が増えた。
 被害を一切気にせず、フランは更に追撃を加える。
 『目』が回転しているうちに一気に詰め、左の前蹴り。偶然にも回転で振られた手が蹴りを受け流し、弾かれる。
 即座に空中に飛び上がり、弾かれた勢いを利用して右の回し蹴りで、昨日ならば出来ない顔面を狙う。
 眼前に迫るつま先を、背中と頭が付くほどに反り返り、避ける。帽子が落ちて転がる。
「レーヴァテイン!!」
 フランが叫ぶと、呼応して瓦礫の山の中から炎が幾本も噴き出し、『目』を目掛けて背後から火柱が吹く。
 昨日投げ捨てた杖は瓦礫の中へ埋まり、主の呼び掛けを待っていたのだ。
 しかし、『目』は強烈な攻撃を気にかけることも無く、呑気に転がる帽子を拾いに小走りで追いかけ、拾う。
 それだけで全ての噴き出す火柱を避け切った。
 余りにも余裕のある、言い換えるならば舐めている行動に、フランの眉間に深く皺が刻まれる。
 黒煙立ち上る瓦礫から杖が勢い良く飛び出し、フランの左手に収まる。
 しゃがみ込んで悠々と帽子を被り直す『目』を見下し、吐き捨てる様に言った。
「判ったわ、何でこんなにも苛つくのか……。…………昨日もそんな事ばかりしていたのかお前ェ!!!」
 『目』の一連の行動は怒号を飛ばすには十分だった。
 怒りの感情に合わせて羽根の宝石は激しく輝き、溢れ出す魔力でドレスが大きく靡き、金髪が逆巻き上がる。
 魔力の波動は振動を生み、鳴動は地下室を越え、紅魔館全体が響く。だが、レミリアの言いつけ通り、誰一人として対処に向かう事はない。
 これほどまでにフランは怒りを露わにしているが、辛うじて理性は失うことはなかった。
「オオオオオオォォッッ!!」
 雄叫びと共に杖に魔力を込め、飛びかかる。
 焔を吹き出してはいない。弾幕と同じく、不意打ちですら効かない火柱に紛れられては元も子もないからだ。
 代わりに魔力によって補強された杖は、当たれば強靭な妖怪といえども無事では済まない。
「だぁッッ!!」
 間合いを詰め、縦に振り下ろす。
 『目』は奇天烈な避け方するまでも無く、右足を引き、半身となるだけで当たらなくなってしまう。返す刀で横薙ぎに振るも、振るった方向へと跳ばれ、完全に威力を殺し、更にもう一度跳んで間合いを空けられる。
 しかし、これはフランの狙い通りであった。
 跳んだ先は壁である。分身と共有した視界で連携を取り、誘導していたのだ。
 背に壁が当たり、反動で軽くたたらを踏む隙を見逃さない。
 今度こそ当てる為に、上と左右を分身が弾幕の援護射撃で塞ぐ。威力は無いが、擦り傷程度ならば出来るであろう弱さだ。壁を壊さないように威力を調整したのだ。
 そして、手を下すのは本体だと決めている。
 『目』は諦めたように立ち尽くす。
「チェックメイトよ、観念なさい」
 杖を振り上げ、上段の構えからまっすぐ振り下ろす。
 勝った。フランはそう確信していた。
 その時である。杖を振り下ろす瞬間に『目』を纏う管が蠢いた。
 フランには透明でよく見えないが、身体に繋がる管の先端が外れ、背後の壁に複数箇所、突き立てる。
 『目』は壁にもたれている。
 体重が掛かり、これまでの戦闘と管の杭打ちによって脆くなった壁は容易く崩れ、後ろへ倒れこむ。
 たまたま、壁の向こうは地面の中ではなく、地上へと上がる階段前の廊下であった。
 すんでのところで杖は届かず、またしても空振りという結末となった。
 フランはこの結果を悔しがる事は無かった。寧ろ、ようやく『目』から攻撃らしい攻撃が来たのだ。
 これまではただ避ける、若しくは挑発するだけの存在であった。それが壁へとはいえ、攻撃があったのだ。
 ようやく、敵として認識された可能性がある。闘いの予感に悔しさなど霧散した。
 土埃立つ壁穴の前へ行く。管からの攻撃を警戒し、不用意に壁を越えはしない。
 『破壊の目』は土埃の中で存在している。逃げてはいない。
「立ちなさいよ。やっとその気になってくれたんでしょ? …………ねぇ、私と遊びましょう?」
 声を掛けるも、反応がない。
 立ち込めていた土埃が落ち着いていく。
 『目』は座り込んで自らの頭を撫で摩っていた。倒れた際に後頭部を打ちつけたのだ。
 薄緑色をしたセミロングの癖っ毛を掻き分けている。
「いったーーい!!」
 声と共に姿を現した『目』は実体が存在していた。


「頭打っちゃった! 痛い痛い痛い! たんこぶ出来てないかしら!? ねぇねぇ、フランちゃん見てちょうだい。どう?」
 『目』しか見えなかった者は、無警戒に背中を見せる。
 その様子にフランは唖然としていた。敵意が無い事はこれまでから察する事が出来たが、ここまでとは。
 挑発だと思い込んでいたものは、こうして接していたからだったのである。
「フランちゃーん、どーぉ?」
「えっ!? えっと、まぁ……大丈夫じゃない?」
 催促され、思わず具合を診てしまう。小指程の石片が刺さっていたが、この程度は問題ない。
 引き抜いても、一滴も血は出ない。妖怪とは強靭なのだ。
「おっ、楽になったわ。ありがとう」
 立ち上がり、『目』は頭を下げる。
 黄色い長袖のブラウスに黒いフリル袖、深緑色の花柄スカートと、薄暗く殺風景な地下とは似合わぬ明るい格好である。
 半透明の時から見えていた管は、左胸に浮く紫の球体から四肢に伸びていた。
 しかし、それよりもフランが注目したのは双眸だ。翠緑の眼球に、開いた瞳孔は白い。
「さっきも聞いたけど……あなた、名前は?」
 フォーオブアカインドの分身は消さないが、杖は構えることなく下ろす。
 呑まれてしまいそうな深い白の眼を見ると、フランの中で渦巻いていた怒りが解消される、不思議な感覚であった。
「えーっ、ひどーい。聞いてなかったの? 私は古明地こいし。遊びに来たの」
 こいしと名乗った彼女は、後方に吹き飛んでいた帽子を拾い、被り直す。
「……! ううん、遊びはいいわ。さっきので満足した」
 こいしの帽子のつばは大きく裂かれ、隙間から翠緑の瞳が覗く。
 フランの最後の一太刀は、こいしに届いていたのである。
 こいしという『目』を破壊するという当初の目的はとうに忘れ、攻撃が届いた満足感で満たされていた。
 分身の魔法も解除し、三体は紅い霧となって散る。
「そーぉ? ……じゃあお出掛けしましょ。色んな景色を見るのは楽しいのよー」
「ちょ、ちょっと!」
 こいしはフランへと歩み寄り、半ば強引に手を取り、引き連れる。
 その躊躇いの無さに動揺し、誘いに驚いた。
 フランは生まれてこの方、紅魔館から出たことが無い。
 あるとすればレミリア同伴で数回、それも紅魔館の中庭だけだ。それ以外は常に雨が降っているか、自ら地下へと籠っていた。
 連れられるまま地下を抜け、廊下を走る。窓を一瞥すると、雲ひとつない夜空に月明かりが射していた。鈍色に輝く湖が見える。
「晴れてる……」
 今までに無い現象に、思わず声がこぼれる。
 フランには更に気になる事があった。勤務を行う夜行性の妖精がこちらを気にかける事がないのだ。
 これまで何匹も通り過ぎていったが、誰一人としてフランとこいしに無関心であった。
 あまりの出来事にフランはこいしに問いかける。
「あなた一体何者なの? こんな事一度も無かったわ」
「あれ、言ってなかったっけ? 私は瞳を閉じた覚。心は読めなくなったけど、おかげで無意識を操る力を手に入れたわ」
 手を離さないでね、とこいしは言う。離れればフランは唐突に現れたことになり、無理矢理地下に戻されるだろう。
 こいしの隠密性を身を以て知るフランは、より強く手を握り返すことで、同意を示す。
「あ、そうだった。しーっ、よ。しーっ」
 こいしは口元に指を当て、静かにするよう促す。無意識に紛れている以上、必要がない行為にフランはおかしく感じて、思わず笑みが浮かぶ。
「分かってるわ。しーっ、ね。しーっ。ウフフ」
 クスクスと静かに笑いながら二人は廊下を、そしてエントランスホールを気付かれることなく駆け抜け、玄関を出た。
「凄い、ホントにお外に出られた……」
 驚嘆に満ちた声でフランが言う。
 恐る恐る、玄関の軒下から出る。天候は裏切ることなく、満天の星々がフランを迎えた。
 門へと続く石畳の両脇に飾られた花壇には、薔薇を基本としたチューリップやヒナゲシといった赤が基調の花々が植えられている。
「さぁさ、お嬢様。わたくしお気に入りの場所へご案内致しますわ」
 芝居掛かった口調でこいしは手を引き、ゆっくりと飛び始める。いつの間にか、空いたもう片方の手には手折られた薔薇が二本収まっている。
 その二本の薔薇をフランの髪留め辺りへ挟み込むように挿す。
「もっとおめかししたいけど、それはまた次回かしらねぇ」
「次なんてあるのかしら…………」
 フランは風の音に紛れるように小さく呟いた。
 地下へ棲むことになったのは、凶悪すぎる能力ゆえに他者へ知られたくなかったという、レミリアたちの思惑があったからだ。
 今回の外出が発覚すれば、地下の幽閉だけでは済まない可能性は大いにある。
 そんな諦観混じりの呟きをこいしは聞き逃さず、緑の瞳でフランを見据えた。
「大丈夫よ。あの場所で私に気付けるのはフランちゃんだけ。忘れなければまた一緒に遊べるわ」
 忘れなければ。どういう事なのか。意味深な発言に疑問を持ったものの、直後にそれは吹き飛んだ。
「わぁ……!」
 フランが見た光景は一面の向日葵の丘。月明かりで照らされ、幻想的な魅力で満ちている。
 たまに観る紅魔館の中庭も紅い花々で美しかったが、雨で台無しだとフランは常々思っていた。
 それが晴れた中であれば、種類は違えどこれ程までに美しいとは。
 本や新聞で読む光景とは全然違う、実体験の衝撃にフランは感動し、息を呑む。
「色んなところを見てきたけど、私はここが一番好きかなー」
「向日葵なんて太陽の花、永久に見られないと思っていたわ。……素敵な景色をありがとう、こいし」
「んふふー、照れちゃうわ」
 手を顔に当て、身を捩らせてこいしは笑う。
 そんなこいしを見てフランは、家族への親愛の情に近いものを抱いた。
 だからこそ、先程の発言が気がかりだった。忘れなければ、とは。
「ねぇ、こいし。あなたさっきのーー」
「次行きましょ! 他にも見てもらいたい所はいっぱいあるの!」
 フランの言葉を遮るように、こいしは再び手を取り飛び立った。


 それから二人は様々な場所へと行った。
 向日葵の丘からすぐの鈴蘭の花畑を眺めたり、紅魔館そばの山、そこの山頂から幻想郷を一望し、満開の桜が咲き乱れる庭園へ踏み入るなど、自由気ままに足を運んだ。
 中でも二人が面白がった場所は神社であった。
 神社の巫女を務める博麗霊夢は、以前にフランと一戦交えた事があり、今はレミリアが対峙していた。
 戦闘は霊夢が大幅に有利な戦況であった。
 常日頃、尊大な態度で接する姉が、顔を腫らして半泣きになりながら戦う様は、フランにとっては新鮮でとても面白いものだった。
 観戦する多くの妖怪たちに混じって野次を飛ばす。
 レミリアが敗北し、大泣きしながら咲夜に抱き着く姿を笑って見届け、二人は神社を後にした。
「キャハハハハ! 見た!? あいつのあの顔! エラソーにしてるからよ、いい気味だわ!」
「巫女って生き物は強いのね。どういう種族なのか気になるわー」
 興奮で互いの会話が噛み合わないが、共に気にしてはいない。
 二人は今、湖の上空でのんびりと漂っていた。空は白み始めてきた。日の出は近い。
 ひとしきり言いたい放題言い続け、落ち着いたところでフランがこいしを見て言った。
「はぁー……面白かったぁ。今日はありがとね、こいし。私そろそろ戻らなきゃ」
「戻る? どうして? 眠いの?」
 こいしは不思議そうにフランの顔を覗き込む。
 覚としての瞳を閉じた結果、慮るどころか心の機微を察知する事が出来なくなっている。
 どうしてフランが帰ろうとするのか理解不能なのだ。
「ううん、そうじゃない。私は吸血鬼だから日差しの下を歩けない。お空が明るくなり始めてから、身体が震えて仕方がないの」
 こいしが良く見ると、フランの身体は小刻みに震えている。
 吸血鬼としての本能が日光を拒絶しているのだ。
 このままでは、無事では済まない。そしてフランにとって、確実に日光を避けられる場所は紅魔館地下室以外知らない。
「ふぅん。じゃ、帰りましょっか。忘れなかったらまた来るわ」
 こいしとフランは手を繋ぎ、紅魔館へ向かって飛び始めた。こいしの無意識の力を借り、密かに地下へ戻る為だ。
 帰る道すがら、フランはこいしの発言が気がかりだった。
 忘れなかったら。こいしが再び口にしたこの言葉が、いつまでも拭えない不安となっている。
「あのさ」
「ん?」
「気になってたんだけど、こいしは忘れるの?これだけいーっぱい遊んだのに」
 こいしは飛行を止める。唐突に動かなくなった為、手を繋いでいなければ気付かずに大きく引き離していた。
 こいしは俯き、帽子のつばで顔を隠している。裂け目からでも表情を伺い知れない。
「こいし?」
「フランちゃんは忘れないでね。間を置いても私を忘れなかったのは、お姉ちゃん以外だとフランちゃんだけだもん」
「勿論よ。あんなに腹の立つのは初めて……あっ」
 しまった、と思いフランは顔をしかめる。これだけ楽しく過ごせたのだ。不躾な返事にばつの悪い顔をする。
「ふふ、これなら大丈夫そう。私も頑張って覚えておくわ。素敵な出逢いでしたものねー」
 こいしは吹っ切れた様な笑顔で、フランにしなだれかかる。
 失言を煽る程度で、特段気にしていない様子にフランは胸を撫で下ろし、抱き返す。
 照れ臭く感じたフランはその後、何も言えなかった。
 こいしはそんなフランに応じて、何も言わなかった。
 静かで不思議な感覚を味わいつつ、二人は紅魔館へと忍び戻った。


 地下室へ戻ったフランは瓦礫の山に腰を下ろす。
「じゃあね、フランちゃん。お姉ちゃんに宜しくね。面白いものが見れたって」
「じゃあね、こいし。また今度もーー」
 遊びましょうと言いかけた時、喧しく足音を鳴らし地下室へと踏み入った者が居た。姉のレミリアと従者の咲夜である。
 二人よりも先に帰宅しており、寝巻きに着替え、レミリアは頬に大きな湿布を貼り付けている。
 心配そうな咲夜に対し、レミリアは不遜である。
 咲夜は目の前のこいしに気付くことはなく、無視してフランへ詰め寄り、抱き締める。
「フランドール様、良くご無事で帰られました。お怪我はありませんか。不埒な輩に絡まれませんでしたか」
「だから言っただろう。問題ないって」
「わっ、わっ。大丈夫。大丈夫だから離して咲夜」
 咲夜の大胆な行動に焦るも、その厚意を甘んじて受け入れる。
 咲夜の銀髪越しに、こいしが大きく手を振って出て行く姿を見た。
 フランも小さく手を振り返す。
 レミリアはフランの行動を見ると、後ろへ振り返る。
「咲夜」
 レミリアの一声と同時に抱き締め続けていた咲夜は文字通り消えた。
 時を操り、侵入者であるこいしを探し出すつもりである。
 レミリアは未だ地上へ続く廊下を見ていた。捜索の結果が知りたいのだ。
 フランはレミリアの背後へとそっと忍び寄り、湿布部分を強く抓った。
「痛ッ!!?」
「アハハ、随分面白いものを見せてもらったわ。泣き虫お姉様」
「あっ!? えっ、ええっと……な、何のことかしら?」
「とぼけなくたっていいわ。咲夜に抱かれてあーんなにしおらしくしてたじゃない」
 スカーレット姉妹の仲睦まじい様子を、こいしは崩れた壁越しに見ていた。
 少しだけ羨ましく思ったこいしはズレた帽子を直し、地下を出た。
やっとこさ二作目です。
前作はたくさんの評価、コメントありがとうございます。
もう少し速く書けるようになりたいですね。
やまじゅん
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コメント



0.簡易評価なし
1.100サク_ウマ削除
描写が非常に丁寧で見事でした。大変楽しませて頂きました。
こいフラ可愛いやったー!
2.90奇声を発する程度の能力削除
こいフラが可愛らしく良かったです
3.100ヘンプ削除
すごい……情景描写すごい……
フランの怒りがとても伝わってきていて素晴らしかったです
可愛くて素敵でした!
4.90名前が無い程度の能力削除
こいしが見えない時の描写が良かったです
なんかどきどきする
5.100南条削除
面白かったです
姿は認識できなくても目だけは見えるというのが斬新でした
レミリアの情けない姿を見て興奮しているフランがかわいらしかったです
6.100封筒おとした削除
楽しく読ませていただきました。
描写が細かくて良かったです。咲夜のお辞儀の深さや妖精の大義名分の件などいろんな場所にスポットが当たって面白い。
タイトル好き
7.100イド削除
緻密な描写と感情表現でとても楽しく読めました。
面白かったです
8.80名前が無い程度の能力削除
こいフラいいですね
9.100終身削除
なんかこいフラって今にもバランスが崩れそうな儚い関係のようなイメージがあるんですけど純粋に怒りをぶつけながら全力で殺しにかかってるフランがまさにそれって感じで好きです その後のしーっとか言ってみたり忘れないって言い合ったり普通に友達になって少女してる2人も最高に眩しくて良かったと思います