賀茂大橋の東詰、今出川通りと川端通りとの交差点にあるファミリーマートで買い物を終え、お菓子やおつまみやビールや酎ハイが詰まったレジ袋を手に店をでる。
季節は夏。
日が沈んで久しい夜中であるというのに、まるで昼間の熱をどこかに隠し持っていたみたいに、京都の町は蒸し暑かった。
たまらずレジ袋の中からビールを取り出し、プシュッといい音をさせてあける。
さて……。
寝苦しさのあまり家を飛びだし、コンビニへと駆けこんだわけであるが、欲しいとおもったものを欲望のままにカゴへと放りこみ、物欲はすっかり満たしてしまった。
しかしながら、このままあのサウナのごとき四畳半へとすごすご帰るのも違う気がする。
今の私は寝巻き代わりのショートパンツにTシャツ、おまけにサンダル履きといった出で立ちである。
深夜のコンビニ程度ならともかく、どこか深夜営業している居酒屋だのファミレスだのに入るには少々不向きな格好だ。
となると……。
「あそこね」
無意識に私は笑みを浮かべ、ビールを飲み飲み、ファミチキを食べ食べ、川端通りと今出川通りの交差点を斜めに横断した。
賀茂大橋のふもとの階段を賀茂川沿いの遊歩道へと降りる。
京都市街を横断する鴨川は、それを川上へと遡っていくと賀茂川、高野川が合流してできた川であることがわかる。
その合流地点の三角州は鴨川デルタとよばれ、市民の憩いの場として活躍していた。
昼間にはそれぞれ賀茂川と高野川にかかった飛び石の上を跳ねまわり、川で水遊びをする子供たちや、中には川のなかへとキャンプチェアーを持ちこんでビールを飲みはじめるような猛者まで様々である。
夜になるとたまに禁止されているバーベキューや花火などをする愚かな若者に遭遇するのが玉に瑕であるが、まあ、いいところだ。
遊歩道へと降り立つと、高野川を横断する飛び石は目と鼻のさきにある。
鴨川デルタに人の姿はない。
これは非常に幸運であると、浮かれた気分で飛び石を跳ねる。
さて、せっかくショートパンツにサンダルなのだ。
普通に飲むんじゃあ面白くないと、私は鴨川デルタの先端まで歩いていき、合流地点の最先端でサンダルを脱ぎ捨てると、ゆっくりと川のなかに足をひたした。
ひんやりとした水の冷たさが、足を包みこんでなんとなくこそばゆい。
そうして、私は川べりに腰かけると、川のなかに足を浸からせたままコンビニ袋を漁った。
ポテトチップスやビーフジャーキーの袋をあけ、缶ビールや缶酎ハイは川にひたして冷やしておく。
うんうん、これは完璧であると一人うなずき、私は二本目の缶ビールを開封した。
目を閉じ、川のせせらぎを耳を澄ませると、まるで自分が川の流れにまかせて水面をたゆたっている気持ちになる。
そうした気分で飲むビールはうまい。
すっかり二本目の缶を空にし、三本目に手を伸ばしたところで、ふと物足りなさを感じ手を止める。
物足りない。
川べりで飲むアルコールはこの上なくおいしいし、ひんやりとした足は気持ちいいのだが、しかし、どこか物足りないのだ。
いや、その理由はとっくにわかっている。
しかし……。
私は携帯端末を起動し、連絡先を表示した。
網膜ディスプレイに浮かび上がる『メリー』の名前。
時間はすっかり夜中だ。
普通に考えれば電話を入れるには非常識な時間だろう。
しかし、根拠はないがなんとなくいけそうな気がして、私は彼女に連絡を試みた。
はたして、コール音が三度ほど繰り返されたあたりで、メリーは呼び出しに応じたのだった。
『ふざっけんじゃないわよ! いま何時だとおもってんの!』
どうやら失敗だったらしい。
「まあまあメリー、あなたもこの蒸し暑い夜中に寝苦しい思いをしていたんじゃあないかしら? そんなメリーに私からのステキなお誘いなのだけれど」
『残念ながらね蓮子、私が住むマンションは冷暖房の設備が万全なのよ。あー涼しいわ』
「なっ、ずるい! ずるいわ! こちとら寝ようにも寝られず、仕方がないからコンビニでお酒とおつまみを買って鴨川デルタで絶賛ひとり酒よ! メリーも来なさい!」
『来なさいっていったって……あなたもう少し常識を知った方がいいわよ? 私だからよかったものを、他の人だったら本当に怒られるわよ?』
「メリーならよかったのね? それはよかった」
『いいわけないでしょ!』
ああもう、とうんざりした様子で呟いてから、メリーはぶつんと電話を切ってしまった。
「ざーんねん」とわざわざ口に出し、それごと飲みこむかのようにビールを流しこむ。
けれども、やはりどこか空虚な感じがしてならないので、それを満たすためにポテトチップスをむしゃむしゃしてたら胸のあたりが重くなってきた。
もしかしなくても胸やけである。
「あーあ」意味もなく出した声は夜の鴨川にかき消されていく。
ビールの缶をかたわらに置き、ごろんと仰向けに寝転がる。
怒らせたかな。
怒らせたよね。
今度会ったら誠心誠意あやまって、なにかケーキでも奢ってご機嫌をとらなきゃ。
けれども、やっぱりメリーがいないと寂しいなぁ……。
なんてくよくよしていると、一台のスクーターが目の前にかかる賀茂大橋を西側から走ってきて、真ん中あたりで停車した。
それから軽いクラクションのあとに、運転手がこちらに向けて手をふった。
そのスクーター……ベスパには見覚えがある。
「メリー!」私がそう叫ぶと、メリーは手をふるのをやめてふたたび走り出し、川端通りの交差点を左折した。
そうして高野川にかかる河合橋を渡って、鴨川公園の松の木のしたにベスパを停めると、コンビニ袋を手にこちらへとやってきたのだった。
「蓮子が夜中に起こすものだからお腹が空いちゃったのよ。けれども一人でコンビニ飯というのも味気ないし、どうせならこんな場所で食べるのも悪くないと思ったのよ。それだけよ?」
「素直じゃないわね」そう言って隣を指すと、メリーは靴と靴下を脱いで、ざぶざぶと水の中に入りこんだ。
「あー、ひゃっこい! いいわねこれ、くせになりそうだわ」
そう言ってスカートのすそをつまみながら振り返り、笑顔を向けるメリーを眺めながら私は缶を傾けた。
それからメリーは私のとなりに腰かけ、コンビニ袋の中から牛カルビ弁当を取り出した。
「攻めるわね」
「夏バテ予防よ。効果があるかはわからないけど」
「ビールに合いそうですなあ」川のなかで冷やしてあるビールを差し出すと、メリーは両手をふって受け取りを固辞した。
「バイクで来たのよ? お酒は遠慮しとくわ」
「私一人で飲んでもつまらないじゃない。一緒に飲みましょうよ」
「そうは言っても……」
「よし、ひとつおもしろい話を聞かせてあげましょう」
メリーが弁当の蓋をあけると、牛カルビのおいしそうなタレの香りが漂ってきて、それだけでもうアルコールが進みそうだ。
「とあるケチな酒飲みの二人組が、ひとつのビールを分け合うことになったの。測りもなにもない状態で、二人が満足できるようにするにはどうしたらいい?」
「あら、それなら聞いたことがあるわ」メリーが得意げな顔をした。
「確か……こういう話じゃなかったかしら」
「ここにお供え物の一本のビールがあるわ」
「ああ、あるな。なんだ、くれるのか? サンキュー……痛って!」
「馬鹿、全部はだめよ。きっちり半分ずつに分けて飲みましょう。ただ問題は、どうきっちり半分ずつに分けるかなのよね……」
「ケチな巫女らしい悩みだな。適当でいいじゃねえか。うーん……よし、それならいい考えがある。まず私がこのビールを半分に分けるんだ。なるべく均等になるように、慎重に分けるぜ」
「そう見せかけておいて、実は片方だけ多く入れるようなズルをするんじゃないでしょうね?」
「まあまあ。そんでこの二つに分けたビールを、ほれ。好きな方を選んでくれ」
「……ああ、なるほど。あなたにとってはどちらを選んでも損得がないくらい慎重に分けているし、私にとってもより得すると思った方を選べるから、お互いに納得のいく分け方ができた、と」
「そういうことだな」
「それじゃ、私はこっちを」
「おう、それじゃあ私はこっちだな。じゃ、かんぱーい!」
「乾杯」
「……って話だったわよね?」
「その結果、二人は時間が経ちすぎて炭酸の抜けたぬるいビールを飲むはめになるの」
「そんなオチだったっけ?」
「この話から得られる教訓はこうよ。損得とか後先のことを無駄に考えるより、ビールがキンキンに冷えているうちにグイッと飲んでしまうのが、なによりも一番満足するってね」
そういって私は手にしていたビールの缶をあけ、半分ほどグイッと飲むと残りをメリーに差し出した。
「さ、早く飲まないと炭酸が抜けてぬるくなるわよ?」
「……そういう話じゃなかった気がするんだけどなぁ」
そう言いつつ缶を受け取ったメリーは、豪快に缶をあおり一気に飲み干した。
「……プハッ、ああもうおいしいわね!」
「アハハ、いい飲みっぷり」
「牛カルビなんてビールに合うに決まってるじゃない! ほら! 食べなさい!」
「待って待ってもがもが……うまい! ビールに合う!」
そうして二人して缶を何本もあけ、おつまみを平らげると、好きなくせしてそこまで強くないメリーはすっかりべろんべろんになってしまった。
「蓮子! お酒がなくなっちゃったわ! 買いにいきましょう!」
「飲ませておいてなんだけど、飲みすぎよメリー。ほどほどにしとかないと、いつもみたいに明日になって後悔するんだから」
「後悔先に立たずって言うじゃない!」
「後悔するってわかってて実行することにその言葉は当てはまらないわよ」
スルメイカの袋にゲソが一本余っていたので、メリーの口に突っ込んでやると、もぐもぐし始めて静かになった。
「おいしいわねこのガム」
「イカ味のガムとか嫌だわ……」
ゴミを分別してコンビニ袋にまとめていると、メリーは足を鴨川に入れたまま川べりにごろんと寝転がった。
その目はとろんとしており、放っておけば今にも眠ってしまいそうだった。
「メリー、こんなところで寝たら面倒よ。帰りましょう?」
「まあまあ蓮子、見てみなさいって。目を凝らせば見えるものよ、星空って」
「いいわよ私は。見上げたって今が夜中の二時で、場所が鴨川デルタだってことがわかるくらいだもの」
「あ、じゃあひさびさに夢の世界に行きましょうよ! 今ならきっと素敵な夢が見られるはずだわ! お酒飲み放題の夢とか!」
「メリー、動くのが億劫になってるだけでしょ? ほら、帰るわよ。起きなさいってば」
「やあだあ! 私もうここに住む! 鴨川デルタの住人になる!」
「バカ言ってないで、ほら!」
私は川の中へざぶざぶと入ると、メリーの正面から起き上がらせるように手を引っ張った。
むにゃむにゃ言いながら上半身を起き上がらせたメリーは、そのままおもむろに立ち上がったかと思うと、私の体にしなだれかかってきた。
「ちょ、メリー! ぎゃあっ」
もちろん、足場も悪くぬめりもある場所でそんなことをされれば、バランスは崩れる。
そうして私とメリーは仲良く鴨川にダイブすることになり、すっかり濡れ鼠になってしまった。
「こら! メリー!」
「あはははは! 冷たい!」
「わぷっ。ちょ、はしゃぐな!」
「逃げろ逃げろ! きゃあっ!」
「こら、待ちなさい! ひゃあっ!」
下着まですっかり濡れてしまっては、もうどうにでもなれと開き直り、私とメリーは夜中の鴨川でしばしの鬼ごっこに興じた。
しかし、その原動力のほとんどは酒の勢いが占めており、冷たい水に浸かっていれば五分と経たずに酔いも醒めるというもの。
結果、
「……メリー」
「……ごめん」
すっかり素面に戻った私たちは、いそいそと鴨川から這い出るのだった。
「涼しいわ。着の身着のままで川遊びなんて子供の頃以来よ」
「酒に酔って童心に帰るというのもなんだか変な話よね。まあ、今が夏でよかったわ」
メリーはベスパにまたがると、ヘルメットを被り、エンジンを入れた。
夜の鴨川公園にドルドルとエンジンの音が低くとどろく。
「本当に大丈夫?」そう尋ねると、メリーは頷いた。
「平気。酔うのも早いけど、醒めるのも早いのよ、私」
酔いが醒めたところで酒気帯び運転であることに変わりはない。
「そうだけどさあ。事故らないでよ?」
「大丈夫よ。私の運転テク、なかなかのものなんだから」
メリーはそう言って、かつてこのベスパで京の街を暴走する首なしライダーと勝負をし、打ち勝ったこともあるのだと豪語してみせたが、私にはそれが酔っ払いの与太話にしか聞こえず、不安はより一層増すのだった。
「それじゃ蓮子、誘ってくれてありがとうね」
「こっちこそ、夜中に起こしてごめん。今度は先斗町あたりで焼き鳥でもつまみながら飲みましょう」
「あら、いいわね。朝まで飲み歩きましょう。楽しみにしておくわ」
そうして、メリーを乗せたベスパは賀茂川にかかる出町橋の向こうへと消えていった。
ふたたびひとりぼっちになると、さっきまでの喧騒がまるで嘘のように静かになった。
思いがけず出てきたあくびに口を大きく開けながら、私はメリーが消えていった方に背を向け、河合橋を渡り鴨川デルタを後にした。
家に帰ったら、きっとぐっすり眠れることだろう。
と、その時だった。
携帯端末が網膜ディスプレイに『メッセージ着信』の文字とともにメリーの名前が浮かび上がらせた。
何事かと開いてみると、メッセージとともに一枚の写真が表示される。
『一人で入る勇気がないんだけどなー。誰か一緒に入ってくれないかなー』
写真には赤提灯が輝く屋台の姿が映し出されており、私は後ろを振り返った。
出町橋を渡ってすぐ、地下駐車場入り口のロータリーにある少し広めの歩道には、ここからでも赤提灯が煌々と光るさまが見てとれる。
昔ながらの屋台ラーメンが、今も変わらぬ姿でそこにあるのだ。
確かに、メリーのような女の子一人では立ち入りにくい雰囲気である。
「まったく……」
私は『すぐ行く』とだけ返信して、急遽、来た道を戻るのだった。
季節は夏。
日が沈んで久しい夜中であるというのに、まるで昼間の熱をどこかに隠し持っていたみたいに、京都の町は蒸し暑かった。
たまらずレジ袋の中からビールを取り出し、プシュッといい音をさせてあける。
さて……。
寝苦しさのあまり家を飛びだし、コンビニへと駆けこんだわけであるが、欲しいとおもったものを欲望のままにカゴへと放りこみ、物欲はすっかり満たしてしまった。
しかしながら、このままあのサウナのごとき四畳半へとすごすご帰るのも違う気がする。
今の私は寝巻き代わりのショートパンツにTシャツ、おまけにサンダル履きといった出で立ちである。
深夜のコンビニ程度ならともかく、どこか深夜営業している居酒屋だのファミレスだのに入るには少々不向きな格好だ。
となると……。
「あそこね」
無意識に私は笑みを浮かべ、ビールを飲み飲み、ファミチキを食べ食べ、川端通りと今出川通りの交差点を斜めに横断した。
賀茂大橋のふもとの階段を賀茂川沿いの遊歩道へと降りる。
京都市街を横断する鴨川は、それを川上へと遡っていくと賀茂川、高野川が合流してできた川であることがわかる。
その合流地点の三角州は鴨川デルタとよばれ、市民の憩いの場として活躍していた。
昼間にはそれぞれ賀茂川と高野川にかかった飛び石の上を跳ねまわり、川で水遊びをする子供たちや、中には川のなかへとキャンプチェアーを持ちこんでビールを飲みはじめるような猛者まで様々である。
夜になるとたまに禁止されているバーベキューや花火などをする愚かな若者に遭遇するのが玉に瑕であるが、まあ、いいところだ。
遊歩道へと降り立つと、高野川を横断する飛び石は目と鼻のさきにある。
鴨川デルタに人の姿はない。
これは非常に幸運であると、浮かれた気分で飛び石を跳ねる。
さて、せっかくショートパンツにサンダルなのだ。
普通に飲むんじゃあ面白くないと、私は鴨川デルタの先端まで歩いていき、合流地点の最先端でサンダルを脱ぎ捨てると、ゆっくりと川のなかに足をひたした。
ひんやりとした水の冷たさが、足を包みこんでなんとなくこそばゆい。
そうして、私は川べりに腰かけると、川のなかに足を浸からせたままコンビニ袋を漁った。
ポテトチップスやビーフジャーキーの袋をあけ、缶ビールや缶酎ハイは川にひたして冷やしておく。
うんうん、これは完璧であると一人うなずき、私は二本目の缶ビールを開封した。
目を閉じ、川のせせらぎを耳を澄ませると、まるで自分が川の流れにまかせて水面をたゆたっている気持ちになる。
そうした気分で飲むビールはうまい。
すっかり二本目の缶を空にし、三本目に手を伸ばしたところで、ふと物足りなさを感じ手を止める。
物足りない。
川べりで飲むアルコールはこの上なくおいしいし、ひんやりとした足は気持ちいいのだが、しかし、どこか物足りないのだ。
いや、その理由はとっくにわかっている。
しかし……。
私は携帯端末を起動し、連絡先を表示した。
網膜ディスプレイに浮かび上がる『メリー』の名前。
時間はすっかり夜中だ。
普通に考えれば電話を入れるには非常識な時間だろう。
しかし、根拠はないがなんとなくいけそうな気がして、私は彼女に連絡を試みた。
はたして、コール音が三度ほど繰り返されたあたりで、メリーは呼び出しに応じたのだった。
『ふざっけんじゃないわよ! いま何時だとおもってんの!』
どうやら失敗だったらしい。
「まあまあメリー、あなたもこの蒸し暑い夜中に寝苦しい思いをしていたんじゃあないかしら? そんなメリーに私からのステキなお誘いなのだけれど」
『残念ながらね蓮子、私が住むマンションは冷暖房の設備が万全なのよ。あー涼しいわ』
「なっ、ずるい! ずるいわ! こちとら寝ようにも寝られず、仕方がないからコンビニでお酒とおつまみを買って鴨川デルタで絶賛ひとり酒よ! メリーも来なさい!」
『来なさいっていったって……あなたもう少し常識を知った方がいいわよ? 私だからよかったものを、他の人だったら本当に怒られるわよ?』
「メリーならよかったのね? それはよかった」
『いいわけないでしょ!』
ああもう、とうんざりした様子で呟いてから、メリーはぶつんと電話を切ってしまった。
「ざーんねん」とわざわざ口に出し、それごと飲みこむかのようにビールを流しこむ。
けれども、やはりどこか空虚な感じがしてならないので、それを満たすためにポテトチップスをむしゃむしゃしてたら胸のあたりが重くなってきた。
もしかしなくても胸やけである。
「あーあ」意味もなく出した声は夜の鴨川にかき消されていく。
ビールの缶をかたわらに置き、ごろんと仰向けに寝転がる。
怒らせたかな。
怒らせたよね。
今度会ったら誠心誠意あやまって、なにかケーキでも奢ってご機嫌をとらなきゃ。
けれども、やっぱりメリーがいないと寂しいなぁ……。
なんてくよくよしていると、一台のスクーターが目の前にかかる賀茂大橋を西側から走ってきて、真ん中あたりで停車した。
それから軽いクラクションのあとに、運転手がこちらに向けて手をふった。
そのスクーター……ベスパには見覚えがある。
「メリー!」私がそう叫ぶと、メリーは手をふるのをやめてふたたび走り出し、川端通りの交差点を左折した。
そうして高野川にかかる河合橋を渡って、鴨川公園の松の木のしたにベスパを停めると、コンビニ袋を手にこちらへとやってきたのだった。
「蓮子が夜中に起こすものだからお腹が空いちゃったのよ。けれども一人でコンビニ飯というのも味気ないし、どうせならこんな場所で食べるのも悪くないと思ったのよ。それだけよ?」
「素直じゃないわね」そう言って隣を指すと、メリーは靴と靴下を脱いで、ざぶざぶと水の中に入りこんだ。
「あー、ひゃっこい! いいわねこれ、くせになりそうだわ」
そう言ってスカートのすそをつまみながら振り返り、笑顔を向けるメリーを眺めながら私は缶を傾けた。
それからメリーは私のとなりに腰かけ、コンビニ袋の中から牛カルビ弁当を取り出した。
「攻めるわね」
「夏バテ予防よ。効果があるかはわからないけど」
「ビールに合いそうですなあ」川のなかで冷やしてあるビールを差し出すと、メリーは両手をふって受け取りを固辞した。
「バイクで来たのよ? お酒は遠慮しとくわ」
「私一人で飲んでもつまらないじゃない。一緒に飲みましょうよ」
「そうは言っても……」
「よし、ひとつおもしろい話を聞かせてあげましょう」
メリーが弁当の蓋をあけると、牛カルビのおいしそうなタレの香りが漂ってきて、それだけでもうアルコールが進みそうだ。
「とあるケチな酒飲みの二人組が、ひとつのビールを分け合うことになったの。測りもなにもない状態で、二人が満足できるようにするにはどうしたらいい?」
「あら、それなら聞いたことがあるわ」メリーが得意げな顔をした。
「確か……こういう話じゃなかったかしら」
「ここにお供え物の一本のビールがあるわ」
「ああ、あるな。なんだ、くれるのか? サンキュー……痛って!」
「馬鹿、全部はだめよ。きっちり半分ずつに分けて飲みましょう。ただ問題は、どうきっちり半分ずつに分けるかなのよね……」
「ケチな巫女らしい悩みだな。適当でいいじゃねえか。うーん……よし、それならいい考えがある。まず私がこのビールを半分に分けるんだ。なるべく均等になるように、慎重に分けるぜ」
「そう見せかけておいて、実は片方だけ多く入れるようなズルをするんじゃないでしょうね?」
「まあまあ。そんでこの二つに分けたビールを、ほれ。好きな方を選んでくれ」
「……ああ、なるほど。あなたにとってはどちらを選んでも損得がないくらい慎重に分けているし、私にとってもより得すると思った方を選べるから、お互いに納得のいく分け方ができた、と」
「そういうことだな」
「それじゃ、私はこっちを」
「おう、それじゃあ私はこっちだな。じゃ、かんぱーい!」
「乾杯」
「……って話だったわよね?」
「その結果、二人は時間が経ちすぎて炭酸の抜けたぬるいビールを飲むはめになるの」
「そんなオチだったっけ?」
「この話から得られる教訓はこうよ。損得とか後先のことを無駄に考えるより、ビールがキンキンに冷えているうちにグイッと飲んでしまうのが、なによりも一番満足するってね」
そういって私は手にしていたビールの缶をあけ、半分ほどグイッと飲むと残りをメリーに差し出した。
「さ、早く飲まないと炭酸が抜けてぬるくなるわよ?」
「……そういう話じゃなかった気がするんだけどなぁ」
そう言いつつ缶を受け取ったメリーは、豪快に缶をあおり一気に飲み干した。
「……プハッ、ああもうおいしいわね!」
「アハハ、いい飲みっぷり」
「牛カルビなんてビールに合うに決まってるじゃない! ほら! 食べなさい!」
「待って待ってもがもが……うまい! ビールに合う!」
そうして二人して缶を何本もあけ、おつまみを平らげると、好きなくせしてそこまで強くないメリーはすっかりべろんべろんになってしまった。
「蓮子! お酒がなくなっちゃったわ! 買いにいきましょう!」
「飲ませておいてなんだけど、飲みすぎよメリー。ほどほどにしとかないと、いつもみたいに明日になって後悔するんだから」
「後悔先に立たずって言うじゃない!」
「後悔するってわかってて実行することにその言葉は当てはまらないわよ」
スルメイカの袋にゲソが一本余っていたので、メリーの口に突っ込んでやると、もぐもぐし始めて静かになった。
「おいしいわねこのガム」
「イカ味のガムとか嫌だわ……」
ゴミを分別してコンビニ袋にまとめていると、メリーは足を鴨川に入れたまま川べりにごろんと寝転がった。
その目はとろんとしており、放っておけば今にも眠ってしまいそうだった。
「メリー、こんなところで寝たら面倒よ。帰りましょう?」
「まあまあ蓮子、見てみなさいって。目を凝らせば見えるものよ、星空って」
「いいわよ私は。見上げたって今が夜中の二時で、場所が鴨川デルタだってことがわかるくらいだもの」
「あ、じゃあひさびさに夢の世界に行きましょうよ! 今ならきっと素敵な夢が見られるはずだわ! お酒飲み放題の夢とか!」
「メリー、動くのが億劫になってるだけでしょ? ほら、帰るわよ。起きなさいってば」
「やあだあ! 私もうここに住む! 鴨川デルタの住人になる!」
「バカ言ってないで、ほら!」
私は川の中へざぶざぶと入ると、メリーの正面から起き上がらせるように手を引っ張った。
むにゃむにゃ言いながら上半身を起き上がらせたメリーは、そのままおもむろに立ち上がったかと思うと、私の体にしなだれかかってきた。
「ちょ、メリー! ぎゃあっ」
もちろん、足場も悪くぬめりもある場所でそんなことをされれば、バランスは崩れる。
そうして私とメリーは仲良く鴨川にダイブすることになり、すっかり濡れ鼠になってしまった。
「こら! メリー!」
「あはははは! 冷たい!」
「わぷっ。ちょ、はしゃぐな!」
「逃げろ逃げろ! きゃあっ!」
「こら、待ちなさい! ひゃあっ!」
下着まですっかり濡れてしまっては、もうどうにでもなれと開き直り、私とメリーは夜中の鴨川でしばしの鬼ごっこに興じた。
しかし、その原動力のほとんどは酒の勢いが占めており、冷たい水に浸かっていれば五分と経たずに酔いも醒めるというもの。
結果、
「……メリー」
「……ごめん」
すっかり素面に戻った私たちは、いそいそと鴨川から這い出るのだった。
「涼しいわ。着の身着のままで川遊びなんて子供の頃以来よ」
「酒に酔って童心に帰るというのもなんだか変な話よね。まあ、今が夏でよかったわ」
メリーはベスパにまたがると、ヘルメットを被り、エンジンを入れた。
夜の鴨川公園にドルドルとエンジンの音が低くとどろく。
「本当に大丈夫?」そう尋ねると、メリーは頷いた。
「平気。酔うのも早いけど、醒めるのも早いのよ、私」
酔いが醒めたところで酒気帯び運転であることに変わりはない。
「そうだけどさあ。事故らないでよ?」
「大丈夫よ。私の運転テク、なかなかのものなんだから」
メリーはそう言って、かつてこのベスパで京の街を暴走する首なしライダーと勝負をし、打ち勝ったこともあるのだと豪語してみせたが、私にはそれが酔っ払いの与太話にしか聞こえず、不安はより一層増すのだった。
「それじゃ蓮子、誘ってくれてありがとうね」
「こっちこそ、夜中に起こしてごめん。今度は先斗町あたりで焼き鳥でもつまみながら飲みましょう」
「あら、いいわね。朝まで飲み歩きましょう。楽しみにしておくわ」
そうして、メリーを乗せたベスパは賀茂川にかかる出町橋の向こうへと消えていった。
ふたたびひとりぼっちになると、さっきまでの喧騒がまるで嘘のように静かになった。
思いがけず出てきたあくびに口を大きく開けながら、私はメリーが消えていった方に背を向け、河合橋を渡り鴨川デルタを後にした。
家に帰ったら、きっとぐっすり眠れることだろう。
と、その時だった。
携帯端末が網膜ディスプレイに『メッセージ着信』の文字とともにメリーの名前が浮かび上がらせた。
何事かと開いてみると、メッセージとともに一枚の写真が表示される。
『一人で入る勇気がないんだけどなー。誰か一緒に入ってくれないかなー』
写真には赤提灯が輝く屋台の姿が映し出されており、私は後ろを振り返った。
出町橋を渡ってすぐ、地下駐車場入り口のロータリーにある少し広めの歩道には、ここからでも赤提灯が煌々と光るさまが見てとれる。
昔ながらの屋台ラーメンが、今も変わらぬ姿でそこにあるのだ。
確かに、メリーのような女の子一人では立ち入りにくい雰囲気である。
「まったく……」
私は『すぐ行く』とだけ返信して、急遽、来た道を戻るのだった。
描写がいちいち具体的で笑いました。
この大学生特有のモラトリアムな感じが最高です
ベスパで駆け付けてくれるメリーが非常によかったです
一枚絵をもとにしたような文章構成とただただお酒飲んでグダグダしてるのだけなのに
たしかなリアルがある文章。
とっても大学生してて素敵でした