日が紅く色付き始めた夕刻。私は瞼に落ちる紅が少しうっとうしくて目を覚ましました。
「おはよう、さとり。よく眠れたかしら」
ティーカップを片手に椅子に座るレミリアはしたり顔で言います。
その尊大な態度にちょっとだけ辟易することもありますが、それでも私は彼女のそういうところに惹かれていたのです。
「私の寝顔が見られてそんなに嬉しいなんて」
私はレミリアの自信に満ちあふれた顔をどうにかしてやりたいと思って、唇を尖らせました。
ええ、でもわかっています。こんなことで彼女の態度が揺さぶられるわけないと。きっと口を開いて出てくるのは全肯定の言葉なのだと。
「嬉しいさ。愛しい者の無防備な姿を独占できたのだから」
レミリアはティーカップをキャビネットの上に置いて、ゆったりとした動作で胸のあたりに手を置きました。それは長いこと見てきた彼女の癖でした。
そして、その癖が意味するのは彼女が本性を出すということの告知に他なりません。
「あなたの寝顔は可愛かったわよ、さとり。本当に……食べてしまいたいくらいにね」
ぐにゃりとゆるんだレミリアの口元からは鋭い犬歯が二本、その鋭利さを誇るかのようにのびています。
彼女を紅い悪魔たらしめている象徴。私にとっての第三の目のようなもの。
私は象徴を剥き出しにした、そんなレミリアの姿がたまらなく愛おしいのです。
だから私はそっと左肩にあるキャミソールのひもを落として頭を右に傾けました。
レミリアが血を吸いやすいように。
彼女にとって血を吸うことは本能。無抵抗な首を差し出されたら、その色香には逆らえない。
「……ッ!」
レミリアは弾かれたように私の肩に飛びつくと鋭い犬歯を首筋にのばします。
でも、彼女は吸わない。……いいえ、吸えない。
私に対してそんなことはできない。
大切な人を傷つけられるほど強くはないから。きっと、大切な人を傷つけられるほどの強さがあれば、私達は永久に赤の他人だったのでしょう。
私は理性と本能との狭間で苦悶しているレミリアを抱きしめました。
レミリアは私の腕の中で少しだけ、小さく震えていました。
その震えを慰めるよう。彼女の全てを赦すよう。
私は彼女の頭をゆっくりと撫でました。
そして、私はレミリアの見えないところで、きっと舌舐めずりをしたのです。
こんなに揺らいで、不安定な心ほど、そそるものはありません。
柔らかくて繊細で、どんな至上の肉よりも美味な心。
だから私は第三の目で彼女の心の中を覗き見ようとしました。
愛しい者の心の中。その隅々までを掌握する。これは私の、いわば本能のようなものです。
しかし、それは叶いませんでした。
レミリアの力のせいで何万、何億にも広がった全ての世界線のレミリアが何万、何億ものことを考えているのです。
これでは、読めたとしても理解できません。
私は諦念して一つだけ溜息を漏らしました。
その溜息を知ってか知らずか、レミリアは顔を上げました。もう犬歯はしまわれて、いつもの少しだけ大人びた可愛らしい顔に戻っています。
キラキラと紅い瞳が輝いていました。
私がその吸い込まれるような深紅に見蕩れていると、不意に唇に柔らかい感触がありました。
それはレミリアの唇でした。
雛が親鳥に餌をねだるような、そんな口付けでした。
でも、私は何も与えられません。いえ、きっと与えても意味がないでしょう。
彼女が求めている相手は私ではないのですから。
それに私が与えたいのも彼女へではありません。
結局私達は互いの中に自分自身を見出していただけなのです。
本当に愛するべき相手から逃げてしまった臆病者を甘やかしたいだけなのです。
私はもう充分頑張った。私は愛されてもいい存在だ、と。
そうやって互いに投影した自分に対して囁きかけたいだけなのです。
それは一歩足を踏み入れれば逃れることのできない底なしの沼。
そこへ沈んでいくことを私達は許容してしまった。
……いや、むしろ私達は自ら望んでしまったのかもしれません。
心地よい堕落はこの泥濘の中で藻掻く力を奪ってしまった。
甘い口付けは私達の目を曇らせてしまった。
そのことに気付きながらも見ない振りをして深みに落ちる私達は……きっと、もう救えない。
そっと離れたレミリアの瞳の中に、私は怨嗟の炎を見た気がした。
「おはよう、さとり。よく眠れたかしら」
ティーカップを片手に椅子に座るレミリアはしたり顔で言います。
その尊大な態度にちょっとだけ辟易することもありますが、それでも私は彼女のそういうところに惹かれていたのです。
「私の寝顔が見られてそんなに嬉しいなんて」
私はレミリアの自信に満ちあふれた顔をどうにかしてやりたいと思って、唇を尖らせました。
ええ、でもわかっています。こんなことで彼女の態度が揺さぶられるわけないと。きっと口を開いて出てくるのは全肯定の言葉なのだと。
「嬉しいさ。愛しい者の無防備な姿を独占できたのだから」
レミリアはティーカップをキャビネットの上に置いて、ゆったりとした動作で胸のあたりに手を置きました。それは長いこと見てきた彼女の癖でした。
そして、その癖が意味するのは彼女が本性を出すということの告知に他なりません。
「あなたの寝顔は可愛かったわよ、さとり。本当に……食べてしまいたいくらいにね」
ぐにゃりとゆるんだレミリアの口元からは鋭い犬歯が二本、その鋭利さを誇るかのようにのびています。
彼女を紅い悪魔たらしめている象徴。私にとっての第三の目のようなもの。
私は象徴を剥き出しにした、そんなレミリアの姿がたまらなく愛おしいのです。
だから私はそっと左肩にあるキャミソールのひもを落として頭を右に傾けました。
レミリアが血を吸いやすいように。
彼女にとって血を吸うことは本能。無抵抗な首を差し出されたら、その色香には逆らえない。
「……ッ!」
レミリアは弾かれたように私の肩に飛びつくと鋭い犬歯を首筋にのばします。
でも、彼女は吸わない。……いいえ、吸えない。
私に対してそんなことはできない。
大切な人を傷つけられるほど強くはないから。きっと、大切な人を傷つけられるほどの強さがあれば、私達は永久に赤の他人だったのでしょう。
私は理性と本能との狭間で苦悶しているレミリアを抱きしめました。
レミリアは私の腕の中で少しだけ、小さく震えていました。
その震えを慰めるよう。彼女の全てを赦すよう。
私は彼女の頭をゆっくりと撫でました。
そして、私はレミリアの見えないところで、きっと舌舐めずりをしたのです。
こんなに揺らいで、不安定な心ほど、そそるものはありません。
柔らかくて繊細で、どんな至上の肉よりも美味な心。
だから私は第三の目で彼女の心の中を覗き見ようとしました。
愛しい者の心の中。その隅々までを掌握する。これは私の、いわば本能のようなものです。
しかし、それは叶いませんでした。
レミリアの力のせいで何万、何億にも広がった全ての世界線のレミリアが何万、何億ものことを考えているのです。
これでは、読めたとしても理解できません。
私は諦念して一つだけ溜息を漏らしました。
その溜息を知ってか知らずか、レミリアは顔を上げました。もう犬歯はしまわれて、いつもの少しだけ大人びた可愛らしい顔に戻っています。
キラキラと紅い瞳が輝いていました。
私がその吸い込まれるような深紅に見蕩れていると、不意に唇に柔らかい感触がありました。
それはレミリアの唇でした。
雛が親鳥に餌をねだるような、そんな口付けでした。
でも、私は何も与えられません。いえ、きっと与えても意味がないでしょう。
彼女が求めている相手は私ではないのですから。
それに私が与えたいのも彼女へではありません。
結局私達は互いの中に自分自身を見出していただけなのです。
本当に愛するべき相手から逃げてしまった臆病者を甘やかしたいだけなのです。
私はもう充分頑張った。私は愛されてもいい存在だ、と。
そうやって互いに投影した自分に対して囁きかけたいだけなのです。
それは一歩足を踏み入れれば逃れることのできない底なしの沼。
そこへ沈んでいくことを私達は許容してしまった。
……いや、むしろ私達は自ら望んでしまったのかもしれません。
心地よい堕落はこの泥濘の中で藻掻く力を奪ってしまった。
甘い口付けは私達の目を曇らせてしまった。
そのことに気付きながらも見ない振りをして深みに落ちる私達は……きっと、もう救えない。
そっと離れたレミリアの瞳の中に、私は怨嗟の炎を見た気がした。
腐りかけたような湿っぽさのある、良い雰囲気の作品でした。
溶けてしまって一つになりそうですね。