Coolier - 新生・東方創想話

あまりにもアスペルガー過ぎた私と貴方

2019/08/04 03:12:42
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 蝉たちの命も削るような合唱も鳴りやんだ、物寂しい夏の夕暮れだけが残された境内で。
 
 いつもなら夕餉の支度をしている時分なのですが、私はと言うと箪笥から引っ張り出してきた浴衣でいそいそと身支度をしています。いつもはお勤め用の装束を着ているので若干抵抗感があります。水色の浴衣に身を包むと、次に髪飾りを外して簪に取り替えます。鏡の前で最終チェックを。
 そう、今日は久しぶりに人間の里の夏祭りにお出かけします。
 
 鏡にはこちらの世界に来る前の様な良く言うと普通の女の子の様な、悪く言うと非常に俗っぽい私の姿がありました。自分でもそれに戸惑ったのか、どこか呆けた顔をしています。その姿が自分でもおかしくなり、呆然とした顔が急に意思をもったように少しくすくすと笑うのです。
 
 「早苗、さーーーーん!!」さっきまでの静けさに水をさすような明るい声にはっとします。その姿は見えずとも声だけで判然としました。私は弾かれたように思わず玄関口へと足を速めます。
 
 「ごめんね急に…待ちきれなくなっちゃって。」
 少し気恥ずかしそうにこちらを見る小傘さんの姿がありました。明るい黄色の浴衣が良く似合っています。私が選んだものだから、間違いありません。最初にあの傘と同じ趣味の悪い濃紫色のを突き出されたときはどうなるかと思いましたけど。

 「いえ、もう準備もできているので大丈夫ですよ………それよりも、よく似合ってますよ。」「えぇっ!?そ、そうかな……。」
 それを聞くとにわかに小傘さんの頬が色づきました。頬に手なんか当てて至極嬉しそうな身振りです。祭りが楽しみなのと、浴衣を私に見せたいのとでここまでやって来たのでしょうか。それにしても人間の里で待ち合わせをしていたのに、こんな妖怪の山にある神社にまでなんて、ねぇ。
 
 「それはそうと髪が少し乱れちゃってますよ。それに着付けが逆ですよ。それだとせっかくの晴れ衣装が死に装束です。」「あっ……」


 
 山を下りていく道中、遥か向こうに沈みかけの太陽が顔を濃い橙色にして、必死で山端にしがみついていました。そのせいで、なんだか珍しく私の前を歩く小傘さんも暖かい色彩に包まれています。今日の小傘さんはなんだかとても楽しそうです。
 私はというとその姿を目と足で追いながら、不思議と外の世界の漫画の一節を思い出していました。
 
 その漫画は筆者の小学生時代をモデルにエッセイ風に描いたもので、くだらない一幕も、妙に生々しい交友関係も、当時の私には印象深いものでした。
 それで主人公の女の子が、こんなふうに言うのです。『私は祭りを前にして、体から湧き出るわくわくエネルギーを利用しながら家まで走っていったーー』
 
 いつもは明るくても少しどこか陰のある彼女が、今日に限ってはどうでしょう。足も軽く何の不安も迷いもなさそうにずんずんと進んでいくではありませんか。何となく、それを見て私は記憶のかなたへ過ぎ去っていたこの『わくわくエネルギー』を思い出すに至ったのです。
 
 今の彼女はまさにその状態なのでしょうか。底が抜けたようなの彼女の笑顔を目にして尚、私にはよく分かりません。だってどこまで行ったって、私は私、小傘さんは小傘さんなのですから。
 
 境内では聞こえなかった蝉の眠そうな声がちりちり響いています。 
 「まさか二回も同じことを繰り返す手間になるなんて、思ってもみませんでしたよ。」「ごめんね、早苗…」
 
 けれども、二人で一緒に準備をするのもこれはこれでいい思い出でした。なんだかこういう経験はとても久しぶりのことに思えて、妙な心地がしたのです。
 外の世界にも祭りがあった憶えがあります。それは私が住んでいた付近の湖ほど近くで毎年開かれ、全国でも指折りの花火大会であったと記憶しています。そんなに近くに住んでいるのでしたら、余程の事情もない限り毎年のように通い、すっかり祭りに慣れ親しんでいるはずなのです。
 
 だから、妙なのです。外の世界では、家業のお勤めがそんなに忙しかったのでしょうか。それとも、私はこうして出かけることさえ億劫になってしまっていたのでしょうか。
 あの時の私は……


 
 
 祭りの喧騒に集中すれば遠いて聞こえ、明かりのついたところで、はっと意識をすませると耳にするすると流れこんでくる祭囃子。
 人里に近づくにつれて人だかりが厚くなり、私たちは一列で隙間を縫うようにしてそろりそろりと進んでいきました。もうここが祭りの盛りのようです。
 
 「小傘さ~ん、今度はちゃんと後ろに居ますかぁ?」「ちゃんと居ますよう。いじめないでくださいよう。」
 小傘さんはべそをかいています。こんなに可愛い小傘さんを、いじめているなんて全くもって心外です。私は純粋に楽しんでいるのだけなのに。それに小傘さんは、だって。ねぇ。
 
 「あっごめんなさい。ごめんね…」小傘さんはというと、行きすがら、人にぺこぺこと頭を下げて、道を譲ってばっかりいます。そのせいで度々私からはぐれました。
 そのくせそうなると、泣きそうな声でこちらに向かって叫びます。叫ぶと私もあまり目立ちたくないので素直に足を止めます。止めると今度はゆっくりと追いすがってきて、今度は私にぺこぺことします。しばらくするとはぐれて、また同じようにぺこぺこと。
 
 今日だけで彼女が何回頭を下げているのか私にも、きっと小傘さん自身にも、ちょっと勘定ができないでしょう。
 道を開け、頭を下げて、周りの人の気持ちを全部分かった気になってやっているような彼女のことが、なんだか私にはきっと疎ましく思われるのでした。

 
 
 しばらく進んだところで、ちょっと待っていてくださいと横に居る小傘さんから声がかかりました。しょうがないから足を止めます。見るとなんだか屋台の方に向かっていくようです。私はその間端の方によって邪魔にならないようにしています。

 同じようにしている二人の姿が見えました。
 夫婦のようですが、それにしてはどこか二人の間には横たわった不自由な何かを感じます。隅の方には、相手にされないのでしょうか、子供と思わしき人影があります。
 私はどこかで、見た覚えがありました。母親の方です。今日の為に整えられたような顔模様は、何かしら私の知るところの特徴を内包しているようでした。
 もうちょっとで出てきそうですが思い出せないので煩わしくなり、そこから目を離しました。
 
 こうしていると歩いているときはこっちに向かって流れ、過ぎていくばかりだった祭りの様子が手に取るように分かります。友達、家族連れ。どこの集まりなのか分からない集合。何が楽しいのか、一人でぽつぽつと歩いているやつなんかもあります。その中でも若い一団は見目も派手で、声も喧しく注目をひきます。

 『これ、おいしいね。』『やっぱり蜜が他と違うよね。』
 『先に花火の陣取りをしようか。』『賛成!』
 『なんだか腹が減ってきたよ…』『私も…何か買っていこうか。』

 ごくありふれた、それでいて至って微笑ましい美しい友情です。彼ら彼女らの口から耳への流れがよく感じ取られます。きっと誰もがお互いを全く信じあって、目の前の楽しみを分け合っています。そして分かり合った気になって繋がっているのです。
 
 それを、何なのでしょうか。気づけば死にかけの鼠でも見やるように薄笑いを浮かべてみている私が居るのです。
 私には周りの人の言い合っている言葉よく分かっても、他の周りの全ての人がやっているようには、輪に交じってその人たち自身を分かってあげることができていないのです。
 
 その声々が殆ど川のせせらぎや、風のそよぎにも似た暖かく自然なものでいて無機質なものに感じ取られるのです。
 気がめいってきました。これは、一体どうしたことでしょうか。きっとその答えは私だけが知っているのでしょう。 

 何がおかしいのか。外の世界ほど俗悪ではないにしろ、ぎらつく屋台の照明。何が可笑しいのか。外の世界と同じく、その下の人々が顔を突き合わせています。あるものは笑い合い、あるものはお揃いのものを買って色々のことを話し合っていたり。言葉が交わされ、お金のやり取りが為されています。
 
 「居た!おまたせ早苗!」
 声のする方向に目をやると、小傘さんです。手に何か持っています。必要以上に照明に照り付けられ、てらてらと光るそれは、りんご飴でした。
次の瞬間私は吹き出してしまいました。先ほどまで考え込んでいたことの、答えが分かった気がしました。それはいつも私が思っていたことで、今更のことのように思えました。本当にーー何故忘れてしまっていたのでしょう。
 
 もしかしたら私は、今日の為にその考えに封をしていたのかもしれませんね。あり得る話です。そうでなければ絶対にこんな場所へは来なかったはずですから。でも仕方が有りません。この楽しいお祭りに私を誘ったのは彼女で、私にそれを一層強く思い起こさせたのもまた、彼女だからです。

 本当に些末で当然のことだったのです。人と人を渡すのに言葉が要るように。人が人を救うのに愛情が要るように。

 人が人と触れ合うためにお金が要るように。それはどこの世界でも同じ基盤で、常識でした。誰も理由なんて考えもしないからこそ、だからこそ、きっと私はそれが決して許せなかったのでしょうね。 
  
 

 ~~~~~~~~~~~~~~
 物心がつくと、皆が色々のものをやり取りをしているのに気づきました。それは言葉でした。それは愛情でした。それは慈悲でした。周りのみんながある時はそれを受け取って、またある時は他の人へと渡すのです。
 
 ですので、私も真似してみました。いや、真似をしなくてはいけなかったのです。私は怖かったのです。お母さんもお父さんも、友達も皆がそれが無くては生きられないとでもいうかのように、必死で、夢中でしたから。実際そうだったのでしょう。
 
 少し経つと私は神様を知りました。確かにそこに居るはずなのに、誰も見向きもしません。神社の管理者であるはずの父も母もです。そして皆が皆いつものやり取りに大忙しです。
 
 私は不思議でなりませんでした。皆が神様に見向きもしないこと、ではありません。
 神様は、唯一神様だけがそのやり取りに参加していなかったのです。これは驚きでした。神様はただどこか物悲しそうにそれを眺めるだけで、何ともしません。それなのに、ちゃんと生きています。近づけば息遣いを感じました。触れば暖かさを感じました。
 
 私にはそれが、ひどく常識外れに感じました。
 窮屈に人と人の繋がりで固定されずとも生きていける方法のあるのを感心しました。そしてその謎が知りたくなりました。毎日のようにその周りを駆けずり回り、ぶしつけに視線を送る私を、神様はただ少し困ったような、けれども和らいだ優しいお顔をしてただ見返すばかりでした。

 そんな日が続いたものですから、私は家族にそのことを話してみました。するとどうでしょう。私には確かに感じ取れたのです。弾んでいた会話が急に勢いをなくすのを。皆触れ辛そうにこちらを見るのを。つまりは私と家族にとって当り前のようだった繋がりが揺らがされるのを。
 
 家族の隠しきれていないちょっと妙なものでも見るような視線も気にせず、私は自分の発見が正しかったことを知ったのです。私は意を得たようでした。何かは知らないが神様には、このやり取りを断ち切る一種の力のあることを確信しました。
 その晩、私はなかなか寝付けませんでした。不自由にやり取りに縛られずとも生きていける方法が確かに有るのです。この世の常識を書き換えたような思いでした。一刻も早くこの発見をまだ知らない誰かに伝えようと。

 翌日私は学校です。周りにはいつものように友達が居て、いつものように言葉のやり取りをしています。私はその最中に躍り込みました。神様の居ることと、皆のしている当り前のやり取りをしないこと。そして、神様はそのやり取りの流れをどうしてか鈍らせてしまうこと。
 
 あくまで得意満面でした。その時の自分がどんな顔をしていたのか、見えるはずもありませんがよく分かります。同時に、よく覚えています。話が終わった後の彼らの顔も。昨晩の家族の反応よりも、遥かに露骨でした。自分達とは違うモノでも見るのかの様な顔。顔。顔。
 
 皮肉にもそれは私がたった今述べた事を強く肯定していました。神を持ち出したとき、そこで人の繋がりは停止するのだと。その時私は気づきました。私が本当に欲しかったのは仮説の裏付けではなく、彼らの注目を受け肯定と賞賛を受けることで。
 
 つまりは神様の話など持ち出してそのやり取りを、自分は一歩引いたところから観察できたつもりでいて、その実自分も相も変わらずにそのやり取りに何とか参加しようとしていたばか者だったことに、私はそこで気づいたのです。そしてそれが逆効果に終わったのは明らかでした。

 それから私は神様について話すのをきっぱり自制しました。
 そして今まで自分が目を逸らしていた、そのやり取りを続けていくに連れて当り前になっていた、皆に好かれたい、人気者になりたい、輪の中に居続けたいというーー要するに、やり取りで成功したいという欲望に目を向け、それに忠実に生きることにしました。
 
 偶には神社に友達を招きました。その時は当然、神様を見かけても何でもないかのように振舞いました。
 私は東風谷早苗で、神社の娘で、皆と同じ町に住んでいて、同じ学校に通っていてーーやり取りで成功するためには、本当にそれだけで良かった。不思議な力も、神様も何もそれには要らなかったのです。

 そんな私を、神様はどういう目で見ていたのでしょうか。
 とにもかくにも、私と神様の仲は好調でした。色々のことを教えてもらいましたし、時には遊びの相手をしてくれることもありました。
 
 それに伴って私も変わっていきました。無論、他の人達の目に留まらないようひっそりとですがーー色々の不思議な術を扱えるようになっていったのです。
 
 心が躍りました。誰だって一度は憧れたこともあるでしょう、風を起こしてみたり、時には運を味方につけたりと、他の人にはできないことが出来ました。ただこういった諸々のことを、おいそれと他の人の眼前で持ち出すことはできません。
 
 だから私は隠していました。隠さなければいけなかっただけでなく、そこに私の驕りもあったような気がします。どうせ皆には理解できまいと、私にしか扱えない力だからと、不思議な自信が沸き起こってきたのです。

 気分はまるで悲壮な運命を背負った勇者の様に。心持は人知れず仮面を被り超人的なチカラで戦うライダーの様に。それは私の心の支えへとーーただのやり取りに加えた二つ目の柱となりました。
 この二つで心を満たして、私は暫くうまくやっていけていたようでした。

 
 ~~~~~~~~~~~~
 「どうしてそんな風に笑っているんですか?」小傘さんは随分と訝し気な顔です。
 
 ああ、そうでした。彼女はこの醜い私を知らないのです。きょとんとして首を傾げ呑気にりんご飴なんか持っているその姿を見て、私はよっぽど全てを暴露してやりたいようにもなりました。
 
 「いや……りんご飴なんて、小傘さんらしいなって思って。」「そう?えへへ……」彼女はというと、すっかり褒められた気になっているようで舞い上がっています。
 小傘さんはいつもそうです。好意的に解釈しがちで、早合点するのが上手で。どんなに分かりやすく言っても、皮肉なんて分かりません。
 
 その小傘さんの方を眺めふけってはそんな事を考えていると、どうしてこんな私でも彼女となら上手くやれるのかわかる気がしました。
 
 人の悪意に鈍感というのもありますが、恐らくは、彼女はとっつかない様にしているのです。見れないというよりは目を逸らしているようで、むしろそういうものだと割り切って人と付き合っているような感じがするのです。少なくともそこは私と似ている気もしますがはてさて。

 そうして考えてみると、彼女は、私が一体どういったものなのか薄々気づいているのかもしれません。その上で包み隠して関係を続けているのならば、あっぱれものです。
 ですが、もしそうであるなら、何故彼女は私に相も変わらず逢いに来てくれるのでしょうか。今日の祭りにだって私を引っ張り出してきました。

 だから、私は、時折無性に、抑えきれなくなるほど、知りたくなるのです。もし、私が、この胸の内にこびりついた黒い泥を絞り出して、彼女に思うままぶつけたのならばどうなるのでしょうか。
 
 彼女は、泣くかもしれません。顔を覆うかもしれません。それとも舌をぺろりと出してお返しの泥を見舞うのでしょうか。
 それを思うとぞくぞくしてきます。楽しみで仕方が有りません。本当は人付き合いなんて大嫌いな私が、彼女とこうも関係を続けている理由はこれなのかもしれません。 
 
 だから、私は、それが今すぐに壊れてしまわないよう、慌てて、怯えながら、化けの皮を急ごしらえで伸ばし、満面の笑みを返してあげたのです。
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 私は踏みつけました。抉りました。刺し殺しました。楽しげな皆がもてはやし信仰するものを蔑ろにします。
 
 おかしかったのです。全てが間違っていたと思いました。私が生まれた時からずっと変わらずに皆がありがたいそのやり取りを繰り返すこと。それを当り前だと思ってしまったこと。その流れに乗せられてしまったこと。

 思春期を迎えた私は皆の中で生きていく途中で、神様と共に人とは違う特別な事ができていく途中で、そんな自分が出来上がっていく中答えに辿り着きました。どうして神様と人と人のやり取りはこんなにも相性が悪いのか。
 
 驚いたことに一回考えるのを止めたつもりでいてその実、私はずっとその答えを追いかけ続けていたのです。成長するにつれ、俗っぽく変わっていく流れの中でそれは加速していったように思えます。
 多分きっと、自分一人が神様に向き合うちゃんとした理由が欲しかったのでしょう。


 皆がしていたやり取りは、言葉は、愛情は、価値の相互確認は、その実一つの流れでした。
 例えるならそれは、共観という名前のお金です。
 それがあれば大抵のものは手に入るし、絶対の信頼が置かれてあります。皆それを結局は現実のお金と同じように少しずつ魂を切り売りして手に入れるのです。
 
 皆その価値が本当の意味を成すものなのかどうか、確かめようともしません。受け渡しの中で価値がころころと変わるのもよく有ることです。
 だのに見ようともしません。

 皆が皆下に目を逸らしてぺこぺこ頭を下げながらふらふらしているのです。黙殺して他の意見や意義のあるのを締め出しているだけなのに、あくまでそれが遍く通じる絶対だと信じて止まないのです。


 こういう例の一つを私はいつも近くで見ていた気になっていました。それは神様でした。更に一つは国語の教科書でも、何度も何度も同じような顔をした文章で批判がされてありました。それは科学でした。
 ある時は同族。ある時は神様。科学。そして今はまた同族。人はいつの時代もある一つのものを絶対だと決めつけて寄りかかって、その度に共倒れする生き物だと私は考えたのです。

 
 私は当然怒りました。だって神様はこんなにも傍で見てていてくれて。だって人間はこんなにも儚くて。
 
 神様は、居ます。私の目には見えます。他の人はそれの見えない、かわいそうな人だとその時思っていました。共感は、見えません。私の目には見えません。恐らく他の人の誰にも、見えていないのでしょう。
 
 皆がやり取りをする時に神様の出てくるのを嫌ったのは、つまりこういう事です。一旦は絶対のようにした存在を今度は否定したいのです。
 それで勝手に一人で進歩した気になって、悦に入りたいのです。
 
 私からすれば、おかしな事でした。輪郭もつかめないようなものに必死でぶら下がって、共感とそのついでに同族を今は絶対視しているのです。
 私には、そんなものよりよっぽど神様の方が確かなもののように見えていたのです。  
 
  私はその時からやり取りを止めました。それにまつわる人々を一方的に見下して、ただ神様の為に生きるとしました。本当に、本当にただ黙っていただけなのに、周りに人にはすぐに露見しました。
 私が高を括っていたほど馬鹿では無かったのです。やり取りの流れに不利益を生む匂いをぞっとするほど敏感に捉えていました。

 それから私の身の回りに不思議なことが起こりました。何故かちょくちょく体にあざがついたり、あっと驚く魔法で持ち物や財布の中身が消え去ったりもしました。弁解のしようもありません。それが正しいことだと、私も周りも思っていました。
 
 そうこうして生きていくうちに、自分の意思というよりは何かの力に押されるようにして、流れ流れて、また別の世界に辿り着くことになったのです。
 
 とは言っても、楽しみもありました。私の神様がそこではまた表の道を歩けるようになるのです。再び人々が神を絶対のものとして一つになれるのです。それがどんなものであれ、素晴らしいものに違いはない、と思っていました。
 そのお手伝いが私にも出来たらいいな、なんて柄にもなく本心で考えておりました。
 
 ~~~~~~~~~~~~~~
 先ほど私が小傘さんを見て何となく笑ったのはそういう事です。だってりんご飴ですよりんご飴。
 
 確かに赤くてらてらとした見た目はカワイイです。絵にも写真にも、祭りと女の子があれば勝手にその中についてくるほどです。
 
 けれども一度食べたことのある人なら分かると思いますが、大抵中の林檎は腐りかかっていて、変な味がします。色だって少し変です。一度食べればもう結構、遠慮します。沢山です。
 それにもかかわらず毎回祭りの屋台にはこいつの姿があります。自然、手に持っている人なんかもいます。私にはそれが、あまりにも露骨な、中身や価値を頭に入れずにただお金を払って、周りの人たちの共感や注目を集めるための算段のようにも見えます。
 琥珀色の飴の中には、その朽ちかけた中身を薄ぼんやりと露呈しているのです。

 「早苗さんは、買わないんですか?」小傘さんが私に向かって首をかしげます。
 
 ただ一言、その顔を見ずに飴だけにぼうっと視線を引き入れて、
 
 私には手持ちがないから、ただ一言そう答えました。小傘さんははっとして申し訳なさそうにあたふたします。「それじゃあ、はい。」

 一瞬理解が及びませんでした。いや、結構混乱しました。まず目の前にりんご飴が突き出されています。そこまでは間違いないのです。
 それは、濡れています。水ではありません。確実に小傘さんの唾液が付いています。そんな姿と、「食べる?」という彼女の言葉がどうしても私の頭の中でしばらくの間くっつきそうに無かったのです。

 私はああ、と思いました。よっぽど大事なことを、また忘れていました。小傘さんはその共感を稼ぐのが非常に苦手で、とても苦心しているタイプのひとなのです。
 もともと人間の手を離れた傘が付喪神化した存在なのです。だからかもしれませんね、彼女と人との間は、虚しく空回り続きです。

 人を驚かそうとしても上手くいきません。そのあと、冗談めかして上手くまとめるのもへたくそです。そうして驚かしてばかりいるのに、人間向けに商売なんかしています。どうしてこんなよく分からないことをしているのでしょう。
 あくまで私の予想の範囲を抜けきりませんが、彼女はきっと今でも人との繋がりを捨てきれずに、手の中に掴みたくて躍起になっているのです。
 
 鍛冶仕事なんかしてみても依頼の相手の大半は妖怪や獣人です。私も時折神社の鈴を新調したり等に利用しますが、腕だけなら里の他の鍛冶屋に負けないように思えます。ですが、いくら腕が良くて害がないとはいえ、人でないことに変わりありません。多くの人達が他で間に合わせてしまうのだと思います。
 
 また小傘さんはベビーシッターをすることもあります。こちらの方はこういった仕事がそもそも少ないので、競争相手もおらず、割合人間のお客さんも居る様です。
 ですが外の世界では良くあることでも、こちらの世界ではそういう訳でもないようです。子供預けて働きに出る親には何らかのやむを得ない事情がある場合が多く、大抵は共働きをしているか、女手一人で子供を育てていることが多いようです。
 
 そういった人たちの生活には余裕が無いので、他に方法が無く仕方ないといった感じで小傘さんに子供が預けられます。小傘さんもそういう事情を理解しているので、よせばいいのに無償で引き受けてしまうこともしばしばです。それでも、こういった連中は本当に利用するだけで、小傘さんに微塵も敬意を払ったり感謝をしたりする様子が見られないのです。
 
 私はこういった連中を軽蔑しています。たまに私の神社や聖さんのとこのお寺なんかでも、こういった人たちを対象に炊き出しを行うこともあるのですが、私はそこで実際に嫌というほど見てきました。
 
 こういった連中はその日その日の生活や人との関わりにどこまでも人間らしく拘泥するだけであって、神や仏に救いを求めたりなんかしません。必死で笑顔を繕う私の目の奥に、その薄汚れた姿でぼうっと憑りつくのです。こういった連中は神や仏が絶対でないのを、嫌というほど知っているからです。見え見えの慈善活動なんかしてみても、どうなるわけでもないのです。
 
  それが現実でした。ここにあっても神は尚絶対ではなく、やはりその欠落を、人同士で埋めているのです。何を頑張ろうと結果は同じでした。

 共感は絶対じゃない。でも神様は、それと同じか、更に絶対には程遠くて。外の世界でも、ここでも、間違っていたのは私で。
 実際、私は絶対でない神を絶対にして、その外にあるものを拒んでいるだけのばか者でした。そしてそれは、他の周りに居た沢山の人達のやっていたことと、何ら変わりがなかったのです。

 それに気づいたときは既に時遅く、これまでの私を知るものが神様しか居ないこの世界に、深く体をうずめていたのです。それがこちらの世界に期待を背負って渡ってきた私に突きつけられた答えでした。

 
 りんご飴と顔を突き合わせて考えていると、ますます小傘さんが哀れになりました。ただ微妙に間が悪くて、距離の詰め方が分からず、極端なのです。本当に器用なのか不器用なのか分からない人です。
 
 常識のある人なら、一旦自分が手を付けた食べ物なら、特に飴なんかを安易に他人に勧めたりしないのです。全く知らない人も平気で脅かしたりする割には、私が手伝わないと彼女一人では店のアピールもできない。適切な距離感が掴めない、いつもの彼女の悪い癖が出たのでしょうか。
 
 ふと、彼女が私にどういった距離感で接しているのか気になりました。小傘さんならあるいは、相手が初対面であっても行き過ぎた態度をとってしまうこともあるかもしれません。ですが私に対してはよく遊びに誘ってくれますし、何かあった時はよく私を頼ってきます。
 
 それに、時折、少しふしぎな気分になることがあるのです。それは何気なく過ごしている日常の一幕に急に現れます。気づけば彼女が、別人のような姿に見えることが有るのです。
 そういった時は大抵彼女もこちらを見つめています。彼女の持つ、いつもの子供みたいな鮮やかな明るさが、ふと意識すると全く違った輪郭を帯びてそこに在るのです。
 
 例えばそれは、急な雨降りで、傘をさしていてもびしょぬれになり、慌てて屋根の下に逃げ込んだ時の彼女の、濡れるのがイヤなのか、それとも傘として自分の無力さが思われたのか、今にも泣きそうになっている時であったり。
 珍しく二人ともお酒が進み、ぼうっとして紅潮した顔で並んで夜空を眺めていた折りに、ふと横を見ると同じくこちらを見ている彼女を発見してしまった時であったり。
 
 本当に、突発的に起こってしまうのです。そうして二人とも思わずばっと顔をそむけてしまった後になって、次に行動を起こすのはいつも彼女の方からなのです。
 そっと、はぐらかすかのように、質感が分からないほどに弱い力で手を取って。そのあとで大抵私に何か話しかけるかします。そしてはっと思うとその時にはもう、いつもの小傘さんがそこには居ます。
 紅く熟した果汁を垂らしている樹があって、もぎ取るか、取らまいかでまごまごしていて、ようやく決意を固めたところで、それは地へと堕ちてしまうのです。
 
 はたして、彼女と私がその時同じ全く心でいるのか。私には分かりません。
 
 彼女が卒なくそんな行動を取れるのは、彼女の天性の純心か。小傘さんなら、ありそうな話です。
 あるいは全てを見透かしたうえで私に気を遣っているのか、逆にからかっているのか。少なくとも彼女には、私の驚きは分かっているでしょうから、こんな可能性もあるかもしれません。
 
 いずれにせよ、いかに私が日常彼女をいじめてみたり、突っついてみたり、泣きついてきたところで恩を着せたりしてみても、この突発的に起こる日常の揺らめきに悩ませられ、彼女に先を越される限りでは、何物も私と彼女の関係を、はっきりと言葉で表すことのできるものにはしてくれないのです。
 
 それは何とも煩わしく、歯がゆいことではありませんか!
 いくらお互いに心が通じ合っているような、信頼しているような心持に心酔してみても、それは絶対的なまとまりであらねばならないのです!
 そうでない限り、この地に降り立って初めて、生まれて初めて私が目にしたそれは、私にいつか明確な輪郭を持ち得る心の在り処を示すのではないかと期待を抱かせるそれは、どこまでも私の希望的観測であり、腐るほど見てきた人の間であり、真実上面で上手くいっている気になっているそれでしかないのです。

 私は願う事なら彼女との繋がりを絶対的なものにしてしまいたいのです。どちらがどちらに、どうするべきなのか。どうあるべきなのかを判然とさせるために。そのためには彼女を蹴落とすことも、私の手が無いと立ち上がれない所に追いやってしまうことも厭わないでしょう。
 
 
 だから今は、これでいいのです。お互いの心が見えない所に共感という針を突き立てて、ただ知らしめる気になっているだけで。
 私は小傘さんのりんご飴に口をつけました。
 
 小傘さんのこの時この場所祭りにおいての心持ちをただ外に知らしめるだけに買われたようなそれは、私と彼女の間の架け橋を可視化するためだけにお金と入れ替えられたようなそれは、共感を塗り固めて作られたようなそれは、なんともチープな色めきと味わいがしました。
 
 おいしい?と訊く彼女に、私は自分でも少しできすぎと思うような笑みを作り、おいしいですよ、とただ一言返事を返します。
  
 守矢神社もやりくりに大変なんだね、無理やり連れだしてごめんね、何もなくてもちゃんと楽しめてる?
 
 矢継ぎ早に仕掛けてきます。しばらく私は無言のままでした。

 何もなくても小傘さんが隣なんですから。そんな歯の浮くような台詞が脳裏によぎったときは、思わず自分の唇に歯が突き立てられました。このまま貫いてやろうかと思ったほどです。
 いくら私と小傘さんの関係の為に我慢をすると言ったって、限度があります。
 しかしどうしてかこの時、私はそれを形にしてみたいとどうしようもなく思ってしまったのです。それを聞き届けた彼女がどんな姿を私に向けるのか、見たくてたまらなかったのです。

 なんだか面倒になってしまって、何か言う機会を逃してしまった私は、ただ黙って彼女の指に手を沿わせるのでした。
 彼女が何か言いかけましたが、思うところがあったのかそれは出ずじまいでした。
 
 それからしばらく黙ったままに、人通りの少ない方に、少ない方へとふたりで足が向かっていくのでした。


 
 
 二人が二人でそれぞれに言葉を探していると、後ろから歓声が沸き起こりました。遅れて体をゆするような音の波が伝わってきました。
 
 振り返ると、既に形が崩れかけた花火が夏の夜空に広がっていました。目を離さずにいると、次々と後続がやってきます。
 
 いままではただその音を、妖怪の山の社殿から聞き届けるだけで、偶に気がのれば窓から眺めるくらいで済ませていて、いつの間にか記憶の隅に追いやられ風化してしまっていたそれが、空いっぱいに広がっていました。
 
 
 
 
 …綺麗だね。
 …うん。 
 
 本心からの言葉でした。小傘さんも恐らくは、そういう風に思ってくれたかもしれません。息をのむような光景でした。外の世界で度々目にしたそれよりも遥かに規模も劣るはずなのに、なぜかそれは目を引き付けて離さない力を宿していました。

 私は美しいと思うと同時に、それよりもっと悔しい気持ちが強かったのです。
 だって私は、まだ彼女と本当には手を繋げていないはずで。私達の間には、まだ漠然とした何かが横たわっているはずで。
 
 それなのに、まるで。何かふしぎと心が通じ合ってしまったみたい。そう思ってしまったのです。
 私は臍をかみました。それは神の絶対性が私の中で失墜し、結局は共感と同じ立ち位置となってしまった時より尚強く、私の心を締め上げたのです。
 
 同時に敗北でもありました。不意に現れる心持の揺らぎから立ち直るのに遅れるように。彼女はまた私の先を行って示したのです。
 
 私は心に消えない染みとなって残ったそれを何とか否定し、ここから巻き返す算段を図りました。それは祭りの喧騒の中に、そのどこかに有ったような気がします。
 
 「小傘さん……もっと近くで見てみたいのですが、いいですか?」「私は早苗の好きなようで、いいよ。」
 彼女は人の好さそうに頷きます。
 それを見て私はちょっとほくそえみました。さて、彼らはどこに居たでしょうか。判然としない記憶をもとにして、元来た道を引き返していきます。
 
 
 
 また人の波の中に戻ってきました。けれども地べたに座ったり、めいめいの居場所を確保しているおかげで道は通れないほどではありません。その切れ目を辿って進みます。
 
 時折花火が打ちあがり、小傘さんが上を向いている間も私の視線は周囲の店へと泳ぎ回ります。私の目的はあくまで、先ほどのりんご飴の屋台の近くにあります。
 大通りをずうっと行って真っすぐ。角を曲がって。右、左。きちんと前をみていない小傘さんが有らぬ方向に足を向けるのを慌てて引っ張ります。
 
 それは先ほど見た時と同じように、いや、より露骨にその場所に居座っておりました。我ながらいい仕事をしたと思い、満足の笑みです。小傘さんを私の隣の古材木に座らせて、しばし移動の後で落ち着き、花火にすっかりと引き込まれて気分が上向きになるのを待ちます。舞台は整いました。


 「あっ」
 ほぼ同時でしたでしょうか、その言葉が私と、小傘さんの口から漏れ出ました。その視線の向かう先にあるのは夏の夜空と綺麗な花火なんかではありません。
 
 もっと最低で、下卑た、人間の儚い心の通い合いの醜い齟齬の、最たるものです。

 そこには男と女、夫婦の姿があります。共に花火に目を奪われて、うっとりしています。少し離れた道の端に、子供がいました。私と小傘さんには分かります。この場ではありふれたようなその姿は、真実夫婦ではありませんでした。
  
 「あ、どうして…それに、あの子も……」今度は自分の口からでは無く、それが小傘さんの口から出るのを待っていました。
 
 「そんなことって、ないよね?早苗?」まるで何かに追い詰められたような表情で、私にすがってきました。ただ彼女を追い詰めていたのは私で、それに彼女がすがっているのが何とも皮肉ですが。
 
 「いいえ、よく近くで見てきた小傘さんなら分かりますよね?」半ば囁くようにして隣で震えている彼女に働きかけます。「アレは絶対……」
 
 小傘さんは、何も言い返せません。ただ困惑し、思いっきり苦しんでいます。当然です。だって、彼女と人間の間に何度目か分からない決定的なひび割れが、またもや生じてしまったのですから。
 
 その母親に見えた汚らしい格好の女性は、ここではただの欲望に身を任せる人間でした。その隣には平然と同じく汚らしい格好をした男が、平然と酒を飲んでいます。
 今は二人くっつきあっていても、男が何か女に一言いえば、女は叩かれた犬の様に最寄りの酒屋にでも駆け込むであろうことが、この距離ならよく捉えられました。
 その視線を避けるかのようにして、暗がりに一人の子供がいます。齢は、そうですね。ようやく少しばかりの文字が身についたくらいでしょうか。

 その女は小傘さんのもとにその子をよく預けていた、ベビーシッターの依頼をする常連でした。小傘さんのもとを訪れるときはいつでも、煤の張り付いた疲れ切った表情をしているのでした。
 ひっきりなしに預けに来ていたものですから、私も目にしたことが何回かありますし、小傘さんの手が回っていないときには、その子供と遊んだこともありました。
 
 女は、自分は独り身だと言っていました。夫を亡くし、先立たれたのだと。今は子供と二人暮らしで、生活を支えているのだと。
 仕事終わりのその、煤のくっついた、いかにも人の好さそうな顔で、頼まれもしないのにつらつらと飽きもせず語っていたのを記憶しています。
 
 小傘さんはその女性にいたく同情し、無償で子供の世話を引き受けていました。
 彼女が無償で子供を預かっていること自体は珍しくはありませんでしたが、その子に対してはなるたけ気を遣い、仕事で相手をしてやれない母に代わって、他の子たちと一緒にせめてしっかりと支えてあげるんだ。
 そんなことを何故私が彼女にお金にもならない仕事を続けているのかと聞いたときに話していたのを覚えています。

 「あ、ほ…他に支えてくれる人も居ないと……私が居ないと子供独りなんだって言ってたのに、……どうして……!!」
 
 「彼女は嘘は言っていないと思いますよ、小傘さん。」
  彼女が激情にかられるのはいいんですが、あまり行き過ぎて込み入った事態になっても、困ります。少しは落ち着きを取り戻すように、静かに聞かせます。
 
 「きっとあの男は愛人みたいなもので、支えてくれているわけじゃありませんよ。むしろ、見てくださいよ。多分彼女、結構あの男に渡してるんじゃないですか?小傘さんが、あの女が子供を気にせずにしっかりと、ただひたすらにあの男の為に働けるようにしてあげたおかげですねぇ。」 
 
 そうして更に小傘さんに詰め寄り、彼女にはもう分かり切っていて目を逸らしているはずの、言うまでもない事実をことさらに強調しました。
 
 悪魔か鬼の所業だと責めたてる人も居るかもしれませんが、私は悪くありません。ただいつか露見するはずの現実を自分の足も使って小傘さんを連れてきて、お見せしたまでです。
 悪いとすれば、人間の繋がりが隠しきれない歪さを持っていることと、私がそれを分かりきっていたことだけです。第一、そんなことを言うのは悪魔や鬼に失礼でしょう。


 「前からも言っているじゃあないですか。これで分かりましたか小傘さん。」彼女のその一点を愕然と見続けていた目がこちらに向く。
 
 「いくら力の限り助力したって、同情して分かりきった気持ちになっても、しょせん人間なんてそんなものだということです。貴方はあの女の滑稽な愛情に、同じくらいに滑稽に巻き込まれ、利用されていただけです。」
 まだ震えの止まらない彼女の肩に手を置きます。拒否されるかもしれないと思いましたが、意外にも彼女はすんなりとそれを受け入れました。

 「小傘さんは立派だと思いますよ、人間に捨てられて尚、恨みこそしても絶望しようとなんかしなかった。人間を脅かしながら、同時に商売なんかもやっているのはその所為でしょう?
 だけど貴方は気づかなかった。いや、見ないフリをしていたのかもしれませんね。人間の間にまかり通っている愛情や友情は、誰もはっきりと形にできない。
 そして誰もが分かりきった気になってそれを見ようとしている。本当に儚いんです。ましてや、人間と妖怪の間ではそれがどうなるかなんてはっきりしているでしょう。
 貴方は人間と向き合った気になって、それが出来ていなかった。その本質を、理解していなかったからです。
 もう、こんなことは、今日限りで止めにしましょう。だってそれじゃあ、あまりにもーーーー」

 
 「馬鹿らしいじゃ、ないですか………」
 今まで彼女に対して溜まり溜まっていた本音を、余すことなく形にする。これで私は彼女に更に深い傷を負わせました。皮肉にも、その傷を癒してくれるのは彼女が何よりも愛した人間にはもう務まらないはずです。
 
 けれど、皮肉なことにその傷の要因の一つとなったこの私には、それができる。彼女の近くに居て知り尽くし、人間の醜いところを知り、その度に血を流し自分の体から切り落としてきた私にならそれができる。
 
 そうして一転して少し穏やかにした、静かに受け入れるような微笑みで彼女と向き合いました。彼女の肩を両の手でしかと掴みます。
 これで最後です。今まで散々隣で見せられてきた、彼女と人間の茶番に幕を下ろすことができたのです。

 もう人間なんか信じなくていい。貴方は誰の気持ちも分からない。誰も貴方の気持ちなんて分からない。だから、もういい。
 そう、口を開こうとしました。
 
 
 
 
 
 「ありがとう、早苗。」急に小傘さんが立ち上がりました。そうして、あの、子供の方に歩いて行こうとします。
 
 思わずその手を掴みました。自分でも驚くような力が出ました。彼女の言葉に、形を持った希望と、確固たる意志が在ったからです。
 
 今度は私が狂乱の縁に立たされる番でした。一体、私は何を間違ったのか。何が彼女を焚きつけてしまったのか。
 「どうしてですか!貴方はまた人間に捨てられたんです!もういいでしょう!私が何か間違ったことを言いましたかーーー」
 「いいや。早苗のいった事は間違っていないよ。だからこそ、私はこうしてまた頑張れるんだ。」
 

 「今の言葉で確信できたよ、早苗。」
 そうしてなんの遠慮もせず私の手を振りほどき、一歩一歩しっかりと、遠ざかってきます。この時理解しました。
 思っていた以上に、小傘さんは私にとってなくてはならない存在だったのです。
 
 彼女は、人間の渦にしがみついていました。それを見た私は、何とかしてその渦の外に、私の居る所に連れてこようとしました。
 本当に好奇心で、興味本位で始まったそれは、いつしか執念に代わっていました。私はいつの間にか、何が何でも小傘さんを自分と同じ立場に連れていきたかったのです。
 
 彼女と私には似ているところがありました。彼女は、人との繋がりを捨てきれていませんでした。私もそうです。先ほど小傘さんと花火と眺めた時のような感覚を、ふとした時に味わったことが以前にもあったのです。
 それは、誰にも理解されませんでした。唯一私を理解してくれそうな神様には、分からなかったのです。その渦から完全に切り離されてしまったゆえに、その渦にふとしたときに惹かれてしまう捨てきれない根源的な人間の気持ちが。

 小傘さんは、それを知っていました。私と違って目を逸らさずに挑み続けていたのです。そんな彼女が妬ましくあり、憎らしくあり、同時にとても眩しく思えたのです。だから、執着した。

 
 今、小傘さんが私から離れていくならば、私はこの闇に取り残されたままです。私にはもう、何も在りません。目を逸らさずに他の人間と歩んでいこうとする努力ができません。それを共に絶望してくれるはずだった友も居ません。
 
 どうして、置いてゆかないでーーーそんな言葉すら、口からは出てきません。それを他の人へと発するための声帯も、私の心からは喪われていたのです。

 小傘さんが振り向きました。その表情は、今日目にしたどの小傘さんよりも輝いていました。私には、あんな顔は出来ないのです。ああ、どうしたら私にもーー

 
 
 「ずうっと薄々は感じていたんだ。どうして貴方がこんなにも私のそばに居てくれるのか、どうしてこんなにも私を今まで助けてくれたのか、早苗。」
 半ば地面に手をついたような形の私に、彼女が近づいてきました。
 
 「確かに、早苗の言う通り、私は利用されていたんだ。ずっと目を逸らしていたし、ただ頑張ればなんとかなると思っていた私には、人の心なんて分からなかった。でけどね、」
 そこまで言うと、私の手が握られました。その手は蒸し暑い夜に在って尚冷えていて、震えていましたけれど、しっかりと私の手から離れそうにも無かったのです。

 
 
 「誰も私のことを分かってくれなかったなんて、そんなわけ、ないと思うんだーーーだってさ、ほら、こんなにも。」
 そういうとしゃがみ込み、私の上体を起こします。彼女の顔が、間近に有ります。ああ。涙を流しているけど、それを隠そうともしないでそこに居る彼女からは、むしろ強さのようなものを感じました。

 
 「こんなにも私のことをよく分かってくれていた、早苗がずっと傍に居たんだから。今の貴方の言葉で、それがよく分かったよ。」
 
 そういうと、彼女はその子にそっと歩み寄り、私と同じようにして体を起こさせました。それが誰だかわかったのか、その子の訝しげだった表情が、みるみるうちに明るい物へと変わっていったのです。
 
 しばらく話し込んでいた後、こちらへと戻ってきました。仲睦まじく言葉を交わすそれは、まるで、その子に本当のお母さんが出来たみたいでした。
 「早苗お姉ちゃん!」嬉しそうに駆け寄ってきます。その姿は、どんなに炊き出しで苦心しても、どんなに神の御利益を説いてもついぞ見ることが出来なかった、一番の笑顔で。
 
 

 
 
 「はひはほう、ははへほねぇはん(ありがとう、早苗お姉ちゃん?)」
 「こらっ、口に物を入れたまま喋らないの、行儀が悪い。」小傘さんは普段はおどおどしていますが、こういう時はしっかりとものを言って注意の出来る人です。
 
 何かあった時の為に用意していたお小遣いは、すっかりこの子の買い物代に消えてしまいました。けれどもなんだか、初めて本当に自分のお金が本当に価値を持ったみたいで、財布の中身だけでなく、心まですっきりしました。

 しばしそんな風にして人だかりから離れた場所で、三人で過ごしていました。お祭りの最後の活気も、大通りを伝わってこちらへと吹き抜けてきます。
 花火の残り煙も、もうすっかりと晴れてしまって、ただそこには星空がありました。

 灯りの少ない此処では、星の一つ一つがはっきりと見え、まるで全く違うものを見ているような気になりました。多分私が、人との人との関わりに拘泥するあまり、その美しさをいつの間にか忘れてしまったせいでしょう。
 
 結局私には最後まで小傘さんが何を考えているなんて、分かりませんでした。分かるはずもなかったのです。
 ただその可能性すら最初から諦めきって、見ないフリをしていたのは私でした。
 あの俗悪なりんご飴だって、かじってみるまで中身なんて分からない。百個に一個は、本当においしいと思えるものに出会えるかもしれない。
 
 恐れずに立ち向かっていける私には眩し過ぎる彼女の背中を、目をつぶりながらもずっと真っすぐに追いかけ続けていたのだと思います。
 
 そして恐らくは、結局小傘さんは私の真意を知らずじまいです。けれど、これでいいのだと思います。
 だって、本当に何もかも相手の心の内側まで知れるような、読み通せるようなそんな力を持っているならば、最後にはむしろ、自分以外の何物も信じきれなくなり、深く暗いところにその身体や、心を、追いやってしまうのだと思います。

 何も分からないこそ、それが分かったような盛大な勘違いをする。それで人が得るのは、失敗や苦痛ばかりではありません。
 それに証明できないだけで、本当に心が繋がるようになることも、あると思います。人であるなら、誰もがそれを思っているはずです。

 その可能性を捨てきれずに見苦しくてももがき続けるからこそ、人に寄り添ったり、時には神に寄り添ったりして最後には、自分なりに納得のいく場所を見つけることが出来るのだと思います。
 
 私には、それが見つかった気がします。

 「小傘さん………」「なんですか?」
 
 「さっきの……あの……あんな事を言ってしまって、ごめんなさい。本当は、私、小傘さんの本当の気持ちなんて、全く気づいてなかったんです。」
 「もう、なんですかそれ。早苗さんらしくないですね。」呆れたように少し私をこづきます。
 
 「だから誤解しないで欲しいんですが……、その、 もう少しだけ、私も一緒に頑張ってみてもいいですか…?」
 彼女は私の言葉を、誰よりも自分を理解してくれる人の叫びとして真っすぐに受け取ってくれた、けれども、きっと、彼女の傷が消えたわけではない。だから、
 
 「今更じゃないですか!これからも何かあったらすぐに言いますから。かじった脛をそのまま咥えて持っていきますから。」「自分で言っちゃうんですか、それ。」
 
 思わず顔を見合わせて吹き出してしまった。彼女が本当に笑ってくれていたのか、それとも思い出した心の痛みで無理をしていたのか、私には分かりません。
 けれども、彼女と同じ笑顔で向き合っている。これだけで良かったんだ。
 
 だからこの気持ちが彼女に伝わらなくてもいい、絶対なんかじゃなくてもいい、今度は私が彼女に前を向く力を与えることのできるような、そんな存在になりたいと心の底から思えたのです。
 
 人のことなんて、誰にも分かりません。だから皆阿保なんです。同じ阿保なら、分かった気になっている阿保の方が、見透かした気になっている阿保よりもずっと素敵だと思うんです。
 そんな風に彼女の気持ちが、私には、どことなく、あるいは掴めたのかもしれない。
 
 そんな予感がした、夏の夜の終わりでした。 








しばらく忙しくなるため、顔出しができないと思います(隙あらば)
終身名誉東方愚民
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
とても良かったです
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ああ……最後まで早苗の人間臭さがとても良かったです……
3.100サク_ウマ削除
周囲の人の価値観を理解できずに苦しんでいる早苗の独白が非常に心に来る、良い作品でした。お見事でした。
4.100モブ削除
どちらかというとアスペルガーというよりは境界性みたいな感じに思えました。「私は悪くない」と言ってその責任を他の者に押し付ける。いっそそこで止まる度胸もなく。全てにおいて自分は悪くない。相手が悪い。他責の傾向。耐えられたのならより強く相手を振り回し、耐えられないなら自分だけが傷を癒やせると思っている。その糞のような性格の早苗が、なんとも人間らしいと思いました。御馳走様でした。面白かったです。
6.90名前が無い程度の能力削除
どす黒い感情をぶつけてもなお自分を承認してくれた小傘ちゃんに救われたんだなあ
こがさなでくっついている限りは幸せになれそう
8.100名前が無い程度の能力削除
ここまでくっきりと嫌な感じを出しながら共感する部分もあるのは凄いと思います。小傘の決して透明ではない真っ直ぐさが良かったです
9.100Actadust削除
つらい……早苗の感情と思考がしっかりと綿密に描写されているがゆえにその苦しみが理解出来てしまう……。すごく訴えてくるものを感じる、酷く素敵な作品でした。
最後に小傘ちゃんに触れて打ち解けたようでよかった。
10.100クソザコナメクジ削除
悪いところばかりを見ることを現実だと知った気になってる若い子の不器用な思いやりが自身が知る現実を否定しちゃってる、そんな物語。
12.100名前が無い程度の能力削除
穿った見方をしている早苗さんが最後には小傘に救われていて、暗さはあるけど良いこがさなを感じました