人里の朝は早い。
これは夜は外に出ず早く寝る人が多いために、結果的に早起きする人口が多いからである。
日が昇れば妖怪の時間は終わりを告げ、人の時間がやってくる。
暗闇に怯える事なく、外に出られるのだ。
なんと喜ばしい事か。
人里に住まう者ならば、夜が明ける事を誰しもが望む筈だ。
一名を除いて。
○
「準備万端!!始めるぞ!!」
筆を走らせ、脳に流れる果てなき歴史を書いて行く。
文字は読めればいい。後で読めるならば幾らでも書き直すことができる。今は、ひたすらに歴史を書き出すのだ。
窓から差し込む月光は、その女の影を薄く部屋に映し出す。
頭部から伸びる二本の角は、その人物が人間では無い事を示していた。
「甘味!甘味が欲しい!!が、取りに行く時間が勿体無い!!」
独り言を喚き散らし、思考を高速で切り替えていく。
上白沢慧音。
普段は厳格な教師である彼女だが、満月の晩に限っては別の仕事に全リソースを注ぎ込む為に色々と素が見え隠れしてしまう。
筆が進む。
上質な和紙に、墨の黒。
流れるようにサラサラと、では無く、激流のようにゴリゴリと墨が文字の形を成して行く。
「漢字なんて書いていられるか!平仮名でもわかればいい!…ぐっ!“ぬ”の書き方が思い出せない!?」
歴史の編纂。
それが彼女の、ワーハクタクとしての仕事である。
0時を周り、夜は尚も沈んでいき。
直線に近付けば近付くほど筆記は効率性を高めていく。
文字の凹凸を減らし、筆先は紙から離れずにぐしゃりと潰れた文字が紙の上に並んだ。
「ぐ、昂ぶって、きた」
腕に瞳の様な痣が浮かび上がる。
原初の白澤は4足動物に近い姿だったとされていた。
しかし幻想郷では、人のイメージにある程度影響される。
今では石燕以降のイメージが広く知られ、世に多く見られる白澤は“多眼”である。
丑三つ時。
時は経過し、夜は最も深い位置まで沈む。
人と妖の天秤は妖に一番傾き、体表にすら影響が生じていく。
尾は伸び、体の各所が蠢いた。
能力は更に加速し、人の力を越え。
「書き辛いだろうがぁ!!!」
ダァンと作業机を叩く音が響いた。
白澤の力が強まり、蹄と化した掌をワナワナと鼻先で震わせながら慧音は吠える。
「なんで!!今なんだッ!!!」
口で筆を咥え、紙に文字を書きながら表情を歪めた。
最も能力の高まる時間帯が、最も仕事が出来ない時間なのだ。
毎度毎度、慧音はこの時間帯に吠えている。
言わずにはいられない。
言わなければ、やってられない。
「指!筆さえ掴めればなんだっていい!戻れ!!指!指!!指ィ!!!」
小指だけ人の形に戻った。
「なぜ小指!!!?」
自分の体に激怒しながら小指で筆を持つ。
小指から戻るのはいつもの事なので、器用にも文字を書いていく。
「持ち辛い!!」
自分の体に怒りを燃やしながら。
不可逆な理に則って夜は朝へと昇っていき、天秤は微かに人の方へ傾いた。
腕が、顔が、体が人へ姿を戻す。
能力の加速は緩やかになり、やがて減速し始めた。
「戻れ!能力!戻ってくれ!!」
空は白みはじめ、筆の速度だけが上がっていく。
文字列はほぼ直線となり、彼女しか読める者はいない模様と化した。
角は髪に隠れる程小さくなり、尾はもう殆ど見えない。
「まだまだいける!まだいける!!」
白澤の能力をほぼ人の身で使う負担により、頭痛に顔を顰める。
しかし慧音は筆を更に走らせた。
「まだ太陽は見えない!夜!実質今は満月の夜!」
支離滅裂な理論で編纂は続く。
筆は更に速度を増し、只の直線と成り果てた。
しかし、太陽が山々より顔を出した瞬間に、プツンと糸が切れた様に倒れこむ。
荒い息が部屋に響き、徐々に息が静かなものへとなっていき。
「…あぁ、寺子屋に行かないと」
ふらりと真顔で立ち上がった姿は、完全に人の姿で。
慧音は人に近い姿で能力をギリギリまで使った副作用により、極度の眠気と疲労感、そして思考力が低下した状態になっている。
なので。
「せーんせー!妖怪って怖いね!もし先生が妖怪だとしたら何の妖怪ー?」
「…ん?あぁ、焼き鮭だよ」
「先生!?」
「間違えた。多分なすびだな」
「先生!!?」
満月の翌日。
寺子屋の先生がおかしくなる事は、周知の事実である。
「おしおのおふとん」
「先生!今は算術の時間です!」
これは夜は外に出ず早く寝る人が多いために、結果的に早起きする人口が多いからである。
日が昇れば妖怪の時間は終わりを告げ、人の時間がやってくる。
暗闇に怯える事なく、外に出られるのだ。
なんと喜ばしい事か。
人里に住まう者ならば、夜が明ける事を誰しもが望む筈だ。
一名を除いて。
○
「準備万端!!始めるぞ!!」
筆を走らせ、脳に流れる果てなき歴史を書いて行く。
文字は読めればいい。後で読めるならば幾らでも書き直すことができる。今は、ひたすらに歴史を書き出すのだ。
窓から差し込む月光は、その女の影を薄く部屋に映し出す。
頭部から伸びる二本の角は、その人物が人間では無い事を示していた。
「甘味!甘味が欲しい!!が、取りに行く時間が勿体無い!!」
独り言を喚き散らし、思考を高速で切り替えていく。
上白沢慧音。
普段は厳格な教師である彼女だが、満月の晩に限っては別の仕事に全リソースを注ぎ込む為に色々と素が見え隠れしてしまう。
筆が進む。
上質な和紙に、墨の黒。
流れるようにサラサラと、では無く、激流のようにゴリゴリと墨が文字の形を成して行く。
「漢字なんて書いていられるか!平仮名でもわかればいい!…ぐっ!“ぬ”の書き方が思い出せない!?」
歴史の編纂。
それが彼女の、ワーハクタクとしての仕事である。
0時を周り、夜は尚も沈んでいき。
直線に近付けば近付くほど筆記は効率性を高めていく。
文字の凹凸を減らし、筆先は紙から離れずにぐしゃりと潰れた文字が紙の上に並んだ。
「ぐ、昂ぶって、きた」
腕に瞳の様な痣が浮かび上がる。
原初の白澤は4足動物に近い姿だったとされていた。
しかし幻想郷では、人のイメージにある程度影響される。
今では石燕以降のイメージが広く知られ、世に多く見られる白澤は“多眼”である。
丑三つ時。
時は経過し、夜は最も深い位置まで沈む。
人と妖の天秤は妖に一番傾き、体表にすら影響が生じていく。
尾は伸び、体の各所が蠢いた。
能力は更に加速し、人の力を越え。
「書き辛いだろうがぁ!!!」
ダァンと作業机を叩く音が響いた。
白澤の力が強まり、蹄と化した掌をワナワナと鼻先で震わせながら慧音は吠える。
「なんで!!今なんだッ!!!」
口で筆を咥え、紙に文字を書きながら表情を歪めた。
最も能力の高まる時間帯が、最も仕事が出来ない時間なのだ。
毎度毎度、慧音はこの時間帯に吠えている。
言わずにはいられない。
言わなければ、やってられない。
「指!筆さえ掴めればなんだっていい!戻れ!!指!指!!指ィ!!!」
小指だけ人の形に戻った。
「なぜ小指!!!?」
自分の体に激怒しながら小指で筆を持つ。
小指から戻るのはいつもの事なので、器用にも文字を書いていく。
「持ち辛い!!」
自分の体に怒りを燃やしながら。
不可逆な理に則って夜は朝へと昇っていき、天秤は微かに人の方へ傾いた。
腕が、顔が、体が人へ姿を戻す。
能力の加速は緩やかになり、やがて減速し始めた。
「戻れ!能力!戻ってくれ!!」
空は白みはじめ、筆の速度だけが上がっていく。
文字列はほぼ直線となり、彼女しか読める者はいない模様と化した。
角は髪に隠れる程小さくなり、尾はもう殆ど見えない。
「まだまだいける!まだいける!!」
白澤の能力をほぼ人の身で使う負担により、頭痛に顔を顰める。
しかし慧音は筆を更に走らせた。
「まだ太陽は見えない!夜!実質今は満月の夜!」
支離滅裂な理論で編纂は続く。
筆は更に速度を増し、只の直線と成り果てた。
しかし、太陽が山々より顔を出した瞬間に、プツンと糸が切れた様に倒れこむ。
荒い息が部屋に響き、徐々に息が静かなものへとなっていき。
「…あぁ、寺子屋に行かないと」
ふらりと真顔で立ち上がった姿は、完全に人の姿で。
慧音は人に近い姿で能力をギリギリまで使った副作用により、極度の眠気と疲労感、そして思考力が低下した状態になっている。
なので。
「せーんせー!妖怪って怖いね!もし先生が妖怪だとしたら何の妖怪ー?」
「…ん?あぁ、焼き鮭だよ」
「先生!?」
「間違えた。多分なすびだな」
「先生!!?」
満月の翌日。
寺子屋の先生がおかしくなる事は、周知の事実である。
「おしおのおふとん」
「先生!今は算術の時間です!」
翌日くらい休暇取りなよけーね