辺りは完全に闇に染まり、蝋燭の怪しく揺れる光のみが場を照らしていた。
先程まで行われていた祭りの喧騒は既に消え失せて、腕時計の針は夜が更けている事実を指し示している。
僕は今、ここ数年の間毎年博麗神社で行われている怪談大会に赴いていた。
夏という季節になると、人々は涼しさを求め、打ち水をしたり、緑のカーテンを引いたり、風鈴を鳴らしてみたりする。効果があるのかどうかはともかく、何か対策をせずにはいられなくなるものだ。
それらの行為の延長線上に、この大会の誕生の訳があったという。
参加者の全員が席に付く。面子を見てみると、人里の人間以外には、吸血鬼に亡霊、化け狸に隙間妖怪と、魑魅魍魎が居座っていた。
人里の人達にとっては知らぬが仏だが、この有様では開始前から怪奇現象が起きても何もおかしくないな。
「本日はお集まり頂きありがとうございます。それではこれより、百物語を始めさせて頂きます!」
明るく通りの良い声で、主催者の本居小鈴が音頭を取る。
僕の心配をよそに、ごくごく普通にイベントはその幕を開けた。
普段では味わえない独特の雰囲気を身を持って味わう。誰もがこれから紡がれる怪談を楽しみにしていた。
この大会へ特に意欲的な格好で参加したわけではない僕だが(運営の一人であった霊夢に尋常じゃないほどしつこく参加を脅迫……お願いされた。恐らく深刻な人手不足だったのだろう)、怪談自体に対してはしっかりと持論を持ち合わせている。
怪談の完成形は聞き手を畏怖させ、そしてそれでもなお聞きたいと思わせるものだ。
だがそれは単に話を語るだけでは成し得ることはない。聞き手の心を惹き付けるならば、語り手が述べる言葉に言霊を宿らせる必要があるのである。怪談が大成するための鍵と言ってもいい。
ここで言う言霊とは、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるような二極化されるもののことではない。
時、場所、状況にあわせて『意識』をすることで、発せられた『言動』に操作されて影響を与えるものだ。
意識が強ければ強いほど周りに与える効果は見合ったものになるだろう。
……まあつまりは、やるからには全力を、ということである。
小鈴との事前の打ち合わせ通り、僕が一歩前に出て名乗り出る。初めは何事においても肝心だ。
いつもより声を一段階低くする。
「では、記念すべき一話目は僕が話そう」
「おお。香霖の怪談話なんて一度も聞いたことないから楽しみだぜ」
「最初だからと言って手加減はしないぞ? 魔理沙だって満足するような怖さを提供しよう」
人々の間に静寂が伝播していく。開始の合図は既に出された。
「――これは僕が人里の男性から聞いた話だ。昔……といってもせいぜい数十年くらい前のことかな。
人里で、能楽が若い世代からお年寄りまで流行した時期があったんだ。
それはもう異常なくらいでね、劇場は常に満員で立ち見をする人も後を絶たなかった。
何故突然、能が賑わったのか。
なんでも、新たに若い能楽師が演目に加わることになったという。
その若い能楽師は、従来使われてきた般若や少尉といったお面以外にも自作したお面をつけていたらしい。
演技も独特で、他の能楽師とは一線を画していたのもお客さんが次々と虜になる一因だった。
だが、ここでよく考えてみて欲しい。おかしな話だとは思わないかい? 確かに、斬新な発想というものは商売で儲けるに当たって大事だろう。だがそれ以前に、能というものは古来から続く『伝統芸能』だ。
新しく手を加えることはしてはならないというのが暗黙の了解……いや常識なのさ。
面の自作は若い能楽師なりの能への愛情の表れだったそうだが、案の定周りの仲間からは異端者とされ、蔑まれたという。
それでも能への熱意は本物で、めげずに頑張っていた。
さて……ここからが本題だ。僕にこの話をした男性も、ある日能を実際に見に行ったそうだ。
男性は面白い演劇だったと満足していたのだが、一つだけ気にかかることがあった。
演目での若い能楽師の役割だけが今一理解できないのだ。若い能楽師はずっと片隅に立ってばかりで、お面も常につけたまま俯いていた。
男性は気になってしょうがなくなり、とうとう能楽師の人たちに直接話を聞きに行くことにしたらしい。
楽屋に到着すると、年配の能楽師が丁度出かけるところだった。これ幸いと男性は若い能楽師のことを尋ねたそうだ。
対して年配の能楽師はというと、大層不思議そうな顔をしているではないか。何故そんなことを聞くのだろう、といった具合に。
男性は不自然さを感じつつも、ここまで来て引き下がるわけにはいかないと思い、改めて質問をした。
男性の大真面目な様子を見た年配の能楽師は困惑しながらも口を開いた。発せられたのは驚くべき話だった。
『若い能楽師は先日に亡くなっている』
ってね」
「ひっ」
始まる前から震えていた妖夢が耐えきれずに小さな悲鳴を漏らす。恐らく幽々子に無理やり連れてこられているんだろう。哀れみを感じつつも、容赦なく怪談を続ける。
「話はこれで終わりじゃない。若い能楽師が謎の死を遂げたことが人里で広まってから数日後に、さらに事件は起きた。
能楽師が一人行方不明になった、と。消えた能楽師は若い能楽師を最も嫌い、散々嫌がらせをしていた人物だった。
里の人々はどうせ舞台にいられなくなり夜逃げしたのだろうと口々に言っていた。果てには逃げ出した能楽師が若い能楽師を殺した、だなんて噂もあったそうだね。
しかし、実はその日、事件はもう一つあったんだ。
連日続いた雨で、田畑の様子を見に行った一人の村人も同時期に行方が分からなくなったという。
これではさすがに探さない訳にはいかない。遂には人里の住民たちで捜索隊が結成された。男性も捜索隊の一員となって、村人がいなくなったとされる里の外縁部の田畑を中心に必死に探したらしい。
だが、一向に成果が得られぬままとうとう日付が変わってしまった。男性も諦めて、捜索が打ち切ろうとしたその時だった。
近くの林からポン……ポン……と小刻みに何かを叩く音が聞こえるではないか。男性が耳を澄ますとそれは太鼓の音のようだ。
まさか行方不明者が助けを求めている? そう考えた男性は駆け出した。
……ここで男性は早々に察するべきだったんだ。人里でない場所で楽器の音がなるその意味を。
男性は音源の方へ吸い寄せられるように近づいていくと、少し開けた所があるのが見えた。伐採地があるのだろうか?
音は次第に大きくなっていく。合わせて動悸も激しくなる。
転びそうになるのを堪え、慎重に進んで行き、いよいよ広い場所に男性は出た。
二人の人間が遠くに見える。それは、男性の見知った、逃げ出した能楽師と行方知れずの村人だった。男性は安心して、声をかけようとした刹那、凍りつくことになる。
人が宙に浮いていた。否、そうではないことなどすぐに理解した。つまり『首を吊っていた』。
恐る恐る観察すると両名の顔には赤色の液体が塗りつけられたお面をくくり付けられているではないか。
男性は悲鳴を上げた。二人の恐ろしい様を見たから? それだけじゃない。
手前の暗がりには……亡くなったはずの若い能楽師が、お面を付けたまま余りにも不気味な『踊り』を披露していたのだから。
異様なほど体をくねらせ、意味不明な単語を繰り返し呟きながら歩き回る。時々止まって太鼓を叩き、首吊り人間たちを激しく揺らしながら奇声を上げる。
延々と同じ動作を続ける姿は、この世のものではなかった。
男性は危険を察知して距離を取ろうとする。足元で小石を蹴り飛ばした。太鼓の音は止んだ。
若い能楽師のような『ナニカ』がこちらを向く。お面の口はありえないくらい裂けていた。
男性は一目散に人里まで走った。後ろからアイツが後をつけてくる。太鼓が異常な速度で鳴っている。捕まればどうなるかなんて考えたくもなかった。
林を抜けて、無事人里にまで帰り着いた男はすぐさま他の捜索隊にこの事を報告した。この恐ろしい話は人里ではタブーとされ、村人達の捜索が再開されることも二度となかったという。
寺の住職が言うには、能への未練と俗世に対する恨みで悪霊化したのではないかということらしいね。
僕の話はこれで終わりだ。……おっと、言い忘れていたが、ここ数年間お面をした謎の人物の目撃情報が急に増加したそうだね。君たちも帰り道には十分気をつけることだ」
僕が語り終えると、一度は、鈴虫が鳴く音のみが場を支配する。
だがそれもつかの間。皆口々に怪談の感想を言い始めた。
「最初の方で能の解説を語る部分がいかにも霖之助さんらしいかしらね。それと……思い込みって怖いわよねえ」
これは八雲紫の言葉だが、彼女の言うことなので褒められているのか貶されているのか分からない。
「ぜ、ぜぜぜ全然怖くなかったですね。拍子抜けですよ、ええ」
「どの口が言ってるんだ。てか、お前能面よりも躍動感のある表情してたぞ」
未だ幽々子にしがみついている妖夢に、魔理沙が冷静にツッコミを入れる。
「うふふ、怖かったわー、私も襲われたらどうしましょうー」
幽々子、君が心配することは何一つないと思う。
「最初にしてはなかなか良いんじゃない? 四十点ってとこね」
そして全く怖がっている素振りを見せない霊夢には結構厳し目の採点が下されたのだった。
……やはりこの怪談大会、ブラックリストを制定したほうがいいんじゃないか。
その後も、怪談大会はつつがなく進行し、何事もなく百物語は終わりを告げた。
いや、もっと正確に言うと、今年は心霊的な何かが起こる仕込みを人里までの帰り道で計画しているらしい。
要は肝試しを行うということだ。そこまで付き合うつもりはさすがにないので、現在の僕は一行とは別れて、香霖堂への帰路を歩いていた。
あまりこの時間帯に博麗神社付近に近寄ることは少ないので、道を間違えないよう注意しなければならないな。
……それにしても、実に興味深い。まさか外の世界の怪談を聞けるとは。思わぬ収穫だった。
参加者のほとんどには理解できなかっただろうが、僕には分かる。例えば八雲紫の話した『きさらぎ駅』という怪談。
主人公はインターネット掲示板なる物を用いてやり取りをしながらきさらぎ駅の異質さを訴えるという話だ。
僕の見立てではおそらく、主人公の正体は交信術を持つ結界師だろう。専用の結界を展開することで不特定多数の生霊と交信できる空間である『インターネット掲示板』を作り出す程度の能力。その触媒となるのが、近頃漂着していることがやたらと多いあの携帯電話なのだ。
携帯電話は音声で互いに通話(離れた距離で会話を成立させることだと思われる)をすることができるのは知ってはいたが、他にも様々な使い道があることが分かったのである。外の世界に精通する八雲紫が言うのだから間違いないはずだ。問題は、香霖堂にある携帯電話は全て魔術回路が抜かれていて起動しないことか。
使い捨て品であるようだから、無縁塚で根気強く探しても動くものが見つかるかどうか怪しいところだ。
今後の予定をあれこれと考えていると、ふと気配を感じて立ち止まる。だが、辺りを見回せど誰もいない。
気のせいかと思い、再び歩き出したところでまたもや何かの視線を後方から感じ取る。
距離は少し離れているようだが……こんな時間帯に人? たった一人で? ……ありえない。
ここは人里からは離れている。追い剥ぎや強盗の線も薄い。
嫌な汗が背筋を伝った。焦りからつい早歩きになる。そんな僕に気づいたのか、気づいていないのか、追跡者はスピードを上げて近づいてきていた。
続いて太鼓を叩く音を耳にする。驚愕して声を上げそうになる口を必死に抑えた。
音が止む様子はない。草木が生えているのみで他に遮るものが何もない田舎道には、リズムが取れていない不均衡な音ははっきりと響いていた。
頭に浮かぶのは僕の話した怪談話。そんな馬鹿な。あれは一部の噂を繋ぎ合わせ改変しただけの作り話ではなかったのか?
……落ち着いて、冷静に考えなくては。まだそうと決まったわけじゃない。人外とはいえ、対話ができる可能性だってある。
立ち止まり、意を決して振り返ることにした。背後には明かりが一切ないが故に、追跡者の姿は完全には見えない。
しかし、ぼんやりと薄気味悪く光る女のお面の輪郭は、気味が悪いほどくっきりと確認できたのであった。
「くそっ!」
踵を返して走り出す。数秒前までの淡い希望を抱いていた自分を殴ってやりたい。
走り始めてまもなく、自分の不利を悟る。慣れない道で悪霊相手に競争するなど愚の骨頂だ。
背後への集中を切らさないようにしながら一定の速度を維持する。追跡者のお面は狐に変わっていた。
遊ばれている。しかし、同時にチャンスでもある。隙をついて魔法の森に入れさえすれば、僕にも地の利はあるはずだ。
前方に魔法の森が見えると、手に持っていたランプを腰に下げ全速力で突入した。香霖堂までの最短ルートを頭に描きつつ、木と木の間をジグザグに曲がって抜けていく。
足が悲鳴を上げ始める。日頃の運動不足がこんなところで祟るとは……。
体力がいつまで持つかは分からない。けれども立ち止まれば全て終わってしまう。そう確信めいた思いがあった。
奇しくも、僕の今の状況は怪談の男と一致していた。
「あんな悪霊が幻想郷に住み着いてるなんて聞いたことがないぞ!」
悪態をついても何も変わらない。
けれども言わずにはいられない。
「ん……?」
それは突然のことだった。耳を澄ませど何の音もしない。
全方位を見渡しても、青白い光も、不気味なお面も視認できなかった。
「ま、撒いたのか……」
息を切らしつつも、恐怖から開放されたことに安堵する。
早く帰ろうと前を向いた目と鼻の先には――血の気の引いた顔をした青年のお面が迫っていた。
回り込まれていた!?
悟った時には遅く、蒼白色の揺れる手が服の袖を掴んでいた。
僕は反射的に腰元のランプを投げつける。
敵が怯むのを見逃さずに、身を捩って再び駆け出した。
あと少し。あと少しで香霖堂が……。視界はゼロに限りなく近い。
最後の力を振り絞って目的地を必死に目指す。もはやまともに思考することができなくなっていた。
瓦屋根の目立つ和風の一軒家と桜の木を視界に収める。紛れもなく僕の家だ。
扉をベルが千切れんばかりに勢いよく開けて、中に転がり込む。全部の窓と玄関を施錠し、電気をつけた。
息を潜める。
けれども、悪霊の姿は既にどこにもなかった。
「なんだったんだ、あいつは……」
「帰ったか」
「な……に!?」
奥の部屋から翁のお面が這い出てくる。もう体は言うことを聞く状態にない。僕は死を覚悟した。
……のだが。
現れたのは、以前どこかで見たことがある少女だった。ピンク色のロングヘアーに同じ色の睫毛と瞳。
服装は、青のチェック柄の上着に長いバルーンスカートを履いていた。そして、手には何故か太鼓を。
「君は確か……宗教戦争の時の」
以前、人里で厩世感が蔓延した時、霊夢や聖白蓮、豊聡耳神子といった宗教家達が乱れた人心を掌握しようと争っていた時期があった。その事件の発端がこの面霊気だと。
「秦こころだ」
名前を聞いて更に思い出す。今日の祭りの広告に、心綺楼という題で、能を舞う人物の名前として載っていたことを。
「まったく、急に走り出すから見失いそうになったぞ!」
お面が般若に変わる。感情とお面がリンクしているのか? ついでに言えば口調も変わっている。
いろいろと気になることがありつつも、彼女の言葉を幾度も反芻する。
ああ……そうか。そうなのか。僕の、一方的な勘違いだったのか。
「なんだか一気に疲れが襲ってきたぞ……もう今日は寝てしまおう」
こんなに疲れたのは久しぶりだ。朝筋肉痛になってなければよいが。
「待て待て、それは困る。お前から出ていた恐怖の感情を詳しく教わらねばならん。えっと、これは困惑の表情ー」
こころのお面が猿へと変化する。本当に多種多様だ。
「僕は嫌というほど披露したよ。すまないが、また今度にしてくれ……」
「そこをなんとかお願いしますよー。最近ではめったにお目にかかれない感情なんですよー」
「はあ。……そうだな、何か面白い芸をしてくれたら考えてあげよう」
先程突っ込んだ影響で崩れた本や倒れた椅子を直しながら適当に返事をする。まともに相手してたら駄目な類の輩はこうするのが一番手っ取り早くて楽だ。
「やったあ。それじゃあいくよー。秘技、六十六連全部見せ! お面ルーレット!」
こころのお面は女、狐、般若、という様にせわしなく入れ替わる。こころ自信の表情はピクリとも動かぬ無表情で、何を考えているのかさっぱり読めない。
有名なお面から見たことのないお面も見れて新鮮味は感じるが、はっきりいって微塵も面白くない……ん?
そういえば。
「青白い顔をした青年のお面はないのかい?」
「何の話だ? そんなお面、私は持ってない」
先程まで行われていた祭りの喧騒は既に消え失せて、腕時計の針は夜が更けている事実を指し示している。
僕は今、ここ数年の間毎年博麗神社で行われている怪談大会に赴いていた。
夏という季節になると、人々は涼しさを求め、打ち水をしたり、緑のカーテンを引いたり、風鈴を鳴らしてみたりする。効果があるのかどうかはともかく、何か対策をせずにはいられなくなるものだ。
それらの行為の延長線上に、この大会の誕生の訳があったという。
参加者の全員が席に付く。面子を見てみると、人里の人間以外には、吸血鬼に亡霊、化け狸に隙間妖怪と、魑魅魍魎が居座っていた。
人里の人達にとっては知らぬが仏だが、この有様では開始前から怪奇現象が起きても何もおかしくないな。
「本日はお集まり頂きありがとうございます。それではこれより、百物語を始めさせて頂きます!」
明るく通りの良い声で、主催者の本居小鈴が音頭を取る。
僕の心配をよそに、ごくごく普通にイベントはその幕を開けた。
普段では味わえない独特の雰囲気を身を持って味わう。誰もがこれから紡がれる怪談を楽しみにしていた。
この大会へ特に意欲的な格好で参加したわけではない僕だが(運営の一人であった霊夢に尋常じゃないほどしつこく参加を脅迫……お願いされた。恐らく深刻な人手不足だったのだろう)、怪談自体に対してはしっかりと持論を持ち合わせている。
怪談の完成形は聞き手を畏怖させ、そしてそれでもなお聞きたいと思わせるものだ。
だがそれは単に話を語るだけでは成し得ることはない。聞き手の心を惹き付けるならば、語り手が述べる言葉に言霊を宿らせる必要があるのである。怪談が大成するための鍵と言ってもいい。
ここで言う言霊とは、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるような二極化されるもののことではない。
時、場所、状況にあわせて『意識』をすることで、発せられた『言動』に操作されて影響を与えるものだ。
意識が強ければ強いほど周りに与える効果は見合ったものになるだろう。
……まあつまりは、やるからには全力を、ということである。
小鈴との事前の打ち合わせ通り、僕が一歩前に出て名乗り出る。初めは何事においても肝心だ。
いつもより声を一段階低くする。
「では、記念すべき一話目は僕が話そう」
「おお。香霖の怪談話なんて一度も聞いたことないから楽しみだぜ」
「最初だからと言って手加減はしないぞ? 魔理沙だって満足するような怖さを提供しよう」
人々の間に静寂が伝播していく。開始の合図は既に出された。
「――これは僕が人里の男性から聞いた話だ。昔……といってもせいぜい数十年くらい前のことかな。
人里で、能楽が若い世代からお年寄りまで流行した時期があったんだ。
それはもう異常なくらいでね、劇場は常に満員で立ち見をする人も後を絶たなかった。
何故突然、能が賑わったのか。
なんでも、新たに若い能楽師が演目に加わることになったという。
その若い能楽師は、従来使われてきた般若や少尉といったお面以外にも自作したお面をつけていたらしい。
演技も独特で、他の能楽師とは一線を画していたのもお客さんが次々と虜になる一因だった。
だが、ここでよく考えてみて欲しい。おかしな話だとは思わないかい? 確かに、斬新な発想というものは商売で儲けるに当たって大事だろう。だがそれ以前に、能というものは古来から続く『伝統芸能』だ。
新しく手を加えることはしてはならないというのが暗黙の了解……いや常識なのさ。
面の自作は若い能楽師なりの能への愛情の表れだったそうだが、案の定周りの仲間からは異端者とされ、蔑まれたという。
それでも能への熱意は本物で、めげずに頑張っていた。
さて……ここからが本題だ。僕にこの話をした男性も、ある日能を実際に見に行ったそうだ。
男性は面白い演劇だったと満足していたのだが、一つだけ気にかかることがあった。
演目での若い能楽師の役割だけが今一理解できないのだ。若い能楽師はずっと片隅に立ってばかりで、お面も常につけたまま俯いていた。
男性は気になってしょうがなくなり、とうとう能楽師の人たちに直接話を聞きに行くことにしたらしい。
楽屋に到着すると、年配の能楽師が丁度出かけるところだった。これ幸いと男性は若い能楽師のことを尋ねたそうだ。
対して年配の能楽師はというと、大層不思議そうな顔をしているではないか。何故そんなことを聞くのだろう、といった具合に。
男性は不自然さを感じつつも、ここまで来て引き下がるわけにはいかないと思い、改めて質問をした。
男性の大真面目な様子を見た年配の能楽師は困惑しながらも口を開いた。発せられたのは驚くべき話だった。
『若い能楽師は先日に亡くなっている』
ってね」
「ひっ」
始まる前から震えていた妖夢が耐えきれずに小さな悲鳴を漏らす。恐らく幽々子に無理やり連れてこられているんだろう。哀れみを感じつつも、容赦なく怪談を続ける。
「話はこれで終わりじゃない。若い能楽師が謎の死を遂げたことが人里で広まってから数日後に、さらに事件は起きた。
能楽師が一人行方不明になった、と。消えた能楽師は若い能楽師を最も嫌い、散々嫌がらせをしていた人物だった。
里の人々はどうせ舞台にいられなくなり夜逃げしたのだろうと口々に言っていた。果てには逃げ出した能楽師が若い能楽師を殺した、だなんて噂もあったそうだね。
しかし、実はその日、事件はもう一つあったんだ。
連日続いた雨で、田畑の様子を見に行った一人の村人も同時期に行方が分からなくなったという。
これではさすがに探さない訳にはいかない。遂には人里の住民たちで捜索隊が結成された。男性も捜索隊の一員となって、村人がいなくなったとされる里の外縁部の田畑を中心に必死に探したらしい。
だが、一向に成果が得られぬままとうとう日付が変わってしまった。男性も諦めて、捜索が打ち切ろうとしたその時だった。
近くの林からポン……ポン……と小刻みに何かを叩く音が聞こえるではないか。男性が耳を澄ますとそれは太鼓の音のようだ。
まさか行方不明者が助けを求めている? そう考えた男性は駆け出した。
……ここで男性は早々に察するべきだったんだ。人里でない場所で楽器の音がなるその意味を。
男性は音源の方へ吸い寄せられるように近づいていくと、少し開けた所があるのが見えた。伐採地があるのだろうか?
音は次第に大きくなっていく。合わせて動悸も激しくなる。
転びそうになるのを堪え、慎重に進んで行き、いよいよ広い場所に男性は出た。
二人の人間が遠くに見える。それは、男性の見知った、逃げ出した能楽師と行方知れずの村人だった。男性は安心して、声をかけようとした刹那、凍りつくことになる。
人が宙に浮いていた。否、そうではないことなどすぐに理解した。つまり『首を吊っていた』。
恐る恐る観察すると両名の顔には赤色の液体が塗りつけられたお面をくくり付けられているではないか。
男性は悲鳴を上げた。二人の恐ろしい様を見たから? それだけじゃない。
手前の暗がりには……亡くなったはずの若い能楽師が、お面を付けたまま余りにも不気味な『踊り』を披露していたのだから。
異様なほど体をくねらせ、意味不明な単語を繰り返し呟きながら歩き回る。時々止まって太鼓を叩き、首吊り人間たちを激しく揺らしながら奇声を上げる。
延々と同じ動作を続ける姿は、この世のものではなかった。
男性は危険を察知して距離を取ろうとする。足元で小石を蹴り飛ばした。太鼓の音は止んだ。
若い能楽師のような『ナニカ』がこちらを向く。お面の口はありえないくらい裂けていた。
男性は一目散に人里まで走った。後ろからアイツが後をつけてくる。太鼓が異常な速度で鳴っている。捕まればどうなるかなんて考えたくもなかった。
林を抜けて、無事人里にまで帰り着いた男はすぐさま他の捜索隊にこの事を報告した。この恐ろしい話は人里ではタブーとされ、村人達の捜索が再開されることも二度となかったという。
寺の住職が言うには、能への未練と俗世に対する恨みで悪霊化したのではないかということらしいね。
僕の話はこれで終わりだ。……おっと、言い忘れていたが、ここ数年間お面をした謎の人物の目撃情報が急に増加したそうだね。君たちも帰り道には十分気をつけることだ」
僕が語り終えると、一度は、鈴虫が鳴く音のみが場を支配する。
だがそれもつかの間。皆口々に怪談の感想を言い始めた。
「最初の方で能の解説を語る部分がいかにも霖之助さんらしいかしらね。それと……思い込みって怖いわよねえ」
これは八雲紫の言葉だが、彼女の言うことなので褒められているのか貶されているのか分からない。
「ぜ、ぜぜぜ全然怖くなかったですね。拍子抜けですよ、ええ」
「どの口が言ってるんだ。てか、お前能面よりも躍動感のある表情してたぞ」
未だ幽々子にしがみついている妖夢に、魔理沙が冷静にツッコミを入れる。
「うふふ、怖かったわー、私も襲われたらどうしましょうー」
幽々子、君が心配することは何一つないと思う。
「最初にしてはなかなか良いんじゃない? 四十点ってとこね」
そして全く怖がっている素振りを見せない霊夢には結構厳し目の採点が下されたのだった。
……やはりこの怪談大会、ブラックリストを制定したほうがいいんじゃないか。
その後も、怪談大会はつつがなく進行し、何事もなく百物語は終わりを告げた。
いや、もっと正確に言うと、今年は心霊的な何かが起こる仕込みを人里までの帰り道で計画しているらしい。
要は肝試しを行うということだ。そこまで付き合うつもりはさすがにないので、現在の僕は一行とは別れて、香霖堂への帰路を歩いていた。
あまりこの時間帯に博麗神社付近に近寄ることは少ないので、道を間違えないよう注意しなければならないな。
……それにしても、実に興味深い。まさか外の世界の怪談を聞けるとは。思わぬ収穫だった。
参加者のほとんどには理解できなかっただろうが、僕には分かる。例えば八雲紫の話した『きさらぎ駅』という怪談。
主人公はインターネット掲示板なる物を用いてやり取りをしながらきさらぎ駅の異質さを訴えるという話だ。
僕の見立てではおそらく、主人公の正体は交信術を持つ結界師だろう。専用の結界を展開することで不特定多数の生霊と交信できる空間である『インターネット掲示板』を作り出す程度の能力。その触媒となるのが、近頃漂着していることがやたらと多いあの携帯電話なのだ。
携帯電話は音声で互いに通話(離れた距離で会話を成立させることだと思われる)をすることができるのは知ってはいたが、他にも様々な使い道があることが分かったのである。外の世界に精通する八雲紫が言うのだから間違いないはずだ。問題は、香霖堂にある携帯電話は全て魔術回路が抜かれていて起動しないことか。
使い捨て品であるようだから、無縁塚で根気強く探しても動くものが見つかるかどうか怪しいところだ。
今後の予定をあれこれと考えていると、ふと気配を感じて立ち止まる。だが、辺りを見回せど誰もいない。
気のせいかと思い、再び歩き出したところでまたもや何かの視線を後方から感じ取る。
距離は少し離れているようだが……こんな時間帯に人? たった一人で? ……ありえない。
ここは人里からは離れている。追い剥ぎや強盗の線も薄い。
嫌な汗が背筋を伝った。焦りからつい早歩きになる。そんな僕に気づいたのか、気づいていないのか、追跡者はスピードを上げて近づいてきていた。
続いて太鼓を叩く音を耳にする。驚愕して声を上げそうになる口を必死に抑えた。
音が止む様子はない。草木が生えているのみで他に遮るものが何もない田舎道には、リズムが取れていない不均衡な音ははっきりと響いていた。
頭に浮かぶのは僕の話した怪談話。そんな馬鹿な。あれは一部の噂を繋ぎ合わせ改変しただけの作り話ではなかったのか?
……落ち着いて、冷静に考えなくては。まだそうと決まったわけじゃない。人外とはいえ、対話ができる可能性だってある。
立ち止まり、意を決して振り返ることにした。背後には明かりが一切ないが故に、追跡者の姿は完全には見えない。
しかし、ぼんやりと薄気味悪く光る女のお面の輪郭は、気味が悪いほどくっきりと確認できたのであった。
「くそっ!」
踵を返して走り出す。数秒前までの淡い希望を抱いていた自分を殴ってやりたい。
走り始めてまもなく、自分の不利を悟る。慣れない道で悪霊相手に競争するなど愚の骨頂だ。
背後への集中を切らさないようにしながら一定の速度を維持する。追跡者のお面は狐に変わっていた。
遊ばれている。しかし、同時にチャンスでもある。隙をついて魔法の森に入れさえすれば、僕にも地の利はあるはずだ。
前方に魔法の森が見えると、手に持っていたランプを腰に下げ全速力で突入した。香霖堂までの最短ルートを頭に描きつつ、木と木の間をジグザグに曲がって抜けていく。
足が悲鳴を上げ始める。日頃の運動不足がこんなところで祟るとは……。
体力がいつまで持つかは分からない。けれども立ち止まれば全て終わってしまう。そう確信めいた思いがあった。
奇しくも、僕の今の状況は怪談の男と一致していた。
「あんな悪霊が幻想郷に住み着いてるなんて聞いたことがないぞ!」
悪態をついても何も変わらない。
けれども言わずにはいられない。
「ん……?」
それは突然のことだった。耳を澄ませど何の音もしない。
全方位を見渡しても、青白い光も、不気味なお面も視認できなかった。
「ま、撒いたのか……」
息を切らしつつも、恐怖から開放されたことに安堵する。
早く帰ろうと前を向いた目と鼻の先には――血の気の引いた顔をした青年のお面が迫っていた。
回り込まれていた!?
悟った時には遅く、蒼白色の揺れる手が服の袖を掴んでいた。
僕は反射的に腰元のランプを投げつける。
敵が怯むのを見逃さずに、身を捩って再び駆け出した。
あと少し。あと少しで香霖堂が……。視界はゼロに限りなく近い。
最後の力を振り絞って目的地を必死に目指す。もはやまともに思考することができなくなっていた。
瓦屋根の目立つ和風の一軒家と桜の木を視界に収める。紛れもなく僕の家だ。
扉をベルが千切れんばかりに勢いよく開けて、中に転がり込む。全部の窓と玄関を施錠し、電気をつけた。
息を潜める。
けれども、悪霊の姿は既にどこにもなかった。
「なんだったんだ、あいつは……」
「帰ったか」
「な……に!?」
奥の部屋から翁のお面が這い出てくる。もう体は言うことを聞く状態にない。僕は死を覚悟した。
……のだが。
現れたのは、以前どこかで見たことがある少女だった。ピンク色のロングヘアーに同じ色の睫毛と瞳。
服装は、青のチェック柄の上着に長いバルーンスカートを履いていた。そして、手には何故か太鼓を。
「君は確か……宗教戦争の時の」
以前、人里で厩世感が蔓延した時、霊夢や聖白蓮、豊聡耳神子といった宗教家達が乱れた人心を掌握しようと争っていた時期があった。その事件の発端がこの面霊気だと。
「秦こころだ」
名前を聞いて更に思い出す。今日の祭りの広告に、心綺楼という題で、能を舞う人物の名前として載っていたことを。
「まったく、急に走り出すから見失いそうになったぞ!」
お面が般若に変わる。感情とお面がリンクしているのか? ついでに言えば口調も変わっている。
いろいろと気になることがありつつも、彼女の言葉を幾度も反芻する。
ああ……そうか。そうなのか。僕の、一方的な勘違いだったのか。
「なんだか一気に疲れが襲ってきたぞ……もう今日は寝てしまおう」
こんなに疲れたのは久しぶりだ。朝筋肉痛になってなければよいが。
「待て待て、それは困る。お前から出ていた恐怖の感情を詳しく教わらねばならん。えっと、これは困惑の表情ー」
こころのお面が猿へと変化する。本当に多種多様だ。
「僕は嫌というほど披露したよ。すまないが、また今度にしてくれ……」
「そこをなんとかお願いしますよー。最近ではめったにお目にかかれない感情なんですよー」
「はあ。……そうだな、何か面白い芸をしてくれたら考えてあげよう」
先程突っ込んだ影響で崩れた本や倒れた椅子を直しながら適当に返事をする。まともに相手してたら駄目な類の輩はこうするのが一番手っ取り早くて楽だ。
「やったあ。それじゃあいくよー。秘技、六十六連全部見せ! お面ルーレット!」
こころのお面は女、狐、般若、という様にせわしなく入れ替わる。こころ自信の表情はピクリとも動かぬ無表情で、何を考えているのかさっぱり読めない。
有名なお面から見たことのないお面も見れて新鮮味は感じるが、はっきりいって微塵も面白くない……ん?
そういえば。
「青白い顔をした青年のお面はないのかい?」
「何の話だ? そんなお面、私は持ってない」
寝苦しい夏の夜にぴったりの怪談話でした。
怖い!?納得のオチでした。とても良かったです。
最後の行間もよかったです
安堵させたうえで突き落とす
良いオチでした
ほっと一息ついて安心できたところに二段構えでオチがくるのがとてもインパクトがあって好きです