今日もどこかの寺燃ゆる。
犯人はもちろんこの人。聖徳王・豊聡耳神子の忠臣にして頭のイカれてる仙人その弐、物部布都である。
そして共犯者はこちら。豊聡耳神子のお面から生まれた面霊気、秦こころ。
つまりどういう事かというと、二人が起こした事件の後始末をしなければならないのは、他でもない神子という事だ。
豊聡耳神子は多忙の身である。自身の支持を集める為ならば幻想郷を東奔西走し、商売敵の動向の把握も欠かさない。さらに天仙へと至らんが為の修行でしばらく外界との関わりを経つことも珍しくはない。
さて、現在はそんな神子が数日ぶりに仙界の道場へ戻り、その間に起きたやらかしの申し開きを二人から聞いているところであった。
ところが、寺を燃やした事よりも重要な報告が二人にはあるらしい。
◇
布都曰く「太子様、屠自古の奴めが風邪を引きました」と。
神子はおもわず今日の日付を確認した。はて、寝呆けていたが今日は綿抜きの日だったかな、と。
しかし少なくとも呆けているのは神子ではなかったようだ。今は蝉も命を燃やす夏の真っ盛り、四月馬鹿の時期はとうに過ぎていた。
「冗談にしてもセンスが無い。そんな嘘で誰を騙せるというのだね」
幽霊が風邪を引くものか。嘘でないとしても、物部の一族というのは確認もせず独断で突っ走った行動を取る。布都はどうにもそそっかしいのが治らないので、また何かおかしな勘違いでもしたのだろうと結論付ける神子だったのだが。
「嘘じゃないよ。屠自古の顔が真っ赤で苦しそうだよー。だから焼き討ちにも連れて行かなかったんだもん」
こころが顔色は変えずに赤ら顔の猿の面を頭に付けて訴える。そんな理由なら皆で常に風邪を引いていてくれ、と神子は思った。
「屠自古だって顔を赤くすることぐらいあるだろう。この前だって酒に酔った時は酷かった」
「ああ、あの時は酷かったですなあ……あ、そうですとも! 霊体のくせに酒に酔うとなれば、風邪ぐらい引いてもおかしくないと思いますぞ!」
神子も布都も互いに言われてみればという顔をした。確かに屠自古は、幽霊というにはいろいろな点で生きた人間臭い。食事をする、睡眠を取る、風呂にも入る。脚さえあれば生者のふりも容易だろう。
何より神子には初めから分かっていた。この二人が嘘で神子を嵌めようなどという欲など持っていなかった事は。
「とにかくです、百聞は一見に如かずと言いますぞ。騙されたと思ってまずは屠自古を診てやってはくれませぬか」
そこまで言われて意固地になる理由も無い。神子は二人を伴って屠自古の寝室へと向かうことにした。
屠自古は薄い布一枚を被って寝込んでいた。顔も真っ赤で、寝てる間に相当の発汗があったのだろうか、布はしっとりと湿っている。
「信じられないが、風邪にしか見えないな……」
神子は屠自古の額に手を当てる。手に伝わる熱量からも、これは高熱を出して寝込んでいるのだと結論付けるしかなかった。
「太子様、今は私から離れていて下さい……」
神子の心配をよそに屠自古の反応はそっけないものだった。
「それは、移るからですか?」
「移りはしませんが……動転して何か酷い事を言いかねません」
神子も屠自古の口調が荒っぽいのは承知の上だが、神子に対しては基本的に丁寧だ。しかし時折忘れそうになるが屠自古は怨霊である。彼女は怨みを根源にして存在しているのだ。
「……分かりました。今は貴女の意思を尊重しますが、その状態は寝ていれば自然に治るのかは教えてもらえますか」
「これは、治りません。放っておけば悪化するだけです」
「ならば、治せる方法は? あるいは治せる人は?」
屠自古はその問いにしばし沈黙を続けたが、やがて敵わぬと判断したか小さく口を開けた。
「……青娥しか」
青娥か。神子はわずかに眉をひそめた。
◇
布都とこころの二人は、神子が道場に戻るのを待ち構えていた。
「どうです、嘘では無かったでしょうぞ?」
布都は何故か誇らしげだ。神子は褒める気にも笑う気にもなれなかった。
「風邪なのかは不明だが、あれは青娥にしか治せないらしい。さて、どうしたものかな」
「青娥殿ですか! ならば迷うことはありませんな。早速お呼びするべきですぞ!」
浮かない顔の神子に反して布都は非常に乗り気の様子だ。
神子にとっては意外であるが布都は青娥に懐いていた。青娥が道場に遊びに来たときにはよく囲碁を指しているのを見かける。修行にならないから止めて欲しいという神子の小言も、青娥はもちろん聞き入れてくれない。
「……あの、いいですか? 青娥って人、悪い人なんだよね? 本当に呼んでいいの?」
こころがおずおずと右手を挙げて質問した。こころが言う事は正しい。なぜなら青娥は邪仙だからだ。
たしかに死体や霊と行動を共にしている彼女ならばこういった状態にも詳しいのかもしれない。なにより青娥は神子、布都、屠自古の三人に道教と仙術を伝授した仙人としての師でもある。
「ふむ。そうか、こころは青娥殿を嫌っていたのじゃったな」
布都の言葉に、こころは自身と同じく感情の見えない能面を被る。
「嫌い……なのかな? そういうのじゃなくて、許せないんです」
以前、謎の取材を受けて神子とこころは神霊廟の面々のレビューをしたことがあった。青娥の点数が芳しくないのは邪仙の烙印からして想像に難くないが、こころは点数の代わりにこう評したのだ。『怒』と。
「こころ、君の気持ちは理解できるよ。青娥は劇薬だ。取扱いを間違えれば害を成すのは必然。だが劇薬はその危険性が故に、それにしか出来ない役割もある」
「えーと、つまり……呼ぶってこと?」
「それしかなければ。なあに、手綱を弛めなければ大丈夫さ。何とかと鋏は使いようってね」
「確かに、青娥殿は鋏みたいな頭ですからのう」
ハサミだとしたら、おそらく肉屋に置いてあるような物騒な切れ味に違いないであろう。布都は能天気な笑い声を上げた。
ああ、そのせいで床から──。
「あらあら、今どなたの頭が馬鹿って話をしてらしたのかしらぁ?」
三人は綺麗に三方向に飛び退いた。120度の等間隔で。
「気を付けろ 床に耳在り 青娥にゃん 御呼びとあらば 即参上」
宮古芳香の妙な短歌と共にぽっかりと空いた穴から飛び出すは、頭のイカれてる仙人その壱、もとい『無理非道な仙人』霍青娥その人であった。
「せ、青娥殿!? いつからそこに……!」
「いつもどこも、今来たんですよぉ。私を求める声が聴こえたもので」
「……相変わらず無駄が無くて助かりますよ、師匠」
こういう時に限って本当に話が早いのだから普段から無駄な事をしないでくれれば、とは神子の胸中。
「それで、ここに来られたのは屠自古の為という事で宜しいですか?」
「五分の一は正解です。残り四つは豊聡耳様の為、布都さんの為、そして芳香と、何より私の為」
顔の前に挙げた右手の指を一本一本折りながら、青娥はつらつらとそう語る。
「……私は?」
その場に居て一人だけ名前を挙げて貰えなかったこころが頬を膨らませる。
「あら、豊聡耳様のお面から生まれた子じゃない。貴女は屠自古さんのお友達なのかしら?」
青娥の問いに、こころは目線を逸らしながらこくんと頷く。
「嫌われちゃったかしらねぇ。でも貴女の為も追加しておきましょうね」
青娥は折った小指を再びピンと立てた。
「申し訳ありませんな、青娥殿。こころは少し人見知りが激しい性格なのです」
「布都さんらしくもない。そのような気遣いは無用ですよ。その子が私をどう思っているか、こちらもしっかり把握しておりますもの」
「そうだぞぉ、青娥はみーんなお見通しだぞぉ」
般若の面を被ったこころと頭を下げる布都を眺めて、青娥はころころと微笑む。
もとより青娥は稗田阿求からも『危険度:高』『出会ってもまともに相手をするな』『飽きられるまで無視しろ』などと散々に評された人物である。邪険にされるのにも慣れきっているのだろう。
「……私、あなたに怒りを感じています」
「それは取材を受けた時にも言ってましたわねぇ」
「そうじゃないです。私が感じたのは……」
こころの口を神子が遮った。
「そこまでにしなさい。青娥、屠自古の不調を治せるのは貴女だけだと聞きました。そもそも屠自古が寝込んでいるのは風邪が原因なのですか?」
「いやですわ、豊聡耳様ったらぁ。幽霊が風邪なんか引くわけがないじゃないですか。あれはね、屠自古さんが可愛いからあんな事になっちゃったんですよー」
「は、はあ……」
可愛いから寝込むというのも意味が分からない。皆、どうせ青娥だから適当な事を言っているのだろうと真に受ける気は起きなかった。
「ともかく、どうか屠自古を助けていただけないでしょうか」
神子が青娥に向けて頭を下げた。それを見た布都も急ぎ神子に合わせて頭を垂れる。
「……さて、それです。私は本当に屠自古さんを救うべきなのでしょうか?」
それはこの場面で予想だにしない答えだったのだろう。神子は厳しい顔つきで青娥を見上げた。
「何故ですか? 貴女は先ほど屠自古の為と申したではないですか」
青娥は品定めをするかのように神子の顔を涼しげに眺めている。険悪な雰囲気に、布都は神子と青娥の間で顔を右往左往させる。
物を考えぬはずの死体である芳香は皆のそんな様子を、それぞれに思うところがある表情でじっと眺めていた。
「だって、屠自古さんは本来いない人なんですよ?」
青娥が切り込んだことで空気がぴんと張り詰めた。
神子と布都の二人は、怯むことなく頑なに青娥の目を見続けていた。
「あの方が亡くなった経緯は、布都さん……貴方が一番よくご存知でありましょう。本来ならばあの方はこの場に居ないのが自然な状態なのです。はっきりと申しますが、屠自古さんがまだ私達の前に居られるのは、この青娥の力以外の何物でもありませんわ」
「……青娥殿、我はその事について言い訳する気などありませぬ。あの時はそれが最善だと信じておりましたし、今でも」
二人は目を逸らさなかった。青娥が今、神霊廟を語る上で決して避けられない『闇』の部分に切り込んでいる。それは部外者であるこころにもなんとなく分かった。
「青娥、その話をしたいのであればますます屠自古を外すことは出来ません。まずは彼女を普段の状態に戻していただけるでしょうか。生かすも殺すも貴女次第、なのでしょう?」
「……よろしいですがその前に一つ。豊聡耳様は、まだ屠自古さんと一緒に居たいですか?」
「無論、です」
青娥は満足そうにふっと微笑んだ。
「私も、ですよ」
◇
途中、青娥は次のように語った。
──そもそも、幽体である屠自古さんに何故実体があるのだと思いますか? それはここが幻想郷だから……ふふ、それも答えの一つにはなりましょうが、ここでは不正解ですわ。
それでは他の幽霊の方々を例に挙げてみましょう。同じ幽霊と申しましても、西行の娘様は冥界という死者の為の環境ですから魂がそれ以上の力を持つ事は容易です。加えて彼女は八雲様のご友人ですから生と死の境界を歪める事も可能です。それがあの方に生者としての質を与えているのでしょうね。
プリズムリバー楽団の皆様は、聞くところによれば実はもう一人おりました四女様によって魔法で生み出された存在だそうです。つまり、もともと幽霊とは少し違う方々なのですね。それに彼女たちはポルターガイスト、物に取り憑くタイプの霊魂よ。つまり実物と同化する事で自ら実体を得られるという事です。それにしても、生み出した方は既に亡くなられたので三姉妹となってしまったのですが、私がその場にいれば今でも4人で演奏させてあげられましたのに残念です。
他にも珍しい幽霊として……あらこころちゃん、さっさと話を進めろ、ですか。では、仕方がないので屠自古さんの話をしましょうか。
屠自古さんは"よく御存知の通り"尸解仙の術の妨害による死を恨んで幽体と化しました。幽霊とはスピリット、精神的な部分のみで存在しています。だから屠自古さんは1400年もの間、怨みを持ち続けていたということですね。
ですが、まさかそんなはずがないでしょう。同じ感情をずっと維持すると言うのは口で言うほど易いものではございません。まして精神には肉体と同様に寿命があるのです。より正しく言うならば、蓄積に耐えきれずに破裂する、でしょうか。
例え肉体を不老不死に出来ても、記憶の蓄積には必ず限界が訪れます。それが心の崩壊の時ですわ。私にもその時は来ましたし、お二人にも絶対にその時はやって来ます。まあ、そうは脅かしましたが、実際はそこまで心配する事はありません。何故なら精神が崩壊しても肉体がバックアップの機能を果たすからです。いわゆる『体が覚えている』というやつですわね。記憶というのは脳だけでなく遺伝子にも刻まれているものなの。そんなスペルカードもあったかしら。
ならば肉体の無い人はどうなるかという話よね。精神の死は人の心を『人でなし』の化物に変えてしまいます。屠自古さんも放っておけば、何を怨んでいたかも、己が姿までも忘れ、森羅万象を憎む悍ましき怪物になっていたことでしょう。まあ、そうなっても屠自古さんは可愛いんですけど。
さてと、幽霊となった屠自古さん、限界は想像以上の早さでした。やっぱりね、辛いのですよ。自分は確かにここに居る、なのに自分は死んでいる。この事実を直視しなければいけないのは。それも豊聡耳様と布都さんの死を目の当たりにしながら……ですから。
お二人は術で眠っているだけだから死んでない? あらあら、自分で言うのもなんですけれど、私の事をそこまで信用していただけたのかしらね。少なくとも屠自古さんは私の事をずっと疑いの眼で見てらしたわ。
それはともかく、屠自古さんをこのまま放っておけば、いずれお二人が目覚める前か後か。遅かれ早かれお二人や平安の都を祟り殺す事になりかねませんので私の方で対処いたしましたの。
とは言っても大したことではありませんけど。つまり屠自古さんが元の姿を失わず、記憶の破裂を起こしても大丈夫なように肉体を用意すればいいのです。やっている事は尸解とそう変わりませんわ。屠自古さんの依代となる素材に霊魂を定着させて姿をイメージする。そうすることで生前と同じ身体を再現できるようになりました。気が狂わないようになるべく人と同じ生活ができるようにもね。調整には幾人かの『尊い犠牲』を伴いまして、とても苦労しましたけど──。
「……私の事をべらべらと、その本人の横で喋るなよ……」
気付けば屠自古が真横であった。青娥は寝室に入ってからもしばらく語っていたのだ。
「あらごめんなさぁい。屠自古さんの事なのでつい熱が入ってしまいました」
「よく言うよ……昔のお前って私に冷たかっただろ」
「だってぇ、あの頃の屠自古さんってば、私に酷い事いっぱい言ったじゃないですか」
今でも酷い事はいっぱい言っているが、と周囲は思う。ともかく、青娥の話はもうお腹いっぱいだというのが芳香以外の共通意識だ。
「じゃれつくのは後にしろー。早く屠自古を治せー」
こころの野次が飛んだ。
「……ここからが本題でしたのに、やれやれですわ」
皆を代表したこころの催促に応え、青娥は左の掌を屠自古の腹部に優しく置く。
「屠自古さん、最終確認ですけど、剥がしてしまって宜しいですね?」
「ここでゴネても何にもならないだろ。勝手にしやがれ……それと……」
屠自古は普段の態度からは想像できないほど大人しく青娥の手を受け入れた。
他の皆に分からないよう声には出さなかったが、屠自古の口はこのように動いていた。
すまん、と。
──解。
右手で印を切りながら青娥は言の葉を紡ぐ。するとどうだろうか、屠自古の身体が蒼白く発光し始めたではないか。
手から肩へ、足先から腹へ、頭から胸へ。青い光は珠となり、屠自古の先端から中心へと、一箇所に集っていく。
光球は屠自古の身体から色を奪っていき、奪われた処は土色に変貌を遂げていった。その様子に思わず手を出そうとするこころであったが、布都に強い力で腕を捕まれてしまう。
やがて、光球は青娥が手を当てていた腹部に収束し、頭よりも巨大な一つの球となった。一方で屠自古の身体は全身が完全なる土気色となり、その大きさは元の半分にも満たないほどに縮んでしまっていた。
「これは……土人形、か」
質問かどうかは微妙であったが、青娥は神子のその呟きに応える。
「ベースは粘土ですが、他にもいろいろと混ぜていますわ。最初は精巧な作りじゃなかったんですよ? でも愛着が湧く内にどんどん手が込むようになっていってね。私はこの術を、巫魂『オーバーソウル』と名付けたのですが……」
「待て青娥。何やら嫌な予感がするからその名前は考え直したまえ」
頭を抱える神子に、青娥は困ったような笑みを浮かべた。
屠自古から色を奪った光球は青娥の掌に乗ったまま、その光を保ち続けている。
「ちなみに、混ぜたものは何だと思いましたか? 正解はね、布都さんがすり替えた壺の土と、皆さんの遺灰です。どうですか、いかにも怨念が籠もりそうだと思いません?」
「……罰当たりだな。屠自古のみならず私達の遺灰まで使ったのですか。そもそも私達の元の身体が本当に火葬されたのかも怪しい。他でもない貴女が居たのですから」
「まあ、怨みはこの際どうでもいいの。屠自古さんの記憶を持っている物を使うのが大事という事ね。それが屠自古さんのイメージ構成に一役買っているのですわ」
青娥は当然、遺灰を使った事に悪びれもしなかった。死体など、供養が終われば飾るか燃やすか埋めるかだけの物でしかない。ならば少しでも有効活用するべきだと、彼女はそう考えているのだ。
「ご心配には及びませんよ。皆さんの死体はちゃんと予定通り火葬されました。元の躰が残っていると魂魄はどうしてもそちらに還ろうとします。そうなっては尸解仙の術は完全に失敗しちゃいますからね」
布都が一歩前に出て、頭を下げた。
「……青娥殿、我が非道なる行いの意図をこのように汲んでくれた事、誠に言葉も御座いませぬ。して、その光の玉は屠自古の魂魄ということでしょうか?」
布都から指を差されたそれは、皆の視線が集まると一回りぎゅっと縮んだように見えた。
「そうですけどぉ……ちょっと、屠自古さんってば、今さら何を恥ずかしがってるんですか。心配されてるんだから早くその可愛いお顔を見せてくださいな」
光球は青娥の呆れ声に反応して膨らんだり縮んだりを繰り返すが、やがて観念したのか、球は輝きを増すと同時に人の形に姿を変えた。
屠自古だ。
それはその場に居る全員がよく知っている屠自古の姿である。
「あ、あの……ご無沙汰してます。蘇我屠自古、です……」
「ついさっきまで顔合わせてたぞー」
芳香にまで呆れられるほどに屠自古は挙動不審だった。青娥の後ろに隠れて4人の様子をチラチラと伺っている。
「屠自古……でいいのですよね? 性格が変わったように見えますが」
「不安になるのはごもっともですが、この方は正真正銘の屠自古さんです。この人ったらね、剥き出しの精神状態で皆様と向き合うのが恥ずかしいんですよ。言わば心のすっぴん状態という事ですからね。ね、可愛いでしょう?」
「可愛いぞー、屠自古ぉ」
芳香が能天気に笑う。屠自古はそんな芳香を震えながら睨み付けるが、それも小動物の如しで全く恐くない。
「そもそも屠自古さんは何で熱っぽくなっていたと思います? お二人が目覚めてからというもの、生活は目まぐるしく変化しっぱなしです。様々な出会いもありましたしお友達も増えました。つまり急な記憶の詰め込み過ぎが原因なんです。今の生活が楽しくていっぱいっぱいで仕方が無いんですよ。ね、とっても可愛いでしょ?」
「う、うるせー!! そんな可愛い可愛い言うんじゃねえやい! 元はと言えばお前が私をこんな目に遭わせたんだろうが!!」
屠自古が青娥を4人の側に突き飛ばした。これで一対五の状況である。
「そうそう、貴女はそれぐらい粗暴なくらいで丁度いいですわ。これで私の呪縛からも解き放たれてめでたしめでたし。後は成仏するなり怨霊として生きるなり、貴女の望むままにお好きになさってくださいな」
「ですが青娥殿、今の話を聞いていた限りですと、放っておけば屠自古はまた壊れてしまうのでは?」
布都が首を横にかしげた。真似をしてこころも同じ方向に首を倒す。
「大丈夫ですよ。ここは仙界、そして幻想郷。幻が実体を持てる場所なのですから屠自古さんはもはや一生命体として完成しています。それに壊れそうになっても皆さんがいるでしょう。屠自古さんが自分を見失うことはもはや有りませんよ」
青娥は一度呼吸を整えた。さしもの口から生まれた邪仙も喋り疲れたといったところか。寝床の上に転がったままだった屠自古人形を優しく拾い上げると、空いた手で芳香の帽子をぽんぽんと叩く。
「私の役目は終わりました。芳香もお腹を空かせているようですし、お茶とお菓子をいただこうかしらね」
先の怒りでいつもの性格に戻った屠自古がため息をつく。
「あーはいはい。一応、感謝してなくもないからな」
「屠自古、君は病み上がりだろう。今は何も君がやることはないぞ」
神子が心配そうに片手を上げて屠自古を制した。
「では布都にやらせますか? それとも太子様自らが? お二人とも茶菓子のしまってある場所もご存知でないでしょう。むしろ今は身体が軽いのでご心配なく」
「当然ですね。屠自古さんは言うなればずっと着ぐるみだったようなものですから。むしろ暑いのにずっと着込んでいた今までがおかしいんですよ」
「放っとけ、ダイエットだよ。軽量化しろって言ったのはお前だろ。あんま余計な事を言うなよな」
強がっちゃってほんと可愛いんだから。青娥はくすくすと微笑むと、芳香を伴って寝室を出ていこうとするが。
「青娥、これだけは言わせていただきたい」
そこを神子が引き止める。
「まずは貴女が屠自古を支えてくれた事に、心からの感謝を。そしてもう一つ。貴女の役割はまだあります。だから、勝手に居なくならないでください」
「……全ては、貴方のお望みのままに」
青娥は笑顔でそれだけを伝えると二人で出ていった。屠自古も病人だったのが嘘のように軽やかに宙に浮いて後を追う。
残る三人も後は出ていくしかなかった。
◇
戻る間、こころは再び能面であった。そわそわした様子で、神子と布都の顔を何度も見つめている。
「こころ、君は気になる事が有るようだね。いや、それも当然だろうが……」
「はい。何から何まで分からない事だらけです」
こころは神子の面から生まれた妖怪である。だからといって神子の事や当時の事など知りはしない。
「知りたい事はいっぱいあるけれど……怖いんです。みんなの心がぐるぐると渦巻いていて、感情を追っていくと戻ってこれなくなりそうで」
こころは己の感情の制御の為に人の感情を勉強し続けていた。それが功を奏し、いつからか他人の感情を読み取る能力を獲得している。しかしそれはまだ表面的な事だけで、本来人の心とは複雑怪奇なものだ。
「さっき、青娥さんに怒りを感じるって言ったよね。あれは『私が』じゃなくて『青娥さんが』なんです。あの人は話していた間ずっと……笑っていたけど、確かにあの人は喜と楽の感情で溢れているけど……でも、心の奥底では怒っているんです。私は確かに怒の感情を感じたんです」
「……そうか。そうじゃろうな。結果的に青娥殿には千四百年もの面倒を押し付ける事になってしまった。全ては我の浅慮が原因じゃ」
布都は腕を組んで眼を閉じた。
「当時の我が胸中、今となっては十全に思い出す事など出来ぬ。一族を滅ぼされた恨みは確かにあったじゃろうな。じゃが、我らは太子様の為ならば手を血に染める事も厭わぬ、粉骨砕身も覚悟の同士でもあった」
「今にして思えば、私は二人まで尸解に付き合わせる事はなかったのだ。青娥の言うとおり、私も正気ではいられなかった。いざ自分の死を背後に感じたら、どうあろうとも生き延びるという考えしか無かったよ」
「……ふむ。我は太子様に殉ずる覚悟は既に出来ておりましたが、屠自古は愚かなほどお人好しでした。太子様が死ぬとなって一番取り乱していたのは他でもない屠自古です。我は実際に青娥殿を見て思いました。仙人は常に死を背負って歩かねばならぬ、そんな道を奴に歩ませるべきなのかと……」
こころの胸中の霧が一つだけ晴れたような気がした。
「だから布都は、屠自古を仙人にさせたくなかったんだ」
「さてな、昔の事じゃ。今さら思い出せぬよ」
そのようには見えないが、布都が語る事は語りきったという表情であるのはこころにも分かった。
「……私、青娥さんと一緒にお茶を飲んでくるね」
こころは何かを決意した顔、の代わりの凛々しい表情のお面を被ってそう告げた。
「行っておいで。私は布都に話があるからね」
こくんと首を縦に振ると、青娥が君臨するはずの茶の間へと身体の向きを変える。
「ああそうだ、青娥には子供のように素直な気持ちで臨むといい。あの人はとても知恵が回るから生半可な搦め手は全て見破られてしまう。直球勝負さ。これは青娥の一番弟子としての私からの助言だよ」
青娥を反面教師と評した神子であるが、それはすなわち青娥の事をよく見ているという事でもある。むしろ、共に通じ合う点が有るからこその己が姿を省みる鏡なのだろう。
「さて布都、このままごまかせると思ってないだろうな。また寺に火を放った件だ」
「……へ? いやこれは、太子様の為を思ってやった事でありまして。あの、太子様? 太子さまぁぁぁぁぁぁぁ…………!」
布都の声が遠ざかって消えていく。
その後、幻想郷で布都の姿を見た者は一週間ほどいなかった。
◇
「ううぅ……お茶が飲めないぞぉ」
「やっぱり腕が曲がらないのは不便よねえ。今度は関節を機械に改造してみようかしら。そうだわ、せっかくだしロケットパンチとか出せるようにしちゃう? それとも腕をサイコな銃にしてしまうのもいいかも? 夢が広がりますわぁ……!」
芳香の口に湯飲みを当てながらマッドな妄想を繰り広げるのは、言うまでもなく邪仙その人である。
「こいつはこういう奴なんだよ。一々気にしてると疲れるから聞き流して座ってな」
屠自古がこころの前にお茶菓子を置いた。幻想郷では珍しい外郎である。青娥が結界をするりと抜け出したお出かけ先で買ってきたものらしく、白い外郎を指差して『屠自古さんに似てないですか』などとからかうのに使われた。
「屠自古と青娥さんって仲が良いんだね」
「……ああ?」
ドスの効いた低い声で威圧する屠自古。こころはいきなり地雷を踏んでしまったようだ。
「それなー、それ言うと屠自古は絶対怒るんだぞぉ。ツンデレだからなー」
「うるせー。私はこんな奴と友人だなんて思われたくないんだよ!」
「んもう、屠自古さんてば酷ぉい」
青娥が不気味に体をくねくねと捩らせる。それはそれとして、小さくなるこころに優しく声をかけた。
「豊聡耳様に助言を貰ったのは良いですけど、でもそれは私への対策でしょう? 屠自古さんは変化球でいかなきゃダメなのよ」
「……聞いてたんですか?」
「青娥の百八式仙術の一つ、邪仙地獄耳だぞぉ。同じ建物の中の話し声など、聞き取るのは造作もない事なのだぁ」
脳が腐っているのを良い事に芳香が適当な事を言う。命名はともかく、仙人の能力には天耳通というものがある。仙人は耳が良いのだ。
「えーと……じゃあ開き直って直球でいきます。あの、私も最初は青娥さんの事を酷い人だと思っていたんです。それは今でも、やっぱりあなたは酷い人だと思うんですけど……」
「そうね。いきなり直球すぎる酷い事を言うわね」
屠自古は吹き出し、青娥と芳香は待ってましたと言わんばかりの楽しげな笑顔を浮かべた。こんな事も言われるのは慣れっこなのだ。
「ほら、そうやって怒らないじゃないですか。私はそれが知りたいんです。青娥さんは何に対して怒っているのかを。聞いていたんですよね、私がさっき三人でしていた話も」
「青娥は今ぁ……お疲れ状態だー。聞いてばかりでなくお前も考えてみるのだなぁ、幼き付喪神よぉ」
ボスの前に子分が立ちはだかってきた。
「芳香さん……だったよね。本当はあなたにも聞きたい事があったけど後にするね」
会った瞬間こころには分かっていた。哀れに思っていたこのキョンシーには心がある。私と同じ感情を持っているのだと。
「布都は面倒な事を押し付けたからって言っていたけど、でも青娥さんも屠自古と一緒に、ずっと神子の復活を待っていたんですよね。だからそれが嫌じゃ無いんだと思います。何故私にあなたの感情が分からないのか、それはたぶんあなたの感情が内側を向いているから……怒っているのは自分自身にだから、なんじゃないですか?」
芳香は元々開き気味だった眼をさらに大きく見開いた。口を閉じ、心同様の悲しげな表情を浮かべる。
「青娥ー、どうしよう。通していいかぁ?」
「通すも何も、みんな座って動かないだろうが」
芳香と屠自古の漫才が始まった。青娥はそんな二人の様子を見て小さく笑い、こころに向き直る。
「……うーん、当たらずとも遠からずかしら。あの時の私は悔しかったのでしょうね。天仙にも届いたであろう天才を、私が至らなかったばかりに道半ばで早逝させてしまったのだから」
「うん、神子は天才ですよね。美的センスはちょっと残念だけど」
「そっちはある意味で天才と言えるかしらね。それは置いといて、仙人の天才とは豊聡耳様では無いわ。布都さんの方よ」
「そうなんですか? 力では神子の方が圧倒的に見えますけど」
「あの方は仙人よりもむしろ神に近い性質なのよ。もちろん仙人にも成れるけど、それは例えるなら……そうね、イチローにサッカーを教えるような勿体無い感じかしら。あ、イチローって知ってる? レーザービームが凄いのよ」
もちろんこころが知る由も無いが、レーザーを撃つならたぶん幻想郷に住んでいる神なのだろうと勝手に想像した。
「仙人の才能とは何か。それは何はなくとも『死なない事』です。生きる事が一番大事なの。そういう意味で豊聡耳様より布都さんの方が才能が有ったわ。それに、性格もね。地上に降りてきてる不良天人さんを見れば分かるでしょう? 仙人の最終目標ってアレの仲間ですからね」
「それなら神子も布都もそのままでいてほしいです。だったらその、屠自古は才能……無かったんですか?」
「無いわ。今更取り繕う意味が無いからはっきり言いますけど有りません。屠自古さんは真面目すぎるのよ。すぐ怒るし、情に厚くて涙もろいと。間違いなく仙人向きの性格では無かったわね。私だって幼少の頃から勉強して、二十歳を越えてからやっと低級の尸解仙に成れたものですから。成れないとは言いませんが、屠自古さんには時期尚早なのは間違いありません」
また怒るかと思ったが、屠自古はこの言われように対しては落ち着いた様子だった。
「私は太子様が、いきなり現れたこいつの言いなりになっているのも納得いかなかったからな。布都に嵌められた時は怒り狂ったけど、本当は自分で分かってたよ。私は仙人にはなれなかっただろうし、むしろなれない方が良かったって」
「でもなぁ、屠自古だって良いところはいっぱいあるぞー」
「そうね、芳香の言う通りよ。屠自古さんはとっても良い人なの。豊聡耳様が剣ならば、その身を優しく包み込む鞘として、この人はまだ失わせたくないと思ったのよ」
「やめろ青娥。お前にそんな事を言われるなんて体がむず痒くてしょうがねえや」
嫌がっているようで、屠自古の口角は上がっている。
やっぱりこの人達は仲が良いんだろうな。こころは確信すると同時に、悔しくもあった。
「あなたが屠自古の術を解かなかった理由、これは私の勝手な想像なんだけど言っていいですか?」
「どうぞどうぞ。貴女は人の感情が読めるのでしょう? むしろこころちゃんの方が詳しいかもね」
「寂しい。術を解いた時の屠自古の感情です。今までずっと青娥さんと一緒の状態だったから、屠自古の方が限界が来るまで解呪を嫌がっていた。解呪して必要が無くなれば青娥さんがどこかにいなくなって帰ってこない。屠自古はそれを怖がっているように感じました」
屠自古は、ばつの悪そうな顔で下を向いた。これでは感情が読めなくても考えがお見通しだ。
「貴女がそう言うのなら、そうなのかもね。そういう事にしておきましょうか。私達からあえて否定はしませんわ」
「……こうやって話していて思いました。青娥さん、あなたは邪仙になるような人じゃなかったんじゃないかって。だって、本当に酷い人だったら屠自古だってそうは思わないはずです。どうして悪い事をするんですか?」
「悪い人だから悪い事をするのよ。当たり前でしょう?」
全く迷わずに言い切る、こころへの青娥の目は厳しかった。
「たとえ根の部分が善人であったとしても、悪事を成してしまった人は悪人でなければならない。逆も然り、性悪でも理性で己を制して善事だけを成せばそれは善人なのです。私の表面的な一部だけで誤解しちゃダメ。豊聡耳様の言葉を思い出しなさい。私は、邪仙なの」
青娥は本来『善悪』に囚われるような人ではない。彼女がやりたいようにやる、それが結果として悪なだけという事であり、気に入った相手の為ならば善行も当然のように成せる。
その青娥が今回このように強い断定で物を言うには、勿論それなりの訳はある。
「あーあ、青娥に気に入られちまったな。災難だな、こころ」
「え、そうなんですか? やだ……」
「なぁんだとぅー!?」
こころの小声を芳香の腐っていない耳は聞き逃さなかった。
「芳香、おすわり」
「おー……」
お説教など、同業の桃色の仙人のようなお節介が好きな輩に任せればよいと思っている。そんな彼女が教えを説くとは即ち、そういう事だ。
「知らないでしょうけど元々こころさんの事は気にかけていたわよ。豊聡耳様と河勝様の縁者ですものね。それに貴女は、自覚は無いでしょうけど仙人の力も持っているのよ。ならば道を示すのが私の役目」
「そうなんですか? 私はおひげが生えてたり霞を食べたりとかできないですけど」
「目の前に髭も無く霞も食べない仙人が居るのですけどね」
だが一般的な仙人のイメージとはそういうものである。一時期道教にハマった妖夢もそのようなコスプレで無かった事にしたい歴史を生んだ。
「そうではなく、六神通の一つ、他心通よ。他人の心の動きを読み取る力の事。完璧とは言えないけど貴女はそれが出来るでしょう?」
「こいしのお姉さんと同じって事ですか? そういえば、神子は欲が読めるし、華扇さんは動物と会話が出来ますね。あれ、じゃあ青娥さんも……?」
他の仙人はともかく、この人に心を読まれる恐ろしさ。考えただけで、こころは姥の面と共に身震いをした。
「私は自分のキョンシーの心だけ読めれば十分だからそれ以上は修行してないの。だって何でも読めるようになってしまったら面白くないでしょう?」
「そうかなあ、あなたはそれで人の心を弄ぶんじゃないのかと」
「先が分からないからこそ遊びというのは楽しいんじゃない。ホンダって知ってる? こちらのじゃんけんの手を読んで絶対に勝つのよ。それで勝ち取ったコーラを目の前で飲み干す悪どい人なの」
言うまでもなくこころが知るはずも無いが、たしか白蓮が乗っていた二輪車がホンダだったような気がするので、『そうか、あの車はコーラを飲むのか、知らない間に付喪神になっていたのかな』と、そんな誤解がこころの中で広がっていた。
「あのー、それはともかく、最後にこれだけ教えて下さい。布都の事をどう思っているのか」
「なぜ、それが気になるのかしら?」
「布都の時だけです。青娥さんの感情に雲がかかるんです。となると、やっぱり布都に怒ってると考えるのが自然ですよね?」
青娥はわざとらしくういろうを一口つまみ、お茶でそれを流し込んだ。
「勿体ぶるなあ。言いたくないなら代わりに私が言ってやんよ? お前らしく多少の脚色を加えてな」
「やめてよ、もう。屠自古さんのいじわる」
青娥らしからぬ口調だが、これは二人でじゃれているだけのようだ。
「やれやれですわ。いいかしら? 私はね、他人の為に平気で自分を犠牲にしてしまう人が嫌なのよ。それで残された人間はいい迷惑ですもの」
「それは……布都の事ですか?」
「他に誰がいるっていうのかしら?」
疑問はあった。布都と屠自古の犠牲は神子の為である。しかしこの言葉は青娥の為に犠牲になった人間がいるからこそ出てくる言葉ではないのだろうか。
当の青娥は、残り少ないお茶の表面に映る天井を見つめていた。
屠自古が寄って、急須でその湯飲みにお茶を足す。
「こころ、他に誰かがいるとしようか。でもそんな突っ込んだ事はお前が知るべきじゃないよ。こんな奴と親しくなりたいなら話は別だがな」
「まー、我は知っているがなぁー!」
芳香が飛び出してきた。しかしこれでは他の者がいると自白しているも同然である。青娥はまさかの死体に墓穴を掘られた形だ。
「……芳香」
「おー? うぐぉおっ!」
青娥に眉間をチョップされた。
こころはひょっとこの面でその様子を眺めている。
「屠自古も、きっと知ってるんだね」
「あー……知りたくなかったが知ってしまったよ。でもまあ、これは言える。こいつは人でなしだが人の命を軽視してるわけじゃない。むしろ誰よりも重く見ているのかもな」
「もういいでしょ。あんまりこの話は楽しくないのよ。誰も笑顔にならないわ」
青娥が拗ねた子供のような顔つきで懇願した。実のところ、話が楽しくないと言うより、命を大事にしていると言われてしまった事の方が青娥には気に入らないのである。
それは先にお説教したように、自分が邪仙であるというプライドに加えて、まさにそれこそが青娥の怒りの根源だから。
「あの、私にはわからなかったんです。何で神子はあなたを退治してしまわないのかって」
「そうだな、こんな奴滅んじまえばいいのにな」
「ちょっと屠自古さん、貴女どっちの味方なのよ」
「へっ、お前じゃない方に決まってるだろー」
また二人でじゃれあいだしたので、こころは押し流されまいと声を張る。
「でも! 神子は自分が青娥さんの一番弟子だって言ったんです。私には分からないけど、二人の中にはたくさんの大事なものがあるんだと思います」
「豊聡耳様らしい言い方よね。自分が一番に拘るのはあの子の悪いところだわ」
否定はできなかった。弾幕花火大会の時も一人だけやたらとはしゃいでいたのを思い出せば。
「知らない人はただ悪く言うけど、でもここのみんなは青娥さんの事をとても残念そうに話すんです。それがなぜなのか、私も少しだけ分かったような気がします」
こころはようやく湯飲みに口を付けた。話に夢中になってすっかり冷めてしまったお茶がするりと喉を通っていく。
「あなたの事は許しちゃダメだと思うけど……でも、あなたの心からも学びたいことがいっぱいありました。だから、またこうして一緒にお茶を飲んだりしてもいいですか?」
「もちろんよ。貴女は孫弟子みたいなものですもの。お茶から仙人の修行まで、何でも一緒にしてあげますよ。ああそうだわ、外のお面でも買ってあげようかしら。欲しい物があったら私に言ってちょうだいね」
「それはいいです。お面はマミゾウさんが勝手に色々持ってくるので……でも、気持ちは嬉しいです」
孫が可愛くて何かしてあげたくてしょうがない。それが『おばあちゃん』の共通認識ということだろう。もっとも、青娥はたまに誰よりも幼い行動を取る事で、周りを非常に疲弊させたりするのだが。
「あ~、いっぱい喋って疲れたわあ。屠自古さぁん、膝枕してぇ?」
「何言ってんだ。膝がないんだよ、こっちは」
「生やそうと思えば生やせるのにねえ。本当に貴女は幽霊やるのも真面目なんですから、可愛い」
「はいはい、お前の方が可愛いよ。だから黙っとけ」
本当に、自分が関わらない分には楽しい人だ。屠自古には気の毒だけどずっとそうしていてほしいな、こころはそう思ったのだった。
◇
「こころー……こころぉー!」
いっぱい喋ってお腹も膨れた青娥はお昼寝タイムに入ってしまった。
開放されて暇になってしまった芳香がこころに追いすがる。
「芳香さん、どうしたんですか?」
「芳香は……呼び捨てでいいぞぉー! それよりとぼけるなぁ、私にも聞きたいことがあるのだろぅ?」
ああ、そういえば。こころも青娥の話でお腹いっぱいですっかり忘れてしまっていた。
「じゃあ芳香、ずばり聞いちゃっていい?」
「おおー、どんと……こい!」
胸を叩きたかったのだろうが、芳香は関節が曲げられないので腕をばたばたもがかせた。
「あなたの心が悲しみに満ちている理由、もしかして青娥さんの為に死んだのはあなただから、ですか?」
芳香は、笑顔を崩さないまましばらく無言だった。まさか今更死後の硬直が始まったのではあるまいなと不安になったが、呼吸はしっかりとしているので一時的に脳の処理が落ちただけなのだろう。
「……違うぞ。私は……どうしても生きて、青娥と一緒に居たかったのだぞ」
「そんな気はしたよ。あなたはかわいそうな操り人形だと思ってたけど違うんだね。芳香はちゃんと人の心を持っているんだ」
道具として扱われていると思っていたキョンシーが純粋な人の心を持っている。
芳香は付喪神のような存在になっていたのだ。つまりこころと同じである。
「青娥と共にいる事こそが私の全てだ。だから死んでも死にきれなかった。私は優秀な仙人ではなかったのだ……そのせいで私は青娥を悲しませてしまった。青娥の悲しみこそが私の悲しみだ」
「……そっか。ごめんね、辛いことを聞いてしまって」
「気にするな! 生きてこそという青娥の言葉は守れなくなってしまったが、この体は青娥で満たされている。だが、やはり生きて青娥と同じ苦労を味わいたかったとも思う。こころ、死ぬのはいかんぞ……」
芳香は死体で、屠自古は怨霊。そして尸解仙は死を偽装して復活した者達である。神霊廟は死の匂いに満ちあふれている。
「あなたは心が強いんだね。私はどうなんだろう。死んじゃったら悲しい気持ちになる人がいっぱいだもん」
「それなら仙人を目指せばよい! 大丈夫、途中で死んじゃっても我らの仲間が増えるぞ、やったなー!」
「今、死ぬのはいかんって言ったばかりだよね……?」
「……おー?」
脳の腐ったキョンシーにそれを言うのは酷というものである。
「というか、付喪神でも仙人になれるの?」
「鬼だって仙人を名乗れる時代なのだぁ。付喪神になれない理由はない!」
さらりととんでもない発言があった気がするが、妙に自信に満ちた芳香の姿に自身の不安などちっぽけな事なのかなと思うこころであった。
「なんだ、二人で楽しそうじゃないか。もう仲良くなったのか?」
「おー、我らは親友と書いてライバルと読む関係だぞぉ!」
皿と湯呑みの片付けが終わった屠自古の茶々に、芳香が元気よく答える。
「そんなのじゃないけど、でも仙人も悪くのないかなって。えーと、神子と布都と屠自古に、芳香もだよね。5番目の弟子になるのかな?」
「5番目ではないぞ」
それは今までその場に居なかった神子の声だった。
ちなみに、現在の布都は常人の想像など遠く及ばぬ過酷な修行の真っ只中である。
「あ、おかえり。布都はどうしたの? それに他に誰か弟子がいたって事なの?」
「布都は燻製肉の目の前で椅子に縛り付けられる修行に処してある。そして、他にいたとも。青娥の目的は布教にかこつけた自己の誇示だからね。弟子はいくらでもいたさ。だが、多くは仙人になる前に命を落とし、わずかに残った者も死神のお迎えを凌ぐ事は出来なかった」
芳香が寂しそうに腕を垂らした。
「私と同じだなぁ。違うのは……動く死体の才能は無かった点だぞ」
「それにも才能があるんだね……」
「おー。記憶の大部分は魂に宿り、死んだ体には欲が残る……と青娥は言っていた。例えば、肉を食いたいという欲を魂が持っても仕方ないだろぉ? 他の奴らの体には何も残らなかったが、私の欲は青娥だから……我が死体はそれを求めたのだ」
このキョンシーはどこまで青娥が好きなのだろうか。そのあまりにも重い愛に、聞かされた側はただ苦笑いを浮かべるしか無かった。
「あれー、でも死体なら操れるんでしょ? 自分から動き出す死体を選ぶ必要ってあるの?」
「もちろんできるが順序が逆だー。勝手に動く死体だから操るのだぞぉ。青娥だって死体なら誰でも子分にするわけではない……私みたいな可愛い死体なら別だがぁ」
「あ、はい。そうですか」
自画自賛する死体。こういう自己評価がやたら高い点は飼い主に似たということか。
「あー……うむ。それと、先程は私が一番弟子と言ったが、あれも実は正確ではない。別に青娥に言われたからではないぞ」
「えーと、つまり神子の前に弟子がいたんだね?」
神子は茶の間の方を一度振り返り、こころの目の前に自分の顔を持っていった。
「青娥は寝ているな? だからこっそり教えてやろう。私と出会う前の彼女には……夫がいたのだ。その熱愛ぶりは今の芳香以上だったようだ」
「へー。まあ見た目は美人だもんね、青娥さん」
「中身も美人だぞ」
芳香が半ギレで反論する。
「ああ……うむ。それでだ、そんな夫が仙人となった青娥の後を追わないはずが無い。なのに青娥にそんな者の影など見えないだろう。つまりは、そういう事なのだ」
◇
「……それで、こころちゃんは何て?」
「今、周りにいる人を大事にしたいと思いますと、そのように」
青娥と神子。今は神子の私室で二人きりだ。二人で座椅子に横並び、密談中である。
寝ていたのは事実であるが、告げ口をする者はいた。芳香の口を塞ぐことは神子には出来ないのである。
「ほんと、困った弟子ですこと。他人の誰がいるのいないの、そんなのわざわざ聞きたいお話ですか? 聞かされても困るだけですのに」
「他人などではありませんよ。こころが妙に貴女に突っかかってきた理由、もちろんお分かりでしょう?」
「自分の知らない秘密を他のみんなで共有していた。仲間はずれは誰だって良い気分のものではありません。こころちゃんは布都さんとも仲良しですから、私の話もよく聞かされていたのでしょうね」
「流石は、貴女ですよ」
神子は頭を掻いた。青娥は心を読む仙術に長けているわけではない。彼女のこれは長生きのおかげで人の心理が読めるようになった、いわば女の勘である。
「それで、布都さんはまだ縛り付けているのかしら。どうせあの子は今更何を言っても考えを曲げたりしないわよ」
「そうでしょうね。ですが上に立つ者としては罰する姿勢は示さねばなりません。泣いて馬謖を斬る、です」
「あら、貴方泣いたの? 布都さんの反応を見て楽しんでるかと」
「それは、もちろん。しかし彼女が最近煩悩にかられすぎているのは事実なので修行は積ませませんと」
二人は楽しそうに邪な笑みを浮かべた。
「今頃布都さんはみんなで仲良くお肉を頬張っている頃かしらねえ。私もお相伴にあずかってこようかしら」
「なに? 布都の縄は神でも断ち切れないほどの特殊な物を使用しました。八雲から譲ってもらう際に何故か無意味な長話を聞かされましたが……とにかく布都が抜け出すのは不可能です」
ちなみにフェムトがどうとか須臾がどうとか、縄なのに時間の話が半分以上を占めていたようだ。
「でも、切れないだけでほどくのは出来るでしょう?」
「出来ますが、それでは罰になりませんから他の皆には手を出すなと言いつけてあります。いや、まさか……」
「その通り、芳香だけは私の言うことしか聞きませんよね。今頃は芳香のせいにして4人でベーコンパーティーですわ」
「まったく、貴女という人は……」
屠自古かこころが止めてくれたと思いたいのだが、みんなで楽しく燻製肉を食べている光景の方が容易に想像できてしまう。特に神子の脳内の布都と芳香は心から笑って肉にかぶり付いていた。
「大体ねえ、そんなくだらない我慢が修行になるわけがないでしょう。禁欲っていうのはそういう事じゃありませんわ」
「いや、その。布都は頭が良いのか悪いのか時たま分からなくなるんですよ。だからどうすれば良いのか私も迷走してまして。修行も最近は怠けてばかりで幻想郷での生活を存分に謳歌しているようですね……」
「あの子もねえ。思い込んだら突っ走るところさえ直れば本当に立派な仙人になれますのに。それにいくら豊聡耳様が優秀でも入れ込みすぎるのは問題。まったく、どうして……」
「私の周りには夫に似た人ばかり集まるのかしら、ですか」
青娥は神子の顔を見ずに正面を向いていた。
「酷いお方ですわ。過去や心を読んでもむやみに言わないのがマナーって教えなかったかしら」
「守っているものは積極的に破りなさい、というのも貴女の教えだったかと。それに貴女と腹の探り合いなどしたくない」
やれやれと言わんばかりの大きなため息をつき、青娥は自分が育てた弟子の眼を見つめた。
「貴方の言う通り、布都さんは本当に私の夫に似ています。頭は良いのに残念なところとか、惚れ込んだ相手には一直線なところとか。顔も爽やかで美形でしたわ。布都さんが男だったら、出会った頃の幼いあの方にそっくり」
「不思議でしたよ。貴女は布都にだけは妙に冷たいのに、そのくせ布都の事をよく見ていましたから」
「捨てられた犬みたいで放っておけないのもそっくりです。本当に腹立たしいですわ」
「つまり、それほど大好きだったのですね」
「……当然です。でなければ仙人の道を棒に振ってまで夫になど選びません。私が長生きしてるのだって、そんな夫への復讐も入ってるんですから」
本当に言うのが癪だったのだろう。頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
神子は苦笑する。
「この話はもう止めにしましょうか。屠自古の支えになってくれていた礼の方が遥かに大きいですしね」
「それが良いですわ。ほんと、感謝なんていくらされても足りませんよ。何年付き合わされたと思っているのですか」
「ええ……貴女の手も余計に汚れさせてしまいました。その事は本当に申し訳なく」
「ノープロブレムです。死体と霊魂と化学の研究は私が好きでやっている事ですから。霊廟に侵入しようと目論む不届き者の始末も兼ねて実験サンプルの入手には事欠きませんでした。存分に使わせていただきましたとも」
聖徳太子、すなわち皇族が眠る墓ならば一緒に財宝もあるに違いない。そう思って忍び込もうとする賊は後を絶たなかった。尸解仙の術は途中で暴かれては失敗してしまうのだが、神子の依代はよりによって宝剣である。皮肉な事に高位な物ほど邪魔が入りやすいのだ。
「貴女の行いを肯定はしません。ですが貴女が外道な研究を続けていた理由、それは……私を丹薬で死なせてしまったことをずっと気にしていたからでもある……そうですよね」
神子は青娥の右手を握る。青娥はその神子の手を優しく握り返す。
「水銀は毒。そんな事は今どき小学生でも義務教育で知るところです。ですが化学が発達していなかった当時は知らなかった。確かに死を乗り越えられた者が仙人になれるのですが、それは逆。丹薬を飲めば仙人に近づけるのではなく、仙人だから飲んでも平気なのです。言ってみれば仙人のジョークグッズですよ、こんな物は」
自嘲する青娥に、神子は優しく声をかける。
「ですが、私は結果的にこれで良かったと思います。布都も、屠自古も、きっとそう思っています」
「なぜ、ですか?」
聞かねばわからない事ではない。だが、それでもあえて青娥は聞きたかった。
「だって、そのおかげで貴女はまだ私達と一緒に居てくれているのですから」
「……どういうことでしょうか。私などが介入しなければ死期を早めずに済んだかもしれません。自らのお力で神にも届いたかもしれませんのに。現にそういう方もいらっしゃいます。貴方もよくご存知の方です」
「かもしれないは所詮かもしれないです。ならば私も言いましょうか。もし私が途中で病に侵されずに首尾良く天仙になれていたら、貴女はとっくに私達の下を去っていたかもしれない。そんなの、寂しいじゃないですか」
「寂しいからって、ただそれだけですか?」
神子らしくない、あまりにもシンプルで感情的な理由だ。それ故に青娥にはよく刺さった。
「私達は、貴女が思っているのよりもずっと貴女を大事に思っているんです。そりゃあ貴女はろくでもない事ばかりしますけど、それでもです。だから、もうちょっとだけでいいので、私達の近くにいてください」
青娥は何も言わなかった。否、言えなかった。もはや記憶にも残ってない遥か昔、同じような事を誰かに言われた気がする。それは夫だったかもしれない。もしくは目の前にいる本人だったか、もしかしたら芳香が芳香になる前の人物だったか、それ以外の誰かの可能性もある。
なぜ思い出せないのだろうか。それは青娥自身が記憶に蓋をしてしまったからだ。自分の心を守るために。
「貴女は猫です。人の言うことなんて聞いてくれませんし、する事といったら悪戯ばかり。でも、私達が困っている時に限って自分から優しく寄ってくるんですよ、貴女って。私達はそんな貴女が愛らしくて仕方がないのです」
「……ほんと、馬鹿な人。どうして私の周りってこんな人ばっかりなのかしら」
「類は友を呼ぶ、というやつじゃないですか。それとも青娥は、私達の事……お嫌いですか?」
「いいえ、大好きです! まだまだ半人前の貴方達が気になって、可愛くて仕方がないの。だから、付きまとっているんです!」
少しヤケを起こしたように、青娥はきっぱりと言い放った。
神子はほっと胸を撫で下ろす。捕まえようとすれば逃げていく、青娥にこのような事を言うのは賭けだったのだ。
「貴女は言いましたよね、屠自古は本来この世にはとっくに居ない人間だと。その通りです。いつか私達の道も分かれる時が来るのでしょうけど……でも、まだその時ではない。だから今は、今の時間を大事に過ごしたい。それで良いですよね?」
「もちろんです。豊聡耳様ねえ、偉そうな事言ってますけど、まだ死神のお迎えに遭ったことないでしょう? 貴方なら心配無いと信じているけど、いきなりコロっと死なないでくださいね? 私は貴方のキョンシーなんて作りたくありませんから」
うっ、と神子は体を強張らせた。確かに、ずっと仮死状態で眠っていたからお迎えが来るはずもない。
神子は青娥の時を思い出す。青娥は十数回も凌いできているが、長生きすればあのような大規模なやり方で命を狙われるのかと。
「ま、まあ、何とかなるでしょう。これでも偉い人ですから、命を狙われるなんて日常茶飯事でしたとも。外出するのも命がけだった事を考えれば、今など天国のようなものですよ」
「死んじゃってるじゃない」
二人で顔を合わせて笑いあった。
「そうだ、今度みんなでお出かけに行ってみませんか? 三途の川に居る水子の知り合いから聞いたんですけど、最近地獄の隣の畜生界って所で騒動があったらしいんですよ。もしかしたら面白い人に会えるかもしれませんね」
「死なないでって言ったそばから地獄に近づこうと? もっとも、私は貴女のそういうところを気に入ってるんですけどね」
──地獄の死神は言う。本来の寿命を越えて長生きする事は罪なのだと。
ならば青娥は言うまでもなく、私も布都も罪人だ。そして屠自古も芳香も決して綺麗な身ではない。
堕ちる時は一緒、皆で仲良く地獄行きである。
上等ではないか。こんなに楽しい同士と共にあるならば、地獄だろうと天国だ。
だがまだだ。今はまだ、幻想郷での生を堪能したい。
仙人とは違った力を持ち、この世界で逞しく生きる素晴らしい人間と会えた。
昔作った面は付喪神となって私の下へと帰ってきた。
別の道で不老不死を追い求めた好敵手とも出会えた。その者とは互いに信頼関係を結んだ友人でもある。
こんなに楽しい今の生をむざむざ手放すなんて勿体ないじゃないか。
私の欲は昔も今も長生きだ。でも、自分の事しか考えていなかったあの頃とは違う。かけがえのない愛する皆と共に生きるのだ──。
朗らかに微笑む青娥の顔の先に、絆を育んだ皆の笑顔も思い浮かべながら、神子は決意を新たにするのであった。
犯人はもちろんこの人。聖徳王・豊聡耳神子の忠臣にして頭のイカれてる仙人その弐、物部布都である。
そして共犯者はこちら。豊聡耳神子のお面から生まれた面霊気、秦こころ。
つまりどういう事かというと、二人が起こした事件の後始末をしなければならないのは、他でもない神子という事だ。
豊聡耳神子は多忙の身である。自身の支持を集める為ならば幻想郷を東奔西走し、商売敵の動向の把握も欠かさない。さらに天仙へと至らんが為の修行でしばらく外界との関わりを経つことも珍しくはない。
さて、現在はそんな神子が数日ぶりに仙界の道場へ戻り、その間に起きたやらかしの申し開きを二人から聞いているところであった。
ところが、寺を燃やした事よりも重要な報告が二人にはあるらしい。
◇
布都曰く「太子様、屠自古の奴めが風邪を引きました」と。
神子はおもわず今日の日付を確認した。はて、寝呆けていたが今日は綿抜きの日だったかな、と。
しかし少なくとも呆けているのは神子ではなかったようだ。今は蝉も命を燃やす夏の真っ盛り、四月馬鹿の時期はとうに過ぎていた。
「冗談にしてもセンスが無い。そんな嘘で誰を騙せるというのだね」
幽霊が風邪を引くものか。嘘でないとしても、物部の一族というのは確認もせず独断で突っ走った行動を取る。布都はどうにもそそっかしいのが治らないので、また何かおかしな勘違いでもしたのだろうと結論付ける神子だったのだが。
「嘘じゃないよ。屠自古の顔が真っ赤で苦しそうだよー。だから焼き討ちにも連れて行かなかったんだもん」
こころが顔色は変えずに赤ら顔の猿の面を頭に付けて訴える。そんな理由なら皆で常に風邪を引いていてくれ、と神子は思った。
「屠自古だって顔を赤くすることぐらいあるだろう。この前だって酒に酔った時は酷かった」
「ああ、あの時は酷かったですなあ……あ、そうですとも! 霊体のくせに酒に酔うとなれば、風邪ぐらい引いてもおかしくないと思いますぞ!」
神子も布都も互いに言われてみればという顔をした。確かに屠自古は、幽霊というにはいろいろな点で生きた人間臭い。食事をする、睡眠を取る、風呂にも入る。脚さえあれば生者のふりも容易だろう。
何より神子には初めから分かっていた。この二人が嘘で神子を嵌めようなどという欲など持っていなかった事は。
「とにかくです、百聞は一見に如かずと言いますぞ。騙されたと思ってまずは屠自古を診てやってはくれませぬか」
そこまで言われて意固地になる理由も無い。神子は二人を伴って屠自古の寝室へと向かうことにした。
屠自古は薄い布一枚を被って寝込んでいた。顔も真っ赤で、寝てる間に相当の発汗があったのだろうか、布はしっとりと湿っている。
「信じられないが、風邪にしか見えないな……」
神子は屠自古の額に手を当てる。手に伝わる熱量からも、これは高熱を出して寝込んでいるのだと結論付けるしかなかった。
「太子様、今は私から離れていて下さい……」
神子の心配をよそに屠自古の反応はそっけないものだった。
「それは、移るからですか?」
「移りはしませんが……動転して何か酷い事を言いかねません」
神子も屠自古の口調が荒っぽいのは承知の上だが、神子に対しては基本的に丁寧だ。しかし時折忘れそうになるが屠自古は怨霊である。彼女は怨みを根源にして存在しているのだ。
「……分かりました。今は貴女の意思を尊重しますが、その状態は寝ていれば自然に治るのかは教えてもらえますか」
「これは、治りません。放っておけば悪化するだけです」
「ならば、治せる方法は? あるいは治せる人は?」
屠自古はその問いにしばし沈黙を続けたが、やがて敵わぬと判断したか小さく口を開けた。
「……青娥しか」
青娥か。神子はわずかに眉をひそめた。
◇
布都とこころの二人は、神子が道場に戻るのを待ち構えていた。
「どうです、嘘では無かったでしょうぞ?」
布都は何故か誇らしげだ。神子は褒める気にも笑う気にもなれなかった。
「風邪なのかは不明だが、あれは青娥にしか治せないらしい。さて、どうしたものかな」
「青娥殿ですか! ならば迷うことはありませんな。早速お呼びするべきですぞ!」
浮かない顔の神子に反して布都は非常に乗り気の様子だ。
神子にとっては意外であるが布都は青娥に懐いていた。青娥が道場に遊びに来たときにはよく囲碁を指しているのを見かける。修行にならないから止めて欲しいという神子の小言も、青娥はもちろん聞き入れてくれない。
「……あの、いいですか? 青娥って人、悪い人なんだよね? 本当に呼んでいいの?」
こころがおずおずと右手を挙げて質問した。こころが言う事は正しい。なぜなら青娥は邪仙だからだ。
たしかに死体や霊と行動を共にしている彼女ならばこういった状態にも詳しいのかもしれない。なにより青娥は神子、布都、屠自古の三人に道教と仙術を伝授した仙人としての師でもある。
「ふむ。そうか、こころは青娥殿を嫌っていたのじゃったな」
布都の言葉に、こころは自身と同じく感情の見えない能面を被る。
「嫌い……なのかな? そういうのじゃなくて、許せないんです」
以前、謎の取材を受けて神子とこころは神霊廟の面々のレビューをしたことがあった。青娥の点数が芳しくないのは邪仙の烙印からして想像に難くないが、こころは点数の代わりにこう評したのだ。『怒』と。
「こころ、君の気持ちは理解できるよ。青娥は劇薬だ。取扱いを間違えれば害を成すのは必然。だが劇薬はその危険性が故に、それにしか出来ない役割もある」
「えーと、つまり……呼ぶってこと?」
「それしかなければ。なあに、手綱を弛めなければ大丈夫さ。何とかと鋏は使いようってね」
「確かに、青娥殿は鋏みたいな頭ですからのう」
ハサミだとしたら、おそらく肉屋に置いてあるような物騒な切れ味に違いないであろう。布都は能天気な笑い声を上げた。
ああ、そのせいで床から──。
「あらあら、今どなたの頭が馬鹿って話をしてらしたのかしらぁ?」
三人は綺麗に三方向に飛び退いた。120度の等間隔で。
「気を付けろ 床に耳在り 青娥にゃん 御呼びとあらば 即参上」
宮古芳香の妙な短歌と共にぽっかりと空いた穴から飛び出すは、頭のイカれてる仙人その壱、もとい『無理非道な仙人』霍青娥その人であった。
「せ、青娥殿!? いつからそこに……!」
「いつもどこも、今来たんですよぉ。私を求める声が聴こえたもので」
「……相変わらず無駄が無くて助かりますよ、師匠」
こういう時に限って本当に話が早いのだから普段から無駄な事をしないでくれれば、とは神子の胸中。
「それで、ここに来られたのは屠自古の為という事で宜しいですか?」
「五分の一は正解です。残り四つは豊聡耳様の為、布都さんの為、そして芳香と、何より私の為」
顔の前に挙げた右手の指を一本一本折りながら、青娥はつらつらとそう語る。
「……私は?」
その場に居て一人だけ名前を挙げて貰えなかったこころが頬を膨らませる。
「あら、豊聡耳様のお面から生まれた子じゃない。貴女は屠自古さんのお友達なのかしら?」
青娥の問いに、こころは目線を逸らしながらこくんと頷く。
「嫌われちゃったかしらねぇ。でも貴女の為も追加しておきましょうね」
青娥は折った小指を再びピンと立てた。
「申し訳ありませんな、青娥殿。こころは少し人見知りが激しい性格なのです」
「布都さんらしくもない。そのような気遣いは無用ですよ。その子が私をどう思っているか、こちらもしっかり把握しておりますもの」
「そうだぞぉ、青娥はみーんなお見通しだぞぉ」
般若の面を被ったこころと頭を下げる布都を眺めて、青娥はころころと微笑む。
もとより青娥は稗田阿求からも『危険度:高』『出会ってもまともに相手をするな』『飽きられるまで無視しろ』などと散々に評された人物である。邪険にされるのにも慣れきっているのだろう。
「……私、あなたに怒りを感じています」
「それは取材を受けた時にも言ってましたわねぇ」
「そうじゃないです。私が感じたのは……」
こころの口を神子が遮った。
「そこまでにしなさい。青娥、屠自古の不調を治せるのは貴女だけだと聞きました。そもそも屠自古が寝込んでいるのは風邪が原因なのですか?」
「いやですわ、豊聡耳様ったらぁ。幽霊が風邪なんか引くわけがないじゃないですか。あれはね、屠自古さんが可愛いからあんな事になっちゃったんですよー」
「は、はあ……」
可愛いから寝込むというのも意味が分からない。皆、どうせ青娥だから適当な事を言っているのだろうと真に受ける気は起きなかった。
「ともかく、どうか屠自古を助けていただけないでしょうか」
神子が青娥に向けて頭を下げた。それを見た布都も急ぎ神子に合わせて頭を垂れる。
「……さて、それです。私は本当に屠自古さんを救うべきなのでしょうか?」
それはこの場面で予想だにしない答えだったのだろう。神子は厳しい顔つきで青娥を見上げた。
「何故ですか? 貴女は先ほど屠自古の為と申したではないですか」
青娥は品定めをするかのように神子の顔を涼しげに眺めている。険悪な雰囲気に、布都は神子と青娥の間で顔を右往左往させる。
物を考えぬはずの死体である芳香は皆のそんな様子を、それぞれに思うところがある表情でじっと眺めていた。
「だって、屠自古さんは本来いない人なんですよ?」
青娥が切り込んだことで空気がぴんと張り詰めた。
神子と布都の二人は、怯むことなく頑なに青娥の目を見続けていた。
「あの方が亡くなった経緯は、布都さん……貴方が一番よくご存知でありましょう。本来ならばあの方はこの場に居ないのが自然な状態なのです。はっきりと申しますが、屠自古さんがまだ私達の前に居られるのは、この青娥の力以外の何物でもありませんわ」
「……青娥殿、我はその事について言い訳する気などありませぬ。あの時はそれが最善だと信じておりましたし、今でも」
二人は目を逸らさなかった。青娥が今、神霊廟を語る上で決して避けられない『闇』の部分に切り込んでいる。それは部外者であるこころにもなんとなく分かった。
「青娥、その話をしたいのであればますます屠自古を外すことは出来ません。まずは彼女を普段の状態に戻していただけるでしょうか。生かすも殺すも貴女次第、なのでしょう?」
「……よろしいですがその前に一つ。豊聡耳様は、まだ屠自古さんと一緒に居たいですか?」
「無論、です」
青娥は満足そうにふっと微笑んだ。
「私も、ですよ」
◇
途中、青娥は次のように語った。
──そもそも、幽体である屠自古さんに何故実体があるのだと思いますか? それはここが幻想郷だから……ふふ、それも答えの一つにはなりましょうが、ここでは不正解ですわ。
それでは他の幽霊の方々を例に挙げてみましょう。同じ幽霊と申しましても、西行の娘様は冥界という死者の為の環境ですから魂がそれ以上の力を持つ事は容易です。加えて彼女は八雲様のご友人ですから生と死の境界を歪める事も可能です。それがあの方に生者としての質を与えているのでしょうね。
プリズムリバー楽団の皆様は、聞くところによれば実はもう一人おりました四女様によって魔法で生み出された存在だそうです。つまり、もともと幽霊とは少し違う方々なのですね。それに彼女たちはポルターガイスト、物に取り憑くタイプの霊魂よ。つまり実物と同化する事で自ら実体を得られるという事です。それにしても、生み出した方は既に亡くなられたので三姉妹となってしまったのですが、私がその場にいれば今でも4人で演奏させてあげられましたのに残念です。
他にも珍しい幽霊として……あらこころちゃん、さっさと話を進めろ、ですか。では、仕方がないので屠自古さんの話をしましょうか。
屠自古さんは"よく御存知の通り"尸解仙の術の妨害による死を恨んで幽体と化しました。幽霊とはスピリット、精神的な部分のみで存在しています。だから屠自古さんは1400年もの間、怨みを持ち続けていたということですね。
ですが、まさかそんなはずがないでしょう。同じ感情をずっと維持すると言うのは口で言うほど易いものではございません。まして精神には肉体と同様に寿命があるのです。より正しく言うならば、蓄積に耐えきれずに破裂する、でしょうか。
例え肉体を不老不死に出来ても、記憶の蓄積には必ず限界が訪れます。それが心の崩壊の時ですわ。私にもその時は来ましたし、お二人にも絶対にその時はやって来ます。まあ、そうは脅かしましたが、実際はそこまで心配する事はありません。何故なら精神が崩壊しても肉体がバックアップの機能を果たすからです。いわゆる『体が覚えている』というやつですわね。記憶というのは脳だけでなく遺伝子にも刻まれているものなの。そんなスペルカードもあったかしら。
ならば肉体の無い人はどうなるかという話よね。精神の死は人の心を『人でなし』の化物に変えてしまいます。屠自古さんも放っておけば、何を怨んでいたかも、己が姿までも忘れ、森羅万象を憎む悍ましき怪物になっていたことでしょう。まあ、そうなっても屠自古さんは可愛いんですけど。
さてと、幽霊となった屠自古さん、限界は想像以上の早さでした。やっぱりね、辛いのですよ。自分は確かにここに居る、なのに自分は死んでいる。この事実を直視しなければいけないのは。それも豊聡耳様と布都さんの死を目の当たりにしながら……ですから。
お二人は術で眠っているだけだから死んでない? あらあら、自分で言うのもなんですけれど、私の事をそこまで信用していただけたのかしらね。少なくとも屠自古さんは私の事をずっと疑いの眼で見てらしたわ。
それはともかく、屠自古さんをこのまま放っておけば、いずれお二人が目覚める前か後か。遅かれ早かれお二人や平安の都を祟り殺す事になりかねませんので私の方で対処いたしましたの。
とは言っても大したことではありませんけど。つまり屠自古さんが元の姿を失わず、記憶の破裂を起こしても大丈夫なように肉体を用意すればいいのです。やっている事は尸解とそう変わりませんわ。屠自古さんの依代となる素材に霊魂を定着させて姿をイメージする。そうすることで生前と同じ身体を再現できるようになりました。気が狂わないようになるべく人と同じ生活ができるようにもね。調整には幾人かの『尊い犠牲』を伴いまして、とても苦労しましたけど──。
「……私の事をべらべらと、その本人の横で喋るなよ……」
気付けば屠自古が真横であった。青娥は寝室に入ってからもしばらく語っていたのだ。
「あらごめんなさぁい。屠自古さんの事なのでつい熱が入ってしまいました」
「よく言うよ……昔のお前って私に冷たかっただろ」
「だってぇ、あの頃の屠自古さんってば、私に酷い事いっぱい言ったじゃないですか」
今でも酷い事はいっぱい言っているが、と周囲は思う。ともかく、青娥の話はもうお腹いっぱいだというのが芳香以外の共通意識だ。
「じゃれつくのは後にしろー。早く屠自古を治せー」
こころの野次が飛んだ。
「……ここからが本題でしたのに、やれやれですわ」
皆を代表したこころの催促に応え、青娥は左の掌を屠自古の腹部に優しく置く。
「屠自古さん、最終確認ですけど、剥がしてしまって宜しいですね?」
「ここでゴネても何にもならないだろ。勝手にしやがれ……それと……」
屠自古は普段の態度からは想像できないほど大人しく青娥の手を受け入れた。
他の皆に分からないよう声には出さなかったが、屠自古の口はこのように動いていた。
すまん、と。
──解。
右手で印を切りながら青娥は言の葉を紡ぐ。するとどうだろうか、屠自古の身体が蒼白く発光し始めたではないか。
手から肩へ、足先から腹へ、頭から胸へ。青い光は珠となり、屠自古の先端から中心へと、一箇所に集っていく。
光球は屠自古の身体から色を奪っていき、奪われた処は土色に変貌を遂げていった。その様子に思わず手を出そうとするこころであったが、布都に強い力で腕を捕まれてしまう。
やがて、光球は青娥が手を当てていた腹部に収束し、頭よりも巨大な一つの球となった。一方で屠自古の身体は全身が完全なる土気色となり、その大きさは元の半分にも満たないほどに縮んでしまっていた。
「これは……土人形、か」
質問かどうかは微妙であったが、青娥は神子のその呟きに応える。
「ベースは粘土ですが、他にもいろいろと混ぜていますわ。最初は精巧な作りじゃなかったんですよ? でも愛着が湧く内にどんどん手が込むようになっていってね。私はこの術を、巫魂『オーバーソウル』と名付けたのですが……」
「待て青娥。何やら嫌な予感がするからその名前は考え直したまえ」
頭を抱える神子に、青娥は困ったような笑みを浮かべた。
屠自古から色を奪った光球は青娥の掌に乗ったまま、その光を保ち続けている。
「ちなみに、混ぜたものは何だと思いましたか? 正解はね、布都さんがすり替えた壺の土と、皆さんの遺灰です。どうですか、いかにも怨念が籠もりそうだと思いません?」
「……罰当たりだな。屠自古のみならず私達の遺灰まで使ったのですか。そもそも私達の元の身体が本当に火葬されたのかも怪しい。他でもない貴女が居たのですから」
「まあ、怨みはこの際どうでもいいの。屠自古さんの記憶を持っている物を使うのが大事という事ね。それが屠自古さんのイメージ構成に一役買っているのですわ」
青娥は当然、遺灰を使った事に悪びれもしなかった。死体など、供養が終われば飾るか燃やすか埋めるかだけの物でしかない。ならば少しでも有効活用するべきだと、彼女はそう考えているのだ。
「ご心配には及びませんよ。皆さんの死体はちゃんと予定通り火葬されました。元の躰が残っていると魂魄はどうしてもそちらに還ろうとします。そうなっては尸解仙の術は完全に失敗しちゃいますからね」
布都が一歩前に出て、頭を下げた。
「……青娥殿、我が非道なる行いの意図をこのように汲んでくれた事、誠に言葉も御座いませぬ。して、その光の玉は屠自古の魂魄ということでしょうか?」
布都から指を差されたそれは、皆の視線が集まると一回りぎゅっと縮んだように見えた。
「そうですけどぉ……ちょっと、屠自古さんってば、今さら何を恥ずかしがってるんですか。心配されてるんだから早くその可愛いお顔を見せてくださいな」
光球は青娥の呆れ声に反応して膨らんだり縮んだりを繰り返すが、やがて観念したのか、球は輝きを増すと同時に人の形に姿を変えた。
屠自古だ。
それはその場に居る全員がよく知っている屠自古の姿である。
「あ、あの……ご無沙汰してます。蘇我屠自古、です……」
「ついさっきまで顔合わせてたぞー」
芳香にまで呆れられるほどに屠自古は挙動不審だった。青娥の後ろに隠れて4人の様子をチラチラと伺っている。
「屠自古……でいいのですよね? 性格が変わったように見えますが」
「不安になるのはごもっともですが、この方は正真正銘の屠自古さんです。この人ったらね、剥き出しの精神状態で皆様と向き合うのが恥ずかしいんですよ。言わば心のすっぴん状態という事ですからね。ね、可愛いでしょう?」
「可愛いぞー、屠自古ぉ」
芳香が能天気に笑う。屠自古はそんな芳香を震えながら睨み付けるが、それも小動物の如しで全く恐くない。
「そもそも屠自古さんは何で熱っぽくなっていたと思います? お二人が目覚めてからというもの、生活は目まぐるしく変化しっぱなしです。様々な出会いもありましたしお友達も増えました。つまり急な記憶の詰め込み過ぎが原因なんです。今の生活が楽しくていっぱいっぱいで仕方が無いんですよ。ね、とっても可愛いでしょ?」
「う、うるせー!! そんな可愛い可愛い言うんじゃねえやい! 元はと言えばお前が私をこんな目に遭わせたんだろうが!!」
屠自古が青娥を4人の側に突き飛ばした。これで一対五の状況である。
「そうそう、貴女はそれぐらい粗暴なくらいで丁度いいですわ。これで私の呪縛からも解き放たれてめでたしめでたし。後は成仏するなり怨霊として生きるなり、貴女の望むままにお好きになさってくださいな」
「ですが青娥殿、今の話を聞いていた限りですと、放っておけば屠自古はまた壊れてしまうのでは?」
布都が首を横にかしげた。真似をしてこころも同じ方向に首を倒す。
「大丈夫ですよ。ここは仙界、そして幻想郷。幻が実体を持てる場所なのですから屠自古さんはもはや一生命体として完成しています。それに壊れそうになっても皆さんがいるでしょう。屠自古さんが自分を見失うことはもはや有りませんよ」
青娥は一度呼吸を整えた。さしもの口から生まれた邪仙も喋り疲れたといったところか。寝床の上に転がったままだった屠自古人形を優しく拾い上げると、空いた手で芳香の帽子をぽんぽんと叩く。
「私の役目は終わりました。芳香もお腹を空かせているようですし、お茶とお菓子をいただこうかしらね」
先の怒りでいつもの性格に戻った屠自古がため息をつく。
「あーはいはい。一応、感謝してなくもないからな」
「屠自古、君は病み上がりだろう。今は何も君がやることはないぞ」
神子が心配そうに片手を上げて屠自古を制した。
「では布都にやらせますか? それとも太子様自らが? お二人とも茶菓子のしまってある場所もご存知でないでしょう。むしろ今は身体が軽いのでご心配なく」
「当然ですね。屠自古さんは言うなればずっと着ぐるみだったようなものですから。むしろ暑いのにずっと着込んでいた今までがおかしいんですよ」
「放っとけ、ダイエットだよ。軽量化しろって言ったのはお前だろ。あんま余計な事を言うなよな」
強がっちゃってほんと可愛いんだから。青娥はくすくすと微笑むと、芳香を伴って寝室を出ていこうとするが。
「青娥、これだけは言わせていただきたい」
そこを神子が引き止める。
「まずは貴女が屠自古を支えてくれた事に、心からの感謝を。そしてもう一つ。貴女の役割はまだあります。だから、勝手に居なくならないでください」
「……全ては、貴方のお望みのままに」
青娥は笑顔でそれだけを伝えると二人で出ていった。屠自古も病人だったのが嘘のように軽やかに宙に浮いて後を追う。
残る三人も後は出ていくしかなかった。
◇
戻る間、こころは再び能面であった。そわそわした様子で、神子と布都の顔を何度も見つめている。
「こころ、君は気になる事が有るようだね。いや、それも当然だろうが……」
「はい。何から何まで分からない事だらけです」
こころは神子の面から生まれた妖怪である。だからといって神子の事や当時の事など知りはしない。
「知りたい事はいっぱいあるけれど……怖いんです。みんなの心がぐるぐると渦巻いていて、感情を追っていくと戻ってこれなくなりそうで」
こころは己の感情の制御の為に人の感情を勉強し続けていた。それが功を奏し、いつからか他人の感情を読み取る能力を獲得している。しかしそれはまだ表面的な事だけで、本来人の心とは複雑怪奇なものだ。
「さっき、青娥さんに怒りを感じるって言ったよね。あれは『私が』じゃなくて『青娥さんが』なんです。あの人は話していた間ずっと……笑っていたけど、確かにあの人は喜と楽の感情で溢れているけど……でも、心の奥底では怒っているんです。私は確かに怒の感情を感じたんです」
「……そうか。そうじゃろうな。結果的に青娥殿には千四百年もの面倒を押し付ける事になってしまった。全ては我の浅慮が原因じゃ」
布都は腕を組んで眼を閉じた。
「当時の我が胸中、今となっては十全に思い出す事など出来ぬ。一族を滅ぼされた恨みは確かにあったじゃろうな。じゃが、我らは太子様の為ならば手を血に染める事も厭わぬ、粉骨砕身も覚悟の同士でもあった」
「今にして思えば、私は二人まで尸解に付き合わせる事はなかったのだ。青娥の言うとおり、私も正気ではいられなかった。いざ自分の死を背後に感じたら、どうあろうとも生き延びるという考えしか無かったよ」
「……ふむ。我は太子様に殉ずる覚悟は既に出来ておりましたが、屠自古は愚かなほどお人好しでした。太子様が死ぬとなって一番取り乱していたのは他でもない屠自古です。我は実際に青娥殿を見て思いました。仙人は常に死を背負って歩かねばならぬ、そんな道を奴に歩ませるべきなのかと……」
こころの胸中の霧が一つだけ晴れたような気がした。
「だから布都は、屠自古を仙人にさせたくなかったんだ」
「さてな、昔の事じゃ。今さら思い出せぬよ」
そのようには見えないが、布都が語る事は語りきったという表情であるのはこころにも分かった。
「……私、青娥さんと一緒にお茶を飲んでくるね」
こころは何かを決意した顔、の代わりの凛々しい表情のお面を被ってそう告げた。
「行っておいで。私は布都に話があるからね」
こくんと首を縦に振ると、青娥が君臨するはずの茶の間へと身体の向きを変える。
「ああそうだ、青娥には子供のように素直な気持ちで臨むといい。あの人はとても知恵が回るから生半可な搦め手は全て見破られてしまう。直球勝負さ。これは青娥の一番弟子としての私からの助言だよ」
青娥を反面教師と評した神子であるが、それはすなわち青娥の事をよく見ているという事でもある。むしろ、共に通じ合う点が有るからこその己が姿を省みる鏡なのだろう。
「さて布都、このままごまかせると思ってないだろうな。また寺に火を放った件だ」
「……へ? いやこれは、太子様の為を思ってやった事でありまして。あの、太子様? 太子さまぁぁぁぁぁぁぁ…………!」
布都の声が遠ざかって消えていく。
その後、幻想郷で布都の姿を見た者は一週間ほどいなかった。
◇
「ううぅ……お茶が飲めないぞぉ」
「やっぱり腕が曲がらないのは不便よねえ。今度は関節を機械に改造してみようかしら。そうだわ、せっかくだしロケットパンチとか出せるようにしちゃう? それとも腕をサイコな銃にしてしまうのもいいかも? 夢が広がりますわぁ……!」
芳香の口に湯飲みを当てながらマッドな妄想を繰り広げるのは、言うまでもなく邪仙その人である。
「こいつはこういう奴なんだよ。一々気にしてると疲れるから聞き流して座ってな」
屠自古がこころの前にお茶菓子を置いた。幻想郷では珍しい外郎である。青娥が結界をするりと抜け出したお出かけ先で買ってきたものらしく、白い外郎を指差して『屠自古さんに似てないですか』などとからかうのに使われた。
「屠自古と青娥さんって仲が良いんだね」
「……ああ?」
ドスの効いた低い声で威圧する屠自古。こころはいきなり地雷を踏んでしまったようだ。
「それなー、それ言うと屠自古は絶対怒るんだぞぉ。ツンデレだからなー」
「うるせー。私はこんな奴と友人だなんて思われたくないんだよ!」
「んもう、屠自古さんてば酷ぉい」
青娥が不気味に体をくねくねと捩らせる。それはそれとして、小さくなるこころに優しく声をかけた。
「豊聡耳様に助言を貰ったのは良いですけど、でもそれは私への対策でしょう? 屠自古さんは変化球でいかなきゃダメなのよ」
「……聞いてたんですか?」
「青娥の百八式仙術の一つ、邪仙地獄耳だぞぉ。同じ建物の中の話し声など、聞き取るのは造作もない事なのだぁ」
脳が腐っているのを良い事に芳香が適当な事を言う。命名はともかく、仙人の能力には天耳通というものがある。仙人は耳が良いのだ。
「えーと……じゃあ開き直って直球でいきます。あの、私も最初は青娥さんの事を酷い人だと思っていたんです。それは今でも、やっぱりあなたは酷い人だと思うんですけど……」
「そうね。いきなり直球すぎる酷い事を言うわね」
屠自古は吹き出し、青娥と芳香は待ってましたと言わんばかりの楽しげな笑顔を浮かべた。こんな事も言われるのは慣れっこなのだ。
「ほら、そうやって怒らないじゃないですか。私はそれが知りたいんです。青娥さんは何に対して怒っているのかを。聞いていたんですよね、私がさっき三人でしていた話も」
「青娥は今ぁ……お疲れ状態だー。聞いてばかりでなくお前も考えてみるのだなぁ、幼き付喪神よぉ」
ボスの前に子分が立ちはだかってきた。
「芳香さん……だったよね。本当はあなたにも聞きたい事があったけど後にするね」
会った瞬間こころには分かっていた。哀れに思っていたこのキョンシーには心がある。私と同じ感情を持っているのだと。
「布都は面倒な事を押し付けたからって言っていたけど、でも青娥さんも屠自古と一緒に、ずっと神子の復活を待っていたんですよね。だからそれが嫌じゃ無いんだと思います。何故私にあなたの感情が分からないのか、それはたぶんあなたの感情が内側を向いているから……怒っているのは自分自身にだから、なんじゃないですか?」
芳香は元々開き気味だった眼をさらに大きく見開いた。口を閉じ、心同様の悲しげな表情を浮かべる。
「青娥ー、どうしよう。通していいかぁ?」
「通すも何も、みんな座って動かないだろうが」
芳香と屠自古の漫才が始まった。青娥はそんな二人の様子を見て小さく笑い、こころに向き直る。
「……うーん、当たらずとも遠からずかしら。あの時の私は悔しかったのでしょうね。天仙にも届いたであろう天才を、私が至らなかったばかりに道半ばで早逝させてしまったのだから」
「うん、神子は天才ですよね。美的センスはちょっと残念だけど」
「そっちはある意味で天才と言えるかしらね。それは置いといて、仙人の天才とは豊聡耳様では無いわ。布都さんの方よ」
「そうなんですか? 力では神子の方が圧倒的に見えますけど」
「あの方は仙人よりもむしろ神に近い性質なのよ。もちろん仙人にも成れるけど、それは例えるなら……そうね、イチローにサッカーを教えるような勿体無い感じかしら。あ、イチローって知ってる? レーザービームが凄いのよ」
もちろんこころが知る由も無いが、レーザーを撃つならたぶん幻想郷に住んでいる神なのだろうと勝手に想像した。
「仙人の才能とは何か。それは何はなくとも『死なない事』です。生きる事が一番大事なの。そういう意味で豊聡耳様より布都さんの方が才能が有ったわ。それに、性格もね。地上に降りてきてる不良天人さんを見れば分かるでしょう? 仙人の最終目標ってアレの仲間ですからね」
「それなら神子も布都もそのままでいてほしいです。だったらその、屠自古は才能……無かったんですか?」
「無いわ。今更取り繕う意味が無いからはっきり言いますけど有りません。屠自古さんは真面目すぎるのよ。すぐ怒るし、情に厚くて涙もろいと。間違いなく仙人向きの性格では無かったわね。私だって幼少の頃から勉強して、二十歳を越えてからやっと低級の尸解仙に成れたものですから。成れないとは言いませんが、屠自古さんには時期尚早なのは間違いありません」
また怒るかと思ったが、屠自古はこの言われように対しては落ち着いた様子だった。
「私は太子様が、いきなり現れたこいつの言いなりになっているのも納得いかなかったからな。布都に嵌められた時は怒り狂ったけど、本当は自分で分かってたよ。私は仙人にはなれなかっただろうし、むしろなれない方が良かったって」
「でもなぁ、屠自古だって良いところはいっぱいあるぞー」
「そうね、芳香の言う通りよ。屠自古さんはとっても良い人なの。豊聡耳様が剣ならば、その身を優しく包み込む鞘として、この人はまだ失わせたくないと思ったのよ」
「やめろ青娥。お前にそんな事を言われるなんて体がむず痒くてしょうがねえや」
嫌がっているようで、屠自古の口角は上がっている。
やっぱりこの人達は仲が良いんだろうな。こころは確信すると同時に、悔しくもあった。
「あなたが屠自古の術を解かなかった理由、これは私の勝手な想像なんだけど言っていいですか?」
「どうぞどうぞ。貴女は人の感情が読めるのでしょう? むしろこころちゃんの方が詳しいかもね」
「寂しい。術を解いた時の屠自古の感情です。今までずっと青娥さんと一緒の状態だったから、屠自古の方が限界が来るまで解呪を嫌がっていた。解呪して必要が無くなれば青娥さんがどこかにいなくなって帰ってこない。屠自古はそれを怖がっているように感じました」
屠自古は、ばつの悪そうな顔で下を向いた。これでは感情が読めなくても考えがお見通しだ。
「貴女がそう言うのなら、そうなのかもね。そういう事にしておきましょうか。私達からあえて否定はしませんわ」
「……こうやって話していて思いました。青娥さん、あなたは邪仙になるような人じゃなかったんじゃないかって。だって、本当に酷い人だったら屠自古だってそうは思わないはずです。どうして悪い事をするんですか?」
「悪い人だから悪い事をするのよ。当たり前でしょう?」
全く迷わずに言い切る、こころへの青娥の目は厳しかった。
「たとえ根の部分が善人であったとしても、悪事を成してしまった人は悪人でなければならない。逆も然り、性悪でも理性で己を制して善事だけを成せばそれは善人なのです。私の表面的な一部だけで誤解しちゃダメ。豊聡耳様の言葉を思い出しなさい。私は、邪仙なの」
青娥は本来『善悪』に囚われるような人ではない。彼女がやりたいようにやる、それが結果として悪なだけという事であり、気に入った相手の為ならば善行も当然のように成せる。
その青娥が今回このように強い断定で物を言うには、勿論それなりの訳はある。
「あーあ、青娥に気に入られちまったな。災難だな、こころ」
「え、そうなんですか? やだ……」
「なぁんだとぅー!?」
こころの小声を芳香の腐っていない耳は聞き逃さなかった。
「芳香、おすわり」
「おー……」
お説教など、同業の桃色の仙人のようなお節介が好きな輩に任せればよいと思っている。そんな彼女が教えを説くとは即ち、そういう事だ。
「知らないでしょうけど元々こころさんの事は気にかけていたわよ。豊聡耳様と河勝様の縁者ですものね。それに貴女は、自覚は無いでしょうけど仙人の力も持っているのよ。ならば道を示すのが私の役目」
「そうなんですか? 私はおひげが生えてたり霞を食べたりとかできないですけど」
「目の前に髭も無く霞も食べない仙人が居るのですけどね」
だが一般的な仙人のイメージとはそういうものである。一時期道教にハマった妖夢もそのようなコスプレで無かった事にしたい歴史を生んだ。
「そうではなく、六神通の一つ、他心通よ。他人の心の動きを読み取る力の事。完璧とは言えないけど貴女はそれが出来るでしょう?」
「こいしのお姉さんと同じって事ですか? そういえば、神子は欲が読めるし、華扇さんは動物と会話が出来ますね。あれ、じゃあ青娥さんも……?」
他の仙人はともかく、この人に心を読まれる恐ろしさ。考えただけで、こころは姥の面と共に身震いをした。
「私は自分のキョンシーの心だけ読めれば十分だからそれ以上は修行してないの。だって何でも読めるようになってしまったら面白くないでしょう?」
「そうかなあ、あなたはそれで人の心を弄ぶんじゃないのかと」
「先が分からないからこそ遊びというのは楽しいんじゃない。ホンダって知ってる? こちらのじゃんけんの手を読んで絶対に勝つのよ。それで勝ち取ったコーラを目の前で飲み干す悪どい人なの」
言うまでもなくこころが知るはずも無いが、たしか白蓮が乗っていた二輪車がホンダだったような気がするので、『そうか、あの車はコーラを飲むのか、知らない間に付喪神になっていたのかな』と、そんな誤解がこころの中で広がっていた。
「あのー、それはともかく、最後にこれだけ教えて下さい。布都の事をどう思っているのか」
「なぜ、それが気になるのかしら?」
「布都の時だけです。青娥さんの感情に雲がかかるんです。となると、やっぱり布都に怒ってると考えるのが自然ですよね?」
青娥はわざとらしくういろうを一口つまみ、お茶でそれを流し込んだ。
「勿体ぶるなあ。言いたくないなら代わりに私が言ってやんよ? お前らしく多少の脚色を加えてな」
「やめてよ、もう。屠自古さんのいじわる」
青娥らしからぬ口調だが、これは二人でじゃれているだけのようだ。
「やれやれですわ。いいかしら? 私はね、他人の為に平気で自分を犠牲にしてしまう人が嫌なのよ。それで残された人間はいい迷惑ですもの」
「それは……布都の事ですか?」
「他に誰がいるっていうのかしら?」
疑問はあった。布都と屠自古の犠牲は神子の為である。しかしこの言葉は青娥の為に犠牲になった人間がいるからこそ出てくる言葉ではないのだろうか。
当の青娥は、残り少ないお茶の表面に映る天井を見つめていた。
屠自古が寄って、急須でその湯飲みにお茶を足す。
「こころ、他に誰かがいるとしようか。でもそんな突っ込んだ事はお前が知るべきじゃないよ。こんな奴と親しくなりたいなら話は別だがな」
「まー、我は知っているがなぁー!」
芳香が飛び出してきた。しかしこれでは他の者がいると自白しているも同然である。青娥はまさかの死体に墓穴を掘られた形だ。
「……芳香」
「おー? うぐぉおっ!」
青娥に眉間をチョップされた。
こころはひょっとこの面でその様子を眺めている。
「屠自古も、きっと知ってるんだね」
「あー……知りたくなかったが知ってしまったよ。でもまあ、これは言える。こいつは人でなしだが人の命を軽視してるわけじゃない。むしろ誰よりも重く見ているのかもな」
「もういいでしょ。あんまりこの話は楽しくないのよ。誰も笑顔にならないわ」
青娥が拗ねた子供のような顔つきで懇願した。実のところ、話が楽しくないと言うより、命を大事にしていると言われてしまった事の方が青娥には気に入らないのである。
それは先にお説教したように、自分が邪仙であるというプライドに加えて、まさにそれこそが青娥の怒りの根源だから。
「あの、私にはわからなかったんです。何で神子はあなたを退治してしまわないのかって」
「そうだな、こんな奴滅んじまえばいいのにな」
「ちょっと屠自古さん、貴女どっちの味方なのよ」
「へっ、お前じゃない方に決まってるだろー」
また二人でじゃれあいだしたので、こころは押し流されまいと声を張る。
「でも! 神子は自分が青娥さんの一番弟子だって言ったんです。私には分からないけど、二人の中にはたくさんの大事なものがあるんだと思います」
「豊聡耳様らしい言い方よね。自分が一番に拘るのはあの子の悪いところだわ」
否定はできなかった。弾幕花火大会の時も一人だけやたらとはしゃいでいたのを思い出せば。
「知らない人はただ悪く言うけど、でもここのみんなは青娥さんの事をとても残念そうに話すんです。それがなぜなのか、私も少しだけ分かったような気がします」
こころはようやく湯飲みに口を付けた。話に夢中になってすっかり冷めてしまったお茶がするりと喉を通っていく。
「あなたの事は許しちゃダメだと思うけど……でも、あなたの心からも学びたいことがいっぱいありました。だから、またこうして一緒にお茶を飲んだりしてもいいですか?」
「もちろんよ。貴女は孫弟子みたいなものですもの。お茶から仙人の修行まで、何でも一緒にしてあげますよ。ああそうだわ、外のお面でも買ってあげようかしら。欲しい物があったら私に言ってちょうだいね」
「それはいいです。お面はマミゾウさんが勝手に色々持ってくるので……でも、気持ちは嬉しいです」
孫が可愛くて何かしてあげたくてしょうがない。それが『おばあちゃん』の共通認識ということだろう。もっとも、青娥はたまに誰よりも幼い行動を取る事で、周りを非常に疲弊させたりするのだが。
「あ~、いっぱい喋って疲れたわあ。屠自古さぁん、膝枕してぇ?」
「何言ってんだ。膝がないんだよ、こっちは」
「生やそうと思えば生やせるのにねえ。本当に貴女は幽霊やるのも真面目なんですから、可愛い」
「はいはい、お前の方が可愛いよ。だから黙っとけ」
本当に、自分が関わらない分には楽しい人だ。屠自古には気の毒だけどずっとそうしていてほしいな、こころはそう思ったのだった。
◇
「こころー……こころぉー!」
いっぱい喋ってお腹も膨れた青娥はお昼寝タイムに入ってしまった。
開放されて暇になってしまった芳香がこころに追いすがる。
「芳香さん、どうしたんですか?」
「芳香は……呼び捨てでいいぞぉー! それよりとぼけるなぁ、私にも聞きたいことがあるのだろぅ?」
ああ、そういえば。こころも青娥の話でお腹いっぱいですっかり忘れてしまっていた。
「じゃあ芳香、ずばり聞いちゃっていい?」
「おおー、どんと……こい!」
胸を叩きたかったのだろうが、芳香は関節が曲げられないので腕をばたばたもがかせた。
「あなたの心が悲しみに満ちている理由、もしかして青娥さんの為に死んだのはあなただから、ですか?」
芳香は、笑顔を崩さないまましばらく無言だった。まさか今更死後の硬直が始まったのではあるまいなと不安になったが、呼吸はしっかりとしているので一時的に脳の処理が落ちただけなのだろう。
「……違うぞ。私は……どうしても生きて、青娥と一緒に居たかったのだぞ」
「そんな気はしたよ。あなたはかわいそうな操り人形だと思ってたけど違うんだね。芳香はちゃんと人の心を持っているんだ」
道具として扱われていると思っていたキョンシーが純粋な人の心を持っている。
芳香は付喪神のような存在になっていたのだ。つまりこころと同じである。
「青娥と共にいる事こそが私の全てだ。だから死んでも死にきれなかった。私は優秀な仙人ではなかったのだ……そのせいで私は青娥を悲しませてしまった。青娥の悲しみこそが私の悲しみだ」
「……そっか。ごめんね、辛いことを聞いてしまって」
「気にするな! 生きてこそという青娥の言葉は守れなくなってしまったが、この体は青娥で満たされている。だが、やはり生きて青娥と同じ苦労を味わいたかったとも思う。こころ、死ぬのはいかんぞ……」
芳香は死体で、屠自古は怨霊。そして尸解仙は死を偽装して復活した者達である。神霊廟は死の匂いに満ちあふれている。
「あなたは心が強いんだね。私はどうなんだろう。死んじゃったら悲しい気持ちになる人がいっぱいだもん」
「それなら仙人を目指せばよい! 大丈夫、途中で死んじゃっても我らの仲間が増えるぞ、やったなー!」
「今、死ぬのはいかんって言ったばかりだよね……?」
「……おー?」
脳の腐ったキョンシーにそれを言うのは酷というものである。
「というか、付喪神でも仙人になれるの?」
「鬼だって仙人を名乗れる時代なのだぁ。付喪神になれない理由はない!」
さらりととんでもない発言があった気がするが、妙に自信に満ちた芳香の姿に自身の不安などちっぽけな事なのかなと思うこころであった。
「なんだ、二人で楽しそうじゃないか。もう仲良くなったのか?」
「おー、我らは親友と書いてライバルと読む関係だぞぉ!」
皿と湯呑みの片付けが終わった屠自古の茶々に、芳香が元気よく答える。
「そんなのじゃないけど、でも仙人も悪くのないかなって。えーと、神子と布都と屠自古に、芳香もだよね。5番目の弟子になるのかな?」
「5番目ではないぞ」
それは今までその場に居なかった神子の声だった。
ちなみに、現在の布都は常人の想像など遠く及ばぬ過酷な修行の真っ只中である。
「あ、おかえり。布都はどうしたの? それに他に誰か弟子がいたって事なの?」
「布都は燻製肉の目の前で椅子に縛り付けられる修行に処してある。そして、他にいたとも。青娥の目的は布教にかこつけた自己の誇示だからね。弟子はいくらでもいたさ。だが、多くは仙人になる前に命を落とし、わずかに残った者も死神のお迎えを凌ぐ事は出来なかった」
芳香が寂しそうに腕を垂らした。
「私と同じだなぁ。違うのは……動く死体の才能は無かった点だぞ」
「それにも才能があるんだね……」
「おー。記憶の大部分は魂に宿り、死んだ体には欲が残る……と青娥は言っていた。例えば、肉を食いたいという欲を魂が持っても仕方ないだろぉ? 他の奴らの体には何も残らなかったが、私の欲は青娥だから……我が死体はそれを求めたのだ」
このキョンシーはどこまで青娥が好きなのだろうか。そのあまりにも重い愛に、聞かされた側はただ苦笑いを浮かべるしか無かった。
「あれー、でも死体なら操れるんでしょ? 自分から動き出す死体を選ぶ必要ってあるの?」
「もちろんできるが順序が逆だー。勝手に動く死体だから操るのだぞぉ。青娥だって死体なら誰でも子分にするわけではない……私みたいな可愛い死体なら別だがぁ」
「あ、はい。そうですか」
自画自賛する死体。こういう自己評価がやたら高い点は飼い主に似たということか。
「あー……うむ。それと、先程は私が一番弟子と言ったが、あれも実は正確ではない。別に青娥に言われたからではないぞ」
「えーと、つまり神子の前に弟子がいたんだね?」
神子は茶の間の方を一度振り返り、こころの目の前に自分の顔を持っていった。
「青娥は寝ているな? だからこっそり教えてやろう。私と出会う前の彼女には……夫がいたのだ。その熱愛ぶりは今の芳香以上だったようだ」
「へー。まあ見た目は美人だもんね、青娥さん」
「中身も美人だぞ」
芳香が半ギレで反論する。
「ああ……うむ。それでだ、そんな夫が仙人となった青娥の後を追わないはずが無い。なのに青娥にそんな者の影など見えないだろう。つまりは、そういう事なのだ」
◇
「……それで、こころちゃんは何て?」
「今、周りにいる人を大事にしたいと思いますと、そのように」
青娥と神子。今は神子の私室で二人きりだ。二人で座椅子に横並び、密談中である。
寝ていたのは事実であるが、告げ口をする者はいた。芳香の口を塞ぐことは神子には出来ないのである。
「ほんと、困った弟子ですこと。他人の誰がいるのいないの、そんなのわざわざ聞きたいお話ですか? 聞かされても困るだけですのに」
「他人などではありませんよ。こころが妙に貴女に突っかかってきた理由、もちろんお分かりでしょう?」
「自分の知らない秘密を他のみんなで共有していた。仲間はずれは誰だって良い気分のものではありません。こころちゃんは布都さんとも仲良しですから、私の話もよく聞かされていたのでしょうね」
「流石は、貴女ですよ」
神子は頭を掻いた。青娥は心を読む仙術に長けているわけではない。彼女のこれは長生きのおかげで人の心理が読めるようになった、いわば女の勘である。
「それで、布都さんはまだ縛り付けているのかしら。どうせあの子は今更何を言っても考えを曲げたりしないわよ」
「そうでしょうね。ですが上に立つ者としては罰する姿勢は示さねばなりません。泣いて馬謖を斬る、です」
「あら、貴方泣いたの? 布都さんの反応を見て楽しんでるかと」
「それは、もちろん。しかし彼女が最近煩悩にかられすぎているのは事実なので修行は積ませませんと」
二人は楽しそうに邪な笑みを浮かべた。
「今頃布都さんはみんなで仲良くお肉を頬張っている頃かしらねえ。私もお相伴にあずかってこようかしら」
「なに? 布都の縄は神でも断ち切れないほどの特殊な物を使用しました。八雲から譲ってもらう際に何故か無意味な長話を聞かされましたが……とにかく布都が抜け出すのは不可能です」
ちなみにフェムトがどうとか須臾がどうとか、縄なのに時間の話が半分以上を占めていたようだ。
「でも、切れないだけでほどくのは出来るでしょう?」
「出来ますが、それでは罰になりませんから他の皆には手を出すなと言いつけてあります。いや、まさか……」
「その通り、芳香だけは私の言うことしか聞きませんよね。今頃は芳香のせいにして4人でベーコンパーティーですわ」
「まったく、貴女という人は……」
屠自古かこころが止めてくれたと思いたいのだが、みんなで楽しく燻製肉を食べている光景の方が容易に想像できてしまう。特に神子の脳内の布都と芳香は心から笑って肉にかぶり付いていた。
「大体ねえ、そんなくだらない我慢が修行になるわけがないでしょう。禁欲っていうのはそういう事じゃありませんわ」
「いや、その。布都は頭が良いのか悪いのか時たま分からなくなるんですよ。だからどうすれば良いのか私も迷走してまして。修行も最近は怠けてばかりで幻想郷での生活を存分に謳歌しているようですね……」
「あの子もねえ。思い込んだら突っ走るところさえ直れば本当に立派な仙人になれますのに。それにいくら豊聡耳様が優秀でも入れ込みすぎるのは問題。まったく、どうして……」
「私の周りには夫に似た人ばかり集まるのかしら、ですか」
青娥は神子の顔を見ずに正面を向いていた。
「酷いお方ですわ。過去や心を読んでもむやみに言わないのがマナーって教えなかったかしら」
「守っているものは積極的に破りなさい、というのも貴女の教えだったかと。それに貴女と腹の探り合いなどしたくない」
やれやれと言わんばかりの大きなため息をつき、青娥は自分が育てた弟子の眼を見つめた。
「貴方の言う通り、布都さんは本当に私の夫に似ています。頭は良いのに残念なところとか、惚れ込んだ相手には一直線なところとか。顔も爽やかで美形でしたわ。布都さんが男だったら、出会った頃の幼いあの方にそっくり」
「不思議でしたよ。貴女は布都にだけは妙に冷たいのに、そのくせ布都の事をよく見ていましたから」
「捨てられた犬みたいで放っておけないのもそっくりです。本当に腹立たしいですわ」
「つまり、それほど大好きだったのですね」
「……当然です。でなければ仙人の道を棒に振ってまで夫になど選びません。私が長生きしてるのだって、そんな夫への復讐も入ってるんですから」
本当に言うのが癪だったのだろう。頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
神子は苦笑する。
「この話はもう止めにしましょうか。屠自古の支えになってくれていた礼の方が遥かに大きいですしね」
「それが良いですわ。ほんと、感謝なんていくらされても足りませんよ。何年付き合わされたと思っているのですか」
「ええ……貴女の手も余計に汚れさせてしまいました。その事は本当に申し訳なく」
「ノープロブレムです。死体と霊魂と化学の研究は私が好きでやっている事ですから。霊廟に侵入しようと目論む不届き者の始末も兼ねて実験サンプルの入手には事欠きませんでした。存分に使わせていただきましたとも」
聖徳太子、すなわち皇族が眠る墓ならば一緒に財宝もあるに違いない。そう思って忍び込もうとする賊は後を絶たなかった。尸解仙の術は途中で暴かれては失敗してしまうのだが、神子の依代はよりによって宝剣である。皮肉な事に高位な物ほど邪魔が入りやすいのだ。
「貴女の行いを肯定はしません。ですが貴女が外道な研究を続けていた理由、それは……私を丹薬で死なせてしまったことをずっと気にしていたからでもある……そうですよね」
神子は青娥の右手を握る。青娥はその神子の手を優しく握り返す。
「水銀は毒。そんな事は今どき小学生でも義務教育で知るところです。ですが化学が発達していなかった当時は知らなかった。確かに死を乗り越えられた者が仙人になれるのですが、それは逆。丹薬を飲めば仙人に近づけるのではなく、仙人だから飲んでも平気なのです。言ってみれば仙人のジョークグッズですよ、こんな物は」
自嘲する青娥に、神子は優しく声をかける。
「ですが、私は結果的にこれで良かったと思います。布都も、屠自古も、きっとそう思っています」
「なぜ、ですか?」
聞かねばわからない事ではない。だが、それでもあえて青娥は聞きたかった。
「だって、そのおかげで貴女はまだ私達と一緒に居てくれているのですから」
「……どういうことでしょうか。私などが介入しなければ死期を早めずに済んだかもしれません。自らのお力で神にも届いたかもしれませんのに。現にそういう方もいらっしゃいます。貴方もよくご存知の方です」
「かもしれないは所詮かもしれないです。ならば私も言いましょうか。もし私が途中で病に侵されずに首尾良く天仙になれていたら、貴女はとっくに私達の下を去っていたかもしれない。そんなの、寂しいじゃないですか」
「寂しいからって、ただそれだけですか?」
神子らしくない、あまりにもシンプルで感情的な理由だ。それ故に青娥にはよく刺さった。
「私達は、貴女が思っているのよりもずっと貴女を大事に思っているんです。そりゃあ貴女はろくでもない事ばかりしますけど、それでもです。だから、もうちょっとだけでいいので、私達の近くにいてください」
青娥は何も言わなかった。否、言えなかった。もはや記憶にも残ってない遥か昔、同じような事を誰かに言われた気がする。それは夫だったかもしれない。もしくは目の前にいる本人だったか、もしかしたら芳香が芳香になる前の人物だったか、それ以外の誰かの可能性もある。
なぜ思い出せないのだろうか。それは青娥自身が記憶に蓋をしてしまったからだ。自分の心を守るために。
「貴女は猫です。人の言うことなんて聞いてくれませんし、する事といったら悪戯ばかり。でも、私達が困っている時に限って自分から優しく寄ってくるんですよ、貴女って。私達はそんな貴女が愛らしくて仕方がないのです」
「……ほんと、馬鹿な人。どうして私の周りってこんな人ばっかりなのかしら」
「類は友を呼ぶ、というやつじゃないですか。それとも青娥は、私達の事……お嫌いですか?」
「いいえ、大好きです! まだまだ半人前の貴方達が気になって、可愛くて仕方がないの。だから、付きまとっているんです!」
少しヤケを起こしたように、青娥はきっぱりと言い放った。
神子はほっと胸を撫で下ろす。捕まえようとすれば逃げていく、青娥にこのような事を言うのは賭けだったのだ。
「貴女は言いましたよね、屠自古は本来この世にはとっくに居ない人間だと。その通りです。いつか私達の道も分かれる時が来るのでしょうけど……でも、まだその時ではない。だから今は、今の時間を大事に過ごしたい。それで良いですよね?」
「もちろんです。豊聡耳様ねえ、偉そうな事言ってますけど、まだ死神のお迎えに遭ったことないでしょう? 貴方なら心配無いと信じているけど、いきなりコロっと死なないでくださいね? 私は貴方のキョンシーなんて作りたくありませんから」
うっ、と神子は体を強張らせた。確かに、ずっと仮死状態で眠っていたからお迎えが来るはずもない。
神子は青娥の時を思い出す。青娥は十数回も凌いできているが、長生きすればあのような大規模なやり方で命を狙われるのかと。
「ま、まあ、何とかなるでしょう。これでも偉い人ですから、命を狙われるなんて日常茶飯事でしたとも。外出するのも命がけだった事を考えれば、今など天国のようなものですよ」
「死んじゃってるじゃない」
二人で顔を合わせて笑いあった。
「そうだ、今度みんなでお出かけに行ってみませんか? 三途の川に居る水子の知り合いから聞いたんですけど、最近地獄の隣の畜生界って所で騒動があったらしいんですよ。もしかしたら面白い人に会えるかもしれませんね」
「死なないでって言ったそばから地獄に近づこうと? もっとも、私は貴女のそういうところを気に入ってるんですけどね」
──地獄の死神は言う。本来の寿命を越えて長生きする事は罪なのだと。
ならば青娥は言うまでもなく、私も布都も罪人だ。そして屠自古も芳香も決して綺麗な身ではない。
堕ちる時は一緒、皆で仲良く地獄行きである。
上等ではないか。こんなに楽しい同士と共にあるならば、地獄だろうと天国だ。
だがまだだ。今はまだ、幻想郷での生を堪能したい。
仙人とは違った力を持ち、この世界で逞しく生きる素晴らしい人間と会えた。
昔作った面は付喪神となって私の下へと帰ってきた。
別の道で不老不死を追い求めた好敵手とも出会えた。その者とは互いに信頼関係を結んだ友人でもある。
こんなに楽しい今の生をむざむざ手放すなんて勿体ないじゃないか。
私の欲は昔も今も長生きだ。でも、自分の事しか考えていなかったあの頃とは違う。かけがえのない愛する皆と共に生きるのだ──。
朗らかに微笑む青娥の顔の先に、絆を育んだ皆の笑顔も思い浮かべながら、神子は決意を新たにするのであった。
青娥の奥底にある怒りの感情、基本的に底知れないキャラながら、とても人間味を感じます