お盆のちょっと前辺りから、魂が現世に帰るのを送り出す仕事が山のようにあって、一年でもその日だけは小野塚小町にとっては珍しく、働き者にならざるを得なかった。もうどれだけ仕事が終わったのか、半分ぐらいは渡ったのか全然渡ってないのかまったくわからなくなるほどに三途の川を行ったり来たりを繰り返した挙げ句に、単に時間が来たというだけの理由で休憩の時間になるような。ほんの僅かとはいえとにかく形だけでも休憩は取らせてもらえたのはさすがにお役所というところか。さすがに一人ではなく交代して何人もの死神連中と一緒に従事する。本当に幻想郷にこれだけの人間がいたのか?と小町は疑いたくなるが、過去に生きていた人間全部が帰りたがるなら今生きて住んでいる人口よりも多いのはむしろ当然なのだろう。それにしても、これはハードワークすぎた。
そんな時期をどうにか通り過ぎてお盆には珍しく休みをもらえたのだが、公然と休めるとなると、かえってなんだか罪悪感がある小町であった。しかし四の五の言っていられないほどに疲れていたので、溶けるように眠った。夕方に家に帰ってすぐ眠りについたのが、起きた時にはお日様が一番高くなってもう降りようとしている時だった。小町は苦笑して、それでもせっかくの休みなのだからと出かける身支度をして、しかし特に行きたいと思いつくような場所もない。結局いつもいる三途の川の向こう側で横になっていた。やっぱりこうやって仕事場でいつも通りにしているのが落ち着くという、我ながらワーカーホリックだなと冗談を作ってしまう小町であった。そんな具合にいい気分でまだ寝たりないと眠っていたら、夕方になってしまった。
「一日を無駄にしたな……」
片膝ついて座り込み、日没を眺めながら反省したが、後悔先に立たず。とはいえやりたいことが特になかったのも事実だった。お盆だからどこも誰も休んでいるわけでもあるし。それと逆に眠りすぎて頭がひどく痛む。これは困ったとしか言いようがない。家に帰ろうかとも思ったが、小町の家までは結構遠い。
「ああ~、もうつらい、つらい」
のたうち回って苦しんだ。懐に備えておいた水筒で水を飲んだから、そのうち和らいでくれるだろう。治ったら家に帰るとしよう。
「お姉さん、大丈夫?」
と子供の声がした。どうしたことかと小町が顔を上げると、男の子が小町を心配そうに見つめていた。
「なんだか、苦しそうだけど……」
「ああ、すまないね、大丈夫だよ。ちょっと、疲れてたから休んでただけ。心配してくれてありがとね」
普通に答えてから、がばと小町は起き上がった。いったいどこの子だ? 普通の子供がこんなところに? だが、どうやら普通の幽霊のようだった。足がない。
「ああ、こんな日に亡くなったのか、お前さんは」
「えっ、僕のこと? やっぱり僕は死んじゃったの?」
「そうだろうさ。そうじゃないとここには来れないんだよ。普通の人間はね」
「そうかぁ……」
がっかりした様子もなく、私の隣に座って川の流れを眺めている。幽霊というのは年齢に縛られないので、子供のように見えても実際にどんな歳かはわからない。というより少なくとも子供ではない。
見たところ他に人はおらず、たった一人でいる。おそらく、これからここを渡らないといけないのは知ってるんだろうけど、橋渡しがいないから困ってるのだろう。泳がないといけないんだろうかとか考えてるのかなぁ、と小町は感じた。橋渡しがいないのも当然のことだ。ここで寝ているのだから。
(だけど、今日のあたいは休みだから、働きたくない。別に一日二日ほっといたってかまやしないだろう。急ぐものでもない)
それで黙って相変わらず横になってぼーっとしていた。少年も沈黙してどこへ行くでもなくそこにいる。時間が経つほどに気まずさを感じていたのは小町だった。何しろ相手は子供だ。いや、子供ではないが外見は子供だ。それが自分が休んでいるせいでここにひとり取り残されてしまってるんだし……というのは、別に小町ひとりで普段仕事をしてるわけではなく、休みの日は別の死神が変わりに働いてくれるのだが、今日ばっかりはそれすら来ていない。このまま待たせるしかないのだ。まったく間が悪い時に死んだもんだ。
小町はため息ともあくびともつかぬ長い息を吐いた。うーん、と腕を伸ばし、そろそろ元気が戻ってきたかな?と自分に確認した。彼女は立ち上がった。
急に動いた小町を少年が驚いた様子で小町を見る。置物とでも思っていたのだろうか? 小町は笑顔を作った。
「なあ、君、川を渡らないといけないんだろ」
「ええ、そうです。でもこんな広い川、それも僕は泳げないんです」
時としていっそ海というほどに広い三途の川だが、もちろん泳いで渡るなどは以ての外、泳ぎがうまいとかへたとかではなく、頭から不可能なのだ。
「大昔から言われてて聞いたとおり、六文銭を用意していました。ちゃんと、私の妻が持たせてくれていたんです。でも、その渡す相手が見つからなくて」
時々大人びたような口調で言って、少年は膝を抱えたままうつむいた。
「そうかそうか、いい心がけだよ、君」
不思議そうに小町を見上げる少年に言葉を続けた。
「渡す相手っていうのはあたいのことさ。本当は盆休み中でお前さんにはここでしばらくそのまま呆然としてもらおうかと思ったけど、地獄に仏ってやつだ。連れてってやるよ!」
「えっ、本当ですか、ありがとう、お姉さん」
「お姉さんって言われるとむず痒いねえ……まあいいや、その代わり、その六文銭はちゃんといただくからね」
「あっ、はい……」
少年が差し出すままに片手でそれを受け取ると、小町はどこかへ走り消えた。騙されたかなと少年が思い始める前にどこからか出してきた小舟に乗った彼女が川を進んで戻ってきた。
「さあ、乗った乗った! 今日一回限りの特別便だよ!」
少年はそれを聞いて嬉しそうにその小舟に乗り込んだ。
「出発進行!」
水の上で小町がなんとはなくで彼がなんで死んだのかを聞いてみた。もともと病弱だったところに暑さに勝てなかったらしい。
「なるほどねえ、確かに毎年のように暑くなってるっていう話は聞くからね」
「ええ、でも、今は涼しくて気持ちがいいです。すごくスイスイ滑って楽しいですね」
「はは、死んでしまえば気楽なもんだね。でも、なんで子供の姿なんだろう。そんな若かったわけではないんだろう?」
「なんででしょう、わかりませんが、子供もいなかったからかな? それに両親も幼い頃に亡くなりましたので」
「……そう。そういうこともあるかもしれないね」
楽しい時間はすぐに過ぎるもので、小舟はじきに向こう岸まで着いてしまった。
「さあ、降りておくれ。今から閻魔様に会いに行くから。おっと、ちょっと厳しいけどとってもいい人だから怖がることはないよ」
是非曲直庁の建物まで来たが、嫌な予感はすでにあった。
「やっぱりかぁ……」
開いてないのだ。誰もいないように見える。
「困った困った、せっかく連れてきたっていうのに、どうしよう」
小町は爪を噛みながらその場を行ったり来たりとぐるぐる周る。ふと、思い立って空を仰いだ。
「こうなったら、四季様に直接会いに行くか」
上司ともいえる四季映姫・ヤマザナドゥの自宅まで来てしまった。小町が来るのは初めてではないが、それでも緊張してしまう。
「それにしてもいい家に住んでるなぁ」
和式の豪邸だが、それは幻想郷の裁判長なのだから当然ともいえる。小町のような部下が急に押しかけることもあるわけで……。後ろでおとなしくついてきている少年はずいぶん緊張というかほとんど怯えている。
「あの、こまちさん、もう僕は、また後日出直した方がいいのでは……」
「大丈夫大丈夫、悪いようにはしないから」
少年をなだめてから、改めて豪邸と向き合い、呼び鈴を鳴らした。
「四季様~、四季様~」
小町は自分の声でも呼びかける。ドタドタと慌てた雰囲気がして、ほんの少し待つと中から可愛らしいパジャマ姿の四季映姫が出てきた。
「なんですか、小町。こんな時間に」
時間。そういえばうっかりしていたが、今はすっかり暗くなってしまっている。小町は今日ずっと寝ていたからどこか感覚がずれていたし、少年も死んだ身で昼も夜もあまり関係ない。それにしても間が抜けていた。自分のことばかり考えていて周りが見えていなかったのかもしれない。
「でも、幽霊が来てるんですよ。今ここに。仕事があるのに休んでちゃだめじゃないですか」
「小町に言われたくないですよ! それに、休みだって必要なのは当たり前でしょう。メリハリをつけなさい。メリハリを。幽霊だって待たせておけばいいんです。いつものことじゃないですか。なんで今回だけ急にそんなことを言い出すのですか」
「いやあ……今までのこと振り返ってみると川を渡った後のことはあんまり知らなかったし考えたこともなかったかなって」
「だから?」
「いや、要は是非曲直庁の閉まった扉の前で一晩でも二晩でも立ちん坊なわけですよね。それって結構ひどいなって……そうしたらカッとなってつい……」
「つい私の家に来たというわけですか。小町、あなたは少し考えが無さすぎる。お仕置きしたいところですが、その優しさとそこの霊魂さんに免じて許してあげましょう」
「ああ、そうだ。それでこの子をどうにかしてください。早く裁判して、次の道を示してやってくださいよ」
「それはだから明日の朝にでもまた是非曲直庁に来るといいわ」
「じゃあそれまで泊めてあげてください」
「なんで、私が! 小町、あなたの家に泊めてあげればいいでしょう」
「だって、嫁入り前の娘ですよ私は。霊とはいえ男の子を泊めるなんて……」
「それは! 私だって同じでしょうが!」
英姫はさすがに怒って地団駄を踏んだが、パンダのパジャマがかわいいのであまり怖くない。少年はずっと口も挟めずにひたすら小さくなっていた。
「じゃあ、こうしましょう」と映姫は提案した。「小町も今日は私のうちに泊まりなさい。女二人と子供一人なら忌避感も少ないでしょう?」
「ええ~、そうですかあ? 余計にまずいような……」
「何もまずいことはありません! いいから、もう中に入りなさい」
むりやり連れ込まれて、お騒がせの一人と一人は四季映姫の家にお邪魔することになった。実に女性の家という感じで、とてもいい匂いがするような感じがする。きっちり整理された内装で小町の家とは大違いだ。それを考えただけでも小町は自分ちに泊めないで良かったと思った。
「布団と部屋はそれぞれ別々に上げますから、もう今日は寝なさい。私は寝ますから」
「えっ、まだ日が沈んだばかりじゃないですか、もう寝るんですか?」
「私はいつも日が沈んだら寝ています。今も実は眠くてしょうがないんですよ。じゃあ、おやすみなさい。二人も夜ふかししないように。朝は早いですよ」
……残された二人は顔を見合わせた。
「そ、それじゃ、僕も寝ますね……」
と少年も与えられた部屋に引っ込んでしまった。まったくおとなしいものだった。結局、小町だけが仮にも外泊という妙な高揚感と、そもそも寝すぎていたことによって眠れない夜を苦しみ、何十回と寝返りをうつ羽目になったのだ。
そして翌朝は本当に早くて、眠くてしょうがない小町をよそに準備を完璧に整えた映姫と少年はでかけていった。追い出された小町は頭をかきながら「家に帰って寝直すか……」とひとりつぶやいてぽそぽそと歩いていった。
それから何日か経って、お盆が終わった頃にやってきたのは帰省ラッシュだった。行くのも大層忙しかったが、帰りもそれと同じだけ忙しいはずだった。ただ、小町は今度はちっとも焦っていない。
「行きは急がないといけないだろうから頑張ったけど、もう一年中のやる気を使い果たしたよ。帰りはゆっくりでもいいんだろう?」とうそぶくのであった。ところがそこに四季映姫がやってきて、
「小町、あなたはこの間あれだけ人に休んでいたことを責めておきながら……」
と説教が始まりそうになったので、小町は急いで仕事に戻った。
逃げ出した先の三途の川向うに行くと本当にうんざりするほどの魂がいて、それが皆一様に晴れやかな顔をしているように見える。順番も何もあったもんじゃなく手当り次第に乗せていって、小町は小舟を漕ぎ始めた。かといって特に急ぐこともなく、なんとなくその老若男女を観察しながら、こいつはたぶん地獄だったんだなとか天国だなとかそういうようなことを想像してみたり、雑談しながらとのんびりしたものであった。
ひとかたまり渡り終えたところで不意に履いていた下駄の鼻緒が切れた。不吉だ、とは別に小町は思わず、単純に使いすぎのせいだなと思った。力が入るところだからしょうがない。腕ももうバキバキに疲れていた。さすがにお盆前の疲労は完全には取れなかったなー……と、とりあえず下駄を直すため一旦家に帰った。それが終わってもなんだかまた元気に出ていく気にもなれず、ついうとうとしてしまった。一時間足らずでまた起きて、慌てて出ていった。いけないいけない、寝るにしても、仕事場で寝ないと。まだ空は高く、仕事はいくらでも残されている。
そんな時期をどうにか通り過ぎてお盆には珍しく休みをもらえたのだが、公然と休めるとなると、かえってなんだか罪悪感がある小町であった。しかし四の五の言っていられないほどに疲れていたので、溶けるように眠った。夕方に家に帰ってすぐ眠りについたのが、起きた時にはお日様が一番高くなってもう降りようとしている時だった。小町は苦笑して、それでもせっかくの休みなのだからと出かける身支度をして、しかし特に行きたいと思いつくような場所もない。結局いつもいる三途の川の向こう側で横になっていた。やっぱりこうやって仕事場でいつも通りにしているのが落ち着くという、我ながらワーカーホリックだなと冗談を作ってしまう小町であった。そんな具合にいい気分でまだ寝たりないと眠っていたら、夕方になってしまった。
「一日を無駄にしたな……」
片膝ついて座り込み、日没を眺めながら反省したが、後悔先に立たず。とはいえやりたいことが特になかったのも事実だった。お盆だからどこも誰も休んでいるわけでもあるし。それと逆に眠りすぎて頭がひどく痛む。これは困ったとしか言いようがない。家に帰ろうかとも思ったが、小町の家までは結構遠い。
「ああ~、もうつらい、つらい」
のたうち回って苦しんだ。懐に備えておいた水筒で水を飲んだから、そのうち和らいでくれるだろう。治ったら家に帰るとしよう。
「お姉さん、大丈夫?」
と子供の声がした。どうしたことかと小町が顔を上げると、男の子が小町を心配そうに見つめていた。
「なんだか、苦しそうだけど……」
「ああ、すまないね、大丈夫だよ。ちょっと、疲れてたから休んでただけ。心配してくれてありがとね」
普通に答えてから、がばと小町は起き上がった。いったいどこの子だ? 普通の子供がこんなところに? だが、どうやら普通の幽霊のようだった。足がない。
「ああ、こんな日に亡くなったのか、お前さんは」
「えっ、僕のこと? やっぱり僕は死んじゃったの?」
「そうだろうさ。そうじゃないとここには来れないんだよ。普通の人間はね」
「そうかぁ……」
がっかりした様子もなく、私の隣に座って川の流れを眺めている。幽霊というのは年齢に縛られないので、子供のように見えても実際にどんな歳かはわからない。というより少なくとも子供ではない。
見たところ他に人はおらず、たった一人でいる。おそらく、これからここを渡らないといけないのは知ってるんだろうけど、橋渡しがいないから困ってるのだろう。泳がないといけないんだろうかとか考えてるのかなぁ、と小町は感じた。橋渡しがいないのも当然のことだ。ここで寝ているのだから。
(だけど、今日のあたいは休みだから、働きたくない。別に一日二日ほっといたってかまやしないだろう。急ぐものでもない)
それで黙って相変わらず横になってぼーっとしていた。少年も沈黙してどこへ行くでもなくそこにいる。時間が経つほどに気まずさを感じていたのは小町だった。何しろ相手は子供だ。いや、子供ではないが外見は子供だ。それが自分が休んでいるせいでここにひとり取り残されてしまってるんだし……というのは、別に小町ひとりで普段仕事をしてるわけではなく、休みの日は別の死神が変わりに働いてくれるのだが、今日ばっかりはそれすら来ていない。このまま待たせるしかないのだ。まったく間が悪い時に死んだもんだ。
小町はため息ともあくびともつかぬ長い息を吐いた。うーん、と腕を伸ばし、そろそろ元気が戻ってきたかな?と自分に確認した。彼女は立ち上がった。
急に動いた小町を少年が驚いた様子で小町を見る。置物とでも思っていたのだろうか? 小町は笑顔を作った。
「なあ、君、川を渡らないといけないんだろ」
「ええ、そうです。でもこんな広い川、それも僕は泳げないんです」
時としていっそ海というほどに広い三途の川だが、もちろん泳いで渡るなどは以ての外、泳ぎがうまいとかへたとかではなく、頭から不可能なのだ。
「大昔から言われてて聞いたとおり、六文銭を用意していました。ちゃんと、私の妻が持たせてくれていたんです。でも、その渡す相手が見つからなくて」
時々大人びたような口調で言って、少年は膝を抱えたままうつむいた。
「そうかそうか、いい心がけだよ、君」
不思議そうに小町を見上げる少年に言葉を続けた。
「渡す相手っていうのはあたいのことさ。本当は盆休み中でお前さんにはここでしばらくそのまま呆然としてもらおうかと思ったけど、地獄に仏ってやつだ。連れてってやるよ!」
「えっ、本当ですか、ありがとう、お姉さん」
「お姉さんって言われるとむず痒いねえ……まあいいや、その代わり、その六文銭はちゃんといただくからね」
「あっ、はい……」
少年が差し出すままに片手でそれを受け取ると、小町はどこかへ走り消えた。騙されたかなと少年が思い始める前にどこからか出してきた小舟に乗った彼女が川を進んで戻ってきた。
「さあ、乗った乗った! 今日一回限りの特別便だよ!」
少年はそれを聞いて嬉しそうにその小舟に乗り込んだ。
「出発進行!」
水の上で小町がなんとはなくで彼がなんで死んだのかを聞いてみた。もともと病弱だったところに暑さに勝てなかったらしい。
「なるほどねえ、確かに毎年のように暑くなってるっていう話は聞くからね」
「ええ、でも、今は涼しくて気持ちがいいです。すごくスイスイ滑って楽しいですね」
「はは、死んでしまえば気楽なもんだね。でも、なんで子供の姿なんだろう。そんな若かったわけではないんだろう?」
「なんででしょう、わかりませんが、子供もいなかったからかな? それに両親も幼い頃に亡くなりましたので」
「……そう。そういうこともあるかもしれないね」
楽しい時間はすぐに過ぎるもので、小舟はじきに向こう岸まで着いてしまった。
「さあ、降りておくれ。今から閻魔様に会いに行くから。おっと、ちょっと厳しいけどとってもいい人だから怖がることはないよ」
是非曲直庁の建物まで来たが、嫌な予感はすでにあった。
「やっぱりかぁ……」
開いてないのだ。誰もいないように見える。
「困った困った、せっかく連れてきたっていうのに、どうしよう」
小町は爪を噛みながらその場を行ったり来たりとぐるぐる周る。ふと、思い立って空を仰いだ。
「こうなったら、四季様に直接会いに行くか」
上司ともいえる四季映姫・ヤマザナドゥの自宅まで来てしまった。小町が来るのは初めてではないが、それでも緊張してしまう。
「それにしてもいい家に住んでるなぁ」
和式の豪邸だが、それは幻想郷の裁判長なのだから当然ともいえる。小町のような部下が急に押しかけることもあるわけで……。後ろでおとなしくついてきている少年はずいぶん緊張というかほとんど怯えている。
「あの、こまちさん、もう僕は、また後日出直した方がいいのでは……」
「大丈夫大丈夫、悪いようにはしないから」
少年をなだめてから、改めて豪邸と向き合い、呼び鈴を鳴らした。
「四季様~、四季様~」
小町は自分の声でも呼びかける。ドタドタと慌てた雰囲気がして、ほんの少し待つと中から可愛らしいパジャマ姿の四季映姫が出てきた。
「なんですか、小町。こんな時間に」
時間。そういえばうっかりしていたが、今はすっかり暗くなってしまっている。小町は今日ずっと寝ていたからどこか感覚がずれていたし、少年も死んだ身で昼も夜もあまり関係ない。それにしても間が抜けていた。自分のことばかり考えていて周りが見えていなかったのかもしれない。
「でも、幽霊が来てるんですよ。今ここに。仕事があるのに休んでちゃだめじゃないですか」
「小町に言われたくないですよ! それに、休みだって必要なのは当たり前でしょう。メリハリをつけなさい。メリハリを。幽霊だって待たせておけばいいんです。いつものことじゃないですか。なんで今回だけ急にそんなことを言い出すのですか」
「いやあ……今までのこと振り返ってみると川を渡った後のことはあんまり知らなかったし考えたこともなかったかなって」
「だから?」
「いや、要は是非曲直庁の閉まった扉の前で一晩でも二晩でも立ちん坊なわけですよね。それって結構ひどいなって……そうしたらカッとなってつい……」
「つい私の家に来たというわけですか。小町、あなたは少し考えが無さすぎる。お仕置きしたいところですが、その優しさとそこの霊魂さんに免じて許してあげましょう」
「ああ、そうだ。それでこの子をどうにかしてください。早く裁判して、次の道を示してやってくださいよ」
「それはだから明日の朝にでもまた是非曲直庁に来るといいわ」
「じゃあそれまで泊めてあげてください」
「なんで、私が! 小町、あなたの家に泊めてあげればいいでしょう」
「だって、嫁入り前の娘ですよ私は。霊とはいえ男の子を泊めるなんて……」
「それは! 私だって同じでしょうが!」
英姫はさすがに怒って地団駄を踏んだが、パンダのパジャマがかわいいのであまり怖くない。少年はずっと口も挟めずにひたすら小さくなっていた。
「じゃあ、こうしましょう」と映姫は提案した。「小町も今日は私のうちに泊まりなさい。女二人と子供一人なら忌避感も少ないでしょう?」
「ええ~、そうですかあ? 余計にまずいような……」
「何もまずいことはありません! いいから、もう中に入りなさい」
むりやり連れ込まれて、お騒がせの一人と一人は四季映姫の家にお邪魔することになった。実に女性の家という感じで、とてもいい匂いがするような感じがする。きっちり整理された内装で小町の家とは大違いだ。それを考えただけでも小町は自分ちに泊めないで良かったと思った。
「布団と部屋はそれぞれ別々に上げますから、もう今日は寝なさい。私は寝ますから」
「えっ、まだ日が沈んだばかりじゃないですか、もう寝るんですか?」
「私はいつも日が沈んだら寝ています。今も実は眠くてしょうがないんですよ。じゃあ、おやすみなさい。二人も夜ふかししないように。朝は早いですよ」
……残された二人は顔を見合わせた。
「そ、それじゃ、僕も寝ますね……」
と少年も与えられた部屋に引っ込んでしまった。まったくおとなしいものだった。結局、小町だけが仮にも外泊という妙な高揚感と、そもそも寝すぎていたことによって眠れない夜を苦しみ、何十回と寝返りをうつ羽目になったのだ。
そして翌朝は本当に早くて、眠くてしょうがない小町をよそに準備を完璧に整えた映姫と少年はでかけていった。追い出された小町は頭をかきながら「家に帰って寝直すか……」とひとりつぶやいてぽそぽそと歩いていった。
それから何日か経って、お盆が終わった頃にやってきたのは帰省ラッシュだった。行くのも大層忙しかったが、帰りもそれと同じだけ忙しいはずだった。ただ、小町は今度はちっとも焦っていない。
「行きは急がないといけないだろうから頑張ったけど、もう一年中のやる気を使い果たしたよ。帰りはゆっくりでもいいんだろう?」とうそぶくのであった。ところがそこに四季映姫がやってきて、
「小町、あなたはこの間あれだけ人に休んでいたことを責めておきながら……」
と説教が始まりそうになったので、小町は急いで仕事に戻った。
逃げ出した先の三途の川向うに行くと本当にうんざりするほどの魂がいて、それが皆一様に晴れやかな顔をしているように見える。順番も何もあったもんじゃなく手当り次第に乗せていって、小町は小舟を漕ぎ始めた。かといって特に急ぐこともなく、なんとなくその老若男女を観察しながら、こいつはたぶん地獄だったんだなとか天国だなとかそういうようなことを想像してみたり、雑談しながらとのんびりしたものであった。
ひとかたまり渡り終えたところで不意に履いていた下駄の鼻緒が切れた。不吉だ、とは別に小町は思わず、単純に使いすぎのせいだなと思った。力が入るところだからしょうがない。腕ももうバキバキに疲れていた。さすがにお盆前の疲労は完全には取れなかったなー……と、とりあえず下駄を直すため一旦家に帰った。それが終わってもなんだかまた元気に出ていく気にもなれず、ついうとうとしてしまった。一時間足らずでまた起きて、慌てて出ていった。いけないいけない、寝るにしても、仕事場で寝ないと。まだ空は高く、仕事はいくらでも残されている。
楽しませていただきました
ヤマもオチもないが雰囲気がいい
小町がおちゃめでかわいいのもいいですね
良かったです
お返事途中からしなくなっててましたけど全部読ませていただいてます。
だいぶ嬉し恥ずかし……元気がもらえます。
本当にありがとうございます!